佐高信『電力と国家』⑧ファウスト的契約と新たな対立軸/花づな列島復興のためのメモ(23)
さて、松永安左エ門の執念によって、民営化電力がスタートしたのが昭和26(1951)年5月1日であった。
フクシマ原発事故は、ちょうど60年目にあたる年に起きたことになる。
60年の間にはもちろんさまざまな出来事があったが、原発のスタートに際しても電力会社と国との間に主導権争いがあった。
福島に原発を持って行ったのは、福島出身の木川田一隆だった。
木川田は当初、原発に反対だった。
その彼が豹変した心境を、佐高は次の言葉に読んでいる。
これからは、原子力こそが国家と電力会社との戦場になる。原子力という戦場での勝敗が電力会社の命運を決める。いや、電力会社の命運だけでなく、日本の命運を決めるのだ。
つまり、木川田は国家との戦争の再発を想定し、「負けられない」と考えたのだ。
原発を民間主導で行うべし、としたのが原子力委員長の正力松太郎、国家機関で行うべし、としたのが河野一郎経済企画庁長官(当時)だった。
この戦いは、日本原子力発電という会社の設立という形で決着するが、実質的には電力会社側の勝利だった。
もちろん、原発を推進する側においても、唯一の被爆国日本であることから、手放しで推進すべきだということではなかった。
たとえば、木川田のパートナー・日本原子力産業会議代表常任理事の橋本清之助は、20世紀初頭に人類が手にした3つの文明が、科学技術の成果であると同時に悪魔の申し子ではないか、と言っていたという。
橋本によれば、われわれ原子力関係者は社会と「ファウスト的契約」を結んだ。
ファウストはゲーテの小説の主人公であるが、以下のような契約を悪魔・メフィストテレスと結んだ。
メフィストフェレスが彼に近づき、奴隷として彼に仕え、「広い世界」のすべてのことを体験させようと言う。ファウストとメフィストは賭けをする。すなわち、ファウストが「瞬間」に向かって「とどまれ、おまえは美しい!」と言ったら、その時ファウストは死に、メフィストに魂をやらなければならない。こうしてファウストの人生遍歴が始まる。
http://www.shinkyo.com/concerts/i178-3.html
そして不幸なことだけれど、その副作用が顕在化してしまったのだ。
私たちは、知っていたのだ。制御を失った原子力が恐るべき災害を招くことを。
忘れていたのではない。知らないふりをして毎日を過ごしてきたのである。
佐高は、国家との緊張関係を失った電力会社は、「企業の社会的責任」も失ったと指摘している。
確かに、地域独占、総括原価方式、発送電一体という現在の体制は、自由な競争による最適化という市場の論理とも相容れない。
原子力ムラという利権共同体では、チェック機能は働かない。
国家対電力という対立軸が失われた現在、それに替わる対立軸はあり得るのか?
佐高は、「中央」対「地方」にその可能性を見ている。
確かに最近は、知事や市長の方が期待感を抱かせるように感じられる。
しばらくは模索の時代が続くのだろうか?
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