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2012年2月19日 (日)

自首と出頭/「同じ」と「違う」(42)

裁判員制度は定着した、のか?
先日も、一審無罪、二審有罪の「覚せい剤密輸事件」に関して、最高裁で無罪判断が示された。

国民の常識や視点、社会感覚を反映させるのが、市民が参加する裁判員裁判の大きな目的である。その趣旨に照らせば、当然の判断だと受け止めたい。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/287256

制度の趣旨からすれば、当然といえるかも知れない。
しかし、私は、裁判員制度自体に対する疑問が拭えない。
⇒2009年1月24日 (土):裁判員制度に関する素朴な疑問

実際の裁判に際しても、どう考えたらいいのか迷うだろうなあ、と思うケースが少なくない。
⇒2009年5月16日 (土):裁判員制度と量刑判断
⇒2009年6月10日 (水):刑事責任能力の判断と裁判員裁判
⇒2010年11月17日 (水):裁判員裁判の死刑判決と控訴を勧める裁判長

幸いにして、私が裁判員になって、実際に法廷の場に出る確率はほとんどないだろう。
昨年末に審理が開始された「東京、千葉、埼玉の連続不審死事件で、殺人罪などあわせて10件の罪に問われている木嶋佳苗被告の裁判員裁判」では、裁判員候補者の辞退が相次いだという。

さいたま地裁で5日に裁判員の選任手続きが行われたが、辞退者が続出した。裁判が100日にもなるからだ。
・・・・・・
このために集められた裁判員候補者は330人。通常は60人前後だ。裁判員を辞退した男性は、「長くても5日くらいと聞いたし、国が決めたことだからやろうかなって思ったけど、100日は無理です」と語った。
http://www.j-cast.com/tv/2012/01/06118172.html?p=all

まあ、通常の職業を持っている人は、ムリな日数ではないか。
ということは、裁判員裁判の趣旨である「国民の常識や視点、社会感覚を反映させる」こと自体が困難だ、ということにならないか?

私は、私たちのような素人が判決に参加することの危うさを払拭することができない。
法律の基礎的な概念すらあやふやだからだ。

オウム真理教の元幹部で、目黒公証役場事務長を監禁致死させた容疑で警察庁から特別手配されていた平田信容疑者が、大晦日の深更、出頭してきた。
歳が改まろうとする間際のことだったから、活字メディアにとっては、今年初のニュースということになる。
⇒2012年1月 3日 (火):ぼんやりした不安の時代

この出頭をめぐって、一種の茶番ともいうべき事態があった。

平田容疑者は最初、事件の捜査本部がある大崎署へ行ったが、入り方が分からずあきらめた。「公衆電話から警察のフリーダイヤルに10回以上かけたが、話し中だった」と弁護士に話している。110番し、平田信の担当部署はどこか―と名乗らずに尋ねると、「警視庁」と言われたため、警視庁本部へ向かった。
庁舎前を警備していた機動隊員に名乗り出たところ、取り合ってもらえず、650メートルほど離れた丸の内署へ行くよう指示された。丸の内署でも、初めは信じてもらえなかったという。

http://www.shinmai.co.jp/news/20120105/KT120104ETI090007000.html

何ということであろう。
気の小さな私などは、警察署の中に入るだけでも勇気が要る。警察官に職務質問などされたら、悪いことをした覚えがなくても身構えてしまう。
その警察が、自分から名乗っているにもかかわらず、たらい回しするとは!
平田容疑者は、名前と顔写真入りのポスターが全国に貼られている特別手配者である。
出頭時の容貌が余りにも手配書とは異なっていたということか?
とすれば、それはそれで問題であろう。

監禁致死事件にしろ、逃亡・出頭の経緯にしろ、あるいは一時関与が疑われていた国松警察庁長官狙撃事件にしろ、平田信容疑者には、数多くの疑惑が存在している。
その後、逃亡生活を支えた元看護師も出頭した。
オウム真理教の深い闇はおいおい解明されていくであろうが、どこまで明らかにできるだろうか?

ところで、「出頭」と「自首」はどう違うか?
大分県日出町の女児行方不明事件は、母親が死体遺棄容疑で逮捕されたが、優子容疑者は遺体遺棄を夫に告白後、県警に出頭していたと報じられている。
Yahoo知恵袋によれば、それぞれ、次のように説明されている。

「出頭」
事件、犯罪が発覚済みで、容疑者として特定されている人が「それは私です」と自ら警察に赴くこと。
事件、犯罪が発覚済みで、容疑者は特定されていないが「私です」と自ら警察に赴くこと。
「自首」
事件、犯罪が誰にも知られていない状態、警察も知らない。
当然、捜査、犯人探しもされていない。
その状態の時に「実は○○をやりました。私が犯人です」と名乗り出ること。

ポイントは、「事件、犯罪が発覚」しているか否か、である。
平田信容疑者の場合、公証役場事務長の監禁致死事件は公知であり、平田容疑者の存在も明らかにされていた。
だから、「自首」はあり得ない。
大分県日出町の事件では、母親は疑われていたのだろうか?

「自首」の場合には、減刑される可能性が大きい。
刑法では次のように規定している。

第四十二条  罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首したときは、その刑を減軽することができる。
  告訴がなければ公訴を提起することができない罪について、告訴をすることができる者に対して自己の犯罪事実を告げ、その措置にゆだねたときも、前項と同様とする。

「出頭」については、刑法に減刑の規定はないが、裁判において情状が考慮される可能性もある。
大分の母親は、「出頭」と報じられているから、「自首」ではないということになる。
背景には複雑な情状も予想され、裁判員は悩むことになるだろうなあ。

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