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2012年7月

2012年7月31日 (火)

山口県知事選は地殻変動の前兆か?/花づな列島復興のためのメモ(121)

山口県といえば、保守王国のイメージが強い。
長州藩は薩摩藩と共に明治維新を主導し、明治新政府の要職を分け合った。
薩摩が西南戦争で西郷隆盛などの有為な人材の多くを失ったのに比し、長州は順調に勢力を増大させ、いわゆる長州閥を形成した。
戦後においても、岸信介、佐藤栄作の兄弟や安部晋三といった首相経験者を輩出している。
自由民主党の牙城であったといってよい。

その山口県知事選が、29日行われた。
結果は、元国土交通審議官の山本繁太郎氏が、脱原発を掲げる「環境エネルギー政策研究所」所長の飯田哲也氏らを破り、初当選を果たした。
当選:山本繁太郎 25万2461
次点:飯田哲也    18万5654

山本氏は、自公が推薦し、3月に出馬表明した。
中央とのパイプを生かした公共事業誘致や産業力の強化などを訴えた。
前回までのパターンなら、これで決まり、のハズだった。
ところが、告示前1カ月弱の飯田氏の出馬表明で、上関原発計画の是非が争点化されると、山本氏は計画凍結を訴えて防戦。
自公両党や100以上の業界団体の組織力を動員した。

この結果は、なかなか興味深いものではなかろうか?
先ず第一に、政権与党の民主党が、自前の候補を擁立せず(できず)、自主投票としたことである。
地方と国政は異なるとはいえ、そのオーバーラップしている部分の中央VS地方が大きなテーマになっている時である。
独自候補を擁立できないということは、政権党としては不戦敗と言わざるをえない。

第二は、従来の図式では楽勝のハズの山本氏が、飯田氏の追い上げにより必死の防戦体制を敷かざるを得ない事態となったことである。
典型的な中央の高級官僚出身の山本氏に対し、飯田氏は脱原発のシンボル的存在であった。
飯田氏の追い上げをかわすために、山本氏も原発計画の「凍結」を主張せざるを得なかった。
「凍結」がどういう形で具体化していくかは今後を待たなければならないが、民意が地殻変動を起こしつつあることの反映ではなかったか。

飯田氏が大阪府・市の特別顧問を務め、橋下徹・大阪市長のブレーンでもあったことが善戦の要因であったといわれる。
そのことも含め、民主党も自公両党も、潜在的な敗者であろう。
既存政党が音を立てて崩れていくように見える。

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2012年7月30日 (月)

脳疾患が労災と認められた判例/闘病記・中間報告(53)/因果関係論(17)

高血圧等の基礎疾患があるばあい、脳梗塞などの脳血管障害を発症するリスクが大きい。
脳血管障害を実際に発症した場合、業務の過重負荷が「相当因果関係あり」と認定されるのは、かなり難しいのではないかと想定される。
たまたま知人の法律事務所で「判例ジャーナルNo.1367」(2012.5.15)を眺めていたら、「高血圧症の基礎疾患のある地方公務員のくも膜下出血の発症について公務起因性が認められた事例」の解説が載っていた。

事案の概要は以下の通りである。
公立小学校の教員が授業終了直後、気分が悪くなって保健室で休んでいた。
容態が急変したので県立病院に救急搬送され、検査をしたら、くも膜下出血であると診断された。
入院加療しているが、後遺症が残った。
地方公務員災害補償基金に公務災害認定を請求したが、脳動脈瘤の形成は先天的原因(家族歴)又は後天的原因(高血圧症)によるものであり、破裂しやすい状態となっていたものが自然的経過において増悪し、発症したもので、公務起因性は認められないとした。

一般に、労災が認められる条件は下図のようである。
Photo_3
http://www.nenkin-support.com/rousai02.html

ここで、過重労働の影響は、下図のようである。
Photo_4
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/special/115/

つまり、おおまかな傾向はあるが、せいぜい蓋然性が認められるということである。
疾病の発症には、多様な要因が関係している。
そのどれが主因であるかを見極めるのは困難であろう。
Photo_2
http://lifestyle-disease.jp/

判例では、公務による負荷が基礎疾患を自然の経過を超えて増悪させ、発症に至らせたと認められたときに、相当因果関係を肯定することができる、と解している。
本件の争点を具体的に整理すると、以下のようである。
1.公務起因性の判断基準
2.原告の公務の過重性
3.公務以外の本件疾病発症に対する危険因子の有無

判決は、原告の本件疾病の発症は公務に起因すると認められる、とした。
その理由は以下の通りである。
a.原告は、くも膜下出血の最大の危険因子である高血圧症であったが、食事療法や運動療法を実施していたことにより、発症の直前期には基本的に血圧はコントロールされていた。
b.発症の直前期に、高度な疲労を来すような過重な公務があった。
c.過重な公務負担が、原告の高血圧症を自然経過を超えて増悪させたから発症したと認められる。
d.すなわち、本件疾病と原告公務の間には相当因果関係が認められる。

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2012年7月29日 (日)

ポスト「3・11」の課題としての過労社会からの脱却/花づな列島復興のためのメモ(120)

脳・心臓疾患等は、生活習慣病の代表である。
しかし、過重な仕事が原因と考えられる場合も多い。
どのような場合、労災認定がなされるか?

厚労省の「脳・心臓疾患の労災認定-「過労死」と労災保険-」というサイトに、認定の基準について解説がある。
基本的な考え方として、以下が示されている。

(1) 脳・心臓疾患は、血管病変等が長い年月の生活の営みの中で、形成、進行及び増悪するといった自然経過をたどり発症する。
(2) しかしながら、業務による明らかな過重負荷が加わることによって、血管病変等がその自然経過を超えて著しく増悪し、脳・心臓疾患が発症する場合がある。
(3) 脳・心臓疾患の発症に影響を及ぼす業務による明らかな過重負荷として、発症に近接した時期における負荷のほか、長期間にわたる疲労の蓄積も考慮することとした。
(4) また、業務の過重性の評価に当たっては、労働時間、勤務形態、作業環境、精神的緊張の状態等を具体的かつ客観的に把握、検討し、総合的に判断する必要がある。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/0112/h1212-1.html

特に、長時間の過重労働については、具体的な労働時間の規定がある。

(1) 発症前1か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね45時間を超える時間外労働が認められない場合は、業務と発症との関連性が弱いが、おおむね45時間を超えて時間外労働時間が長くなるほど、業務と発症との関連性が徐々に強まると評価できること
(2) 発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できることを踏まえて判断すること。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/0112/h1212-1.html

業界や業務・立場等によって、労働の態様はさまざまであろうが、「発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働」というのは、さほど稀な場合ではないような気がする。
事実、東京新聞によれば、一部上場の大手企業の7割が、社員に過重労働を認めている。

 東証一部上場の売り上げ上位百社(二〇一一年決算期)の七割が、厚生労働省の通達で過労死との因果関係が強いとされる月八十時間(いわゆる過労死ライン)以上の残業を社員に認めていることが分かった。厚労省の指導が形骸化し、過労死しかねない働き方に歯止めがかかっていない現状が浮かんだ。
 本紙は今年三~六月、百社の本社所在地の労働局に各社の「時間外労働・休日労働に関する協定(三六協定)届」を情報公開するよう求めた。さらに各社の労務管理についてアンケートし、三十六社から回答を得た。
 開示資料によると、労使で残業の上限と決めた時間が最も長いのは、大日本印刷の月二百時間。関西電力の月百九十三時間、日本たばこ産業(JT)の月百八十時間、三菱自動車の月百六十時間と続いた。百社のうち七十社が八十時間以上で、そのほぼ半数の三十七社が百時間を超えていた。百社の平均は約九十二時間だった。
 国は労働基準法に基づき、労使間の協定締結を条件に月四十五時間まで残業を認めており、特別な事情があれば一年のうち半年まではさらに上限を延長できる。一方で、厚労省は過労死認定基準として「発症前一カ月に百時間か、二~六カ月に月八十時間を超える残業は業務との因果関係が強い」と通達している。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012072590070017.html

労働基準法で規制している労働時間は、原則1日8時間、1週40時間である。
これ以上の労働のためには、いわゆる「三六協定」を労使間で締結し、労働基準監督署に届出ておくことが必要である。
労働基準法第36条に規定されていることから、「三六(サブロク)協定」と呼ばれている。
上記の記事は、一部上場企業の「三六協定」の中身の問題である。
「三六協定」が過労死認定基準に抵触している。

東京新聞社説「過労社会 まず休息から考えよう」は以下のように説いている。

 残業に追われる日本のサラリーマンたちの健康をどう守るか。心身を病んだり、命を落としたりする労働災害が後を絶たない。まずは休息。そこから仕事を組み立てる発想も大切だ。
 「エコノミックアニマル」。かつての高度成長期の日本人を世界はそんな蔑称で呼んだ。利己的に振る舞い、利益ばかりを追い求める国民気質を皮肉ったのだ。
 長時間の残業や休日抜きの勤務は美徳でさえあった。その揚げ句に命を失う「過労死」という現象は、今やそのまま「Karoshi」とつづられて外国語の辞書に載っている。
・・・・・・
 労働時間の規制論議に対して経営側はいつも反発してきた。生産性が落ちるとか労働意欲がそがれるとかいった具合だ。
 ならば、まず一日の休息時間を確保してから働き方を考えてはどうか。「勤務間インターバル規制」と呼ばれ、実際に欧州連合(EU)では終業から翌日の始業までに十一時間以上の休息を取るルールがある。働き手が健康でいてこそ企業も存続できるのだ。

私自身「長時間の残業や休日抜きの勤務は美徳」というような風土で生きてきた。
挙げ句の果てが脳梗塞の発症である。
もちろん、私の発症の要因はいろいろ考えられる。
それは個人的に反省をしなければならないが、長時間の残業等による過労は社会的にも大きな問題であろう。
ポスト「3・11」の課題の1つとして、過労社会からの脱却があるのではないか。

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2012年7月28日 (土)

過労死・過労自殺と労災/花づな列島復興のためのメモ(119)/因果関係(16)

因果関係を巡る話題が多い。
⇒2012年7月22日 (日):因果関係がはっきりしない事態への姿勢/花づな列島復興のためのメモ(116)

過労死・過労自殺の問題も、その1つといえよう。
Wikipediaによれば以下のように解説されている。

過労死(かろうし)とは、周囲からの暗黙の強制などにより長時間残業や休日なしの勤務を強いられる結果、精神的・肉体的負担で、働き盛りのビジネスマンが脳溢血、心臓麻痺などで突然死することである(最近は若者も多くなっている)。英語では元々work oneself to deathと普通に翻訳されていたが、日本の状況が欧米でも報道されることが増えたためそのまま「Karoshi」として翻訳されている。また、長時間労働による鬱病や燃え尽き症候群に陥り、自殺する者も多く、広義には、稀にこの「過労自殺」も含む用語として使われる場合もある。

いわゆる過労死・過労自殺は、経年的に増えてきている。
Photo_4
http://webronza.asahi.com/bloggers/2011112200002.html

過労というのは、労働が過重であることである。
しかし労働災害であると認定されるのは、かなり困難であると想定される。
過労死・過労自殺と労働条件との間に「相当因果関係」があることが証明されなければならないからだ。
相当因果関係とは、社会通念上相当とみなせる因果関係であるが、社会通念というのがかなりファジーである。

過労により脳溢血、心臓麻痺に罹ったとしても、過労だけが原因とは一概には言い切れない。

Photo_5
http://e-doc.xii.jp/archives/4623

個人的な要因、仕事以外の要因、仕事の要因を総合的に勘案して、脳・心臓疾患と仕事との間が、社会通念上認められるためには、200時間程度の残業が何カ月も続くといった状況があることが要件となろう。
ちなみに、一般的な場合、一ヶ月の時間内労働時間は、168時間程度である。
まして、自ら死を選んだ過労自殺は、意思による選択の問題もあるからやっかいである。
⇒2010年9月13日 (月):山田潤治氏の読み/江藤淳の『遺書』再読(4)
⇒2010年9月14日 (火):宮本光晴氏の読み/江藤淳の『遺書』再読(5)
⇒2012年5月15日 (火):金銭で評価し得ない被害の補償/原発事故の真相(28)

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2012年7月27日 (金)

筋の通らない東電の値上げ/花づな列島復興のためのメモ(118)

枝野幸男経済産業相が、東京電力が申請した家庭向け電気料金の値上げを正式に認可した。
9月1日からの実施、値上げ幅は平均8.46%で、政府の認可が伴う家庭向け電気料金の値上げは1980年以来32年ぶりである。
他に電気を供給してくれる選択肢がないのだから、そのまま受け入れざるを得ない。

東電の値上げの影響は、次のように試算されている。
Photo_3
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/business/other/579144/slideshow/494903/

 だが、利用者の負担はこれだけではない。検針票にはこのほか、原油価格の変動を顧客に転嫁する「燃料費調整」や、8月からは電力会社により太陽光などの再生エネルギー買い取り額転嫁分が「4人家族」で約100円上乗せされる。これらの結果、9月の実際の電気代は1万2842円となる計算だ。
 東電は昼と夜の電気代に5倍近い差を付け節電を促す「ピークシフトプラン」への加入による負担軽減を奨励するが、メリットがでるのは契約容量50アンペア以上で月使用量が600キロワット時という「5%程度のヘビーユーザー」(東電)だけ。
http://www.sankeibiz.jp/business/news/120725/bsd1207252223008-n1.htm

こういうニュースに、釈然としない気分の人は多いのではないだろうか?
先ず押さえておきたいのは、東電が失敗企業であるということだ。
レベル7という最悪の事故を起こした当事者である。
しかも「人災」だったと指摘されている。
今なお、16万人の人が避難生活を強いられている。

一般論として、不祥事を起こした企業が、経営再建のために値上げをしたいといったら、顧客はそれを受け入れるだろうか?
東電のステークホルダーのなかで、顧客はone of themである。
⇒2012年5月18日 (金):東京電力は誰のものか?/原発事故の真相(29)
株主や金融機関はいかなる責任を負ったのか?

