元首と象徴/「同じ」と「違う」(48)
日本国憲法において、天皇は次のように規定されている。
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
この規定自体、意味が捉えがたいものである。
⇒2011年4月 1日 (金):「天皇」という制度/やまとの謎(29)
それはそれとして、一般に、日本の元首は天皇、というように考えられているのではなかろうか。
記憶が定かではないが、小学校か中学校でそんなふうに教わった気がする。
それでは「象徴」と「元首」は「同じ」であろうか?
一般的な語義としては、「象徴」は抽象的な概念を具体的なもので表現することをいう。
たとえば、ハトが平和を象徴する如くである。
しかし、元首は自然人であるからもともと具体的な存在である。
「象徴」と「元首」が同一とは考えにくい。
それでは、日本において特殊的に、「象徴」という言葉で「元首」を意味させるということだろうか?
そもそも、元首とは何か?
Wikipediaの解説は以下の通りである。
元首の概念は国家有機体説に発し、独立の生命体として国家をとらえた場合の頭に相当する部分であることに由来する。社会契約説の国家観の下では社会的な委任契約における社会的人格の一つ。大日本帝国憲法は、国家有機体説の国家観に立脚していた。現在の日本国憲法は社会契約説の国家観に基づく。
君主制の国家では皇帝・国王などの君主、共和制の国家では大統領が元首とされることが通例である。社会主義国では大統領の他、中華人民共和国の国家主席やキューバの国家評議会議長、かつてのソ連の最高会議幹部会議長、東ドイツの国家評議会議長なども元首に該当する。
日本の天皇は大日本帝国憲法下においては明確に元首であったが、現行憲法である日本国憲法下においては「象徴」とのみ定められており、天皇が元首にあたるかは憲法学における解釈上の定義によるとされ、日本政府の公式見解ではほぼ元首として差し支えが無いとされるが、憲法学上では有力な反論がある。
大日本帝国憲法では第4条で天皇を元首と規定していが、現行の法体系には天皇を元首とする規定はない。
ただし、元首の案件とされる国事行為については、憲法第4条に規定されている。
第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
⇒2011年12月 5日 (月):天皇の公務について/やまとの謎(52)
国家の根本である元首について、日本国憲法の規定は中途半端である。
各種の改憲論が出されている。
⇒2012年5月 4日 (金):憲法改正論議の方向性/花づな列島復興のためのメモ(59)
上記でも触れた東浩紀氏は「天皇は元首」と明示したそうだが、次のような批判がある。
驚くのは「試案では日本という国を尊重しろと書き、天皇は元首として位置づけました」と語っているところだ。国民が国家権力を縛るために定めるのが憲法だということを東が承知していないはずがない。「国を尊重しない自由」「天皇の言うことを聞かない自由」を保障してこそ憲法と言えるのに、「国を尊重しろ」「天皇は元首」ではまるでその逆だ。
http://blog.livedoor.jp/nkmrrj04fr/archives/52138185.html
大日本帝国憲法の反省を踏まえれば、上記の批判も当然のように思えるが、現在われわれが一般的に抱いている感覚は、「日本国の元首は天皇」であろう。
結局以下のようなところに落ち着くのかも知れない。
また天皇に関する規定が明治憲法同様 第1章に位置づけられていること 英文憲法の第1章のタイトルが“THE EMPEROR ”(これは「君臨すれども統治せず」という今日のヨーロッパ型皇帝の意味であろう) とつけられていること,さらに現行憲法において天皇が身分上国民かはっきり区別されていることを考え併せ,天皇が現行憲法上紛れもなく君主であり 元首以外の何者でもないことが裏付けられる。
さらに現実に天皇がわが国内外において元首として遇せられていることをみても 現行憲法下の天皇が「君主」であり「元首」であるとみるのはごく自然である。実際、外国人の目から見て,猫の目のように変わる内閣総理大臣を形式的とはいえ任命する世襲・終身の憲法上の安定した機関すなわち天皇が存するかぎり,それを元首扱いするのは当然であるといえよう。
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak1/120611.htm
もっと天皇制の由来や機能を知らなければ答の出しようがない問題である。
社会契約説に基づく国家観のもとでは元首という概念に無理があるともいわれる。
改憲論議の1つの焦点である。
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