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2012年2月 1日 (水)

議事録なくして、歴史の評価は可能か?

原子力災害対策本部で会議の際に議事録が作成されていなかったことに驚いた。
⇒2012年1月24日 (火):議事録の不作成は故意か過失か?/原発事故の真相(17)
同様に、政府の東日本大震災関連の10組織で議事録が作成されていなかったらしい。
野党も当然責任追及の構えだ。

公明党・山口代表は30日、参議院本会議の代表質問で、政府が設置した東日本大震災関連の10会議の議事録が残っていないことについて、「国民や国際社会に対する背信行為だ」と批判した。 山口代表は「発表できない、都合の悪い事実を隠し通すために記録を残さなかったのですか。首相、広範な議事録作成義務違反は重大な違法行為であり、国民や国際社会に対する深刻な背信行為であると言わざるを得ません。歴史の空白を作ってしまったその責任をどう受け止めますか」とただした。 これに対し、野田首相は「震災直後の緊急事態にあったことや、記録を残すことの認識が不十分であったこと等のために、本部の議事内容の一部または全部が、文書で随時記録されてなかったことは事実であり、誠に遺憾であります」と述べた上で、閣僚懇談会で岡田副総理から「可能な限り迅速な対応がなされるよう、指示が出されている」と答えた。
http://news24.jp/nnn/news89029682.html

野田首相が挙げた「記録を残すことの認識が不十分であったこと」をどう理解したらいいだろうか?
本部長だった菅前首相は、異常なくらい「歴史の評価」を口にした人であった。
退陣偽装までして延命を図ったにもかかわらず退陣せざるを得なくなった際の演説でも、「大震災や原発事故に遭遇したときの内閣総理大臣、このことは歴史の中で消えることはない」と自賛した。
⇒2011年8月27日 (土):菅首相の退陣演説&記者会見の欺瞞と空虚

大震災や原発事故に遭遇したこと事態を手柄のように言う感覚はよく分からないが、震災前から野党に「歴史に対する反逆行為」と野党を批判したことを思い出せば、何となく忖度できなくもない。
しかしそれにしては、「記録を残さない」というのはどういうことだろうか?
それこそ、「歴史に対する反逆行為」ではなかろうか。

衆議院予算委員会は連日、年金改革の白熱した論戦以前の実に情けない罵り合いが続いている。2月1日は、菅直人首相の「歴史に対する反逆行為」という迷言が飛び出した。
野党自民・公明党が社会保障と増税の協議に応じなければ「反逆行為」となじった菅直人首相であった。
・・・・・・
菅直人首相、今は年金改革の何をやりたいのか、それはどうでもよくて、ただひたすら消費税に引き上げをやりたいのか。

http://nenkin.co.jp/lifeplan-blog/news/archives/2011/02/03-132145.php

上記の「2月1日」は現時点ではなく去年のことである。
菅を野田に入れ替えればそっくりそのままではないか。
1年間、消費税の増税分について、民主党としてどれだけ具体的な形で説明してきたか。
振り付け師(財務省)がいるにしても、もっと自分の頭で咀嚼したら、と思う。

歴史の評価はいずれなされるであろう。
しかし、それが的確になされるためには記録(証拠、エビデンス)が必要である。
梅棹忠夫(小長谷有紀編)『梅棹忠夫の「人類の未来」』勉誠出版(1201)の「あとがき」に梅棹忠夫の言葉が引用されている。

なにごともかきとめておかなければ、すべては忘却のかなたにおきさられて、きえてしまう。歴史は、だれか他人がつくるものではなくて、わたしたち自身がつくるものだ。わたしたち自身が、いまやっていることが、すなわち歴史である

菅氏は歴史の評価にこだわるのであれば、リアルタイムの記録を残すべきであった。
議事録が残っていないことに関しては、次のような見方がある。
冷泉彰彦『原発事故対応の「議事録隠し」の動機を推測する

今回の「議事録未作成」というのは、要するに会議の参加者全員が回覧した原案では、「公式議事録」としての合意ができなかったということ、そう理解するのが正しいと思います。
具体的なイメージとしては、例えば2号機の水素爆発の直後に政府の対策会議で「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)によれば、飯舘村の方面への相当な飛散が予想されますから、緊急避難もしくは農地や牧草地に徹底したビニールシートがけを」などという提案がされていたとします。仮にそうだとして、「スピーディなんていうのは存在が周知徹底されているものじゃない。パニックが起きたり予測が間違っていたら文科省は責任が取れるのか?」というような誰かの発言で、この案が潰されたというようなことがあったとします。
・・・・・・
そんな中で「飯舘に緊急で対策を」という案を「潰した」人間が特定できるような(あくまで仮の例ですが)議事録は、10カ月後の現在では非常に政治的な意味を持ってしまうわけです。ですから、「公式」のものとして残すことは合意できなかったのだと思います。

また、山崎元氏は、ダイヤモンド・オンライン誌で、議事録の不作成は、国民の不信の念を募らせることにもなった。野田首相は、事後的にでも議事録を整備すると言っているが、後から作る議事録は、どうせ当たり障りのない無内容なものになるのではないか、とし、以下にように言う。
原発事故対策でまさかの議事録未作成-「行政の可視化」を提唱する

重要な会議では議事録を作る。これは、行政の常識だ。今回、特別に重要と思える会議で記録が残っていないことは、遺憾であるだけでなく、不自然だ。今回の件は、政治家も官僚も「粗末」と言うしかない。大事なのは、議事録の事後作成ではなく、責任問題の明確化の方だ。

身の回りでも、「どうせ政府の言うことはあてにならない」という声が多い。
政治不信の極みであるが、民主党の責任は大きい。
かといって、自民党が良かったという声もまったく聞こえてこないのだが。

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