普通、企業が破綻した場合、清算して残存価額を株主や金融機関等の債権者への配当原資とする。
東電は実質的には債務超過だから、配当原資はマイナスである。
つまり、株式や債権などは、1銭も回収できない。
株価は下落したが、一定価値を保っている。
金融機関が債権放棄をしたという話も聞かない。
著しくアンバランスではなかろうか。

しかも、費用として、電源開発促進税(電促税)や稼働する見込みのない施設の維持費、減価償却費などが含まれている。
さらに、廃炉費用を問題にするのは、岸博幸・慶應義塾大学大学院教授である。
廃炉費用の総額が今後どこまで膨張するか、まだ分からないことに加え、廃炉費用が含まれたら、除染費用もいずれ原価に入ってくるだろう。

自分の不始末を、値上げで処理する。
ここにも、倫理の崩壊が見られる。
⇒2012年7月20日 (金):野田政権における「倫理の崩壊」/花づな列島復興のためのメモ(115)

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2012年7月26日 (木)

土用の丑の日に因んで

三島市は水の都と呼ばれて(自称して)いる。
⇒2009年4月24日 (金):水の都・三島と地球環境大賞
市内各地で富士山の雪解け水が湧出しているが、市内のうなぎ屋では、この湧水にうなぎを2~3日打たせ、うなぎ特有の臭みや余分な脂を落としている。
市内のうなぎ屋は、「うなぎ横町」という統一ブランドを使用している。
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ざ・うなぎ横町掲載店

そのウナギの高騰のニュースが連日報じられている。
明日は土用の丑の日ということもあって、各紙のコラム欄もウナギをサカナ(?)にしたものが多い。

北海道新聞:卓上四季
・・・・・・ さて、いま日本のウナギ業界ではこんな談議が交わされているようだ。「中国・台湾産も高くなった。マダガスカル産がいけるかも」「タスマニアの天然ものも期待できそうだ」―▼マダガスカルはアフリカ東岸、タスマニアは豪州南部の島。ウナギ稚魚の歴史的不漁で国内資源が枯れる中、世界中に産地を探る動きが加速している。古今東西、人類を走らすウナギの魔力。恐るべし・・・・・・

信濃毎日新聞:斜面
高くて手が出にくいとなると、余計に食べたくなるのが人情かもしれない。ウナギの話である。スーパーも心得ていて、細かく刻んだり、1匹を二つに切り分けたりし、値を抑えた品を並べている◆代わりにも事欠かない。アナゴはもとより、豚肉のかば焼き弁当なるものも見かけた。土用の丑(うし)の日に「う」の付く食べ物をとると体に良いとの言い伝えから、牛肉や豆腐などの特売を予定する店もある   ◆ユニークなのは金沢市の食品研究所。おからや豆腐、魚のすり身をウナギの型に入れて焼き上げた。コンブで“皮”も作り、見た目だけでなく「食感にもこだわった」と話す。名古屋市の和菓子店でも、まんじゅうなどを材料にうな重にそっくりな菓子を創作している・・・・・・

中日新聞:中日春秋
信心深いご隠居が、鰻(うなぎ)屋の前を通り掛かる。鰻が割(さ)かれそうになっているのを見て、止めに入る。「殺生はやめなさい」と買い取り、鰻を川に放してやる▼次の日も通り掛かり、銭を出し鰻を助ける。それが日課のようになり、鰻屋は、労せずに儲(もう)かると大喜び。さすがに往生したご隠居は店を避けるようになったが、たまたま鰻を切らした日に、通り掛かる▼商機逃すまじ、とあわてる余り鰻屋が赤ん坊をまな板の上に載せると、隠居もあわてて赤ん坊を取り上げ、店の前の川に、ざぶぅーん。落語『後生鰻』は何ともグロテスクな落ちで終わる・・・・・・

東京新聞:筆洗
鰻(うなぎ)屋の隣に越してきた男は、鰻を焼く匂いでご飯を食べるのが日課だった。月末、鰻屋の主人が、請求書を持ってきた。「うなぎのかぎ代、六百文」▼男は、持ってきた小銭をじゃらりと鳴らした。「匂いのかぎ賃だ。そっちも音だけ取っておきな!」。渋ちんな主人公が登場する落語のまくらでよく聞く小咄(こばなし)である・・・・・・

河北新報:河北春秋
<鰻(うなぎ)屋は 給料前に 鰻食う>。目の前の養殖池から選び取り、好きな時に食べられるぜいたく。何ともうらやましい川柳の作者は静岡県焼津市でウナギ養殖業を営む片岡征哉さん(47)▼「給料前のお金がなくなるころになると、妻に言われるんですよ。お父さんウナギ持って来てって」。わが子のようにウナギを育てているのだから、1匹失敬するのも当然のご褒美か▼故池波正太郎さんの小説『看板』は、生涯一回きりのうなぎをごちそうになる話だった。盗賊の親方がひょんなことから、さる女性と知り合う。その心ばえに感心し、何かごちそうさせてほしいと頼む▼遠慮していた女性はやがて、うなぎを選んだ。好物だったからではない。どうしても一度、食べてみたかったのだ。「さア、おあがり」「こんなに、おいしいものだったんですかねえ」・・・・・

こんな具合である。
産経新聞の産経抄は、23日に次のように書いている。

葛飾北斎のスケッチ集「北斎漫画」にある「鰻(うなぎ)登り」は、3尾の巨大な鰻が鰻屋のまな板から職人の手をすり抜けて、天に昇っていく様子を描いたものだ。幕府の経済政策の失敗による物価の高騰を暗に批判している、との説もある。▼ただ江戸研究家の杉浦日向子さんは生前、当時の蒲(かば)焼きはもともと高価なごちそうだった、と語っていた。大工の日当が400文から600文だったのに対して、1人前が200文以上もしたそうだ。なにしろ、客の顔を見てから鰻を吟味し、割いて焼くから手間暇かかる。▼客の方は酒を飲んだり、男性なら女性を口説いたりして、待ち時間を楽しんだという。たまには江戸の人々のように、オツな時間を過ごしてみたいものだが、蒲焼きはますます庶民の口に入りにくいものになっている。▼昨今の価格高騰は、養殖に欠かせない稚魚(シラスウナギ)が東アジアで3年連続の不漁となっているのが原因だ。平成16年に1キロ当たり約25万円だったのが、今年は200万円以上に値上がりしている。鰻の資源そのものが枯渇に向かっているとしたら、大変な事態である。・・・・・・

各社を代表するであろう名文記者が揃ってウナギを書いている。
先日、朝日新聞は1面のトップで取り上げていた。
⇒2012年7月17日 (火):新聞の紙面構成の違い/花づな列島復興のためのメモ(113)
それだけ日本人の暮らしに入り込んでいるということだろう。
今日の日経新聞は社説である。
以下のように結ばれている。

ウナギを本当に絶滅危惧種としないために、乱獲や密漁を防ぐのは日本の責務だ。天然資源に頼らずにすむ、完全養殖の事業化も急ぎたい。

ところで、ウナギの完全養殖の見通しはどうだろうか?
水産庁が、25、養殖ウナギの卵をふ化させて成魚にする「完全養殖」で、稚魚のシラスウナギを年間1万匹生産できる技術を5年後に確立する方針を明らかにした。

ただ、完全養殖による稚魚の生産コストは現在1匹当たり数万円と高い。ウナギの養殖業者が仕入れる稚魚は年間1億匹とされ、1万匹の生産では追い付かない。ウナギが手ごろな価格で味わえるまでには依然課題が多そうだ。
http://www.at-s.com/news/detail/397730716.html

ウナギの生態には謎が多いうと言われる。
太平洋を往復6000kmに及ぶ長旅をする。
その回遊の旅程は下図のように推測されている。
Photo_7http://blogs.yahoo.co.jp/ecofarmnango513/28529135.html

ウナギが、いつ、どこで産卵するのか、長いあいだ謎に包まれていた。
しかし、東京大学の塚本勝巳・大気海洋研究所教授らの研究グループが、2009年と2011年夏、ついにニホンウナギの卵の採取に成功した。
塚本教授は、広大な海原の中で、ウナギがいつ、どこで産卵するかを絞り込むため、2つの仮説を立てたという。

第1は「新月仮説」です。採れた仔魚が誕生して何日目であるかは耳石(の日周輪)を調べるとわかります。その結果、7月に採集された仔魚が孵化したのは5月と6月の新月の日とわかりました。ウナギの産卵は夏の新月の日に一斉におこなわれる。これが新月仮説です。

第2は「海山仮説」。過去の仔魚分布と海流の情報から、産卵場所は北緯15°付近、東経142°と143°の間と推定することができました。このあたりは4000mの深海底から富士山クラスの高い海山が海面にむかって嶺を連ねる場所です。こうした場所に特有の磁気や匂い、あるいは海流の変化をキャッチして雌雄のウナギが出会い、産卵するのではないか。これが海山仮説です。
http://www.u-tokyo.ac.jp/ja/todai-research/feature-stories/eel-eggs/

タカがウナギではあるが、されどウナギといった感じではなかろうか。

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2012年7月25日 (水)

政府事故調の報告書/原発事故の真相(41)

政府事故調の報告書が出た。
これで主要な事故報告書は出そろったことになる。
それぞれ、力点や視角が違っているので、同じないようのところもあれば、違う箇所もある。
Photo
http://news.goo.ne.jp/picture/sankei/politics/snk20120723093.html

いずれ多くの専門家が、細部にわたって検証するであろうし、逐次いろいろなコメントも出てくるであろう。
ここでは、先ず私が先日触れた論点について見てみよう。
すなわち、「原発事故の直接的な原因を津波だけに限定していいのか」という問題である。

国会事故調の報告書では、重要な機器・配管類の損壊が、津波ではなく地震により起きた可能性を、全面的には否定できない、というものであった。
⇒2012年7月21日 (土):原因を「想定外の津波」に限定していいか?/原発事故の真相(40)
政府事故調は、地震の影響を否定した。
1207242_2
東京新聞120724

他の事故調も、地震が原因であることを否定している。
もちろん、現時点ではいずれの事故調の報告書がより妥当であるか、真相に迫っているかは分からない。
それは、各事故調が揃って、現場確認の必要性とそれができなかったこと、したがって調査に限界があることに言及していることによる。
その大きな要因は、未だ放射能の値が大きいので、現場への立ち入りを制限されていることによる。
言い換えれば、真相は不明、というのが現時点の暫定的な結論というべきであろう。

一般論としていえば、安全であるを言うことは難しいが、安全でないと言うことは容易である。
1例でも、危険なことが起きれば、危険だとは言えても安全だと言うためには、さまざまなシチュエーションを検証しなくてはならない。
地震による損傷も、無かったというよりも無かったとはいえないという方がより妥当ではないかと思う。
国会事故調以外が、地震の影響を否定する理路がいかなるものか、ゆっくりと確認したい。

もう一度、武谷三男さんの『安全性の考え方』岩波新書(6705)から引用しよう。

裁判は“疑わしきは罰せず”だが、安全の問題は“疑わしきは罰しなくてはならない”ということだ.公共・公衆の安全を守るためには“安全が証明されなければやってはならない”のであって、危険が証明されたときには、すでにアウトになっているのである。

政府は、それでも原発の稼働を進めるのであろうか。

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2012年7月24日 (火)

何をもって安全性の証明とするのか?/花づな列島復興のためのメモ(117)/因果関係論(15)

オスプレイの配備・運用をめぐって混乱が続いている。

 野田総理大臣:「オスプレイについては、きちんと安全性が確認されるまでは、日本での飛行は行わない、そういう方針で臨みます」
 一方、民主党の前原政調会長は、党を代表する形で、安全性が確認されなければ、アメリカ軍が予定する10月からの普天間基地での本格運用を遅らせるよう野田総理に申し入れました。しかし、野田総理から配備に関する言及はなかったということです。政府は、安全性を確認するため専門家チームを派遣したり、普天間基地での飛行ルートをより安全なものに変更できないかアメリカ側と調整に入る方針ですが、沖縄など地元の反発は強く、理解を得られるかは難しい情勢です。

http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/220723050.html

野田総理のいう「きちんと安全性が確認される」とは、いかなる状態をいうのであろうか?
大飯原発再稼働について、「最終的に安全性を確認した」はずだが、敷地内の断層が活断層であることを否定しきれず再調査することになった。
にもかかわらず、稼働は継続するという。
誰が考えても、論理の一貫性がないだろう。
もしこのようなことが、「私の責任で」行われるならば、なんでもOKということになってしまう。
民主党政権こそ、かつての軍部と同じような独走の危険性を持っているのではないか。
55年体制を越えて、40年体制に逆行である。

前原政調会長も、何をもって「安全性が確認されなければ」という基準がクリヤーされるのか、明確にしないと「言うだけ番長」を返上はできない。
私は、安全保障の問題について、もっと分かりやすい形で国民的議論を起こすべきだと思う。
2030年のエネルギーについての意見聴取会は欺瞞的だと思うが、政府の態度・姿勢が欺瞞的であることが国民の前に晒された、という効果はあった。

安全性の問題については、物理学者の故武谷三男さんが、『安全性の考え方』岩波新書(6705)という著書を書いている。
現在は絶版で、Amazonを見ると、最安値が2287円である。
いかに名著とはいえ、新書の古書としては手を出しにくい値段である。
岩波書店も、復刊すべきではないだろうか。

同書のAmazonの書評の中に、次のような文章がある。

 業界団体が大学の専門家をかつぎだして「ユリア樹脂製食器は絶対安全である」という ポスターをあちこちに貼りまくり、そのポスターには「ホルマリンで健康被害の例はない」とか、 「ホルムアルデヒドは殺菌作用があるのでむしろ健康に良い」とか、 いつも考えることは同じで笑ってしまいます。

たしかに、先日の中電課長の「放射能で死んだ人はいない」という意見聴取会での発言と瓜二つである。
⇒2012年7月22日 (日):因果関係がはっきりしない事態への姿勢/花づな列島復興のためのメモ(116)
多少でも公害の歴史等に関心を持つ者にとっては、「未だにこういう発言をする人がいるのか」という気がするであろう。
電力会社の社員が「個人として」発言することを制限すべきではない、という人もいるが、見聞した範囲では電力会社の意見を代弁しているだけであり、やはり国民の意見の聴取会には相応しくないだろう。

オスプレイの配備・運用については、余りにも背景的な事柄について説明不足である。
なぜ釜山から岩国へ搬入したのか?
おそらくは朝鮮半島情勢に関連するのであろうが、政府はどういう見解を持っているのか?
何やら北朝鮮で何らかの動きがあるようである。
そういう状況を踏まえて、オスプレイの配備・運用にはこういう効果が期待される、というような説明が必要ではないか。

軍用機に絶対の安全性など求められない。
いわゆる「安全神話」が崩壊したばかりである。
武谷さんは、次のような言い方をしている。

放射線というものは、どんなに微量であっても、人体に悪い影響をあたえる。しかし一方では、これを使うことによって有利なこともあり、また使わざるを得ないということもある。その例としてレントゲン検査を考えれば、それによって何らかの影響はあるかも知れないが、同時に結核を早く発見することもできるというプラスもある。そこで、有害さとひきかえに有利さを得るバランスを考えて、〝どこまで有害さをがまんするかの量〟が、許容量というものである。つまり許容量とは、利益と不利益とのバランスをはかる社会的な概念なのである。

ただ、「安全性が確認されるまでは、日本での飛行は行わない」というだけでは、何も言っていないのと同じである。

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2012年7月23日 (月)

メモを取れないハンディ/闘病記・中間報告(52)

三嶋大社で「古典講座」というのをやっている。
東洋大学の菊地義裕教授が、万葉集を題材に、日本文化の伝統について講義している。
http://www.mishimataisha.or.jp/classic/
⇒2009
年7月20日 (月):カタリの諸相

受講料も手ごろなので発症前から受講していたが、病気で中断を余儀なくされていた。
今年度から再受講しようと思っていたのが、再入院と重なり6月からの受講となった。
昨日は今年度の4回目、私としては2回目の講座だった。

講義を聴いていると、メモを取れないことの不便さを痛感する。
左手は何とか読めるくらいまでは訓練したが、速度が実用的なレベルではない。
右手は、自助具を付けて、やっとスプーンが持てるようになったところで、字を書くには程遠い。

私は、かつてメモ魔というほどではないが、比較的メモをよく取っていた方だと思う。
しかし、せっかく取ったメモも、自分が議事録を作成するとき以外は、あまり見直すことはなかった。
メモを取る労力はムダだったのだろうか?

