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2012年1月 8日 (日)

二谷英明と日活アクション映画

俳優の二谷英明さんが亡くなった。

日活アクション映画でヒーローのライバルや相棒などを演じ、テレビドラマでも活躍した俳優の二谷英明(にたに・ひであき)さんが7日、肺炎のため亡くなった。81歳。
京都府生まれ。長崎放送アナウンサーを経て1956年、日活第3期ニューフェースとして「沖縄の民」でデビュー。翌年「浮草の宿」では主役に抜てきされた。その後は「赤い波止場」「やくざの詩」など石原裕次郎、小林旭の主演映画では相手役として出演し、存在感を発揮した。
71年、日活を退社してテレビに活動の主軸を移した。「特捜最前線」では警視正役の渋い演技が評判を集めた。また、妻の女優、白川由美さんと共にJRのCM「フルムーン夫婦グリーンパス」に出演。おしどり夫婦としても知られた。長女は元女優で、「家庭教師のトライ」などを展開するトライグループ社長の二谷友里恵さん。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120108k0000m040110000c.html

上記記事にあるように、1971年以降はTV俳優としての活動が主だったようで、若い人にはそういう記憶が強いだろうが、私の世代にとっては、何といっても日活のアクション映画である。
特に、日活全盛期における裕次郎の敵役・ダンプガイとしての活躍が印象に残る。

私が初めて見たのは、1957年の『俺は待ってるぜ』ではないかと思う。
田舎町の映画館には封切り後半年くらい経ってから上映されていたように記憶している。いずれにしろ中学生の頃のことだ。
トイレ臭のする椅子の綻びた映画館で、東映時代劇に熱中したあと、日活アクション映画にはまった。
最後に映画館で見たのは1964年の『赤いハンカチ』であるから、日活アクション映画を見たのは6~7年くらいの期間である。
受験生時代は控えたように記憶しているから、実質5年に満たない。
二谷さんは、敵役ではあったが、主役に匹敵するような存在感があった。

履歴を見ると、1930年1月生まれで、同志社大学を中退して長崎放送で司会や英語放送のアナウンサーを務めた。
この年代の大学進学者といえば相当のインテリである。
事実、次のような証言がある。

発展途上国に学校を建設するNPOを二谷さんとともに設立した脚本家の小山内美江子さんは、「ボランティアで一緒に訪れたカンボジアで、二谷さんが流ちょうな英語で話す姿が印象深かったです。療養中は、やつれた姿を人に見せたくなかったのか、見舞客には誰とも会わないでいました。俳優としてだけでなく私生活でもおしゃれで、格好よいスターの生き方を通した人でした」と話しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120108/t10015125551000.html

映画で演じた役柄とは大分異なっている。
平成15(2003)年に脳梗塞で倒れた。
華々しかった活動であるが、発症後は、上記のように表の活動を休止し、福祉施設などで療養していたという。
合掌。

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