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2011年12月

2011年12月31日 (土)

今年を振り返って

2011年は、文字通り日本列島が震撼した年であった。
東京証券取引所は、29年ぶりという安値水準で大納会を終えた。
ユーロは10年半ぶりに100円を割った。
社会保障と税の一体改革の政府案の大綱は、党内に強い反対意見が残るまま決定した。
この国を覆う暗雲はますます厚く垂れ込めているように見える。

個人的には、恐れていた再発もなく、1年を終えることができたことは有り難いことであると思う。
再発してまた入院などということになるのが一番怖い。
もちろん、後遺症がもう少し軽減されていれば、とは思うが、リハビリの効果も未だあるから、継続して続ければもう少しマシになるだろう。

2011年は、日本史において、東日本大震災の年として記録されることになろう。
これから長い復興の道のりが始まる。
それは、新しい日本の「国の形」を作るものでなければならないであろう。
⇒2011年3月22日 (火):津々浦々の復興に立ち向かう文明史的な構想力を
⇒2011年10月18日 (火):日本経済のクァドリレンマ/花づな列島復興のためのメモ(8)

個人史的な思いからすると、わゆる戦後という時代が終焉した年という思いが強い。
⇒2011年8月 8日 (月):「3・11」と日本の「戦後」
1944(昭和19)年生まれであるから、〈戦後史=個人史〉である。
特に、学校で工学を学んだ身としては、フクシマ原発事故は大きな衝撃であった。

戦後史は、敗戦によりスタートした。
国土は荒れ、ヒロシマ、ナガサキに落とされた原爆によって、彼我の科学技術の差に目が覚めた。
まさに、幕末の黒船と同様であった。
⇒2011年5月19日 (木):核エネルギー利用と最終兵器/『ゴジラ』の問いかけるもの(3)

経済成長 至上主義は、明治の富国強兵政策を再現するものであった。
タテマエ上は戦争のための武力を放棄したから、自衛隊は日陰に咲く花だった。
相次ぐ自然災害が自衛隊の力をクローズアップした。
⇒2011年12月15日 (木):山下文男さんと「津波てんでんこ」

私が工学を学んだのは、池田勇人内閣が「国民所得倍増計画」を打ち出した頃であった。
国策として経済成長が図られた。
⇒2011年7月31日 (日):アマチュアリズム/梅棹忠夫は生きている(4)
⇒2011年12月24日 (土):『成長の限界』とライフスタイル・モデル/花づな列島復興のためのメモ(15)

社会人になってまもなく、田中角栄の『日本列島改造論』が出た。
国土の高度利用は多くの歪みを生んだ。
都市化と共にコミュニティや家族の絆は失われていった。
⇒2010年8月18日 (水):戦後史と“家族の絆”の行方
⇒2010年8月25日 (水):“家族の絆”は弱まっているか?

震災により家族やコミュニティの大切さが再認識され、今年の世相を表す漢字には、「絆」が選ばれた。
⇒2011年3月23日 (水):震災を耐え抜いた家族の絆
⇒2011年12月12日 (月):今年の漢字は、「絆」

もちろん、成長により配分のパイを大きくすると共に、格差を是正する努力もなされてきたといえよう。
原発は、成長のための必要条件であったが、立地地域に対する開発利益の還元も行われた。
多額の交付金が、原発の電源地域に投ぜられた。
過疎化しつつある地域にとって、原発は地域産業として魅力的だっただろう。

私も含め、国民は、原発による文明生活を享受してきたのである。
しかし、フクシマの事故は、オルタナティブ・エネルギーの方向に進まざるを得ないことを示している。
現存する国民の半数が、事故処理の完了を見届けられない技術が健全なものとは思えない。
⇒2011年12月22日 (木):私たちは廃炉の完了を見ることはないのか?/原発事故の真相(15)

そして政府がマニフェストに中止を明記しながら、事業継続を決めた八ッ場ダム。
利根川の治水は、江戸に幕府を移して以来の大きな課題である。
「水を治める者は国を治める」といわれるように、治水は国政上の重要課題である。

利根川はかつて東京湾に注いでいたが、いわゆる東遷事業によって太平洋に注ぐようになったものである。
利根川治水を困難化しているのは、かつて流域に存在した遊水効果が、土地利用の高度化などにより許されなくなったことである。
中条堤はその典型である。
⇒2009年12月 6日 (日):専門家による「八ツ場ダム計画」擁護論(2)中条堤の遊水効果
⇒2009年12月 4日 (金):今後の治水対策のあり方

さらにいえば浅間山の噴火の問題がある。
天明3(1783)年に大噴火した浅間山は、東北地方に対して深刻な冷害と飢饉をもたらした。
⇒2009年10月11日 (日):八ツ場ダムの深層(1)天明3年の浅間山大噴火
そして、利根川の支川吾妻川には土石流が流れ込んだ。
⇒2009年10月16日 (金):八ツ場ダムの深層(6)吾妻川の地政学

賛否が鋭く対立している八ッ場ダムであるが、浅間山大噴火の影響はどう考えられているのであろうか?
東日本大震災という1000年に一度ともいわれる大災害を体験したわれわれは、もはや「想定外」というロジックで対策を放置するわけにはいかないのである。

大転換の年も暮れて行くが、夕陽はいつものように美しい。
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私も引き続きリハビリに励んで、日本がこの先どういう方向に進んでいくのか、できるかぎり見届けたいと思う。

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2011年12月30日 (金)

復興庁と帝都復興院/「同じ」と「違う」(39)

今年の重大ニュースといえば、何と言っても東日本大震災を擱いては語れない。
震災からの復興の中核となるべき復興庁に関する設置法案も、ようやく12月6日に成立した。
⇒2011年12月11日 (日):御殿場・時の栖のイルミネーション

震災復興の基本的な方針の策定などを行う「復興庁」について、政府は、来年2月に設置する方針で、職員の確保に向けて調整を進めています。これについて、平野復興担当大臣は、記者会見で、「2月上旬の復興庁設置を目指して、現在、自治体と最終的に調整している。職員については、各省庁にお願いして、できるだけ早く250人の常駐する職員を確保したい」と述べ、ほかの省庁との兼務も合わせ250人の職員の態勢で、来年2月にスタートさせたいという考えを示しました。具体的には、東京に置く「本庁」におよそ160人、岩手・宮城・福島の3県の県庁所在地に置く「復興局」と沿岸部に置く「支所」を合わせ、3県それぞれにおよそ30人の職員を配置する方針です。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111224/k10014879781000.html

復興が本格的に進んでいくことを念願する。
1923年に発生した関東大震災ではどうであっただろうか?
関東大震災が発生したのが9月1日。「防災の日」設置の理由の1つとなっていることはよく知られている。
帝都復興院という政府機関が設置されたのが9月27日のことだった。僅か26日後のことである。
もちろん、戦前と現在では議会制度からして違うので、同一平面で単純に比較はできないであろうが、来年2月の設置ということになれば、およそ11ヶ月後である。
民主党政権(菅、野田)のスローぶりは際立っているといえよう。

民主党政権も決してサボタージュをしていたわけではないだろう。
逆に、精一杯の対応だっただろうと思う。しかし、期待からすると著しく遅いと言わざるを得ない。
何故か?
結局は、準備不足のまま、政権交代をしたということだと思う。

現在の民主党の幹部には、政権運営の経験者は皆無である。
もっとも経験豊富な小沢一郎氏は、強制起訴を受けて党員資格停止処分中の身だ。
支持率を確保するための「脱小沢」路線が裏目に出たということだろう。
もし、陸山会事件で無罪判決が出たら、どういう総括をするのであろうか?

今の時点で振り返れば、小沢氏が代表当時、民主党には政権担当能力が不足しているとして、自民党の大連立に乗ろうとしたのも宜なるかな、と思う。
民主党幹部の総反対で大連立構想は実らず、小沢氏の辞表提出に至るが、今度は必死で慰留する。
その後の総選挙で圧勝した民主党は、議席数を過信したのではなかろうか?
結局マニフェストの実現に向けて真摯に取り組むことはせず、東日本大震災にあっても、復興庁の設置に1年近くを要することになってしまった。

関東大震災からの復興には、山本権兵衛内閣の内務大臣だった後藤新平が復興対策のリーダーシップを振るったといわれる。
特に民主党におけるリーダーシップの欠如が後藤との対比で語られることが多い。
しかし、筒井清忠氏は次のように注意を喚起している。

日本近現代史を研究した者からすると復興院は早い段階で廃止された組織でありそれを参考にするということ自体が不正確な歴史認識に基づいた議論にしか思われない。
・・・・・・
通常想定されているのとは異なり、関東大震災後の政治過程の主たる政治焦点は震災からの復興の問題ではなく、普通選挙・新党問題の方にあった。その一焦点が後藤新平であった。後藤は震災からの復興に関わる組織をも利用して一部政党の乗っ取りによる新党形成を策したのである。しかし、冒険的で強引な手法をとったためそれは一時的成功に終わらざるを得なかった。さらに、政府の最大の武器である「解散総選挙」が後藤らの閣内地位の低下と閣内の不統一のために駆使できないと見定めた反対党の政友会の判断により最後の政治的勝敗は決し後藤は敗北する。復興院は廃止され内務省の外局の復興局となるのである。
東日本大震災からの復興に関し、関東大震災の復興院を参考にした形で、復興庁の設置が決まった。それならば、復興院は計画のみに携わったのであり実施は内務省外局の復興局と東京市が担ったことを忘れるべきではない。すなわち、関東大震災後の復興が評価されるというのであれば、復興計画のために新官庁が出来ることがあるとしても実施は既成の所管官庁(もしくはプラス外局程度の規模のものの新設)と地方自治体とで十分ということになるはずである。 また、政府はすでに復興構想会議を設置している。復興構想会議は文字通り復興の構想を練る会議であるはずだ。そうするとこの報告を受ける首相を本部長とする復興対策本部が復興構想会議のプランを各省庁に割り振って各省庁が実施していくということが可能であれば、意見集約の困難な各省からの寄せ集め官僚の統合体のような新官庁は不要だったはずなのである。復興は迅速を要する。 来るべき復興庁のあり方はこのような視点から検討されるべきであろう。
http://www.tkfd.or.jp/topics/detail.php?id=289

既にして、「復興構想会議? そんな組織があったなあ」といった感じである。
政治主導のはずだったが、いつの間にか官僚主導になってしまっている。民主党政権は、官僚の操り人形化しているように見える。

橋下徹氏率いる大阪維新の会が強い支持を集めているのは、民主党との対比で、リーダーシップがあるように感じられるからではないか。
リーダーシップとはどういうことか?
言ったことを率先して実行に移すことである。

帝都復興院は、筒井氏の言うように、必ずしもサクセスモデルではない。
自分のアタマで考えて、実行する。
復興庁が有効に機能するとしたら、それしかないように思われる。

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2011年12月29日 (木)

民主党政権の終わりの始まり

民主党政権はいよいよ末期的症状を呈してきた。
消費税率アップや八ッ場ダム事業継続などを非として、一部議員が集団離党に動いた。

野田佳彦首相が目指す消費税増税などに反発する民主党の内山晃衆院議員(57)=千葉7区=ら9人が28日午前、国会内で樽床伸二幹事長代行に離党届を提出した。
・・・・・・
内山氏は離党届提出後、記者団に「平成21年衆院選で国民と約束したマニフェスト(政権公約)をことごとくほごにされたら、私たちの立つ瀬がなくなる。うそつきと呼ばれたくない」と説明。消費税率引き上げや凍結していた八(や)ツ(ん)場(ば)ダム(群馬県)の本体工事再開などを挙げ、「大きな約束を破った」と批判した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111228/stt11122811250003-n1.htm

樽床氏や輿石幹事長は慰留をしない方針だという。
離党するに至った経緯はそれぞれであろうが、今の民主党では次の総選挙で必敗と踏んだであろうことは間違いないと思われる。
どこに所属するかは分からないが、少なくとも民主党よりは当選の確率は高いであろう。
先の大阪ダブル選挙ばかりでなく、昨年来の地方選や参院選などで、連戦連敗の状況だからだ。
⇒2011年1月16日 (日):民主党は、統一地方選でどんな旗を掲げるのか?

フクシマ原発事故に関する政府の事故調査・検証委員会が中間報告書を公表した。
東電の中間報告書が、「事故は想定外の津波が原因」と従来の説明を踏襲するに過ぎなかったのに比し、発電所幹部や東電本店が事態を正確に把握できていれば、炉心溶融までの時間を遅らせ、放射性物質の放出を抑えられた可能性に触れている。
また、首相官邸内の連携不足など政府側の機能不全にも触れている。

私の心に深く刻まれているのは、岡田克也幹事長(当時)が南相馬市を訪問した時に、岡田氏が完全防護姿で握手をしているのに対し、握手の相手方の地元の人は無防備であったことである。
⇒2011年5月14日 (土):放射能汚染は、どこまで、どの程度?/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(28)
放射能拡散予測システム(SPEEDI)の情報が、故意に開示されなかったため、被爆被害が拡大したのではないかといわれている。
⇒2011年7月 5日 (火):官邸は誰の責任で情報を隠蔽したか?/原発事故の真相(4)l
自分たちだけ情報を利用し、一般大衆には危険を承知で知らせない。とても北朝鮮のことを笑えないのではないか。

過ぎてしまったことを言ってみても始まらないが、震災が起きなければ、民主党は身動きできなくなっていたはずだ。
⇒2011年2月15日 (火):現実味を帯びてきた民主党解党という選択肢民主党
マニフェストに書いたことはことごとくと言って良いほどに実行せず、マニフェストに書いていないことに血眼になる。
民主党政権に正統性はない。

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2011年12月28日 (水)

石油と石炭と天然ガス/「同じ」と「違う」(38)

フクシマ原発事故等によりこの冬の電力需給もかなり逼迫する見通しだという。
東電に勤務している知人の話では、先日、ピーク時供給力に対して、実績使用量が95%を超え、今晩は必死で揚水をしなければ、というようなことを言っていた。
揚水とは、揚水発電のために、下部貯水池(下池)から上部貯水池(上池ダム)へ水を汲み上げることである。
夜間などの電力需要の少ない時間帯の余剰電力を利用する。電力需要が大きくなる時間帯に、上池ダムから下池へ水を導き落とすことで発電する。
冬場の使用量のピークは夏場と異なり、17時から19時頃の時間帯だという。

電力は、二次エネルギーである。
すなわち、一次エネルギー源を何らかの形で変換したものである。
一次エネルギー源は、自然界に存在しているエネルギー源を指す。

日本の一次エネルギー源の構成は数のようである。
Photo_4
http://www.garbagenews.net/archives/1353828.html

上手における天然ガス、石油、石炭のことを化石燃料といい、化石燃料を燃やすことでエネルギーを得る。
化石燃料は、いずれも化学物質としては炭化水素が中心物質である。
炭化水素は炭素(C)と水素(H)の化合物であり、燃焼してCO2とH2Oになる。

炭化水素の骨格は、炭素-炭素結合である。

炭素-炭素結合による連結は鎖の長さによる制限をほとんど受けない。この単一元素で分岐数の多い分子を生成する性質をカティネーション性と呼ぶが、分岐数の多様性とあいまって、炭化水素の構造の多様性はほぼ無限といってよい。言い換えると、炭化水素を基本骨格に持つ有機化合物は莫大な多様性を有するが、それは炭化水素の構造の量的な多様性と置換基による質的な多様性とが相乗的に発現した結果でもある。
Wikipedia炭化水素

化石燃料が生成するメカニズムには分からないこともあるが、太古に、動植物の屍骸が積もり地中深くにおいて変成されて、数億年の単位で生成したと言われている。
動植物は、もとはと言えば、太陽エネルギ-を取り込める単細胞生物や植物が繁茂し、それを動物が食したものであるから、太古の太陽エネルギ-を短期間にまとめて使用していることになる。

いずれも有限の資源なので、枯渇性資源である。
枯渇までの時間は、使用量と新しい埋蔵資源の発見という不確定要素があるが、石油が40~50年、天然ガスが70年、石炭が200~300年と言われている。
本格的な使用は産業革命以降のことなので、それをたかだか数百年の間に使い尽くそうということである。

