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2012年2月

2012年2月29日 (水)

民間事故調報告書/原発事故の真相(18)

民間有識者でつくる「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」(委員長・北沢宏一前科学技術振興機構理事長)が、2月27日、東京電力福島第1原発事故の調査報告書を発表した。
調査報告書の全文は現時点では限られた人しか入手できない。

当財団は非営利で運営しておりますことから、今回の報告書は非売品として限定部数作成致しました。会見後に在庫が払底している状態です。皆さまからリクエストを頂戴しておりますところ、すぐに報告書をお手元にお届けすることができず誠に申し訳ございません。
報告書の入手方法につきまして

したがって、以下は、報道されている範囲での感想である。
しかし、すでに「政府事故調」や「国会事故調」がある。そもそも「民間事故調」とはいかなる存在であろうか?
調査を実施しているのは、一般財団法人日本再建イニシアティブという組織である。
ジャーナリストの船橋洋一氏が理事長を務める団体で、以下のような説明がなされている。

今、東日本大震災によって生じたひずみや閉塞感が、社会の至るところで見られます。この日本全体の危機に対し行うべきことは、直接的な被害の立て直しにとどまらず、根本的な原因から教訓を引き出し、新たな復興と再建の道筋をつけることだと考えています。
一般財団法人日本再建イニシアティブは、シンクタンク機能を中核としつつ、ネットワーク、メディア、クラブの諸機能を併せ持った「シンクタンク複合体」となり、既存の組織や枠組みにとらわれず、民間の独立した立場から日本の再建を構想し実現する、世界の知的インキュベーターを目指します。

財団法人日本再建イニシアティブとは

また、3つの事故調の異同については、次のように説明されている。
3
要するに、「中立性・独立性」は高いが、「法的権限」は弱いということであろうか。

報告書の目次や要旨等、全体像を示す資料も同財団のサイトには見あたらないようである。
以下、私の関心に沿って報道を抜粋する。

【第3章・官邸における原子力災害への対応】
官邸の現場への介入が原子力災害の拡大防止に役立ったかどうか明らかでなく、むしろ無用の混乱と事故が発展するリスクを高めた可能性も否定できない。
・・・・・・
▽「最悪シナリオ」作成の経緯
政府と東電は4号機の燃料プールが「最悪シナリオ」の引き金を引きかねないとし、プールが余震で壊れないよう補強することを緊急課題とした。「最悪シナリオ」の内容は官邸でも閲覧後は回収され、存在自体が秘密に伏された。
▽菅首相のマネジメントスタイルの影響
菅首相の個人的資質に基づくマネジメント手法が、現場に一定の影響を及ぼしていた。行動力と決断力が頼りになったと評価する関係者もいる一方、菅首相の個性が政府全体の危機対応の観点からは、混乱や摩擦の原因ともなったとの見方もある。菅首相のスタイルは、自ら重要な意思決定のプロセスおよび判断に主導的役割を果たそうとする「トップダウン」型へのこだわりと、強く自身の意見を主張する傾向が挙げられる。
【第4章・リスクコミュニケーション】
多くの国民は原発事故や放射能の不安におびえ、血眼になって情報を求めた。政府は国民の不安にこたえる確かな情報提供者としての信頼を勝ち取ることはできなかった。あいまいな説明、発表情報の混乱、SPEEDIなど情報開示の遅れが繰り返され、政府の情報発信に対する国民の不安や失望感が深まった。放射能汚染の拡大や住民退避を懸念する海外に対しては、さらに脆弱(ぜいじゃく)な情報発信しか行われなかった。

私がこのブログで疑問を表明してきたことのある部分に対する回答である。
たとえば、
⇒2011年3月14日 (月):現認する情報と俯瞰する情報
において、最高指揮官には俯瞰する情報こそ必要だとしたが、以下のように細部まで自分が関与することにこだわったことが明らかにされている。

事故現場でバッテリーが必要と判明した際、菅氏が自分で携帯電話を通じて担当者と話し、必要なバッテリーは「縦横何メートル?」などと質問し、やりとりを続けた。その現場にいた関係者は「首相がそんな細かいことを聞くのは、国としてどうなのかとゾッとした」と証言したという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120228-00000004-jct-soci

「自ら重要な意思決定のプロセスおよび判断に主導的役割を果たそうと」した結果、最も重要な初動において適切な判断を誤ったのではないか。
⇒2011年3月30日 (水):原発事故に対する初動対応について

また、リスクコミュニケーションの問題については大きな問題があったように読める。
⇒2011年3月15日 (火):地震情報と「伝える力」
⇒2011年3月24日 (木):安全基準の信憑性について
⇒2011年3月29日 (火):不確かな情報の開示の仕方

特に、SPEEDIの活用については、せっかく開発したものを「何で?」と思う。
⇒2011年7月 5日 (火):官邸は誰の責任で情報を隠蔽したか?/原発事故の真相(4)
⇒2011年9月11日 (日):政府による「情報の隠蔽」は犯罪ではないのか
いずれ政府事故調、国会事故調、民間事故調の報告書を比較検討できるようになれば、問題点がより一層クリヤになるだろう。

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2012年2月28日 (火)

硅石器時代とエルピーダの破綻/花づな列島復興のためのメモ(29)

西村吉雄『硅石器時代の技術と文明―LSIと光ファイバーがつくる"新農耕文化" 』日本経済新聞社(8508)を読んだとき、「目から鱗が落ちる」思いがしたことを覚えている。
既に4半世紀前のことである。
同書は、約10年後の1996年1月に、開発社から改訂増補版が刊行されている。
在庫が払底していたのに対し、同書をもとめる市場の声が大きかったのだろう。

同書の何に刺激を受けて、「目から鱗」になったか?
現代という時代の相を、「近代の終わり」とみる見方はすでに一般的であった。
時代が大きな曲がり角を曲がりつつあることを、たとえば鉄鋼や石油の動向から論じた著書も目にしていた。
⇒2010年7月18日 (日):「情報産業論」の時代/梅棹忠夫さんを悼む(6)
⇒2011年10月14日 (金):栄枯盛衰の法則性?

著者は、半導体用シリコンの供給量を加え、新しい時代の到来を鮮やかに「見える化」して見せたのである。
Photo_3

しかも、近代の終焉の後にくる時代に、「硅石器時代」というネーミングをつけた。
硅石器とは、半導体や光ファイバーなどの主要原料がシリコンすなわち硅(珪)素であることに着眼したものである。

刮目すべきだと思うのは、近代工業社会という山を越えたという認識から、「山を越えたら下りるほかはない」として、下りていく先を、近代以前の社会(=農耕社会)に似ているだろうと見立て、新農耕文化としたことである。
五木寛之氏の『下山の思想』幻冬舎新書(1112)よりずっと先行しているといえよう。

私が特に影響を受けたのは、「いかに作るか」よりも「何を作るか」が重要になる、という指摘であった。
リサーチャーから、歴史の浅いソフトウェア会社へ転職して、プログラマが一杯という環境の中で、プログラマよりSE、SEよりシステム企画あるいはコンサルタントを目指すべきだと主張したが、理解者は少数だった。

半導体は石と呼ばれてはいたが、光ファイバーを含めて、「石器」という言い方は新鮮だった。
エルピーダ破綻のニュースを聞いて、先ず頭に浮かんだのは同書のことであった。
硅石器時代の本命ともいうべき業種である。
しかも、日本を代表する電機メーカーが提携して作り、経済産業省が強力に支援してきた企業である。

Photo_2 80年代に世界を席巻した日本製半導体の復活を掲げ、経営再建中だった半導体大手エルピーダメモリが27日、破綻した。国が主導して国内大手電機メーカーのDRAM(記憶保持動作が必要な随時書き込み読み出しメモリー)事業を集約した「日の丸半導体」メーカーだが、国が公的資金を注ぎ、「国策会社」となりながらも、世界大手に対抗できなかった。今後は借金を整理して支援企業を探すが、世界的な業界再編の引き金になる可能性がある。公的資金投入から3年足らずで国民負担を生じさせた経済産業省の責任も問われそうだ。
<エルピーダ破綻>「国策会社」守り切れず毎日新聞 2月27日(月)

先頃は家電メーカーが揃って赤字を発表した。

パナソニックは3日、2012年3月期連結決算の最終赤字額が従来予想の4200億円から7800億円に拡大することを発表した。ITバブル崩壊後の02年3月期(4277億円の赤字)を上回り、過去最大の赤字額となる。シャープが2900億円、ソニーが2200億円の最終赤字見通しとなるなど日の丸家電は壊滅状態だ。
パナソニック、7800億円の最終赤字見通し!過去最悪

エルピーダには、産業活力再生法により公的資金が投じられている。
しかし、当初からこの資金投入には疑問符が付けられていた。
岸博幸慶應義塾大学大学院教授は、090424のダイヤモンド・オンライン誌で次のように言っていた。

しかし、エルピーダや日立については、どのような合理性があるのかよく分かりません。国内唯一のDRAM企業であるとか、半導体で国内最大シェアであるとかでは、理屈として弱いのではないでしょうか。過去10年以上に渡って不況の度に電機業界の危機や再編の必要性が叫ばれてきましたが、その度に政府の手厚い支援(IT関連の研究開発やプロジェクト予算が補助金として機能)で生き長らえ、本質的な問題解決は先送りされてきました。今回もその繰り返しであるようにしか見られないのではないでしょうか。
・・・・・・
自信を持って断言しましょう。世界的に景気回復局面に入る段階では、日本経済の回復が最も遅れるでしょう。日本の株価も、世界の市場の中で最も回復が遅れるでしょう。こんな経済政策を平気で講じる国の株を買いたい外人投資家は間違いなく少ないからです。

先頃は、経済産業省の元審議官が、自分の係わったエルピーダ社を舞台にしたインサイダー取引事件が報じられた。
⇒2012年1月13日 (金):経済産業省審議官の法律感覚
われわれの未来は容易ならざるもののように感じられる。

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2012年2月27日 (月)

ビジネスモデルとビジネスモデル特許/「同じ」と「違う」(43)

ひと頃、「知財立国」という言葉をよく耳にした。
「知財立国」とは、小泉純一郎首相が2002年に打ち出した国家戦略の1つである。
おもに知財すなわち特許等の知的財産権の創造、活用、保護を強化する戦略であり、2002年11月に知財基本法が成立した。

背景として、世界的なビジネスモデル特許(BM特許)ブームがあった。
BM特許とは何か?
その前に、そもそもビジネスモデル(BM)はどう説明されているか?

企業が行っている事業活動、もしくはこれからの事業構想を表現するモデルのこと。端的に表現すると、「儲けを生み出すビジネスのしくみ」である。ビジネスモデルの3要素とは、「顧客」「価値」「経営資源(チャネル、ノウハウなど)」である。つまり・・・1.誰に対して、どんな価値を提供するのか、2.そのために、保有する経営資源をどのように組み合わせて、その経営資源をどのように調達し、3.パートナーや顧客とのコミュニケーションをどのようにして図り、4.いかなる流通経路と価格体系で、顧客に届けるか・・・という、ビジネスのデザインについての設計思想が「ビジネスモデル」なのである。
http://www.blwisdom.com/word/key/100015.html

??
企業は常に、「儲けを生み出すビジネスのしくみ」を検討しているといってよい。
その特許とは?
BM特許も特許の要件を満たしていなければ特許として認められない。
特許の要件は以下のように要約される。

Photo_2
http://www.jst.go.jp/kisoken/mlmg/announce/tokkyo2.html

問題は、ビジネスのしくみが「産業として役に立つ」ことは当然であろうが、新規性や進歩性というのは判断に迷わないかということである。
特に、進歩性は、簡単でないことと解説しているが、当事者は「簡単ではない」と主張し、ライバルは「簡単だ」と主張するような事態はいくらでもあるように思われる。
⇒2009年10月 8日 (木):光ファイバーの発明と特許問題
⇒2007年10月23日 (火):選句の基準…③新規性と進歩性
⇒2010年12月 1日 (水):「サトウの切り餅」と 越後製菓の特許/「同じ」と「違う」(24)
⇒2011年9月15日 (木):「サトウの切り餅」と 越後製菓の特許(2)/「同じ」と「違う」(30)
とりわけ、「儲けを生み出すビジネスのしくみ」に関しては、その判断が微妙ではなかろうか。

特許庁は以下のような指針を示している。

Q.進歩性の判断では「ビジネス方法」が新規の場合には特許になる可能性がある、とのことですが、新規なビジネス方法を通常のシステム化手法でシステム化した発明は進歩性が認められるのでしょうか。

A.ビジネス方法は「発明」ではありませんから特許になる可能性はありません。
「発明」であることの判断においては、ビジネス方法をコンピュータ上で具体的に実現した場合に「発明」に該当することになります。この場合、請求項には、ビジネス方法が特定されているのではなく、ビジネス方法を実行するための具体的なソフトウエア、情報処理装置又はその動作方法(以下、情報処理装置等)が特許請求されていることに注目すべきです。
そして、進歩性の判断においては、ビジネス方法自体が進歩性を有するか否かを判断するのではなく、ビジネス方法を具体的に実現した発明が進歩性を有するか否かが評価されます。すなわち、「発明」に該当するとされた情報処理装置等を、既に知られているビジネス方法やシステム化技術等に基づいて当業者が容易に構築できるかどうかの論理づけが試みられます。そして、論理づけができたときには請求項に係る発明は進歩性がないとして判断され、論理づけができないときには進歩性を有することになります。
つまり、「ビジネス方法が新規の場合には特許になる可能性がある」というのは、新規なビジネス方法が特許になる可能性があるのではなく、発明者が新規なビジネス方法をコンピュータ上で具体的に実現して情報処理装置等を構築したとき、進歩性の判断においては、その情報処理装置等が公知のビジネス方法等から容易に発明できたとの論理づけができない結果、進歩性が認められる可能性があることを意味しています。

http://www.jpo.go.jp/cgi/link.cgi?url=/toiawase/faq/biz_kanren_q.htm

Photo_3 要するに、BMは特許の対象にならないが、インターネットなどの通信網やサーバなどの装置を用いなければ実現できないBMがあるので、通信網や装置を含むシステムや装置などを特許で保護することで、BMが間接的に保護される、ということだ。
したがって、BM特許は、いわゆるITと不可分なのである。

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2012年2月26日 (日)

餓死という壮絶な孤独(2)/花づな列島復興のためのメモ(28)

相次ぐ「餓死報道」に気が滅入る思いがしている。
餓死に至るまでに何とかならないものか、と思う。
しかし、餓死者は全国でどの程度いるのだろう。
産経新聞に以下のような記事があった。

Kokunai

全国の餓死者はバブル崩壊後の平成7年に前年の約2・8倍の58人に急増、それ以降、高水準で推移していることが25日、分かった。22年までの30年間の餓死者数は1331人で、うち7年以降が8割以上を占めた。専門家はセーフティーネット(安全網)のあり方の見直しを呼びかけている。
厚生労働省の「人口動態統計」によると、死因が「食料の不足(餓死)」とされた死者は昭和56年から平成6年まで12~25人だったが、7年に58人、8年には80人を突破。それ以降、22年に36人となるまで毎年40人以上で推移し、過去30年間の最高は15年の93人だった。
餓死者、バブル崩壊後急増 セーフティーネット不備映す

やはりバブル崩壊後はレベルが違うのか。
この数字を多いと見るか、少ないと見るか。
死因別の統計は以下の通りである。
H22
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai10/kekka03.html

死因の上位は、悪性新生物(ガン)、心疾患、脳血管疾患であり、やはりこれらの対策は重要であろう。
私自身、脳血管疾患の罹患者なので他人事ではない。
もう1つ気になるのは、自殺が7位に入っていることである。

自殺については、統計が確かだろうか、という疑問もある。
自殺であっても、家族は自殺以外の死因にしてもらう、というケースが多いのではないか。
つまり、実数はもっともっと多いと考えられる。
それでも自殺が、統計値の上位にくるなんて、と思う。
また、実際に行動に移らないまでも、「いっそ死んだ方が楽」と思っている人は多いはずである。

しかし、やはり「餓死」は、やり切れない気が拭えない。
「人間の尊厳」と言われる。
「自殺」の場合には、人間の尊厳を保とうとして、ということも考えられるが、「餓死」の場合はそうではないだろう。

「餓死」をキーワードにして検索していたら、次のようなサイトがあった。

東日本大震災で津波被害の激しかった福島県南相馬市で、10人以上の餓死者が出ていたことが明らかになった。5月27日現在の震災被害状況は、警察庁調べで死者1万5247人、行方不明8593人、避難者10万2391人を数えるが、複数の餓死者が判明したのは今回が事実上はじめて。
南相馬市で餓死を10人以上確認

