石井恭二氏と現代思潮社/追悼(17)
現代思潮社を創業した石井恭二氏が亡くなった。
Wikipediaによる略歴は以下の通り。
東京生まれ。東京府立第十一中学校(現・東京都立江北高等学校)の同級に森本和夫がいる。1957年に現代思潮社を創業。埴谷雄高、吉本隆明、澁澤龍彦、サド、バタイユ、ブランショ、デリダなどの著作を先駆的に刊行。澁澤と共にサド裁判を闘い、1969年、わいせつ物頒布等の罪により最高裁判所で罰金10万円の有罪判決を受けた。
二十歳代から道元に親しんだ。神郡周(かんごおり・あまね)の筆名で古典の校注もしたが、97年現代思潮社が倒産すると同社を離れ、本名での著作活動を始めた。
2011年11月29日、乳頭部がんのため死去。83歳没。
現代思潮社は、マイナーといっていいだろうが、私の世代にとっては比較的馴染みのある出版社だ。
Wikipediaには以下のようにある。
1957年に石井恭二が創業した。1996年に石井が経営を離れ、2000年に現代思潮新社と名称を改めた。
新左翼系の思想書籍をはじめ埴谷雄高、吉本隆明、武井昭夫、澁澤龍彦、ドイツやフランスの哲学などの著作を刊行した。また、日本古典のなかでも、『古事談』、『陸奥話記』等の地味な作品の翻刻を刊行している。
1969年に美学校を設立し、前衛芸術の拠点にもなった。
端的に言えば、異端に肩入れしてきた出版社といえよう。
たとえば、マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』事件である。
Wikipediaでは事件の概要を以下のように要約している。
被告人澁澤龍雄(筆名・澁澤龍彦)ならびに現代思潮社社長石井恭二は、マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』を翻訳し、出版した。しかし、同書には性描写が含まれており、これがわいせつの罪に問われたものである。
一審無罪、二審有罪だったが、最高裁で有罪で決着した。
しかし、以下のような反対意見が付されたことでも分かるように、判断は微妙である。
田中二郎裁判官
猥褻文書に該当するかどうかは、その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものである。訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、本件抄訳をなしたものと推認され、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない。
色川幸太郎裁判官
表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となる。情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない。
もちろん猥褻か否かはチャタレー裁判以来、読み方や考え方によって賛否両論の対立する問題であるが、現時点で見れば「悪徳の栄え」などは、ほとんど問題にすらならないのではないか。
日本古代史の分野でも、異端に分類されるであろう小林惠子氏の著書等を刊行してきた。
『白村江の戦と壬申の乱』(8712)、『高松塚被葬者考-天武朝の謎』(8812)などを読んだが、通説とは余りに乖離があり過ぎる気がする。
近刊は、『広開土王の謚は仁徳天皇』(1111)。十分に異端といえよう。
私にとっては、吉本隆明氏の『擬制の終焉』(1962)や『異端と正系』(1960)が記憶に残っている。
周りの友人たちは日本共産党系の活動家もしくはシンパが多かったが、大学入学後に初めて接した吉本氏の文章に魅了された。
たとえば、『擬制の終焉』の一節。
安保闘争は奇妙なたたかいであった。戦後一五年目に擬制はそこで終焉した。それにもかかわらず、真制は前衛運動から市民思想、労働運動のなかにまだ未成熟なままでたたかわれた。いま、わたしたちは、はげしい過渡期、はげしい混乱期、はげしい対立期にあしをふみこんでしる。そして情況は奇妙にみえる。終焉した擬制は、まるで無傷でもあるかのように膨張し、未来についてバラ色にかたっている。いや、バラ色にしか語りえなくなっている。安保過程を無傷でとおることによって、じっさいはすでに死滅し、死滅しているがゆえに、バラ色にしかかたりえないのだ。情況のしづかなしかし確実な転退に対応することができるか否かは、じつに真制の前衛、インテリゲンチャ、労働者、市民の運動の成長度にかかっている。
http://wiki.livedoor.jp/shomon/d/%B5%BC%C0%A9%A4%CE%BD%AA%DF%E1
爾来半世紀を閲したが果たして本当に「擬制」は終焉したのか。
石井氏は、現代思潮社倒産後、道元(正法眼蔵)や親鸞等に関する自らの著述に取り組んできた。
そういえば、「親鸞没後750年」という節目の年を迎えて、寺全体が高揚しているかのような西本願寺を訪ねたばかりである。
⇒2011年11月30日 (水):龍谷ミュージアム/京都彼方此方(3)
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