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2012年5月 4日 (金)

憲法改正論議の方向性/花づな列島復興のためのメモ(59)

若いころは、よく熱を出したが、ここ10年ぐらいの間、発熱の記憶はない。
昨日の突然の発熱にはビックリした。
しかし、一晩冷却剤を使って休んだら、今朝は平熱に戻っていた。
頑張り過ぎてオーバーヒートしてしまったらしい。
自主トレは控えめにし、療法士の指導によるトレーニングは通常通りやった。

昨日は憲法記念日だった。施行65年を迎えた日本国憲法について、改正論議が賑やかになっている。
issueは何か。
産経新聞の「主張」を見てみよう。

 憲法改正の動きが広がりを見せつつある。自民党が憲法改正草案をまとめたのに加え、みんなの党やたちあがれ日本も改正の考え方や大綱案を発表した。
 占領下で日本無力化を目的に米国から強制された格好の現行憲法では、もはや日本が立ちゆかなくなるとの危機感が共有されてきたためだ。
 憲法施行65年の今日、はっきりしたことがある。それは自国の安全保障を他人任せにしている憲法体系の矛盾であり、欠陥だ。なようである。

http://sankei.jp.msn.com/smp/politics/news/120503/plc12050303230005-s.htm

小見出しは次の2つである。

≪自衛権の制限は問題だ≫
≪審査会は改正の論議を≫

小見出しでおおよその推測はできよう。
産経新聞の「主張」に表われていように、憲法改正論議の中心的論点は第9条にある。
しかし、時代の推移と共に論点も次第に多様化してきている。

当初は第9条が大きな争点であった憲法改正論議は、その後の情報化社会の到来や国民のプライバシーに関する意識変革と相まって、多様な論点での議論が求められはじめ、また護憲を党是に掲げている社会党に替わって1996年に民主党が野党第一党となった事などから、政治の場で憲法を議題にする事をことさらに問題視すべきでないといった認識も広まり、2004年には自民党だけでなく、公明党、民主党などの各党憲法調査会が結成され、改憲論議が広く交わされる事となった。
Wikipedia憲法改正論議

私は、第9条をissueとする限り、護憲派である。
第9条が持っている価値観は、今も大きな価値を持っていると考える。
しかし、マクロな時代認識において、現在が転換点であるという意識は強いし、特に「3・11」後ということを考えると、「新憲法」を視野に入れて論ずる時期にあると思う。

そんなことを考えていたところ、5月1日の朝日新聞に、東浩紀さんのインタビュー記事が載っていた。
東さんは1999年に、『郵便的不安たち』を朝日新聞社から刊行して注目を浴びた評論家である。
1971年5月9日生まれとあるから、もうすぐ41歳である。

東北地方太平洋沖地震にショックを受け、大きな思想の転換をしている。震災前の全作品が黒歴史だと話し、哲学的なことを語っていた時期が恥ずかしいと語っている。
Wikipedia東浩紀

東さんは、なぜいま憲法改正なのかを問われ、「3・11」後の政府の失政を目の当たりにして「もやは政権を代えている場合ではない。もっと基層の部分を変えなければならないことが明らかになった」と語っている。
政権交代によって、期待したような変化は何も起こらなかったという私の立場からは、理解できるような気がする。
しかし、基層はそんなに直ぐには変わらない。
変わりにくいから基層なのであって、表層が変化してそれがジワジワと基層に及ぶと考えるべきではないか?

東さんは、典型的なプチブル急進主義のように見える。
ネット上に以下のようなコメントがあった。

 東は「憲法を日本というコンピューターを使うためのOS(基本ソフト)」にたとえ、「だったら自衛隊がもう少しサクサク動く、国がうまく回るOSに入れ替えたほうがいいんじゃないか」と言う。だが、わが憲法の最大の取り柄は自衛隊がサクサク動かないようにしている9条の非戦・非武装の条項にある。東のコンピューターを真似た思考方法が気楽な結論を導いているように見える。
 驚くのは「試案では日本という国を尊重しろと書き、天皇は元首として位置づけました」と語っているところだ。国民が国家権力を縛るために定めるのが憲法だということを東が承知していないはずがない。「国を尊重しない自由」「天皇の言うことを聞かない自由」を保障してこそ憲法と言えるのに、「国を尊重しろ」「天皇は元首」ではまるでその逆だ。
 憲法改正試案をつくる過程で感じたことを東は「憲法を変えるのはやっぱり気持ちがいいものですね。それは間違いない。新しい国のかたちをここに定義するんだみたいな、このワクワク感」と、もう自分が憲法改正を成し遂げつつあるかのように語っている。気持ちはとてもよくわかる。物事を変えることは何ものにも代えがたい快感を伴うものだからだ。ただ、確かなことは、国民は東の試案のような憲法を決して望まないだろうということだ。

東浩紀の奇妙な憲法改正試案

日本国憲法では、第9条以外にも、天皇制の規定が大きな問題である。
私には、天皇制というものがよく分からないという思いが強いが、現代という到達点において、天皇制はいかなる意味を持っているのであろうか?

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