この情報の真偽が確認ができないが、次のようなサイトもある。

なぜ野党議員が把握をしていて副大臣が把握していないのかも疑問だが、死者が出ているという可能性があるにもかかわらず、救援物資が行かないといったケースが今後は無いようにしたいなどという無責任な発言をしたことである。
この小宮山副大臣の発言を見る限り、今まで自宅に留まっていた方へ支援物資が届いていなかったという可能性はあるということだ。

餓死者が出たという質問に対し副大臣「自宅に留まった人に物資が行かなかった可能性がある 今後無いようにしたい」

私の気持ちは晴れない。

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2012年2月25日 (土)

立国の鍵としての富士山麓地域/花づな列島復興のためのメモ(27)

日本の貿易収支が31年ぶりの赤字だという。
私は、小学校以来、日本は宿命的な資源小国であり、科学技術を振興して、輸入した資源の価値を高め、それを輸出することが重要だ教えられて(刷り込まれて)きた。

財務省が25日発表した貿易統計速報(通関ベース)によると、2011年の日本の貿易収支は2兆4927億円の赤字と、通年では31年ぶりのマイナスに転落した。東日本大震災や世界経済の減速、歴史的な円高などを背景に輸出が減少した一方、原子力発電を代替する火力発電向け液化天然ガスや原油などの輸入が急増した。12月は2051億円の赤字で、赤字は3カ月連続となった。
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-LYBSPY1A1I4H01.html

果たして、この貿易赤字は一過性のものなのか、あるいは経常化するものなのか?
短期的な貿易収支の推移は下図の通りである。

Photo_2
財務省が20日発表した1月の貿易統計速報(通関ベース)によると、輸出額から輸入額を差し引いた貿易収支は1兆4750億円の赤字となった。単月の赤字額では、リーマン・ショック後に外需が低迷した2009年1月(9679億円)を上回り、統計で比較可能な1979年以降、最大を記録。欧州債務危機を背景とする世界経済の減速や、円高による海外への生産シフトが響き、欧州やアジアなどへの輸出が落ち込んだ。
貿易赤字は4カ月連続。中国の春節(旧正月)で1月下旬以降に現地工場が休暇に入ったことなどから、対中国の貿易赤字が過去最大の5879億円となった。対欧州連合(EU)では黒字だったが、過去最低の7億円にとどまった。 

http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_eco_trade-balance

東日本大震災や世界経済の減速、歴史的な円高などが原因であることは理解できるが、問題は長期的にどうか、ということである。
貿易収支の長期的な推移は数の通りである。

Photo
http://blog.livedoor.jp/inflation_target/archives/4026051.html

円高が日本の製造業を空洞化するという意見があるが、長期的には円高が進み、貿易は輸出入共に増大してきている。
前回の赤字は、第2次オイルショック後の1980年であった。
わが国の貿易収支に大きな影響を持つのは、原油価格の高騰、もしくは鉱物性燃料の需要増であることが窺える。

鉱物性燃料の価格低下や需要の減少は考えにくい。
やはり、日本は輸出を堅調に推移させることが必要だと思われる。
輸出についてはどういう課題があるのか?
輸出先進国ドイツの輸出構造と比較した表がある。
Ws000000
http://diamond.jp/articles/print/16122

日独で違いが大きいのは、第1次産業である食料品・飼料と医薬品である。
医薬品については、静岡県東部地域で「ファルマバレー」というプロジェクトが推進されている。
http://www.fuji-pvc.jp/index.aspx
また、もう1つの日本の課題である「観光立国」に関しても、富士山を世界遺産に登録申請中である。
富士山麓は、日本の将来の鍵となる地域のようである。

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2012年2月24日 (金)

餓死という壮絶な孤独/花づな列島復興のためのメモ(26)

よく言われることだが、「人間は1人では生きていけない」。
思考実験として、絶海の孤島に漂着したロビンソン・クルーソーの物語が取り上げられる。
特に、分業と交換を大きなテーマにしている経済学はお好きなようである。
しかし、ロビンソンの物語は、結局はフィクションに過ぎない。

似たような実例がないわけではない。
たとえば、フィリピンのルバング島で29年を過ごした小野田寛郎さんのような場合がある。
しかし、小野田さんは、鍛えられた軍人であり、明確な目的を持って、自らの意思で孤絶した生活を選択した。
最近報じられている「餓死」の例は、まったく様相が違う。

東京都立川市の中心部にあるマンションで今月中旬、死後約二カ月が過ぎた成人女性と男児の遺体が見つかった。警視庁立川署によると、遺体は二人暮らしの無職の母親(45)と知的障害のある息子(4つ)とみられ、母親がくも膜下出血で死亡した後、息子が何も食べられず、助けも呼べず、衰弱死した可能性が高い。
4歳障害児 衰弱死 母病死 1人で食事できず

このニュースに、私には涙なしには接することができない。
4歳と言えば、かわいい盛りではないか。
母子はいかなる事情で「二人暮らし」をしていたのか?
父親は、生きているのか、連絡が取れないのか、あるいは死別ということなのか?
無職の母親と知的障害のある息子は、4年間どういう生活をしていたのか?

数々の疑問が湧くが、4歳の児童が、何も食べられずに衰弱しながら死んでいくというのは、余りにも痛ましい。
くも膜下出血で死亡したと推定されている母親は、発症してから意識はあったのかなかったのか?
息子は母親の死をどう捉えたのだろうか?

さいたま市北区吉野町のアパートで親子とみられる男女3人が遺体で発見された事件で、3人は秋田県大館市から転居し、建築関係の仕事をしながら暮らしていたことが、捜査関係者などの話でわかった。一方で、近所の女性宅に妻が借金を申し込むなど、生活に困っていた様子も浮かび上がった。
捜査関係者などによると、3人は11年前にアパートを借りた際、当時の管理会社に秋田県大館市の住民票の写しを示していた。住民票の生年月日から計算すると、現在の年齢は夫は64歳、妻は63歳、息子は39歳となるという。

3人は秋田から転居 近所に借金申し込みも

仮に、記事の通りに親子だとすれば、どういう事情が考えられるだろうか?
息子は39歳とすれば、まさに働き盛りである。
普通なら、仕事が面白くて仕方がないというような年齢だろう。
両親の64歳あるいは63歳という年齢も、今時働いている人の方が多いのではないか。

以前にも、病気で寝たきりだった息子と母親が遺体で発見されたことがある。
金銭的に恵まれている職業とそうではない職業はあるだろう。
長期間継続している不況により、仕事がなかなか見つからないということもあろう。
しかし、いわば潜在的な働き手が3人揃っていて、餓死するに至る社会とは。

飽食といわれている時代、ペットでさえ栄養過多が心配されている時代だというのに。
私たちの社会は、敗戦後の焼け野原の時代から、何を獲得してきたのだろうか、と思う。
セーフティネットなどという言葉はどこへ行ったのか。
すべては自己責任ということか。

親の死亡届を出さずに、年金を不正に受給していた事件が発覚したのは、1年半ほど前のことである。
⇒2010年8月28日 (土):非実在年金受給者
その背景の1つに、家族の「絆」が弱まっていることが挙げられよう。
⇒2010年8月18日 (水):戦後史と“家族の絆”の行方
⇒2010年8月25日 (水):“家族の絆”は弱まっているか?

昨年の大震災は、「絆」の重要性を教えたかのようである。
⇒2011年3月23日 (水):震災を耐え抜いた家族の絆
⇒2011年12月12日 (月):今年の漢字は、「絆」

しかし、所詮付け焼き刃の「絆」のようにも見える。
ガレキ処分の協力はすべきだと思うが、自分の市町村には持ち込まないで欲しい。
そういう住民パワーの壁に遮られて、被災地の復興は遠ざかる。
そうして失われていく時間は永久に取り戻すことはできない。
餓死した人の命もまた同様である。

たまたま「餓死していた」という報道が相次いでいるのか。
「珍しいからニュースになる」ということだろうか。
米原子力規制委員会(NRC)が東京電力福島第1原発事故発生直後、のやりとりなどを記録した内部文書を公表した。
対策本部の議事録が存在しないというわが国と比較するなという方がムリであろう。
結局、わが国は未だ後進国なのだ。

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2012年2月23日 (木)

複眼と複眼的/「同じ」と「違う」(42)

長倉三郎博士の啓蒙書『「複眼的思考」ノススメ―調和が必要な変革の時代を迎えて』くもん出版(1111)について、「複眼的思考」という言葉が気になっていた。
⇒2011年12月19日 (月):長倉三郎博士と「複眼的思考」/知的生産の方法(15)
「複眼的」は誤用である、という指摘があるからである。

たとえば、朝日新聞記者として活躍した本多勝一氏は次のように書いている。

モノ・コトを見る場合に、複眼的に見るべきだ、とか複眼的思考が重要だと言われることが多い。しかし、そもそも「複眼」とは、昆虫や節足動物の一部などに見られるもので、たくさんの個眼が集まって全体として一つの目の働きをするものである。つまり、個眼は対象の一部・断片を見ているに過ぎず、脳がそれらを統合して全体像をつくっている。その意味では、複眼も人間の目も同じような機能である。それを、「さまざまな違った角度からモノを見よ」というような意味で使うのは、誤用である。地球上のいかなる動物の目玉にも多角的なものは存在しない。
『実戦・日本語作文技術』朝日文庫(9409)

辞書で確認してみよう。
本多氏の師匠筋にあたる梅棹忠夫氏が編集に参加している、梅棹忠夫、金田一春彦、阪倉篤義、日野原重明監修『日本語大辞典』講談社(8911)では、以下のように説明している。

【複眼】無数の個眼が集まって形成される目。節足動物の甲殻類や昆虫類などにみられる。compound eye <比較>個眼。<対義>単眼【個眼】昆虫や甲殻類などでみられる複眼を構成する個々の小さい目。レンズと視細胞などからなる。一つの物体を多くの個眼でとらえ、イメージの断片を脳で統合して全体像をつくる。小眼。ommatidium
【単眼】①一つの目。片方の目。one eye②節足動物に、複眼とは別に存在する簡単なレンズ眼。複眼と併存する単眼ではレンズの焦点は視細胞の位置より深く、光の刺激による信号を強化して中枢へ送る。simple eye

つまり、生物学的な意味に限定して説明しており、本多勝一氏の主張のとおりだと言ってよい。
また、文字通り明快な解説で「新解さん」の名前で親しまれている「山田忠雄主幹『新明解国語辞典』(第四版)三省堂(89)11)では、以下のように明らかに「誤用」だと断じている。

【複眼】〔昆虫などで〕小さな目がたくさん集まって、一見、一つの目のように見えるもの。〔誤って、物事を見るのに、いろんな視点に立つ意に用いる向きもある〕

上記は手元にあった辞典であるが、ネット上の『デジタル大辞泉』は、次のように「複眼」について、異なる意味があるものとして解説している。

ふく‐がん 【複眼】   
節足動物などにみられる、多数の小さな個眼が束状に集まった目。物の形や動き識別ができ、昆虫では紫外線偏光も識別。⇔単眼
2 対象をいろいろの
見地から見ること。

つまり、「対象をいろいろの見地から見ること」は、誤用ではなく、語義の広がりだということである。
実際に、複眼的の解説をみると、以下のようであり、もっぱら「2」の意味しか記載していない。

ふくがん‐てき 【複眼的】 
[形動]いろいろな立場視点から物事を見たり考えたりするさま。「―な考察」「―に検討する」

今や、複眼的は複眼から独立して存在しているのである。

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2012年2月22日 (水)

小沢強制起訴裁判で墓穴を掘るのは誰か?

「首相にふさわしい政治家は誰か?」というような世論調査がある。
たとえば、最近では以下のような結果を目にした。
Photo
首相にふさわしい政治家 岡田氏が初のトップ 2012.2.13 18:57 世論調査

まあ、今のところ、首相公選ではないので、余り意味はないのかもしれない。
しかし、現首相の野田氏は、民主党の中でもやっと5指に入るという結果だった。

私は小沢一郎氏が首相にふさわしいとは思わないが、それ以上に岡田氏について疑問を持っている。
小沢民主党元代表が政治資金規正法違反容疑で強制起訴されている裁判についての違和感は既に記した。
⇒2012年2月18日 (土):小沢裁判に対する疑問
この裁判は、何やら「真昼の暗黒」ともいうべき様相を示し始めている。

「真昼の暗黒」は、1956年に公開された今井正監督、橋本忍脚本の映画作品で、原作は、正木ひろし『裁判官―人の命は権力で奪えるものか』。
単独犯だった犯人が罪を軽くすることを目的に知り合い4人を共犯者に仕立てた八海事件がモデルである。
映画のタイトルは、アーサー・ケストラーの小説から。
ソ連での自白強要と粛清の惨状を告発した小説で、以下のような内容である。

革命の英雄であった主人公は、ある日突然逮捕され、尋問され、やがて「人民の敵」として罪を自白し処刑される――その過程をえがいた政治的寓話の傑作。刊行されたのは『1984年』よりも前だったのですね。尋問シーンはオーウェルにも大いに影響を与えていると思うが、大きく違うのは「党/体制」側の人間の描き方。スターリニズムの公式イデオロギーと、〈党〉の論理の語らせかたにリアリズムがあるから、同じイデオロギーと思考法を持つ主人公が、いかに論理的に追い詰められてゆくのかをきちんと描いている。オーウェルのように「この指は何本に見える」なんて言わせていない。
茶番劇としての自覚が双方にあり、いかにきれいにゲームを終わらせるか、冷酷無比な政治の論理のなかで、ともにオールド党員である主人公と検事イワノフとのやりとりは、ひじょうにシニカル。ブハーリンはなぜ人民裁判で土下座しやすやすと銃殺されたのか。『ブハーリン裁判』(鹿砦社)を読んでもその理由はけっして浮かび上がってこないのだが、ケストラーはみごとにその政治的卑屈の起源を説き起こしていると思った。
http://d.hatena.ne.jp/tadanorih/20090830/1251635821

上記でも触れられているが、G.オーウェルの『1984年』はよく知られている。
幸いにして、実際の1984年がオーウェルが描いたのとは異なっていた。
ただ、北朝鮮などの国の内情はどうなのか、よく分からないし、情報技術の発達によって、より巧妙に、よりソフトに、国民の監視が行われているのかも知れない。
⇒2010年8月14日 (土):ジョージ・オーウェルの『1984年』-個人情報の監視と保護

私が「真昼の暗黒」を連想したのは、日本映画のことでもあり、アーサー・ケストラーの小説でもある。
すなわち、他人の自白による冤罪や、昨日の友は今日の敵といった政治の姿である。
今日の読売新聞に次の記事が載っている。

東京京地検特捜部所属だった田代政弘検事(45)が作成した捜査報告書に虚偽の記載があった問題で、上司だった副部長がこの記載を別の捜査報告書で引用し、小沢被告の関与を示す要素と評価していたことが21日わかった。
田代検事による虚偽の記載が、上司の報告書にも影響を及ぼしていたことになる。これらの報告書は、小沢被告を起訴すべきだと議決した東京第5検察審査会に提出されていた。
副部長が作成した捜査報告書は、不起訴となった小沢被告に対する再捜査中の2010年5月19日付で、部長に提出され、小沢被告を再び不起訴とする際の判断材料の一つとなった。
この中で、田代検事が同会元事務担当者・石川知裕衆院議員(38)の再聴取について記載した5月17日付の報告書の一部を引用。石川被告が「親分を守るためウソをついたら選挙民への裏切りだと検事に言われ、小沢被告の関与を認めた」という趣旨の説明をしたとする部分だったが、この発言は実際にはなかったことが石川被告の隠しどり録音から後に判明した。

陸山会事件、虚偽記載引用し別の報告書

まるでよくできたブラックジョークのようではないか。
政治資金の収支の虚偽記載で起訴されている根拠が、虚偽記載の捜査報告書だというのである。
「隠しどり録音」がなかったら、どういうことになっていたのか。

私は、菅、野田の民主党政権は、反小沢を旗幟にすることで一時的な支持を得たが、結局それが命取りになるのではないかという気がする。
特に、小沢処分の責任者である岡田幹事長(当時、現副総理)は苦しい立場になるだろう。
⇒2011年2月25日 (金):民主党の小沢処分をどう考えるか?

野田首相は、岡田氏を副総理兼税年金一体改革相に据えたが、公務員改革について、国家公務員の給与を2年間だけ、7.8%削減するということのようだ。
しかも、東日本大震災への支援金という位置づけだという。
2年間だけ?
東日本大震災への支援金?
いずれについても、姑息というべきであろう。

ガレキの処理が住民の反対などで遅々として進まないことが報道されている。
「絆」はどこへ行った、とおもうが、根底に政治(府)不信があることが大きな要因ではないか。
⇒2012年2月 1日 (水):議事録なくして、歴史の評価は可能か?

この裁判の行方は分からない。
しかし、冷静に考えれば、虚偽記載の捜査報告書に基づいて強制起訴とした検察審査会制度のあり方が改めて問われることになるのではないか。
この裁判が、反小沢のために利用しようとした菅、野田、岡田氏らの墓穴になるのは自業自得だろうが、法的正義に対する信頼を危うくするとしたらより深刻な問題ではなかろうか。

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2012年2月21日 (火)

あなたなら、どう判断するか? 光市母子殺害事件

光市母子殺害事件で、死刑とした広島高裁の差し戻し控訴審判決が確定した。
さまざまな意味で有名な事件といえよう。
かの橋下徹氏がTVタレントとして活躍していた頃、弁護団への懲戒請求をよびかけて、大問題になった。
結果は橋下氏の「負け」であったが、私はこの件については、橋下氏に理があったと考えている。

事件は、1999年(平成11年)4月14日に山口県光市で発生した凶悪犯罪。当時18歳の少年Aにより主婦(当時23歳)が殺害後屍姦され、その娘の乳児(生後11ヶ月)も殺害された(Wikipedia)。

もし、裁判員として、この事件に臨まなければならないとしたら、どう判断するだろうか?
私は、直観的に、「許しがたい犯罪であり、極刑に処すべし」と考えるだろう。
しかしながら、果たして死刑という判断を下してしまっていいものか?

小年Aは未成年である。
未成年者は、「少年法」で「成人」とは異なる扱いを受けているはずだ。
そこで、「少年法」を繙いてみる。

第2条 この法律で「少年」とは、20歳に満たない者をいい、「成人」とは、満20歳以上の者をいう。

確かに、Aは「少年」に該当する。
それでは、基本的にどう考えるか?

第50条 少年に対する刑事事件の審理は、第9条の趣旨に従つて、これを行わなければならない。

そこで、第9条を参考にしつつ、量刑判断をしようとして、次の条文を目にすることになる。

第51条 罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、死刑をもつて処断すべきときは、無期刑を科する。 
2 罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、無期刑をもつて処断すべきときであつても、有期の懲役又は禁錮を科することができる。この場合において、その刑は、10年以上15年以下において言い渡す。

18歳未満は特別扱いだけど、今の場合は18歳1ヶ月だから問題ない、か?
1ヶ月の差違が、死刑か否かを分けるのか?
18歳と18歳1ヶ月で何がどう違うのだろう?

そこで、「少年法」の目的に遡って、法律の趣旨を考えてみる。

第1条 この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。

イマイチよく分からない。
なぜ、18歳未満と20歳未満と区分けするのか?

そこで解説書を読むと、「少年に対してこのような規定をおくのは、未成年者の人格の可塑性に着目しているため」というようことである。
人格の可塑性?
プラスチックの世界では、熱可塑性と熱硬化性があって、熱可塑性は、熱を加えることによって柔らかくなるものだから、「人格の変わりやすさ」ということだろう。

確かに、若い方が一般に「可塑性」が高いということは言えるかも知れない。
しかし、18歳未満と18歳1ヶ月で大きな差違があるとは思えない。
人によりけりではないだろうか。

あれこれ考えるうちに、量刑は公平でなければ、と思う。
それで事例を調べると、「永山基準」というものがある。
日本の刑事裁判において刑罰として死刑を適用する際の判断基準とされる。
裁判員裁判でも、 2010年11月東京地裁で無期懲役の判決が下された耳かき店員ら殺害事件では、殺人罪などに問われた被告に、検察側から永山基準を論拠にした死刑求刑が行われた。
裁判員裁判では初の死刑求刑となり、結果として裁判員は死刑と判断したが、当該裁判長自身が控訴を進めるという異例の展開となった。
⇒2010年11月17日 (水):裁判員裁判の死刑判決と控訴を勧める裁判長

多分、私が裁判員だったら、疲労困憊してしまうだろう。
そして、どのような判断を下したにしても、後に引っかかって残るものがあるだろうなあ、と思う。
なお、本件に関しては、やはり死刑以外の選択肢はないと考える。
⇒2008年4月23日 (水):光市母子殺害事件判決の常識性
それにしても、時間がかかりすぎるような気がする。

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2012年2月20日 (月)

オリンパス経営陣の罪と罰(2)

オリンパス前会長の菊川剛氏ら旧経営陣3人を含む計7人が逮捕された。
また、法人としての同社も金融商品取引法(旧証券取引法)違反(有価証券報告書の虚偽記載)罪で起訴される方向だという。
この事件は、オリンパス1社だけでなく、日本の企業統治(コーポレート・ガバナンス)に対する不信を内外で招いた。
オリンパス経営陣や関係者の罪は大きい。
⇒2011年11月 9日 (水:オリンパス経営陣は何を守ろうとしたのか?
⇒2011年12月27日 (火):オリンパス経営陣の罪と罰

菊川氏らの行為の全容はいずれ明らかにされるだろう。
もちろん、私には菊川氏らをかばうつもりはない。
しかし、劇場の観客席に身を置いて、彼らを糾弾する気にもなれないようだ。

今回の粉飾事件の源泉は、下山敏郎社長時代に遡るといわれる。
Photo
http://www.sankeibiz.jp/compliance/photos/111202/cpb1112021209001-p2.htm

旧日本陸軍の兵士として満州で終戦を迎えた下山。当時の指揮官から「地をはい、草をはみ、祖国再建のため尽くせ」と言われたことが、その後の会社人生の原点となった。
倉庫会社を経て昭和24年にオリンパスに入社。それまでの経験を生かして倉庫番となり、現場で商品の知識を蓄積した。頭角を現した下山は海外事業に携わり、38年にはトランク一つでドイツに乗り込み、1人で営業所を開いた。
ライバル会社を回って頭を下げて営業方法を研究したといい、雑誌のインタビューに「他社のまずいところを全部直してやってみたところ、うちの営業所は、3年で黒字になりました」。こうした功績が認められて出世階段を駆け上がり、59年に社長就任。オリンパスは消化器内視鏡の分野で世界シェア80%を誇るまでに成長した。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120217/crm12021707030002-n2.htm

まさに典型的な企業人の姿が思い浮かぶ。
山崎豊子の『不毛地帯』のモデルは、瀬島龍三氏とされるが、参謀(大本営、関東軍)だった瀬島氏よりも、おそらくは下の位だったと推測される。
私は、下山氏の陸軍での立場を知らないが、満州からの引き揚げには人に言えない苦労もあったはずだ。

五木寛之さんの『下山の思想』幻冬舎新書(1112)が広く読まれている。
五木さんは、朝鮮からの引き揚げ者だが、その体験が五木さんの生き方の根底を規定しているような気がする。
「下山」に掛けるわけではないが、下山氏のような人々が、荒涼とした敗戦後の山河の復興に尽力してきたのだろう。
つまり、戦後日本の登山期の功労者である。

1985年のプラザ合意を契機として、円高が進む。
Photo
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5070.html

営業利益は大幅に減少。下山の下でオリンパスは財テクに走り、バブル崩壊で金融資産の含み損が膨れ上がった。
平成11年5月。当時、森と一緒に損失を簿外のファンドに移す「飛ばし」を実行していた前監査役の山田秀雄(67)が社長室を訪れた。部屋の主は下山から岸本正寿(76)に代わっていた。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120217/crm12021707030002-n2.htm

私の記憶でも、財テクをしないのは無能というような雰囲気であった。
堅実をもって旨とするはずの銀行も例外ではなかった。
ごくわずかの例外を除いて、みな財テクに励んだのではないだろうか。

バブル崩壊によって、金融資産の含み損が膨れ上がったのは、共通である。
「飛ばし」も、金融知識が豊富な企業はこぞって実行していたであろう。
その代表選手が、日本長期信用銀行であり、山一証券であった。

長銀も山一も、結果として破綻した。
オリンパスは、今のところ上場を維持している。
しかし、英国人元社長マイケル・ウッドフォード氏は言う。

問題の会社買収は誰が主導したのか。主力取引銀行の三井住友銀行が買収資金を出したのなら、審査は適正だったのか。『飛ばし』の詳細がもっと明らかにされるべきだ。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120217/crm12021708140004-n1.htm

菊川氏ですら、トカゲの尻尾かもしれない。
おそらくは、日本の企業社会そのものが問われているのだ。

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2012年2月19日 (日)

自首と出頭/「同じ」と「違う」(42)

裁判員制度は定着した、のか?
先日も、一審無罪、二審有罪の「覚せい剤密輸事件」に関して、最高裁で無罪判断が示された。

国民の常識や視点、社会感覚を反映させるのが、市民が参加する裁判員裁判の大きな目的である。その趣旨に照らせば、当然の判断だと受け止めたい。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/287256

制度の趣旨からすれば、当然といえるかも知れない。
しかし、私は、裁判員制度自体に対する疑問が拭えない。
⇒2009年1月24日 (土):裁判員制度に関する素朴な疑問

実際の裁判に際しても、どう考えたらいいのか迷うだろうなあ、と思うケースが少なくない。
⇒2009年5月16日 (土):裁判員制度と量刑判断
⇒2009年6月10日 (水):刑事責任能力の判断と裁判員裁判
⇒2010年11月17日 (水):裁判員裁判の死刑判決と控訴を勧める裁判長

幸いにして、私が裁判員になって、実際に法廷の場に出る確率はほとんどないだろう。
昨年末に審理が開始された「東京、千葉、埼玉の連続不審死事件で、殺人罪などあわせて10件の罪に問われている木嶋佳苗被告の裁判員裁判」では、裁判員候補者の辞退が相次いだという。

さいたま地裁で5日に裁判員の選任手続きが行われたが、辞退者が続出した。裁判が100日にもなるからだ。
・・・・・・
このために集められた裁判員候補者は330人。通常は60人前後だ。裁判員を辞退した男性は、「長くても5日くらいと聞いたし、国が決めたことだからやろうかなって思ったけど、100日は無理です」と語った。
http://www.j-cast.com/tv/2012/01/06118172.html?p=all

まあ、通常の職業を持っている人は、ムリな日数ではないか。
ということは、裁判員裁判の趣旨である「国民の常識や視点、社会感覚を反映させる」こと自体が困難だ、ということにならないか?

私は、私たちのような素人が判決に参加することの危うさを払拭することができない。
法律の基礎的な概念すらあやふやだからだ。

オウム真理教の元幹部で、目黒公証役場事務長を監禁致死させた容疑で警察庁から特別手配されていた平田信容疑者が、大晦日の深更、出頭してきた。
歳が改まろうとする間際のことだったから、活字メディアにとっては、今年初のニュースということになる。
⇒2012年1月 3日 (火):ぼんやりした不安の時代

この出頭をめぐって、一種の茶番ともいうべき事態があった。

平田容疑者は最初、事件の捜査本部がある大崎署へ行ったが、入り方が分からずあきらめた。「公衆電話から警察のフリーダイヤルに10回以上かけたが、話し中だった」と弁護士に話している。110番し、平田信の担当部署はどこか―と名乗らずに尋ねると、「警視庁」と言われたため、警視庁本部へ向かった。
庁舎前を警備していた機動隊員に名乗り出たところ、取り合ってもらえず、650メートルほど離れた丸の内署へ行くよう指示された。丸の内署でも、初めは信じてもらえなかったという。

http://www.shinmai.co.jp/news/20120105/KT120104ETI090007000.html

何ということであろう。
気の小さな私などは、警察署の中に入るだけでも勇気が要る。警察官に職務質問などされたら、悪いことをした覚えがなくても身構えてしまう。
その警察が、自分から名乗っているにもかかわらず、たらい回しするとは!
平田容疑者は、名前と顔写真入りのポスターが全国に貼られている特別手配者である。
出頭時の容貌が余りにも手配書とは異なっていたということか?
とすれば、それはそれで問題であろう。

監禁致死事件にしろ、逃亡・出頭の経緯にしろ、あるいは一時関与が疑われていた国松警察庁長官狙撃事件にしろ、平田信容疑者には、数多くの疑惑が存在している。
その後、逃亡生活を支えた元看護師も出頭した。
オウム真理教の深い闇はおいおい解明されていくであろうが、どこまで明らかにできるだろうか?

ところで、「出頭」と「自首」はどう違うか?
大分県日出町の女児行方不明事件は、母親が死体遺棄容疑で逮捕されたが、優子容疑者は遺体遺棄を夫に告白後、県警に出頭していたと報じられている。
Yahoo知恵袋によれば、それぞれ、次のように説明されている。

「出頭」
事件、犯罪が発覚済みで、容疑者として特定されている人が「それは私です」と自ら警察に赴くこと。
事件、犯罪が発覚済みで、容疑者は特定されていないが「私です」と自ら警察に赴くこと。
「自首」
事件、犯罪が誰にも知られていない状態、警察も知らない。
当然、捜査、犯人探しもされていない。
その状態の時に「実は○○をやりました。私が犯人です」と名乗り出ること。

ポイントは、「事件、犯罪が発覚」しているか否か、である。
平田信容疑者の場合、公証役場事務長の監禁致死事件は公知であり、平田容疑者の存在も明らかにされていた。
だから、「自首」はあり得ない。
大分県日出町の事件では、母親は疑われていたのだろうか?

「自首」の場合には、減刑される可能性が大きい。
刑法では次のように規定している。

第四十二条  罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首したときは、その刑を減軽することができる。
  告訴がなければ公訴を提起することができない罪について、告訴をすることができる者に対して自己の犯罪事実を告げ、その措置にゆだねたときも、前項と同様とする。

「出頭」については、刑法に減刑の規定はないが、裁判において情状が考慮される可能性もある。
大分の母親は、「出頭」と報じられているから、「自首」ではないということになる。
背景には複雑な情状も予想され、裁判員は悩むことになるだろうなあ。

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2012年2月18日 (土)

小沢裁判に対する疑問

小沢一郎民主党元代表の政治資金規正法違反が問われている公判で、東京地裁は、小沢被告の関与を認めた元秘書の供述調書の多くを証拠から排除する決定をした。
小沢氏に対する好き嫌いといったレベルの問題を捨象すれば、この裁判は、あり得ることが不思議な感じのする裁判ではないだろうか?

何が問われているのか?

陸山会が購入した土地をめぐり、小沢氏から04年に購入費を借りて07年に返済するなどした経緯を、04、05、07年分の収支報告書に正確に記載しなかったとされる事件。東京地検特捜部は10年1月、衆院議員の石川知裕、大久保隆規、池田光智の3元秘書を政治資金規正法違反容疑で逮捕し、2月に起訴。小沢氏については市民団体の告発も受けて捜査したが、不起訴(嫌疑不十分)とした。市民団体はこの不起訴処分を不服として検察審査会に審査を申し立て、04、05年分の事件を担当した東京第五検察審査会は10年4月に「起訴相当」と議決。2度目の審査でも「起訴すべきだ」との起訴議決を10月に公表し、強制起訴が決まった。07年分を審査した第一審査会の議決は、強制起訴に至らない「不起訴不当」にとどまった。
陸山会の土地取引事件

つまり、収支報告書の記載が適切か否かということである。
最初、西松建設からの違法献金が疑われた。
小沢民主党代表の公設秘書が、西松建設が作った政治団体をダミーにした政界へのトンネル献金疑惑で逮捕されたのだった。
政権交代へと時代が動こうとしているときだったから、衝撃は大きかった。
⇒2009年3月 4日 (水):小沢スキャンダルは、自民党の神風になるか?

推定無罪という法理がある。

刑事裁判で、証拠に基づいて有罪を宣告されるまで、被告人は無罪と推定されるべきであるということ。疑わしきは罰せずを原則とする。
デジタル大辞泉の解説

ところが、わが国の刑事裁判では、起訴されるとほとんど有罪になることから、起訴すなわち有罪と見なされる傾向がある。
そのような事情からか、当時の与党の自民党サイドに情報操作の疑いもでて、なにやら陰謀めいた成り行きになった。
⇒2009年3月12日 (木):情報源の秘匿と知る権利

結果的に小沢氏は、秘書が逮捕された責任をとって代表を辞任し、総選挙では民主党が圧勝して政権交代が実現した。
小沢氏の後を受けて代表の座についた鳩山由紀夫氏が首相になり、鳩山氏の政権運営が躓いて、菅直人前首相となった。
小沢氏は代表戦に立って菅氏と争ったが、菅氏が勝利した。
⇒2010年9月15日 (水):民主党の代表選結果の感想

菅氏が、反小沢によって支持率を上げることができると考えたのは間違いない。
しかし、軸となるべき綱領も定められないまま政権党になった民主党が迷走するのは必然だったといえる。
⇒2011年1月 5日 (水):綱領なき民主党の菅VS小沢の不毛な争い

しかも、検察が不起訴だとする判断を不服として、検察審議会の議決を受けた。
2度に渡る「起訴相当」の議決によって、法の定めによって、小沢氏は強制起訴を受けることになった。
民主党の執行部は、このことをもって小沢氏の処分に踏み切った。
ニュージーランドで起きた地震により日本人留学生が多数亡くなったという状況のとき、推定無罪の原則を捨てることに熱中したことを、われわれは記憶にとどめておいた方がいいだろう。
⇒2011年2月25日 (金):民主党の小沢処分をどう考えるか?

自然現象としてのニュージーランドの地震と、東日本東北沖太平洋地震は、直接は関係ないだろう。
しかし、震災という社会現象は、対応の仕方で被害の程度が変わる可能性がある。
少なくとも、災害の復旧や復興は、政治が何に力点を置いているかによって、大きく異なってくるはずである。

ところで、小沢氏の裁判の行方はどうなるであろうか?
もちろん予断は許されないが、まあ、証拠が不採用では有罪の立証は困難になったと見るべきだろう。
関係者の感想は以下のようなものだ。

検察幹部や識者らは厳しい検察批判と受け止め、「特捜の惨敗」という声もあがった。
・・・・・・
小沢被告の弁護団は閉廷後に記者会見。主任弁護人の弘中惇一郎弁護士(66)は、陸山会元事務担当者・石川知裕衆院議員(38)の調書の大半を却下した今回の決定によって「有罪とする証拠はほとんど消えた」と評価し、「最終的に無罪あるいは公訴(起訴)棄却を勝ち取りたい」と自信をのぞかせた。
・・・・・・
一方、指定弁護士の大室俊三弁護士(62)も閉廷後に取材に応じ、「予想の範囲。間接事実の積み重ねで、十分有罪を立証できる」と強気の構え。
特捜の惨敗?小沢氏側「有罪の証拠消えた」

小沢氏の場合、冤罪という言葉は相応しくないかも知れない。
⇒2010年10月 8日 (金):冤罪と推定無罪/「同じ」と「違う」(22)
しかし、時間は非可逆的であり、裁判の結果が無罪であったにせよ、取り返せないことがあるのも事実である。
検察審査会の制度が問われることにもなろう。
⇒2010年10月 9日 (土):検察審査会/理念と現実の乖離(4)

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2012年2月17日 (金)

平成という元号/やまとの謎(56)

私は、小渕官房長官(当時)が、「新しい元号は、平成であります」とTVで伝えた様子を、つい昨日のことのように覚えている。
その平成も24年で、すでに「昭和は遠くになりにけり」である。昭和はもはや、レトロということだろう。
淡島千景さんの訃報が伝えられているが、昭和の雰囲気を持った女優だった。

ところで、平成生まれの人は、日本人の中でどれくらいの割合を占めているのだろうか?
毎日、入れ替わっているから、正確な数値は分からない。
少子化傾向が顕著とはいえ、すでに大学卒業者もいるのだから、3割程度は平成生まれになっているのではないだろうか。

元号が法制化されたのは、昭和54(1979)年のことであった。
端的に言えば、昭和天皇の健康状態に不安な要素が感じられるようになってから、政府関係者は本気で検討したのではないか。
天皇の健康状態といえば、今上天皇が東大病院に入院されたというニュースが流れている。
心臓・冠動脈のバイパス手術のためと報じられている。手術は、18日午前中に始まり、およそ5時間ほどかかる見通しだといわれている。

大手術でリスクも大きいのではないかという気がするが、施術例も多いそうだから、余り心配しなくてもいいということだろう。
陛下は昨日も通常通り公務をされたというが、年齢を考えれば、何らかの形で公務の負担を軽減すべきではないか?
⇒2011年12月 5日 (月):天皇の公務について/やまとの謎(52)
皇居にはお見舞いの記帳所が設けられ、多くの人たちが駆けつける様子が放映されていた。

昭和という元号は、法制化にかかわりなく使われていた。
しかし、皇室典範が現行のものになってから、元号の明文的な規定は消えており、改めて法制化が図られたのである。
元号法は、以下がすべてであり、法律といえば逐条解説されるようにややこしい、というイメージからするとまことに素っ気ないものといえよう。

元号法
(昭和五十四年六月十二日法律第四十三号)

 元号は、政令で定める。
 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
   
附 則
1  この法律は、公布の日から施行する。
2  昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。

つまり、実質的な規定は、「皇位の継承があった場合に改元する」ということだけである。
皇位の継承については、皇室典範で次のように規定されている。

第4条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。

つまり、元号が改められるのは、天皇が崩じたときである。
皇嗣とは、皇位継承順位の第一位の人であり、通常は皇太子ということになる。

「文藝春秋12年新年特別号(1月号)」に、『<問題提起/民主党政権下で>平成が終わる日』という産経新聞記者・大島真生という署名記事が載っている。
産経新聞は、尊皇的なイメージがあるから、オヤッという感じである。

タイトルは編集部が付けたのかも知れないが、素直に解釈すれば、「民主党政権下で今上天皇が崩じる」ということに関する「問題提起」である。
相次ぐ失政によって、民主党政権は次の総選挙までの可能性が大きい。
いつ解散総選挙があっても不思議ではないし、長くても、衆議院議員の任期は、残り1年半である。
取りようによっては、ずいぶんと不敬なタイトルということにならないか。
尊皇派とはいえない私でも憚られる。

私の運転免許証の有効期限は、平成22年09年08日である。
すでに失効していると思われるだろうが、病気療養中ということで、停止の申請をしている。
しかし、現在の状態では、再度有効化することがあるのかどうか心許ない。
身体障害者手帳には、平成23年4月14日再交付と記されている。
つまり、これらの証明書の類は、元号で表記されているのである。

今年運転免許証の更新をするゴールド免許の人は、当然平成29年という有効期限が示されることになる。
文春のタイトルについていえば、私には民主党政権がそんなに長く続くとは思えない。
それはともかく、現在は改元は皇位の継承があったときに限られ、天皇が崩じたときには「直ちに」即位するということだから、年の途中で改元ということになる。
昭和から平成への改元は、布告の翌日から後を新元号の元年とした(翌日改元)が、大正から昭和への改元は、改元が布告された日から後を(布告された日の始まりに遡って)新元号の元年とした(即日改元)。
私は諸般の事務を考えると、布告の年の末日までを旧元号とし、翌年の元日から新元号を用いる(踰年改元)がベターではないかと思うが、少数意見だろうなあ。

元号を日本固有の文化のように捉え、大事にしようという意見がある。
元号法や皇室典範に見るように、元号制度と天皇制は不可分であるといえよう。元号を大事に、という人は、基本的に尊皇派だと思う。
元号の由来が、「天子が特定の時代に元号という名前を付ける行為」であるとすれば、余り合理的でないと思うが、何事も合理的が良いとは限らないし、何をもって合理的と考えるかについても個人差があるだろうから、まあ強く主張するほどのことではない。

元号と年号は、同義的に用いられているようである。
「白鳳」など、古代の年号の謎については、まだ「分かった!」というよりも「謎が深まった」という感じである。
⇒2008年2月20日 (水):白鳳年号について
⇒2008年10月29日 (水):小林惠子氏の高松塚被葬者論…⑤大津皇子と朱鳥(朱雀)年号

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2012年2月16日 (木)

宜野湾市長選の結果

注目の宜野湾市長選は、佐喜真氏が伊波氏を破って、初当選した。
開票結果は以下の通りであった。

▽佐喜真淳、無所属・新、当選、2万2612票。
▽伊波洋一、無所属・元、2万1712票。

900票の差は投票総数の2%程度であり、まあ僅差といっていいだろう。
防衛省の真部朗沖縄防衛局長が、投票を職員に呼びかける「講話」をした問題は、投票結果にどう影響したか?
直接の影響は小さかったかも知れないが、選挙期間中もメディアが大きく取り上げていれば、あるいは市民の反感を買って、逆転する結果になっていたかも知れないのでは、と思う。

佐喜真氏は、自民党、公明党、新党改革が推薦し、伊波氏は、共産党、社民党、地域政党の沖縄社会大衆党が推薦するという「保革」対立の構図だった。
政府与党の民主党はどう動いたか?

鳩山政権が「県外・国外移設」を目指しながら、「辺野古」に回帰した後遺症は根深く、県連は今回、自主投票を決めた。県内選出の国会議員は「基地問題に関しては一緒にやる。我々は『県民党』だ」と革新陣営を支援しているが、民主党選対幹部は「各自の考えでやっていること。あまりもめたくない」とおとがめなしだ。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120205ddm003010164000c.html

自主投票?
宜野湾市は、市の中心部にアメリカ軍普天間基地が存在している。
普天間基地は国政上の重要課題である。
2人の候補者の訴求していた政策と政府の方針に齟齬がなければ、まあ自主投票も許されよう。

佐喜真氏は、かつて普天間基地の県内移設を容認していたが、選挙戦では、仲井真知事とともに、県内移設に反対し、固定化阻止を前提に県外への移設を進めると主張していた。
一方の伊波氏も、アメリカ軍普天間基地の閉鎖・返還の実現に取り組むつもりで戦ったという。
普天間基地の県内移設に反対するという点においては、2人とも共通であった。
野田首相は、辺野古移転が唯一可能な解決策だと国会で公言している。
明らかに、両候補者の訴求していることと相容れない。
なぜ、政府・与党の政策を体現する候補者を擁立しないのか?

しかし、今に始まったことではない。
沖縄知事選の時もそうだった。自公の推薦した仲井真氏も対抗馬だった伊波氏も、当時の菅内閣の基本点である「普天間基地の日米合意」を容認していない。
いずれの候補者が当選しても、菅政権が暗礁に直面するのは明白であったのにもかかわらず、自主投票とした。
⇒2010年11月13日 (土):菅内閣の無責任性と強弁・詭弁・独善的なレトリック

政府・民主党のホンネに関して、次のような解説がある。

名護市辺野古への移設を目指す政府が自公陣営の勝利を望んでいるのは明らかだ。政府が06年、「辺野古」の現行案を盛り込んだ在日米軍再編ロードマップ(行程表)を米国と合意した際、政権与党は自公両党。政府関係者は「知事が現行案を容認した場合に同調してくれる市長が誕生すれば花丸だ」と本音を明かし、期待をかける。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120205ddm003010164000c.html

政府が自公陣営の勝利を望んでいるのは明らか?
ここでも、政権交代の意味が問われるといっていいだろう。
佐喜真氏が当選して、政府内では安堵の雰囲気があるという。
革新陣営が勝利すれば辺野古移設に向けた状況は厳しさを増すことは確かだろうが、余りにも当事者意識を欠いているのではなかろうか。

田中防衛相は、「佐喜真氏と機会があればお目にかかりたい。連携を密にしていければと思っている」と述べ、佐喜真氏との信頼関係構築に意欲を示したが、田中氏自身、余命幾許もないであろうから、佐喜真氏も本気で腹を割って話すとは思えない。

自民党の大島理森副総裁は、「普天間を絶対固定化させないという意思が示された」と語っているが、それではどういう方向で解決しようというのか。
アメリカの意向もある。
拓殖大学大学院教授・森本敏氏によれば、米軍は、「中国」と「カネ」の2つの要因で、アジア太平洋地域の体制を再編しようとしている。

米政府は発想を転換して、普天間飛行場問題と在沖縄海兵隊のグアム移転を切り離してきた。沖縄にとり海兵隊のグアム移転の先行実施はその分、負担軽減につながり歓迎すべきことだ。ただ、グアム先行移転によって普天間飛行場移設の問題が停滞したのでは元も子もない。普天間飛行場の固定化・恒久化はあってはならず、この危険な基地の返還は、米軍駐留を安定して継続するためにも実現しなければならない。
http://sankei.jp.msn.com/world/print/120216/chn12021603100001-c.htm

中国や北朝鮮の変化を見据えて防衛大綱・中期防を改めることが喫緊の課題であるが、田中防衛相には荷が重すぎる課題であるのは目に見えている。
野田首相の任命責任が問われるのは必至である。

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2012年2月15日 (水)

春を待つ心境/闘病記・中間報告(39)

今日の産経俳壇の宮坂静生氏の選の句は、入院生活を思い出させるものだった。
浜松市の宮田久常さんという方の作である。

流刑地に居るがごとくに春を待つ

<評>
シベリア大陸などの極寒の地を想像する。或いは体調を崩し春を待つ一途な思いはこんな比喩にすがりたい。春は、芽が張る、万物漲るとき、待つとは純なる思い。

私は、2年前の今頃は、伊豆山中の病院に入院中だった。
映画監督の五所平之助は、五所亭の俳号で知られる俳人でもあったが、次の句がある。
⇒2011年10月15日 (土):五所平之助/私撰アンソロジー(8)

霧湧きて伊豆に遠流の如く住む

流刑地といえば、宮坂氏もいうように、シベリアなどが先ず浮かぶ。
日本でも、明治時代に刑法が制定される前は、刑罰として流罪があった。
死刑の次に重い刑である。
日本には数多くの離島があるから、流刑地に事欠かないが、かつては伊豆も有名な流刑地であった。

流刑地といえば文化果つる地のようなイメージがある。
しかし、流罪に処せられるのは往々にして政治犯であった。
政治犯は多くの場合文化人であったから、流刑地には豊かな文化が伝えられる例が多かった。
佐渡などはその例である。

平治の乱で敗れた源義朝の子頼朝は、死罪となるところを平清盛の義母池禅尼の嘆願で助命され、伊豆国の蛭ケ小島へ流罪となった。
蛭ヶ小島は、伊豆の国市(旧韮山町)にあるが、「どこが島?」というような田園地帯である。
島は、水田の中にあった微高地を指していると考えられ、蛭が多かったことから付いた名といわれる。
現在は、頼朝と北条政子の銅像が建っている。
Photo
http://www.mapple.net/spots/G02200233101.htm

しかし、頼朝の流刑地ははっきりしていないらしい。

歴史的には「伊豆国に配流」と記録されるのみで、「蛭ヶ島」というのは後世の記述であり、真偽のほどは不明。 発掘調査では弥生古墳時代の遺構・遺物のみで、平安時代末期の遺構は確認されていない。『吾妻鏡』では頼朝の流刑地について「蛭島」とのみ記し、当地が比定地であるかは不明。
現在、「
蛭ヶ島公園」として整備されている場所は、江戸時代に学者の秋山富南が「頼朝が配流となった蛭ヶ島はこの付近にあった」と推定し、これを記念する碑が1790年に建てられた。これが「蛭島碑記」で市の指定文化財となっている。
蛭ヶ小島

私の入院していた病院は、蛭ヶ小島よりずっと山に入った場所だった。
一昨年は4月に積雪があったりして、極寒の地に近い状態だったのは事実である。
しかし、首都圏をはじめ、京阪からも見舞いに来てくれる旧友がいたのだから、流刑地などと言っては申し訳がない。

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2012年2月14日 (火)

Facebookとデジタル・デバイド/知的生産の方法(18)

フェイスブックが広く認知されたのは、昨年の初めといっていいだろう。
⇒2011年1月31日 (月):フェイスブックは日本でも大きなシェアを占めるか?/知的生産の方法(9)
どうやら、「大きなシェアを占めるか?」というQに対しては、現時点ではYesが正解のようである。

上場申請を済ませ、巨額の資金調達をするらしい。
全世界で8億4500万人が利用しており、毎日2億5000万枚の写真がアップロードされているという。
日本のユーザーはどんな年代構成か?
Photo
http://dt.business.nifty.com/articles/12352.html

利用者を年代ごとに見ると、45―49歳がピーク。続いて50―54歳、40―44歳となっている。
意外と高い年齢層のような気がするが、65歳以上は1括りになってしまうようだ。

今朝の産経新聞の一面トップに、佐賀県武雄市が、Facebookを業務に使うことを義務づけた、というニュースが載っていた。
Facebookは実名で使用することとされている。
私も、個人的に、試用的に使用している段階で、ヘビーユーザーではない。
武雄市では、市のオフィシャルサイトを昨年8月からFacebookに移行したという。

早速、武雄市のサイトを見てみると、確かにFacebookである。
http://www.facebook.com/takeocity#!/takeocity?sk=wall
Facebook化によって、5万件/月の訪問者が330万件に増えたという。
樋渡市長は、「市民とのやりとりの可視化」と自賛している。
まあ、アクセス数が増えたのは、コミュニケーションにとってプラスであろう。

横手市でも、Facebookによる情報発信を始めるという。
3月末まで試行して、有用性などを確かめたうえで、4月以後も続けるかどうか検討する。

市は、11日に始まった雪まつりに合わせ、発信を始めた。直前に岐阜でかまくらの崩落事故があり、心配する声が寄せられたため、10日のフェイスブックで「横手のかまくらは構造が違い、安全です」と語り、「かまくらの作り方」の動画が見られるようにした。
http://mytown.asahi.com/akita/news.php?k_id=05000001202140001

武雄市では、64歳の女性の、「パソコンが使えないから関係ない」という市民の声が紹介されている。
まだまだパソコンに不案内な人は多いだろうから、その辺りをどう考えるか?
まあ、そういう人は、市のサイト自身関係ないと言っていいかも知れない。
しかし、「パソコンが使えないから」という程度が、どの程度か。

Facebookのようなソフトと、Smartphoneに代表されるハードが相まって、身の回りは急速にデジタル環境が増えている。
いわゆるデジタル・デバイドは、いろいろな局面で顕在化してくると思われる。
まあ、読み書きソロバンといわれた時代から、リテラシー格差はあったのであり、デジタルだけがリテラシーではないこと、英語公用語論と同じようなことだろう。
効率化が進んで、その分他の仕事に手が回るならば、Facebookでも何でも使えばいい、と思う。

問題になるのは、やはり高齢者であろう。
若者は、必要に応じて環境に適応していく。
私たちのような高齢者は、ハンディキャップを負いがちであるが、私は自分なりの利用方法を見つけ、幾分かでも快適・利便な生活を過ごすために、高齢者こそ率先してトライすべきだと考えている。

パソコンなどの操作は、「習うより慣れろ」である。
とはいうものの、ある程度までは人に聞かないとどうしていいか、どこが分からないかが分からない、という状態であることも体験するところだ。
人に聞く場合、「親しい人に聞くのが最も良い」ように思うが、必ずしもそうとは言えないようである。

我が家の場合、妻は、基本的にアナログ人間である。
料理などは好きで、私が見ていても飽きずにやるものだと思うし、自分なりの創意工夫もあるようだ。
しかし、パソコンの類は基本的に苦手である。
メールも、携帯(いわゆるガラケー)の方がやりやすいらしく、ほとんどが携帯で済ませている。
それでも、当初、携帯電話を持つことすらためらっていたことを思えば、驚くほどの変貌ではあるが。

それが、どういう風の吹き回しか、某NPO法人が行っているパソコン講座に通い出した。
本人は、ワープロ専用機の時代は良かったが、パソコンになってから訳が分からなくなった、ということだ。
ワープロはパソコンが特化したもの、という私の説明では納得しない。
そこで一念発起して、ということになったようであるが、1回の受講料が、ワンコインつまり500円というボランティア料金であるのが引力であるに違いない。
当然、受講時間内に完璧に理解できるはずがなく、家で復習ということになる。
私も、できるだけ辛抱強く、私の理解していることは教えようと接しているが、余り同じことを何度も聞かれると、つい声が荒くなる。

今度は、娘をつかまえて、あれこれ聞いている。
娘は、高齢者の扱いに慣れているというか、昔に比べずいぶん辛抱強く丁寧に教えているが、やはり終いには口喧嘩状態である。
どこかで覚えのある体験だと考えてみると、ゴルフのラウンドのとき、似たようなことがあった。

今は昔、バブル華やかなりし頃である。
妻も誘われて、ゴルフの打ちっ放しの練習場に行ったりしていたことがあった。
たまにはコースに出ないと、ゴルフの醍醐味は分からない。
と考えて、一緒に近隣の某名門コースに出かけた。

ラウンドし始めて、すぐ間違いに気づいた。
私の知り合いにも、夫婦で仲睦まじく出かける人はいる。
しかし、我が家の場合、ムリというか無謀であったというべきであろう。
ほんの数ホールのうちに、険悪なムードになり、妻も私も、コリゴリだと悟った。

ゴルフもパソコンも、初心者のレッスンは、他人が行った方がいい。
もう少し拡大して考えると、初等教育全般についても言えるのかも知れない。
家族だと、間合いの置き方が難しいのである。

知人の教師の家庭をみても、何となく納得できるようだ。
両親が教育者という家庭で、理想的な初等教育だと感心させられる例は意外と少ない。

パソコンの例に戻ると、妻は、私の使ったことのないソフトや機能に挑戦しようとしていることもある。
私も一緒に、あれこれ試してみて、使い方が分かったりすると、まあ満足が得られる。
つまり、その段階までは他人のお世話になった方がいいようだ。

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2012年2月13日 (月)

『雪国』と文体/知的生産の方法(17)

文体という言葉がある。
辞書的にいうと、以下の通りである。

文章様式口語体・文語体・和文体・漢文体・書簡体・論文体など。
その
作者にみられる特有な文章表現上の特色。作者の思想個性が文章の語句語法修辞などに現れて、一つの特徴傾向となっているもの。スタイル
http://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E4%BD%93

たとえば、『雪国』と『新・雪国』は、「」については「同じ」であるが、「」については「違う」と感じられる。
⇒2012年2月 9日 (木):『雪国』と『新・雪国』/「同じ」と「違う」(41)
その違いは、作者の個性を反映しているであろう。
文体について、定量的な研究は、たとえば邪馬台国研究者として著名な安本美典氏などが行っている。

『雪国』の冒頭は、日本文学の中でも最も有名なフレーズの1つであろう。

国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国だった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。………

Photo_3(写真は、湯沢町観光協会のサイト)
イラストレーターの和田誠さんが、この一節を材料にして、有名作家などの文章を模写してみせる、という遊びを長いこと続けている。
手許の『倫敦巴里』話の特集社(7708)を見ると、最初は、雑誌「話の特集70年2月号」に掲載された『雪国・またはノーベル賞をもらいましょう』のようだ。

ちなみに、川端康成が、日本人としては初めてノーベル文学賞を受賞したのは、1968年10月のことであったから、和田誠さんの試みは、ノーベル賞が1つのきっかけになったのであろう。
この号では、庄司薫、野坂昭如、植草甚一、星新一、淀川長治、伊丹十三の各氏の文体が模写されている。
いずれも当時の人気文筆家であり、和田さんの本業である似顔と共に、それぞれの文体の特徴を捉えた文章載っている。

この企画は大好評だったと思われる。
同誌の72年11月号に『雪国ショー』、73年12月号に『新・雪国』、75年2月号に『又・雪国』、77年2月号に『お楽しみは雪国だ』と続いた。
これらは『倫敦巴里』に収載されているが、その後も試みは続いていて、「本の雑誌2001年1月号」に、『海外篇』が掲載されている。
『海外篇』とは、例えば、小田島雄志訳のシェイクスピアなどである。
恐れ入るばかりの才気と根気である。

雰囲気を伝えるために一部をコピーしよう。
Photo_4
肝心の文章は、たとえば、野坂昭如氏。

国境の長いトンネルを抜ければまごう方なきそこは雪国。夜の底白くなり、信号所に汽車が止まると向こう側の座席から一人の女立ち上がり、あれよと見守るうち、島村の前のガラス窓落としたから雪の冷気いやが上にも流れこむ。………

あるいは、伊丹十三氏。

列車が国境の長いトンネルを抜けたとお考えください。そこは雪国であった。
いや、実に雪国なんだなあ。川端康成氏なら、その時の感じを、かくも表現したであろうか。すなわち、夜の底が白くなった。
おもんぱかるに、そのあたりは新潟県湯沢温泉ということになる。………

如何であろうか。両氏の文体の特徴を実にうまく捉えている。
まさに、「野坂昭如氏ならば、あるいは伊丹十三氏ならば、かくも表現したであろうか」という感じである。

このような試みが成立するのも、和田さんが類い希なる才能の持ち主だからであるのは言うまでもない。
同時に、『雪国』そのものの魅力と、その特に冒頭の部分が、川端のノーベル賞受賞なども含めて、多くの人に知られているからであろう。
しかし、文章とは個性的である。
というより、個性が分かるような文章の書き手になりたいものだ。

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2012年2月12日 (日)

トイレの考現学/闘病記・中間報告(38)

脳梗塞の後遺症はやっかいである。
しかし、リハビリの効果は、緩徐的ではあっても未だ確かにある。
人生における緩徐楽章(adagio)と思って、続けるしかない。

当初、全廃とされた右上肢も少しは動くように成り、単純で軽度の補助作業に参加している。
まあ、これからは希望的観測ではあるが、「使えば使うほど良くなる(ポジティブ・フィードバック)」のではないか。

ADL(日常生活動作)の中でも、トイレは基本だろう。
リハビリ専門病院を退院するときの課題の1つが、「トイレは大丈夫か?」ということであった。
幸いにしてわが家のトイレは下のごとくである。
Img_01722_2
腰掛けた時、右片麻痺だと、麻痺側に操作位置があって、それが心配されたのだが、これくらいの位置なら左手でも操作できる。
今では、ボタンを押す程度は右手指でも可能である。

現在は一般家庭でもこのような腰掛け式(洋式)のものがほとんどであろう。
これが私の若い頃、借家住まいの頃は、和式トイレがほとんどで私の住んでいた所もそうだった。
片麻痺になって初めて分かったことの1つが、「しゃがむ」という動作が困難であることだった。
したがって、和式トイレだと、不可能ではないが著しく困難である。

汚いものの代名詞であった駅のトイレなどもずいぶんキレイになった。
商業施設でも、和式トイレが多かったが、洋式トイレが増えてきた。しかし、古くてリニューアルしていない商業施設では和式トイレのままである。
新幹線などは、和洋併存である。
私よりもっと高齢者の中には、洋式トイレがイヤだという人が結構いる。

幸いなことに、身障者用トイレも増えてきた。
基本的には洋式で、手すりなども付いていて、清潔感がある。
しかし必ずしも「おしり洗浄式」ではない。
あるドラッグストアのチェーン店の店舗の身障者共用トイレは、手すり(画面右上)はあったが、「おしり洗浄式」ではなかった。
Img_01932

また、歴史のある(すなわち古い)某大型商業施設の身障者用トイレでは、いささか困惑した。
トイレ自体はリニューアルされたもので、大変立派な洋式の「おしり洗浄式」のものであった。
Img_00882
すこぶる快適な使用感である。

何に困惑したか?

操作盤の位置が遠いのである。
右手がまっすぐ伸ばせれば、力そのものはたいして必要はない。
しかし私の右手では、この写真の位置まで持ち上げるのが困難なのだ。
結局、中腰になって左手を使ったのだが、バリアフリーのつもりでも、健常者にはまさかと思うようなバリアがあるのである。

さすがに、いま通院している病院のトイレはそんなことはない。
手すりもついて、操作盤も届く位置にある。
Img_01912

トイレのついでに。
人間にとって直立二足歩行ができるようになったことが、発達の大きな契機であるといわれる。
車いすから自立歩行に移ったときは、やはり世界が違って見えた。
そして、男子用トイレでいわゆる立小便ができるようになったとき、「よくぞ男に生まれける」という「男子の本懐」ともいえる喜びを覚えたことを記憶している。

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2012年2月11日 (土)

建国記念の日と神武天皇の遺伝子/やまとの謎(55)

今日は「建国記念の日」である。
既に下り坂にさしかかっていた気配のあったわが国は、「3・11」によって、いよいよ未曾有ともいうべき国難に直面しているようだ。
そういう時期に、あらためて国の存立に思いを致す日があってもいいだろう。
私は、「建国記念の日」を設けること自体は賛成である。
⇒2011年2月11日 (金):建国記念の日とどう向き合うか?/やまとの謎(27)

「3・11」により、「絆」ということが強調され、去年の「今年の漢字」にもこの字が選ばれた。
⇒2011年12月12日 (月):今年の漢字は、「絆」
2月11日と定めた根拠は、記紀が記す神武天皇の事績である。
今年は、『古事記』が、太朝臣安萬侶によって献上されたといわれるときから、1300年という節目の年であるし、大震災後はじめての「建国記念の日」であるから、格別の位置を占めている。

『日本書紀』によれば、初代神武天皇は「辛酉年の春正月の庚辰の朔」に橿原宮で即位した。
西暦に直すと紀元前660年の2月11日に当たるとして「紀元節」が定められた。
敗戦後、紀元節はGHQにより廃止されたが、昭和42(1967)年から「建国記念の日」として祝日化された。

紀元節が廃止されたには、いわゆる皇国史観と密接に結びついてついていたからである。
即位を前にしての神武天皇の令に、「六合(くにのうち)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いへ)にせむこと、亦可(またよ)からずや」(国を一つにして都を開き、天地四方の人々が一緒に住む家のようにしよう。それはすばらしいことだ)という言葉がある。
ここから「八紘一宇」という大東亜共栄圏のスローガンが生まれた。

大東亜戦争(太平洋戦争)の評価も分裂している。
私は、アジア諸国への侵略という側面から目を逸らすべきではない、と考える。
「八紘一宇」という四文字言葉が、日本の植民地主義の代名詞として機能したということである。
しかし、それは反日的な自虐史観であると非難とする考えがある。たとえば、今日の産経新聞の主張(社説)欄は、次のように言う。

『古事記』や『日本書紀』などには、国生みの神話などに続いて神武天皇即位の記述がある。現在の「建国記念の日」につながるものだが、残念ながら戦後、神話も建国のいわれも皇国史観や軍国主義に結びつけられ排除された。
代わって反日的な自虐史観が勢いを増し、健全な愛国心が希薄になった面もある。自国の歴史を否定する国家にどうして民族の誇りや自信が育ち得ようか。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120211/trd12021103020001-n1.htm

私は、戦後精神が盛んだった時期に学校教育を受けたから、その影響はあるだろう。
しかし、教育現場で、あからさまに活動家の姿を見せた教師は皆無だったように思う。
そして、愛国心は自然な感情として持ち合わせていると思うし、日の丸の国旗はすばらしいデザインだと思う。
自虐史観というよりも自省史観というべきではなかろうか、と思っている。
自分たちの国の歴史を客観的に省みたいし、反省すべきは反省したい。

「絆」の根拠として、「八紘一宇」という言葉を再評価しようと考える人もいる。
たとえば、産経新聞の【土・日曜日に書く】というコラムで、論説委員・皿木喜久氏は、『日本人の絆は「神武」以来』という文章を書いている。

あの大震災以来、家族や地域、そして国民の間の「絆」の大切さが言われている。昨年の「今年の漢字」ともなった。その一方、例えば津波による膨大なガレキの受け入れ、処分を頑強に拒否する地域があるなど、「絆」のほころびも目立つ。
だが日本では「神武」の時代からそうした「絆」を国づくりの理念としてきた。そのことに気づいた明治維新期の人たちは、受け継ぐため「紀元節」を設けた。
大震災による未曽有の危機を乗り越えるため、現代の政府も国民も、もう一度そのことに気づきたい。そして虚心坦懐に今日の「建国記念の日」を祝いたいものだ。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120211/art12021103050001-n1.htm

ガレキの受け入れについては、静岡県の市町でも対応が揺れている。
総論賛成各論反対という地域エゴも感じられるが、根本に、「政府の言うことに対する不信感」があるように思う。
放射能のように、「目に見えず」「直ちには健康に影響がない」といわれる害悪にナーバスになる住民感情も分からないではない。
私自身は、一定の基準値以下のガレキ受け入れには賛成であるが。

女性宮家創設の問題等、皇室をめぐる課題は多い。
折しも、天皇陛下は心臓の検査を受けられるため、東京大学附属病院に入られたとのことである。
去年も2月11日に検査入院しているから、ちょうど1年ぶりである。
検査の結果はいずれ公表されるであろうが、現時点では不明である。しかし、急速に大事に至るようなことはないと思われる。
それはそれとして、皇室典範の論議においては、皇位継承の問題も避けては通れないであろう。

皇位は世襲によると定められている。
世襲以外に妥当な方法があるとは思えないが、世襲というのも「論理」に馴染みがたい。
そこで、神武天皇のY染色体を継承しているから天皇は男性でなければならない、という「Yの論理」が喧伝されることになる。
代表は、雑誌「正論」11年04月号に寄稿している八木秀次、新田均氏らである。
⇒2011年1月10日 (月):皇統論における「Yの論理」への疑問

しかし、神武天皇のY染色体とは何だろうか?
Y染色体は、父親から息子に継承されるといわれる。
息子の数は、今の時代では、0か1であり、2は稀、3以上は例外的である。
0があればそこで途絶する。したがって、直系にこだわれば、途絶するのは時間の問題であろう。

そこで、女性宮家の創設ということに繋がるのであろうが、皇室典範の改正論議では、皇位継承の問題は、当面封印されるらしい。
かつては、正妻以外の女性も正式に存在を認められていたから、複数人の息子を認知できた。
仮に、息子2人として計算すれば、特定の男性のY染色体を共有する男の数は以下のようになる。
1代:2人
2代:4人
3代:8人
n代:2のn乗

今上天皇は、125代だから2の125乗。
いくつになるか?
42,5352,9586,5117,3079,3292,1825,9289,7102,6432
である。
http://www.ffortune.net/kazu/kazu/bin.htm

日本人の人口を1億3,000万人(130,000,000人)とすれば、その数の余りの大きさが実感できるだろう。
言い換えれば、現代の我々の中にも神武天皇と同じ遺伝子を持つ人間が数多くいるのである。
また、神武天皇自身、同じY染色体を持つ同世代人は無数にいたであろう。
要は、価値を見いだすための差別化のファクターに、血統は意味がないということではなかろうか。
だとしたら、世襲を正当化する論理をどう考えるのか?

