教師は聖職ではないのか?/花づな列島復興のためのメモ(114)
大津市の中学生が昨年自殺した事件の事情が徐々に明らかになっている。
現時点で報じられているところでは次の点が、「やっぱりそうか」という感じで浮かび上がってきている。
1.教師、教育委員会等の当事者意識の希薄さ
2.同級生による「いじめ」が度を過ごしていること
3.「加害者」の両親が、有力者といわれる立場にあったこと
「3.」の両親の問題は、おそらく「1.」に関係しているであろうが、ここでは問わない。
「2.」の問題は、もはや「いじめ」という概念の外延を越えているであろう。
Wikipediaによれば、文科省による「いじめ」の定義は以下の通りである。
文部科学省が児童・生徒の問題に関する調査で用いるいじめの定義は「子どもが一定の人間関係のある者から、心理的・物理的攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」で、「いじめか否かの判断は、いじめられた子どもの立場に立って行うよう徹底させる」としている。
これは2007年(平成19年)1月19日以降の定義で、従来のいじめの定義では「自分より弱い者に対して一方的に、身体的・心理的攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」としていた。
同年、具体的ないじめの種類については「パソコン・携帯電話での中傷」「悪口」などが追加された。いじめの件数についても「発生件数」から「認知件数」に変更された。
また、教育再生会議の第一次報告に関連して、いじめを繰り返す児童・生徒に対する出席停止措置などの現在の法律で出来ることは教育委員会に通知するように、2007年1月22日、安倍晋三首相が伊吹文明文部科学相に指示した。
自殺した生徒の受けていた苦痛は、「精神的な苦痛を感じているもの」より遙かに大きい。
「いじめ」というよりも、傷害事件と捉えるべきだろう。
学校が実施したアンケートには次のような回答があったという。
「(教室に)貼ってあった男子生徒の写真の顔に、死亡後も、いじめをしたとされる生徒が穴を開けたり、落書きをしたりしていた」などの執拗ないじめの様子に関する記述があったことが7日、関係者への取材で分かった。
アンケートには、ほかにも「お金を取られていた」と金銭を脅し取っていたことを示唆するものや、自殺した生徒以外の生徒もいじめていたとするものがあった。
http://www.sanspo.com/geino/news/20120708/tro12070805040000-n1.html
教師がこのような事態に気づかぬはずはない。
要は見て見ぬふりをしていただけだろう。
というよりも、事態を告げた女生徒があったにもかかわらず、「けんか」だろうと受け流していたという。
そもそも、「けんか」ならば放置しておいていい、という発想が理解できない。
大津市は、被害者父兄から出されていた損害賠償訴訟について、争う姿勢を一転させて、和解の方向にあるという。
世論の猛烈な批判によって、態度を変えたらしい。
しかし、大津市教育長は未だに「因果関係が明確でない」と言っている。
教育委員会の存在意義が問われるのではないか?
世の中の事象で、因果関係がはっきりしているものは、むしろ稀である。
原因者の責任を追及する場合には、疑わしきは罰せずであるが、事象そのものの理解のためには、先ず疑ってみる姿勢が必要であろう。
⇒2010年11月10日 (水):いじめと自殺の因果関係
16日のNHKの22時からの番組「プロフェッショナル」で、ある教師が紹介されていた。
「学級崩壊やいじめを防ぐ」菊池省三というカリスマ教師である。
かつて教師は、聖職であるといわれた。
聖職はもともとは宗教的な職業のことだろう。
しかし、「裁判官、医師、教師」については、聖職(のようなもの)だとされた。
それぞれ、人の命や人生に深く係るからである。
私の記憶では、日教組が、教師労働者論を唱えるのと軌を一にして、聖職者論が消えていった。
裁判官や医師に比べ、待遇(所得)に格差があり、待遇向上のため組織的な運動を展開してきたことはそれなりの意義があったであろう。
現在、裁判官や医師に比べれば格差はあるのだろうが、一般の勤労者に比べて遜色のない条件が達成されたといえよう。
しかし、聖職であることを止めたことと引き換えに失ったものは大きい。
日教組が自分たちのミッションを狭めた結果、世間のrespectを失った。
世の中が聖職であるという見方をしなくなったことと、モンスター・ペアレントのような父兄が出現したことは、因果関係とはいわなくとも相関関係があるのではないか。
子供を教育する仕事というのは、やはり聖職だと思う。
教師自身が、自分の仕事をそう思わない限り、世間もそう思うことはあり得ないだろう。
生涯一教師というプロの教師がもっと増えるにはどうしたらいいのだろうか?
| 固定リンク
「ニュース」カテゴリの記事
- スキャンダラスな東京五輪/安部政権の命運(94)(2019.03.17)
- 際立つNHKの阿諛追従/安部政権の命運(93)(2019.03.16)
- 安倍トモ百田尚樹の『日本国紀』/安部政権の命運(95)(2019.03.18)
- 平成史の汚点としての森友事件/安部政権の命運(92)(2019.03.15)
- 内閣の番犬・横畠内閣法制局長官/人間の理解(24)(2019.03.13)
「思考技術」カテゴリの記事
- 際立つNHKの阿諛追従/安部政権の命運(93)(2019.03.16)
- 安倍トモ百田尚樹の『日本国紀』/安部政権の命運(95)(2019.03.18)
- 平成史の汚点としての森友事件/安部政権の命運(92)(2019.03.15)
- 横畠内閣法制局長官の不遜/安部政権の命運(91)(2019.03.12)
- 安倍首相の「法の支配」認識/安部政権の命運(89)(2019.03.10)
「花づな列島復興のためのメモ」カテゴリの記事
- 公明党の存在理由/花づな列島復興のためのメモ(336)(2014.06.29)
- 2014年W杯敗退の教訓/花づな列島復興のためのメモ(335)(2014.06.28)
- 「失言」体質と自民党の病理/花づな列島復興のためのメモ(334)(2014.06.26)
- ホンネの表出としての失言/花づな列島復興のためのメモ(333)(2014.06.23)
- 品位を欠く政治家にレッドカードを!/花づな列島復興のためのメモ(332)(2014.06.20)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント