JR西日本福知山線事故判決の法理に対する疑問
JR西日本の福知山線事故に関し、山崎前社長に対する業務上過失致死容疑に対して、神戸地裁が無罪判決を下した。
107人が死亡した2005年の尼崎JR脱線事故で、業務上過失致死傷罪に問われたJR西日本前社長、山崎正夫被告(68)の判決公判が11日、神戸地裁で開かれ、岡田信(まこと)裁判長は「事故が起きることを予測できたとはいえず、過失は認められない」として、山崎被告に無罪(求刑禁錮3年)を言い渡した。
JR史上最悪の事故をめぐり、経営幹部の過失が問われた異例の裁判だが、刑事責任は認められない結果となった。
神戸新聞い
「事故が起きることを予測できたとはいえず、過失は認められない」という論理をどう理解すべきか?
素人が素直に解釈すれば、「事故が起きることを予測できた」「のにもかかわらず事故が起きた」のならば、それは「故意」というべきではないか?
重大な事故が起きた。自然災害ではない。
「故意」でもなく、「過失」でもないとすれば、事故は自然発生的に起きたのか?
そもそも、「故意」と「過失」の違いは何か?
一般には、対象となる行為が意図的なものであったか否かであろう。
⇒201010月 1日 (金):故意と過失/「同じ」と「違う」(21)
ところが、故意と過失は截然と分かれているわけではない場合がある。
たとえば、「未必の故意」とか「認識ある過失」というややこしい概念がある。
以下の説明を見よう。
「痛い目にあわせてやる!」と相手に向かって自動車で突進し、重傷を負わせたら...。
いきなり、血生ぐさい話で恐縮ですが、こんな場合、傷害罪(刑法204条)に問われることは、法律に明るくない方でもわかりますよね。
明らかに、傷害の故意がありますから。
では、狭い道路のわきを子供が歩いているとして、「このまま走り抜けたら、ひょっとして、子供に接触するかも。」と思いつつ、道路を走り抜けたところ、子供と接触して怪我を負わせてしまったら...。
そういう場合は、業務上過失致傷罪(刑法211条前段)として、過失犯なのでは、とも思えます。
しかし、この場合にも故意が認められ、傷害罪が成立する場合があるのです。
それが、「未必の故意」なのです。
上の事例で、「子供に接触するかも。でも、仕方ない。」と、子供が場合によっては怪我をしてもやむをえない、と結果の発生を認めてしまうと、「未必の故意」として、故意が認定されるのです。
これに対して、「子供に接触するかも。でも、道路の幅がこれだけあれば、まさか、そんなことはあるまい。」と思った場合はどうでしょう。
子供に接触するかも、とは思っても、そんなことはまず起こらないだろう、と結果の発生を認めない場合、「認識ある過失」として、故意は認定されず、過失が認定されるにすぎないのです。
同じ過失でも、急に路地から子供が飛び出してきたため、自動車がぶつかり、怪我を負わせてしまった場合には、運転者としては、子供が飛び出してきて怪我を負わせることは思いもしていなかったのですから、結果の認識がなく、「認識のない過失」ということになります。
このように、「未必の故意」と「認識ある過失」とは、非常に判断が微妙な隣り合った概念なのです。
http://www.hou-nattoku.com/mame/yougo/yougo12.php
意図性の程度で順番に並べれば以下のようになろうか。
故意>未必の故意>認識ある過失>認識のない過失
福知山線の事故の場合、「認識のない過失」にも相当しないということだろうか?
過失に該当するかどうかは、予見可能性の判断に係わる。
⇒2009年7月18日 (土):過失論と予見可能性
山崎前社長についても予見可能性について判断された。
判決の骨子は次の通りである。
一、本件事故まで、カーブにATS整備を義務付ける法令上の規定はなく、脱線転覆の危険のあるカーブを個別に判別したATS整備はされていない。
一、カーブの半径を半減させる工事は珍しいが、同規模以下のカーブは多数存在した。
一、ダイヤ改正は大幅な余裕を与えるもので当時、時速120キロ近い速度で走行する必要はなかった。
一、函館線事故は閑散区間の長い下りで起きた貨物列車の事故で、本件事故は想起させない。
一、周囲の進言を受けないまま現場カーブの危険性を認識するのは容易ではない。予見可能性の程度は相当低く、注意義務違反は認められない。
神戸新聞
山崎前社長「個人」は予見できなかったかも知れない。
しかし、問われているのは「個人」としての山崎ということか?
「法人」の代表者としての山崎ではないのか?
「法人」としてのJR西日本には、鉄道運行のプロとして「注意義務違反があった」と判断する方が妥当のように思える。
納得し難いものが残る判決だった。
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