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2012年3月 8日 (木)

埼玉県教職員組合の言語感覚

埼玉県教職員組合(埼教組)が事務局をしている講演のタイトル「さいたさいたセシウムがさいた」が、物議を醸している。
批判を受けて、組合がタイトルを削除する事態になっているが、ポスターまで用意するどこかの段階でチェックができなかったのか。
このような表現をオカシイと思わない人たちが教壇に立っているのであろうか。

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演題は、講演を行う中原中也賞詩人のアーサー・ビナード氏の発案。同教組などは同氏の意向をそのままくみ、参加を呼びかけるビラを配布した。
副題は「3・11後の安心をどうつくり出すか」で、東電福島第1原発事故に伴う放射性セシウムを指しているのは明らか。数日前からインターネットの掲示板などで「被災者の気持ちを逆なでしている」「この表題をなんとも思わない教師が教壇に立っているのか」との批判が相次いでいた。
批判が殺到したことから主催者側は7日、表題の変更を決めた。ただ講演は予定通り行い、ビラの回収は物理的に「できない」としている。
セシウムをめぐっては東海テレビが昨年8月、情報番組で岩手県産米のプレゼント当選者を「セシウムさん」と表示したことが問題となったことがある。

http://sankei.jp.msn.com/smp/life/news/120308/edc12030800120000-s.htm

私は、表現の自由は、確保されるべきであると思っている。
どんなに差別的な言葉であっても、言葉だけ替えても何ら解決しない。
言葉の背後にある思想とか信条なども、外形的な規制はできても、内面まで規制できるモノではないだろう。

問題は、「さいたさいたセシウムがさいた」という表現が、この場合どういう効果あるいは影響を及ぼすか、ということに対する鈍感さである。
タイトルについて、埼教組の執行委員長は、「もともと詩人の方が付けたと聞いています」としているそうであるが、責任逃れの発言のように聞こえる。
誰がつけようと同じことである。
なお、埼教組は、全日本教職員組合(全教)の傘下にあり、日教組埼玉とは違う組織だということである。念のため。

私は、瞬間的に、「さいた」という言葉を「埼玉」に掛けたのではないかと思ったが、童謡「チューリップ」を元に詩の表現としたという見方もあるようだ。
中原中也賞詩人というアーサー・ビナード氏の名前ははじめて聞くが、日本語のネイティブならばおよそ考えられない表現だろう。
彼は講演の趣旨からして、善意でやっているのだろう。
だとしたら、主催者側で日本語の語感を知らせて、事前に対処すべきではないか。

 

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コメント

こんにちは。

最近、ある酒造メーカーが『咲いた咲いたさくらが咲いた』という名前のお酒を出しました。
古い話では、赤瀬川原平さんの「櫻画報」のパロディで似たようなものはありました。

でも、この教職員組合の言語感覚は本当にわかりませんね。担当者は、ひとり悦にはいっていたんでしょうかねぇ。

投稿: kimion20002000 | 2012年3月10日 (土) 11時31分

kimion20002000 様

コメントありがとうございます。
「サイタサイタサクラガサイタ」で始まる国語教科書のことは聞いたことがあります。私より何歳くらい上の世代か?
自分のこととして考えないということではないか、と思います。つまり問題意識の問題ですが、「問題意識を持て」では解決しないところが悩ましいところです。

投稿: 夢幻亭 | 2012年3月11日 (日) 18時03分

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