メモは何のために取るか?
メモ(メモランダム)は、日本語で言えば、「覚え書き」とか「備忘録」である。
つまり、「覚え」のために、あるいは忘れないために(忘れたときに備えて)書く。
メモは普通手書きである。

私は右半身不随になって、気楽に手書きのメモを取れなくなった。
そして、メモがモノを考える上で、非常に大きな役割をしていることを再認識した。
アタマの中をメモ的に「見える化」することで、考えが前に進む。
アタマの中だけの作業だと、循環してしまいがちである。
つまり、メモを気楽に取れないということは、考える上での大きなハンディキャップである。

7月5日の東京新聞のコラム「筆洗」が、メモの重要性に触れていた。

 はっといいアイデアが浮かんでも、それを書き留めなかったため、思い出せないという苦い経験を持つ人は多いはずだ。一瞬のひらめきは、消えてしまうのもあっという間である▼ノーベル化学賞受賞者の福井謙一さんは枕元だけではなく、テレビを見る時も、散歩の時も鉛筆とメモ帳を用意していたという。「メモをしないでも覚えているような思いつきに、大したものはないようである。メモをしないと、すぐに忘れてしまうような着想こそ貴重なのである」(『学問の創造』)▼自宅や職場のあちこちに付箋やメモ帳を置き、つまらないアイデアでも、すぐにメモしようと身構えるわが身だ。ノーベル賞学者が地道な努力を重ねていたことを知り、なぜか安心してしまった

もちろんノーベル賞学者とわが身を比ぶべくもないが、コラム氏のように、「すぐにメモしよう」と思っても、それができないことが残念だ。
スマートフォンのメモ機能である程度は代替できるが、左手だけの入力速度には限界がある。

人間の手は、実に器用なものだと思う。
今までほとんど意識することなく、字を書いたり、箸を持ったりしている。
しかしこれらの作業は、かなり微細な制御を必要としている。

左手については、発症直後から機能向上訓練を始めた。
生存のためには先ず食が条件であるから、箸を使えることが重要になる。
もちろん、スプーンなどで代替できる部分はあるが、やはり日本人としては、箸で食事をしたい。

最初は、左手で箸を使うのは非常に難しいことだった。
2本の箸をバネで繋いだ「バネ箸」で、小さく千切ったスポンジから始めた。
次第に豆状のものなどを摘む訓練などに取り組むようになったが、体験上大きな効果があったのは、字を書く訓練だった。

右手で字を書いていた人間にとって、左手で字を書くのは容易ではない。
小学生のように、書き取り帳を埋めていった。
書き取り帳が何冊かになった頃、何とか読める字が書けるようになった。
利き手の交換ということになるが、書く速度が問題である。
会議などでメモを取るには、一定のスピードが必要である。
もたもたしていると、話題が変わってしまう。

回復期の病院を退院後、字を書くことの作業のほとんどは、パソコンで行うようになった。
この文章ももちろんパソコン入力である。
逆に言うと、せっかく練習した左手で字を書く機会は、病院の受付ぐらいしかない。

右手の機能回復には、発症後継続して取り組んできた。
2年半以上経過して、やっと手指はゆっくりと動くようになってきた。
しかし、実用になるためには、速度、持続力、保持力等の点で、まだまだほど遠い状況である。
右手の機能回復を願いつつ、思うに任せない「手をじっと見る」日々である。
⇒2012年5月26日 (土):霧島リハセンターを退院/闘病記・中間報告(51)

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2012年7月22日 (日)

因果関係がはっきりしない事態への姿勢/花づな列島復興のためのメモ(116)/因果関係論(14)

最近、因果関係を問われる事態にどういう姿勢で向き合ったらいいのか、ということが気になることが重なった。
たとえば以下のような事案である。
・大津市の中学生の自殺と「いじめ」の因果関係
・放射能と健康被害の因果関係
・原発事故と地震の因果関係
・胆管ガンと有機溶剤使用の因果関係

いずれも、2つ事象の間の関係は複雑である。
一方(x)が起きれば、かならず他方(y)が起きるということではない。
Photo_4
しかし、数学的な関係や物理的な現象ならともかく、社会的な事象で、因果関係が疑いもなく明確であるということは稀であろう。
多くの場合は、xとyの間には、なにがしかの関係が疑われる、という「なにがしか」の程度の問題である。
2つの事象の間の関係を平面にプロットしたものを、散布図という。
Photo_6
上図のような散布図において、一般に、「a」のような場合なら2つの事象には関係があり、「c」のような場合なら、関係は不明である、と考えられる。
「a」のような場合を、相関関係という。
相関関係が認められる場合、「x」が「y」の原因であるというためには、当然、「x」が「y」よりは時間的に先行していることが必要である。

民法において、損害賠償は次のように定められている。

(不法行為による損害賠償) 
第七百九条  故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

つまり、損害賠償を請求できるためには、原因行為と損害との間に、因果関係が存在することが要件である。
言い換えれば、因果関係を認めうる範囲で加害者に賠償責任を負わせることができるということである。
この場合、いわゆる事実的因果関係(「あれなくばこれなし」の関係)があれば認めるということだと、因果関係の範囲が広くなりすぎ、損害賠償の範囲が過大になりすぎる。

極端な例を挙げると、MさんがNさんを殴り、殴られたNさんがいらいらしてOさんを殴り、その結果Oさんが負傷したというケースである。
Oさんの負傷は、MさんがNさんを殴ったことがそもそもの原因であるともいえるが、Oさんの負傷までMさんの責任に帰するのは社会通念的にはおかしいだろう。
「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉があるが、森羅万象なんらかの繋がりがあるともいえる。
そこで、法的には、事実的因果関係が成立していることを前提にしつつ、損害賠償させるべき範囲をより狭く限定している。
つまり、「相当因果関係(=社会通念上相当と言えるか否か)」が認められことが条件となっている。

「相当因果関係」の概念には、曖昧さがある。
したがって、それをどう証明するかが大きな問題となる。
挙証責任は、一般には、原告者(被害者)側にあるとされる。
しかし、公害事件や医療過誤事件などにおいては、被害者には挙証が難しいケースが多い。
このため、以下のような立証責任の軽減が図られてきた(Wikipedia)。

蓋然性説
因果関係の100%までを原告側で立証する必要はなく、蓋然性が認められる範囲まで立証すれば、その時点で因果関係が推定され、その後は被告側が反証に成功しない限り因果関係は肯定されるとする理論。
疫学的因果関係
公害など、多くの因子が被害に絡む場合に、侵害行為と被害発生との間に統計的な有意性が認められれば因果関係を肯定しようという理論。

⇒2009年7月19日 (日):因果関係の立証と疫学的方法

冒頭に挙げたような例は、厳密に因果関係を立証しようとすると難しい。
胆管ガンと有機溶剤使用の因果関係については、以下のように報じられている。

 大阪市内の印刷会社の従業員に胆管がんが多発した問題で、厚生労働省は10日記者会見し、「胆管がんは、仕事の過程で発症した蓋然(がいぜん)性(可能性)が高い」との見解を明らかにした。原因物質についても、同社で使われていた有機溶剤が「有力」とみている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120711-00000008-mai-soci

つまり蓋然性説である。
大津市中学生については、大津市は後に態度を変えたが、当初次のような主張をして争う姿勢だった。

被告大津市は、教職員がいじめを目撃しながらこれを見逃してきたとの原告両親の主張に対して、教員の誰が、いつ、どこで、いかなる事実を目撃していたことを指すのか明らかにされたいとの求釈明を行い、少年の死を防止し得た機会を漫然と見逃したとの原告両親の主張に対しても、いつ、誰に対し、誰が、いかなる具体的措置を講じれば、少年の自殺を回避することができたかにつき明らかにされたいとの求釈明を行いました。さらに、少年が自殺に至らないように最大限の注意をする具体的義務があるとの原告両親の主張に対しては、いつの時点で、誰に対し、いかなる具体的措置を講じるべき義務があったといえるか、などの求釈明を行いました。
http://www.yoshihara-lo.jp/otsu-ijime/progress.html

大津市は、相当因果関係ということを理解していなかったのではなかろうか?
放射能と健康被害の関係については、政府主催の意見聴取会で、中部電力の課長が、個人の意見と断った上で、「放射能で死んだ人はいない」と言い切った。
福島第一原発の事故で放出された大量の放射能の将来における影響については、専門家を含め誰にも分からない。
中電の課長は、放射能の被爆の急性的な意味で言ったのだろうが、枝野官房長官(当時)の、「ただちに健康に影響がない」と言った言葉と同じである。
おそらくは何年か経過した後に、疫学的な因果関係の検証が行われることになるのであろうが、それまでの間は保守的に、つまり危険はある、と考えるべきだろう。

言い換えれば、因果関係がないことが立証されるまでは、疑わしきはクロと見なすべきだということである。
それにしても、放射能の影響でなくとも、避難生活の過程で亡くなった人は相当数いることが確認されている。
中には、自殺した人もいるのである。
被害を受けている人の苦しみを無視した発言である。

意見聴取会は、選ばれた発言者が持論を述べるという方式である。
政府は発表者の選定には関与していないというが、電力会社の社員が、個人的な意見と言いつつ、あきらかに電力会社の立場で意見を述べることは、やはりフェアとは言えないだろう。
それが政府の言う「国民的議論」ということであろうか。
選択肢の設定自体が問題だと思うが、「議論は尽くした」というアリバイ工作としか考えられない。

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2012年7月21日 (土)

原因を「想定外の津波」に限定していいか?/原発事故の真相(40)

国会事故調の報告書で気になることの1つは、事故の直接的な原因についての説明である。
今まで、事故の直接的な原因は、「津波」であるといわれてきた。
しかし、報告書は次のように書いている(ダイジェスト版)。

本事故の推移と直接関係する重要な機器・配管類のほとんど、がこの先何年も実際に立ち入ってつぶさに検証することのできない原子炉建屋及び原子炉格納容器内部にあるためである。
 しかし東電は、事故の主因を早々と津波とし、・・・・・・また政府もIAEAに提出した事故報告書に同趣旨のことを記した。
・・・・・・
 事故の主因を津波のみに限定すべきでない理由として、スクラム(原子炉緊急停止)後に最大の揺れが到達したこと、・・・・・・
 当委員会は、事故の直接的原因について、「安全上重要な機器の地震による損傷はないとは確定的には言えない」との結論に達した。しかし未解明な部分が残っており、これについて引き続き第三者による検証が行われることを期待する。

重要な機器・配管類の損壊が、津波ではなく地震により起きたのではないか、という推測はこれまでにもないわけではない。
たとえば、西村肇さんは、水素爆発の原因となった炉の水位低下が、津波ではなく地震で起きた、と推測している。
⇒2011年6月23日 (木):西村肇さんの水素爆発に至る過程の推算/原発事故の真相(2)

もし、重要な機器・配管類の損壊が、津波ではなく地震により起きたとすれば、浜岡原発等でいくら津波対策を講じたとしても、不十分である。
問題は、揺れ、ということになる。

大飯原発や志賀原発の敷地内の活断層の有無が問題になっている。
⇒2012年4月28日 (土):活断層の上の原発/花づな列島復興のためのメモ(57)
⇒2012年7月 2日 (月):「国民安全の日」に大飯原発を再起動させる無神経/花づな列島復興のためのメモ(100)
⇒2012年7月19日 (木):福島の再稼動も目論んでいるのか?/原発事故の真相(39)
活断層であれば、そもそも立地不適であり、廃炉は不可避である。

しかし、再調査の結論が出るまでの間、大飯原発の稼働は止めないらしい。
立地不適の可能性があるというのに、稼働を継続させようという論理が分からない。

稼働中か否かは、実質的に危険の度合いに大きな違いはないという意見も聞く。
だから、危険の可能性があっても、とりあえずは使った方がいいということか?

何度も事前に対策を立てるチャンスがあったことに鑑みれば、今回の事故は「自然災害」ではなくあきらかに「人災」である。

国会事故調のこの言葉など、眼中にないのだろう。
われわれは、恐ろしい国に住んでいるものだと改めて思う。

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2012年7月20日 (金)

野田政権における「倫理の崩壊」/花づな列島復興のためのメモ(115)

給食費を払わない親とか、生活保護費不正受給などのことを「モラル・ハザード」というのは、誤用だという。
Wikipediaでは。以下のように解説されている。

節度を失った非道徳的な利益追求を指すという解釈がなされた。日本で「モラル・ハザード」といえばこの意味をさすことが多い。しかし、このような「倫理・道徳観の欠如・崩壊・空洞化」という用法は、以前から誤用として識者に指摘されていた。2003年11月13日、国立国語研究所による『第二回「外来語」言い換え提案』によって、モラル・ハザードは「倫理崩壊」「倫理の欠如」との意味で用いられていた状況が報告されている。

誤って使われている「モラル・ハザード」の格好の事例が、最近の政府だろう。
先ずは、原発再稼働の手続きである。
関係閣僚という専門的知見に特に秀でているとも思えない少数の大臣によって、大飯原発の再稼働の是非が判断された。
⇒2012年4月13日 (金):拙速に過ぎる政府の大飯原発再稼働判断/原発事故の真相(26)

もう一度、当時の報道を引用しよう。

枝野幸男経済産業相は13日、原発の再稼働を検討する関係閣僚会合後の記者会見で、関西電力大飯原発3、4号機の安全性について「最終的に確認した」と述べた。(2012/04/13-19:54)
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2012041301042

私たちは、(好意的に解釈すれば)政府がわれわれの知らない情報を持っていて、それに照らして判断したかのような印象を受けていた。
ところが、枝野氏の言う「最終的に確認した」というのは、安全性を何かの根拠で確認したという意味ではなく、仲間内の合意事項として確認した、という意味であったらしい。
これを詐術と言わずして、何と表現すればいいのだろう。

なにしろ、福島の事故について、「ただちに人体、健康に害が無い」を繰り返していた人である。
上杉隆氏の批判記事を引用しよう。

「・・・一般論としてただちに影響がないと申し上げたのではなくて、放射性物質が検出された牛乳が1年間飲み続ければ健康に被害を与えると定められた基準値がありまして、万が一そういったものを一度か二度摂取しても、ただちに問題ないとくり返し申し上げたものです」
 開き直りもここまでくると見事である。
 仮に、一般論としての述べたのでなければ、なぜ一般論として報じ続けたテレビ・新聞などの記者クラブメディアに抗議を行わないのか。
・・・・・・
 枝野氏は当時、大手メディアではなく、内部被爆の危険性を指摘したジャーナリストたち、とりわけ自由報道協会所属のフリーやネット記者たちの報道を「デマ」だと断定し、取り締まるよう宣言したのだった。
・・・・・・
 枝野氏の「ただちに影響はない」という言葉は、震災直後、一種の流行語になった。その言葉を信じて、被爆してしまった国民がいったいどれほどいることだろうか。放射能の健康被害が明らかになりはじめる4、5年後を考えるだけで背筋が凍る思いである。

http://diamond.jp/articles/-/14805/

その人が、「大飯原発の安全性を最終的に確認した」と言ったのである。
その結果はどうか?
大飯原発敷地内の断層が、活断層であることを否定できなくなってきた。

 関西電力大飯原発(福井県おおい町)敷地内の断層が活断層である疑いが出ていることに対し、牧野聖修・経済産業副大臣は19日、「活断層ではないのだろうが、念を入れて安全のために再調査したい」と語った。牧野氏は再稼働にあたって、現地で政府の特別監視の責任者を務めている。
http://www.asahi.com/politics/update/0719/TKY201207190457.html

さすがに副大臣は、大臣をフォローするようだ。
「念を入れて安全のために再調査」?
「最終的」と判断した人は、責任を明確にすべきである。
そういえば、牧野副大臣は、「最終的に確認した」仲間のひとりである細野環境大臣と同じ静岡県の選出議員である。
細野大臣は、総裁候補などと言われているようだが、静岡県民は覚醒せよ、といいたい。

そんなことは関係ないとばかりに、東電の電気料値上げだという。

 東京電力の家庭向け電気料金の値上げが、東電の申請時の平均10・28%から8・47%程度に圧縮された上で九月一日から実施される見通しとなった。値上げ幅の査定では消費者の意見が一部反映されたものの、最後は密室での政治決着に。動かない原発の費用を原価算入に認めるなど不透明さを残したまま、消費者は重い負担を強いられる。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2012072002000101.html

枝野氏は、「圧縮」を自慢げであるが、最初高いことを言って(俗な表現すれば、吹っ掛けて)、落とし所に誘導するのは、まったくありふれた手法である。
何よりも、稼働の見通しが立たない資産を、「経営が成り立たないから」といって原則を曲げて減価償却を認め(それを費用として料金算定の基礎とす)る、などということが許されるわけがない。
そんなことをすれば、どんなに放漫経営をしていても、破綻企業などあり得ないことになる。
モラル・ハザード、もとい倫理の崩壊も極まれり、である。

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2012年7月19日 (木)

福島の再稼動も目論んでいるのか?/原発事故の真相(39)

いま頃、何を言っているのかと思う。

 関西電力大飯原発(福井県)と北陸電力志賀原発(石川県)の敷地内の断層が活断層か判断するため、経済産業省原子力安全・保安院は18日、両電力に追加調査を指示した。提出済みの志賀1、2号機の再稼働の前提となる安全評価(ストレステスト)1次評価の審査については、直下断層の調査結果が出るまで最終的な判断は見送る方針を示した。
 一方、大飯原発は3号機が既に再稼働し、4号機も18日夜に起動。保安院は調査中も運転停止は求めない方針という。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120718-00000106-mai-soci

これだけ再稼動反対の声が涌き上がっているのに、敷地内の断層が活断層かどうか判断するための調査をこれからする?
関係閣僚会議の行った大飯原発の安全評価とは何なのか?

