『古事記』と『日本書紀』/「同じ」と「違う」(36)
諏訪大社に祀られているタケミナカタは、出雲神話ではいわゆる国譲りの際に、タケミカズチに負けて諏訪に逃げてきたとされている。
⇒2011年11月 3日 (木):諏訪大社/やまとの謎(40)
このタケミナカタは『古事記』で語られているものでって、『日本書紀』には登場しない。
『古事記』と『日本書紀』は記紀と言われているように、共に日本の古代についての歴史書であるが、その内容は必ずしも同じではない。
『古事記』は712年、『日本書紀』は720年にまとめられたといわれている。
わずか8年の差しかない。
それでは、どのような意図で2つの史書は編纂されたのか?
一般的には、、『古事記』は天皇家のための歴史書であり、『日本書紀』は国家の歴史書であるというふうに考えらている。
山本明『地図と写真から見える!古事記・日本書紀』西東社(1108)
両書とも、『古事記』は推古天皇、『日本書紀』は持統天皇というように女帝で終わっているところも同じであるが、意図された結果かどうかは分からない。
神話部分はどう違うか。
「古事記と日本書紀はどう違うか」というサイトによれば、両書の世界観は全く異なっている。
(古事記)
天にある高天原に神々の世界があり、その指令(意志)によって地上の国(葦原中国)は作られ、かつ、統括支配される。すなわち、高天原の意志で総てが動く。
その高天原の主宰者は天照大神である。
葦原中国は先験的に天照大神の子孫が治らす国であると定められている。
(日本書紀)
総ては陰陽の理によって自動的に進行する。天の世界があり、そのスポークスマンとしてタカミムスビがいるけれど、その指令で世界が動いているのではない。天と地(葦原中国)とは基本的に対等である。
葦原中国の主も、予め予定的に定められているのではなく、武力的に奪うのである。
それでは、タケミナカタはどう考えられるであろうか。
タケミナカタは、『古事記』には登場するが、『日本書紀』には登場しない。
しかも、『出雲国風土記』にさえ登場しない。
タケミナカタは何を示しているのだろうか?
諏訪地方は、朝廷に従わない者たちの活動する辺境の土地だったらしい。
東北地方に似たところだったのだろう。
とりあえず次の説に1票を投じておきたい。
タケミナカタとは、古事記を編纂した中央政権によって「つくられた」神様ではないかという説が存在する。すなわち、まつろわぬ一族であった守矢氏を屈服させたのち、守矢氏の信奉する洩矢神を「天孫族のタケミカヅチに無様に敗れた出雲族のタケミナカタ」にすり替えを行うことによって、洩矢神に対する信仰を削ぎ、天孫族の権威を強調せんと意図したのではないか。
諏訪大社に関する考察
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