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2012年5月13日 (日)

原発ゼロをどう考えるか?②/花づな列島復興のためのメモ(66)

商用原発稼働ゼロが現実のものになった。
この状態をどう考えるか?
立場は鋭角的に2つに分かれている。

1つは、異常事態だから、可及的速やかに正常な状態に戻すべきだ、とするものである。
たとえば、産経新聞の「主張」である。

 だが、社会機能は何とか維持されている。そこから生まれる誤解が危うい。「原発ゼロでもやっていける」との誤った認識が定着しかねない。その背中合わせに、天然ガスなど火力発電用燃料の輸入増で年間3兆~4兆円の国富が流出し、突然の大停電という危機があることを忘れてはならない。
 脱原発の流れの一環として、既存の原発の建て替えなどが今後、認められなくなる事態もあってはならないことだ。
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 信頼性の高い原発と運転技術の提供は、世界のエネルギー安全保障への貢献にもつながる。国際社会が寄せる期待も大きい。
 国のエネルギー政策を短期的、短絡的な判断に委ねてきた民主党政権の対応は極めて危うい。地球の人口は急増中である。主要国のエネルギー政策の動向の把握も含めた戦略的な視点も必要だ。
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 資源小国にとって、原発ゼロは自らの息の根を止める行為に等しい。日本の国力回復が不可能になる「ポイント・オブ・ノーリターン」は目前だ。原発の再稼働で破局突入を回避したい。

【主張】「原発ゼロ」 異常事態から即時脱却を 安全技術の継承は生命線だ

もう1つは、原発ゼロの現状を恒久的な原発ゼロへの出発点とすべきだ、とするものである。
たとえば、内田樹氏の、「「原発ゼロ元年」を言祝ぎたいと思う」とする発言がある。

原発の再稼働の賛否については、文字通り「国論を二分する」ような議論がゆきかっている。
再稼働賛成派の論拠はおもに経済的なものである。
盛夏における電力の不足、電気料金の値上がり、電力コストの上昇による工業製品の国際競争力の相対的低下、より安い電力を求めての生産拠点の海外流出と産業の空洞化などなど。
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でも、すこし長期的に考えると、原発は国益にマイナスである。
すでに私たちは国土の一部を半永久的に失った。
福島の事故の終熄までにどれほどの国民が苦しみに耐えなければならないのか、どれほど国費を投じなければならないのか、まだわからない。
一説には200兆円という。
使用済み核燃料の処理費用も天文学的な額にのぼる。
これらは「原発のつくりだす電力料金」に加算されるべきものであり、それを考えると、原発は「長期的にはきわめて費用対効果の悪いテクノロジー」だということになる。
だから、原発を「損得」で考える場合に「支払期限」をどこに設定するかで、結論が変わってくる。
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コスト削減を最優先して国内の雇用確保をないがしろにするのは国民経済的視点からは「いささか問題」ではないかという反省はここにはまったくない。
国民経済というのは「日本列島に住む1億3000万人の同胞をどうやって養うか」という経世済民の工夫のことである。
それを考えるのが統治者の仕事である。
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「国論を二分する」ようなイシューについては、誰が考えても、「ゆっくり議論して合意形成を待つ」というのが筋である。
だが、国論を二分する一方の主張が「ゆっくり議論している暇なんかない」という短期的な損得勘定を自説の正しさのよりどころにしている。
つまり、まことに不思議なことなのだれけれど、原発再稼働をめぐる議論はコンテンツの正否をめぐる議論というより今ではむしろ、「じっくり話し合おう」という立場と「話をしている暇なんかない」という立場の、つまり「アジェンダをめぐる対立」と化しているのである。
http://blog.tatsuru.com/

この2つの立場は相容れるものではないだろう。
安全性の議論を、短期の需給の問題と対比できるのか?

今の段階で、短期的な需給ギャップを問題にして、再稼働を急ぐのか否か。
恐るべきことに、産業界のみならず、政府もいつの間にやら安全性よりも短期的な需給が大事だとしていることである。
エコノミックアニマル以外の何物でもないだろう。

この2つの立場は、二者択一である。
言い換えれば、戦略的矛盾である。
政府の「脱原発依存」はマニフェストと同じで、その場しのぎと言わざるを得ない。

段階的「原発依存」脱出論?
何時までに、原発ゼロを目指すのか、その手順を含めて工程表が明らかにされない限り、原発再稼働の口実になるだけではなかろうか?
私は、後者の、つまり「「原発ゼロ元年」を言祝ぎたいと思う」立場に同調する。

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