一方、東電の料金値上げ問題等をめぐり、会計処理の方針が問題になっている。
減価償却をどうするのかという問題である。
Photo
東京新聞120718

減価償却とは何か?
よく使われる割に、余り理解されていない言葉の1つだろう。
解説を見てみよう。
減価償却には次の3つの側面があるといわれる。
Ws000010
高額の装置で何年も使えるものを、購入した時点の費用とすることは不自然である。
装置が使われている期間で少しずつ費用化する方が合理的である。
そういう思想によるものであり、損益計算書(P/L)上は、工場等で発生すれば原価に、本社等の間接部門で発生すれば販管費(販売費および一般管理費)として計上される。
同じ数値が貸借対照表上は資産価値の減少として表現され、キャッシュフロー上は(すでに現金が出て行ってしまっているのであるから)資金回収として計上される。
Ws000009
原発の原子炉等の減価償却費は売上原価の構成要素であるから、料金算定の基礎となる。
料金(売上)=費用+利益
という、「儲け」の方程式である。
⇒2012年5月30日 (水):東電の儲けの方程式/花づな列島復興のためのメモ(74)

東電は第1原発の5、6号機と第2原発について、存廃を「未定」としている。
つまり、チャンスがあれば稼働させたいということだ。
稼働していなくても、稼働の可能性あり、ということで減価償却できる。
キャッシュは出ていかない上、料金に算入できるとあらば、必死になるだろう。

しかし、会計処理の基本原則は、保守主義である。
つまり悪い場合を想定して判断せよ、ということである。
保守主義で考えれば、福島の再稼動はあり得ないとすべきである。
東電の監査法人はどういう見解なのか?

しかも、社会に与えた損失のことを考えれば、減価償却してそれを料金算定に加算しようというのは、それこそ「盗人猛々しい」というものではないか。
「損失の社会化と利益の私物化」であり、繰り返されてきた公害の図式である。
ここで廃炉を認めれば、一括で減損処理をしなければならなくなり、赤字転落を免れ得ない。
そうすると、破綻企業の烙印を押されかねない。
東電・政府はそうも考えているだろう。

しかし、東電は今後巨額の損害賠償の耐えうると考えているのだろうか?
あるいは、原子力損害賠償法によって、被害者への賠償がすべて完結すると考えているのだろうか?

客観情勢をみれば、福島原発の再稼働の可能性があるとするのは、空想的であり、観念論というべきである。
しかし、盲目状態の野田政権は、福島原発を再稼動させたいと本気で考えているかも知れないのだ。
仙谷氏が、稼働しないと不良資産になるといったことを考えれば、そのような未練の気配が濃厚である。
もはや東電は、独立企業体として存続しえないと見るべきであろうし、何が何でも電力会社の立場に立とうとする野田政権は終わりにしなくてはならないだろう。

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2012年7月18日 (水)

教師は聖職ではないのか?/花づな列島復興のためのメモ(114)

大津市の中学生が昨年自殺した事件の事情が徐々に明らかになっている。
現時点で報じられているところでは次の点が、「やっぱりそうか」という感じで浮かび上がってきている。
1.教師、教育委員会等の当事者意識の希薄さ
2.同級生による「いじめ」が度を過ごしていること
3.「加害者」の両親が、有力者といわれる立場にあったこと

「3.」の両親の問題は、おそらく「1.」に関係しているであろうが、ここでは問わない。
「2.」の問題は、もはや「いじめ」という概念の外延を越えているであろう。
Wikipediaによれば、文科省による「いじめ」の定義は以下の通りである。

文部科学省が児童・生徒の問題に関する調査で用いるいじめの定義は「子どもが一定の人間関係のある者から、心理的・物理的攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」で、「いじめか否かの判断は、いじめられた子どもの立場に立って行うよう徹底させる」としている。
これは2007年(平成19年)1月19日以降の定義で、従来のいじめの定義では「自分より弱い者に対して一方的に、身体的・心理的攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」としていた。
同年、具体的ないじめの種類については「パソコン・携帯電話での中傷」「悪口」などが追加された。いじめの件数についても「発生件数」から「認知件数」に変更された。
また、教育再生会議の第一次報告に関連して、いじめを繰り返す児童・生徒に対する出席停止措置などの現在の法律で出来ることは教育委員会に通知するように、2007年1月22日、安倍晋三首相が伊吹文明文部科学相に指示した。

自殺した生徒の受けていた苦痛は、「精神的な苦痛を感じているもの」より遙かに大きい。
「いじめ」というよりも、傷害事件と捉えるべきだろう。
学校が実施したアンケートには次のような回答があったという。

「(教室に)貼ってあった男子生徒の写真の顔に、死亡後も、いじめをしたとされる生徒が穴を開けたり、落書きをしたりしていた」などの執拗ないじめの様子に関する記述があったことが7日、関係者への取材で分かった。
 アンケートには、ほかにも「お金を取られていた」と金銭を脅し取っていたことを示唆するものや、自殺した生徒以外の生徒もいじめていたとするものがあった。

http://www.sanspo.com/geino/news/20120708/tro12070805040000-n1.html

教師がこのような事態に気づかぬはずはない。
要は見て見ぬふりをしていただけだろう。
というよりも、事態を告げた女生徒があったにもかかわらず、「けんか」だろうと受け流していたという。
そもそも、「けんか」ならば放置しておいていい、という発想が理解できない。

大津市は、被害者父兄から出されていた損害賠償訴訟について、争う姿勢を一転させて、和解の方向にあるという。
世論の猛烈な批判によって、態度を変えたらしい。
しかし、大津市教育長は未だに「因果関係が明確でない」と言っている。
教育委員会の存在意義が問われるのではないか?

世の中の事象で、因果関係がはっきりしているものは、むしろ稀である。
原因者の責任を追及する場合には、疑わしきは罰せずであるが、事象そのものの理解のためには、先ず疑ってみる姿勢が必要であろう。
⇒2010年11月10日 (水):いじめと自殺の因果関係

16日のNHKの22時からの番組「プロフェッショナル」で、ある教師が紹介されていた。
「学級崩壊やいじめを防ぐ」菊池省三というカリスマ教師である。

かつて教師は、聖職であるといわれた。
聖職はもともとは宗教的な職業のことだろう。
しかし、「裁判官、医師、教師」については、聖職(のようなもの)だとされた。
それぞれ、人の命や人生に深く係るからである。

私の記憶では、日教組が、教師労働者論を唱えるのと軌を一にして、聖職者論が消えていった。
裁判官や医師に比べ、待遇(所得)に格差があり、待遇向上のため組織的な運動を展開してきたことはそれなりの意義があったであろう。
現在、裁判官や医師に比べれば格差はあるのだろうが、一般の勤労者に比べて遜色のない条件が達成されたといえよう。

しかし、聖職であることを止めたことと引き換えに失ったものは大きい。
日教組が自分たちのミッションを狭めた結果、世間のrespectを失った。
世の中が聖職であるという見方をしなくなったことと、モンスター・ペアレントのような父兄が出現したことは、因果関係とはいわなくとも相関関係があるのではないか。

子供を教育する仕事というのは、やはり聖職だと思う。
教師自身が、自分の仕事をそう思わない限り、世間もそう思うことはあり得ないだろう。
生涯一教師というプロの教師がもっと増えるにはどうしたらいいのだろうか?

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2012年7月17日 (火)

新聞の紙面構成の違い/花づな列島復興のためのメモ(113)

今朝の日刊紙の1面は、各紙バラバラで違いが際立っていた。
東京新聞は、昨日の脱原発集会の様子を大々的に載せている。
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17万人は主催者発表であるが、警備側発表でも7.5万人。
60年安保以来とすれば、半世紀ぶりである。
「3・11」後の人々の価値観の変化が如実に示されたといえよう。

同面に、名古屋での意見聴取会で、中部電力社員が発言していたことが報じられている。
「抽選によって選んだのだから、政府は無関係」ということのようだが、果たしてそう言えるのか?
裁判員裁判で、原告もしくは被告の利害関係者が裁判員に選ばれるのだろうか?
あるいは、証券取引などにおけるインサイダーなども連想されよう。

「やらせ」とは言えないかも知れないが、限りなく近いのではないか。
こうして、政府に対する信頼感はまた低下していくことであろう。
民主党政権は余りに鈍感である。

朝日は次のような紙面である。
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ウナギがワシントン条約の対象になって、取引が規制されるかも知れない、という。
確かに最近のウナギ価格の高騰は異常だが、生活必需品とまではいえまい。
反原発集会を取り上げた東京とは対照的である。

その代わり(?)「天声人語」欄で次のように書いている。

▼原発事故で傷ついた故郷の地を離れて、今も万の人が戻れない。その苦境を置き去りにするように、政府は再稼働へ舵(かじ)を切った。抗議を込めて、きのう7月16日、東京であった「さようなら原発」の集会は大勢の参加者が広い代々木公園を埋めた▼炎暑にめげずご高齢の姿が目立ったのは、孫たちの未来を案じてだろうか。「故郷を壊すな!」「子どもを守ろう」。プラカードや幟旗(のぼりばた)が、人々が全国から集まったことを教えている▼呼びかけた一人、音楽家の坂本龍一さんが、壇上から「福島のあと沈黙していることは野蛮だ」と語ると大きな拍手が湧いた。質、量ともに巨大な、脱原発への「志」の結集となった▼「実際に生きている人間の直感の方が、科学的知を超えて物事の本質に迫る瞬間がある」という反原発の科学者、故高木仁三郎さんの言葉を思い出す。権威は必ずしも賢ならず。生活者の肌感覚を蔑(さげす)まない政治が、今こそほしい。
http://www.asahi.com/paper/column20120717.html

「天声人語」子の言うとおりであるが、朝日の紙面からは、それが感じられない。
反原発の立場を「天声人語」で表現しているつもりだとしたら、アリバイ作りのようなものだ。
「民意を聞く」として、ごく限られた発言者に電力会社社員を送り込むようなものだ。

毎日は、金正恩側近の解任か、という観測記事。
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北朝鮮で、何か大きな変化が起きているのだろうか?
不気味な動きである。

反原発集会の様子も写真入りで報じられている。
「10万人集会」というのは、主催者側と警備側の中庸か?

読売は、志賀原発の活断層の問題。
といっても、主眼は危険性の訴求よりも、「再稼働遅れ」にあるようだ。
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産経は、尖閣領有問題。
まあ、社論ということだろう。
中国側の主張に根拠がないことの新しいエビデンスだが、実効性があるのかどうか?
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日経はイラク融資再開というニュース。
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地元紙である静岡新聞は、南海大地震の話題であった。
巨大地震への備えは、長年の県政の懸案である。
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編集はクリエイティブだという。
日々のニュース素材自体に大きな違いはないだろう。
しかし、それを紙面に構成すると、このようになる。
各紙のスタンス、その結果としての表現が、これほどはっきりと違う日も珍しいのではなかろうか。

ついでにと言っては失礼だろうが、今朝、日本共産党が三島駅で街頭演説を行っていた。
共産党の主張はもっともなことが多いが、戦前の弾圧の歴史まで遡る演説に耳を傾ける人は少ない。
心に響いてこないのである。もう少し工夫したらどうだろうか。
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2012年7月16日 (月)

枝野経産相の責任を問う/花づな列島復興のためのメモ(112)

憲政史上初めて国会に設けられた国会事故調は、事故を「人災」と規定した。
この言葉は重い。

枝野経産相は、「3・11」当時、官房長官として官邸の顔だった。
震災発生当初、不眠不休のようなマスコミへの露出が目立った。
ネット上で「枝野寝ろ#edano_nero」というタグが頻用されたという。
私はこういうタグの存在を、人を介して知ったが、何となく違和感があった。

枝野氏といえば、放射能のリスクについて、「直ちに健康に被害が出るレベルではない」と言うような言い回しを多用していた。
⇒2011年3月20日 (日):福島第1原発事故と放射線量の用語について
⇒2011年3月24日 (木):安全基準の信憑性について

言語明瞭意味不明瞭というか、後に東大の安富歩教授により「東大話法」と名付けられたものの典型の1つであろう。
⇒2012年3月29日 (木):2号機内部の内視鏡映像/原発事故の真相(23)
⇒2012年5月28日 (月):国会事故調への期待/原発事故の真相(31)

菅内閣から野田内閣に替わり、就任した鉢呂経産相が失言で辞職すると、代わりに枝野氏が就任した。
⇒2011年9月10日 (土):「閣内てんでんこ」の野田ドジョウ政権と言葉の力
枝野氏は弁護士だったので、失言の心配が小さいという点がポイントだったといわれる。
就任早々の記者会見の様子は次のように伝えられている。

筆者は「鉢呂前大臣は記者クラブの言葉狩りで辞職した。歴代、幾人もの政治家が言葉狩りで失脚している。言葉狩りが続くと政治家が国民にメッセージを発することさえできなくなるのではないか?」と質問した。
枝野氏は「前大臣のことを私が言及できる立場にない」と再びかわした。法廷で鍛えているだけあってスキがない。だが唯それだけだ。何も心に響かないのである。
原子力行政は官僚、マスコミ、財界、労働組合と刺し違えるくらいの気構えがなければ、従来の推進行政から転換できない。率直に言って枝野大臣には期待できない。
脱原発の大臣ではない枝野氏を迎えた記者クラブは、柔らかい質問に終始した。鉢呂前大臣の辞任会見で鬼の首でも取ったようにヤクザ言葉で答を迫っていた記者も、この日は無言だった。

http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-818.html

枝野氏は、言葉の応答は巧みである。
しかし、その言葉は、「心に響かない」。
「原子力行政は官僚、マスコミ、財界、労働組合と刺し違えるくらいの気構え」が必要だ、ということは、国会事故調の報告書を拾い読みしただけでも分かる。
枝野氏に、その気構えはあるか?
残念ながら、「No!」と言わざるを得ない。

経産相として、大飯原発再稼動の決断をした。
国会事故調の報告書でも、「情報の開示」に問題があったことが指摘されている。
にもかかわらず、野田内閣は、関係4閣僚だけで、その審議の過程や判断の根拠等を明確にしないまま、再稼動を決定した。
なぜか、国会事故調の報告書が出ないうちに。

枝野氏は、政府のエネルギー・環境会議の副議長である。
聴取会等のばで国民の声を直接聞く最高責任者と思われる。
にもかかわらず、予め予定されていた議事運営だけ済ませると、直ちに閉会した。
とても「熟議を尽くす」態度とは言えないだろう。
「枝野寝ろ#edano_nero」は、枝野氏の体調を慮って使われたが、現在は「仕事をするな」と解した方がよさそうである。

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2012年7月15日 (日)

エネルギー・環境会議の意見聴取会の実態/花づな列島復興のためのメモ(111)

政府のエネルギー・環境会議が国民の意見を聴く会が、14日、さいたま市で開かれた。
この聴取会については、そもそも選択肢の提示の仕方に疑問がある。
⇒2012年7月13日 (金):将来の原発比率と「討論型世論調査」/花づな列島復興のためのメモ(109)

意見聴取会は、仙台、名古屋、札幌、大阪、富山など会場にして、8月4日まで続けられる予定だが、結論ありきのアリバイ作りという性格が露わに出ているようだ。
さいたま新都心合同庁舎の講堂に、事前に登録した約170人が集まったが、空港の手荷物検査場並みの警戒ぶりだった。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012071502000118.html

発言は抽選で選ばれた9人が、それぞれ8分以内で考えを述べた。
9人は、発言希望者から、コンピューターにより選んだとされている。
各選択肢毎に3人ずつ、計9人である。
9人の発言が終わった後、もう一度補足的に意見を言う機会があったが、持ち時間はわずか2分。
発言者の間で意見を交わすことはなかった。

 「傍聴の皆さんもご意見をアンケートに記入いただいてお帰りいただければとお願い申し上げます」
 枝野幸男経済産業相が閉会のあいさつを終えると、傍聴していた埼玉県川口市のNPO法人代表、浅羽理恵さん(47)が立ち上がって叫んだ。
 「すいません! 今回の進め方について一つ…」。ところが、発言を始めるとすぐに司会者が遮った。「本日は選ばれた方のみにご意見をいただくことになっております。発言はご遠慮願います」
 打ち切り宣言に「ふざけんな。聴いてやれ」と会場に怒声が響いた。だが、枝野氏は「今回は決めさせていただいた運営方法でやらせていただきたい」とそのまま閉会した。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012071502000118.html

この調子で聴取会が行われたとしたら、とても国民の意見を広く聴いたとは言えまい。
運営を請け負っているのは大手広告代理店の博報堂だそうである。
自民党政権の時代は電通の独壇場だったと聞いているが、政権交代の余波であろうか。

電力会社や原子力関係団体等が、豊富な資金にいわせて、デンパク(電通、博報堂)等の大手広告代理店の力を利用し、世論操作まがいのことを行ってきたことは想像に難くない。
デンパクは、クライアントの意向に忠実であることがミッションである。
電力会社や原子力関係団体等は優良クライアントだったであろうから、デンパクもエース級を投入していたに違いない。
かくして、世の中には、原発に好意的な情報が圧倒的な量で流布していた。
少なくとも、福島原発事故の深刻さが広く知れ渡るまでは。

