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2012年7月12日 (木)

民自公翼賛体制と朝日新聞の変質/花づな列島復興のためのメモ(108)

私の家では、もの心ついた時から朝日新聞を購読していた。
何しろ、「最初の小説」が朝日新聞に連載されていた村上元三の『源義経』である。
調べてみると、昭和26年連載とある。
幼稚園から小学校に入った年である。
母が読んでくれるのを、固唾を飲んで聞いていた記憶がある。

私の親友の1人は朝日新聞に入社し、将来を嘱望されながら、働き盛りで亡くなった。
また、手本にしたい名文家も何人かいた。
そういう事情で、朝日は、オピニオンリーダーであって欲しいと思う。
しかし、最近の朝日はヘンだ。

もともと対極的な社風の読売新聞と差別がつきにくい。
⇒2012年6月 7日 (木):何のための政権交代か?/花づな列島復興のためのメモ(79)
特に、小沢一郎氏の挙動に関しては、はなはだしく非論理的・感情的である。
⇒2012年6月25日 (月):造反有理?/花づな列島復興のためのメモ(93)

私がことさらにひねくれているわけではないと思う。
たとえば、東京新聞の社説などとは、かなり意見が一致している。
⇒2012年7月 4日 (水):政党の実態は政党政治の建前と整合しているか?/花づな列島復興のためのメモ(102)
あるいは、橋下大阪市長の朝日新聞批判もある。
たとえば、最近の橋下市長vs朝日新聞の応酬まとめなど。

「国民の生活が第一」いわゆる小沢新党がスタートするに際しての朝日の「社説」はやっぱりヘンである。
スタートに際して、新党の綱領が発表された。

 わが党は、2009年の政権交代に対して負託された民意に鑑み、改めて「国民の生活が第一」の原則を貫いて日本の政治、行政、経済、社会の仕組みを一新する。そして国民が「自立と共生」の理念の下で安心安全かつ安定した生活を送り、自らの将来に夢と希望を取り戻し、誇り高く暮らせる日々を実現することを目標とする。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012071101014

綱領そのものはその性格上、抽象的である。
しかし未だに綱領を定め得ない民主党とは大きな違いであるともいえる。
結成大会の挨拶は以下のように伝えられている。

 まずは、税と社会保障の一体改革に名を借りた実質増税だけの消費税増税法案を撤回させるべく行動してまいる決意であります。(そうだの声、拍手)
 そして増税の前にやるべき政策として、東日本大震災に遭遇した地域をはじめとする地方の復興、生活の再建に取り組みます。また、地域主権を確立するための行財政の抜本改革やスケジュール観をもったデフレ経済対策を提示してまいります。
 さらには、この狭い国土に世界の1割近くの原子力発電所が集中する原子力につきましては、過渡的なエネルギーとして位置づけ、原発所在地への対策などを踏まえながら、原発に代わる新たなエネルギーの開発に努める脱原発の方向性を鮮明にしてまいりたいと思います。(拍手)

http://www.asyura2.com/12/senkyo132/msg/802.html

つまり、野田政権の提起した2つの争点に対するアンチテーゼである。
⇒2012年6月28日 (木):戦い(消費増税法案、東電株主総会)済んで、日が暮れて/花づな列島復興のためのメモ(96)
今日の日経にも同様の軸でポジショニングが示されていた。Ws000000_2
私はこの2つの争点に関する限り、民主、自民とは対極に立つ。
朝日新聞の今日の社説は次のように言う。

 「脱原発」の方向は私たちも異存ない。そこで問いたい。
 約1年前、小沢氏は自民党と組んで内閣不信任決議案の可決をめざし、菅首相の「脱原発」方針を葬ろうとした。いつ、どうして考えを変えたのか。
 
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit2

朝日ともあろうものが、このような欺瞞を主張するとはオドロキである。
菅内閣不信任案が、「脱原発」の是非をめぐって出されたと本気でそう捉えているのか?
国会事故調の報告をどう読んだのか?
朝日は国会事故調の批判者か?
大震災の復興や原発事故の収束等において、菅政権がむしろマイナスになると考えられたからではないのか。
⇒2011年5月31日 (火):延命戦略は破綻している/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(40)

不信任案が可決されそうだとみると、ペテン師まがいの詭計によって、辛うじて免れたのではないか。
⇒2011年6月 8日 (水):菅首相は一流詐欺師(ビッグコンマン)たりえたか?
⇒2011年6月14日 (火):菅首相の続投戦略の失敗学

 結局、「反消費増税」にしても「脱原発」にしても、まじめな政策論ではなく、単なる人気取りではないのか。
 あるいは、橋下徹大阪市長の「大阪維新の会」などと手を組むための方便ではないのか。
 
 同上

私には、菅元首相の「脱原発」こそ、「単なる人気取り」あるいは「方便」のように思える。
そうでなければ、国会事故調の報告を待たないで大飯原発再稼働を決めた野田政権をなぜ批判しないのか?
あるいは、原発輸出を成長戦略の柱として、ベトナムへの売り込みを積極的に行ってきたことについての自己批判をしないのか?
⇒2012年6月 5日 (火):「なし崩し」に壊れていく「国のかたち」/花づな列島復興のためのメモ(77)

浜岡原発の運転停止は、確かに菅氏の要請によって実現した。
しかし、菅氏が本気で「脱原発」を目指すのなら、「人災」としての福島原発事故を、他人事として批判するのでなく、自己の内面から批判(反省)してからであろう。
⇒2011年9月12日 (月):福島原発事故と今後のエネルギー政策
私は菅氏が「脱原発」に取り組むならば、上図に示されるように、反民主執行部の旗を上げるべきだと思う。

現時点で私は小沢新党(国民の生活が第一)を支持するものではない。
小沢氏が「壊し屋」であることは事実である。
同じく日経新聞から、小沢氏の「壊し」の履歴を見てみよう。
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しかしずっと同じ政党にいるのが良いともいえないだろう。
朝日新聞の花形記者だった外岡秀俊氏は、『震災と原発 国家の過ち 文学で読み解く「3・11」 』朝日新書(1202)の「はじめに」で次のようにいう。

 多くの人にとって、東日本大震災は、大地だけでなく、人生観や世界観の座標軸を揺るがす出来事だった。

つまり、多くの人が、東日本大震災の前後で、何ほどか考えを変えているはずである。
政治家だけが首尾一貫性を持たなければならないというものではない。
何を変え、何を守ろうとするのか?
言い換えれば、反原発とか反消費税も状況によって変わり得る。
不易と流行といってもいいだろう。

この立ち位置がどう変化していくか、じっくりと見極めたい。
なお「人気取り」を朝日新聞は批判しているが、大勢の意見を反映することは、決して悪いことではないと考える。

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