Facebookとデジタル・デバイド/知的生産の方法(18)
フェイスブックが広く認知されたのは、昨年の初めといっていいだろう。
⇒2011年1月31日 (月):フェイスブックは日本でも大きなシェアを占めるか?/知的生産の方法(9)
どうやら、「大きなシェアを占めるか?」というQに対しては、現時点ではYesが正解のようである。
上場申請を済ませ、巨額の資金調達をするらしい。
全世界で8億4500万人が利用しており、毎日2億5000万枚の写真がアップロードされているという。
日本のユーザーはどんな年代構成か?
http://dt.business.nifty.com/articles/12352.html
利用者を年代ごとに見ると、45―49歳がピーク。続いて50―54歳、40―44歳となっている。
意外と高い年齢層のような気がするが、65歳以上は1括りになってしまうようだ。
今朝の産経新聞の一面トップに、佐賀県武雄市が、Facebookを業務に使うことを義務づけた、というニュースが載っていた。
Facebookは実名で使用することとされている。
私も、個人的に、試用的に使用している段階で、ヘビーユーザーではない。
武雄市では、市のオフィシャルサイトを昨年8月からFacebookに移行したという。
早速、武雄市のサイトを見てみると、確かにFacebookである。
http://www.facebook.com/takeocity#!/takeocity?sk=wall
Facebook化によって、5万件/月の訪問者が330万件に増えたという。
樋渡市長は、「市民とのやりとりの可視化」と自賛している。
まあ、アクセス数が増えたのは、コミュニケーションにとってプラスであろう。
横手市でも、Facebookによる情報発信を始めるという。
3月末まで試行して、有用性などを確かめたうえで、4月以後も続けるかどうか検討する。
市は、11日に始まった雪まつりに合わせ、発信を始めた。直前に岐阜でかまくらの崩落事故があり、心配する声が寄せられたため、10日のフェイスブックで「横手のかまくらは構造が違い、安全です」と語り、「かまくらの作り方」の動画が見られるようにした。
http://mytown.asahi.com/akita/news.php?k_id=05000001202140001
武雄市では、64歳の女性の、「パソコンが使えないから関係ない」という市民の声が紹介されている。
まだまだパソコンに不案内な人は多いだろうから、その辺りをどう考えるか?
まあ、そういう人は、市のサイト自身関係ないと言っていいかも知れない。
しかし、「パソコンが使えないから」という程度が、どの程度か。
Facebookのようなソフトと、Smartphoneに代表されるハードが相まって、身の回りは急速にデジタル環境が増えている。
いわゆるデジタル・デバイドは、いろいろな局面で顕在化してくると思われる。
まあ、読み書きソロバンといわれた時代から、リテラシー格差はあったのであり、デジタルだけがリテラシーではないこと、英語公用語論と同じようなことだろう。
効率化が進んで、その分他の仕事に手が回るならば、Facebookでも何でも使えばいい、と思う。
問題になるのは、やはり高齢者であろう。
若者は、必要に応じて環境に適応していく。
私たちのような高齢者は、ハンディキャップを負いがちであるが、私は自分なりの利用方法を見つけ、幾分かでも快適・利便な生活を過ごすために、高齢者こそ率先してトライすべきだと考えている。
パソコンなどの操作は、「習うより慣れろ」である。
とはいうものの、ある程度までは人に聞かないとどうしていいか、どこが分からないかが分からない、という状態であることも体験するところだ。
人に聞く場合、「親しい人に聞くのが最も良い」ように思うが、必ずしもそうとは言えないようである。
我が家の場合、妻は、基本的にアナログ人間である。
料理などは好きで、私が見ていても飽きずにやるものだと思うし、自分なりの創意工夫もあるようだ。
しかし、パソコンの類は基本的に苦手である。
メールも、携帯(いわゆるガラケー)の方がやりやすいらしく、ほとんどが携帯で済ませている。
それでも、当初、携帯電話を持つことすらためらっていたことを思えば、驚くほどの変貌ではあるが。
それが、どういう風の吹き回しか、某NPO法人が行っているパソコン講座に通い出した。
本人は、ワープロ専用機の時代は良かったが、パソコンになってから訳が分からなくなった、ということだ。
ワープロはパソコンが特化したもの、という私の説明では納得しない。
そこで一念発起して、ということになったようであるが、1回の受講料が、ワンコインつまり500円というボランティア料金であるのが引力であるに違いない。
当然、受講時間内に完璧に理解できるはずがなく、家で復習ということになる。
私も、できるだけ辛抱強く、私の理解していることは教えようと接しているが、余り同じことを何度も聞かれると、つい声が荒くなる。
今度は、娘をつかまえて、あれこれ聞いている。
娘は、高齢者の扱いに慣れているというか、昔に比べずいぶん辛抱強く丁寧に教えているが、やはり終いには口喧嘩状態である。
どこかで覚えのある体験だと考えてみると、ゴルフのラウンドのとき、似たようなことがあった。
今は昔、バブル華やかなりし頃である。
妻も誘われて、ゴルフの打ちっ放しの練習場に行ったりしていたことがあった。
たまにはコースに出ないと、ゴルフの醍醐味は分からない。
と考えて、一緒に近隣の某名門コースに出かけた。
ラウンドし始めて、すぐ間違いに気づいた。
私の知り合いにも、夫婦で仲睦まじく出かける人はいる。
しかし、我が家の場合、ムリというか無謀であったというべきであろう。
ほんの数ホールのうちに、険悪なムードになり、妻も私も、コリゴリだと悟った。
ゴルフもパソコンも、初心者のレッスンは、他人が行った方がいい。
もう少し拡大して考えると、初等教育全般についても言えるのかも知れない。
家族だと、間合いの置き方が難しいのである。
知人の教師の家庭をみても、何となく納得できるようだ。
両親が教育者という家庭で、理想的な初等教育だと感心させられる例は意外と少ない。
パソコンの例に戻ると、妻は、私の使ったことのないソフトや機能に挑戦しようとしていることもある。
私も一緒に、あれこれ試してみて、使い方が分かったりすると、まあ満足が得られる。
つまり、その段階までは他人のお世話になった方がいいようだ。
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