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2012年7月14日 (土)

原発稼働促進もマニフェストに掲げたら?/花づな列島復興のためのメモ(110)

野田佳彦首相が、次期総選挙のマニフェストに、消費税増税を明記し、賛同できない人は公認の基準から外れると、国会で明言した。
要するに、消費税増税に賛成できないなら、党を出て行けということだろう。

 野田佳彦首相は12日午前の衆院予算委員会で、次期衆院選の民主党のマニフェスト(政権公約)に消費税増税の方針を明記するとした上で、消費税増税に反対すれば公認しないとの考えを示した。自民党の茂木敏充政調会長への答弁。
 首相は、消費税増税を柱とする社会保障・税一体改革について「本当に国民のためだと思って、厳しい決断だが推し進めてきたので、約束としてマニフェストに明記したい」と強調。
 その上で「マニフェストに書いたことをちゃんと順守するかは公認の基準になる。マニフェストに明記することに賛同できないのならば公認の基準から外れる」と述べ、民主党内の反増税派を牽(けん)制(せい)した。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120712/plc12071211560013-n1.htm

しかし、党内の反発が強いとみると、翌日には「一般論として述べた」と軌道修正を図った。
公明党の山口代表はの批判ももっともである。

 公明党の山口那津男代表は13日午前の参院議員総会で、野田佳彦首相が12日の参院予算委員会で消費税増税法案に反対する民主党議員を次期衆院選では「公認しない」と表明したことについて「公認基準など政党内(の問題)を首相の立場で国会で答弁することではない」と批判した。そのうえで、首相が12日の民主党両院議員総会ではトーンダウンしたことを挙げ、「自らの国会答弁の内容がぐらつくことになるなら国会で答弁するな。国会の答弁を軽視していると言っても過言ではない」と強く非難した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120713/stt12071311320004-n1.htm

私も、民主党内の手続き的なことを批判する気はない。
「どうぞ、そうしてください」というだけである。
そして、党内の事情よりも、国会における答弁の方が重いだろうと考える。

しかし、橋下大阪市長がいみじくも指摘しているように、党内手続きがマニフェストより重要だという朝日新聞の社説のような考えをする向きもあるので、ハッキリさせた方がいいだろう。

党内手続きの代表選と国民との約束の総選挙を朝日新聞はごっちゃにしている。民主党の代表選はマニフェストに縛られる。そのマニフェストがダメなら面倒でも選挙と言う手続きを踏まえなくてはならない。小沢先生が民主党の決定に従わなければならないという朝日新聞は狂っている。
http://matome.naver.jp/odai/2133378767829040401

2030年に向かってのエネルギー政策が、来月末までに策定されるという。
「脱原発」を言いながら、キッチリ安全性の検証もせず、世界史に記録される福島原発事故から学ぼうとせず、多くの批判をものともせず、大飯原発を再稼働させ、その他の停止中の原発も逐次稼働させるという民主党は、その旨をマニフェストに明記すべきだろう。
原発再稼働に反対するのなら、公認の基準から外れるとしたらいい。
そうしなければ、自分は「脱原発」だが、党の方針だから従わざるを得ないというような議員が出てくることは必定だろう。

もちろん、総選挙の争点は、原発や消費税だけではない。
しかし、この2つは、すでに象徴的な意味を持ち始めている。
各政党は、それぞれマニフェストに明示すべきだろう。

次期総選挙がいつ行われるかは明確ではない。
しかし、来年の8月には任期が終わるので、総選挙をせざるを得ない。
私たちは、政権交代が実現した総選挙のマニフェストが、ぼろきれのように扱われることを学んだ。
多くの有権者は、怒っているであろう。

官邸前の次第に大きくなるデモは、その怒りの1つの表現であると思う。
そのデモを、「大きな音だね」と言った野田総理。
その背後にいる「停止した原発は負債だから稼働させなければならない」とする仙谷氏。
国民の安全よりも、電力会社の経営の方が重要だということだ。

福島原発事故により、稼働の有無にかかわらず、原発は不良資産(負債)になっているのである。
国民がいつまでもサイレントだと思うな、民主党!

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2012年7月13日 (金)

将来の原発比率と「討論型世論調査」/花づな列島復興のためのメモ(109)

政府は、今後のエネルギー政策を決めるための「国民的議論」の一つとして、「討論型世論調査」と呼ばれる手法を初めて用いるという。
消費税増税や原発再稼働に関する野田政権の政策決定プロセスは、「熟議」とはほど遠いものであった。
「熟議」を尽くしたという実績を作りたいかのようである。
果たして「熟議」の名に値する議論は期待できるであろうか?

政府から委託を受けた実行委員会(委員長・曽根泰教慶大教授)が、12日、調査の実施要領を発表した。

 まず、無作為抽出した全国の成人約3000人を対象に、今月22日まで電話調査を実施する。回答者に8月4、5日に東京都内で開催する討論会への参加を呼び掛ける。討論会参加者は200~300人になるとみられる。
 参加者には事前勉強用の資料を送付。公平性を保つため、調査の質問項目や資料は政府ではなく実行委が作成し、専門家のチェックを受ける。
 討論会の1日目は、電話調査より質問項目を増やしたアンケート調査を実施した後、15人程度の小グループごとに90分間の討論を行う。その後、全体で集まり、専門家との質疑応答を90分間行う。2日目は、小グループごとの討論の後、専門家との質疑応答をし、最後に再びアンケート調査を実施することにしている。

http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2012071200920

一般論としていえ、「討論型世論調査」は、単なる世論調査よりもずっと可能性を秘めた手法といえる。
あらかじめ関連資料等を読み込んだ討論参加者が、グループ討議や全体会議を行い、そのプロセスでの態度や意見の変容を踏まえた調査を行う。

しかし、根本的な疑問がある。
「2030年時点で原発をどの程度使い続けるか」という設問に対する選択肢が、0%、15%、20〜25%の3つで提示されるということについてである。
現状の原発比率は、大飯原発が再稼働したのでゼロ状態ではなくなった。

経済産業省の総合資源エネルギー調査会の2030年の電源構成に関する報告書では、上記の3つの選択肢のほかに、「数値を定めず市場の選択に任せる」という案があった。
「数値を定めず市場の選択に任せる」というのは、計画論としてあり得ないから、これを除外したのは妥当なところだろう。
⇒2012年6月 6日 (水):電源構成とスマート文明への移行/花づな列島復興のためのメモ(78)

しかし、3択の選択肢がバランスを欠いてはいないか?
福島第一原発事故前の比率は26%であった。
現在の計画では原発比率を45%まで高めるとされているが、東日本大震災によって、日本人の価値観は大きく変わった。
⇒2012年7月12日 (木):民自公翼賛体制と朝日新聞の変質/花づな列島復興のためのメモ(108)

果たして野田政権は、本気で25%という選択肢をアリだと考えているのだろうか?
福島原発事故の前とほとんど変わりのない比率を。
福島第一は廃炉になる。
また、2030年までに40年という計画寿命を迎える炉もある。
それらのキャパシティを代替する炉を建設するというのだろうか?
これらのことを考慮すれば、25%という選択肢は観念的にはありえても、常軌を逸した案だといえよう。

つまり、実質的には、0%か15%かの2択である。
0%という選択肢は、反原発の過激な意見、ある種の極論として受け止められる可能性がある。
その結果、多くの人が、0%を選ぶのをためらうことになるのではないか?
「ナッシングというのはどうかな?」である。

結果的に15%という選択肢しかなくなる。
大飯以外の原発も逐次動かしていくという野田政権のホンネが鎧の下に透けて見えてくるようである。

まさか昨年問題になったような九州電力の「やらせ」のようなことはしないであろうが、意見表明は全国11か所で、選択肢ごとに3人ずつで、各10分以内だという。
選択肢が偏っている以上、各選択肢を「公平に」扱うこと自体が偏っていると言わざるを得ない。

政府の「討論型世論調査」について、次のような疑問が呈されている。

今回の討論型世論調査の導入が、実際の効果より「民意重視」というアリバイ作りのためではないか、と疑わせる根拠は乱暴な日程にもある。
「通常は準備だけで一年から一年半ほど必要。それが今回は準備期間も含めて二ヶ月弱。結果をまとめる時間から考えると、八月上旬には討論会を開かなければならず、実質準備期間は一ヶ月もない」(平川准教授・・・注:大阪大学、科学ガバナンス論)
さらにこの結果を政策決定にどう反映するのかも明らかではない。古川氏(注:国家戦略担当相)は「(世論を受け止めて)政府として決める」としか語っていない。
・・・・・・
そもそも民意に逆行して、大飯原発の再稼働を強行した政府がいまさら「国民的議論」を強調することが不可思議だ。
野田首相は先月八日の記者会見で「夏場限定の再稼働では国民生活を守れない」と強調。なし崩しの原発再稼働を宣言している。仙石由人政調会長代行は五月半ば、党内の会議で「再稼働せずに脱原発すれば原発は資産から負債になる。企業会計上、脱原発は直ちにできない」と明言した。
「名ばかり」の討論型世論調査は結局、最初に結論ありきで、脱原発世論を「慰撫する」儀式になりかねない。政府の真意をそう疑うには十分な経緯と根拠がある

http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11294814833.html

野田首相は、「討論型世論調査」の実施をもって、「熟議」を尽くしたとすると思われる。
拙速な「討論型世論調査」には問題が多い。
見せかけの「熟議」に惑わされてはならないであろう。

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2012年7月12日 (木)

民自公翼賛体制と朝日新聞の変質/花づな列島復興のためのメモ(108)

私の家では、もの心ついた時から朝日新聞を購読していた。
何しろ、「最初の小説」が朝日新聞に連載されていた村上元三の『源義経』である。
調べてみると、昭和26年連載とある。
幼稚園から小学校に入った年である。
母が読んでくれるのを、固唾を飲んで聞いていた記憶がある。

私の親友の1人は朝日新聞に入社し、将来を嘱望されながら、働き盛りで亡くなった。
また、手本にしたい名文家も何人かいた。
そういう事情で、朝日は、オピニオンリーダーであって欲しいと思う。
しかし、最近の朝日はヘンだ。

もともと対極的な社風の読売新聞と差別がつきにくい。
⇒2012年6月 7日 (木):何のための政権交代か?/花づな列島復興のためのメモ(79)
特に、小沢一郎氏の挙動に関しては、はなはだしく非論理的・感情的である。
⇒2012年6月25日 (月):造反有理?/花づな列島復興のためのメモ(93)

私がことさらにひねくれているわけではないと思う。
たとえば、東京新聞の社説などとは、かなり意見が一致している。
⇒2012年7月 4日 (水):政党の実態は政党政治の建前と整合しているか?/花づな列島復興のためのメモ(102)
あるいは、橋下大阪市長の朝日新聞批判もある。
たとえば、最近の橋下市長vs朝日新聞の応酬まとめなど。

「国民の生活が第一」いわゆる小沢新党がスタートするに際しての朝日の「社説」はやっぱりヘンである。
スタートに際して、新党の綱領が発表された。

 わが党は、2009年の政権交代に対して負託された民意に鑑み、改めて「国民の生活が第一」の原則を貫いて日本の政治、行政、経済、社会の仕組みを一新する。そして国民が「自立と共生」の理念の下で安心安全かつ安定した生活を送り、自らの将来に夢と希望を取り戻し、誇り高く暮らせる日々を実現することを目標とする。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012071101014

綱領そのものはその性格上、抽象的である。
しかし未だに綱領を定め得ない民主党とは大きな違いであるともいえる。
結成大会の挨拶は以下のように伝えられている。

 まずは、税と社会保障の一体改革に名を借りた実質増税だけの消費税増税法案を撤回させるべく行動してまいる決意であります。(そうだの声、拍手)
 そして増税の前にやるべき政策として、東日本大震災に遭遇した地域をはじめとする地方の復興、生活の再建に取り組みます。また、地域主権を確立するための行財政の抜本改革やスケジュール観をもったデフレ経済対策を提示してまいります。
 さらには、この狭い国土に世界の1割近くの原子力発電所が集中する原子力につきましては、過渡的なエネルギーとして位置づけ、原発所在地への対策などを踏まえながら、原発に代わる新たなエネルギーの開発に努める脱原発の方向性を鮮明にしてまいりたいと思います。(拍手)

http://www.asyura2.com/12/senkyo132/msg/802.html

つまり、野田政権の提起した2つの争点に対するアンチテーゼである。
⇒2012年6月28日 (木):戦い(消費増税法案、東電株主総会)済んで、日が暮れて/花づな列島復興のためのメモ(96)
今日の日経にも同様の軸でポジショニングが示されていた。Ws000000_2
私はこの2つの争点に関する限り、民主、自民とは対極に立つ。
朝日新聞の今日の社説は次のように言う。

 「脱原発」の方向は私たちも異存ない。そこで問いたい。
 約1年前、小沢氏は自民党と組んで内閣不信任決議案の可決をめざし、菅首相の「脱原発」方針を葬ろうとした。いつ、どうして考えを変えたのか。
 
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit2

朝日ともあろうものが、このような欺瞞を主張するとはオドロキである。
菅内閣不信任案が、「脱原発」の是非をめぐって出されたと本気でそう捉えているのか?
国会事故調の報告をどう読んだのか?
朝日は国会事故調の批判者か?
大震災の復興や原発事故の収束等において、菅政権がむしろマイナスになると考えられたからではないのか。
⇒2011年5月31日 (火):延命戦略は破綻している/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(40)

不信任案が可決されそうだとみると、ペテン師まがいの詭計によって、辛うじて免れたのではないか。
⇒2011年6月 8日 (水):菅首相は一流詐欺師(ビッグコンマン)たりえたか?
⇒2011年6月14日 (火):菅首相の続投戦略の失敗学

 結局、「反消費増税」にしても「脱原発」にしても、まじめな政策論ではなく、単なる人気取りではないのか。
 あるいは、橋下徹大阪市長の「大阪維新の会」などと手を組むための方便ではないのか。
 
 同上

私には、菅元首相の「脱原発」こそ、「単なる人気取り」あるいは「方便」のように思える。
そうでなければ、国会事故調の報告を待たないで大飯原発再稼働を決めた野田政権をなぜ批判しないのか?
あるいは、原発輸出を成長戦略の柱として、ベトナムへの売り込みを積極的に行ってきたことについての自己批判をしないのか?
⇒2012年6月 5日 (火):「なし崩し」に壊れていく「国のかたち」/花づな列島復興のためのメモ(77)

浜岡原発の運転停止は、確かに菅氏の要請によって実現した。
しかし、菅氏が本気で「脱原発」を目指すのなら、「人災」としての福島原発事故を、他人事として批判するのでなく、自己の内面から批判(反省)してからであろう。
⇒2011年9月12日 (月):福島原発事故と今後のエネルギー政策
私は菅氏が「脱原発」に取り組むならば、上図に示されるように、反民主執行部の旗を上げるべきだと思う。

現時点で私は小沢新党(国民の生活が第一)を支持するものではない。
小沢氏が「壊し屋」であることは事実である。
同じく日経新聞から、小沢氏の「壊し」の履歴を見てみよう。
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しかしずっと同じ政党にいるのが良いともいえないだろう。
朝日新聞の花形記者だった外岡秀俊氏は、『震災と原発 国家の過ち 文学で読み解く「3・11」 』朝日新書(1202)の「はじめに」で次のようにいう。

 多くの人にとって、東日本大震災は、大地だけでなく、人生観や世界観の座標軸を揺るがす出来事だった。

つまり、多くの人が、東日本大震災の前後で、何ほどか考えを変えているはずである。
政治家だけが首尾一貫性を持たなければならないというものではない。
何を変え、何を守ろうとするのか?
言い換えれば、反原発とか反消費税も状況によって変わり得る。
不易と流行といってもいいだろう。

この立ち位置がどう変化していくか、じっくりと見極めたい。
なお「人気取り」を朝日新聞は批判しているが、大勢の意見を反映することは、決して悪いことではないと考える。

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2012年7月11日 (水)

渡良瀬遊水地と福島原発事故/花づな列島復興のためのメモ(107)

現在、「逍遥」という言葉は、ほとんど死語のようになってしまった。
「気ままに楽しむ。外物にとらわれず自適な生活を楽しむ。」などの意味で、「散歩」に近い。
私の出身高校には、優れた逍遥歌があって、友人たちと高歌放吟したのは懐かしい青春の1コマである。

