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2012年3月26日 (月)

目的外の結果をどう評価するか?

人間が他の動物と著しくことなっていることの1つが、目的を持って行動するということであろう。
他の動物においても、意図はあるだろうが、人間とは質的に異なるものであろう。
人間の特徴は、想像力にある。想像力こそが創造性の源泉である。
想像力は、おそらくは言語の発達と関係があるであろう。意図した行動を、組織的に、計画的に行えることは、人間の最大の特徴ではないか。

しかしながら、意図しても、往々にして意図通りにはいかないのが世の常である。
東日本大震災、ことに原発事故において、「想定外」という言葉が多く使われた。
想定外の条件が発生したということであるが、とうぜん結果も想定外である。
⇒2011年9月 1日 (木):減災と想定-民主党の危機意識は大丈夫か

想定外の条件であれば当然のこと、想定通りの条件であっても、想定外の結果が起きる可能性がある。
想定外の結果を想定するということは矛盾であるが、普通は、確率を織り込むとか、いくつかのケースに分けることで、影響の範囲を見積もる。

目的意識的な行動において、目的としない結果が生まれることは避けられない。
予期せぬ結果は、イノベーションの契機であるともいわれる。
たとえばナイロンの発明についてのエピソードなどは、イノベーションが意図せざる結果から生まれた例といえよう。

カロザースは合成ゴムの改良を試みる途上で、炭素の鎖を思い切り長く延ばすことに着目した。すると偶然にも、絹に似た繊維ができた。しかもこの繊維は、張力を加えると切れるのではなく、逆に強くなるという特質をもっていることがわかった。
カロザースの目的は合成ゴムの開発だったので、それ以上の研究はしなかったのだが、デュポン社はこの合成繊維で、丈夫で耐水性のあるウィンドブレーカーやレインコートを作り、米軍兵士の衣料を向上させた。兵隊の衣料を作るというグッドイヤーの夢が、ニューランドからカロザースを経て、ついに実現したのだ。
合成ゴムの研究から偶然に生まれたこの合成繊維こそが、ナイロンである。
http://www.smbc-consulting.co.jp/company/b-info/backnum/column/20080822_02.html

目的としない結果には、、「合成の誤謬」として知られているものも該当しよう。
たとえば、個別施設の冷房装置は、その排熱により街全体の温度環境をかえって悪化させる。
個別には合理的な行動が、集合すると全体の合理性を損なうわけである。
多くの環境問題が、「合成の誤謬」の産物である。

あるいは、副作用と呼ばれるものである。
化学実験は、環境条件を制御して目的とする結果を生じ易くして行われるが、副生成物を完全に排除することは難しい。
多くの場合、実験室とは異なり、環境条件を制御すること自体が不可能であるから、必ず目的とする結果と同時に、目的としない結果も生ずると考える必要がある。

ローマクラブの『成長の限界』は、目的としない結果が思わぬ制約条件となることを鮮やかにシミュレーションしてみせたもの、と考えることもできる。
成長が、成長を阻害する要因を作り出すのである。
生態系の遷移といわれる事象も、類似のメカニズムである。

最近、意図せざる結果の評価について考えさせられる例に出会った。
1つは、地震予測の問題である。
東大地震研による「マグニチュード(M)7級の首都直下地震が今後4年以内に約70%の確率で発生するという試算」である。
読売新聞が、これを報じてから、地震にナーバスになっている人々は、大げさにいえばパニック的であったとい。
⇒2012年2月 6日 (月):地震の発生確率の伝え方

その後、この試算そのものがさまざまな問題を内包していることが分かった。
はっきり言えば、地震研平田教授のスタンドプレーの側面である。
⇒2012年2月10日 (金):地震の発生確率の伝え方②/東大地震研平田教授の意見
⇒2012年3月10日 (土):地震学と地震予知/花づな列島復興のためのメモ(35)

この件に関して、、「4年で70%」という表現が、「防災意識を高める」ことに貢献した、という意見がある。
果たして、防災意識を高めるために、あえてセンセーショナルな表現で訴えたということか?

もう1つは、内閣府の自殺予防キャンペーンである。
ポスターまで用意していた「あなたもGKB47宣言!」というキャッチフレーズがボツになった、という案件である。
⇒2012年2月 8日 (水):「あなたもGKB47宣言!」のから騒ぎ

自殺対策を担当する内閣府などに、「批判もあったが、マスコミに多く取り上げられ、ゲートキーパーという言葉の啓発などに結果的に役立った側面もある」ということだが、感覚を疑う。
2つの例に共通するのは、「本来の目的ではないが、他の効果はあった(のだから)ムダではなかった」という論法である。
確かに、、「防災意識を高める」ことや「自殺予防の啓発」は意義のあることである。
しかし、話題になったから、これらの効果があったとするのは余りに短絡的ではないか。
少なくとも、自画自賛的に、「効果があった」と自分で言う言葉ではないだろう。

昔リサーチの仕事をやっていた時、目的とした結果と目的としない結果を区別するために、異なる言葉を使うべきではないだろうかという議論をしたことがある。
たとえば、薬については、副作用という言葉が定着している。
しかし、制度などについては、副作用という言葉が馴染まない場合も多い。

あるいは、目的を厳密に規定した方がいい場合もある。
たとえば、公共事業や原発事故の補償は、経済的損失を補填することが目的か、従前の生活の維持が目的か?
どちらと考えるかによって、補償の範囲は異なってくる。
結果として、補償手段の評価も差違が出てくる。

その時の結論は、目的としている結果を効果といい、目的としていない結果は影響とよぼう、ということであった。
残念ながら、このような用語の使い分けが世の中でデファクト・スタンダードになってはいない。
しかし、私の中では、スッキリとした感じであった。
防災意識の向上や自殺予防の啓発などは、影響として捉えるべきであって、効果ではないことを明確にすべきであると思う。

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