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2012年2月10日 (金)

地震の発生確率の伝え方②/東大地震研平田教授の意見

地震の発生確率とは何だろうか?
その含意を理解するのは難しい。
⇒2012年2月 6日 (月):地震の発生確率の伝え方
⇒2011年5月12日 (木):地震の発生確率の意味/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(26)

「週刊文春120216号」に、『東大地震研 平田教授の「正体」』というセンセーショナルな記事が載っている。
平田教授とは、「首都直下型 4年以内70% 地震活発 切迫度増す」という読売新聞記事で有名になった“渦中の人”である。
その平田教授が、週刊文春の取材に次のように応答したというところから記事は始まる。

「だからね、その数字に意味はないって何度も言っているでしょ。五年~七年というのも僕のヤマ勘ですよ、ヤマ勘!」

どういうことか?
世間をあれだけ賑わせておいて、「意味はない」とか「ヤマ勘」とは??
上記の「五年~七年」というのは、「最近のデータを加味すると、5~7年以内に70%の確率でM7が起こる」という「日刊ゲンダイ」紙のインタビュー記事のことである。

京大防災研の遠田晋次准教授の28%という再計算結果についてはすでに触れた。
⇒2012年2月 6日 (月):地震の発生確率の伝え方
この違いは、遠田准教授によれば、算出の基になるデータの期間の差異だという。
時間の経過と共に誘発地震は減っていくが、平田教授らは、3月11日~9月10日までのものだという。

私は、誘発地震が減っていくことを考慮に入れ、計算しているものだと思っていた。
読売新聞記事に関しては次のような注釈(クレーム?)が、地震研の広報アウトリーチ室のサイトに載っている。
主として「表現上の問題」についての指摘のようである。

  • 「同研究所の平田直教授らは(中略)マグニチュードが1上がるごとに、地震の発生頻度が10分の1になるという地震学の経験則を活用し、今後起こりうるM7の発生確率を計算した」という説明は正確ではない.正確には「地震調査委員会の『余震の確率評価手法』を東北地震による首都圏の誘発地震活動に適用し、今後誘発されて起こりうるM7の発生確率を計算した」.
  • 前記の正確でない表現により,結果的に島崎邦彦・予知連会長による「試算の数値は、今の時点での『最大瞬間風速』」というコメントも適切な表現になっていない.
  • 試算の対象である東北地震の誘発地震活動と,いわゆる首都直下地震を含む定常的な地震活動との関連性はよくわかっていないので,後半の平田教授のコメントのように両者を単純に比較することは適切でない.
  • 試算結果の数値に大きな誤差やばらつきが含まれている点について記述がない.

「「試算の数値は、今の時点での『最大瞬間風速』」というコメントも適切な表現になっていない」とある。
まあ、地震の発生確率と風速という速度とでは、そもそも次元(ディメンション)が違うが、その時点での最大値のことだろう。
と思っていたところ、今日発売の月刊誌の方の「文藝春秋3月号」には、平田直『首都圏大地震なぜ「4年以内に70%」』という文章が掲載されている。
その中に、以下のような文章がある。

「今後四年以内に七〇%」という地震発生の確率は、東北地方太平洋沖地震直後に急増した南関東の地震データを反映した、いわば“最大瞬間風速”の試算です。

???
地震研のサイトには、文責:大木聖子とあり、「文藝春秋」の記事は、構成:河崎貴一とある。
文章の責任が誰にあるかはともかく、私は、“最大瞬間風速”という表現(たとえ)が適切なのか否か、これでは理解できない。

平田教授は、続けて次のように書いている。

今後、東日本大震災の影響による南関東の地震が次第に収束していくなら、その確率は「今後三十年以内に七〇%程度」に限りなく近づいていくでしょう。

私(たち)が聞きたいのは、まさに今後「地震が次第に収束していく」かどうかということであるのだが……。
少し後では、次のように書いている。

しかし、「四年以内に七〇%」でも、「三十年以内に七〇%」でも、明日M七程度の地震が起こる確率が非常に高いことには何ら変わりがありません。

メディアを含め多くの国民は、「四年以内に七〇%」と「三十年以内に七〇%」では、切迫感がかなり「違う」と思ったから大騒ぎになったのではないか。
それを、「何ら変わりがありません」と言われても……、である。

なお、地震研のサイトでは、表現上の問題とは別に、以下のような説明もある。
確率計算自体の性質に対するコメントであろう。

  • 以下の酒井准教授ほかによる試算は,2011年9月の地震研究所談話会で発表されたもので,その際にも報道には取り上げられました.それ以降,新しい現象が起きたり,新しい計算を行ったわけではありません.
  • 上記の発表以外に専門家のレビューを受けていません.また,示された数字は非常に大きな誤差を含んでいることに留意してください.
  • 試算が示した東北地方太平洋沖地震の誘発地震活動と,首都直下地震を含む定常的な地震活動との関連性はよくわかっていません.
  • 当初から明言している通り,このサイトは個々の研究者の研究成果・解析結果を掲載したものです.このサイトに掲載されたからといって,地震研究所の見解となるわけではまったくありません.

全体的な印象は、「参考までに計算してみた数値」であって、「責任は持ち(て)ません」ということらしい。

週刊文春の上掲記事によれば、日本の地震研究の元締めは地震研であるが、地震研は阪神淡路大震災以後、予知よりも基礎研究に重点を置いてきた、という。
基礎研究と予知研究の関係がよく分からないが(普通、基礎研究が進めば、予知の精度も上がってくるのでは?)、東海地震が懸念されている静岡大学にすら、予知研究の予算が付いていないのだという。
原子力ムラと同様に、地震ムラも相当に閉鎖社会のようだ。

また、「4年で70%」という表現は、「防災意識を高める」ことに貢献した、という意見もあるようである。
しかし、「オオカミ少年」ということもあるのではないか。
不正確な危機情報が流通すると、かえってマイナスになると思うのだが。

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2012年2月 9日 (木)

『雪国』と『新・雪国』/「同じ」と「違う」(41)

豪雪による被害の報道が続いている。
『雪国』は次のフレーズで始まる。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

国境の長いトンネルというのは清水トンネル。列車が停車する信号所は、現在駅に昇格していて土樽駅となっている。
上越新幹線が開通したのを機に、駅舎も一新した。
『雪国』の頃の様子を窺うべくもないが、構内に日本酒ミュージアムがあって、利き酒コーナーがある。
つかの間の旅情を味わったことがあるが、もうそんなこともあり得ないのか?

さて、『新・雪国』は次のように展開していく。

Photo_5主人公の芝野は、50歳にして経営していた会社を倒産させてしまい、妻子とも別れてあてのない逃避の旅に出かける。
旅先は国境の彼方と定めてみても、何も急ぐ必要はなかった。
ふと学生の頃読んだ『雪国』を思い浮かべ、新幹線を高崎で降り在来線に乗り換える。越後湯沢で下車すると、たまたま入った駅前の蕎麦屋で一人の女客と出会い、川端康成が常宿にしていたという旅館を教えてもらって、そこに逗留することになる。
女は、湯沢で「最後の駒子」といわれている芸者・萌子である。もうすぐ25歳、
芝野とは父娘ほど歳の差があるが、ご多分にもれず重い過去を背負っている。
芝野と萌子の年齢差をバランスさせるのは過去の重さなのか、それとも単なる男女の相性なのか。
萌子の言葉を借りれば、「私たち、ひょっとすると似てるかもしれない」。そして「時間じゃないわ、男と女は」というように急速に親しくなって……。
(写真は、『雪国』の宿・高半のサイト)

それでは、話がうますぎると思うかも知れないが、まあ大人のメルヘンと思って読めばいいだろう。
現実には起こるはずのないような偶然も、すばる文学賞、サントリーミステリー大賞、直木賞等の受賞歴を持つ作家ならではの話の運びの巧みさの中で、不自然さは感じられない。
相当にきわどい描写もあるが、『雪国』と同様に読後感はむしろ清冽である。
何よりも、川端に比べればはるかに文脈を辿りやすい文章だから、素直にストーリーを追うことができる。
芝野は、萌子と充足の一時を過ごしたあと、温泉に身を浸して目を閉じて思いに耽る。

人はいずれ死ぬ。例外なくいつかは死んでいくとすれば、一生の長短はその中身とくらべればあまり意味がない。大事なのは中身と、そして終わるときだ。それが最もむずかしい。死ぬと決めても、いかにして、という問題がある。それを解決できさえすれば、いつでもよろこんで死んでいける、と芝野は思った。みずから死を選ぶこと自体についてはさしたる抵抗はない。ちゃんと始末をつけることができるなら、それに越したことはないと思うけれど、遅かれ早かれいずれ滅びる命を潮どきとみさだめて、実行にうつすことができる人間はそうざらにはいない。狂気の果てに命を断つ者はいくらでもいるが、終わるべきときを自覚して、この世に別れを告げることができる者はやはり少数にかぎられるだろう。その一人になれるのかどうか、みずからに問いかけて答えを保留する。

タイトルが気になって立ち寄った書店で何気なく購入したものだが、当時、人の生死に関してナーバスになっていたこともあり、たとえば上の一節などが胸に浸みて感じられた。
当時、私自身が八方塞がりともいうべき状況であった。
「ゲートキーパー」などという言葉も知らなかったし、たとえ知っていても、他人に相談して解決できるものとも思えなかった。

あの当代きっての知性の持ち主と畏敬していた江藤淳が自ら命を絶ったことも大きな衝撃であった。
もちろん、その時点では、自分もまた江藤と同じように脳梗塞に罹患して、「心身の不自由が進み」といった状況に陥るとは、全くの「想定外」ではあったが。
⇒2010年9月 6日 (月):江藤淳の『遺書』再読
江藤の死が1999年7月21日、『新・雪国』の発行日が8月15日になっている。
正確な購入の日時は分からないが、江藤の死からさほど時を置かない時点であったことは間違いない。

上記のようなストーリーの『新・雪国』が、「その上で独自の趣向をこらしている」という本歌取りの条件を満たしていることについては、まったく問題とする余地はない。
『雪国』とは、「雪国」という舞台設定が「同じ」であるだけで、テーマも表現もまったく「違う」。
笹倉明氏自身愛着のある作品のはずで、自分の手で映画化までしているくらいである。

まあ、私が言ってもあまり説得力がないだろうから、文庫版(廣済堂文庫、0112)の田辺聖子さんによる解説を引用しよう。

この作品は、『新・雪国』というタイトルになっているが、川端康成の『雪国』とは全く別種の作品である。文学的完成度がたかく、現代の小説として緊迫性に富む。
私は快い昂ぶりのうちに、本書を読み終え、清冽な感動を与えられた。現代小説で読後感があたたかくも、さわやか、というふうなのは珍しい。それこそ、オトナの小説であろう。

読み巧者でもあるお聖さんの解説は的確である。

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2012年2月 8日 (水)

「あなたもGKB47宣言!」のから騒ぎ

6日の参院予算委員会で、内閣府が3月の自殺対策強化月間のキャッチフレーズに決めた「あなたもGKB47宣言!」が不謹慎と批判されている問題が取り上げられた。
GKBは、「ゲートキーパーベーシック」の頭文字をつなげたもの。
自殺対策では、悩んでいる人に気づいて声をかけ、必要な支援につなげる存在を「ゲートキーパー」と呼んでいる(らしい)。

内閣府政策統括官(共生社会政策担当)のサイトには、「ゲートキーパーとは、悩んでいる人に気づき、声をかけ、話を聞いて、必要な支援につなげ、見守る人のことです。」として、「あなたも“ゲートキーパー”になりませんか。」という呼びかけの文章がある。
具体的にはどういうことだろう?

悩んでいる人を見かけたら、まず、「何かお悩みですか?」と声をかける。
同サイトにあるプロ-モーションビデオを見る限り、そんな感じである。
そして、「私は、ゲートキーパーです」と言うのかどうか。

たとえば、江藤淳は、「脳梗塞に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず」として、自ら命を絶った。
⇒2010年9月 6日 (月):江藤淳の『遺書』再読
江藤淳に誰が、どういう声をかけるのだろうか?

あるいは、『新・雪国』の主人公は、経営していた会社を倒産させてしまったが、彼に対して声かけして、果たしてどれほどの効果があるだろうか?
中小企業の経営者の「悩み」の大部分が、資金繰りである。
おそらく、ひところ流行った言葉を借りれば、「同情するなら金をくれ」という答えが返ってくるに違いない。
ホリエモンのように、「金で買えないものはない」とは断じて思わないが、中年過ぎの男の悩みのほとんどが「金」の問題ではなかろうか。

経営者のみならず、一家や組織の大黒柱と呼ばれる存在になれば、「はたを楽にさせたい」と考えて働く人は多いと思う。
しかし、なかなか思うように行かないから「悩んで」いるのである。
大のオトナが真剣に考え抜いても答えが見いだせない。

自殺まで思い詰めている人に対するアプローチは難しい。
素人が安易に声をかけるのは危険でさえあるだろう。
内閣府の役人は、人間心理というものが分かっていないのではないか。

おそらく、ゲートキーパーにベーシックを付けることにより「GKB」という略号を着想したとき、担当者は、「これだ!」と内心で自分を褒めるような気分だったのではないか。
さらに、都道府県数の47をつけて、「GKB47」はどうだろうかと考えれば、「あなたもGKB47宣言!」のキャッチフレーズまでは一瀉千里である。
私は、このキャッチフーズを、まじめに自殺を防ごうとしている人の発想とは思えない。
一種の地口を思いついたということに過ぎないのではないか。
⇒2012年2月 4日 (土):三島宿地口行灯展

もちろん、地口的手法のキャッチフレーズは少なくない。
効果を上げるか否かは、テーマと採用した元のフレーズが適合的であるかによる。
意外性があって、適合しているというのはかなり難しい技である。
「AKB48」と自殺予防とは適合的であるとは言いがたい。

しかし、人の受け止め方はさまざまである。

自殺対策を所管する岡田克也副総理は「ポスターも張られ、動き出している。さまざまな意見があっても直ちに撤回しない」と頑として撤回を拒否。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120206/plc12020623420014-n1.htm

「原理主義者と呼ばれています」と得意げに自分を語っていたが、むしろ「頑迷」と言うべきではないか。
原理原則は私も重視したいが、改めるべきところは柔軟に対応すべきだろう。
後でシブシブという感じで、「皆さんがそう思うなら・・・」と撤回したが。

もっとも、この人の言語感覚、キャッチフレーズに対するセンスはもともと問題がある。
郵政民営化が争点だった2005年の総選挙で、民主党代表であった岡田氏は、それまでの民主党キャッチフレーズ「もっと大事なことがある」を「日本をあきらめない」に変えた。
政権を奪取すべき選挙で、いかにも日本が絶望的なような印象を与え、結果として民主党を惨敗に導いた。

結果的に、「あなたもGKB47宣言!」は撤回され、代わりに新フレーズとして、「あなたもゲートキーパー宣言!」ということになった。
「ゲートキーパー」という言葉は、それほど普遍的か? あるいは普及させるべきか?
Wikipediaでは次のように解説されている。

ゲートキーパー(Gatekeeper)とは門番のことである。転じて交通通信監視 / 管理する人及び装置のことを指す。また転じて、駐屯地等や企業工場などで来客向けに門から入って直ぐのところに展示されている品々のこともこう呼ぶ。
その他の固有名詞としての使われ方は、以下の通り。
 

まあ、門番という意味なら、私も理解できる。
その他の意味も、基本的には門番から転じたものといえよう。
内閣府の担当者は「全員参加というテーマにあわせ、広く国民に親身に訴えることができるということで決まった」と説明しているが、別に、税金を使ってまでも啓蒙すべき言葉とも思えない。
今回の騒動の結果について、関係者はどこまで理解しているのか。

自殺対策を担当する内閣府などには、「批判もあったが、マスコミに多く取り上げられ、ゲートキーパーという言葉の啓発などに結果的に役立った側面もある」といった声もある。
http://www.j-cast.com/2012/02/07121424.html?p=all

どうやら、根は深いようだ。
もっとも、次のような意見もあることも事実である。

今回のポスターも、多くの国民に自殺念慮者が身近にいることを、普段から意識してもらい、国民全体で自殺念慮者の発するサインに気づき自殺を食い止めたいという思いを込めているのだと思います。
GKB47のポスターを見ましたか

「自殺を食い止めたいという思い」は共有するが、こんなキャンペーンしかやることはないのか?
自殺者数は、14年連続3万人を超えている。
何でも政府の責任ということではないが、政府の自殺対策が効果を上げていないことを示しているだろう。
こんなキャンペーンをして対策を講じている気になっているとしたら、いつまで経っても自殺者数は減らない。
そして、自殺者数が多い国が、いい国だとは思えない。

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2012年2月 7日 (火)

『新・雪国』と本歌取りの技法/知的生産の方法(16)

私などのように、非雪国の人間が雪をロマンチックだと思うのは、それが珍しいものであるからに違いない。
雪が降ると、見慣れた景色が一変する。
だから発想の転換には好適だ、という説を聞いたことがある。
馴質異化の一種だろうか?
⇒2011年1月18日 (火):馴質異化-地図の上下/知的生産の方法(7)
⇒2011年1月30日 (日):馴質異化と異質馴化/「同じ」と「違う」(27)

その雪景色が日常的なのが「雪国」である。
非日常的なときにはロマンチックに思えていたことも、日常生活になるとそうも言っていられない、というのは恋愛と結婚の関係に似ている?

