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2012年2月17日 (金)

平成という元号/やまとの謎(56)

私は、小渕官房長官(当時)が、「新しい元号は、平成であります」とTVで伝えた様子を、つい昨日のことのように覚えている。
その平成も24年で、すでに「昭和は遠くになりにけり」である。昭和はもはや、レトロということだろう。
淡島千景さんの訃報が伝えられているが、昭和の雰囲気を持った女優だった。

ところで、平成生まれの人は、日本人の中でどれくらいの割合を占めているのだろうか?
毎日、入れ替わっているから、正確な数値は分からない。
少子化傾向が顕著とはいえ、すでに大学卒業者もいるのだから、3割程度は平成生まれになっているのではないだろうか。

元号が法制化されたのは、昭和54(1979)年のことであった。
端的に言えば、昭和天皇の健康状態に不安な要素が感じられるようになってから、政府関係者は本気で検討したのではないか。
天皇の健康状態といえば、今上天皇が東大病院に入院されたというニュースが流れている。
心臓・冠動脈のバイパス手術のためと報じられている。手術は、18日午前中に始まり、およそ5時間ほどかかる見通しだといわれている。

大手術でリスクも大きいのではないかという気がするが、施術例も多いそうだから、余り心配しなくてもいいということだろう。
陛下は昨日も通常通り公務をされたというが、年齢を考えれば、何らかの形で公務の負担を軽減すべきではないか?
⇒2011年12月 5日 (月):天皇の公務について/やまとの謎(52)
皇居にはお見舞いの記帳所が設けられ、多くの人たちが駆けつける様子が放映されていた。

昭和という元号は、法制化にかかわりなく使われていた。
しかし、皇室典範が現行のものになってから、元号の明文的な規定は消えており、改めて法制化が図られたのである。
元号法は、以下がすべてであり、法律といえば逐条解説されるようにややこしい、というイメージからするとまことに素っ気ないものといえよう。

元号法
(昭和五十四年六月十二日法律第四十三号)

 元号は、政令で定める。
 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
   
附 則
1  この法律は、公布の日から施行する。
2  昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。

つまり、実質的な規定は、「皇位の継承があった場合に改元する」ということだけである。
皇位の継承については、皇室典範で次のように規定されている。

第4条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。

つまり、元号が改められるのは、天皇が崩じたときである。
皇嗣とは、皇位継承順位の第一位の人であり、通常は皇太子ということになる。

「文藝春秋12年新年特別号(1月号)」に、『<問題提起/民主党政権下で>平成が終わる日』という産経新聞記者・大島真生という署名記事が載っている。
産経新聞は、尊皇的なイメージがあるから、オヤッという感じである。

タイトルは編集部が付けたのかも知れないが、素直に解釈すれば、「民主党政権下で今上天皇が崩じる」ということに関する「問題提起」である。
相次ぐ失政によって、民主党政権は次の総選挙までの可能性が大きい。
いつ解散総選挙があっても不思議ではないし、長くても、衆議院議員の任期は、残り1年半である。
取りようによっては、ずいぶんと不敬なタイトルということにならないか。
尊皇派とはいえない私でも憚られる。

私の運転免許証の有効期限は、平成22年09年08日である。
すでに失効していると思われるだろうが、病気療養中ということで、停止の申請をしている。
しかし、現在の状態では、再度有効化することがあるのかどうか心許ない。
身体障害者手帳には、平成23年4月14日再交付と記されている。
つまり、これらの証明書の類は、元号で表記されているのである。

今年運転免許証の更新をするゴールド免許の人は、当然平成29年という有効期限が示されることになる。
文春のタイトルについていえば、私には民主党政権がそんなに長く続くとは思えない。
それはともかく、現在は改元は皇位の継承があったときに限られ、天皇が崩じたときには「直ちに」即位するということだから、年の途中で改元ということになる。
昭和から平成への改元は、布告の翌日から後を新元号の元年とした(翌日改元)が、大正から昭和への改元は、改元が布告された日から後を(布告された日の始まりに遡って)新元号の元年とした(即日改元)。
私は諸般の事務を考えると、布告の年の末日までを旧元号とし、翌年の元日から新元号を用いる(踰年改元)がベターではないかと思うが、少数意見だろうなあ。

元号を日本固有の文化のように捉え、大事にしようという意見がある。
元号法や皇室典範に見るように、元号制度と天皇制は不可分であるといえよう。元号を大事に、という人は、基本的に尊皇派だと思う。
元号の由来が、「天子が特定の時代に元号という名前を付ける行為」であるとすれば、余り合理的でないと思うが、何事も合理的が良いとは限らないし、何をもって合理的と考えるかについても個人差があるだろうから、まあ強く主張するほどのことではない。

元号と年号は、同義的に用いられているようである。
「白鳳」など、古代の年号の謎については、まだ「分かった!」というよりも「謎が深まった」という感じである。
⇒2008年2月20日 (水):白鳳年号について
⇒2008年10月29日 (水):小林惠子氏の高松塚被葬者論…⑤大津皇子と朱鳥(朱雀)年号

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コメント

思い出しますね。もう22年になるんですね。

あの日私は出張で滋賀の大津に出かけていて・・・

朝家を出た時には昭和だったのに、家に帰ったら平成になっていました。

投稿: 三友亭主人 | 2012年2月18日 (土) 20時37分

三友亭主人様

コメントありがとうございます。
まったく、光陰矢の如くですね。
何だか平成になってから、余りいい思い出がないような気がするのは、私だけでしょうか。

投稿: 夢幻亭 | 2012年2月18日 (土) 23時03分

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