化石燃料のそれぞれは、生成の過程が「違う」と言われている。

石油はプランクトンが堆積し、長い年月をかけて生成された。
石炭はシダなどの植物が枯れて堆積し長い年月をかけて生成されたというのが有力な説だそうです。
天然ガスは動物や植物が長い間バクテリアに分解され作られたメタンが主成分です。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1429804

常温で、石炭は固体、石油は液体、天延ガスは気体である。
主要なエネルギー源が急激に替わることをエネルギー革命という。
日本の場合、1960年代に、それまで燃料の主役であった石炭から石油へのドラスティックな転換があった。
私が子供の頃、石炭産業は好景気を謳歌していた。
炭坑節が全国各地の盆踊りに不可欠だった。

日本政府は、1960(昭和35)年6月に「貿易・為替自由化計画大綱」を決定し、これに伴い1962(昭和37)年10月には石油輸入の大部分を占める原油の輸入自由化を行った。
これらの措置により、石炭は長く続いたエネルギーの王座を石油に譲ることとなった。
大量に安く供給された石油は、さまざまな交通機関、暖房用、火力発電などの燃料として、また石油化学製品の原料として、その消費量は飛躍的に増えていった。
1960年にピークを迎えた三井鉱山三池炭鉱争議は、その影の部分である。

化石燃料には、前述のように、固体、液体、気体があるが、液体燃料を得る方法として、石炭液化あるいは合成石油などもある。
石炭液化とは、石炭を原料として石油代替物を生産することをいう。狭義には「化学的」に石炭を分解して石油類似の炭化水素油を製造することをさし、広義には「物理的」に石炭を微粉化して水や石油と混ぜて流体化する事なども含める。
また、合成石油とは、石油を代替しうる新液体燃料のことであるが、石炭や天然ガスを原料とすることが多い。

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2011年12月27日 (火)

オリンパス経営陣の罪と罰

オリンパスに強制捜査が入り、巨額粉飾事件は新しい段階に入った。
名門オリンパスのブランドは少なからず毀損されたと考えるべきだろう。

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オリンパスの損失隠し問題が刑事事件に発展したのを受け、ブランド失墜による本業への影響が避けられない。すでに内視鏡事業では、一部の医療機関で購入を見送る動きが出ているほか、デジタルカメラでも消費者離れが進む可能性がある。決算訂正で財務基盤も大幅に悪化する中で業績が一段と悪化すれば、再建の足を引っ張るのは確実だ。再生に向け同社が切り札として検討する1千億円規模の増資の引き受け先企業の行方に注目が集まる。
・・・・・・
オリンパスの内視鏡事業は世界で7割のシェアを持ち、売上高の4割を占めるが、森嶌治人副社長は「これから何が起きるか分からない」と話す。
・・・・・・
財務基盤も業績の悪化でさらに弱まる見込み。同社の純資産は9月末で459億円と3月末に比べ6割減少しており、他社との資本提携を含めた資本増強が欠かせない状況だ。

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/111221/biz11122121040035-n1.htm

今の時点では、不正の全容はまだ明確には分からないが、オリンパスの(旧)経営陣の罪は大きい。
取締役会は形骸化し、監査役や監査法人もその役割を果たしていたとは言えない。
⇒2011年11月 9日 (水):オリンパス経営陣は何を守ろうとしたのか?
⇒2011年11月13日 (日):コンプライアンスとCSRと権力

そこには原子力ムラと同じような仲間主義(同じことをしているもの同士がかばい合って、批判的な思考を封殺ないしは抑圧する)が見られると思う。
日経ビジネスオンライン誌に「社会を映し出すコトバたち」を連載しているもりひろし氏は、『2011年の新語十選-日常に潜む問題点が発露した1年』という記事で、次のように書いている。

十選の第2は「原子力ムラ」です。東京電力・福島第1原子力発電所の事故は、日本社会にエネルギー政策の再考を促しました。関連する言葉の中で筆者が特に注目したのが「原子力ムラ(村)」。原子力発電の推進に関係する様々な立場の人が、各々の利益を相補的に守りつつ秘密的・排他的にふるまう様子を「閉鎖的な村社会」に例えた言葉です。原子力ムラの一員とされるのは、原発推進の立場を取る政府機関・行政機関・学者・原子力関連の業界団体やメーカーなどです。

つまり、秘密的・排他的な利益共同体である。
不正が公然化するきっかけは外国人社長のウッドフォード氏、すなわちムラの外からやってきた異人によるものであった。
ウッドフォード氏は不審な構図を嗅ぎ取り、中心的な位置にいた菊川前会長と森前副社長の辞任を要求したところ、逆に取締役会で、社長、CEO、代表取締役の解任動議が出され、「全員一致」の賛成で解任されたという。
理由は「オリンパスの経営スタイルに合っていない」ということであり、菊川氏は「根回し」なしに、いきなり外部機関(ロンドンのプラスウォーターハウスクーパー会計士事務所)に事態解明の調査を依頼したことに、腹を立てていたと言う。

かつて「根回し」は日本的経営の特徴であり、意思決定を円滑化し、情報共有の点からもメリットがあると評価されていた。
オリンパスにおいても、「根回し」が重要な役割を負っていたのであろう。
しかし、特定の仲間内だけの「根回し」が、「秘密の共有」という効果を生んだと推測される。
「秘密を共有」した仲間の結束はより強くなるだろう。
そのコアのメンバーがどの範囲であったかは、今後の捜査資料の解明によって明らかにされるであろうが、取締役会メンバーの全員ではなかったようだ。
⇒2011年11月20日 (日):オリンパスにかすかに点った希望の灯

しかし、事情を知らされていなかった取締役も免責されるわけではない。
取締役には、善管注意義務や忠実義務などがあり、「知らないこと」自体がこれらに背くことであると考えられるからである。
1000億円以上の簿外債務に気づかないとすれば、やはり注意不足であったことは否めないと思う。
取締役の義務は会社全般に対するもので、自分の担当範囲に限られるものではないからである。

ウッドフォード氏が取締役会で全員一致で解任決議されたとすれば、各取締役はどういう根拠で意思決定したのであろうか?
中には、高山修一現社長も含まれる。
高山氏は自身の不正関与を否定しているが、「まったく知らなかった」ということであろうか。

監査役や監査法人は、監査によって、1000億円超の簿外債務を見過ごしたのだろうか?
とすれば、監査の仕組み自体を問い直すことが必要ではないか?

かねてから不思議に思うことは、東京地検の強制捜査が予告されて行われることである。
どうしても隠蔽したい資料があったとすれば、何らかの形で処理をしてしまう時間的な猶予を与えることにならないのだろうか。
それとも、隠しても暴けるという自信だろうか。

TPPの是非を巡って、さまざまな見解が表明されている。
俯瞰的にみれば、製造業は賛成で、農業などが反対のようである。
しかし、製造業の内実がオリンパスのようなものであったとすれば、国際的な競争力など砂上の楼閣のようなものではないだろうか。

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2011年12月26日 (月)

八ッ場ダムの事業継続の判断は“まっとう”なのか

八ッ場ダムの建設再開が発表された。

建設の是非をめぐり議論が続いていた群馬県の八ッ場ダムについて、国土交通省は22日、建設再開を発表し、前田国交相はさっそく地元を訪れ、事業の継続を報告した。
前田国交相は「お待たせいたしました。八ッ場ダム続行という結論を出させていただきました」と述べた。
八ッ場ダムは、2009年の政権交代後、事業が凍結されていたが、国土交通省は22日、八ッ場ダムの完成による治水効果などを強調し、建設再開を発表した。

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00214137.html

構想から60年になろうとし、賛否が鋭く対立してきた八ッ場ダムだ。
私も、工事がここまで進んでいるのに、中止するのはどうかなと思う。
また、利根川の治水上八ッ場ダムの有効な代替案があるのか疑問に思う。
⇒⇒2009年12月 5日 (土):専門家による「八ツ場ダム計画」擁護論

しかし、民主党が政権を獲得した2009年のマニフェストの冒頭部分である。
いわば民主党政権の正統性を判断する標識のようなものではないだろうか。
その標識を扱うにしては、安易な態度のように思う。
Photo
http://www.dpj.or.jp/policies/manifesto2009

今となっては、「衆院定数を80削減します」という文句が空しい。
八ッ場ダムはムダな公共事業の象徴として名前が挙げられている。
もちろん、民主党の中でもスンナリ建設再開が決まったというわけではない。
前原政調会長は建設再開に慎重姿勢を崩さなかったし、群馬県連会長代行の中島衆院議員(比例北関東)はマニフェスト違反を理由として離党届を提出した。

しかし、藤村官房長官は、「国土交通省で(検証の)手続きをしており、それを重視する。政治的判断はしない」と記者会見で述べている。
「政治的判断をしない」政治家こそ仕分けされるべきであろう。

建設再開の方向で検証を終えた国土交通省の方針を尊重するなら、官僚主導である。
しかも同省の検証はもっぱら「河川ムラ」という閉鎖的な集団の中で行われたという批判もある。
12月25日の産経抄欄は、この問題に関して、前原氏の野田首相に対する「嫉妬」に矮小化して、次のように書いている。

▼民主党政権発足と同時に建設を中止させたのは当時の国交相、前原氏だった。それだけでも再開はおもしろくない。しかも同じ松下政経塾出身の野田氏が自分を追い抜いて、首相になっている。その幸運を嫉妬する気持ちが恨みに輪をかけた、と見られても仕方ない。
▼むろん前原氏は「感情で動いてはいない。国のためだ」と反論するだろう。だが八ツ場ダムがそこまで争わねばならない政治課題とはとても思えない。中止時点で総事業費の7割が投入されていた。水没地からの移転も進み、いわば「解決済み」だったのだ。
▼それを民主党がむりやり「公共事業見直し」のシンボルにしてしまった。遅すぎたとはいえ、地元の要求を受け再開に踏み切った政府の判断の方が、はるかにまっとうである。願わくば政治はもう少しカラッとありたい。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111225/plc11122502550000-n1.htm

私はマニフェストの冒頭に掲げた政策を、地元の要求や官僚の意向に屈し、反故にする政府判断が「はるかにまっとう」とは到底思えない。
そんなことでは、衆院定数の削減も覚束ないだろう。
対照的に、消費税アップだけは妙に熱心に見える。
橋下大阪市長の“突破力”が頼りがいがあるように見えてくるのは、危険な兆候だろうか。

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2011年12月25日 (日)

クリスマス・スペシャル・クラシックス@東京国際フォーラム

東京国際フォーラムの「クリスマス・スペシャル・クラシックス」と題するコンサートを聴きに行った。
1F席だけで3000人のキャパという大ホール(A)がほぼ満席だった。
2
http://www.koransha.com/orch_chamber/Xmas_specla2011/index.html#text

プログラムは以下の通り。

M.グリンカ:歌劇《ルスランとリュドミラ》序曲
J.S.バッハ:G線上のアリア
R.ワーグナー:歌劇《ローエングリン》より第三幕への前奏曲、結婚行進曲
G.ヴェルディ:《椿姫》より「乾杯の歌」
G.ビゼー:歌劇《カルメン》より「ハバネラ」
E.エルガー:威風堂々第1番ニ長調
G.F.ヘンデル:オラトリオ《メサイア》より「ハレルヤ・コーラス」
P.マスカーニ:《カヴァレリア・ルスティカーナ》より間奏曲
F.シューベルト:アヴェ・マリア
L.V.ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調《合唱付き》より第4楽章

馴染みのある名曲が多いプログラムである。クリスマス音楽のベストミックスあるいはハイライト集といえようか。
オーケストラは、ファハラディン・ケリモフが指揮する170余年の歴史を持つレニングラード国立歌劇場管弦楽団。
同劇場はプロコフィエフの「戦争と平和」、ショスタコーヴィチの「鼻」「ムツェンスク郡のマクベス夫人」などを初演した劇場としても知られ、偉大なバス歌手シャリアピンも、この劇場で初演作品を多く残したという名門である。
合唱指揮は、松下耕。合唱のThe Metropolitan Chorus of Tokyoは、松下耕氏が音楽監督・常任指揮者をつとめる合唱団からなるグループの総称「耕友会」の合唱団である。
ソリストは、ソプラノ:マリーナ・トレグボヴィッチ/メゾソプラノ:ソフィア・ファインベルグ/テノール:ドミトリー・カルボフ/バリトン:ノコライ・コピロフというメンバー。

クリスマス気分が横溢した楽しいコンサートであった。
特に『第九』を今年も聞けたことは歓びである。
オケと合唱が見事に調和し、第4楽章だけで、十分に堪能できる。
耳が聞こえなかったというのが信じ難い。
⇒2011年12月21日 (水):様々なる『第九』
日本という国にとっては東日本大震災からの復興を祈念し、私にとっては脳梗塞の後遺症からの回復を願っての『歓喜に寄す』として聴いた。
⇒2011年12月23日 (金):発症から2年、リハビリは復興だ/中間報告(37)

帰りに余韻を反芻しながら、丸の内のイルミネーションを楽しんだ。
「光都東京・LIGHTOPIA2011」。
照明デザイナーとして有名な石井幹子氏がエグゼクティブ・アドヴァイザーになり、<絆と希望、そして未来へ>というコンセプトで開催されている。Rimg0033
今年のライティングには鎮魂の思いが込められている。

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2011年12月24日 (土)

『成長の限界』とライフスタイル・モデル/花づな列島復興のためのメモ(15)

社会人になって間もない頃、ローマクラブの『成長の限界』ダイヤモンド社(7205)が発行された。
MITのD.メドウズを主査とする国際チームが、SD(システムダイナミクス)という手法を用いて、人類の成長は、資源の枯渇や環境の汚染により限界に達することを、可視化して警鐘を鳴らしたものだった。

結論自体は、マルサス『人口論』などと同様のことともいえるが、SDによる結果の表示は、いまでいう「見える化」の効用を十分に発揮した。

Photo
http://www.tuins.ac.jp/~ham/tymhnt/stories/05jan01/conv.html

石油化学の技術者だった私が、リサーチャーに転身しようと思ったきっかけの1つとなった本である。
⇒2009年4月 4日 (土):同級生の死
⇒2009年7月12日 (日):公害問題と環境問題
⇒2010年7月18日 (日):「情報産業論」の時代/梅棹忠夫さんを悼む(6)

学生時代の終わり頃、世界的な規模で起きた学生の反乱によって、否応なく自分の生き方を問われることになった。
将来を嘱望されていた素粒子論研究者だった東大(全国)全共闘議長の山本義隆さんは、予備校教師となり、物理学のパラダイム形成史の探求に転じた。
私の親しい同級生の1人は、中央官庁の上級職(現在はⅠ種?)に見切りをつけ、いち早く中・高校教師になった。

大学の同級生の大部分は、いわゆる有名大企業に就職した。
今と比べれば、格段に新卒の就職事情は良かったと言えるだろう。
しかし、転職は今ほどにはポピュラーではなかった。友人のほとんどは、最初に就職した大企業に留まって、それぞれ業績を上げ(多分)た。
現在は悠々自適の人もいるし、第二・第三の職場で活動している人もいる。

私は最初に就職した会社から、コンサルティング系の調査機関に転職した。
それは、自分なりに熟慮をした結果だと考えているが、家族にとっては苦難の道の始まりだったかも知れない。
しかし、今振り返ってみて、転職をしないで過ごしたとすれば、大きな悔いを残したことになるだろう。

東日本大震災によって、世の中に、1960年代末から70年代初頭にかけての時代と似たような問題意識が出ているような気がする。
特に、フクシマの事故により、エネルギー政策が厳しく問い直されることになった。
2010年6月、民主党政権下で閣議決定したエネルギー基本計画は、CO2を排出しない原子力に比重を置かざるを得ないという判断のもと、2030年までに原子力発電所を14基新増設し、電力の53%を賄うという目標を設定した。
しかしフクシマの事故以前に、この計画のロジックはすでに破綻していたといえよう。
地球温暖化防止というエコロジーのために、原子力利用を推進するという論理の欺瞞性は、明らかである。

エネルギー制約、環境制約の中で、人類はどのような針路を目指すべきか?
LOHAS(Lifestyles Of Health And Sustainability :健康と持続可能性の、またこれを重視するライフスタイル)も広く人口に膾炙した言葉になっている。
折しもブータン国王夫妻が来日し、かの国の「国民総幸福度」という概念が注目を集めたりした。

省エネはもちろん必要である。
省エネのための技術革新も進んで行くであろう。
しかし、原子力に頼らないで、必要にして十分なエネルギーを、再生可能エネルギーだけで賄えるのであろうか?

南アフリカで開催中のCOP17(国連気候変動枠組み条約第17回締約国会議)は、難航の末12月11日閉幕した。

Photo_212年末で期限を迎える京都議定書の温室効果ガス削減義務期間を延長することを決定したほか、20年にすべての国が参加する新枠組みを発効させることを盛り込んだ工程表を採択し、閉幕した。日本は議定書の延長期間に参加せず、新枠組みまで自主的な対策を実施する。
・・・・・・
さらに注目される点は、先進国と途上国という二分法を廃し、すべての国が参加する枠組みづくりで合意したことだ。新枠組みが実現する20年以降は「共通だが差異ある責任」の観点から先進国の責任が重いとした同条約(92年採択)や京都議定書から一歩、踏み出した。史上最長の会議となるほど難航した背景には、こうした既成の枠を変えようとした経緯がある。
だが、議定書の延長期間は決まらず、参加するのは欧州連合(EU)やノルウェーが中心になる。参加国の排出量は世界全体の15%にとどまる。
「温暖化被害を抑えるのは、この10年間が重要」と国連機関は分析する。今回の合意は、温暖化対策の将来に期待を抱かせるが、具体的な削減目標といった各国の対立が先鋭化する要素は今後に委ねられた。「画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く」とならないよう、各国の姿勢が問われる。
http://mainichi.jp/life/today/news/20111212k0000e030089000c.html

解はまだ得られていない。
日本は京都議定書から離脱したが、この分野こそ、リーダーシップを発揮すべきではなかろうか。
東日本大震災という事態が起き、フクシマ原発事故という現実を踏まえて、日本発の新しいモデルを提示できないものだろうか。

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2011年12月23日 (金)

発症から2年、リハビリは復興だ/闘病記・中間報告(37)

脳梗塞を発症したのが2年前の今日。
短いような長いような2年間であった。
お陰様で、いろいろな人のお世話になり、緩徐的ではあるにしても、未だ少しずつ回復を続けている。
自業自得、あるいは「なるべくしてなった」には違いないが、不随意なわが身が情けなくて、時には大声で喚きたい日もあった。

しかし、大勢からいえば、「この程度で済んだ」ことを感謝しなければならないだろう。
同病の先達の著書などを読むと、ずいぶん重症だと感じられる人もいるのだから。
たとえば、江藤淳は「脳梗塞の発作に遭いし以来・・・形骸に過ぎず」と自分を「処決」した。
⇒2010年9月 6日 (月):江藤淳の『遺書』再読
当時私は江藤の心情を理解できるように思ったが、現在は複雑である。
手書きの遺書は、筆跡も乱れがなく、少なくとも利き手の麻痺は見られない。
しかし、それぞれ他人の窺い知れない事情もあるし・・・・・・

免疫学者として著名な多田富雄氏は、鶴見和子氏との共著(往復書簡集)『邂逅』藤原書店(0306)に、次のように書いている。

気がついたときには右半身が完全に麻痺していました。手も足も動かない。驚いたことに寝返りもできませんでした。
もっと仰天したことは、その瞬間から言葉が一切しゃべれなくなったことです。訴えようとしても声にならない。叫ぼうとしても言葉にならない。そのときの恐怖は筆舌に尽くせません。もう死んだと思っていたのに、私は生きていた。それも声を失い、右半身不随になって。

私も右半身不随は同じようなものだが、声は辛うじて出せた。
絞り出すような声で娘の携帯に電話したことは、昨日のことのように覚えている。
自分の声がひどく遠いのである。
⇒2010年4月18日 (日):中間報告(4)初動対応と救急車の是非
それでも、多田氏の場合よりはずっと軽症だったのだろう。

発症は突然である。
そして後遺症は深刻である。
そういうことから、脳卒中(脳梗塞、脳出血、くも膜下出血)と大地震は似ているのではないか、と入院中に考えた。
⇒2010年3月22日 (月):中間報告(2)予知の可能性
⇒2010年4月11日 (日):中間報告(3)初期微動を捉えられるか

ところが、3月11日の東日本大震災は想定を遙かに超える超激甚な大災害であった。
地震の発生自体は自然現象である。
しかし、災害は社会現象である。
菅直人という軽率なパフォーマンス男が首相だったことは取り返しのつかない不幸だったと思うが、鳩山元首相や野田現首相であっても大差はなかっただろう。

民主党政権は恥じないのだろうか?
09年総選挙のマニフェストとはいったい何だったのか?
民主党は壮大な詐欺を実行した。

前田国交相が八ッ場ダムの建設継続を表明したが、「川辺川ダム、八ッ場ダムは中止」と固有名詞を挙げてマニフェストに明記してある。
民主党の政権政策Manifesto2009
もちろん、八ッ場ダムについては賛否が、鋭く長く続いている問題であり、建設するという立場があることは理解している。
⇒2009年9月12日 (土):八ツ場ダムの入札延期 その1.計画の現況
⇒2009年12月 5日 (土):専門家による「八ツ場ダム計画」擁護論
政策を固守しろ、というのではない。
変更するならそれなりの手続きが必要だろうということである。

前田国交相は、旧建設省のエリートだった人である。
彼を国交相に据えた人事が「コンクリートから人へ」というスローガンが、空念仏だったことを示している。
八ッ場ダムは1つの象徴的なイシューである。
ほとんどすべての項目について期待を裏切っている。
公務員改革も、年金改革も、税制改革も・・・・・・
きっと、脱原発(依存)も、TPPも、だろうなあと思ってしまわざるを得ない。

復興は、脳卒中のアナロジーで考えれば、リハビリということになろう。
一朝一夕で成果が上がるものではない。
先日、担当PTのM嬢が10m歩行のタイムを計ってくれた。歩容はともかく、6.3秒であった。
現時点の全速力である。100mに換算すれば、63秒だが同じ速度を維持できないであろうから、2分~3分くらいか。
しかし、入院時は10秒以上だったはずだから、まあ、早くなったともいえるだろう。
2足歩行できるだけでも良かったと思うべきだろう。

リハビリという行為は、決して楽しいものではない。
右手はまだ微かに動く程度である。
しかし幸いにして、車いすの生活からは抜け出すことができている。
完復はしないと言われているが、どこまで復するか自分でも楽しみに思う(ことにしている)。
そして、たまには、美味な飲食や芸術の鑑賞などもあっていいだろうと思う。

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2011年12月22日 (木)

私たちは廃炉の完了を見ることはないのか?/原発事故の真相(15)

政府と東電の原発中長期対策会議(共同議長・枝野幸男経済産業相、細野豪志原発事故担当相)は、廃炉に向けての工程表を発表した。
12月16日の、野田首相の「事故収束宣言」を受け、その後の工程を示したということであろう。
⇒2011年12月17日 (土):フクシマは「収束」したのか?/原発事故の真相(14)
しかし、廃炉が完了するまでには、最長で40年かかるという見通しだという。

中長期工程表は3期に分けて道筋が示された。原子炉を冷温停止状態にしたとして今月達成が宣言されたステップ2を起点に、1)使用済み燃料プール内の燃料取り出しまでに2年以内を目標とする第1期、2)燃料デブリ(燃料と被覆管等が溶融して再固化したもの)の取り出し開始までに今後10年以内を目標とする第2期、3)第2期終了後から廃炉完了までに30─40年後を目標とする第3期──とした。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111221-00000064-reut-bus_all

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前例なき原発廃炉、難航必至 燃料回収の技術なく

果たして現存する日本人の何人が廃炉の完了した姿を見届けることができるであろうか。
日本人の平均余命(寿命)は世界のトップクラスであり、年々向上している。
とはいえ、40年後ということになると、大雑把に言って、半分はこの世にいないと考えられる。
できるだけ前倒しで取り組むというが、それは当たり前として、未だ人類が経験したことのない事態でもあり、私が生きている間に廃炉がどの程度進むものか、と考えてしまう。
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http://www.usability4s.info/contents/?p=1020

廃炉の工程にはいくつも難所が想定される。
最初の壁となりそうなのが、格納容器の損傷場所を補修し、容器内を水で満たす「冠水」だといわれる。
燃料の取り出しに、放射線の遮蔽と冷却が必要なため、通常時でも水中で行われる。つまり冠水しなければならない。
冠水には汚染水の漏洩場所を補修する必要があるが、現在は漏洩場所の特定すら困難な状況だという。

スリーマイル島の事故の場合、取り出しまで6年半かかり、終了したのは約11年後だった。
スリーマイル島の事故では、溶融燃料は圧力容器内にとどまっていたが、フクシマでは燃料は溶けた制御棒などと混ざり合い、一部は圧力容器から落下、格納容器底部のコンクリート床を侵食しているとみられる。
容易ならざることは、素人目にも推測できる。
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http://digital.asahi.com/20110901/pages/tokushu.html

高い放射線量も、作業の障害である。
遠隔操作が可能な高性能のロボット開発が不可欠といわれる。ロボット技術は日本のお家芸のはずだ。
とはいえチェルノブイリ事故の「廃炉」作業はいまだに続いている。フクシマの工程も見通しは不透明と言わざるを得ないだろう。

原子炉格納容器を設計していた元東芝技術者の後藤政志氏もこう言う。
「工程表案では、どこにあるか分からない溶融燃料を引っ張り上げる――との計画も示されたようですが、マンガみたいな話です。そもそも『廃炉』作業は、事故が起きていない原発1基で30~40年かかるのです。福島原発は3基で爆発事故が起き、格納容器が壊れてメルトダウンした。30~40年で作業が終わるとは思えません。政府は『努力している』というポーズだけで、“見込み”を語っているだけなのです」

http://gendai.net/articles/view/syakai/134341

日本人の英知と求心力が問われる事態である。
廃炉の科学と技術こそ喫緊のテーマではなかろうか。

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2011年12月21日 (水)

様々なる『第九』

年末になると、全国各地で、『第九(ベートーヴェンの交響曲第九番)』が演奏される。
月刊誌などでも『第九』に触れたものが目につく。
「サライ1201号」小学館、「日経おとなのOFF1201号」日経BP社、「MOSTLY CLASSIC1201号」産経新聞社などである。

『第九』は、いかにも年末に相応しい音楽のように感じられるが、いつ頃から定着したものだろうか?
「サライ」の林田直樹氏の解説によれば、以下の通りである。

日本で「年末の第九」が根づいたのは、昭和12年、ヨーゼフ・ローゼンストックが新交響楽団(のちの日本交響楽団、現・NHK交響楽団)を指揮して、『第九』を演奏したときに、ベルリンの放送局で年末に『第九』を演奏する習慣があることを示唆したのが、きっかけとされている。
・・・・・・
戦後は、早くも昭和21年から『第九』が演奏され始めたが、日本における『第九』研究の第一人者、鈴木淑弘さんによれば、この頃から恒例化した「年末の第九」の原点は、かつての出陣学徒を追悼し平和に感謝する意味があったのではないかという。

戦後に、『第九』が国民的な行事といわれるまでになった背景には、同じ「九」の字を持つ日本国憲法第九条との関係があるのではないかと林田氏はいう。
両者の根本精神が、「絶対に戦争をしてはいけない」「すべての人々と平和に連帯したい」という点で共通しているというのである。
すなわち、「年末の第九」を聴くことによって、九条の精神を繰り返し確認してきたのではないか。
九条の精神が戦後のある側面であることは間違いないだろう。

戦後という時代の性格が大きく転換した今年、日本における『第九』の意味も変わったのではないか。
4月にズービン・メータ指揮でNHK交響楽団により、東日本大震災の慈善演奏会があった。
フクシマ原発事故、金正日という隣国の独裁者の死、アラブの春・・・・・・。
日本国憲法第九条の現在的意味についても、じっくりと腰を据えて再考してみる時ともいえよう。

『第九』は「合唱を加えた交響曲」というイノベーティブな作品である。
「合唱」の歌詞は、シラーの『歓喜に寄す』。
大きな苦難を乗り越えて、歓喜に至ろう!

抱き合うがいい、幾百万の人々よ!
このくちづけを全世界に贈ろう!
兄弟よ!星空のきらめく天空のかなたに
必ずやひとりの慕わしい父がおられる。
ひざまずいているか、幾百万の人々よ?
造物主の存在を予感するか、世界よ?
その人を星空のかなたに探ねるがいい!
星々のかなたに必ずやそのひとはおられる。
         (訳:西野茂雄)

「MOSTLY CLASSIC」は、ディスクのベスト10を選ぶ、という格付けをしている。
意味があるのかどうか分からないが、ベスト3は以下の通りである。
1位:フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団(1951年)
2位:バーンスタイン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1979年)
3位:クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団(1957年)

1位のフルトヴェングラー盤は、私が20代に初めて自前のオーディオ装置を購入した時に、すでに歴史的名盤の評価が高かった。
40年以上前、もちろんCDなど存在しないLPの時代だった。
「コツコツコツ」というフルトヴェングラーの足音から始まる。
まさに一期一会というに相応しい演奏だろう。
その頃の、フルトヴェングラーかカラヤンか、などという論争も懐かしい。

「日経おとなのOFF」は第4楽章のDVDと「完全歌詞BOOK」を付録としている。
「完全歌詞BOOK」は楽譜様式のもので、“An die Freude”
佐渡裕さん監修となっている。

「サライ」はCDを付録としているが、なんと各楽章が以下のように異なる音源となっている。
第1楽章:カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団(1955年)
第2楽章:クリュイタンス/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1957年)
第3楽章:ラトル/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(2002年)
第4楽章:フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団(1951年)

「サライ」はオリジナルCDと称しているが、邪道の感じがしなくもない。
しかし、1枚で4つの『第九』が楽しめるのは、読者サービスとしては斬新なアイデアではある。
ここでもハイライトの第4楽章は、フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団のものである。

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2011年12月20日 (火)

金正日総書記の死と世襲の論理

激動の2011年の掉尾に相応しいビッグニュースといっていいだろう。
北朝鮮の金正日総書記の死が大きく報じられている。
どこまでが真相か分からない感じもあるのが、一応次のようである。

朝鮮中央テレビは19日、北朝鮮の金正日(キムジョンイル)朝鮮労働党総書記(国防委員長)が17日午前8時半に死去した、と発表した。69歳だった。朝鮮中央通信は「現地視察中に、精神・肉体の過労によって心筋梗塞が起き、心臓ショックによって列車内で急死した」と伝えた。葬儀は28日に平壌で行われる。
ただ後継体制の整備は完了しておらず、国内はもとより朝鮮半島や北東アジア情勢が流動化する可能性がある。外交、軍事など、すべての分野を指揮した金総書記の死去により、核問題や日本人拉致問題の行方はいっそう不透明になった。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011121990131142.html

金正日の死によって何がどう変わるか?
もともとヴェールに包まれていたこともあるし、しばしば常識では推し量れないところもあったので、専門家でも予測しづらいようだ。
たとえば、朝鮮半島問題にくわしい九州大学特任教授・小此木 政夫氏のコメントは次のようである。

6者会談がすぐにではなくても、年明け辺りに再開されるというようなことになれば、比較的、対話を持続しながら、後継作業を進めていくということになるんですよね。彼らとしては、金正日総書記が後継した時も同じですから、アメリカとの関係を安定化させながら、中国の援助をもらって、そしてできるだけ時間稼ぎをして、体制を作りたいという意図だろうと思うんですよね。そういう方向で動いてくれればいいんですが、しかし、ミサイルの発射ってなこともあったようですが、そういう方向でいくと、混乱が緊張が高まってくるということだと思うんですね。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00213887.html

「○○であれば、・・・・」という条件付きにならざるを得ないのだろう。
可能な限り不測の事態に対応できるような態勢が必要ではないかと思うが、野田政権は例の如く問題意識が薄いようだ。

北朝鮮は19日午前、特別放送を正午から行うと発表。訪米中の玄葉光一郎外相は「(金日成国家主席が死亡した際に特別放送があった)過去の経緯から、そういうこと(死去)もありえるのではないかということだった」と述べ、外務省から死去も想定した報告を受けたと説明した。
だが、首相は特別放送の内容を確認しないまま19日午前11時59分、就任後初めての街頭演説を東京・新橋で行うため「遺漏なきように」と秘書官に言い残して官邸の執務室を出発。首相秘書官が午後0時3分に金総書記の死去を首相に連絡し、藤村修官房長官からも同5分に「戻ってください」と電話があったことから、首相は街頭演説を取りやめ、同9分、官邸に戻った。
外務省は19日午前から、北朝鮮の重大放送の内容に関し米国などと連絡を取り合っていた。しかし、死去情報は入らず、藤村長官は同日の記者会見で「米国もそのようだが、北朝鮮の放送によってのみ確認されたというのが事実だ」と説明。「あらゆる想定をした」とも語ったが、死去の可能性を重視していたなら、首相が街頭演説に向かうことはなかったはずだ。

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20111220ddm005010105000c.html

TVでは、黒い衣装の女性アナウンサーが、悲痛な声で訃報を伝えていた。
50日くらい前から姿が見られないと噂になっていた人である。
北朝鮮の発表では17日に死去とのことだが、彼女の姿が見えない期間との関係は何かあるのだろうか?

後継は、三男の金正恩ということである。
これは昨年定められた路線である。
⇒2010年9月29日 (水):北朝鮮の権力承継
しかし、代替わりはもう少し先のことと想定していたのではないか?
「後継体制の整備は完了しておらず」であろう。

ところで、最高権力者の地位が世襲されるということをどう考えるか?
日本でも、近代社会に入ってから、明治→大正→昭和と、最高権力者が世襲されてきた。
現在の天皇は最高権力者とは言えないかも知れないが、明治以降昭和の前半までは紛うことなく、天皇は最高権力者だった。
⇒2010年9月30日 (木):権力の世襲と権威の世襲/「同じ」と「違う」(15)
万世一系だというが、神武天皇が実在したとしても、始まりははあったはずだし、エンドレスということもあり得ないだろう。

私は、世襲を権力の正統性の根拠とする考え方を合理的だとは思わない。
そして歴史は、長期的にはより合理的な方に進むと考える。
国民統合の象徴としての天皇という制度を否定するものではないが、皇室のあり方は転機を迎えているように感じられる。

北朝鮮については、そう遠い将来ではなく、金王朝とでもいうべき体制は崩壊するのではないかと考える。
情報通信技術の発展は普遍的であり、この国だけが例外的であり続け得るとは思えないからである。

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2011年12月19日 (月)

長倉三郎博士と「複眼的思考」/知的生産の方法(15)

長倉三郎博士は、分子科学の大家として知られるが、静岡県沼津市の出身である。
旧制沼津中学から、旧制静岡高校に進学し、東大理学部大学院で学んだ。
数少ない沼津名誉市民の1人(1991(平成3)年2月称号贈呈)である。
沼津市のサイトから略歴をみると、以下の通りである。

1943(昭和18)年東京帝国大学(現東京大学)理学部化学科を卒業し、1959(昭和34)年には東京大学教授、1981(昭和56)年には東京大学名誉教授となる。
その間、1966(昭和41)年に、「分子の電子構造及び分子間相互作用に関する研究」で日本化学会賞を、1971(昭和46)年、「分子化合物の電子論的研究」で朝日賞を、1978(昭和53)年、「短寿命励起分子及び反応中間体の電子構造と反応性の研究」で日本学士院賞をそれぞれ受賞する。また、1985(昭和60)年、文化功労章を、1990(平成2)年には文化勲章を受章する。
その他、国際量子分子科学アカデミー会員、岡崎国立共同研究機構分子科学研究所長、IUPAC会長、ドイツ民主共和国科学アカデミー会員、社団法人日本化学会会長、日本学士院会員、岡崎国立共同研究機構長、文部省学術審議会委員、文部省大学審議会委員、総合研究大学院大学長、中国(台北)化学会名誉会員、インド科学アカデミー会員、英国王立科学研究所名誉会員、スウェーデン王立科学アカデミー会員などを歴任する。
沼津市にかかわることでは、平成元年、母校である愛鷹小学校の校庭に、ニュートンが「万有引力の法則」を発見するきっかけとなった「りんごの木」の子孫を、東京大学の植物園から長倉先生の仲介で接ぎ木をする。1990(平成2)年12月、名誉市民に推される。
平成13年10月に、日本学士院院長に就任、平成14年3月現在、財団法人神奈川科学技術アカデミー理事長を務めている。
http://www.city.numazu.shizuoka.jp/sisei/jyoho/hito/mei_simin/meiyo.htm

長倉博士が初めて一般書を出した。
Photo_6「複眼的思考」ノススメ―調和が必要な変革の時代を迎えて』くもん出版(1111)である。

「複眼的思考」とはどういうことか?
長倉博士によれば、次のように定義される。

物事を一面からではなく、おたがいに異なる二つの面から捉えて、相反するまたは相容れない要素の調和を考えること

たとえば、夏目漱石は、「現代日本の開化」という講演を明治44(1911)年に和歌山で行っている。
その講演で、漱石は、「開化は人間活力の発現の径路である」とし、その径路には、消極的な活力節約型と積極的な活力消耗型があるとしている。
文明は、乗り物の発展に象徴されるように、人間の活力(エネルギー)を節約する方向に進む。
芸術や趣味の世界などのように、自分の気持ちの赴くままに活力を発揮する活力消耗型の行動も必要で、この2つが並んで進まなければならない。
日本は、全体としてみれば節約型に傾きがちであり、消耗型ももっと追求しなければならない、というのが漱石の論旨である。

100年後の現在でも、日本人の基本の傾向は変わっていないように見える。
もっと、「遊び」が必要だ、ということではないだろうか。

長倉博士の筆は、古今東西に及んでいるが、漱石のもう1つの講演に触れている。
大正3(1914)年の学習院の同窓会「輔仁会」で行った「私の個人主義」である。
漱石は次のように言っている。

第一に自己の個性の発展を遂げようと思うならば、同時に他人の個性を尊重しなければならないという事。
第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに付随している義務というものを心得なければならないという事。
第三に自己の全力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事。

長倉博士は、漱石のいう個人主義こそ、集団の中の個と集団全体の両面から見た複眼的視点に立つものだという。科学研究における複眼的視点の重要性については、次の3つについて語っている。
①意外性の追求
通念、常識にとらわれないで、従来とは違った視点で捉えなおして究めること。
たとえば、分子は構成原子が集まってできているという見方ではなく、分子を全体として捉えることによって、分子軌道の概念が構築された。

②分化と総合化
科学的方法論の探求はデカルトに始まる。
分析的、要素還元的な方法論である。固体を器官に分け、器官を細胞に分け、細胞を分子に分け、というように、細分化して各要素を研究する。
ところが、近年、複雑系の科学に見られるように、要素に還元しないでそのまま捉えようとする立場が必要になってきた。

③相補性
ニールス・ボーアは1927年に「相補性」の概念を提唱した。
事物の全体的把握は相対立する、または相容れない要素を併用することによってはじめて可能となる。

「複眼思考法」をタイトルにした本には、先行するものとして、苅谷剛彦『知的複眼思考法』講談社(9609)がある。
副題は、「The Way to Insightful Thinking」。
<insight>には、(…への)洞察,明察,看破;洞察力,識見;〔心〕洞察性という意味がある。
「知的複眼」に相当する語として「insight」が使われていると理解できる。

私はかつていわゆるIT企業に勤めていたことがあり、ITをInsightful Thinkingの意味でも使おうよ、と提案したが、ほとんど同調者は出なかった。
しかし、未曾有の国難の今ほどInsightful Thinkingが必要な時代はないともいえよう。
そして私は、Insightful Thinkingとは、CreativeとCriticalの2つのC(C&C)の「複眼」ではないかと考えている。

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2011年12月18日 (日)

収束と終息/「同じ」と「違う」(37)

野田首相のフクシマ原発事故の「収束宣言」に違和感を覚えたことは昨日書いた。
いまこの時期に、「収束」を「宣言」すべきなのか?

状況判断としては、原子炉の「低温停止状態」が達成されているかどうかが鍵になる。
その判断は専門家によるものに基づいているのだろうが、専門家の間でも判断が分かれているようである。

1993~99年に国際原子力機関(IAEA)の事務次長を務めたスイスの原子力工学専門家、ブルーノ・ペロード氏は産経新聞の取材に、「冷温停止状態の定義があいまいだ。少なくとも核分裂連鎖反応が止まったというだけで、核分裂生成物はすぐに取り除けず、核燃料のエネルギーも残ったままだ」と解説した。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111217/amr11121721020007-n1.htm

「宣言」は、科学的というよりはむしろ政治的な判断に基づいたものであろうか?
だとしたら、どのような政治的な意図に基づき、その意図に沿う効果はあったと言えるだろうか?

「収束」という言葉については、以下のようであった。
⇒2011年12月17日 (土):フクシマは「収束」したのか?/原発事故の真相(14)

1  分裂・混乱していたものが、まとまって収まりがつくこと。また、収まりをつけること。「事態の―を図る」「争議が―する」
「収束」に類似している言葉に、「終息(熄)」がある。
「終息(熄)」とはどういう意味か?
大辞林の説明は次の通りである。

物事が終わって、やむこと。「蔓延(まんえん)していた悪疫が―する」
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/08657300/

とすれば、フクシマ原発事故が「終息(熄)」したとは言えないことは明らかである。
「収束」と「終息(熄)」は、同音類義とも言えるが、同音異義とも言えよう。
こういう場合は、もっと明晰な言葉を使った方がいいと思う。
たとえば、フクシマ原発の原子炉は、「冷温停止状態を達成し、次のステップに向かう段階になった」と言うだけではいけないか?
そうすれば、「冷温停止状態」の定義ももっと深められるのではないか。

あえて「収束」という「終息」を連想させる言葉を使うことにより、「物事が終わって、やむこと」のイメージを持たせようという政治的意図があるとすれば、意図とは逆に大きな失点だと言うべきであろう。
廃炉に向かって、非常に困難な工程が想定されていることは、細野担当相も言明しているところであるからだ。

「収束」という言葉は、数学の用法との関連で考えれば、よりイメージがはっきりすると思われる。

2 数学で、ある値に限りなく近づくこと。収斂(しゅうれん)。⇔発散
 ①ある無限数列が、ある値にいくらでも近づくこと。
 ②数列の項が、ある値に限りなく近づくこと。
 ③級数の途中までの和が、ある値にいくらでも近い値をとること。

遠い記憶に遡れば、「ε-δ」の論理に関係する。
Wikipediaでは次のように解説している。

ε-δ 論法(イプシロンデルタろんぽう、またはエプシロンデルタろんぽう)とは、解析学において、無限小無限大を用いず、有限な大きさの実数を値にとる変数 ε や δ などを用いて極限を扱う方法である。

ぞっとした記憶が甦った人も多いのではないか。
私も、大学に入って直ぐに、ε-δで躓いたクチである。
たとえば、「関数値の収束」は次のように表現される。

任意のの数 ε に対し、ある適当な正の数 δ が存在して、 0 < |xa| < δ を満たす全ての実数 xに対し、 |f(x) − b| < ε が成り立つ。
この式が成り立っているとすると0< |xa| < δ の範囲で実数 x を動かしているうちは、どのように動かしても f(x) と b との差は高々 ε 程度でしかない。 xa に近付けるという極限操作を行っている最中でもそうである。 ε は任意に選べるので好きなだけ小さくとっておき、それに応じて δ をちゃんと選べば x が0< |xa| < δ を満たす限り、 f(x) は b からせいぜい ε しか離れてない範囲に留まり続けなければならないのである。

また、「級数の収束」は次のようである。

任意の正の数 ε に対し、ある適当な自然数 N が存在し、N より大きい全ての自然数nに対して|anb| < ε
が成り立つ。 という意味である。
つまり N をうまく選べば、添字 nN より大きな an は、 b から高々 ε 程度しか離れられないようにできるということである。 ε は自由に選ぶことができるので好きなだけ小さい正の実数を取ればよい。これによって anb に近付くという状況を表現できる。
このように数列の極限を扱う場合は δ ではなく N を使うため ε-δ 論法ではなく ε-N 論法と呼ばれたりもする。

つまり、数学的な「収束」には、任意のεを基準として、その範囲内に収まる、という論理がある。
原子炉の状態にそのような基準は想定できないだろう。
その意味でも、「収束」を「宣言」することは、ミスリードするものではなかろうか。、

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2011年12月17日 (土)

フクシマは「収束」したのか?/原発事故の真相(14)

野田首相は、フクシマ原発事故の「収束」を宣言した。

Photo_3野田佳彦首相は十六日、政府の原子力災害対策本部の会合で、東京電力福島第一原発で原子炉を安定して冷却する「冷温停止状態」を達成し、事故収束に向けた工程表「ステップ2」が完了できたとして「事故そのものは収束に至った」と宣言した。
三月十一日の事故発生から九カ月余り。記者会見した細野豪志原発事故担当相は、今後は住民の帰還に向けた対策に政府を挙げて取り組む方針を示した。
しかし、今月四日には敷地内の放射能汚染水の海への流出が確認され、溶けた核燃料の状態も分からない。そんな中で早々と「事故収束」を宣言したことには、住民や専門家から批判が出ている。
事故対応に当たってきた国と東京電力の統合対策室は十六日に解散し、新たに「政府・東京電力中長期対策会議」を設置した。近くとりまとめる中長期の工程表をもとに、三十年以上かかるとされる同原発1~4号機の廃炉に向けた作業に取り組む。周辺住民の帰還に向け、避難区域の見直しに向けた考えも示す方針。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011121790070938.html

判断の基準は、原子炉が「冷温停止状態」にあるか否かである。
「冷温停止状態」とはどういう状態か?
新語時事用語辞典では、次のように定義している。

原子力発電所などにおいて、原子炉内の温度100未満となり原子炉安定的停止した状態のこと。

つまり次の2つの条件が満たされている場合である。
①原子炉内の温度が100度未満となっていること
②原子炉が安定的に停止していること

フクシマの場合、上記記事では以下のように書いてある。

炉心溶融を起こした1~3号機の原子炉内の温度が三〇~七〇度程度に落ち着き、安定的に冷却できる状態になった。放出が続く放射性物質による被ばく線量は、敷地の境界で年〇・一ミリシーベルトと一般人の限度の十分の一にとどまっているとされる。
さらに、東電や経済産業省原子力安全・保安院は、東日本大震災と同規模の地震や津波に襲われても安全性が保たれると確認。国として安全が確保できたと判断したという。

①は、炉内温度が30~70度に保たれているとすれば、達成されているといえるだろう。
②の判断は専門家に委ねるべきだろうが、果たして現状は原子炉が「安定的に停止している」といっていいのだろうか?
フクシマの地元紙の見方はどうか?
福島民報の論説「あぶくま抄」は次のように書いている。

「収束宣言」は現状からすれば、あまりに唐突で違和感を覚える。
・・・・・・
原子炉の損傷具合や溶けた核燃料の現状は確認できていない。注水による温度変化や格納容器内の放射性物質の解析から推定するしかないという。放射性物質の外部放出も止まっていない。原子力安全委員会の班目春樹委員長は「炉の中の状態が分からず、何が起こるかきちんと予想することが難しい」と認める。
炉建屋や使用済み燃料プールは水素爆発によって傷みが激しい。循環注水冷却システムも綱渡りの状態が続く。崩落や汚染物質漏えいの危険性が依然残る。安全・安心とは言い難い。炉内部の調査・測定や不測の事態に対応できる体制の確立が不可欠だ。

要するに、炉の中の状態は、分からないとするべきではないか。
という状態で、「原子炉が安定的に停止していること」と言えるのか、疑問である。
そもそも、「収束」という言葉で、野田首相は、何を説明しようとしたのだろうか?
「収束」とは、辞書的には以下の通りである。

1 分裂・混乱していたものが、まとまって収まりがつくこと。また、収まりをつけること。「事態の―を図る」「争議が―する」
2 数学で、ある値に限りなく近づくこと。収斂(しゅうれん)。⇔発散
 ①ある無限数列が、ある値にいくらでも近づくこと。
 ②数列の項が、ある値に限りなく近づくこと。
 ③級数の途中までの和が、ある値にいくらでも近い値をとること。
3 多くの光線が一点に集まること。収斂。集束。
4 海洋学で、流線が周囲から一点に向かって集まること。収斂。

2,3,4は特定分野の用語であるから、当然1の意味で使われていると考えていいだろう。
フクシマは「収まりがついた」といえるだろうか?
こう問い直せば、誰でも「NO」と答えるのではないだろうか?

