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2012年1月18日 (水)

伊勢斎宮跡から最古の「いろは歌」の土器片/やまとの謎(53)

三重県明和町の斎宮跡から、最古とされる「いろは歌」が書かれた土器片が出土した。

120118_2三重県明和町の斎宮歴史博物館は十七日、同町の国史跡斎宮跡(さいくうあと)から、手習い歌の「いろは歌」が平仮名で墨書された土器の破片が出土したと発表した。土器の年代から平安時代後期(十一世紀末~十二世紀前半)のものと推定され、平仮名のいろは歌の史料としては日本最古。女官が文字を覚えるために書いたと考えられる。
見つかったのは土器の破片四個で、つなぎ合わせると縦六・七センチ、横四・三センチ、厚さ一センチ。素焼きの皿の一部となる。内面に「ぬるをわか」、外面に「つねなら」と、いろは歌の語の順に、平仮名が書かれている。
斎宮は、飛鳥時代から南北朝時代にかけての朝廷の機関。天皇の代わりに伊勢神宮に仕えるため、都から派遣された皇女「斎王(さいおう)」が過ごした。土器は、平安時代に斎王の宮殿があったとされる場所で見つかった。
素焼きの皿は当時、儀式用に大量に作られ、使用後に捨てられた皿が文字の練習にも使われた。斎王に従って都から来た女官は教養を持っており、皿のいろは歌は、地元で採用された下級の女官が文字を覚えるために書いた可能性が高い。
斎宮跡では、平仮名が書かれた土器は九世紀後半以降のもので約七十点見つかっているが、いろは歌と判別できたのは今回初めて。いろは歌は十世紀末~十一世紀中ごろに成立したとされ、万葉仮名で書かれた史料にはさらに古いものがある。
斎宮歴史博物館の新名強(しんみょうつよし)調査研究課主査は「いろは歌や平仮名の普及の過程を考える上で、全国的に貴重な史料」と評価している。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012011802000032.html

「いろは歌」は日本人なら誰でも知っているだろう。
「いろは」というのは、モノゴトのはじめであり、手順である。
英語で言えば、「ABC」に相当する。
「いの一番」といえば、最初である。「犬も歩けば棒に当たる」でお馴染みの「いろは歌留多」は、広く大衆に親しまれた。
「め組の喧嘩」で知られる「め組」は、江戸の町を護る火消しで「いろは組町火消」と呼ばれた中の「め組」である。
「いろは歌」は、全ての仮名を使い、重複がない。手習い歌であり、七五調四句の今様形式になっている。
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Wikipedia

漢字表記から汲み取れるように、仏教的な無常観を感じる。
作者は、弘法大師・空海とする説が広く流布していたが、空海の可能性はほとんどないと考えられている。
空海の活躍していた時代に今様形式の歌謡が存在しなかったということもあるが、何より最大の理由は、空海の時代には存在したと考えられている上代特殊仮名遣とは、「こ」の甲乙の区別はもとより、「あ行のえ(e)」と「や行のえ(je)」の区別もなされていないことが異なっているからである。
⇒2008年2月 9日 (土):上代特殊仮名遣い
⇒2011年11月24日 (木):『古事記』偽書説/やまとの謎(48)

現存する最古の「いろは歌」は、1079年成立の『金光明最勝王経音義』とされている。
しかしそれはいわゆる万葉仮名であり、ひら仮名ではない。
Photo_5
村上通典『「いろは歌」の暗号』文藝春秋(9401)

「いろは歌」の解釈には、いわゆる暗号説もある。
代表例は、7字ごとの配列にしたときの末尾が「とかなくてしす=咎無くて死す」というものである。
Photo_6
同上

確かにそうも解釈できるが、牽強付会のような気もする。
いずれにせよ、成立過程の吟味が決め手であろうから、今回の発見によって今後どのように展開していくか楽しみである。

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