« 復興庁と帝都復興院/「同じ」と「違う」(39) | トップページ | 新しき年の初めに »

2011年12月31日 (土)

今年を振り返って

2011年は、文字通り日本列島が震撼した年であった。
東京証券取引所は、29年ぶりという安値水準で大納会を終えた。
ユーロは10年半ぶりに100円を割った。
社会保障と税の一体改革の政府案の大綱は、党内に強い反対意見が残るまま決定した。
この国を覆う暗雲はますます厚く垂れ込めているように見える。

個人的には、恐れていた再発もなく、1年を終えることができたことは有り難いことであると思う。
再発してまた入院などということになるのが一番怖い。
もちろん、後遺症がもう少し軽減されていれば、とは思うが、リハビリの効果も未だあるから、継続して続ければもう少しマシになるだろう。

2011年は、日本史において、東日本大震災の年として記録されることになろう。
これから長い復興の道のりが始まる。
それは、新しい日本の「国の形」を作るものでなければならないであろう。
⇒2011年3月22日 (火):津々浦々の復興に立ち向かう文明史的な構想力を
⇒2011年10月18日 (火):日本経済のクァドリレンマ/花づな列島復興のためのメモ(8)

個人史的な思いからすると、わゆる戦後という時代が終焉した年という思いが強い。
⇒2011年8月 8日 (月):「3・11」と日本の「戦後」
1944(昭和19)年生まれであるから、〈戦後史=個人史〉である。
特に、学校で工学を学んだ身としては、フクシマ原発事故は大きな衝撃であった。

戦後史は、敗戦によりスタートした。
国土は荒れ、ヒロシマ、ナガサキに落とされた原爆によって、彼我の科学技術の差に目が覚めた。
まさに、幕末の黒船と同様であった。
⇒2011年5月19日 (木):核エネルギー利用と最終兵器/『ゴジラ』の問いかけるもの(3)

経済成長 至上主義は、明治の富国強兵政策を再現するものであった。
タテマエ上は戦争のための武力を放棄したから、自衛隊は日陰に咲く花だった。
相次ぐ自然災害が自衛隊の力をクローズアップした。
⇒2011年12月15日 (木):山下文男さんと「津波てんでんこ」

私が工学を学んだのは、池田勇人内閣が「国民所得倍増計画」を打ち出した頃であった。
国策として経済成長が図られた。
⇒2011年7月31日 (日):アマチュアリズム/梅棹忠夫は生きている(4)
⇒2011年12月24日 (土):『成長の限界』とライフスタイル・モデル/花づな列島復興のためのメモ(15)

社会人になってまもなく、田中角栄の『日本列島改造論』が出た。
国土の高度利用は多くの歪みを生んだ。
都市化と共にコミュニティや家族の絆は失われていった。
⇒2010年8月18日 (水):戦後史と“家族の絆”の行方
⇒2010年8月25日 (水):“家族の絆”は弱まっているか?

震災により家族やコミュニティの大切さが再認識され、今年の世相を表す漢字には、「絆」が選ばれた。
⇒2011年3月23日 (水):震災を耐え抜いた家族の絆
⇒2011年12月12日 (月):今年の漢字は、「絆」

もちろん、成長により配分のパイを大きくすると共に、格差を是正する努力もなされてきたといえよう。
原発は、成長のための必要条件であったが、立地地域に対する開発利益の還元も行われた。
多額の交付金が、原発の電源地域に投ぜられた。
過疎化しつつある地域にとって、原発は地域産業として魅力的だっただろう。

私も含め、国民は、原発による文明生活を享受してきたのである。
しかし、フクシマの事故は、オルタナティブ・エネルギーの方向に進まざるを得ないことを示している。
現存する国民の半数が、事故処理の完了を見届けられない技術が健全なものとは思えない。
⇒2011年12月22日 (木):私たちは廃炉の完了を見ることはないのか?/原発事故の真相(15)

そして政府がマニフェストに中止を明記しながら、事業継続を決めた八ッ場ダム。
利根川の治水は、江戸に幕府を移して以来の大きな課題である。
「水を治める者は国を治める」といわれるように、治水は国政上の重要課題である。

利根川はかつて東京湾に注いでいたが、いわゆる東遷事業によって太平洋に注ぐようになったものである。
利根川治水を困難化しているのは、かつて流域に存在した遊水効果が、土地利用の高度化などにより許されなくなったことである。
中条堤はその典型である。
⇒2009年12月 6日 (日):専門家による「八ツ場ダム計画」擁護論(2)中条堤の遊水効果
⇒2009年12月 4日 (金):今後の治水対策のあり方

さらにいえば浅間山の噴火の問題がある。
天明3(1783)年に大噴火した浅間山は、東北地方に対して深刻な冷害と飢饉をもたらした。
⇒2009年10月11日 (日):八ツ場ダムの深層(1)天明3年の浅間山大噴火
そして、利根川の支川吾妻川には土石流が流れ込んだ。
⇒2009年10月16日 (金):八ツ場ダムの深層(6)吾妻川の地政学

賛否が鋭く対立している八ッ場ダムであるが、浅間山大噴火の影響はどう考えられているのであろうか?
東日本大震災という1000年に一度ともいわれる大災害を体験したわれわれは、もはや「想定外」というロジックで対策を放置するわけにはいかないのである。

大転換の年も暮れて行くが、夕陽はいつものように美しい。
Img_00352
私も引き続きリハビリに励んで、日本がこの先どういう方向に進んでいくのか、できるかぎり見届けたいと思う。

|

« 復興庁と帝都復興院/「同じ」と「違う」(39) | トップページ | 新しき年の初めに »

ニュース」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/395349/43553942

この記事へのトラックバック一覧です: 今年を振り返って:

« 復興庁と帝都復興院/「同じ」と「違う」(39) | トップページ | 新しき年の初めに »