「雪国」といえば、何といっても川端康成の『雪国』であろう。
ノーベル賞作家の代表作として国民必読の書となっている。
『雪国』の中でも、島村が夕暮れの汽車の中で、窓を鏡として写る葉子の姿と外を流れる景色とがオーバーラップするのを眺める場面の描写は有名である。

鏡の底には夕景色が流れていて、つまり写るものと写す鏡とが、映画の二重写しのように動くのだった。登場人物と背景とはなんのかかわりもないのだった。しかも人物は透明のはかなさで、風景は夕闇のおぼろな流れで、その二つが融け合いながらこの世ならぬ象徴の世界を描いていた。殊に娘の顔のただなかに野山のともし火がともった時には、島村はなんともいえぬ美しさに胸が顛えたほどだった。
遥かの山の空はまだ夕焼の名残の色がほのかだったから、窓ガラス越しに見る風景は遠くの方までものの形が消えてはいなかった。しかし色はもう失われてしまっていて、どこまで行っても平凡な野山の姿が尚更平凡に見え、なにものも際立って注意を惹きようがないゆえに、反ってなにかぼうっと大きい感情の流れであった。無論それは娘の顔をそのなかに浮べていたからである。窓の鏡に写る娘の輪郭のまわりを絶えず夕景色が動いているので、娘の顔も透明のように感じられた。しかしほんとうに透明かどうかは、顔の裏を流れてやまぬ夕景色が顔の表を通るかのように錯覚されて、見極める時がつかめないのだった。

笹倉明の『新・雪国』廣済堂出版(9908)は、タイトルが表しているように、『雪国』を下敷きにして、意識的にイメージを重ねて読まれることを意図した作品である。
あたかも引用した箇所のように、読者は、『雪国』と『新・雪国』とを二重写しにして読むことを想定されているわけである。

これは、「本歌取」の方法ではないだろうか。
本歌取りについては次のように説明されている。

和歌連歌などの技巧の一つ。
すぐれた古歌や詩の語句、発想、趣向などを意識的に取り入れる表現技巧。

新古今集の時代に最も隆盛した。
転じて、現代でも絵画や音楽などの芸術作品で、オリジナル作品へのリスペクトから、意識的にそのモチーフを取り入れたものをこう呼ぶ。
オリジナルの存在と、それに対する敬意をあきらかにし、その上で独自の趣向をこらしている点が、単なるコピー(パクリ)とは異なる。

『雪国』は人口に膾炙している。「オリジナルの存在と、それに対する敬意をあきらかに」する上では申し分がない。
問題は、「その上で独自の趣向をこらしている」かであるが、それに立ち入る前に、本歌取りについてもう少し見てみよう。

本歌取りについて深く考察したのは、新古今集の代表的歌人・藤原定家であるといわれる。
定家は、本歌取りの原則を以下のようにまとめている。
Wikipedia

  • 本歌と句の置き所を変えないで用いる場合には2句未満とする。
  • 本歌と句の置き所を変えて用いる場合には2句+3・4字までとする。
  • 著名歌人の秀句と評される歌を除いて、枕詞・序詞を含む初2句を本歌をそのまま用いるのは許容される。
  • 本歌とは主題を合致させない。
  • 本歌として採用するのは、三代集・『伊勢物語』・『三十六人家集』から採るものとし、(定家から見て)近代詩は採用しない。

定家自身も、本歌取りを行っている。
たとえば次のようである。
京都せんべい おかき専門店小倉山荘のサイト「本歌取りのマナー」を参照した。

駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野の渡りの雪のゆふぐれ
(新古今集 冬 藤原定家朝臣)

本歌は『万葉集』にある。

苦しくも降りくる雨か三輪が崎佐野の渡りに家もあらなくに
(万葉集 巻三 長忌寸奧麻呂)

定家の歌は「佐野の渡り」という一句だけを借用。
雨を雪に替え、馬の旅だとしながらも旅の途中の困難を描いているのは同じ。
場所も同じである。
しかし、喚起する情景はかなり違う。

読者は、定家の歌から奧麻呂の一首を思い出し、その素晴らしさを再発見することになる。
要するに、本歌との二重性(=本歌との「同じ」と「違う」)の微妙なさじ加減ということになる。
その微妙なさじ加減を明示化すると、定家の示した原則のようになるということだと思う。

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2012年2月 6日 (月)

地震の発生確率の伝え方

首都圏における直下型地震の発生確率をめぐって、さまざまな情報が飛び交っている。
発端は、読売新聞が、東大地震研の研究チームがM7クラスの地震が発生する確率を試算したと報じたものらしい。

マグニチュード(M)7級の首都直下地震が今後4年以内に約70%の確率で発生するという試算を、東京大学地震研究所の研究チームがまとめた。
東日本大震災によって首都圏で地震活動が活発になっている状況を踏まえて算出した。首都直下を含む南関東の地震の発生確率を「30年以内に70%程度」としている政府の地震調査研究推進本部の評価に比べ、切迫性の高い予測だ。
昨年3月11日の東日本大震災をきっかけに、首都圏では地震活動が活発化。気象庁の観測によると12月までにM3~6の地震が平均で1日当たり1・48回発生しており、震災前の約5倍に上っている。
同研究所の平田直教授らは、この地震活動に着目。マグニチュードが1上がるごとに、地震の発生頻度が10分の1になるという地震学の経験則を活用し、今後起こりうるM7の発生確率を計算した。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120122-OYT1T00800.htm

たしかに、70%の確率でも、「30年以内」と「4年以内」では受ける印象は全然違う。
たとえば、現在67歳の私が30年後に生存しているとは思わないが、4年後ならば多分まだ生きているだろう。
読売新聞は、そのギャップをうまく衝いた。
各メディアは、この話題を追いかけた。
センセーショナルなほど訴える力は強い。
首都圏は壊滅的な状況になる、避難者は100万単位・・・

かといって、個人はどうすればいい?
まあ、自分は何とかなるだろう。何とかならなければ、その時はしょうがない・・・
そんな風に思っている人が多いのではないだろうか?

ところが、「夕刊フジ」(7日-6日発行)に、東大地震研が「4年以内に50%に下方修正」という記事が載っていた。

東大地震研の平田氏らのチームが再計算したところ、4年以内で50%以下、30年以内では83%以下になったという。
そもそも70%の根拠は、昨年3月11日から9月10日に首都圏で約350回発生したM3以上の地震を元にしたためで、これを12月31日までに期間を広げて再計算したところ、M3以上の地震が減っていることから、修正値になったとしている。
これに先立ち、京都大学防災研究所の遠田晋次准教授らが今年1月21日までに起きた地震を踏まえて計算した結果では、5年以内に28%、30年以内に64%とより低い値を出していた。

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120206/dms1202061542008-n1.htm

計算の根拠は、「グーテンベルク・リヒターの関係式」といわれる式である。
以下のように解説されている。

あるマグニチュード の地震数()は、
Ws000000_3
の関係に従う。積算地震数()についても同様である。この式は、提唱者の名前を取って「グーテンベルク・リヒターの式」と呼ばれる。以下ではGR式と略記することにしよう。この関係はどのマグニチュードを用いても成り立つので、地震の規模を単にと表記した。
GR式の係数は、ほとんどの場合1前後の値となる。従って、が1だけ小さくなると地震の数はおよそ10倍になる。ただし、詳しく調べると値に地域性が見られる。一般に、地下構造が複雑で不均質な場所では値が大きい。

http://www.k-net.bosai.go.jp/k-net/gk/publication/1/I-3.2.4.html

菅首相(当時)が、浜岡原発の停止要請をした際にも、「これから30年以内にマグニチュード8以上の東海地震が発生する可能性は87%」といかにも2桁の精度がある根拠のように取り扱った。
⇒2011年5月12日 (木):地震の発生確率の意味/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(26)
しかし、地震の発生確率の予測はそんなに精度が高いものだろうか?
東北地方太平洋沖地震も「想定外」という以上、予測の限界は常に意識すべきだろう。
GR式自体、おおよその傾向はこの式に従うといことであり、予測の1つの参考データに過ぎない。

GR式によれば、数は極端に少ないがどんな大きな地震でも起きてよいことになる。しかし、これは明らかに現実と合わない。日本付近では、が8より大きくなると、実際の地震数は、きれいな直線関係から徐々に下側にはずれてくる。このはずれ始めるは地域によって異なり、地震の上限規模には地域差があることを示している。
http://www.k-net.bosai.go.jp/k-net/gk/publication/1/I-3.2.4.html

まあ、危険サイドで考えて備えをしておくに越したことはないが、パニック的に大騒ぎしても、かえって危ういのではないか。
東大地震研といえば斯界の最高権威である。
その発表の伝え方は的確にすべきだ。

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2012年2月 5日 (日)

東京電力の補償をめぐって/花づな列島復興のためのメモ(25)

フクシマ原発事故に関し、東京電力の行うべき補償が円滑に進んでいないようだ。
1月31日付けのニュースである。

東京電力福島第一原発事故の賠償問題を巡り、政府の原子力損害賠償紛争解決センターの活動が正念場を迎えている。
業務開始から約5か月たつが、30日までに和解にこぎ着けたのは申し立てのあった747件のうちまだ3件。センターは今後、争点になりやすいポイントごとに賠償基準を順次公表する方針で、「基準がはっきりしてくれば、当事者間の直接交渉も進むはず」としている。
・・・・・・
申し立てられたケースでは、避難生活による精神的損害に対する賠償金の増額を求めるものや、東電が「国の避難区域の見直しが行われないと対応不能」としている避難区域内の不動産に対する賠償を求めるものが多いという。
紛争解決が進まない最大の理由について、センターの弁護士の一人は、「本人が直接申し立てるケースが予想外に多かった」と話す。弁護士などが付かない申し立ては全体の約8割。領収書類が整理されないまま提出されたり、損害を証明する書類がほとんどなかったりで、弁護士などが務める調査官が詳しく主張を聞き直さなければならないケースが多い。このため、解決に要する期間として想定していた3か月を大幅に上回るケースが出ている。
また、東電が、4月1日がめどとされる国の避難区域の見直しなどを見据えて和解案などへの回答を保留したり、同審査会が示した中間指針が触れていない項目については賠償に消極的な姿勢が目立つことも一因とされ、センター内には「東電はもっと主体的に賠償に臨んでもらいたい」という声もある。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120131-00000098-yom-soci

多様な問題が混在していると考えられるが、東電はなるべく補償額を抑えようとし、補償される側が可能な限り増額を望むという基本的な対立の構造がある。
たとえば福島県大熊町から都内に避難している住民が、住宅の補償を求めてセンターに仲介を申し立てていた。
東電はこれまで、除染方法が不明で損害の評価が難しいとして、住宅や自動車などの財産被害について賠償を明言していなかった。

この問題で、先月26日、東電が住宅などの賠償に応じると回答したが、東電は和解案の損害額以上の債務がないと住民側が認めることを条件としている。
しかし、慰謝料については、和解案が原子力損害賠償紛争審査会の中間指針に基づき策定した補償基準から50万円の増額を提示したのに対し、東電は拒否した。
住民側は、、「肝心なところをごまかされている。加害者としての意識がない印象だ」と批判している。

上記で見る限り、東電が、「和解案の損害額以上の債務がないこと」「和解案に盛られた慰謝料の増額を拒否」を条件としていることが住民サイドの不満の要因のようだ。
この点はどう考えられるか。
 

「和解案の損害額以上の債務がないこと」については、今までに例のない事案であることを考えれば、現時点ですべてを想定することを前提としている東電の考えはオカシイと言わざるを得ないだろう。
東電自体が、想定外の津波が原因であると言っているにもかかわらず、である。
もちろん、東電側としては、補償額を確定できないことには、今後の計画が立てられないという事情があろう。
しかし、避難を余儀なくされている人から見れば、時間の経過と共生活再建が難しくなる。
東電の言い分は、こうした事情を見透かしているかのようである。

「慰謝料の増額」についてはどうか。
金額は、補償基準から50万円の増額ということである。
本件だけなら、東電も拒否することはないと思われる金額である。
しかし、背後にどれだけの被害者が控えているか分からないので、拒否したのだと考えられる。

その他、風評被害などについても、合意には紆余曲折が予想される。
原因者は誰なのか?
被害の全体像はどう捉えるべきか?

いろいろな局面が考えられるが、基本的には東電は加害者である。
そして、国策として原発を推進してきた国も同様であろう。
加害者が補償額を決めるというのは、何となく釈然としない。

公共事業の補償も問題が多い。
八ッ場ダムがこれほどこじれた根本も補償のあり方に問題があったことが大きい。
成田空港もしかりである。
原発は限りなく公共事業的である。
石原新党が喧伝されているが、適正な補償が行われないと、石原氏らの強調している「愛国心」など、育ちようがないのではないかと思われる。

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2012年2月 4日 (土)

三島宿地口行灯展

はやいもので、もう立春である。
とはいえ、文字通り「春は名のみの風の寒さよ」であるが。
そう言えば、去年の夏、この歌の歌碑のある安曇野へ行ったことを思い出した。
穂高川のほとりだったが、あの辺りは雪に埋もれているのかな?
⇒2011年8月23日 (火):白馬村の美術館と安曇野の自然

昨日は節分。妻と2人暮らしだと、ましてマンション住まいの身であれば、豆まきというような行事にも縁遠い。
2月の最初の午の日が初午で(本来は旧暦で最初の午の日ということらしいが)、稲荷神社のお祭りである。今年は昨日が初午だった。
この初午の頃、三島では、「三島宿地口行灯」というイベントが行われる。

「地口」というのは、言葉遊びの一種である

地口(じぐち)は、駄洒落の一種と見なすことができる言葉遊びである。発音が似た単語を用いるため、駄洒落よりも創造性に富み、作成するのも比較的容易であり、また、形態も多様化している。語呂合わせと同様に扱われるが、例え ば円周率のπを「産医師異国に向こう」と憶えるような側面はこの地口にはなく、意味する範囲は語呂合わせより狭い。
落語においてもくすぐりとしてしばしば使われる。話の終わりを地口で締めるのを地口落ちという。これは、話の最後の方で登場人物が何か言った言葉にだじゃれを返して終わるものである。どんな話にもつなげられる利便性があるが、反面安易であって取って付けたような終わり方になりやすいため、落ちの種類としては低いものと見なされる。
東京の
稲荷神社では初午縁日に、行灯に地口とそれに合わせた絵を描いた地口行灯を街頭に飾る風習がある。
また、近年では
静岡県三島市でも同時期に商店街(三島大通り商店街静岡県道51号三島停車場線等)に地口行灯が飾られるが、こちらは地口のみならず川柳の書かれた行灯も存在する(詳細は三島宿地口行灯の項を参照されたい)。
Wikipedia

三島では、 「現代創作地口」と称して、俳句や川柳なども加えている。
今年は、2日から7日まで開催されている。
Img_01812
三石神社

Img_01782
三石神社

Img_01842
大通り商店街

地方都市のささやかなイベントであるが、投稿者の名前には、佐賀県などの遠隔地のものもあった。

川柳と合わせて全国から1362点の応募があった。地口部門大賞は三島北高の森野夏歩さんの作品「いらぬもの買わず、大概は使わず」(元句・井の中の蛙 大海を知らず)。
http://www.at-s.com/news/detail/100095585.html

言葉遊びは、奥が深い。
アルゴリズムではまだまだこの境地には届かないだろう。

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2012年2月 3日 (金)

防雪都市化はどこまで進んだか?/花づな列島復興のためのメモ(24)

記録的な豪雪が続いている。
私のように人生の生活圏が、本州中央部の太平洋側から出たことがない人間には、雪は、川端康成『雪国』などの影響で、何となくロマンチックな憧れを抱きがちである。
一面の銀世界!