私も、なるべく早く廃炉に向けてのプロセスに進んで欲しいと思う。
しかし、あえていえば、「収束」を宣言することにより、ミスリードするものではないのか?

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2011年12月16日 (金)

大津皇子と磐余池

古代史の舞台として有名な磐余池の跡ではないかと推測される堤跡が見つかったと報じられている。

Photo日本書紀や万葉集に登場しながら所在地が不明だった古代のダム「磐余池(いわれいけ)」とみられる6世紀の池の堤跡が奈良県橿原市東池尻町で見つかり、橿原市教育委員会が15日発表した。
池は国内最古で、堤跡の上では、大型建物跡も発見された。磐余池のほとりに造ったとされる聖徳太子の父・用明天皇の「磐余池辺双槻宮(いけのべのなみつきのみや)」の可能性を指摘する研究者もおり、飛鳥時代以前に大和王権の中心地にもなった「磐余」地域の歴史を解明する大きな手掛かりとなる。
・・・・・・
朝鮮半島由来の大壁建物と呼ばれる6世紀後半以前の建物跡も見つかり、土木技術にたけた渡来系集団が池を造ったとみている。
日本書紀などは、「磐余」の地名を冠した4人の天皇の宮や池にまつわる物語を伝える。万葉集は、謀反の罪に問われた天武天皇の子、大津皇子が磐余池の堤で詠んだとする辞世の歌(巻3・416)を載せる。
・・・・・・
<和田萃・京都教育大名誉教授(古代史)の話>現場周辺は池を造るのに適した場所。池にまつわる小字名も残り、磐余池とみて間違いないと思う。大型建物跡は池を眺めたテラスのような施設の可能性もある。
<上野誠・奈良大教授(万葉文化論)の話>東アジアの宮殿庭園をモデルにした池で、見る場所で変化する景観を天皇が楽しんだのだと思う。当時は有名な池だったので、大津皇子もここで歌を詠んだのではないか。

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011121690001320.html

大津皇子が磐余池で詠んだといわれる辞世の歌。

ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

この歌は、謀反の罪で処刑されたとき、「磐余池の堤で涙を流して作った」と、万葉集に記されている。
まさに、小松崎文夫『皇子たちの鎮魂歌―万葉集の“虚”と“実”』新人物往来社(0403)の世界であろう。
⇒2008年10月 8日 (水):『万葉集』巻1・巻2の構成

大津皇子は、私が日本古代史や『万葉集』に興味を持つようになったきっかけを与えてくれた人物である。
石川郎女との相聞歌に先ずしびれた。
⇒2007年8月27日 (月):偶然か? それとも・・・②大津皇子
⇒2010年12月15日 (水):大津皇子と相聞コミュニケーション/やまとの謎(18)

そして、処刑されたという大津皇子をめぐる政治状況に関心を掻き立てられた。
⇒2007年8月31日 (金):大津皇子処刑の背景・・・①梅原猛説
⇒2007年9月 1日 (土):大津皇子処刑の背景・・・②上山春平説
⇒2008年5月21日 (水):大津皇子処刑の背景…③林青梧説

持統天皇から文武天皇にかけての時代には謎が多い。
正史も『日本書紀』は持統天皇で終わり、『続日本紀』は文武天皇から始まっているが、靄がかかったような状態であって、諸説が繚乱として花開いている感じである。
⇒2008年2月 3日 (日):草壁皇子と大津皇子…砂川史学⑪
⇒2008年10月29日 (水):小林惠子氏の高松塚被葬者論…⑤大津皇子と朱鳥(朱雀)年号
⇒2008年11月13日 (木):岡本正太郎氏の高松塚被葬者論…⑤大津皇子について

皇位継承、高松塚被葬者、朱鳥年号など第一級の謎の、1つの焦点が大津皇子である。
大津皇子には1人の姉がいた。優れた歌人だった。
⇒2008年1月30日 (水):大来皇女
2人の母にあたる大田皇女の墓の有力な候補が、ちょうど1年前に発見された。
⇒2010年12月10日 (金):大田皇女の墓?/やまとの謎(14

今回の磐余池の堤跡の発見は、これらの謎の解明にどう寄与するであろうか。
また、堤跡の上の大型建物跡は用明天皇の磐余池辺双槻宮と関係があるのだろうか。
今後の展開に胸躍るような期待感が高まる。

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2011年12月15日 (木)

山下文男さんと「津波てんでんこ」/追悼(18)

山下文男さんの訃報が伝えられている。

津波の恐れがあったら1人ずつが必死に逃げることを諭す「津波てんでんこ」の言葉を全国に広げた大船渡市三陸町綾里の津波災害史研究者、山下文男さんが13日午前0時34分、肺炎のため盛岡市内の病院で亡くなった。87歳だった。過去の被災体験から著書や講演で津波の怖さや防災対策を訴えた。3月11日は陸前高田市内で津波に首まで漬かりながら生還。亡くなる直前まで高所移転や防災教育の必要性を訴え続けた。
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20111214_3

「津波てんでんこ」という言葉は聞いたことがあったが、まさに「3・11」の大津波によって、生きた言葉として実感した。
山下文男さんの著書を直接手にしたことはないが、佐野眞一『津波と原発』講談社(1106)に、印象深く登場している。
佐野さんのこの本は、震災後間もない時期に(「あとがきにかえて」の日付は6月1日)上梓されたものであるが、今次震災の本質のある側面を見事に射貫いていると思う。ノンフィクション作家としての取材の蓄積と問題意識があればこそであろう。
⇒2011年9月11日 (日):政府による「情報の隠蔽」は犯罪ではないのか

佐野さんは、同書の最初の部分で、山下さんについて以下のように書いている。
同行したスタッフ記者と担当編集者との会話である。

山下文男って知っているかい? 一九七四年の創共協定を実現させたときの日本共産党の文化部長だよ。創共協定は、あの松本清張が橋渡し役になって、宮本顕治日本共産党委員長と創価学会会長の池田大作のトップ会談を実現させたものだ。その歴史的創共協定が結ばれたとき、日共側の連絡役となったのが山下文男という男だ。
なぜ、そんな古い話をしたかというと、山下文男が今回の大津波に大いに関係しているからなんだ。

山下さんは、自らの体験を踏まえて近代日本の津波史を研究、『津波てんでんこ-近代日本の津波史』(新日本出版社)など多数の著作を通じて津波の恐ろしさを訴え続けた。津波の記憶を風化させまいと、学校などで体験を語る活動にも取り組んだ。(Wikipedia山下文男
山下さんは、岩手県陸前高田市の病院中に、東日本大震災の大津波に遭った。
病院の4Fに入院していて津波に襲われたが、津波災害を研究してきた者として、最後まで津波を見届けようとした。
しかし、津波は山下さんの想定を超えるものだった。
津波研究者として第一の反省点だ、と佐野さんのインタビューに答えている。

興味深いのは、自衛隊に対するコメントである。

僕はこれまでずっと自衛隊は憲法違反だと言い続けてきたが、今度ほど自衛隊を有り難いと思ったことはなかった。国として、国土防衛隊のような組織が必要だということがしみじみわかった。
とにかく、僕の孫のような若い隊員が、僕の冷え切った身体をこの毛布で包んでくれたんだ。その上、身体までさすってくれた。

原発については次のように語っている。

僕は原発を全面的には否定しないんですよ。だって、将来の日本のエネルギー問題を考えれば、何が何でもいけないと言うわけにはいかない。それは防潮堤をもっと高くしろという短絡的な意見と同じでね。こういう事故が起きると、ほら見たことか、やはり原発はダメじゃないかという意見が必ず出てくるが、それもダメですよ。

山下さんは、自衛隊にしろ原発にしろ、現実に即して柔軟な思考をした人のようだ。

エネルギー源として、原発は不要だろうか?
不要だとしたら、日本国全体でどの位のエネルギーを使用し、その時の個人の生活や産業はどのようにイメージできるだろうか?
また、必要だとしたら、どの程度を想定するのか?
いずれにせよ、原発ありきで生きていくことはできない。

「あとがきにかえて」で、佐野さんは次のように書いている。

いま私たちに問われているのは、これまで日本人がたどってきた道とはまったく別の歴史を、私たち自身の手で作れるかどうかである。そして、それしか日本復活につながる道はない。

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2011年12月14日 (水)

原発の発電コストはいくらと見るのが妥当なのか?/原発事故の真相(13)

政府が発電コストの試算(見直し結果)を発表した。

政府のエネルギー・環境会議は13日、コスト等検証委員会を開き、発電方法別の費用試算を発表した。
原子力発電の発電コストは、これまで加算されていなかった事故費用などが上乗せされたため、1キロ・ワット時あたり最低8・9円となり、2004年の試算(5・9円)から約5割上昇した。
エネルギー価格の上昇などを受け、液化天然ガス(LNG)火力などのコストも上昇するため、なお原発は相対的に割安となる計算だ。今回の試算をたたき台に、同会議は、最適な発電方法の組み合わせを来春をめどに示し、来夏にまとめる革新的エネルギー・環境戦略に反映させる。
東京電力福島第一原子力発電所事故を踏まえた原発コストは、福島第一原発事故の事故費用を最低約5・8兆円と計算。さらに立地対策費や研究開発費などを加算すると、発電コストは04年の試算から3円上昇すると見積もった。この数字は「下限」であり、費用が1兆円増えるごとにコストも0・1円増加するとした。

http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/yomiuri-20111213-01082/1.htm

電力は最も便利なエネルギーであり、「最適な発電方法の組み合わせ」は重要な政策課題である。
そのためには、発電コストが的確に算定されていることが必要である。
フクシマの事故により、従来の原発発電コストに疑問符が付けられたのは当然である。
それでは、今回の試算により、その疑問符は消えたといえるであろうか?
残念ながら、NOであろう。

2010年6月、民主党政権下で閣議決定したエネルギー基本計画は、2030年までに原子力発電所を14基新増設し、電力の53%を賄うという目標を設定した。
半分以上を原発で賄うという原発推進路線に立つものであった。
フクシマの事故により、この計画は脆くも破綻した。
定期点検に入った原発の再稼働は、地元自治体の同意を取り付けるのがきわめて困難だと考えられる。

しかし、原発なしでやっていけるのか?
エネルギー政策をどうするのか、俯瞰的な構想力が問われる。
各政党は、次の総選挙で、この問題を是非マニフェストとして明示して欲しい。

今回の試算は、「事故のコスト」をどう見積もったのだろうか?
上記ニュースでは「福島第一原発事故の事故費用を最低約5・8兆円と計算」とある。
「最低」という以上、何らかの限定をして算出していることが窺われる。
しかし、実際的に素人的な感覚では、フクシマ原発事故の被害が「約5・8兆円」で収まるとは思えない。
影響は思わぬところに出てくる可能性がある。

たとえば、粉ミルクから放射性セシウムが検出されたという衝撃的なニュースも報じられている。
日経ビジネスオンライン111214号の藍原寛子『「粉ミルクから30ベクレル」の波紋-できたばかり、二本松市のNPOが最初に検出』による。

乳児向け粉ミルク「明治ステップ」から、1キログラム当たり最高で30.8ベクレルの放射性セシウムが検出され、メーカーの明治(東京都)が、対象の40万缶の無償交換を始めたというニュース。福島県内にも衝撃が走った。
粉ミルクの検査は、厚労省が7月から8月にかけて、市販品25種類を対象に実施済みで、その検査では放射性セシウムは検出されなかったからだ。さらに今回、セシウムを最初に検出したのは、明治でもなく、国県など公的に検査を行っている行政側でもなく、震災以降活動を開始した、できたてほやほやのNPO(非営利団体)である「TEAM二本松」(佐々木道範理事長、福島県二本松市)だったからだ。
・・・・・・
明治では、放射性物質が含まれていたのは原料ではなく、乾燥させるために使った外部の空気に放射性物質が混じっていたと見ている。震災直後はSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワーク)も公表されず、明治側で防げる可能性は低かったのかもしれないが、第三者機関に測定依頼するなど、さらなる対応も必要だったかもしれない。

「NPOが最初に検出」というところが気になるところである。明治や厚労省の対応に反省すべきことはないのか?
それはともかく、要するに、原料ではなく、加工工程で汚染されたらしい、ということだ。
この粉ミルクについては、それほど心配は要らないであろうとは思う。
しかし、環境問題は、徴候が重要である。
水俣病でも、環境の変化にもっと敏感であれば、防げた被害があったはずである。
基準値云々という以前に、「検出されてはならないものが検出された」と考えるべきではないだろうか?

原発事故の発生当初、枝野官房長官(当時)の、「ただちに影響はない」という言葉は、一種の流行語になった。
⇒2011年3月20日 (日):福島第1原発事故と放射線量の用語について
⇒2011年7月19日 (火):拡大する放射能汚染と補償の範囲/原発事故の真相(5)
⇒2011年8月10日 (水):「10シーベルトの放射線」の意味するもの/原発事故の真相(6)
⇒2011年9月12日 (月):福島原発事故と今後のエネルギー政策

粉ミルクも、「ただちに影響が出る」ことはないにしても、不安は残るのが正直なところだろう。
ダイヤモンド・オンライン111111号で、ジャーナリストの上杉隆氏は『「ただちに影響はない」は限られた場合の話だった!?-枝野前官房長官の“問題発言”と“政治家としての責任”』と題して、次のように書いている。

枝野氏はおとといの予算委員会の答弁の中で、改めて「これは『基準値超えの食品を一度か二度摂取した場合』に限られる」と説明し直している。
では、枝野氏に言いたい。なぜ、当時、そのように説明しなかったのか。その同じ口からは一切そんな言葉は発せられなかったではないか。

要するに、上杉氏は、枝野氏の言葉を欺瞞的レトリックだと言っているのである。

原発の発電単価の発表に際しては、「最低」の見積もりで産出するのではなく、考えられる範囲の被害額を織り込んで算出して欲しい。
とはいえ、今の時点で、合理的な根拠を持った数字を出すことはできないかも知れない。
しかし、原発の発電コストは、いわゆる「禁止的費用:prohibitive costs」なのではなかろうか。
辞書では、prohibitive costs are so high that they prevent people from buying or doing somethingと説明している。

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2011年12月13日 (火)

危機の構造と「レジリエンス」/花づな列島復興のためのメモ(14)

今年話題となった新語・流行語を選ぶ『2011年ユーキャン新語・流行語大賞』(現代用語の基礎知識選)が12月1日発表された。
年間大賞は「なでしこジャパン」。
女子サッカーのW杯優勝という歴史的な快挙からして、異論はない。
震災や原発事故関連の言葉が多くノミネートされていたが、「帰宅難民」「3・11」「風評被害」「絆」などがトップテンに入った。
いずれも今年の世相を表したものだ。

私は大震災という未曾有の事態にを今後に生かす言葉として、「レジリエンス」はどうだろうかと思う。
流行したというほど、人口に膾炙したとはいえないだろう。
私は知らない言葉かったが、必ずしも新語ではないだろう。
しかし、藤井聡・京都大学大学院教授が大震災発災直後、3月23日に、参議院予算委員会の公聴会で公述するまでは、一般にはほとんどなじみのない概念ではなかったか。
http://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/tba/index.php/b4/job/121-sanngiin.html

藤井氏はその後、『列島強靱化論―日本復活5カ年計画 (文春新書)』(1105)を発刊して注意を喚起している。
また、同趣旨のことを、産経新聞111121の「正論」欄に寄稿している。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111121/dst11112103320002-n1.htm
私もすでに引用させて貰っている。
⇒2011年10月29日 (土):猿橋の「用」と「美」と「レジリエンス」/花づな列島復興のためのメモ(10)

今年は大震災だけではなく、いくつもの危機が顕在化した年だったと言えよう。
⇒2011年10月18日 (火):日本経済のクァドリレンマ/花づな列島復興のためのメモ(8)
⇒2011年11月29日 (火):「危機の構造」はどう変わったか?/花づな列島復興のためのメモ(12)
以下、「正論」欄の主張をベースに、改めて藤井氏の見解を紹介したい。
藤井氏は現在の日本の状況を、次のように述べている。

