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2012年3月10日 (土)

地震学と地震予知/花づな列島復興のためのメモ(35)

東日本大震災は、地震国という日本の地学的宿命を改めて認識させるものであった。
そして、地震の発生そのものは、宿命で避けられないものとしたら、何とか震災を軽減できないものかと思う。
いわゆる減災である。
減災のために最も期待されるのが「予知」ということになる。

ところが、地震学はマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖大地震の発生を予知できなかった。
また、地震発生直後の津波警報も、予想津波高を実際の高さより低く予想したため、被害を拡大させル結果となった。
警報が、「それなら安全だ」という安全情報として作用した側面があったといわれている。

地震学は、震災の軽減に役立たないのであろうか?
東大地震研が出した首都圏の地震予測は、さまざまな波紋を引き起こした。
⇒2012年2月 6日 (月):地震の発生確率の伝え方
⇒2012年2月10日 (金):地震の発生確率の伝え方②/東大地震研平田教授の意見

私は、何気なく使っている「地震の発生確率」という概念にかねてから疑問をもっている。
菅前首相は、浜岡原発の全面停止要請で、蟻地獄のような局面の打開を図った。
それは彼の残したほとんど唯一の功績といってもよいが、その根拠とした認識は適切とは言えまい。
窮余の一策がけがの功名的に作用したのである。
⇒2011年5月12日 (木):地震の発生確率の意味/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(26)

専門家には、一般の人に可能な限り、正確に分かりやすく伝えることが期待されるし、責務でもあろう。
この点において、上記の東大地震研という斯界の最高権威と思われる機関の教授という立場にある平田直氏の言説は疑問を持たざるを得ない。
また、同じ地震研の広報アウトリーチ室のサイトで、婉曲な表現ではあるが平田教授を批判していた文章があったことについては、上記で触れた。

文責:大木聖子とある文章だが、産経新聞120308の『地震学はどう変わったか』というインタビュー記事を読んで納得した。
それは『予知困難 等身大の説明大切』と題された以下のような記事である。

--東日本大震災で見えてきた問題点は
「災害情報を研究している立場から言うと、『地震予知はできない』という地震学の等身大を正しく伝えていない。例えば東海地震は予知できると多くの人が思っているし、学校の防災もその前提でやっている。・・・・・・」
--地震学と一般社会の隔たりを感じるか
「以前から地震予知への過剰な期待と誤解があると思っていたが、大震災後は特に感じる。・・・・・・例えば最近、首都直下地震が4年以内に70%の確率で起きるという話があったが、確率で出している限り予知にはならない。それなのに世間は決定論的に受け止め、『4年間は家を買わない』『地震が来る前に教えてくれるんでしょ』といった声が出ている。今回の大震災は『絶対に起きない』と言っていたことが起きてしまった。・・・・・・」
--地震研究の成果を社会にどう役立てるか
「お茶の間レベルで啓発するなら、発生確率よりも『家のこの部分を補強して』『この家具は固定を』などと言う方が効果的だ。例えば東京都文京区では地盤の状態が詳しく分かっており、震度6強だと木造や鉄筋コンクリートの建物が築何年でどのくらい被害を受けるか分かる。・・・・・・建物がどう揺れるかは建築や土木の世界で、われわれはそれを下支えしている。その意味で地震学の成果は国民に直接というよりも、建築や土木の世界を通じて役立てられるものだと思う。ある地域の地震発生確率は国が限られた予算を配分するときなどに有効だが、一方で一人一人の防災意識を弱めたり、地震予知ができるとの誤解を与えかねない」
--それでも地震予知への期待は根強い
「研究が進めば進むほど予知の難しさが分かってきた。地震の正体は岩が割れる現象だが、それは岩石の組成や地下の圧力、温度といったさまざまな条件で変わってくる。例えば1枚の葉っぱを100回落としても一度として同じ落ち方をしないように、破壊現象もすごく複雑。割りばし一本の割れ方もよく分かっていない人類が、圧力や温度などの環境も分からない地下で、いつ岩石が割れるかを予測するのは非常に難しい」

http://sankei.jp.msn.com/science/news/120308/scn12030822590004-n1.htm

地震学の現在の水準が率直に語られている。
学問も厳しい予算制約の下に遂行される。
目立った成果を上げないと「仕分け」されてしまいかねない。
そういう状況の中で、地震学者も、「役に立つ」ことをプレゼンテーションしなければ、という気になるのは自然である。
しかし、結果としてわれわれは、地震予知に過剰な期待を抱いてしまいがちになるのではないか。

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