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2011年12月30日 (金)

復興庁と帝都復興院/「同じ」と「違う」(39)

今年の重大ニュースといえば、何と言っても東日本大震災を擱いては語れない。
震災からの復興の中核となるべき復興庁に関する設置法案も、ようやく12月6日に成立した。
⇒2011年12月11日 (日):御殿場・時の栖のイルミネーション

震災復興の基本的な方針の策定などを行う「復興庁」について、政府は、来年2月に設置する方針で、職員の確保に向けて調整を進めています。これについて、平野復興担当大臣は、記者会見で、「2月上旬の復興庁設置を目指して、現在、自治体と最終的に調整している。職員については、各省庁にお願いして、できるだけ早く250人の常駐する職員を確保したい」と述べ、ほかの省庁との兼務も合わせ250人の職員の態勢で、来年2月にスタートさせたいという考えを示しました。具体的には、東京に置く「本庁」におよそ160人、岩手・宮城・福島の3県の県庁所在地に置く「復興局」と沿岸部に置く「支所」を合わせ、3県それぞれにおよそ30人の職員を配置する方針です。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111224/k10014879781000.html

復興が本格的に進んでいくことを念願する。
1923年に発生した関東大震災ではどうであっただろうか?
関東大震災が発生したのが9月1日。「防災の日」設置の理由の1つとなっていることはよく知られている。
帝都復興院という政府機関が設置されたのが9月27日のことだった。僅か26日後のことである。
もちろん、戦前と現在では議会制度からして違うので、同一平面で単純に比較はできないであろうが、来年2月の設置ということになれば、およそ11ヶ月後である。
民主党政権(菅、野田)のスローぶりは際立っているといえよう。

民主党政権も決してサボタージュをしていたわけではないだろう。
逆に、精一杯の対応だっただろうと思う。しかし、期待からすると著しく遅いと言わざるを得ない。
何故か?
結局は、準備不足のまま、政権交代をしたということだと思う。

現在の民主党の幹部には、政権運営の経験者は皆無である。
もっとも経験豊富な小沢一郎氏は、強制起訴を受けて党員資格停止処分中の身だ。
支持率を確保するための「脱小沢」路線が裏目に出たということだろう。
もし、陸山会事件で無罪判決が出たら、どういう総括をするのであろうか?

今の時点で振り返れば、小沢氏が代表当時、民主党には政権担当能力が不足しているとして、自民党の大連立に乗ろうとしたのも宜なるかな、と思う。
民主党幹部の総反対で大連立構想は実らず、小沢氏の辞表提出に至るが、今度は必死で慰留する。
その後の総選挙で圧勝した民主党は、議席数を過信したのではなかろうか?
結局マニフェストの実現に向けて真摯に取り組むことはせず、東日本大震災にあっても、復興庁の設置に1年近くを要することになってしまった。

関東大震災からの復興には、山本権兵衛内閣の内務大臣だった後藤新平が復興対策のリーダーシップを振るったといわれる。
特に民主党におけるリーダーシップの欠如が後藤との対比で語られることが多い。
しかし、筒井清忠氏は次のように注意を喚起している。

日本近現代史を研究した者からすると復興院は早い段階で廃止された組織でありそれを参考にするということ自体が不正確な歴史認識に基づいた議論にしか思われない。
・・・・・・
通常想定されているのとは異なり、関東大震災後の政治過程の主たる政治焦点は震災からの復興の問題ではなく、普通選挙・新党問題の方にあった。その一焦点が後藤新平であった。後藤は震災からの復興に関わる組織をも利用して一部政党の乗っ取りによる新党形成を策したのである。しかし、冒険的で強引な手法をとったためそれは一時的成功に終わらざるを得なかった。さらに、政府の最大の武器である「解散総選挙」が後藤らの閣内地位の低下と閣内の不統一のために駆使できないと見定めた反対党の政友会の判断により最後の政治的勝敗は決し後藤は敗北する。復興院は廃止され内務省の外局の復興局となるのである。
東日本大震災からの復興に関し、関東大震災の復興院を参考にした形で、復興庁の設置が決まった。それならば、復興院は計画のみに携わったのであり実施は内務省外局の復興局と東京市が担ったことを忘れるべきではない。すなわち、関東大震災後の復興が評価されるというのであれば、復興計画のために新官庁が出来ることがあるとしても実施は既成の所管官庁(もしくはプラス外局程度の規模のものの新設)と地方自治体とで十分ということになるはずである。 また、政府はすでに復興構想会議を設置している。復興構想会議は文字通り復興の構想を練る会議であるはずだ。そうするとこの報告を受ける首相を本部長とする復興対策本部が復興構想会議のプランを各省庁に割り振って各省庁が実施していくということが可能であれば、意見集約の困難な各省からの寄せ集め官僚の統合体のような新官庁は不要だったはずなのである。復興は迅速を要する。 来るべき復興庁のあり方はこのような視点から検討されるべきであろう。
http://www.tkfd.or.jp/topics/detail.php?id=289

既にして、「復興構想会議? そんな組織があったなあ」といった感じである。
政治主導のはずだったが、いつの間にか官僚主導になってしまっている。民主党政権は、官僚の操り人形化しているように見える。

橋下徹氏率いる大阪維新の会が強い支持を集めているのは、民主党との対比で、リーダーシップがあるように感じられるからではないか。
リーダーシップとはどういうことか?
言ったことを率先して実行に移すことである。

帝都復興院は、筒井氏の言うように、必ずしもサクセスモデルではない。
自分のアタマで考えて、実行する。
復興庁が有効に機能するとしたら、それしかないように思われる。

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コメント

民主党には何かひっぱてくれるリーダーが
必要なんでしょうね。

投稿: よし@リーダシップ | 2012年8月30日 (木) 00時26分

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