『成長の限界』とライフスタイル・モデル/花づな列島復興のためのメモ(15)
社会人になって間もない頃、ローマクラブの『成長の限界』ダイヤモンド社(7205)が発行された。
MITのD.メドウズを主査とする国際チームが、SD(システムダイナミクス)という手法を用いて、人類の成長は、資源の枯渇や環境の汚染により限界に達することを、可視化して警鐘を鳴らしたものだった。
結論自体は、マルサス『人口論』などと同様のことともいえるが、SDによる結果の表示は、いまでいう「見える化」の効用を十分に発揮した。
http://www.tuins.ac.jp/~ham/tymhnt/stories/05jan01/conv.html
石油化学の技術者だった私が、リサーチャーに転身しようと思ったきっかけの1つとなった本である。
⇒2009年4月 4日 (土):同級生の死
⇒2009年7月12日 (日):公害問題と環境問題
⇒2010年7月18日 (日):「情報産業論」の時代/梅棹忠夫さんを悼む(6)
学生時代の終わり頃、世界的な規模で起きた学生の反乱によって、否応なく自分の生き方を問われることになった。
将来を嘱望されていた素粒子論研究者だった東大(全国)全共闘議長の山本義隆さんは、予備校教師となり、物理学のパラダイム形成史の探求に転じた。
私の親しい同級生の1人は、中央官庁の上級職(現在はⅠ種?)に見切りをつけ、いち早く中・高校教師になった。
大学の同級生の大部分は、いわゆる有名大企業に就職した。
今と比べれば、格段に新卒の就職事情は良かったと言えるだろう。
しかし、転職は今ほどにはポピュラーではなかった。友人のほとんどは、最初に就職した大企業に留まって、それぞれ業績を上げ(多分)た。
現在は悠々自適の人もいるし、第二・第三の職場で活動している人もいる。
私は最初に就職した会社から、コンサルティング系の調査機関に転職した。
それは、自分なりに熟慮をした結果だと考えているが、家族にとっては苦難の道の始まりだったかも知れない。
しかし、今振り返ってみて、転職をしないで過ごしたとすれば、大きな悔いを残したことになるだろう。
東日本大震災によって、世の中に、1960年代末から70年代初頭にかけての時代と似たような問題意識が出ているような気がする。
特に、フクシマの事故により、エネルギー政策が厳しく問い直されることになった。
2010年6月、民主党政権下で閣議決定したエネルギー基本計画は、CO2を排出しない原子力に比重を置かざるを得ないという判断のもと、2030年までに原子力発電所を14基新増設し、電力の53%を賄うという目標を設定した。
しかしフクシマの事故以前に、この計画のロジックはすでに破綻していたといえよう。
地球温暖化防止というエコロジーのために、原子力利用を推進するという論理の欺瞞性は、明らかである。
エネルギー制約、環境制約の中で、人類はどのような針路を目指すべきか?
LOHAS(Lifestyles Of Health And Sustainability :健康と持続可能性の、またこれを重視するライフスタイル)も広く人口に膾炙した言葉になっている。
折しもブータン国王夫妻が来日し、かの国の「国民総幸福度」という概念が注目を集めたりした。
省エネはもちろん必要である。
省エネのための技術革新も進んで行くであろう。
しかし、原子力に頼らないで、必要にして十分なエネルギーを、再生可能エネルギーだけで賄えるのであろうか?
南アフリカで開催中のCOP17(国連気候変動枠組み条約第17回締約国会議)は、難航の末12月11日閉幕した。
12年末で期限を迎える京都議定書の温室効果ガス削減義務期間を延長することを決定したほか、20年にすべての国が参加する新枠組みを発効させることを盛り込んだ工程表を採択し、閉幕した。日本は議定書の延長期間に参加せず、新枠組みまで自主的な対策を実施する。
・・・・・・
さらに注目される点は、先進国と途上国という二分法を廃し、すべての国が参加する枠組みづくりで合意したことだ。新枠組みが実現する20年以降は「共通だが差異ある責任」の観点から先進国の責任が重いとした同条約(92年採択)や京都議定書から一歩、踏み出した。史上最長の会議となるほど難航した背景には、こうした既成の枠を変えようとした経緯がある。
だが、議定書の延長期間は決まらず、参加するのは欧州連合(EU)やノルウェーが中心になる。参加国の排出量は世界全体の15%にとどまる。
「温暖化被害を抑えるのは、この10年間が重要」と国連機関は分析する。今回の合意は、温暖化対策の将来に期待を抱かせるが、具体的な削減目標といった各国の対立が先鋭化する要素は今後に委ねられた。「画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く」とならないよう、各国の姿勢が問われる。
http://mainichi.jp/life/today/news/20111212k0000e030089000c.html
解はまだ得られていない。
日本は京都議定書から離脱したが、この分野こそ、リーダーシップを発揮すべきではなかろうか。
東日本大震災という事態が起き、フクシマ原発事故という現実を踏まえて、日本発の新しいモデルを提示できないものだろうか。
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