小椋佳さんに「渡良瀬逍遥」というアルバムがある。
小椋さん自身のプロデュースによる最初のアルバムで、1977年にリリースされた。
その中に、「渡良瀬を行けば」という曲が含まれている。

野を分けて風がゆくと
ひとすじの河に似た跡
風を追い白々と続いている

歌われている「渡良瀬」は、渡良瀬遊水地のことであろう。
下の写真に見るようなヨシの草原が広がるのどかな風景であって、歌唱の雰囲気にマッチしている。
2
http://ebinesaku.exblog.jp/15725451/

渡良瀬遊水地は、渡良瀬川、思川、巴波川の3つの河川が合流する地点にある。
湿地帯全体が堤によって囲われて、遊水地として機能するようになっており、利根川水系における治水の要衝といえよう。
渡良瀬遊水地がなければ、人口と有形・無形の資産が集中する東京の治水は不可能ともいえる。
Photo_3
Wikipedia

渡良瀬遊水地の中に、谷中湖という常時湛水の貯水池がある。
足尾鉱毒事件で有名な谷中村の跡である。

谷中村は、室町時代から肥沃な農地として知られていた。
洪水が頻発していたが、その代償として、肥沃な土壌が形成された。
洪水がない年の収穫は非常に大きく、1年収穫があれば7年は食べられるとも言われたほどだったという。
Wikipedia から、遊水地化のプロセスの概略をたどってみよう。

1902年、政府は、鉱毒を沈殿させるという名目で、渡良瀬川下流に遊水池を作る計画を立てたが、予定地の反対が強く、翌年谷中村に変更になる。
1904年、栃木県は堤防工事を名目に渡良瀬川の堤防を破壊。以後、谷中村は雨のたびに洪水となった。
栃木県会は秘密会で谷中村買収を決議したが、鉱毒により作物が育たなくなった時点での価格が基準とされたため、買収価格は近隣町村に比べ約5分の1だったとされる。

栃木県は1906年、村民らに立ち退きを命令。
1907年、政府は土地収用法の適用を発表。村に残れば犯罪者となり逮捕するという脅しをかけ、多くの村民が村外に出た。
1908年、政府は谷中村全域を河川地域に指定。
1914年、残留村民らが田中正造の霊を祀る田中霊祀を建設したところ、河川法違反で連行され、裁判で罰金刑を受けた。
1917年、残留村民が藤岡町に移住して、ほぼ無人状態となる。

勝谷誠彦氏が、野田政権を「棄民国家」といっている。

 かつて私は『偽装国家』という本を正続2冊、上梓した。国軍を自衛隊と言いくるめ、暴行窃盗恐喝をいじめと言い換えるようなこの国の虚妄を暴いたのである。しかし、今思えばまだしもそこには「民を騙す」というそれなりのテクニックがあった。今、日本国政府はそうした遠慮もかなぐり捨てて、文字通りの暴力装置と化しつつある。その手法は、国民に対する恫喝と、弱きもの貧しきものを「棄てる」ことだ。いくつもの現象面から、私はもはやこの国を『棄民国家』と呼ぶほかはない。
 人々はどう「棄てられて」いるのか。まず思い浮かぶのが、福島の原発事故であり、大震災の被災地であり、再稼働を強行される原発を持つ地元だろう。低所得層や中小企業に「死ね」という消費税増税もまたそのひとつに違いない。これらに共通しているのは、さきほど触れたような「恫喝統治」だ。原発を巡っては「この夏、大規模な停電が起きる」と脅した。その数字的な根拠はついに示されずじまいだった。何よりも、もっとも停電などの可能性が高いと言われている関西の住民たちはある程度「覚悟」していた。これはいくつも番組を持っている私が皮膚感覚で知っている。原発の事故で命や故郷を失う危険性と、ひと夏暑さを我慢する努力とを天秤にかければ、子どもでもわかる理屈だろう。

勝谷誠彦「日本人の正気と意気地を発露せよ!」

勝谷氏の従来の言説には全面的には賛成しがたいものもあるが、『偽装国家』については全面的に賛同した。
2007年9月 2日 (日):偽装国家
また、上記の「棄民国家」に関しても同じくagreeである。
勝谷氏は水俣病の認定打ち切り等にも触れているが、近代日本における「棄民」の代表例として谷中村を忘れてはならないだろう。

渡良瀬遊水地で毎年3月に、ヨシに寄生する害虫の駆除と野火による周辺家屋への類焼防止、貴重な湿地環境の保全等を目的としてヨシ焼きが行われる。
しかし、去年と今年は2年続けて中止となった。
福島原発事故の影響で、ヨシから放射能が飛散する恐れがあるからである。
福島原発事故と足尾鉱毒事件が、二重写しに見えてくる。

勝谷氏は、次のような言葉で締めくくっている。

 すべての棄民よ、団結せよ!
 首相官邸を、国会を包囲せよ!
 それぞれの選挙区で、国会議員を、地方議員を問いつめよ!
 恫喝統治に加担して嘘八百を垂れ流す大マスコミを信用するな!
 原発の維持推進に安易に加担して、電力各社の株主総会で賛成票を投じた大企業をあぶり出せ!
 そいつらの製品を買うな!
 もちろん決戦の場は選挙だ。それまでこの怒りを忘れてはいけない。
 日本人の正気(せいき)と意気地(いきじ)を、今こそ発露せよ!

何やら、竹中労・平岡正明・太田竜らによって唱えられた「窮民革命論」を思わせる。
「窮民革命論」は、「一般の労働者は革命への意欲を失っており、革命の主体にはなりえない。疎外された窮民(ルンペンプロレタリアート)こそが革命の主体となりえる」という理論であった。
Wikipedia

今の連合は、革命どころか変革の主体にもなりえないだろう。
絶滅危惧種の新左翼アジビラが、右翼ナショナリスト(たぶん)によって復活した!?

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2012年7月10日 (火)

大津市中学生自殺事件/花づな列島復興のためのメモ(106)/因果関係論(13)

大津市の中学生が昨年10月に自殺をした事件の背景について、さまざまなことが報じられている。

 大津市のマンションで昨年10月、中学2年の男子生徒=当時(13)=が飛び降り自殺した問題で、自殺はいじめが原因として、男子生徒の両親が市や同級生らに計約7700万円の損害賠償を求めた訴訟で、男子生徒側が「同級生らに自殺の練習をさせられていた」と主張する書面を提出することが3日、訴訟関係者への取材で分かった。
 訴訟関係者によると、男子生徒の自殺後、学校が生徒に対して行ったアンケート調査で、生徒15人が「(男子生徒は)昼休みに毎日、自殺の練習をさせられていた」などと回答した。
 ほかにも恐喝や金品の要求については13人、万引きの強要については15人が具体的に言及していると指摘。「執拗ないじめは自殺に追い込むのに十分で、いじめ以外に自殺の原因は存在しない」と主張する。
 また、男子生徒側が訴状で「教員らがいじめを見逃した」と主張した点についても、15人が「(男子生徒が)泣きながら学校に電話したと聞いた」「先生も見て見ぬふりだった」などと答えたと述べている。市側は訴状に対する答弁書で「どの教員がいつ、どこでいじめを見逃したのか示されていない」と反論していた。

http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20120704000026

「昼休みに毎日、自殺の練習をさせられていた」という証言は衝撃的である。
15人の生徒が回答しているということは、事実としてそういうことがあったとしていいだろう。
それに対し、市側は、遺族に対し「いじめの日時や現場を特定する」よう求めているという。

問われているのは、何か?
学校や市は大きな勘違いをしているのではないか。

学校は自殺直後の昨年10月の記者会見で「うちの方として原因は見当たらない」と述べていたが、翌月、その後に行ったアンケートでいじめがあったことを認めた。しかし、アンケートに「いじめの練習をさせられていた」という回答があったことは発表しなかった。教育委員会は「回答がいずれも伝聞で、事実と確認できなかったため」として、「いじめと自殺の因果関係については判断できない」としている。
http://www.j-cast.com/tv/2012/07/05138237.html?p=all

いじめと自殺の因果関係は、どういうことを立証すればいいのだろうか?
因果関係を把握する場合は、「疑わしい要因は、まず疑ってみる」姿勢を持つのが常識である。
⇒2010年11月10日 (水):いじめと自殺の因果関係
「疑わしい要因は、まず疑ってみる」ならば、数多くの要因があると思われる。
1つの自殺にまでいたる事象の背後に、多数のそれに至らない事象があったであろうことは、ハインリッヒの法則の教えるところである。
⇒2010年11月27日 (土):いじめと自殺の因果関係(続)

「自殺の練習をさせられていた」という回答があったことを発表しなかったのは、「事実と確認できなかったため」であるとするが、なにをもって「事実と確認」するのであろうか?
まさか、教師や教育委員会メンバーが、目撃しなければ「事実と確認できなかった」ということだろうか?

これは、市側は、遺族に対し「いじめの日時や現場を特定する」よう求めていることにも表れている。
いじめにあっていた両親の反発はもっともである。

両親は「学校の内部情報は我々には知り得ない。いつ、どこで、いじめがあったかの証明を求めるのは理不尽だ」と反論している。
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120708-OYO1T00168.htm?from=top

枝葉にこだわり、というよりもイチャモンをつけ、根幹を見失っている(見ないようにしている)学校や教育委員会の姿勢は、原発事故における政府や東電の姿勢と相似である。
事象が単純でないことほど、根幹を見る努力が必要であろう。

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2012年7月 9日 (月)

天孫降臨の高千穂峰/やまとの謎(66)

「週刊朝日」に、足立倫行氏が『古事記を歩く』という連載を載せている。
120713日号の第3回は、『天孫降臨した古代日向「もう一つの顔」』である。
足立氏によれば、日向に降臨した天皇家の最初の祖先たち(日向三代)の神話は、南方系の海に関わるものが多い。

記紀の神話の中で、日向の神話は以下のような性格を持っているとされる。

 日本神話の中心は古事記・日本書紀にみえる神話である。この2つの書の神話は必ずしも同じではないが、全体としては1つの筋をもっていて、日本国と皇室の創生の物語が中心となっている。その物語の舞台は3つある。日向と大和、そして出雲である。
 出雲の場合は大方が独立した物語で展開する。それに対して、日向と大和の場合は、天・地・海の神の世界から日向へ、日向から大和へと連続した物語として展開する。
 このように2つの書は、内容上は、大きくは「神の世界の物語」から「日向での神と人との物語」そして「日向から大和の人」の物語へと展開する。
 なかでも注目されるのは、日向を舞台とした「神」の世界から「神と人」の世界として展開し、それは「日向三代神話」とよばれている。
 それはアマツカミ(天神)「ニニギノミコト」の御代の
  1「天孫降臨」
  2「コノハナノサクヤビメの結婚」
  3「火の中の出産」
 同「ホホデミノミコト」の御代の
  4「海幸・山幸」
  5「海宮遊行」
 同「ウガヤフキアエズノミコト」の御代の
  6「ウガヤフキアエズの誕生」
 それに神武天皇の
  7「神武東征(東行)」
 以上7つの物語が主たる内容になっている。そしてその物語の展開は、アマツカミ(天神)とその子孫がクニツカミ(地神)のヒメ神と、さらにはワタツミノカミ(海神)のヒメ神と結婚し、人皇であるカムヤマトイワレビコノミコトが誕生するという構成になっている。これは、アマツカミ(天神)によるクニツカミ(地神)とワタツミノカミ(海神)の統合の上に人皇初代が生み出されたという古代の人々の考えが表わされていて、これが日向を舞台としている神話の特色である。
 なぜ古代国家のなかでも、都から遠くはなれた僻遠の地にある日向が、これらの物語の舞台になったのであろうか。それは一口でいえば、この物語が創りだされる時代に、日向が朝廷と深いかかわりを持っていて、日向を無視できない事情があり、また物語の展開の上で最もふさわしい土地とみられる要素があったことが考えられる。歴代天皇にかかわる日向の女性が物語のなかにしばしば登場するのもそれらを示唆しているものと思われる。

http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/chiiki/seikatu/miyazaki101/shinwa_densho/outline.html

Photo左図は、「神々の系譜」である。
(「CARTA12年新春号」学研パブリッシング(1112))

日向三代は、日本神話において、神から人への移行という重要な位置を占めることになる。
その重要な舞台が、なぜ日向という場所かについては、「日向をお無視できない事情があるから」と説明されている。
その事情とは何か?

宮崎県には、高千穂という地名が2カ所ある。
1つは宮崎県北部の高千穂町である。高千穂峡で有名である。
近くに高千穂神社があり、天孫降臨の地としての有力候補である。

高千穂神社については、白洲信哉『白洲正子の宿題-「日本の神」とは何か』世界文化社(0710)で、「天孫降臨-宮崎の神楽を歩く」で触れられているように、神楽で有名である。
上掲書において、白州氏は次のように書いている。

降臨した場所については諸説あるし、肝要なのはその真偽より、微かな風景の記憶を確たるものにしたかった。また冬になると夜な夜などこかの集落で、神楽を舞っていることにも強く惹きつけられた。

高千穂町には、天孫降臨を連想させる雰囲気が残っている。
もう1つは、宮崎・鹿児島の県境の霧島連峰の高千穂峰である。
近くには、霧島神宮がある。
こちらも、天孫降臨に相応しい雰囲気を備えている。
高千穂峰の頂上には、「天の逆鉾」もある。

東日本大震災の発災によって忘れ去られたようになっているが、新燃岳に隣接している。
火山活動は継続しており、入山禁止になっている。
足立氏は、日向三代の内容からして、天孫降臨の「日向の高千穂のくじふる嶺」は、霧島の方だろうという。

私は、ついこの間、鹿児島大学病院霧島リハビリテーションセンターに入院していたが、この天孫降臨の高千穂峰に至近のところであった。
⇒2012年4月19日 (木):入院しました/闘病記・中間報告(42))
霧島市のサイトには、次のような説明がある。

 はるか昔、神々がこの世を治めていたという神話の時代がありました。神々が天上界の天の浮橋から下の世界をのぞくと、霧にけむる海のなかに島のようにみえるものがあります。神々は一本の鉾を取り出し、その島にしるしをつけました。それが霧島山の名の由来だといわれています。その時、神々が逆さに落とした鉾は、見事に山の絶頂に突き刺さりました。今も高千穂の山頂に残る天の逆鉾は、その時の鉾だといわれています。
http://www.city-kirishima.jp/modules/page059/index.php?id=10

入院中の日曜日に、陣中見舞いに来てくれた知人たちとドライブに出かけたとき、この山を近くで眺める機会があった。
Rimg0065n

『古事記』1300年という節目の年に、偶然が重なって高千穂峰を眺める機会を持ち得たのだった。

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2012年7月 8日 (日)

大政翼賛会的政治状況を憂う/花づな列島復興のためのメモ(105)

消費税増税を、無原則的な民自公合意で推し進めている野田政権は、いよいよタカ派政権としての本質を露わにしつつあるようである。
政府の国家戦略会議のフロンティア分科会(座長・大西隆東京大教授)が、6日、集団的自衛権を容認する提言を盛り込んだ報告書を提出した。

政府は従来、集団的自衛権の行使は違憲、という立場を堅持してきた。
野田首相は就任前の著書で集団的自衛権の行使容認を主張したが、就任後は憲法解釈を「現時点で変えることはない」と持論を抑制してきた。
しかし、「報告書は近々まとめる日本再生戦略に反映したい」としており、持論に沿った形にしようということが明らかである。
首相が持論に忠実なのは結構であるが、就任前後で態度が豹変するのは如何なものか。

野田内閣は国家戦略会議の役割を「税財政の骨格や経済運営の基本方針等の国家の内外にわたる重要な政策を統括する司令塔並と位置づけている。
法律によって裏付けられた機関としてではなく、閣議決定に基づく機関として運営されている。
事務は内閣官房に設置されている国家戦略室のスタッフが担当している。

このような法的根拠が明確でなく、官僚が実質的に運営する機関が、憲法解釈を変更するような提言を取りまとめているのだ。
今年の年央に成案を得るとされている「日本再生戦略」にそれを盛り込もうとしている。

