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2012年7月17日 (火)

新聞の紙面構成の違い/花づな列島復興のためのメモ(113)

今朝の日刊紙の1面は、各紙バラバラで違いが際立っていた。
東京新聞は、昨日の脱原発集会の様子を大々的に載せている。
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17万人は主催者発表であるが、警備側発表でも7.5万人。
60年安保以来とすれば、半世紀ぶりである。
「3・11」後の人々の価値観の変化が如実に示されたといえよう。

同面に、名古屋での意見聴取会で、中部電力社員が発言していたことが報じられている。
「抽選によって選んだのだから、政府は無関係」ということのようだが、果たしてそう言えるのか?
裁判員裁判で、原告もしくは被告の利害関係者が裁判員に選ばれるのだろうか?
あるいは、証券取引などにおけるインサイダーなども連想されよう。

「やらせ」とは言えないかも知れないが、限りなく近いのではないか。
こうして、政府に対する信頼感はまた低下していくことであろう。
民主党政権は余りに鈍感である。

朝日は次のような紙面である。
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ウナギがワシントン条約の対象になって、取引が規制されるかも知れない、という。
確かに最近のウナギ価格の高騰は異常だが、生活必需品とまではいえまい。
反原発集会を取り上げた東京とは対照的である。

その代わり(?)「天声人語」欄で次のように書いている。

▼原発事故で傷ついた故郷の地を離れて、今も万の人が戻れない。その苦境を置き去りにするように、政府は再稼働へ舵(かじ)を切った。抗議を込めて、きのう7月16日、東京であった「さようなら原発」の集会は大勢の参加者が広い代々木公園を埋めた▼炎暑にめげずご高齢の姿が目立ったのは、孫たちの未来を案じてだろうか。「故郷を壊すな!」「子どもを守ろう」。プラカードや幟旗(のぼりばた)が、人々が全国から集まったことを教えている▼呼びかけた一人、音楽家の坂本龍一さんが、壇上から「福島のあと沈黙していることは野蛮だ」と語ると大きな拍手が湧いた。質、量ともに巨大な、脱原発への「志」の結集となった▼「実際に生きている人間の直感の方が、科学的知を超えて物事の本質に迫る瞬間がある」という反原発の科学者、故高木仁三郎さんの言葉を思い出す。権威は必ずしも賢ならず。生活者の肌感覚を蔑(さげす)まない政治が、今こそほしい。
http://www.asahi.com/paper/column20120717.html

「天声人語」子の言うとおりであるが、朝日の紙面からは、それが感じられない。
反原発の立場を「天声人語」で表現しているつもりだとしたら、アリバイ作りのようなものだ。
「民意を聞く」として、ごく限られた発言者に電力会社社員を送り込むようなものだ。

毎日は、金正恩側近の解任か、という観測記事。
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北朝鮮で、何か大きな変化が起きているのだろうか?
不気味な動きである。

反原発集会の様子も写真入りで報じられている。
「10万人集会」というのは、主催者側と警備側の中庸か?

読売は、志賀原発の活断層の問題。
といっても、主眼は危険性の訴求よりも、「再稼働遅れ」にあるようだ。
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産経は、尖閣領有問題。
まあ、社論ということだろう。
中国側の主張に根拠がないことの新しいエビデンスだが、実効性があるのかどうか?
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日経はイラク融資再開というニュース。
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地元紙である静岡新聞は、南海大地震の話題であった。
巨大地震への備えは、長年の県政の懸案である。
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編集はクリエイティブだという。
日々のニュース素材自体に大きな違いはないだろう。
しかし、それを紙面に構成すると、このようになる。
各紙のスタンス、その結果としての表現が、これほどはっきりと違う日も珍しいのではなかろうか。

ついでにと言っては失礼だろうが、今朝、日本共産党が三島駅で街頭演説を行っていた。
共産党の主張はもっともなことが多いが、戦前の弾圧の歴史まで遡る演説に耳を傾ける人は少ない。
心に響いてこないのである。もう少し工夫したらどうだろうか。
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