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2012年3月17日 (土)

論争家吉本隆明と複眼的思考/知的生産の方法(19)

亡くなった吉本隆明さんが、論壇に登場したのは、武井昭夫氏との共著『文学者の戦争責任』淡路書房(5609)であるとしていいだろう。
私はこの書を目にしていないが、Amazonの古書で\9500の値がついている。
幻の書籍である。

共著者の武井昭夫氏は、全学連の初代委員長として知られる。

層としての学生運動論を唱え、学生は労働者階級の指導を受けなくとも、階級闘争の主体たり得ると主張。その後、新日本文学会に加入し、戦争責任などで古い世代を批判する急先鋒にたつ。九州から上京して新日本文学会の事務局にいた大西巨人らとともに、新日本文学会の中心的な存在となる。戦争責任問題で、吉本隆明とともに『文学者の戦争責任』を上梓し、旧プロレタリア文学出身の作家たちを批判した。日本共産党員だったが、1958年の第7回党大会での綱領論議のころから、当時の指導部と対立を深め、1960年の安保闘争のときに、党の政策に反対する声明「さしあたって、これだけは」を谷川雁たちとともに発表し、規律違反として除名されている。
Wikipedia

鷲田小彌太『増補・吉本隆明論』三一書房(9006)の「第二章」によれば、「吉本が最初にとりかかった論戦的課題は、《戦争責任》であった。この課題追究は、すでに前章でも瞥見したように、吉本の個人史的経緯によっても必然的であった。」とある。
鷲田氏が「論戦的課題」というように、吉本さんは、いわゆるポレミーク(論戦的)な人として有名である。
雑誌論文や私家版の詩集を除くと、この書の次に『芸術的抵抗と挫折』未来社(5902)と『抒情の論理』未来社(5906)が続けて出版されているが、これらを見ても、吉本さんの論争好き(?)が窺える。

松本健一氏が著者代表の『論争の同世代史』新泉社(8610)は、論争によって現代史を通観しようとするものであるが、論争家としての吉本さんの姿がよく分かる。
⇒2007年12月 9日 (日):論争と思考技術

上記の中で、最も著名であるのは、「花田-吉本論争」であろう。
この論争について、磯田光一さんは『吉本隆明論』真善美社(1971)において、次のようにいう。

……私自身にとって、この論争が戦後文学史上もっとも重要な論争のひとつであったという確信は少しも揺るがない。そこでは『責任』『転向』『政治』『思想』というような最も根本的な概念が、二つの個性の激突を通じて、いやおうなしに問い直される光景が展開されていたからである。

もはや伝説的ともいえるこの論争は、私などの世代にとっては吉本さんの一方的な勝利であったと思っていた。
しかし後年、この論争をテーマにして『真昼の決闘―花田清輝・吉本隆明論争』晶文社(8605)を書いた好村富士彦氏は、「花田氏の「負けるが勝ち」という戦略が見事に成功したのだ」と総括している。
尤もこの論法を使えば、無敗ということになるが。

「花田-吉本論争」の発端は、戦争責任論を展開していた吉本さんを、花田清輝氏が「戦争中のファシストが、十分に自己批判することなしに、戦後、自由主義者に転向したもの」と規定したことである。
この発言に接して、吉本さんは「キレタ」かのように激烈な反論を加えた。
吉本さんはいわゆる戦中派であり、戦争中は軍国少年であった、と自ら語っているから、花田氏に言うことにも一理はある。

しかし、吉本さんは、花田氏の中に「戦争中は若者を積極的に戦争に駆り立て、時局が変わるとそのことへの内省もなく、すぐに新しく『善』とされる思想の軌道に乗っかることによって自分を免罪してすましている」存在の象徴を見た。
「戦争中は若者を積極的に戦争に駆り立て」られた1人である吉本さんの逆鱗に触れたのであろう。
『文学者の戦争責任』以来、吉本さんは内在的な自己批判なしに「自分を免罪してすましている」存在を主敵としていた。
花田清輝は、すでに論争家として名を成していたから、相手として不足はない。

私は、論争こそ思考技術を鍛える格好の参考書だと思う。
世の中には、学校と違い、正解のない問題ばかりである。あるいは、問いを立てることが重要である。
その意味で、吉本さんの多彩な論戦史は、思考技術の練習問題集ともいえよう。

そして、論争家としての吉本さんの強力な武器の1つが「複眼的思考」ではないかと思う。
⇒2011年12月19日 (月):長倉三郎博士と「複眼的思考」/知的生産の方法(15)
⇒2012年2月23日 (木):複眼と複眼的/「同じ」と「違う」(42)

吉本さんは、詩人・思想家として知られるが、もともと理科系の人であった。
東京工業大学を卒業している。
まあ、文科系と理科系は、アプローチの方法は異なるが、事象そのものが文科系と理科系に分かれているわけではない。
深く探求するためには専門分化せざるを得ず、研究活動が理科的分野と文科的分野に別れることは避けられないことである。
高校段階でも、普通科とは別に理数科を設置してる進学校も少なくないが、教育段階における文科系と理科系という区分に、どこまでの意味があるのだろうか疑問なしとは言えない。

社会的な問題解決のためには、多くの場合、理科的なアプローチと文科的なアプローチを総合して考えなければならないことが多い。
震災にしろ原発事故にしろ、理科的な事象が原因であるが、対策に文科的アプローチは不可欠であろう。
文科と理科の壁を越える発想が必要かつ重要であるとして「文理シナジー学会」を設立した高辻正基さんは、設立の趣旨を「文系と理系の考え方を一緒に働かせ(シナジー)、双方の考え方を必要とする諸問題に取り組もう」との述べている。

『超「20世紀論」上・下』アスキー(0009)でインタビュアーを務めた田近伸和さんは、小林秀雄が文学者として「内部の目」からしかモノを書かないという姿勢を貫いているのに対し、吉本さんの思考はもっと構造的・力学的であり、いわば外部からも人間を見据える目である、としている。
言い換えれば、吉本さんの仕事が多くの人を惹きつけてきた魅力は、「内」と「外」とを総合しうる「複眼的思考」ではないか、ということになるのではないか。

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