草原の王朝「契丹」展@静岡県立美術館
かつて北アジアに、契丹という国があった。
いまからおよそ1000年前、唐王朝が滅亡し中華世界が混沌を続けるころである。
巧みな騎馬戦術と唐を継承する高い工芸技術によって国力を増大させ、200年の長きにわたって栄華を極めた。
契丹(きったん、キタン、キタイ、英語: Khitan/Khitai、ピンイン: Qìdān)は、4世紀から14世紀にかけて、満州から中央アジアの地域に存在した半農半牧の民族。10世紀初頭に現在の中国の北部に帝国を建国し、国号を遼と号した。しかし12世紀に入り次第に勢力を強める女真が宋と結び南下し、挟撃された遼は1125年に滅ぼされた。契丹人の多くは女真に取り込まれ、一部は中央アジアに逃れて西遼(カラ・キタイ)を建てた。
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その契丹文化の粋を集めた、美しい宝飾品、ガラス細工、陶磁器などの文化財の展覧会を静岡県立美術館で見てきた。
高校の世界史では、「遼」の名前は覚えているが、余り馴染みがない。
隣の西夏についても同様であるが、学生の頃、西田龍雄京都大学教授による西夏文字の解読の業績について聞いたことがあり、いろんな研究分野があるものだと感じ入った記憶がある。
いずれにしろ、ロマンを誘う国々である。
展覧会では、契丹王朝を生きた3人のプリンセスにちなんだ貴重品が展示された。
トルキ山古墓の「トルキ山のプリンセス」
契丹第5代皇帝を祖父に持つ「陳国公主(ちんこくこうしゅ)」
そして第6代皇帝の第2夫人「章聖皇太后(しょうせいこうたいごう)」
これらのプリンセスにゆかりのある「一級文物(国宝に相当)」。
圧巻は彩色木棺であろう。
2003年にトルキ山古墓から出土した木製の棺と棺台である。
大輪の牡丹、鳳凰、護衛の契丹人、金銅製の風鐸や獅子など、華美な装飾がふんだんに施されている。
修復処理は必要だったらしいが、1000年近くの時が経過したとは感じられないものだ。
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