第一に、「首都直下地震」「西日本大震災」という、東日本大震災級の超巨大震災の「連発」に見舞われる危機である。
・・・・・・
第二に、15年余にもわたる「デフレ不況」が日本の国力を蝕み続けている。例えば、過去15年の間に日本が僅かなインフレを続けていたと仮定するだけで、恐るべきことに、累計で「数千兆円規模」の国民所得が既に失われた計算になる。
・・・・・・
第三に、世界経済に目を転じれば、米、欧、中のいずれも深刻な経済問題を抱えており、リーマン・ショックと同様あるいはそれ以上の世界経済危機がいつ何時、起きてもおかしくない状況にある。
・・・・・・
これらの危機は、どの一つを取ってみても、国家の存亡に直結するような、目眩がするぐらい深刻なものばかりであるが、それら全てが束になって襲いかかろうとしているというのが、今の我が国の危機的状況なのだ。

そして、このような状況下でなすべきことは、まずはその病を癒やして基礎体力を回復することであって、デフレから脱却して健全な国民経済を取り戻すとともに、災害面、経済面の具体的な危機に対する備えを固めることだ、と言っている。
そのような本の総力を挙げた取り組みを「国家の強靱化」といい、「強靱さ」を「レジリエンス」と表現している。

「レジリエンス」は、「強固・堅牢」とは異なる概念である。
仙谷官房長官(当時)が「弱腰外交」と批判されて、「柳腰外交だ」と反論したことがあった。
「柳腰」は、「美人の細くしなやかな腰つきという意味で不適当」と撤回を求められたが、古川官房副長官(当時)は「仙谷長官は『しなやかで、したたか』という意味で使った」と説明した。
その雪折れしない柳のような強さに近いと言っていいだろう。

すなわち、強力な外力に対した時の次のような強さである。
(1)致命傷を避ける
(2)被害を最小化する
(3)迅速に回復する

しなやかでしたたかな強さ。
今、わが国が最も必要とされるものではないだろうか。
私たちは、効率性を追求して、戦後日本の繁栄を築いてきた。
それが砂上の楼閣でもあることに、大震災によって気づかされた。

効率性とは別の指導原理が必要である。
「レジリエンス」は今後の指導原理の1つになり得るものであろう。
しかし、当然のことながら、効率性とはトレードオフになるだろう。

たとえばTPPの問題はどうか?
私は、基本的には、わが国が通商国家である以上、賛成である。
しかし、「レジリエンス」の視点を踏まえた十分な検討が必要だとも考える。
野田首相はあまりにも説明不足だと言わざるを得ない。

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2011年12月12日 (月)

今年の漢字は、「絆」

「今年の漢字」は、「絆」に決まった。
まあ、大本命だったといえよう。

Photo_3 ことし1年の世相を漢字ひと文字で表す「今年の漢字」が、京都の清水寺で発表され、東日本大震災などを受けて、家族や仲間など、身近でかけがえのない人との絆を改めて知ったことなどを理由に、「絆」が選ばれました。
「今年の漢字」は、京都に本部のある日本漢字能力検定協会が、毎年、その年の世相を表す漢字ひと文字を募集して選び、発表しています。ことしはこれまでで最も多い49万通の応募があり、最も多かった「絆」という字が選ばれました。京都市東山区にある清水寺では、森清範貫主が、たっぷりと墨をつけた筆で、大きな和紙に「絆」の字を一気に書き上げました。「絆」を選んだ人たちは、東日本大震災で生きる希望を見失いそうになったときに、さまざまな人との絆で助けられたこと、震災で世界や日本に絆が広がり、お金では買えない大切なものがあると感じたこと、サッカー女子ワールドカップで日本代表のなでしこジャパンが優勝し、チームの絆を感じたことなどを理由に挙げているということです。日本漢字能力検定協会によりますと、ことしは東日本大震災を受けて字を選んだ人が多く、2番目に多かったのは震災の「災」、3番目は同じく震災の「震」だったということです。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111212/t10014573011000.html

「3・11」は、日本史に残る大きな出来事であった。
したがって、「今年の漢字」が「3・11」との関係で選ばれることはごく自然なことと言える。
住友生命が行っている「創作四字熟語」の入選作品にも、「帰路騒然(理路整然)」や「天威無法(天衣無縫)」など、甚大な被害をもたらした東日本大震災関連のものが入選している。

「絆」とは、人と人の結びつきを意味する。
人と人の結びつきの代表は、家族であろう。
我が国の少子高齢化のスピードは急である。
⇒2009年1月 3日 (土):モデルなき人口減少社会に向かって
⇒2010年10月22日 (金):国勢調査と人口減少社会
その結果、さまざまな歪みが生じている。

考えられないような幼児虐待のニュースには胸を締め付けられる。
また、親の死亡届を出さずに、不法に年金を受給してたなどというニュースもあった。
つまり、家族の絆が弱まっているとも言われる。
⇒2010年8月25日 (水):“家族の絆”は弱まっているか?

大震災は家族の絆を再認識させるものでもあった。
⇒2011年3月23日 (水):震災を耐え抜いた家族の絆
また、震災前から、家族の絆が弱くなっていると言われる一方で、タイガーマスク現象に見られるように、家族を超えた絆が生まれつつあった。
⇒2011年1月12日 (水):出口の見えない菅政権と民主党解党という選択肢

菅政権のままで大震災を迎えたのは二重の不幸であった。
菅前首相の仕事として、数少ない評価できるものとして、浜岡原発の停止要請がある。
しかし、その判断の根拠やプロセスには疑問なしとしない。
スタンドプレー臭が強すぎるのだ。
同様の臭いが、「絆」の文字の海外向け広告からも感じとれた。
⇒2011年5月 7日 (土):唐突に浜岡原発の運転中止要請/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(23)

人は孤立しては生きていけない動物である。
高度な社会の構築こそ人間の証明であろう。
人という字が、2人が支えあう形から来ているということもいわれる。

東日本大震災を契機として、新しいライフスタイルの模索が始まったように思う。
それは、どのような絆を形成するかということと同じことであろう。
「今年の漢字」は、今年の世相の表現であると同時に、長期的な課題の表現でもある。
不易流行の1つであろうか。

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2011年12月11日 (日)

御殿場・時の栖のイルミネーション

今日で震災が発生して9ヶ月。
復興庁設置法が9日成立し、平野復興相は、予定を「前倒しで」2月を目途に設置したいと言明した。
前倒しとはいえ、遅い、と感じるのは私だけではないだろう。
また、権限や役割分担等の問題も残っている。
迅速かつ手厚い復興事業への道に真に役立つことを願う。

ここ数日、冷え込みも厳しくなってきたが、全国各地でイルミネーションが師走の夜を飾っている。
とはいえ、震災のこともあって、街で見かけるイルミネーションは少し控えめのような感じである。
控えめだけに、鎮魂の光のようにも見えるのだが。
妻と連れだって、御殿場市の時の栖のイルミネーションを見てきた。

111211

今年のイルミネーションテーマは『ゴンドラの輝き』!
今年でなんと10回目のイルミネーション。電球がLEDに変わり、もっと煌びやかになりました。
また、世界遺産に登録されているヴェルサイユ宮殿の庭園で催されている噴水ショーを御殿場に再現。
水と光と音が織りなす壮大な空間を演出します。(有料)
今年はどんな趣向で驚かせてくれるのでしょうか?!
●開催期間:2011年11月10日(木)~2012年3月11日(日)
●点灯:16:30~22:00(11/10~1/5)、17:00~21:30(1/6~3/11
時の栖冬のイルミネーション

年々充実し、人出も多くなっているようだ。
子供たちにはゴンドラが人気のようだった。
色彩の鮮やかさも増したが、今はもう少し秘めやかな方がいいような気もする。

時の栖は、ずっと昔、私が小学生の頃は、綿羊場と呼ばれていた。
名前の通り、綿羊が飼育されていただけだったが、3~4年の担任だったS先生の家が近くで、何度か遊びに行ったことがある。
もう綿羊場という名前を知っている人も少ないだろう。

その後、バブル企業のレジャー施設になったりしたが、現在は地元の企業家の手で、ビアレストランなどを備えたリゾート施設として成功している。
Photo_2
御殿場高原というネーミングも成功のファクターの1つだろう。
地ビールも全国各地にできているが、旨いと思うところは数少ない。
論評できるほどの味覚の持ち主ではないが、ここのビール(特にピルス)はいいと思う。

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2011年12月10日 (土)

鶴見和子/私撰アンソロジー(13)

Photo_2
先日友人がある雑誌に、南方熊楠を紹介する文章を書いたというので、その原稿を読ませてもらった。
文中に鶴見和子さんの著書からの引用があった。
鶴見和子という名前は目にしていたが、著書は手にしたことがない。
弟の鶴見俊輔の文章は読んだことがあり、恵まれた家庭の秀才姉弟という印象を持っていた。

某古書店を通りかかったところ、店頭に「環」という雑誌のバックナンバーが何冊か置いてあった。
気になる雑誌ではあったが、高価なこともあり今まで購入にしたことがなかったが、古書店の価格ならば私にも手が出ない値段ではない。
結構重くて、障害のある身には堪えそうだったので2冊だけ買って帰った。
発行元は藤原書店。

藤原書店は、鶴見和子さんの著書のほとんどすべてを刊行している版元である。
同社のサイトの会社案内には次のようにある。

近代文明の終焉を迎えつつある時代状況の中で、小社は、現実の世界や社会を真に理解するために、従来の歴史の見方を問い直す書物を中心に刊行して参りました。今後も時代を捉える眼を養うための出版活動を続けて参る所存です。

東日本大震災、とりわけフクシマ原発事故という事態に直面したいま、上記のスタンスは貴重だろう。
鶴見和子さんは、戦後日本の代表的な社会学者だといわれる。
1995年12月に脳出血を発症。2006年7月に逝去。
若くして佐佐木信綱に師事した歌人でもある。

体がマヒして、ペンも取れずにいる時、溢れるように飛び出してくる歌を妹さんに筆記してもらった。そしてそれが彼女の第二歌集「回生」となったのであった。第一歌集から何と半世紀ぶりの第二歌集であった。乱暴な言い方が許されるならば、生死を彷徨う彼女の心を救ったのは、彼女の中に深く眠っていた歌心だったかもしれない。
・・・・・・

別の言い方をすれば、肉体が生存の危機の緊急指令を出した時、心の奥の奥から「この魂はまだこの世を離れるべきはない」という別の生存プログラムが発動したのかもしれない。これは鶴田氏の理論である「内発的発展論」の実践プログラムの可能性もある。これは知性というものが人生の苦を乗り越えていく時のひとつのモデルとも考えられるのである。
鶴見和子小論

リハビリ制度についての免疫学者多田富雄の活動について書いたことがある。
⇒2010年7月30日 (金):多田富雄さんのリハビリテーション期限撤廃運動/中間報告(10)
その多田さんと鶴見さんのことに触れたサイト。

その鶴見氏のリハビリ環境が、国の医療制度の改定によって、ガラリと変わってしまった。一般の市民にとってリハビリ制度というものは、自分やその家族が関わりを持たなければ、関心事とは成り得ない地味なものだ。そこにたまたま、多田富雄氏という著名な人物が当事者として、このリハビリ制度の「改悪」に声をあげられたこともあって、この問題がマスコミやインターネットを通じ、世間の関心事となり、反対の署名活動が、大きなうねりとなった。
・・・・・・
このまま政治家と厚労省の官僚とのもたれないの中で、現行の制度が温存されるようなことがあっては断じてならない。もちろん医療費の無駄は徹底的に見直されなければならないことは確かだ。しかし今回の医療制度の改定は、情け容赦のない高齢者とハンディを持つ人々を切り捨てるような行為であってこれを黙視することは許されない。ともかく、リハビリ制度は、患者の立場に立てば、生き死にかかわる切実な問題なのである。

多田富雄先生と鶴見和子氏の命の叫びを聞け !!

厚生労働省はリハビリ日数制限は運用上の問題(医師の判断)としているが、病院経営等の観点から、現実には日数制限があると見るべきであろう。
多田富雄さんとの往復書簡集『邂逅』藤原書店(0306)より。

わたしは死んだの、一度。死んだけれども、不思議なことに--幸いなことにことばが残った。死んだものがことばを残すってことはね、これは恵みよ、天恵よ。だからこの天からの授かりものを利用して、死者の目から、それから重度身体障害者という一番の弱者の立場から、その弱者の内発性をもって、どのようにいまの日本が見えるか、どのように世界が見えるか、それを考えながら日本を開いていく。そういう内発的発展論というのがあると思う。一番その原動力となるのが、アニミズムだと思っています。

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2011年12月 9日 (金)

北朝鮮からの脱北者にどう対応するのか?

政権交代後、拉致問題に対する取り組みに真剣さが薄れているような気がする。
「拉致」という現代のこととは思えない犯罪が、国家によって行われてきたのだ。
政治体制を論じる以前の、人道的な問題であり、政府は全力を尽くすべきだと思うが、たとえば菅前首相の姿勢は国民の願いを裏切るものであった。
⇒2011年7月22日 (金):拉致問題への菅首相の係わり
⇒2011年8月 1日 (月):次第に明らかにされていく菅首相の献金疑惑の闇
⇒2011年8月30日 (火):菅首相の無神経な最後の指示

野田首相は菅前首相とは違うだろうと思ったが、雲行きが怪しくなってきた。
中国の日本公館に保護を求めた北朝鮮からの脱北者の扱いをめぐり、日本政府が中国側に「誓約書」を出したと報じられている。

日本政府が今年初め、中国政府の求めに応じ、北朝鮮からの脱出住民(脱北者)の保護について「中国の国内法を尊重し、脱北者を公館外から公館に連れ込まない」と誓約する文書を提出していたことが7日、分かった。
複数の日本政府関係者が明らかにした。北朝鮮に配慮する中国の圧力に譲歩し、中国での脱北者保護を事実上断念したものだ。
政府関係者によると、同文書は、中国遼寧省瀋陽の日本総領事館で2008~09年にかけて保護された脱北者5人の日本移送をめぐる交渉で提出された。脱北者を「不法な越境者」とする中国側が出国を認めず、足止めが約2年~2年8か月と長期化。日本側は事態打開のため昨年末、「脱北者を保護すべきでない」とする中国側の主張に「留意する」と口頭で伝えた。
中国外務省は軟化したが、公安当局が難色を示し、「これまでに脱北者が日本に渡ることを認めた中国側の対応を評価する。今後は公館外からは連れ込まない」との趣旨を文書化するよう迫られた。提出後、保護されていた5人は、5月までに日本への出国が認められた。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111208-OYT1T00063.htm?from=main5

これに対し、藤村官房長官は8日午前の記者会見で、文書提出の事実関係については「明らかにすることは控える」と明言を避けた。
政府は平成18年に制定した北朝鮮人権法(拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律)に基づき、脱北者問題を「人権侵害問題」として、在外公館などで脱北者を受け入れてきた。
玄葉外相は8日の参院外交防衛委員会で、誓約書の提出は「絶対にあり得ない」としたものの、詳細については「安全やプライバシー(の問題)があるので、具体的事案のさまざまなやりとりを申し上げるのは差し控える」と言葉を濁した。

文書提出の事実関係を「明らかにすることは控える」とはどういうことか?
内閣のスポークスマンが説明から逃げているとしか思えない。
玄葉外相も歯切れが悪いと言わざるを得ない。
野田首相はどう向き合おうとしているのだろうか?
消費税の問題にしろTPPの問題にしろ、肝心な部分の説明を避けているような印象を受ける。

多田富雄さんは、『生命の意味論』新潮社(9702)の著作で知られる医学者であるが、2001年に脳梗塞を発症し、リハビリ制度の改善に向けて活動していた。
⇒2010年7月30日 (金):多田富雄さんのリハビリテーション期限撤廃運動/中間報告(10)
2010年に亡くなられたが、脳出血に罹患した鶴見和子さんとの往復書簡集『邂逅』藤原書店(0306)は、息を飲むようなやりとりの記録である。

驚いたことに、多田さんは、能の創作も手がけられていた。
その作品の1つに『望恨歌』がある。朝鮮人の強制連行の悲劇を、残された妻の「恨」の想いの視点から描いたものだという。
拉致の問題と強制連行の問題は通底している。非人間的な行為によりもたらされた悲劇である。
民主党政府が、中国に阿って、いささかなりとも後退した立場に立つことは許されないことである。

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2011年12月 8日 (木)

日米開戦の戦略と戦術/花づな列島復興のためのメモ(13)

