「3・11」後社会のパラダイム/花づな列島復興のためのメモ(72)
「3・11」すなわち大地震による大津波と福島第一原発の事故は、われわれの生き方、文明のあり方に大きな転換を迫るものであった。
としたら、「3・11」後の社会は、従来の考え方とは別の新しい考え方によって考えることが必要であろう。
いわゆるパラダイムの転換である。
パラダイム(paradigm)とは、ある時代や分野において支配的規範となる「物の見方や捉え方」のことです。狭義には科学分野の言葉で、天動説や地動説に見られるような「ある時代を牽引するような、規範的考え方」をさします。このような規範的考え方は、時代の変遷につれて革命的・非連続的な変化を起こす事があり(=天動説から地動説への変化など)、この変化をパラダイムシフトと呼びます。シフト前後の考え方に対して、優劣などの価値判断を行わない概念である点に注意してください。
ところでパラダイムと呼ばれる「物の見方や捉え方」には、いくつかの特徴があります。第 1 にパラダイムは、ある時代や分野において「多くの人に共有されて、支配的な規範として機能」します。また第 2 に、異なるパラダイムの間では「互いの考え方が相容れない」場合もあります。そして第 3 に、パラダイムは時に「革命的で非連続的な交代」を遂げることがあります。以上のような特徴を持つ「物の見方や捉え方」を表現する場合に、パラダイムの語が好んで用いられるようです。
http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/10minnw/015paradigm.html
いま焦点となっているのは、エネルギー政策である。
私自身、「3・11」に遭遇して、連想したのは、先ず小松左京の『日本沈没』光文社文庫(9504)であり、次いで映画『ゴジラ』であった。
後者については最初意識していなかったが、予想外に深い含意によって結びついていることを、武田徹『私たちはこうして「原発大国」を選んだ - 増補版「核」論 (中公新書ラクレ)』(1105)で知った。
⇒2011年5月19日 (木):核エネルギー利用と最終兵器/『ゴジラ』の問いかけるもの(3)
武田さんの映画『ゴジラ』の解読をおさらいしよう。
古生物学者・山根博士は、放射線を浴びても死なないゴジラを研究するべきだとする意見である。
しかし、ゴジラが現実に人々の暮らしを破壊する現実の前に、ゴジラを撃退すべしという意見が圧倒的になる。
芹沢博士の開発したオキシジェン・デストロイヤーは、名前の通り酸素を破壊する物質であり、最終兵器になり得る可能性を持っている。
芹沢博士は苦悩の末、「技術は一度誰かがつかえば、必ず悪用される」として自ら命を断って悪用の可能性を封じる。
⇒2011年5月10日 (火):技術の功罪と苦悩する化(科)学者/『ゴジラ』の問いかけるもの(2)
武田さんは、映画『ゴジラ』は、被爆の事実を曖昧にしてアメリカの傘の中に入る選択をした日本に一石を投じたものであるが、ゴジラ映画がエンターテイメント化していくのと同期するように、日本人は核エネルギーに対するアレルギーを薄めて行ったのではないか、と問う。
その結果が、地震の巣のような列島に世界有数の原発を抱える原発大国の姿である。
しかし、「3・11」によって、戦後日本の辿ってきたエネルギー政策が厳しく問い直されることになった。
というよりも、エネルギー政策を超えて、社会の価値観、たとえば幸福感を再考しなければならないであろう。
幸か不幸か、「原発ゼロ」の夏を迎えようとしている。
これに対するスタンスは、はっきり分かれている。
産経新聞は、5月19日付の「主張」で次のように政府に原発再稼働を迫る。
これで本当に夏が乗り切れるのか。政府がまとめた今夏の電力需給対策はあまりに不安要素が多く責任ある対応策とは言い難い。
特に関西電力管内では原発の再稼働なしに猛暑を迎えた場合、14・9%の電力不足に陥る。これを15%以上の自主的な節電と他電力からの融通で乗り切り、強制使用制限の発動は見送るという。
・・・・・・
何よりも電力不足の解消と安定供給の確保には、停止中の原発の再稼働が不可欠だ。政府は福井県の大飯原発3、4号機の再稼働への同意を地元に要請し、野田佳彦首相は17日、「最後は私のリーダーシップで意思決定する。判断の時期は近い」と断言した。
その言葉通り、野田首相は原発の安全性などに全責任を持ち、早期運転再開を主導しなければならない。それが今夏の電力危機を乗り切る最低条件だ。
・・・・・・
仮に原発再稼働なしに夏を乗り切れても、節電頼みの慢性的な電力不足が続くことを忘れてはならない。安価で安定した電力供給体制は再構築できず、産業空洞化は一層加速する。東電以外の電力料金引き上げも避けられまい。
電力不足は国力の疲弊という負の連鎖を招き、国の土台を傾ける。政府は肝に銘じるべきだ。
http://sankei.jp.msn.com/smp/politics/news/120519/plc12051903220004-s.htm
地方紙の多くは、原発再稼働には慎重である。
5月21日付の信濃毎日新聞社説は、次のように政府の姿勢に疑問を呈している。
安全性についてさまざまな問題点が指摘されているうえ、滋賀県や大阪市などが疑問を呈している。そうしたなかで、なぜ近い時期に最終的な判断ができるのか、疑問と言わざるを得ない。
今夏の電力不足を理由に再稼働を急いでいるとすれば、福島第1原発事故の教訓が生かされない恐れがある。
http://www.shinmai.co.jp/news/20120521/KT120519ETI090002000.html
また、5月20日付の南日本新聞社説は、政府の無作為を咎め、政府の目論んでいるような原発再稼働の実現可能性は小さいだろうと読む。
昨年夏、東京電力管内で実施された計画停電でも分かるように、電力不足が決定的になれば、家庭生活や企業活動に支障をきたしかねない。東京での失敗を反面教師とし、実施に追い込まれても悪影響を最小限にとどめたい。
その際、万全を期さなければならないのは、医療機関などで手術や治療行為に重大な影響が出ないよう配慮することだ。鉄道など公共交通機関、生産拠点への影響もできる限り抑える必要がある。
早くから電力危機が叫ばれていたにもかかわらず、利用者に負担を強いることで急場をしのごうとする政府の対応は怠慢というほかない。原発抜きで電力確保に全力を尽くそうとしない電力会社の責任も免れない。
こうした政府と電力会社の姿勢には、「原発再稼働」ありきの思惑が見て取れる。再稼働さえすれば電力不足は解消するとの安易な考えで、電力供給の計画を立てたとしたのなら、誤算というほかない。ともに反省すべきだ。
現時点では原発再稼働が見込める可能性は極めて低い。
・・・・・・
こう言い切れるのは、再稼働の前提条件となる安全性の確保が見通せないからだ。安全審査を担う原子力規制庁の設置が先送りされて、いつになるかめどすら立たない。こんな状況では、再稼働を見込んだ電力需給策を認めるわけにはいくまい。
家庭や企業など利用者に求められるのは、節電意識を高め、省エネ対策に取り組む心構えである。利用者の努力によって、この夏の電力危機を乗り切ることができれば「脱原発社会」実現の期待も高まる。原発依存から抜け出す最大の契機にしなければならない。
http://373news.com/_column/syasetu.php?ym=201205&storyid=40576
どちらの意見が、「社会の木鐸」に相応しいであろうか?
ジャーナリズムの世界でも、中央から地方への流れが次第に大きくなってきているような気がする。
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