私は、民自公の事実上の連立体制を、大政翼賛会のようなものではないかと考える。
日本を、取り返しのつかない戦争へと導いた体制である。
以下のように解説されている。

大戦中の昭和15年に近衛文麿らが中心となり結成された公事結社。当時の全政党が解散し合流した。公事結社のため政治活動は行えず、国会内では別働隊の翼賛議員同盟が結成された。しかしすべての議員がこの会派に所属していた訳ではなく、既存の会派は温存された。
 昭和17年の総選挙において、国策に忠実な議員が選出されるべく、翼賛政治体制協議会が結成され、協議会が中心となって予め候補者を選考・推薦し、推薦を受けた候補者は有利に選挙を戦うこととなった。しかし選挙妨害などの不利な状況下でも非推薦候補85名が当選を果たした。
 選挙後、大政翼賛会推薦議員による会派翼賛政治会が結成され、以後の独裁的議会体制を翼賛政治?と呼ばれる。
 1945年3月に護国同志会と改名、6月に本土決戦に備えた国民義勇隊となり同会は発展的解消した。
 よくナチスと比較されるが、その組織体制は極めて軟弱で、軍部とその取り巻きの主導権争いに翻弄される存在であった。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C2%E7%C0%AF%CD%E3%BB%BF%B2%F1

消費税増税の陰で、3党合意で成立した法案に宇宙開発機構(JAXA)法の改正(改悪)と原子力規制等の設置法である。
この両者に共通するのは、「我が国の安全保障に資する」の文言である。
しかも、原子力基本法にも「安全保障に資する」条項が付け加えることになっている。
個別法の内容に沿うように、基本法を変更するというのである。
恣意的というよりも、自主・民主・公開の三原則に抵触するのではないか。
このような大きな問題が、さして審議もされずに進行しているのだ。

消費税が衆院を通過したことを、「決められる政治に前進した」と評価する人もいる。
しかし、消費税率を上げるために、マニフェストを棚上げして自公に擦り寄った野田政権がやっていることは上記のようなことだという事実を、をしっかりと見据える必要がある。
⇒2012年6月 4日 (月):乾坤一擲の覚悟で自民党に擦り寄る野田首相を嗤う/花づな列島復興のためのメモ(76)

大連立すれば、国民不在の悪法がいともたやすく成立してしまうのである。
いつか来た道ではないか。

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2012年7月 7日 (土)

太宰府木簡と九州王朝説/やまとの謎(65)

いささか旧聞になってしまったが、大宰府で人名などの戸籍情報を記した最古の木簡が出土した。

 福岡県太宰府市教委は12日、同市国分の国分松本遺跡から、人名や身分など戸籍の内容を記した国内最古の木簡が出土した、と発表した。用いられた語句から、律令(りつりょう)国家体制を整える大宝律令(701年)以前に作成されたとみられ、7世紀代にさかのぼる戸籍関連史料は初めて。国家統治の基となる戸籍制度が、大宝律令以前から機能していたことを示す貴重な史料として注目される。
 国分松本遺跡は古代の大宰府政庁から北西に1・2キロ。今年3~6月の調査で河川跡から出土した木簡10点のうち、1点(長さ31センチ、幅8・2センチ、厚さ8ミリ)の両面に、地名や人名、続柄などが記されていた。
 地名の「嶋評(しまのこおり)」は現在の福岡県糸島市から福岡市西区にかけての地域。「評」は大宝律令以前の地方行政単位で、後の「郡」に当たる。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/307363

太宰府(大宰府)といえば、古田武彦氏等の「九州王朝説」では、倭国の首都に擬せられてきた場所である。
私は、「九州王朝説」を全面的に支持するものではないが、内倉武久『太宰府は日本の首都だった―理化学と「証言」が明かす古代史』ミネルヴァ書房 (2000/07) などにより、大宰府が古代に持っていた意味は、決して過小評価すべきものではないと思っていた。

そこに、最古の木簡の出土である。

Photo_2律令国家体制が整う大宝律令の施行(8世紀初め)に先駆けて、統治の基本となる戸籍制度が完成していたことを示す貴重な発見という。市によると、木簡には行政単位の「嶋評」や冠位を表す「進大弐」などの漢字が両面に墨で書かれていた。「評」は大宝律令以前の地方行政単位「国・評・里」の一つで郡に相当し、嶋評は現在の福岡県糸島市や福岡市西区に当たる。
http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2012/06/12/20dazaifu/

興味深いのは「評」の表記である。
郡評論争という有名な論争がある。
Yahoo知恵袋では以下のように解説している。

『日本書紀』には大化改新の時に地方行政単位として「郡(こおり)」を全国に設置した、と書かれています。ところが各地の金石文(石碑など)には大化改新~大宝律令の間に「郡」があったことを示すものが一つもなく、逆に「評(こおり)」という名称が使われていました。どちらも読みは「こおり」ですが、漢字が違うわけです。従って大化改新で「郡」という漢字の「こおり」が設置されたのは本当は潤色で、実際には「評」という字の「こおり」だったのではないか、従って『日本書紀』には潤色が多分に含まれており、これをそのまま信用することは危険ではないか、というのが井上光貞の説でした。なお、『大宝律令』以後は「郡」が使われていたことははっきりしています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1262509122

大宝律令以前の国家形成過程をどうイメージするか。
九州王朝説側に立つ古賀達也氏は次のように言う。

 今回の「戸籍」木簡から、「やはりそうか」という感想を持ったのが、「嶋評」の表記でした。白村江敗戦後の7世紀後半から造られたとされる、「庚午年籍」(670年)を筆頭とする古代戸籍は、700年までは九州王朝の評制下で造籍されたのですから、当然のこととして行政単位は「評」で記されていたと論理的には考えざるを得なかったのですが、今回の「戸籍」木簡の出現により、やはり「評」表記であったことが確実になりました。
 何をいまさらと言われそうですが、『日本書紀』や『古事記』では「評」は完全に消し去られ、「郡」に置き換えられていることから、近畿天皇家は九州王朝の痕跡を消すべく、徹底的に「評」文書を地上から消滅させようとしたと考えられていました。ところが、その一方で「大宝律令」や「養老律令」では、評制文書である「庚午年籍」の半永久的保管を近畿天皇家は命じているのです。これは何ともちぐはぐな対応ですが、今回の評制「戸籍」木簡の出土により、近畿天皇家は戸籍に関しては評制文書であるにもかかわらず、隠滅することなく保管していたと考えざるを得ないことが明らかとなったのでした。

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nikki8/nikki8.html

戸籍を巡る動きは以下のように推測されている。
Photo_5
古代史の1つのハイライトであろう。

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2012年7月 6日 (金)

国会事故調と大飯原発再稼働/花づな列島復興のためのメモ(104)

7月5日、大飯原発3号機が再稼働した。

 関西電力は5日、大飯原発3号機(福井県おおい町、118万キロワット)の発電と送電を再開した。経済産業省原子力安全・保安院などによる特別な監視体制の責任者である牧野聖修副経済産業相が開始作業に立ち会い、午前7時に送電が始まった。9日にもフル稼働に達する見通し。大飯3号機の送電は約1年3カ月ぶり。原発による発電は5月5日に北海道電力泊原発3号機の運転が停止して以来、2カ月ぶりとなる。
http://mainichi.jp/select/news/20120705k0000e020153000c.html

一方、この日、福島第一原発事故の国会事故調の最終報告が提出された。

4120706 東京電力福島第1原発事故で、国会が設置した事故調査委員会(黒川清委員長)は5日、「事故は自然災害ではなく、明らかに人災だった」とする報告書をまとめ、衆参両院議長に提出した。
 報告書は「第1原発は地震にも津波にも耐えられる保証がない脆弱な状態だったと推定される」と指摘。「東電や規制当局の原子力安全委員会などは地震や津波による被災の可能性、シビアアクシデントへの対策、住民の安全保護など当然備えておくべきことをしていなかった」と批判した。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012070501001037.html

国会事故調の最終報告の当日、原発による発送電が再開されるというのも、考えてみればスゴイことだ。
調査報告など、どうでもいい、というようなものだからだ。
今の日本で最高の有識者による報告書であるにもかかわらず、である。
⇒2012年5月28日 (月):国会事故調への期待/原発事故の真相(31)

国会事故調最終報告書は大部のものであるが、「要約」の「はじめに」の冒頭に次のようにある。

福島原子力発電所事故は終わっていない。 これは世界の原子力の歴史に残る大事故であり、科学技術先進国の一つである日本で起きたことに世界中の人々は驚愕した。世界が注目する中、日本政府と東京電力の事故対応の模様は、日本が抱えている根本的な問題を露呈することとなった。
http://www.slideshare.net/naiic/naiic-youyaku-13550588

今後、脱原発の方向に進むにしろ、原発利用の拡大を図るにせよ、「日本政府と東京電力の事故対応の模様」をきちんと総括すべきであることは言うまでもない。
「露呈することとなった日本が抱えている根本的な問題」を踏まえないでは、未来図を考えることはできない。

そして、「認識の共有化」として、次のように書かれている。

平成 23(2011)年 3 月 11 日に起きた東日本大震災に伴う東京電力福島原子力発電所事故は世界の歴史に残る大事故である。そして、この報告が提出される平成 24(2012)年 6 月においても、依然として事故は収束しておらず被害も継続している。破損した原子炉の現状は詳しくは判明しておらず、今後の地震、台風などの自然災害に果たして耐えられるのか分からない。今後の環境汚染をどこまで防止できるのかも明確ではない。廃炉までの道のりも長く予測できない。一方、被害を受けた住民の生活基盤の回復は進まず、健康被害への不安も解消されていない。        

今後の原発に関する議論は、上記のような認識から出発しなければならないはずだ。
政府や東電は、報告書の含意をしっかりと受け止めなければならない。

この事故が「人災」であることは明らかで、歴代及び当時の政府、規制当局、そして事業者である東京電力による、人々の命と社会を守るという責任感の欠如があった。

上記の指摘は重い。
しかるの、この報告書が出るのを待たないで、大飯原発の再起動を指示した野田総理の本音はどこにあるのだろうか?
よく分からないが、報告書が出ると再稼働に対する批判が高まると考えたのだろうか?

実際、国会事故調の報告書のトーンは、政府や東電に対して厳しいものであるといえる。
だからといって、それが待てない、あるいは待っても仕方がない、とする心理が分からない。
電力需要がピークになる真夏に向けて、供給が間に合わないということだろうか。
それが「国民の生活に対して責任を持つ」ということだろうか?

私は、「世界の原子力の歴史に残る大事故であり、科学技術先進国の一つである日本で起きたことに」思いを巡らすならば、総理としては、せめて「この夏は、非常事態であるから、ムリをしてでも節電しよう」と語りかけて欲しかった。
それとも、首相官邸に押し寄せる「再稼働反対」のデモの声を、「大きな音」としか感じない人には、何を言っても無駄であろうか?

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2012年7月 5日 (木)

経団連が消費税増税に賛成する理由/花づな列島復興のためのメモ(103)

経団連の米倉会長は、消費税増税に積極的な発言をしてきた。
たとえば、3党の修正協議が合意に達したときのコメントは次の通りである。

世界に類例を見ないスピードでわが国の高齢化が進展する中で、成長や雇用創出と両立する持続可能な社会保障の抜本改革は待ったなしである。今後も国民的な検討を深め、給付の効率化・重点化の一層の強化や財源構成の見直しを進めていただきたい。
http://www.keidanren.or.jp/stpeech/comment/2012/0615.html

また大飯原発の再稼動に関しては、以下のようなコメントを出している。

安全性の確保に向けた政府の努力と地元自治体の再稼働に対する理解の下での今回の決定を評価する。
原子力発電所の再稼働は、電力の安定供給と価格上昇リスクの抑制に寄与する。他の原子力発電所においても、安全性の確保を大前提に地元の理解を得ながら再稼働が進むことを期待する。
http://www.keidanren.or.jp/speech/comment/2012/0616.html

経団連は、野田応援団のようである。
⇒2012年6月28日 (木):戦い(消費増税法案、東電株主総会)済んで、日が暮れて/花づな列島復興のためのメモ(96)
最大の労働団体である連合も然りである。
民主党と自民党は、限りなく連立政権に近いのが実態である。
55年体制よりも、大政翼賛会に近い。

増税はGDPの縮小方向に作用すると思われるのに、経団連などの経済団体が増税に賛成するのはなぜだろうか?
⇒2012年6月23日 (土):消費税増税で税収は増えるのか?/花づな列島復興のためのメモ(91)

上記の修正協議に関するコメントでは、社会保障の抜本改革については触れているが、消費税増税については触れていない。
気になるので、「消費税×経団連」で検索してみると、以下のようなサイトがあった。
なぜ経団連は消費税増税に賛成なのか?

以下のようなことが書いてある。

経団連は企業側の利益追求団体である。
なぜ経団連は、売上減少が確実である増税に賛成するのか?

2000年頃までは、経団連は消費税の増税に反対の立場だった。
風向きが変わったのは、奥田碩が経団連の会長を務めていた2003年頃からである。
奥田はトヨタの社長~会長を歴任した人物である。

奥田は、国の財政健全化の為に消費税増税が必要だと唱える一方で、企業の国際競争力を増す為に法人税の減税が必要だと訴えた。
この二つの提言はセットで行われているが、法人税の減税が本来の目的で、その分の財源の穴埋めとして消費税の増税をしろと述べているのだ。
次に経団連の会長に就いたキャノン出身の御手洗冨士夫も、法人税減税と消費税の増税を訴えている。

主要先進国の法人税は次表の通り。
Ws000005

日本の法人税率は、アメリカと同水準である。
カナダやフランスやドイツなども30%を超える税率であり、日本と大差がない。
ルクセンブルグやシンガポールのような「タックスヘイブン」と比べるのは意味がない。

上記が概略であるが、そもそも経団連とはどのような団体か?

日本経済団体連合会は、わが国の代表的な企業1,285社、製造業やサービス業等の主要な業種別全国団体127団体、地方別経済団体47団体などから構成されています(いずれも2012年3月29日現在)
http://www.keidanren.or.jp/profile/pro001.html

すなわち、経団連は、大企業の集まりである。
トヨタやキャノンや米倉会長の出身企業の住友化学は、いずれも大企業である。
しかし、国全体の中では、限られた部分に過ぎない。
大部分の中小・零細企業は、消費税増税により、さらに厳しい活動を強いられるだろう。

民主党は、「国民の生活が第一」と唱えて政権の座についたはずであるが、見事に財界と同じスタンスになってしまっている。
大企業が、法人税を下げろ(もっと儲けさせろ)というのは分からなくもないが、強欲もいい加減にしないとバチがあたる。

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2012年7月 4日 (水)

政党の実態は政党政治の建前と整合しているか?/花づな列島復興のためのメモ(102)

民主党が分裂した。
その経緯を見聞していると、今の日本に「政党政治」という言葉がが当てはまるのだろうか、という疑問が湧いてくる。
政党政治とは、以下のようなしくみである。

複数の政党を中心に行われる政治。議院内閣制下においては、選挙によって多数を得た政党の党首が首班指名を受けて政府を組織する。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C0%AF%C5%DE%C0%AF%BC%A3

現在の政治が、複数の政党を中心に行われていることは間違いがない。
問題は、政党の実態と、議院内閣制の前提となっている選挙制度が、整合しているかどうかである。
政党については以下のように説明されている。

共通の政治的主張や目的を掲げ、政策の実現と政権の獲得を目指して行動する集団。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C0%AF%C5%DE

今回の分裂劇で明らかになったことは、民主党が上記で規定されるような政党ではなかった、ということである。
政権の獲得を目指して行動してきたとはいえても、「共通の政治的主張や目的を掲げ、政策の実現」は目指していなかった。
一般に、「共通の政治的主張や目的」を表した文書を綱領というが、民主党には綱領が定められていない。
⇒2012年6月17日 (日):政党のアイデンティティを徴表するもの/花づな列島復興のためのメモ(87)

綱領がないとすれば、それに代わるものとして機能すると考えられるのは政権公約(マニフェスト)であろう。
今回の分裂は、まさにマニフェストの扱いをめぐるものだった。
たとえ小沢氏が政局本位に動いているかのように見えたとしても、少なくとも建前的にはマニフェストに対する態度が分岐点であった。

マスメディアは、一部の例外を除き、小沢氏たちを「造反」という表現で報じている。
しかし、国民に対して造反しているのは、はたしてどちらであろうか。
6月29日の東京新聞社説は、「分裂騒ぎの民主 国民への造反者は誰か」と題している。

