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2012年1月30日 (月)

佐高信『電力と国家』⑧ファウスト的契約と新たな対立軸/花づな列島復興のためのメモ(23)

さて、松永安左エ門の執念によって、民営化電力がスタートしたのが昭和26(1951)年5月1日であった。
フクシマ原発事故は、ちょうど60年目にあたる年に起きたことになる。
60年の間にはもちろんさまざまな出来事があったが、原発のスタートに際しても電力会社と国との間に主導権争いがあった。
福島に原発を持って行ったのは、福島出身の木川田一隆だった。

木川田は当初、原発に反対だった。
その彼が豹変した心境を、佐高は次の言葉に読んでいる。

これからは、原子力こそが国家と電力会社との戦場になる。原子力という戦場での勝敗が電力会社の命運を決める。いや、電力会社の命運だけでなく、日本の命運を決めるのだ。

つまり、木川田は国家との戦争の再発を想定し、「負けられない」と考えたのだ。
原発を民間主導で行うべし、としたのが原子力委員長の正力松太郎、国家機関で行うべし、としたのが河野一郎経済企画庁長官(当時)だった。
この戦いは、日本原子力発電という会社の設立という形で決着するが、実質的には電力会社側の勝利だった。
もちろん、原発を推進する側においても、唯一の被爆国日本であることから、手放しで推進すべきだということではなかった。
たとえば、木川田のパートナー・日本原子力産業会議代表常任理事の橋本清之助は、20世紀初頭に人類が手にした3つの文明が、科学技術の成果であると同時に悪魔の申し子ではないか、と言っていたという。
橋本によれば、われわれ原子力関係者は社会と「ファウスト的契約」を結んだ。
ファウストはゲーテの小説の主人公であるが、以下のような契約を悪魔・メフィストテレスと結んだ。

メフィストフェレスが彼に近づき、奴隷として彼に仕え、「広い世界」のすべてのことを体験させようと言う。ファウストとメフィストは賭けをする。すなわち、ファウストが「瞬間」に向かって「とどまれ、おまえは美しい!」と言ったら、その時ファウストは死に、メフィストに魂をやらなければならない。こうしてファウストの人生遍歴が始まる。
http://www.shinkyo.com/concerts/i178-3.html
橋本は、社会に原子力という豊富なエネルギー源をもたらすことと引き換えに、抑制されないときには恐るべき災害を招くという潜在的副作用をもたらす道を選択したことをファウストになぞらえたのである。
そして不幸なことだけれど、その副作用が顕在化してしまったのだ。
私たちは、知っていたのだ。制御を失った原子力が恐るべき災害を招くことを。
忘れていたのではない。知らないふりをして毎日を過ごしてきたのである。

佐高は、国家との緊張関係を失った電力会社は、「企業の社会的責任」も失ったと指摘している。
確かに、地域独占、総括原価方式、発送電一体という現在の体制は、自由な競争による最適化という市場の論理とも相容れない。
原子力ムラという利権共同体では、チェック機能は働かない。

国家対電力という対立軸が失われた現在、それに替わる対立軸はあり得るのか?
佐高は、「中央」対「地方」にその可能性を見ている。
確かに最近は、知事や市長の方が期待感を抱かせるように感じられる。
しばらくは模索の時代が続くのだろうか?

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