真珠湾が三重県にある、と本気で思っている若い人がいるそうだ。
70年前の今日(アメリカ時間では12月7日)、日本はアメリカに奇襲を仕掛けた。

Yesterday, December 7th, 1941 -- a date which will live in infamy -- the United States of America was suddenly and deliberately attacked by naval and air forces of the Empire of Japan.
・・・・・・
The attack yesterday on the Hawaiian islands has caused severe damage to American naval and military forces. I regret to tell you that very many American lives have been lost. In addition, American ships have been reported torpedoed on the high seas between San Francisco and Honolulu.
Yesterday, the Japanese government also launched an attack against Malaya.
Last night, Japanese forces attacked Hong Kong.
Last night, Japanese forces attacked Guam.
Last night, Japanese forces attacked the Philippine Islands.
Last night, the Japanese attacked Wake Island.
And this morning, the Japanese attacked Midway Island.

http://public-domain-archive.com/speech/speech.php?target=9

奇襲を受けたF.D.ルーズベルト(第32代アメリカ大統領)の「パールハーバー演説」の一節である。
聞き取りにくい(私のヒヤリング能力だけでなく、音源が悪いこともある)CDを聞いていて、改めて認識したことがある。
1つは「the Empire of Japan」という表現である。
私の生まれる以前のことだけど、当時「大日本帝国」と称していたことは知っていたが、Empireだったことを改めて実感した。

もう1つは、Malaya、Hong Kong、Guam、Philippine Island、Wake Island、Midway Islandと畳みかけていることである。
真珠湾攻撃が決して偶発的なものではなく、周到に用意されたものであることを示そうとしたのだろう。
宣戦布告が遅れたことの原因についてはいろいろ言われているし、ルーズベルトは奇襲を知っていて敢えて攻撃させたという説もあるが、日本が同時多発的に攻撃を仕掛けたのは事実である。

日本国民の大多数は緒戦における「大きな」戦果を喜んだ。
新聞の論調も以下の通りであった。Photo
http://www.asahi-net.or.jp/~uu3s-situ/00/sennsou.sinbun.html

今日的評価はどうであろうか?
戦術的成功であって戦略的失敗などと言われる。

第二次大戦で日本軍がハワイの真珠湾を奇襲したのは有名ですが、これは戦術のレベルです。
実はアメリカ大統領のルーズベルトは暗号解読によってこの奇襲を事前に察知していたそうです。
しかし彼はあえて日本軍の攻撃を防御しませんでした。
彼はこの事件によってヨーロッパで行われている戦争に介入反対だったアメリカ国民の世論を一気に介入賛成にする事に成功しました。
また、旧式だった太平洋艦隊の艦船を日本軍が沈めてくれ、しかも世論も味方に付けたため一挙に最新式の艦船を多数建造することもできたのです。
このことによってルーズベルトは結果、日本との戦争に勝つことができたと言われています。
このレベルが戦略ではないでしょうか。

http://okwave.jp/qa/q40113.html

確かに“Remember Pearl Harbor”を合い言葉として、アメリカ国民は日本を卑怯だとし、日本に対する敵愾心を増幅していった。
しかし、そもそも戦争に守るべきルールがあるのだろうか?
原爆投下は合ルールなのか?

開戦時、日本の戦争計画はどのように考えられていたか?
相澤淳『太平洋戦争開戦時の日本の戦略』(http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2009/04.pdf)によれば、1941年11月15日、「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」が大本営政府連絡会議において採択された。
言い換えれば、「腹案」レベルしか持たないまま開戦に踏み切ったのである。

真珠湾攻撃の焦点が、山本五十六聯合艦隊司令長官であった。
海軍は伝統的に、大艦巨砲主義、戦艦主兵論だったが、山本は航空主兵論であった。
米国海軍相手の作戦としては、先ず空襲を以て敵に痛撃を与えること以外に勝機はないと考えたのである。

Photo_2
戸高一成『山本五十六こそ失敗の象徴』中央公論2012年1月号別冊

軍令部(上位組織)の反対を押し切って、山本の主張に基づく「帝国海軍作戦方針」は11月5日に天皇の裁可を受けた。
「作戦方針」は、まず戦争遂行上不足する資源地帯を確保して、長期的自給自足態勢に入ることを企図していた。
資源確保をするための奇襲攻撃であったはずである。

ところが、アメリカの長期的なポテンシャルをおそれた山本は、戦線拡大となるミッドウェー作戦を強く求めた。
軍令部は反対の意向だったが、真珠湾で「大きな」戦果を上げた山本に押し切られる。
結果は、ミッドウェーで主力空母4隻を失い、敗戦へのターニング・ポイントになった。

仮にミッドウェーで敗れなくても、戦争に勝利することはあり得なかったであろう。
現在から振り返ってみれば、「開戦すなわち敗戦」であった。
だから開戦責任(避戦できなかったこと)が第一に問われなければならないだろう。
同時に、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下まで終戦の意思決定できなかったことが犠牲を甚大なものにした。
日本国におけるグランドデザインの欠如であるが、70年後の現在も似たような状況ではないだろうか。

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2011年12月 7日 (水)

一川防衛相の居座りにみる民主党政権の現実

政権交代総選挙から2年4ヶ月。
政権交代を願って民主党に投票した人の過半が、「こんなはずではなかった」と思っているだろう。
鳩山、菅、野田と首相は替わったが、国民の審判を受けようという気配すら窺えない。
野党時代、政権たらい回しを批判してきたことなど、すっかり忘れたかの如くである。

「適材適所で起用した」と野田首相が強弁する閣僚も、どこに適性があるのかわからない人が複数人いる。
内閣は鉢呂経産相の放射能失言などで、出だしから不安感に満ちたものだった。
⇒2011年9月10日 (土):「閣内てんでんこ」の野田ドジョウ政権と言葉の力
なかでも、一川防衛相は、就任時に自ら素人と公言したこともあって、内閣という鎖の「最も弱い環」と目されていた。
案の定、鎖は切れかかっているようだ。

一川氏の適格性の無さは、国賓のブータン国王夫妻が来日したときにも露呈した。
「宮中晩餐会よりも同僚議員の政治資金パーティーに出席した」ことを得意気に話したというのである。
どのような価値観を持つべきかまでは云々できないだろうが、それを披瀝する場合の常識というものがあろう。
この人が何で国会議員をやっているのか、正直に言って訝しい。

沖縄の問題にしても然りと言わざるを得ないだろう。
防衛相にとって、沖縄は最もナーバスになるべきところである。
沖縄防衛局長の信じがたいような暴言が起きて、国会で追及される事態となり、局長の暴言に関連して、米軍普天間飛行場の移設の原点である米兵の少女暴行事件を「詳細には知らない」と答弁した。「詳細には知らない」が事実としても大人として答弁の仕方があるだろうと思う。
また、「琉球処分」について問われて、答えることができなかった。
沖縄県民ならずとも、民主党の直接の責任者の答弁であることを思うと、暗澹たる気持ちになるのではないか。

この人が適格性を欠いていることは明白のように思う。
問責決議は可決するのは必須の情勢のようだが、本人は「防衛相として致命的な失策をしているわけではない」と強弁して、依然として続投に意欲的なようだ。
任命者の野田首相も、適材適所という言葉を空しくを繰り返すだけである。
およそ「適材」とは言いがたいことは、あるいは首相自身承知しているのかも知れない。

仄聞するところでは、一川氏は小沢元代表に近い人らしい。
党内融和の(標榜の)ために更迭できないらしい。
党の要の輿石幹事長も、「辞める必要はない」と記者会見で答えていた。
そのココロは、次のように解説されている。

流れに任せる、それだけですよ。一川大臣の辞任は避けられない。でも、こっちからクビを切る必要はない。参院で問責決議案が可決されたら、その後で対応を考えればいいということなのです。だから今国会での更迭はないし、決着は来年の通常国会前になるでしょう。
http://gendai.net/articles/view/syakai/134065

そんなことでいいのだろうか?
防衛相の前には喫緊の課題が山積している。
菅氏の居座りにも呆れたが、これが民主党政権のリアルな姿ということだろう。

私は、鳩山、菅氏の軽薄ぶりに唖然とせざるを得なかった。
両人とも、すでに存在感は薄れているが、黒岩神奈川県知事の以下の言葉は正鵠を射ていよう。

黒岩氏は、「菅直人首相は官僚と歩調が合わず情報をつかめていなかった」と前置きした上で、「これが復興が遅れる一番の原因となった」と述べた。鳩山由紀夫元首相についても、米軍普天間飛行場移設問題(沖縄県宜野湾市)に関し「官僚を使いこなせずに混乱を招いた」と批判した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111029/plc11102909260003-n1.htm

私は野田政権に正当性はないと考えている。
⇒2011年9月19日 (月):民主党政権に正当性はあるのか?
民主党とは何だった(過去形!)のだろうか

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2011年12月 6日 (火)

心暖まる「手づくりMoms'」展示即売会

沼津東高(旧制沼津中学)は、名前の通りかつては沼津市の東部、狩野川左岸の香貫山の麓にあった。
現在は移転して、中心市街地からみれば北部に所在するが、校名はそのままである。
沼津北部高校(現沼津城北高校-県立)や沼津北高(現誠恵高校-私立)という高校があったので、紛らわしさを避けるという意図もあっただろうし、伝統名を捨てがたい思いもあったのではないだろうか。
井上靖さんや大岡信さんなどの沼津を懐旧する文章は、昔の所在地を舞台としていることが多いので、要注意。

その旧制沼津中学以来の場所は、現在沼津市民文化センターになっている。
その中に、「teshio:てしお」という名前の自然派カフェレストランが入っている。
http://cafe-teshio.com/
そこで「第4回てしお市手づくりMoms'」というイベントが開催された。
タイトル通り、手作り大好きママ達が、心をこめて作った作品の販売会である。Ws000006
知り合いのT子さんが出品するというので、見に行った。
会場はオープン前から行列ができていて、思いもかけぬ(?)人気である。

Kc3u00950001
考えてみれば当然のことであるが、(若い)女性ばかりである。
場違いなのは否めないが、気恥ずかしいという年齢でもないので、T子さんの共通の知人のM子さんと一緒に中へ入った。
会場も大勢の人でゆっくりと見学(物色)する余裕などない。
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T子さんのコーナーに行くと、なんと孫のRくんの名前の付いたハンドクラフトのマイクロ(?)ツリーを置いてくれてあった。
2_2
前に、出品を検討している作品を見せてくれたときに、「名前の入ったグッズなんかがあれば……」と言ったことがあり、覚えていて特製品を制作してくれたのだ。
外気温は師走らしく冷え込んでいたが、手づくり感に溢れた気持ちの暖まるイベントだった。

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2011年12月 5日 (月)

天皇の公務について/やまとの謎(52)

現在の天皇については、制度的には、日本国憲法第1章で規定されている。

第一章 天皇
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

いわゆる象徴天皇制であり、今上天皇は現憲法下の象徴天皇として即位した初めての天皇である。
天皇の公務にはどのようなものがあるか?
憲法第4条に規定されている。

第4条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

国事に関する行為にはどのようなものがあるか?

憲法上、天皇内閣助言承認により行う形式的儀礼的行為法律などの公布国会召集衆議院解散一定の官吏任免認証栄典授与など。内閣がその責任を負う
http://www.weblio.jp/content/%E5%9B%BD%E4%BA%8B%E8%A1%8C%E7%82%BA

しかし実際には国事に関する行為「のみ」ではなく、さまざまな公務を行っている。
公務は大きく分けて次の3種類ある。
 ・
国事行為
 ・公的行為
 ・その他の行為

天皇の公務に関して、という表現ではないが、宮内庁長官が女性宮家創設について発言したのも関連があるであろう。
⇒2011年11月28日 (月):天皇制と女性宮家問題/やまとの謎(50)
宮内庁長官の胸の内は推測するしかないが、天皇の公務負担の問題並びに皇位継承に対する危機意識があったのではないか。
一方で、皇位継承の当事者ともいえる秋篠宮が11月30日の誕生日に先だって行った記者会見で、天皇陛下の公務に関する意見を公にした。

--天皇陛下の公務に対して、定年制を設けたらどうかというような意見があります。殿下はどう思われますか
秋篠宮さま「私は、今おっしゃった定年制というのは、やはり必要になってくると思います。というか、ある一定の年齢を過ぎれば、人間はだんだんいろんなことをすることが難しくなっていきますので、それは一つの考えだと思いますけれども、じゃ、どの年齢でそういうふうにするか。やはりある年齢以降になると、人によって老いていくスピードは変わるわけですね。だから、それをある年齢で区切るのか、どうするのか、そういうところも含めて議論しないといけないのではないかと思います」

http://sankei.jp.msn.com/life/news/111130/imp11113007290002-n2.htm

天皇の「公的行為」は、植樹祭や国体への出席、海外の賓客の接遇など数多くある。
今上天皇はつとに開かれた皇室を心がけてこられたが、東日本大震災という国難に際して今日における天皇の意義=象徴天皇のあり方、についての1つの解を示されたと思う。
先頃は体調を崩されて入院という事態を迎えたが、退院後早速大震災で殉職した消防団員の慰霊式典に臨席された。

天皇陛下は午前10時半、皇后さまとともに、東日本大震災などで殉職した消防団員などの慰霊祭の会場に到着し、祭壇に深く頭を下げ、席に着かれた。
両陛下は、黙とうをささげたあと、祭壇に花束を供え、再び頭を深く下げられた。
東日本大震災では、226人の消防団員らが、住民の避難誘導などの際、津波に襲われ死亡したということで、慰霊祭には、遺族などおよそ700人が参列した。
両陛下の出席は、陛下の体調を考慮して、式典の一部の十数分間だったが、退席の際には遺族に丁寧に言葉をかけられた。

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00212506.html

天皇陛下の公務は年齢と共に増える傾向にあるという。
宮内庁の09年発表によると、昭和天皇の74歳の時と比べ、東京都内や地方への「お出まし」は約2・3倍になっていた。

「公的行為」に当たる災害被災地慰問にも即位後の両陛下は心を尽くしてきた。東日本大震災後は、7週連続で被災者らの見舞いをハードな日程でこなした。今月の入院に際し、宮内庁は「疲労が相当蓄積し、お身体(からだ)の抵抗力が低下している」と説明した。
http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20111130ddm041040085000c.html

秋篠宮の「定年制」言及には、このような事情があるが、「定年制」という表現には違和感もある。
制度的にも上皇は想定されていない。
女性宮家の議論が始まったようだが、公務の削減の方が喫緊の課題ではないだろうか。

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2011年12月 4日 (日)

銀杏並木の景観

今年の紅葉は例年に比べるとやや遅いようだ。
発色も冴えに欠けるようだが、これは地域差があるだろう。
三島駅の北側に文教町という地域があるが、日本大学、三島北高などの学校があるので名付けられたのだろうと思う。

その文教町の三島から裾野へ行く道の両側に銀杏並木がある。111130
111130撮影
なかなか見事なもので、今年の静岡県の景観大賞に選ばれた。

県内の優れた都市景観や美しい農山漁村、自然景観などを表彰する「第4回県景観賞」(美しいしずおか景観推進協議会主催)の表彰式が29日、静岡市葵区のユーフォニアで行われた。
・・・・・・
審査委員長の篠原修東京大名誉教授が講評し、三島市のイチョウ並木について「歴史があり、市民にも親しまれている並木道で素晴らしい。沿道の建物も景観に合うよう力を入れるとより素晴らしくなる」と述べた。

http://www.at-s.com/news/detail/100079623.html

この銀杏並木はいつ頃できたのだろうか?
三島に旧陸軍の練兵場があって、その跡地が東レになった。
東レの立地が三島市内の湧水量の減少をもたらしたといわれているが、東レだけが原因とはいえないだろう。
⇒2009年7月28日 (火):三島市内における湧水量の減少
⇒2009年7月29日 (水):湧水量の減少の原因と影響

1919年(大正8年)に野戦重砲兵第2連隊が横須賀から移転してきました。1929年(大正9年)には野戦重砲兵第3連隊が和歌山から移転して両連隊で野戦重砲兵第1旅団となりました。Photo
連隊が移転してから道路の幅が広げられ、それを記念して植えられたのが銀杏並木です。
第2連隊は現在の北中から日大の場所に、第3連隊は北高から税務署の場所にあり、現在東レの工場がある場所は練兵場になっていたそうです。

http://blog.goo.ne.jp/sztimes/e/64783b6e06bcdbf7fc1deb1e76ead4bf

今でいえば自衛隊の演習場がある感じであろう。
美しい景観に変わっているのは喜ばしいが、東レの工場の移転予定はないのだろうか?
篠原東京大名誉教授の「沿道の建物も景観に合うよう力を入れるとより素晴らしくなる」という言葉に同感するが、工場がネックになるのは明らかであろう。
宿泊施設を備えた立派な研修所があるが、その延長線で何か考えて頂きたいと思う。

