諏訪大社(5)レイライン/やまとの謎(44)
レイラインと呼ばれるものがある。
レイライン(ley line)は、古代の遺跡には直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説のなかで、その遺跡群が描く直線をさす。
Wikipedia
日本では、岸俊男氏による「聖なるライン」説が有名であろう。
⇒2008年1月 4日 (金):藤原京の立地
⇒2008年9月12日 (金):被葬者推論の条件…③地域の特性
あるいは、水谷慶一『知られざる古代―謎の北緯三四度三二分をゆく』日本放送出版協会(8002)で詳細に紹介・検討されている小川光三氏が発見した「太陽の道」である。
「太陽の道」は、大和の地に関連する寺社や古墳や山の山頂が、北緯34度32分の東西の一直線上に並んでいるというものである。
諏訪大社についても、レイラインが想定されている。
「諏訪-鹿島レイライン」である。
『古事記』の国譲り神話の当事者であるタケミナカタを祭神とする諏訪大社とタケミカズチを祭神とする鹿島神宮が、ほぼ東西線上に位置しているというものである。
鹿島神宮の西に諏訪大社があることも神話と繋がる。
タケミカズチノオノカミ(鹿島神宮)から見てタケミナカタノカミ(諏訪大社)は特別な日に日没と重なる。日没は冥界を意味し、出雲・熊野と同様に封じ込めを意味する。
更に鹿島神宮から見て冬至の日没は富士山山頂にほぼ重なる。
出雲神話と時代は違うが、ヤマトタケルの東征時に平定された豪族と信仰が封じ込められたのであろう。更に言うと、大和朝廷の黎明期は日本の中央部(近畿・中国)しか支配地域でなかった。その最前線にあたる場所に重要な神社が存在している。
または大和から前線の正確な位置がどの方角にあるか把握するために聖地を設けたことが神社建立の基礎になったのかもしれない。
更に白山-鹿島ライン上に諏訪山と諏訪町が存在する。そして諏訪から富士山を通ると三島大社がある。後年の諏訪信仰に繋がるのだが、民衆のささやかな抵抗かもしれないし、大和朝廷の結界なのかも知れない。
現在、諏訪町と富士山の間にはふじみ野市(埼玉県)や富士見市(埼玉県)がある。
つまり、諏訪町からも富士山の山頂が見えるということを意味する。これは太陽の通りではなく、見た目で結ばれたレイラインだ。
http://www.fujigoko.tv/mtfuji/vol6/
私などはこの程度の精度でも有意性があると思ってしまうが、もう少し厳密に検討すると以下のように言われている。
鹿島神宮と最も緯度が近い上社前宮でも北緯35度59分28秒であり、鹿島神宮本殿(北緯35度58分08秒)とは緯度にして1分20秒ほどの差異がある。緯度の1分の違いは約1800メートルのズレを生じることを考えると、やはり正確な一致とはいえないだろう。
・・・・・・
諏訪大社の上社のご神体とされる守屋山山頂の位置(北緯35度58分04秒)が、鹿島神宮の本殿の位置(北緯35度58分08秒)とかなり近い関係にあることがわかった。緯度でいうと、4秒ほどしか違わない。この差を距離に置き換えると、1秒の緯度の差は30メートルであるから、120メートル程度の違いしかないということになる。
・・・・・・
更に調べてみた結果、この守屋山-鹿島神宮のレイライン上には、下記の2つの神社が存在することがわかった。
まず、埼玉県上尾市愛宕1丁目の愛宕神社(北緯35度58分08秒)で、守屋山(北緯35度58分04秒)との緯度の差は約4秒である。
次に、埼玉県岩槻市諏訪4丁目3番地の諏訪神社(北緯35度58分10秒)があり、守屋山(北緯35度58分04秒)との緯度の差は約6秒である。この神社については若干誤差が多いため、参考までに記しておくに止める。
ちなみに、埼玉県下には諏訪神社が多く鎮座し、その数は80社以上である。地域的には、埼玉県全域に分布しているようだが、特に秩父市と秩父郡に多いようで、この地域へ諏訪から移住した人々がいたことを裏付けるものかもしれない。
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/TZ/LL-SuwaKashima.html
現象的にはこのようなレイラインは確かに存在するとしていいだろう。
偶然の一致という以上であると考えられる。
しかし、その意味についてはどう考えたらいいのだろうか?
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