 小沢一郎民主党元代表が反対し、撤回を求めた消費税増税法案。野田佳彦首相は「造反」議員らの厳正な処分を表明したが、公約破りは首相の方だ。どちらが国民に対する造反かを見極めたい。
 二〇〇九年衆院選マニフェストを反故(ほご)にした首相が悪いのか、実現できない公約を作った小沢氏の責任がより重いのか。
 民主党内ばかりか自民、公明両党からも厳しい処分を求める声が相次ぐ小沢氏の方が分は悪そうだが、公約に期待して民主党に政権を託した有権者は、野田氏の方にこそ問題ありと言いたいのではなかろうか。
 有権者は「生活が第一」「官僚主導から政治主導へ」「税金の無駄遣い根絶」「緊密で対等な日米関係」など、自公時代とは違う政権の実現を目指して票を投じた。
 もちろんそれらは難題だ。官僚機構や既得権益層の厚い岩盤を穿(うが)つのは容易でない。だからこそ政権交代という権力構造の歴史的変化に実現を託したのではないか。
 民主党議員の多くは、それらの実現は難しいと言うが、どこまで死力を尽くしたのか。抵抗が強いが故に早々に諦め、増税路線になびいたと疑われても仕方がない。
 できない約束を作った方が悪いという指摘もある。実現困難だと決め付けるのは早計だが、仮にできない約束だとしても、それを掲げて選挙に勝ったのではないか。
 実現に努力するのは当然だし、できないと考えるなら、作成時に疑義を申し出るべきだった。納得できないのなら民主党以外から立候補すべきではなかったか。
 公約破りの消費税増税を正当化するのは信義に反する。

私は、上記趣旨にagreeである。
これに対し、朝日新聞などは、「できない約束を作った方が悪い」ということだ。
⇒2012年6月28日 (木):戦い(消費増税法案、東電株主総会)済んで、日が暮れて/花づな列島復興のためのメモ(96)
まあ朝日のような考えもあり得るのだろうが、天下の朝日新聞の社説とは思えない。

小沢氏らの行動を政局の思惑が主因とする見方がある。
今までの印象からして、確かにそう捉えられても仕方がない面はあるだろう。
特に、「マニフェスト違反」をいうならば、もっと早く声を上げるべきだ、という指摘とか、彼が幹事長時代にもマニフェストを破ったなどの指摘はその通りであろう。
しかし、マニフェスト違反といっても、おのずから軽重がある。
毛沢東の『矛盾論』の用語を借りれば、主要矛盾と従属矛盾である。

政党の内部に主要矛盾を抱えたまま、政権交代を目指して民主党は誕生した。
民主党の歴史的役割は終わった。

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2012年7月 3日 (火)

開示する情報を暗号化しようとする愚/花づな列島復興のためのメモ(101)

6月30日の産経新聞に、人気漫画「名探偵コナン」の作者・青山剛昌氏がこの作品を企画した頃の逸話が載っていた。

 構想を練っていると、子供のころ好きだった推理小説を思い出した。イギリスのコナン・ドイル「シャーロック・ホームズ」、フランスのモーリス・ルブラン「アルセーヌ・ルパン」、そして日本の江戸川乱歩「少年探偵団」…。小学校の図書館で借りて、ドキドキしながら全巻を夢中になって読んだ。
 特に、ドイルの短編「踊る人形」では、名探偵ホームズが黒い人形の暗号を解く姿にしびれた。
 「子供の落書きみたいな人形の絵を見たホームズは、これはアルファベットの『N』だと暗号を解く。これがすごくかっこいい。もし、この本を読んでいなかったら、たぶんコナンは描いていなかった」

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120630/bdy12063007000000-n1.htm

『踊る人形』は、典型的な暗号解読ゲームであり、古典である。
私も、小学校の頃、青山剛昌氏と似た読書体験を持っているのでよく分かる。
『踊る人形』について、Wikipediaでは次のように解説している。

「踊る人形」(おどるにんぎょう、The Adventure of the Dancing Men)は、イギリスの小説家、アーサー・コナン・ドイルによる短編小説。シャーロック・ホームズシリーズの一つで、56ある短編小説のうち27番目に発表された作品である。イギリスの「ストランド・マガジン」1903年12月号、アメリカの「コリアーズ・ウィークリー」1903年12月5日号に発表。1905年発行の第3短編集『シャーロック・ホームズの帰還』(The Return of Sherlock Holmes) に収録された。
暗号とその解読を用いた小説として有名である。
表題は、一般に「おどるにんぎょう」と呼ばれているが、原題を見ると「おどるひとがた」のほうが適切かもしれない。早い時期の訳者である延原謙は読み方については触れていない。

下のような不思議なイタズラのようなものが書かれている紙がある。

Photo

ホームズは、この絵がアルファベットに対応することを見抜いて、文字列を解読する。
つまり、人形のような絵柄は暗号だったのである。

「情報とは何か?」というような問題を考えるとき、この作品のことを思い出す。
情報の定義は数多いが、次の牧島象二氏による定義は、私のお気に入りのものである。

情報とは,均一なbackgroundの中に,これと区別できる何等かの特徴をいう。 ただし,均一とか区別とかは,すべてわれわれの認識の限界内での話とする。
牧島象二『Patternに憑かれて』牧島象二先生記念会(1969)

つまり、このイタズラのような人形のそれぞれの形の特徴を区別することが、「情報」の条件である。
区別できなければ、単なるイタズラとしか思えない。
何らかのメッセージを意味するだろうと見当をつけても、形の特徴を識別して、それぞれにアルファベットの文字を対応させなければ意味を理解できない。
すなわち暗号である。

東京電力の株主総会において、猪瀬直樹東京都副知事から株主提案がなされた。
総会でこの提案は否決されたが、その経緯が猪瀬氏のブログに載録されている。

 第7号議案は、小売料金及び託送料金の算定プロセスについて、第三者の検証が可能となるよう情報を開示することにより、経営の透明性を確保することを定款に定めると。どうしてもこれを言いたい。
 東電は突然値上げを発表したが、西澤俊夫社長は値上げは権利であると発言したが、値上げの根拠は燃料費が上がるということだけだと。説明も不十分だと。経営合理化やコスト削減も非常に中途半端にしか受け取ることができない。
 だから何度も東電の役員や担当者に来ていただきましたよ。説明を求めたが、つねに情報を小出しにする。
・・・・・・
 長い間、地域独占に安住してきたことが、ユーザーへの説明責任を軽視する企業体質を生んだ原因です。問題は根深い。ユーザーへの信頼を取り戻すために、料金算定の根拠や経営に関するあらゆる情報を徹底的に開示すべきである。これが第7号議案であります。

http://www.inosenaoki.com/

東電が、しぶしぶ情報開示の要求に応じている様子が窺える。
説明責任を果たすためには、情報開示が重要であるとよく言われるが、なぜ情報開示に積極的でないのか?
「不都合な真実」があるからであろう。

情報開示は伝わってこそ意味がある。
つまり、暗号のように受け手が理解しにくい開示はナンセンスであり、そもそも情報とは言えないのである。
東電の態度は、暗号を提示しているようなものだ。
それで、失った信頼を取り戻せるはずがない。

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2012年7月 2日 (月)

「国民安全の日」に大飯原発を再起動させる無神経/花づな列島復興のためのメモ(100)

昨日、つまり7月1日は、「国民安全の日」だった。
Wikipediaには、以下のような解説がある。

国民安全の日(こくみんあんぜんのひ)とは、日本国民の一人ひとりが施設や行動面での安全確保に留意し、交通安全、火災等の災害発生の防止を図る国民運動を啓発するための記念日
産業災害や交通事故の増加を受けて、
1960年昭和35年)5月6日閣議了解により制定。毎年7月1日。これは産業災害防止対策審議会(1959年(昭和34年)設置 - 1967年(昭和42年)廃止)の答申が概ね毎年7月1日となる ことから設定された。

この日、多くの国民の反対の声を押し切って、大飯原発は再起動した。

 1日夜に原子炉を起動した関西電力大飯原発3号機(福井県おおい町、出力118万キロワット)は2日午前6時、核分裂が安定的に連続して起こる「臨界」に達した。関電関係者は「通常通りで、作業は順調に進んでいる」としている。
 3号機が臨界に達したのは起動から9時間後だった。早ければ4日にタービンと送電線をつないで運転を再開(再稼働)し、5%程度の出力で発電する。順調に進めば8日にフル稼働となる見通し。4号機も最短で17日に起動し、24日にフル稼働する見込みだ。

http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2012070200016

安全性に不安が残った状態での再稼働であり、選りによって「国民安全の日」に再起動するとは、皮肉な巡り合わせである。
といよりも、国民の安全な生活への願いに対する挑戦であろう。
琉球新報の今日の社説は、『大飯原発起動 教訓に背く歴史的な汚点』と題している。

 大飯原発では最低限の安全対策とされる防潮堤や免震棟の建設などは先送りされたままだが、野田政権は暫定的な安全判断に基づき、再稼働にお墨付きを与えた。
 夏場の電力不足などを理由に挙げており、安全性よりも経済性を優先させた見切り発車以外の何物でもない。
 専門家らは大飯原発の敷地内を走る軟弱な断層(破砕帯)が近くの活断層と一緒に動き、地表がずれる恐れを指摘しているが、政府は「原子力安全・保安院から新たな知見ではないと報告を受けている」(枝野幸男経済産業相)と現地調査には後ろ向きだ。
 過酷な原発事故を目の当たりにした今、安全性確保に向けて検証に検証を重ねてしかるべきだが、政府の対応は全くふに落ちない。原発再稼働に待ったをかける「不都合な真実」が露呈することをまるで恐れているかのようだ。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-193333-storytopic-11.html

原発だけでなく、オスプレイの配備も安全性の検証を棚上げしたまま、米国の言うがままの対応である。

 森本敏防衛相は一日、沖縄、山口両県を訪れ、米軍が垂直離着陸輸送機MV22オスプレイを岩国基地(山口県岩国市)に一時搬入し、普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)で本格運用する計画について両県知事と岩国市長にそれぞれ理解を求めた。知事らは相次いで計画撤回や見直しを求めた。日本政府や自治体側に配備を拒否する法的権限はないものの、地元の強い反発により野田政権は配備を急ぐ米側との間で対応に苦慮しそうだ。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012070202000106.html

野田政権は、「国民の生活が第一」どころか「国民の安全は二の次」になっているようである。
安全・安心の欲求は、マズローによらずとも、人間の基本的な欲求であることは共通認識といっていいだろう。
Photo
http://www.studio-no9.com/sb/sb.cgi?eid=216

原発促進派である産経新聞ですら、政府の姿勢に対する批判を紹介している。

 原子力資料情報室の沢井正子研究員の話 「関西電力から電力の需給状況の詳細が公表されておらず、原発を稼働させないと電力不足になるという根拠が数字で示されていないので、関電の言い分は信用できない。政府も節電や省エネを政策的に進めていけばいいのに、本気でやろうとしていない。東京電力福島第1原発事故の教訓も明確になっていない段階で、まさに再稼働ありきの『政治的稼働』。国民の原子力不信に対する挑戦といえる。野田首相は「再稼働の責任は取る」と言ったが、安全確認も不十分なままで稼働させるのは無責任の極みだ」
http://sankei.jp.msn.com/science/news/120701/scn12070119280005-n1.htm

野田総理は、7月2日に官邸で行われた「国民安全の日」の行事・安全功労者内閣総理大臣表彰式において、以下のような挨拶を述べた。 

 表彰状授与後、野田総理はあいさつで、「長年にわたり、高齢者や児童の交通事故防止、学校における安全教育、事業所内の安全指導、火災予防等、地域や職場で率先して事故防止と安全確保に努めてこられてきたことに、心から敬意を表します。
 国民一人ひとりが生活のあらゆる面で安全に配慮し、事故や災害の防止を心がけることが極めて大切であります。国民生活の安全・安心確保のため、政府では各種事故、災害の発生防止に努力するとともに、市民と地域が一体となった自主的な取組を後押しをしてまいりたいと思います。・・・・・・

http://www.kantei.go.jp/jp/noda/actions/201207/02anzen.html

繰り返しになるが、この人の言葉は、滑舌は良くても人の心に響かない。

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2012年7月 1日 (日)

オスプレイ配備と原発再稼動/花づな列島復興のためのメモ(99)

米国政府が6月29日、オスプレイ(垂直離着陸輸送機)を、米軍普天間飛行場に配備する計画を正式に日本政府に通告した(接受国通報)。
オスプレイは回転翼機と固定翼機双方の機能を持つため、ヘリコプター(回転翼機)と同じように強襲揚陸艦での離着陸も可能だといわれる。

しかし、墜落事故が多い。
何でこのタイミングで、と思うが、6月13日にフロリダ州でも墜落事故を起こした。
安全性に疑問符が付けられているのも、もっともだと言える。
それを米国は「日米安保条約上の権利」だと言って、わが国に配備しようとしている。
日本政府も容認しようという姿勢だ。

森本敏防衛相は30日から沖縄、山口両県を訪れ、関係自治体への協力要請に着手する。しかし、地元は配備通告に強く反発。防衛相は29日記者会見し「率直なところ地元を説得できる自信はない。(米軍の)事故調査が終わっていないときに、私がいかように言葉を尽くしても多分無理だ」と述べ、現段階では地元の理解を得るのは困難との認識を示した。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012062900729

森本防衛相は先の内閣改造で、野田総理が「三顧の礼」で就任を要請したばかりである。
⇒2012年6月 4日 (月):乾坤一擲の覚悟で自民党に擦り寄る野田首相を嗤う/花づな列島復興のためのメモ(76)
前任の田中直紀氏がお粗末すぎて、野田総理は当然任命権者としての責任を問われていた。
森本氏が安全保障の専門家であることは理解できるが、氏の主張は自民党の安全保障政策を支えてきたはずである。
自民党の安全保障オタク・石破茂氏がこの人事を絶賛している。

「十数年来ご指導いただいた。自民党の理論的支柱でもあり、余人をもって替え難い。森本氏を任命したことを私は是とする」とほめたたえた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120612/plc12061223310022-n1.htm

森本氏の就任は、安全保障についての大連立を意味している。
石破氏の嬉しがり方も分からないではないが、大連立は国民の信任を問うことが必要である。
この一事を以てしても、「何のための政権交代?」と思わせるものだといえよう。

その森本氏でさえ、「現段階では地元の理解を得るのは困難との認識」である。
しかし、それでも次のように言って地元を説得しようとする。

 防衛相は、米国防総省がオスプレイの安全性が確認されるまで日本国内での飛行を見合わせる声明を発表したことに触れ「日本側の懸念に配慮した異例の措置だ」と評価。米軍の事故調査に関し「さらなる情報を得られ次第、地元に丁寧に説明する」と強調した。米軍は7月末にオスプレイを岩国基地(山口県岩国市)に搬入するが、安全性が確認されるまで同基地に留め置く方針だ。 
 一方、事故調査が続いている段階での配備通告に、沖縄県の仲井真弘多知事は記者団に「安全性が確認されていないものについて『ああそうですか』という答えはできない。極めて遺憾だ」と配備反対を重ねて強調。配備先の米軍普天間飛行場を抱える同県宜野湾市の佐喜真淳市長は「安全性の担保なく配備しないのが市民の総意だ。怒りさえ覚える」と語った。
 山口県の二井関成知事も「安全性が確認できない状況で見切り発車したのは大変心外だ。当面は引き続き反対せざるを得ない」と表明。岩国市の福田良彦市長は「これまでの説明と異なり、当惑している。安全性が確認されるまで陸揚げ自体を行うべきではない」とのコメントを発表した。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012062900729

「事故調査が続いている段階での配備通告」は、「事故調査が続いている段階での再稼動」と何と似ているモノか、と思ってしまう。
さらにいえば、「オスプレイの配備は日米安保条約上の権利」という表現は、「原発の稼働というのは行政執行の問題だ」という仙谷氏の表現に、よく似ているではないか。
⇒2012年4月23日 (月):なぜ急ぐ、大飯原発再稼働/原発事故の真相(27)
もっと言えば、「政策は今後設置される社会保障制度改革国民会議で検討する」という社会保障政策とも。

メディアは、小沢氏らの行動を云々しているが、もっと深いところで地殻変動が起きている気がする。
ドジョウを自認する総理は、泥に塗れてしまって俯瞰的な展望を持てないだろうが、もはや身動きできないところまで来てしまったのではないか。

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