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2012年1月 5日 (木)

佐高信『電力と国家』②松永安左エ門/花づな列島復興のためのメモ(17)

佐高信『電力と国家』集英社新書(1110)は、本来公益としてあるべき電力が、私益追求の道具になっていることを追及した書と言えよう。
もちろん電力会社は一般の利益追求の私企業と異なり、公益企業として、さまざまな制約と保護を受けている。
公益企業とはいかなるものか?

公益企業は、社会のインフラを担うもので、そのエリアでのインフラ提供を前提として、寡占状態を認められています。しかし、その料金設定は寡占状態を利用して高く設定することは許可されず、国が認可するシステムとなっています。
但し、その地域では独占状態にあるため、その企業運営が効率的に行われていない傾向にあり、料金の低下のため、自由化の傾向にあります。
電力分野は大分自由化が進みましたが、昨今の原油高騰で、新規参入発電事業者は青息吐息で事業撤退したところも顕れています。
公益企業は事業撤退が認められませんので、どんなに苦しくても企業運営を継続せざるをえず、そのために寡占価格ではあっても国は認めざるをえない、との関係も成立しています。
http://okwave.jp/qa/q4139812.html

電力は現在、事実上地域独占であり、自由競争ではない。
すなわち、需要者に選択の自由はない。
電力会社には独占価格が認められる代わりに、供給義務が定められている。
⇒2011年5月 8日 (日):日本のエネルギー政策をどうする?/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(24)
電力会社にはとりわけ社会的責任が要求されているのである。
⇒2011年10月16日 (日):九電の「やらせメール」問題と企業の社会性

電力供給の歴史を振り返ってみると、ずっと民営で行われていたわけではない。
電力の歴史を考えるとき、「電力の鬼」と呼ばれた男の存在を抜きには考えられない。松永安左エ門である。
Wikipediaにより、略歴を抜粋しよう。

1875年明治8年)、長崎県壱岐で生まれた。幼名は亀之助。壱岐中学時代、福澤諭吉の『学問のすすめ』に感激し、1889年(明治22年)に東京へ出て慶應義塾に入学。在学中に福澤桃介と知り合う。
1909年(明治42年)、福岡の市電を運営する福博電気軌道株式会社の設立に参加、翌年には九州電気を設立(後に他数社と合併し、九州電灯鉄道)。
1922年(大正11年)に九州電灯鉄道と関西電気が合併して東邦電力になると副社長になった(後に社長)。東邦電力は九州、近畿、中部に及ぶ勢力を持った。さらに東京進出を図り設立された、同社の子会社・東京電力は、東京電燈と覇権を争った。
1927年昭和2年)、東京電燈と東京電力は合併し、東京電燈株の交付を受けた大株主という立場の松永は同社の取締役に就任した。その影響力はもとより、この頃「電力統制私見」を発表し、民間主導の電力会社再編を主張したことなどもあって、「電力王」といわれた。
戦争の激化に伴い、
国家総動員法と合わせて電気事業を国家管理下に置く政策が取られ、特殊法人の日本発送電会社が設立され、9の会社が配電事業を行うことになった(一発電九配電体制)。これに伴う東邦電力の解散(1942年)を期に松永は引退し、以後は所沢柳瀬荘で茶道三昧の日を過ごした。
第二次世界大戦後、所沢から小田原に移り、所蔵していた美術品と柳瀬荘を東京国立博物館に寄贈した。占領政策上、日本発送電会社の民営化が課題になると、電気事業再編成審議会会長に選出された。日本発送電側は独占体制を守ろうと画策したが、反対の声を押し切り9電力会社への事業再編(九電力体制)を実現した。さらに電力事業の今後の発展を予測して電気料金の値上げを実施したため、消費者からも多くの非難を浴びた。こうした強引さから「電力の鬼」と呼ばれるようになった。

まことにスケールの大きい人物だったことが窺われる。
電力料金の値上げについては以下のような紹介がある。

電気は、これから社会で、ますます重要な役割を果たさなければならない。それに伴って、電力需要は大きく伸びるであろう。
・・・・・・
戦後の疲弊から立ち上がったばかりのわが国の電気事業の基盤は、まだまだ脆弱である。これを固めるには、まず、安定した収入を確保しなければならない。それには電気料金を適正なものに設定する必要がある。
一方、電気は、わが国の産業の基幹エネルギーである。電気料金は、そのまま生産コストに撥ね返ってくる。適正な電気料金の設定には、大幅な値上げが必要である。その実施は、各界の大きな反発を買い、四面楚歌を招くことは必定である。
新電力会社発足と同時に、安左エ門は、各電力の首脳を集めて、適正原価に基づく採算可能な電気料金の算出を厳命した。その結果出てきたのが、平均67%の値上げ率であった。安左エ門が委員長代理を勤める公益委は、この計算を基に、電気料金算定基準案をGHQに提出した。
それを知った世論は、予測通り沸騰した。安左エ門への批判、中傷が新聞に載らない日はなかった。労働側からも経営側からも「松永を切れ」という声は高まり、総評を中心とする各労働組合63団体は、電気料金値上げ反対大会を開いて「松永公益委員長代理辞任勧告」を満場一致で承認した。公益委には、電力料金値上げ反対の投書が殺到し、中には「安左エ門を殺す」という脅迫状も混ざっていた。産業界、労働界だけでなく、政府の首脳からも反対の火の手が挙がっていた。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3860/biografias/yasuzaemon2.html

なにやら消費税のことを連想させるが、松永のような「鬼」はどこにいるのだろうか。

松永は、電力中央研究所というシンクタンクを創設し、私設のシンクタンクとして産業計画会議を主宰した。
産業計画会議は、東名・名神高速道路や幻の多目的ダムといわれる岩本ダム(沼田ダム)を提唱した。
実現すれば日本最大のダムになったが、水没面積および水没戸数が余りにも大き過ぎた。
構想だけで終わったが、実現していれば首都圏の水問題(=治水、利水、水環境)を一挙に解決していた可能性がある。

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