« 私たちは廃炉の完了を見ることはないのか?/原発事故の真相(15) | トップページ | 『成長の限界』とライフスタイル・モデル/花づな列島復興のためのメモ(15) »

2011年12月23日 (金)

発症から2年、リハビリは復興だ/闘病記・中間報告(37)

脳梗塞を発症したのが2年前の今日。
短いような長いような2年間であった。
お陰様で、いろいろな人のお世話になり、緩徐的ではあるにしても、未だ少しずつ回復を続けている。
自業自得、あるいは「なるべくしてなった」には違いないが、不随意なわが身が情けなくて、時には大声で喚きたい日もあった。

しかし、大勢からいえば、「この程度で済んだ」ことを感謝しなければならないだろう。
同病の先達の著書などを読むと、ずいぶん重症だと感じられる人もいるのだから。
たとえば、江藤淳は「脳梗塞の発作に遭いし以来・・・形骸に過ぎず」と自分を「処決」した。
⇒2010年9月 6日 (月):江藤淳の『遺書』再読
当時私は江藤の心情を理解できるように思ったが、現在は複雑である。
手書きの遺書は、筆跡も乱れがなく、少なくとも利き手の麻痺は見られない。
しかし、それぞれ他人の窺い知れない事情もあるし・・・・・・

免疫学者として著名な多田富雄氏は、鶴見和子氏との共著(往復書簡集)『邂逅』藤原書店(0306)に、次のように書いている。

気がついたときには右半身が完全に麻痺していました。手も足も動かない。驚いたことに寝返りもできませんでした。
もっと仰天したことは、その瞬間から言葉が一切しゃべれなくなったことです。訴えようとしても声にならない。叫ぼうとしても言葉にならない。そのときの恐怖は筆舌に尽くせません。もう死んだと思っていたのに、私は生きていた。それも声を失い、右半身不随になって。

私も右半身不随は同じようなものだが、声は辛うじて出せた。
絞り出すような声で娘の携帯に電話したことは、昨日のことのように覚えている。
自分の声がひどく遠いのである。
⇒2010年4月18日 (日):中間報告(4)初動対応と救急車の是非
それでも、多田氏の場合よりはずっと軽症だったのだろう。

発症は突然である。
そして後遺症は深刻である。
そういうことから、脳卒中(脳梗塞、脳出血、くも膜下出血)と大地震は似ているのではないか、と入院中に考えた。
⇒2010年3月22日 (月):中間報告(2)予知の可能性
⇒2010年4月11日 (日):中間報告(3)初期微動を捉えられるか

ところが、3月11日の東日本大震災は想定を遙かに超える超激甚な大災害であった。
地震の発生自体は自然現象である。
しかし、災害は社会現象である。
菅直人という軽率なパフォーマンス男が首相だったことは取り返しのつかない不幸だったと思うが、鳩山元首相や野田現首相であっても大差はなかっただろう。

民主党政権は恥じないのだろうか?
09年総選挙のマニフェストとはいったい何だったのか?
民主党は壮大な詐欺を実行した。

前田国交相が八ッ場ダムの建設継続を表明したが、「川辺川ダム、八ッ場ダムは中止」と固有名詞を挙げてマニフェストに明記してある。
民主党の政権政策Manifesto2009
もちろん、八ッ場ダムについては賛否が、鋭く長く続いている問題であり、建設するという立場があることは理解している。
⇒2009年9月12日 (土):八ツ場ダムの入札延期 その1.計画の現況
⇒2009年12月 5日 (土):専門家による「八ツ場ダム計画」擁護論
政策を固守しろ、というのではない。
変更するならそれなりの手続きが必要だろうということである。

前田国交相は、旧建設省のエリートだった人である。
彼を国交相に据えた人事が「コンクリートから人へ」というスローガンが、空念仏だったことを示している。
八ッ場ダムは1つの象徴的なイシューである。
ほとんどすべての項目について期待を裏切っている。
公務員改革も、年金改革も、税制改革も・・・・・・
きっと、脱原発(依存)も、TPPも、だろうなあと思ってしまわざるを得ない。

復興は、脳卒中のアナロジーで考えれば、リハビリということになろう。
一朝一夕で成果が上がるものではない。
先日、担当PTのM嬢が10m歩行のタイムを計ってくれた。歩容はともかく、6.3秒であった。
現時点の全速力である。100mに換算すれば、63秒だが同じ速度を維持できないであろうから、2分~3分くらいか。
しかし、入院時は10秒以上だったはずだから、まあ、早くなったともいえるだろう。
2足歩行できるだけでも良かったと思うべきだろう。

リハビリという行為は、決して楽しいものではない。
右手はまだ微かに動く程度である。
しかし幸いにして、車いすの生活からは抜け出すことができている。
完復はしないと言われているが、どこまで復するか自分でも楽しみに思う(ことにしている)。
そして、たまには、美味な飲食や芸術の鑑賞などもあっていいだろうと思う。

|

« 私たちは廃炉の完了を見ることはないのか?/原発事故の真相(15) | トップページ | 『成長の限界』とライフスタイル・モデル/花づな列島復興のためのメモ(15) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

闘病記・中間報告」カテゴリの記事

コメント

二年経たれたんですね。
「復興とリハビリ」
そうですね。
知人でよく似た症例の方がおられたので、このレヴューを紹介したところ、客観的に見るということを学んだとおっしゃっておられました。
これからも少しづつ、着実に回復なさってください。

投稿: kimion20002000 | 2012年1月 7日 (土) 20時07分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 発症から2年、リハビリは復興だ/闘病記・中間報告(37):

« 私たちは廃炉の完了を見ることはないのか?/原発事故の真相(15) | トップページ | 『成長の限界』とライフスタイル・モデル/花づな列島復興のためのメモ(15) »