しかし、実際に雪国に住んでいる人の苦労は筆舌に尽くしがたいものだろうと思う。
時には恐ろしい牙を剥く。
今回の豪雪でも、雪下ろし作業中に何人もの人が亡くなっている。
また、湯治の効能で有名な玉川温泉で痛ましい事故が起きた。

Photo_5
玉川温泉は、他の温泉地や観光地と異なり、療養・静養を目的とした湯治宿です。
1泊2食付きの旅館部と素泊りが基本の自炊部から構成されております。
国立公園地内また強酸性の温泉という特殊な環境にあるため、様々な規制などもございますが、是非一度効能溢れる癒しの温泉をお試し下さい。

http://www.tamagawa-onsen.jp/first/index.html

玉川温泉は、静岡県からも湯治に行くほど人気が高い。
私の知り合いも常連といえるほど行っている。

秋田県仙北市田沢湖玉川にある玉川温泉で1日、宿泊客3人が死亡した雪崩で、約95人態勢で現場を捜索した県警や消防などは2日、他に行方不明者などがいないことを確認した。
3人が宿泊していた旅館「玉川温泉」の工藤肇・常務取締役所長は2日、「硫化水素ガスや感染症の危険性は気をつけてきたが、雪は考えが及んでいなかった」と話した。現場は、旅館から約280メートルの国立公園内で、斜面から離れていることなどから、雪崩の危険性は分からなかったという。
県警捜査1課などは捜索とともに実況見分を実施、遺族や玉川温泉の関係者らから事情聴取した。雪崩発生が予見できたかどうかなどに関し、業務上過失致死容疑も視野に調べる。

http://mainichi.jp/photo/archive/news/2012/02/02/20120203k0000m040087000c.html

上記の記事によると、温泉関係者でも予想していなかったということだ。
つまり「想定外」の出来事であり、今年の豪雪はそれだけ凄まじいということだろう。
玉川温泉の雪崩は、表層雪崩と推定されている。

事故現場の状況から、専門家は固くなった積雪層の上に降り積もった新雪が崩れ落ちる「表層雪崩」が起きた可能性が高いと指摘する。春先などに下を流れる雪解け水の影響で積雪層全体が崩落する「全層雪崩」に比べ、滑り落ちる速度が速いため破壊力が大きく、発生場所の予測も困難なのが特徴だ。
http://www.sakigake.jp/p/editorial/news.jsp?kc=20120203az

Photo
http://www.pref.fukui.jp/doc/sabo/nadarebousai.html

私が某リサーチファームに転職しようとしたとき、仕事の内容をイメージするために見せてもらった資料の1つが、建設省(当時)から発注を受けた「防雪都市の調査研究」プロジェクトの報告書だった。
かれこれ40年近くなる昔のことである。
そのプロジェクトに興味をそそられたことも転職を決心した理由の1つであるが、防雪都市化は計画通り進んだのだろうか。

Googleで「防雪都市」を検索してみたら、413,000件ヒットした。
「&構想」で絞り込むと、12,300件である。
1976年3月1日の「あきた」(広報誌?)に、『防雪都市への道』というタイトルのグラフが載っている。
Photo_2
Photo_4
http://common.pref.akita.lg.jp/koholib/search/html/166/166_001.html
家族団欒とコタツとTV。
昭和の匂いが漂ってくるようだ。
この写真から35年経った。
しかし、災害は減るどころか、激化しているような気がする。
寺田寅彦が喝破したように、「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増す」ということだろうか。

もちろん、秋田魁新報の社説の説くように、災害に対する究極の備えは個々人が行わなければならないだろう。

今冬の雪による死者は既に全国で50人を超えた。気象庁は、今後も東北から北陸の日本海側は大雪に警戒が必要だと注意を呼び掛けている。例年になく厳しい気象条件下では、住民一人一人が自ら身を守るという気構えを持って行動しなければ悲惨な雪の事故は防げない。
http://www.sakigake.jp/p/editorial/news.jsp?kc=20120203az

しかし、公として、雪害を防ぐ地域作りにもっとできることがなかったのか。
災害が起きる度に思う。

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2012年2月 2日 (木)

平等院/京都彼方此方(4)

今年のNHKの大河ドラマは『平清盛』である。
去年の11月に京都に行ったときはそんな情報には無関心だったが、京都には清盛ゆかりの場所が少なくない。
⇒2011年11月30日 (水):龍谷ミュージアム/京都彼方此方(3)
ドラマは始まったばかりで権力の階段を上るところまで至っていないが、やがて権力者となって栄華を極める。

しかし、「驕れる者は久しからず」で、平家は滅亡に向かう。
『平家物語』の盛者必衰であるが、その平家衰亡の足掛かりとなったのが以仁王の乱である。

後白河法皇の皇子の以仁王と源頼政が共謀して、王位奪回と打倒平家を企て、全国の源氏に平氏追討の令旨を発する。
源頼政は令旨を、源義朝の弟の新宮十郎行家(源行家)に全国の源氏へ配らせる。
以仁王の令旨が発覚し、平清盛は頼政一族が関わっていると知らず源兼綱に以仁王追補を命令するが、兼綱は以仁王を三条高倉殿から園城寺(滋賀県大津市にある天台宗寺門派の総本山)へ逃す。
頼政は嫡子の仲綱以下一族の軍勢を率いて以仁王と合流、反平氏の旗色を明らかにするが、平等院(京都府宇治市)の近くで平知盛や重衡率いる平氏の大軍に追いつかれ、宇治川を挟んで合戦となった。
優勢を誇る平氏軍は川に飛び込んで渡り攻め込んだ為、数の少ない頼政軍は次々と討ち死にした。
源兼綱、源仲綱、源仲家、源仲光ら討死。
頼政も傷を負い平等院の内に入り自害。
以仁王は奈良へ落ちる途中、藤原景家の軍勢に討たれた。
http://park17.wakwak.com/~anw/tns/yoshitsune/win/5.html

上記のように、宇治川の合戦で破れた源頼政が自害したのが、有名な宇治の平等院である。
去年京都に行った仲間は、中学校の修学旅行で訪れているようである。京都といえば修学旅行の定番であるが、私は小・中・高いずれも修学旅行で京都に行っていない。
京都市内からは少し離れている。どちらかといえば馴染みの薄い場所といえるだろう。
家族旅行で1度と学生時代に1度か2度で、余り鮮明な記憶はない。

昨年、久しぶりに平等院を訪れた。
JR奈良線宇治駅からは、リハビリ中の私でも歩いて行ける。
Photo_3
http://www.byodoin.or.jp/haikan.html#access

百人一首に次の歌がある。

わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり  

作者は喜撰法師であるが、その実像は不明である。
たつみは、東南であり、下図で見るように宇治は平安京の東南に位置している。
Photo
http://www.keihan-uji.jp/history.html

平等院の鳳凰堂は、阿弥陀如来像が安置されている中堂と、左右の翼廊、背面の尾廊からなる。
建物自体が羽根を広げた鳳凰の姿に似ていること、建物の大屋根に鳳凰が飾られていることから鳳凰堂の名前がついた。
平等院を代表する建物であり、レイアウト的にも中心である。
Photo
http://www.byodoin.or.jp/tanbou-byoudouin.htm

側正面中央の扉を開放すると、柱間の格子は本尊の頭部の高さに円窓が開けられており、建物外からも本尊阿弥陀如来の面相が拝せるようになっている。
安野光雅さんの「洛中洛外」の平等院は、この構図で描いている(産経新聞111002掲載)。
阿弥陀如来の住する極楽浄土は西方にあると信じられており、池の東岸(あるいは寺の前を流れる宇治川の東岸)から、向かい岸(彼岸)の阿弥陀如来像を拝するように意図されたものであるといわれる。
Photo_4
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111002/art11100203510000-n1.htm

鳳凰堂が10円硬貨のデザインに用いられているので、日本人には最も見覚えがある建物の1つだろう。
10jpy
Wikipedia

その阿弥陀如来坐像の耳が、別の部材で作られていたことがわかった、と先頃報じられた。

Photo_3平等院(京都府宇治市)は14日、寄せ木造りの本尊・阿弥陀如来坐像(国宝、1053年)の制作過程で、頭部の後ろ半分を切って下にずらし、耳の位置を下げる微調整をしていたことが分かった、と発表した。寄せ木造りでは、鎌倉時代初期に運慶、快慶が芸術性を高める微調整を始めたとされていたが、同坐像の構造解明で、この手法の始まりが約150年さかのぼることになった。
平等院は「顔のバランスが悪かったため、途中で修正したのではないか」と推測する。
・・・・・・
同坐像の頭部から胴体にかけては、前半分、後半分とも2本ずつの角材(一辺約40センチ)で作られている。ところが、前半分は頭部と胴体がつながっているのに、後ろ半分は、頭部を一旦切り離して2センチ下にずらし、再接合していた。これによって前頭部側の耳(耳の前半分)が後頭部側より高くずれたため削り取り、別の部材を後頭部側に合わせて張り付けていた。ずらしたことで後ろ半分がくぼんだ頭頂部も別の部材で埋めていた。
寄せ木造りでの微調整について、浅湫毅(あさぬま・たけし)・京都国立博物館研究員は「造形過程における細やかな変更は、東大寺南大門の仁王像(運慶)など鎌倉時代の仏師による事例がよく知られているが、同様の微調整が定朝の頃に既に行われていたとは興味深い」としている。

http://mainichi.jp/enta/art/news/20111215k0000m040121000c.html

阿弥陀如来座像は、仏師定朝によって平安時代後期、天喜元年(1053)に造られたものとされる。
頬がまるく張った円満な顔の表情は、やさしさにあふれていて、自然である。
できあがっていた仏像の「顔のバランスの修正」とは、現代で言えば美容整形ということになろうか。癒やしを与え続けてきた仏像も、いろいろ苦労はあったんだなあと思うと、何となくユーモラスな感じもする。
2
『平等院/週刊古寺を巡る13』小学館(0705)

宇治は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台である。
また冒頭に記したように、宇治川は源平合戦の古戦場として有名である。
治承4年(1180)5月、源頼政は反平家の旗を揚げこの地で戦ったが、平重衛の軍勢に敗れて平等院で自害した(『平家物語―橋合戦』)。
能の『頼政』として有名である。
頼政は、平等院内で自決するが、浄域を血で汚さないために軍扇を敷いたといわれる。
「扇の芝」として、現存する。

「橋合戦」の主要な舞台となった宇治橋は、大化2年(646)に初めて架けられたと伝えられる。
由来を記した石碑-宇治橋断碑は、日本現存最古の石碑のひとつである。

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2012年2月 1日 (水)

議事録なくして、歴史の評価は可能か?

原子力災害対策本部で会議の際に議事録が作成されていなかったことに驚いた。
⇒2012年1月24日 (火):議事録の不作成は故意か過失か?/原発事故の真相(17)
同様に、政府の東日本大震災関連の10組織で議事録が作成されていなかったらしい。
野党も当然責任追及の構えだ。

公明党・山口代表は30日、参議院本会議の代表質問で、政府が設置した東日本大震災関連の10会議の議事録が残っていないことについて、「国民や国際社会に対する背信行為だ」と批判した。 山口代表は「発表できない、都合の悪い事実を隠し通すために記録を残さなかったのですか。首相、広範な議事録作成義務違反は重大な違法行為であり、国民や国際社会に対する深刻な背信行為であると言わざるを得ません。歴史の空白を作ってしまったその責任をどう受け止めますか」とただした。 これに対し、野田首相は「震災直後の緊急事態にあったことや、記録を残すことの認識が不十分であったこと等のために、本部の議事内容の一部または全部が、文書で随時記録されてなかったことは事実であり、誠に遺憾であります」と述べた上で、閣僚懇談会で岡田副総理から「可能な限り迅速な対応がなされるよう、指示が出されている」と答えた。
http://news24.jp/nnn/news89029682.html

野田首相が挙げた「記録を残すことの認識が不十分であったこと」をどう理解したらいいだろうか?
本部長だった菅前首相は、異常なくらい「歴史の評価」を口にした人であった。
退陣偽装までして延命を図ったにもかかわらず退陣せざるを得なくなった際の演説でも、「大震災や原発事故に遭遇したときの内閣総理大臣、このことは歴史の中で消えることはない」と自賛した。
⇒2011年8月27日 (土):菅首相の退陣演説&記者会見の欺瞞と空虚

大震災や原発事故に遭遇したこと事態を手柄のように言う感覚はよく分からないが、震災前から野党に「歴史に対する反逆行為」と野党を批判したことを思い出せば、何となく忖度できなくもない。
しかしそれにしては、「記録を残さない」というのはどういうことだろうか?
それこそ、「歴史に対する反逆行為」ではなかろうか。

衆議院予算委員会は連日、年金改革の白熱した論戦以前の実に情けない罵り合いが続いている。2月1日は、菅直人首相の「歴史に対する反逆行為」という迷言が飛び出した。
野党自民・公明党が社会保障と増税の協議に応じなければ「反逆行為」となじった菅直人首相であった。
・・・・・・
菅直人首相、今は年金改革の何をやりたいのか、それはどうでもよくて、ただひたすら消費税に引き上げをやりたいのか。

http://nenkin.co.jp/lifeplan-blog/news/archives/2011/02/03-132145.php

上記の「2月1日」は現時点ではなく去年のことである。
菅を野田に入れ替えればそっくりそのままではないか。
1年間、消費税の増税分について、民主党としてどれだけ具体的な形で説明してきたか。
振り付け師(財務省)がいるにしても、もっと自分の頭で咀嚼したら、と思う。

歴史の評価はいずれなされるであろう。
しかし、それが的確になされるためには記録(証拠、エビデンス)が必要である。
梅棹忠夫(小長谷有紀編)『梅棹忠夫の「人類の未来」』勉誠出版(1201)の「あとがき」に梅棹忠夫の言葉が引用されている。

なにごともかきとめておかなければ、すべては忘却のかなたにおきさられて、きえてしまう。歴史は、だれか他人がつくるものではなくて、わたしたち自身がつくるものだ。わたしたち自身が、いまやっていることが、すなわち歴史である

菅氏は歴史の評価にこだわるのであれば、リアルタイムの記録を残すべきであった。
議事録が残っていないことに関しては、次のような見方がある。
冷泉彰彦『原発事故対応の「議事録隠し」の動機を推測する

今回の「議事録未作成」というのは、要するに会議の参加者全員が回覧した原案では、「公式議事録」としての合意ができなかったということ、そう理解するのが正しいと思います。
具体的なイメージとしては、例えば2号機の水素爆発の直後に政府の対策会議で「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)によれば、飯舘村の方面への相当な飛散が予想されますから、緊急避難もしくは農地や牧草地に徹底したビニールシートがけを」などという提案がされていたとします。仮にそうだとして、「スピーディなんていうのは存在が周知徹底されているものじゃない。パニックが起きたり予測が間違っていたら文科省は責任が取れるのか?」というような誰かの発言で、この案が潰されたというようなことがあったとします。
・・・・・・
そんな中で「飯舘に緊急で対策を」という案を「潰した」人間が特定できるような(あくまで仮の例ですが)議事録は、10カ月後の現在では非常に政治的な意味を持ってしまうわけです。ですから、「公式」のものとして残すことは合意できなかったのだと思います。

また、山崎元氏は、ダイヤモンド・オンライン誌で、議事録の不作成は、国民の不信の念を募らせることにもなった。野田首相は、事後的にでも議事録を整備すると言っているが、後から作る議事録は、どうせ当たり障りのない無内容なものになるのではないか、とし、以下にように言う。
原発事故対策でまさかの議事録未作成-「行政の可視化」を提唱する

重要な会議では議事録を作る。これは、行政の常識だ。今回、特別に重要と思える会議で記録が残っていないことは、遺憾であるだけでなく、不自然だ。今回の件は、政治家も官僚も「粗末」と言うしかない。大事なのは、議事録の事後作成ではなく、責任問題の明確化の方だ。

身の回りでも、「どうせ政府の言うことはあてにならない」という声が多い。
政治不信の極みであるが、民主党の責任は大きい。
かといって、自民党が良かったという声もまったく聞こえてこないのだが。

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