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2012年2月23日 (木)

複眼と複眼的/「同じ」と「違う」(42)

長倉三郎博士の啓蒙書『「複眼的思考」ノススメ―調和が必要な変革の時代を迎えて』くもん出版(1111)について、「複眼的思考」という言葉が気になっていた。
⇒2011年12月19日 (月):長倉三郎博士と「複眼的思考」/知的生産の方法(15)
「複眼的」は誤用である、という指摘があるからである。

たとえば、朝日新聞記者として活躍した本多勝一氏は次のように書いている。

モノ・コトを見る場合に、複眼的に見るべきだ、とか複眼的思考が重要だと言われることが多い。しかし、そもそも「複眼」とは、昆虫や節足動物の一部などに見られるもので、たくさんの個眼が集まって全体として一つの目の働きをするものである。つまり、個眼は対象の一部・断片を見ているに過ぎず、脳がそれらを統合して全体像をつくっている。その意味では、複眼も人間の目も同じような機能である。それを、「さまざまな違った角度からモノを見よ」というような意味で使うのは、誤用である。地球上のいかなる動物の目玉にも多角的なものは存在しない。
『実戦・日本語作文技術』朝日文庫(9409)

辞書で確認してみよう。
本多氏の師匠筋にあたる梅棹忠夫氏が編集に参加している、梅棹忠夫、金田一春彦、阪倉篤義、日野原重明監修『日本語大辞典』講談社(8911)では、以下のように説明している。

【複眼】無数の個眼が集まって形成される目。節足動物の甲殻類や昆虫類などにみられる。compound eye <比較>個眼。<対義>単眼【個眼】昆虫や甲殻類などでみられる複眼を構成する個々の小さい目。レンズと視細胞などからなる。一つの物体を多くの個眼でとらえ、イメージの断片を脳で統合して全体像をつくる。小眼。ommatidium
【単眼】①一つの目。片方の目。one eye②節足動物に、複眼とは別に存在する簡単なレンズ眼。複眼と併存する単眼ではレンズの焦点は視細胞の位置より深く、光の刺激による信号を強化して中枢へ送る。simple eye

つまり、生物学的な意味に限定して説明しており、本多勝一氏の主張のとおりだと言ってよい。
また、文字通り明快な解説で「新解さん」の名前で親しまれている「山田忠雄主幹『新明解国語辞典』(第四版)三省堂(89)11)では、以下のように明らかに「誤用」だと断じている。

【複眼】〔昆虫などで〕小さな目がたくさん集まって、一見、一つの目のように見えるもの。〔誤って、物事を見るのに、いろんな視点に立つ意に用いる向きもある〕

上記は手元にあった辞典であるが、ネット上の『デジタル大辞泉』は、次のように「複眼」について、異なる意味があるものとして解説している。

ふく‐がん 【複眼】   
節足動物などにみられる、多数の小さな個眼が束状に集まった目。物の形や動き識別ができ、昆虫では紫外線偏光も識別。⇔単眼
2 対象をいろいろの
見地から見ること。

つまり、「対象をいろいろの見地から見ること」は、誤用ではなく、語義の広がりだということである。
実際に、複眼的の解説をみると、以下のようであり、もっぱら「2」の意味しか記載していない。

ふくがん‐てき 【複眼的】 
[形動]いろいろな立場視点から物事を見たり考えたりするさま。「―な考察」「―に検討する」

今や、複眼的は複眼から独立して存在しているのである。

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