大津皇子と磐余池
古代史の舞台として有名な磐余池の跡ではないかと推測される堤跡が見つかったと報じられている。
日本書紀や万葉集に登場しながら所在地が不明だった古代のダム「磐余池(いわれいけ)」とみられる6世紀の池の堤跡が奈良県橿原市東池尻町で見つかり、橿原市教育委員会が15日発表した。
池は国内最古で、堤跡の上では、大型建物跡も発見された。磐余池のほとりに造ったとされる聖徳太子の父・用明天皇の「磐余池辺双槻宮(いけのべのなみつきのみや)」の可能性を指摘する研究者もおり、飛鳥時代以前に大和王権の中心地にもなった「磐余」地域の歴史を解明する大きな手掛かりとなる。
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朝鮮半島由来の大壁建物と呼ばれる6世紀後半以前の建物跡も見つかり、土木技術にたけた渡来系集団が池を造ったとみている。
日本書紀などは、「磐余」の地名を冠した4人の天皇の宮や池にまつわる物語を伝える。万葉集は、謀反の罪に問われた天武天皇の子、大津皇子が磐余池の堤で詠んだとする辞世の歌(巻3・416)を載せる。
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<和田萃・京都教育大名誉教授(古代史)の話>現場周辺は池を造るのに適した場所。池にまつわる小字名も残り、磐余池とみて間違いないと思う。大型建物跡は池を眺めたテラスのような施設の可能性もある。
<上野誠・奈良大教授(万葉文化論)の話>東アジアの宮殿庭園をモデルにした池で、見る場所で変化する景観を天皇が楽しんだのだと思う。当時は有名な池だったので、大津皇子もここで歌を詠んだのではないか。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011121690001320.html
大津皇子が磐余池で詠んだといわれる辞世の歌。
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
この歌は、謀反の罪で処刑されたとき、「磐余池の堤で涙を流して作った」と、万葉集に記されている。
まさに、小松崎文夫『皇子たちの鎮魂歌―万葉集の“虚”と“実”』新人物往来社(0403)の世界であろう。
⇒2008年10月 8日 (水):『万葉集』巻1・巻2の構成
大津皇子は、私が日本古代史や『万葉集』に興味を持つようになったきっかけを与えてくれた人物である。
石川郎女との相聞歌に先ずしびれた。
⇒2007年8月27日 (月):偶然か? それとも・・・②大津皇子
⇒2010年12月15日 (水):大津皇子と相聞コミュニケーション/やまとの謎(18)
そして、処刑されたという大津皇子をめぐる政治状況に関心を掻き立てられた。
⇒2007年8月31日 (金):大津皇子処刑の背景・・・①梅原猛説
⇒2007年9月 1日 (土):大津皇子処刑の背景・・・②上山春平説
⇒2008年5月21日 (水):大津皇子処刑の背景…③林青梧説
持統天皇から文武天皇にかけての時代には謎が多い。
正史も『日本書紀』は持統天皇で終わり、『続日本紀』は文武天皇から始まっているが、靄がかかったような状態であって、諸説が繚乱として花開いている感じである。
⇒2008年2月 3日 (日):草壁皇子と大津皇子…砂川史学⑪
⇒2008年10月29日 (水):小林惠子氏の高松塚被葬者論…⑤大津皇子と朱鳥(朱雀)年号
⇒2008年11月13日 (木):岡本正太郎氏の高松塚被葬者論…⑤大津皇子について
皇位継承、高松塚被葬者、朱鳥年号など第一級の謎の、1つの焦点が大津皇子である。
大津皇子には1人の姉がいた。優れた歌人だった。
⇒2008年1月30日 (水):大来皇女
2人の母にあたる大田皇女の墓の有力な候補が、ちょうど1年前に発見された。
⇒2010年12月10日 (金):大田皇女の墓?/やまとの謎(14)
今回の磐余池の堤跡の発見は、これらの謎の解明にどう寄与するであろうか。
また、堤跡の上の大型建物跡は用明天皇の磐余池辺双槻宮と関係があるのだろうか。
今後の展開に胸躍るような期待感が高まる。
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