トイレの考現学/闘病記・中間報告(38)
脳梗塞の後遺症はやっかいである。
しかし、リハビリの効果は、緩徐的ではあっても未だ確かにある。
人生における緩徐楽章(adagio)と思って、続けるしかない。
当初、全廃とされた右上肢も少しは動くように成り、単純で軽度の補助作業に参加している。
まあ、これからは希望的観測ではあるが、「使えば使うほど良くなる(ポジティブ・フィードバック)」のではないか。
ADL(日常生活動作)の中でも、トイレは基本だろう。
リハビリ専門病院を退院するときの課題の1つが、「トイレは大丈夫か?」ということであった。
幸いにしてわが家のトイレは下のごとくである。
腰掛けた時、右片麻痺だと、麻痺側に操作位置があって、それが心配されたのだが、これくらいの位置なら左手でも操作できる。
今では、ボタンを押す程度は右手指でも可能である。
現在は一般家庭でもこのような腰掛け式(洋式)のものがほとんどであろう。
これが私の若い頃、借家住まいの頃は、和式トイレがほとんどで私の住んでいた所もそうだった。
片麻痺になって初めて分かったことの1つが、「しゃがむ」という動作が困難であることだった。
したがって、和式トイレだと、不可能ではないが著しく困難である。
汚いものの代名詞であった駅のトイレなどもずいぶんキレイになった。
商業施設でも、和式トイレが多かったが、洋式トイレが増えてきた。しかし、古くてリニューアルしていない商業施設では和式トイレのままである。
新幹線などは、和洋併存である。
私よりもっと高齢者の中には、洋式トイレがイヤだという人が結構いる。
幸いなことに、身障者用トイレも増えてきた。
基本的には洋式で、手すりなども付いていて、清潔感がある。
しかし必ずしも「おしり洗浄式」ではない。
あるドラッグストアのチェーン店の店舗の身障者共用トイレは、手すり(画面右上)はあったが、「おしり洗浄式」ではなかった。
また、歴史のある(すなわち古い)某大型商業施設の身障者用トイレでは、いささか困惑した。
トイレ自体はリニューアルされたもので、大変立派な洋式の「おしり洗浄式」のものであった。
すこぶる快適な使用感である。
何に困惑したか?
操作盤の位置が遠いのである。
右手がまっすぐ伸ばせれば、力そのものはたいして必要はない。
しかし私の右手では、この写真の位置まで持ち上げるのが困難なのだ。
結局、中腰になって左手を使ったのだが、バリアフリーのつもりでも、健常者にはまさかと思うようなバリアがあるのである。
さすがに、いま通院している病院のトイレはそんなことはない。
手すりもついて、操作盤も届く位置にある。
トイレのついでに。
人間にとって直立二足歩行ができるようになったことが、発達の大きな契機であるといわれる。
車いすから自立歩行に移ったときは、やはり世界が違って見えた。
そして、男子用トイレでいわゆる立小便ができるようになったとき、「よくぞ男に生まれける」という「男子の本懐」ともいえる喜びを覚えたことを記憶している。
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