ところで、イチョウは普通「銀杏」と書く。
学名はGinkgo biloba

Ginkgo は、日本名「銀杏(ぎんなん)」の音読みの ”ギンキョウ”がもとになっており、さらに”ギンキョウ”のつづり「Ginkjo」を「Ginkgo」と誤植したことで、今の属名「Ginkgo」になった。
http://www.hana300.com/icyou0.html

文学的(?)には、「公孫樹」という表記も。
祖父(公)がタネをまいても、実がなるのは孫の代になることに由来するという。
ところで、鴨脚とも書くのはご存じだろうか。
京都の下鴨神社の側に「鴨脚」
と書いた表札のお宅がある。
友人に「何と読むか」と質問されて分からなかった。

和名の由来については、葉の形をアヒルの足に見立てた 中国語: 鴨脚yājiǎo; イアチァオ)の転訛であるとする通説がある。
Wikipedia

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2011年12月 3日 (土)

原発事故中間報告と廃炉へのプロセス/原発事故の真相(12)

フクシマ原発事故で、東電の社内事故調査委員会が2日、中間報告を発表した。
最終報告書ではないが、東電のスタンスの一端が示されているのではないだろうか。
報告書の詳細な全文を目にしたわけではないが、報道記事によれば以下のようである。

<事故の概要>
3月11日、1~3号機が運転中だったが、午後2時46分に発生した東日本大震災を受け原子炉はすべて自動停止。すべての外部電源が失われたが、非常用ディーゼル発電機が起動。その後襲来した津波により冷却用海水ポンプや非常用発電機、電源盤が冠水したため6号機を除き全電源喪失状態となり、炉心冷却機能が失われた。

つまり、原因は「津波で全電源を喪失した」ことであり、「地震損傷説」を否定している。
これは、西村肇さんたちの推算とは異なる説明である。
⇒2011年6月23日 (木):西村肇さんの水素爆発に至る過程の推算/原発事故の真相(2)
また、田中三彦さんの説明とも異なる。
⇒2011年9月13日 (火):フクシマは津波によりメルトダウンしたのか?/原発事故の真相(7)
西村さんや田中さんは、推論の根拠を示した上で発言をしており、東電の中間報告はどういう論理で否定しているのか。
今後次第に明らかにされてくることもあろうが、万が一にも従来の説明との整合性を優先させ、別の可能性に目を瞑るというようなことがあってはならないだろう。

先日も燃料の状況に関して新しい開示があったが、あくまでも推定である.。
炉の中を現認しているわけではない。

Photo東京電力福島第1原発事故で、東電は30日、炉心溶融(メルトダウン)が起きた1~3号機について、溶けた核燃料の位置の推定を公表した。データ解析の結果、1号機は「相当量」、2、3号機は一部の溶融燃料が原子炉圧力容器から格納容器に落下したと推定。床面のコンクリートを1号機では最大65センチ浸食した可能性があるが、いずれも格納容器内にとどまっており、注水で冷却されているとしている。
・・・・・・
東電の解析によると、非常用炉心冷却装置が十分機能せず、注水停止時間が長かった1号機では、ほぼ全ての燃料が本来の位置から溶け落ち、圧力容器底部を破損したと推定。燃料が全て格納容器内に落ちたと仮定すると、高熱で格納容器床のコンクリートを最大65センチ浸食するという。ただ、床の厚さは最も薄いところで約1メートルあり、東電は容器を突き抜けていないとみている。
また、一定時間冷却が続いた2、3号機では、燃料の約6割が溶け落ちたと推定。そのまま格納容器に落ちたとしても、床コンクリートの浸食は2号機で最大12センチ、3号機で同20センチにとどまるとした。

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201111/2011113000590&g=soc

いずれにしろシミュレーションの解析なので、実態がどうなっているかは現時点では分からないというべきだろう。
また、4号機の水位について、東電の作成したグラフが開示された。Ws000001
静岡新聞111202

東電福島第1原発事故で、冷却機能を失った使用済み核燃料プールでは燃料の熱で水が蒸発、発熱量が多い4号機では水位が5・5メートル低下し、燃料の上端から1・5メートルに迫っていたとの評価結果を東電がまとめたことが1日、分かった。
水位低下は3月11日の事故発生後、4月20日すぎまで1カ月以上続き、燃料が露出する寸前の状態になった。22~27日に930トンを集中的に注水して満水状態に戻したが、東電が作成したグラフでは、この注水がなければ5月初めに燃料が露出していたと読み取れる。
燃料は露出が続くと溶け、放射性物質が環境中に放出される恐れがある。
http://www.47news.jp/CN/201112/CN2011120101001882.html

まさに危機的状況であったといえよう。
原子炉の燃料が溶融することをメルトダウンというが、Wikipedia では以下のように解説している。

燃料の融解が進行し圧力容器・格納容器外に漏出するのは「メルトスルー」、建屋を抜けて外部へ漏出した場合は「メルトアウト」などとも表現される。この細分的な定義上では、メルトダウンとは、溶融(メルト)した燃料が底部などへ落下する(ダウン)ことを指す日本においては英文翻訳などの際に定義が厳密化、統一化されず、いくつかの認識や定義が錯綜し、意見が割れている傾向がある。

つまりフクシマは、メルトダウンではあるが、メルトスルーやメルトアウトではないということだろう。
今後廃炉に向けてどんなことが想定されるか?

1979年に起きたアメリカのスリーマイル島の事故では、溶けた燃料が原子炉にとどまっていて、今回の解析結果は、福島第一原発の今後の廃炉に向けて、格納容器の底にまで広がった燃料を取り出さなければならないという世界でも例がない厳しい課題を突きつけたことになります。東京電力は、格納容器の底には水がたまり、燃料は冷やされているので、コンクリートの浸食は止まっていて、年内を目標にしている原子炉周辺の温度が100度を安定して下回る「冷温停止状態」の達成に影響はないと説明しています。しかし、1号機の格納容器の底には水が40センチほどしかたまっておらず、燃料を安定して冷やせるかどうか不透明で、「冷温停止」の判断ができるか疑問を残す形になっています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111201/t10014325321000.html

福島県知事は廃炉を宣言した。
廃炉以外の選択肢はないように思えるが、原発立地自治体にはとまどいもあるという。

福島県の佐藤雄平知事が30日、県内の原発全10基の廃炉を宣言したことに、立地町の首長は戸惑いの表情を見せた。原発を抱える東北の他の立地町も一定の理解を示しつつ、福島県とは一線を画す考えを強調した。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/12/20111201t71023.htm

もちろん原発立地自治体だけの問題ではない。
受益者は沖縄県民以外のすべての国民である。
産業を含め、生活の総体をどう構想するかが問われているのだ。

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2011年12月 2日 (金)

石井恭二氏と現代思潮社/追悼(17)

現代思潮社を創業した石井恭二氏が亡くなった。
Wikipediaによる略歴は以下の通り。

東京生まれ。東京府立第十一中学校(現・東京都立江北高等学校)の同級に森本和夫がいる。1957年に現代思潮社を創業。埴谷雄高吉本隆明澁澤龍彦サドバタイユブランショデリダなどの著作を先駆的に刊行。澁澤と共にサド裁判を闘い、1969年わいせつ物頒布等の罪により最高裁判所で罰金10万円の有罪判決を受けた。
二十歳代から
道元に親しんだ。神郡周(かんごおり・あまね)の筆名で古典の校注もしたが、97年現代思潮社が倒産すると同社を離れ、本名での著作活動を始めた。
2011年11月29日、乳頭部がんのため死去。83歳没。

現代思潮社は、マイナーといっていいだろうが、私の世代にとっては比較的馴染みのある出版社だ。
Wikipediaには以下のようにある。

1957年石井恭二が創業した。1996年に石井が経営を離れ、2000年現代思潮新社と名称を改めた。
新左翼系の思想書籍をはじめ埴谷雄高吉本隆明武井昭夫澁澤龍彦、ドイツやフランスの哲学などの著作を刊行した。また、日本古典のなかでも、『古事談』、『陸奥話記』等の地味な作品の翻刻を刊行している。
1969年に
美学校を設立し、前衛芸術の拠点にもなった。

端的に言えば、異端に肩入れしてきた出版社といえよう。
たとえば、マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』事件である。
Wikipediaでは事件の概要を以下のように要約している。

被告人澁澤龍雄(筆名・澁澤龍彦)ならびに現代思潮社社長石井恭二は、マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』を翻訳し、出版した。しかし、同書には性描写が含まれており、これがわいせつの罪に問われたものである。

一審無罪、二審有罪だったが、最高裁で有罪で決着した。
しかし、以下のような反対意見が付されたことでも分かるように、判断は微妙である。
田中二郎裁判官
猥褻文書に該当するかどうかは、その作品のもつ芸術性・思想性およびその作品の社会的価値との関連において判断すべきものである。訳者である被告人澁澤龍雄は、マルキ・ド・サドの研究者として知られ、その研究者としての立場で、本件抄訳をなしたものと推認され、販売等にあたつた被告人石井恭二においても、本訳書に関して、猥褻性の点を特に強調して広く一般に宣伝・広告をしたものとは認められない。
色川幸太郎裁判官
表現の自由は他者への伝達を前提とするのであつて、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となる。情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。要するに文芸作品を鑑賞しその価値を享受する自由は、出版、頒布等の自由と共に、十分に尊重されなければならない。

もちろん猥褻か否かはチャタレー裁判以来、読み方や考え方によって賛否両論の対立する問題であるが、現時点で見れば「悪徳の栄え」などは、ほとんど問題にすらならないのではないか。
日本古代史の分野でも、異端に分類されるであろう小林惠子氏の著書等を刊行してきた。
『白村江の戦と壬申の乱』(8712)、『高松塚被葬者考-天武朝の謎』(8812)などを読んだが、通説とは余りに乖離があり過ぎる気がする。
近刊は、『広開土王の謚は仁徳天皇』(1111)。十分に異端といえよう。

私にとっては、吉本隆明氏の『擬制の終焉』(1962)や『異端と正系』(1960)が記憶に残っている。
周りの友人たちは日本共産党系の活動家もしくはシンパが多かったが、大学入学後に初めて接した吉本氏の文章に魅了された。
たとえば、『擬制の終焉』の一節。

安保闘争は奇妙なたたかいであった。戦後一五年目に擬制はそこで終焉した。それにもかかわらず、真制は前衛運動から市民思想、労働運動のなかにまだ未成熟なままでたたかわれた。いま、わたしたちは、はげしい過渡期、はげしい混乱期、はげしい対立期にあしをふみこんでしる。そして情況は奇妙にみえる。終焉した擬制は、まるで無傷でもあるかのように膨張し、未来についてバラ色にかたっている。いや、バラ色にしか語りえなくなっている。安保過程を無傷でとおることによって、じっさいはすでに死滅し、死滅しているがゆえに、バラ色にしかかたりえないのだ。情況のしづかなしかし確実な転退に対応することができるか否かは、じつに真制の前衛、インテリゲンチャ、労働者、市民の運動の成長度にかかっている。
http://wiki.livedoor.jp/shomon/d/%B5%BC%C0%A9%A4%CE%BD%AA%DF%E1

爾来半世紀を閲したが果たして本当に「擬制」は終焉したのか。
石井氏は、現代思潮社倒産後、道元(正法眼蔵)や親鸞等に関する自らの著述に取り組んできた。
そういえば、「親鸞没後750年」という節目の年を迎えて、寺全体が高揚しているかのような西本願寺を訪ねたばかりである。
⇒2011年11月30日 (水):龍谷ミュージアム/京都彼方此方(3)

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2011年12月 1日 (木)

人麻呂装置説/やまとの謎(51)

鯨統一郎『新・日本の七不思議』創元推理文庫に、人麻呂に関する面白い説をテーマにした作品が収載されている。
タイトルは、「万葉集の不思議」。
鯨氏の作品ではお馴染みの早乙女静香と宮田六郎が舞台を回す。
それに加わるのがソウル大学で万葉集を研究しているというペ教授である。
鯨氏は意表を衝く邪馬台国論など、ユニークな歴史ミステリーを創作作家であり、宮田六郎が作者の分身らしい。
⇒2008年12月31日 (水):珍説・奇説の邪馬台国・補遺…③「八幡平」説(鯨統一郎)

万葉集の時代は、書き言葉としての日本語が成立した時期だとされる。
先日の大岡信ことば館における「稲岡耕二×三浦雅士対談」でも、そのことに人麻呂が果たした役割が焦点だった。
⇒2011年11月27日 (日):柿本人麻呂の時代と日本語/やまとの謎(49)
Ws000005
静岡新聞111129

また、ことば自体、日本語と韓国語がはっきりとは分かれていなかったとも言われる。
藤村由加のペンネームの女性グループの作品は、そのことを基本的な立脚点としている。
⇒2009年9月29日 (火):枕詞と被枕詞/「同じ」と「違う」(10)
⇒2009年9月30日 (水):枕詞と被枕詞(続)/「同じ」と「違う」(11)
⇒2009年10月 1日 (木):枕詞と被枕詞(その3)/「同じ」と「違う」(12)
⇒2009年10月 2日 (金):「天ざかる」という枕詞

その他、韓国人が書いた朴炳植『日本語の悲劇情報センター出版局(8607)や李寧熙『もう一つの万葉集』文藝春秋(8908)などのベストセラーなどもある。
李寧熙説については、以下で触れた。
⇒2008年8月24日 (日):文武天皇の歌
⇒2008年8月22日 (金):持統天皇の吉野行幸と弓削皇子の歌
⇒2008年9月 2日 (火):人麻呂の持統・文武批判
であるから、韓国人学者を登場させるというのはなるほど、という感じである。
また、ユニークな説を展開している小林惠子氏も、韓国語による解読を採用している。
⇒2008年10月16日 (木):小林惠子氏による『万葉集』の解読

柿本人麻呂の実像には諸説がある。
Wikipediaでは以下のように解説している。

江戸時代契沖賀茂真淵らが、史料に基づき、以下の理由から人麻呂は六位以下の下級官吏で生涯を終えたと唱え、以降現在に至るまで歴史学上の通説となっている。
1.五位以上の身分の者の事跡については、正史に記載しなければならなかったが、人麻呂の名は正史に見られない。
2.死去に関して律令には、三位以上は、四位と五位は、六位以下はと表記することとなっているが、『万葉集』の人麻呂の死去に関する歌の詞書には「死」と記されている。
・・・・・・
その通説に
梅原猛は『水底の歌-柿本人麻呂論』において大胆な論考を行い、人麻呂は高官であったが政争に巻き込まれ刑死したとの「人麻呂流人刑死説」を唱え、話題となった。また、梅原は人麻呂と猿丸大夫が同一人物であった可能性を指摘する。しかし、学会において受け入れられるに至ってはいない。古代の律に梅原が想定するような水死刑は存在していないこと、また梅原がいうように人麻呂が高官であったのなら、それが『続日本紀』などになに一つ残されていない点などに問題があるからである。なお、この梅原説を基にして、井沢元彦が著したものがデビュー作『猿丸幻視行』である。

『猿丸幻視行』については、思い出がある。
⇒2007年8月27日 (月):偶然か? それとも・・・②大津皇子
また、「幻視」という方法論(?)についても触れたことがある。
⇒2008年7月22日 (火):偶然か? それとも…④幻視する人々

この猿丸大夫自身、百人一首でなじみ深いが謎の多い人物である。
⇒2008年7月23日 (水):猿丸大夫
⇒2008年7月25日 (金):「百人一首」に猿丸大夫選出の意味
⇒2008年7月29日 (火):猿丸大夫とは誰のことか?
⇒2008年8月 7日 (木):猿丸大夫の正体
2人の謎の人物を結びつけるのはアイデアではあるが、その論証は困難であろう。

鯨氏は、人麻呂は実在の人物ではなく、持統天皇の統治を歌の面から支えるために創作された人物とする。
いわば人麻呂は、自然人というよりも、天皇制を浸透させるための「装置」であった、ということになる。

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