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2012年1月 3日 (火)

ぼんやりした不安の時代

今年は元旦が日曜日だったので、明日から仕事が始まる人も多いだろう。
年始の恒例行事の箱根駅伝は、東洋大学が昨年の雪辱を果たした。
新・山の神こと柏原君を中心にレベルの高いまとまりを見せ、他校につけいるスキを見せなかった。

平和な年明けのようにも思える一方で、大晦日の夜も更けてから、オウム真理教の一連の事件で指名手配されていた平田容疑者が警察に出頭してきた。
その意図は不明だが、なにやら不穏な雰囲気もある新年でもある。

芥川龍之介が、「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である」と説明して(『或旧友へ送る手記』)服毒自殺を遂げたのは、昭和2(1927)年7月のことであった。
関東大震災の1923年9月から4年後のことになるが、それ以後日本は昭和前期のファッシズムの時代へ雪崩を打って突入していく。
⇒2009年1月20日 (火):張作霖爆殺事件と芥川龍之介の予感
芥川がどこまでを予見していたかは別として、「ぼんやりした不安」は、時を措かず明確な形で顕在化していったわけである。

現在もひょっとして似たような時代状況にあるのではないか?
昨年の東日本大震災は、根本要因は自然現象であるが、災害という現象は、社会的な状況によって規定される。
自公政権の積年の失政に国民の多数が「NO」を突きつけて、鳴り物入りで発足した民主党政権が、全く期待を裏切るものでしかないことがはっきりした。
「将来に対する不安」を抱いている人は少なくないのではないか?

芥川の自殺は、多くの知識人に衝撃を与え、論評の対象となった。
中でも、宮本顕治の『「敗北」の文学』(例えば、新日本文庫、1975)はその代表であろう。
『「敗北」の文学』は、昭和4年総合雑誌「改造」が行った懸賞募集に応募したもので、第一席に選ばれた。
この時、小林秀雄も『様々なる意匠』によってこの懸賞に応募したが、宮本に席を譲ったのである。
⇒2007年12月25日 (火):当麻寺…②小林秀雄

宮本は後に日本共産党の最高指導者の地位に就くが、当時は弱冠21歳の東京大学の現役の学生であった。
この論文の中で、宮本は、芥川の自殺をプチブル・インテリの限界を示すものであり、「(我々は)芥川の階級的土壌を踏み越えていかなければならない」と結んでいる。
さすがに時代のスィートスポットを射ているとは思うが、社会主義国家の行く末を見てしまったわれわれは、どのような道を構想するのか?

タイトルが示すように、宮本は、芥川の自殺を「敗北」と断じたわけである。
そのことは芥川自身によっても自覚されていたとみるべきであろう。
芥川は、『或旧友へ送る手記』の中で、「ぼんやりした不安」の解剖を、「僕の『阿呆の一生』の中に大体は尽してゐるつもりである」としているが、その『或阿呆の一生』の最後の項には、「敗北」のタイトルが付されているのである。

『或阿呆の一生』の冒頭の項は「時代」と題されている。
芥川は、明治25年3月1日生まれであるから、大正改元の時に20歳(第一高等学校在学)、昭和改元の時に34歳であった。
改元は、「時代」を意識させる契機となるであろう。
「時代」の項には、有名な「人生は一行のボオドレエルにも若かない」という句がある。
この言葉を文字通り受け止めれば、芥川の芸術至上主義の心情を示すものとして捉えられよう。

しかし吉本隆明は違う視点で捉えている。
吉本は、『芥川竜之介の死』と題して、芥川の死に対する様々な論者の見方をレビューした後で、芥川の不安は、下町の中産下層の出自とインテリゲンチャとしてそこから抜け出そうと葛藤した結果としての、神経的な不安だとした(『藝術的抵抗と挫折』未来社(1963)所収、初出1959年)。
吉本は芥川の澄江堂遺文の中の「汝と住むべくは下町の」という言葉こそが芥川のホンネであり、「人生は一行のボードレエルにも若かない」という言葉は、「ボオドレエルの百行は人生の一こまにも若かない」であったはずだ、とする。
芥川の「不安」は、時代の動きと同期したものであったということである。

大阪維新の会のリーダー橋下徹の手法・姿勢を、ファシズムに掛けて、「ハシズム」と言うらしい。
大阪の有権者は彼(ら)を圧勝させたが、確かに政策の中身に立ち入るとそのように感じられるものもある。
自民、民主の2大政党への批判の要素も大きいであろうが、昭和前期の歴史を繰り返さないために、じっくりと考えたい。

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