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2011年11月17日 (木)

欧州危機の本質/花づな列島復興のためのメモ(11)

ギリシャやイタリアなど、ヨーロッパの危機が言われている。
ギリシャがEUから脱落するとか、イタリアでは財政健全化法案の下院通過が政権交代の条件となったといったことが話題になっている。
その根本的な要因が何で、歴史的にみてどういう問題を内在しているのか、素人には分かりづらいことが多い。

東洋経済オンライン111115に、小幡績氏が『欧州危機の本質とは何か――ギリシャでもなく、イタリアでもない』という論考を書いている。
小幡氏は冒頭で次のように言っている。

欧州危機の本質は、ギリシャでもイタリアでもない。そして、損失拡大からの資本毀損による銀行の資本不足の危機でもない。ユーロという共通通貨の問題でもない。本質は銀行の存在そのものの危機であり、金融そのものの危機なのだ。

どういうことか?
10月末にEU首脳が集まって、金融危機への対応策をまとめた。
包括戦略と呼ばれるこの対策では問題は解決しない、と小幡氏はいう。

まず、第1に今回の欧州危機は、財政危機ではなく、銀行危機であり、ギリシャは関係ないということである。それなのに、ギリシャ問題で銀行危機が起きてしまっている。ギリシャは、不良債権先の一つにすぎない。
一般的に、多くの企業に融資していれば、1つぐらい悪い企業があって、それが倒産してしまうことはある。問題は、それだけで、銀行が危機になってしまうことだ。

つまり不良債権先の一つが危機に陥ったくらいで、危なくなる銀行のビジネスモデルが問題だというのである。
日本の銀行もかつて同じ道をたどった。
日本の銀行が90年代に危機から脱出できたのは、資本注入によるものでも、その後の不良債権処理によるものでもない。
アジア経済が急成長し、バブルぎみではあったが、多くの需要を日本経済にもたらしたからであった。

つまり「バブルに踊らされ、まともなビジネスモデルを失ってしまった金融機関が新しい健全なビジネスモデルを確立したためなのである」ということになる。
したがって、危機への対応策としては、個別の銀行の努力が重要というわけである。
オリンパスや大王製紙など一流企業が、本業でない問題で揺らいでいる日本の産業界にとっても参考にすべきことであろう。

日本経済新聞111115の「経済教室」では、ドミニク・リーベンというケンブリッジ大学の教授が『歴史的視点からみた欧州危機 帝国への試み 矛盾噴出』という文章を書いている。
同教授はいう。

今回の危機を理解し長期的な影響を見抜くには、なぜ欧州連合(EU)が創設されたのか、EUの存在は欧州や世界の歴史の中でどう位置付けられるのかを知っておく必要がある。
2つの大戦は欧州を破壊し尽くし、欧州は世界における指導的地位を失った。戦後欧州の指導者層は、国同士の紛争やナショナリズムのせめぎ合いに終止符を打つことで合意した。欧州共同体の土台づくりは共通の大きな利益をもたらす経済面から始まった。
・・・・・・
欧州の統合計画はある意味では帝国主義的だったといえる。19世紀半ば以降、国際関係の専門家の間では、将来の真の大国となるのは大陸的な規模と資源を持つ国だけというのが定説となっていた。換言すれば、人類の未来に関わるような問題で発言権を持つのはそうした国に限られるということだ。こうした見方は、技術の進歩により大陸の中心部への進出・定住・開拓が可能になったという事実に裏打ちされていた。
帝国主義の時代、すなわち第1次世界大戦(1914年)までの40年間を支えていたのは、こうした地政学的な論理だった。欧州の人々にとって、この論理は意気消沈させられるものだった。米国、ロシア、中国が既に大陸的な規模を持つ国家であるのに対し、ローマ帝国滅亡以後の欧州の歴史は、欧州に帝国を建設することがいかに難しいかを物語っているようにみえたからだ。

EUは帝国なのか?
「帝国」とは、以下のように定義される(Wikipedia)。

複数のより小さな民族などを含めた広大な領域を統治する国家のこと。語句に「帝」という字が入るが、「皇帝が支配する国家」とは限らず、王制寡頭制共和制などの場合も含まれる。また国家が「帝国」を国号として公式に使用する場合、国号ではないが通称として使用する場合、歴史的または比喩的に「帝国」と他称される場合などがある。

EUは国家ではないから、上記の定義でいう帝国ではない。
しかし、「複数のより小さな民族などを含めた広大な領域」がひとまとまりになる試みであり、帝国の機能を持つ試みであるともいえる。現在、帝国と呼ぶべき存在は、アメリカ、ロシア、中国、インドなどであろう。

Eu
米中印の指導者と異なり、帝国のジレンマを解決できる国家を持っていないことだ。平時であればさして問題ではないかもしれないが、危機となればリーダーシップが不可欠だ。そしてリーダーシップに裏付けを与えられるのは、明確な根拠を持つ中央政府といったもの以外にない。

欧州は今後どういう道を選ぶのかは予想しがたいが、帝国とグローバリゼーションの歴史からヒントを得ることはできる、として、次のようにいう。

これからの世界では小国の市民であるより欧州市民である方が安全と考えられる。具体的にいうと、各国が競って通貨切り下げや地域貿易ブロック形成に走る1930年代のような時代が来るとすれば、EUの必要性はより明確になるはずだ。

つまり、EUは、連邦国家的な方向に進むのではないか、ということだろう。

日経ビジネスオンライン誌111115号では、伊東乾氏が『ユーロ圏の命運と「帝国の逆襲」封じ』を寄せている。
伊東氏はEUは、一種の帝国であるという。

冷戦終結後、マーストリヒト条約によって一つにまとまったEUを、民主的に形を変えた「ローマ帝国」と見ることで、さまざまな現象がずいぶんクリアに見えてきます。ある種の「西欧ローマ帝国の復興」ですね。それを「欧州合衆国」的な形で実現するという世界史的シナリオがEU統合という事態の核に存在します。

これは、ドミニク・リーベン氏の見方と共通するものであろう。
EUがEUとしてまとまりを持ち続けるためには、歴史的な正統性が求められ、それには「ローマ帝国」の首都ローマのあるイタリアは不可欠ということである。

フランス、ドイツ、イタリア、それに現在のEU中枢が置かれるベネルクス地域などは、一旦は滅亡した古代西ローマ帝国を復興させたカール大帝=シャルルマーニュの帝国、つまり神聖ローマ帝国の中核中の中核、この地域に穴を開けて「西欧共同体でござい」というシナリオは成立しにくい。
むろん現実にはスイスのようにEUに「穴」は開いています。しかし、そういう「穴」と、通貨統合についてゆけず脱落するという穴とでは言うまでもなくまったく意味が違ってしまう。
この「西欧」つまりカール大帝の帝国を一つのものとして認め、祝福したのがローマ教皇、つまり西欧カトリック教会であり、中世西欧神学の大成者トーマス・アクィナス由来の新トマス主義(ネオ・トミスム)が、現時点でも西欧を西欧として一つに結びつける、もっとも強い理念的紐帯になっている。

ヨーロッパの事態には、昔世界史で勉強し(損なっ)た知識が不可欠のようである。
ギリシャもイタリアも古い時代の方が馴染みがあるが、現代史では日独伊三国同盟くらいしか覚えていない。
それでは日本は?
「世界史の動向と日本」(1942年に、総合雑誌『改造』(8-9月号)に掲載された細川嘉六の論文のタイトル。横浜事件の端緒となった)を再考すべき時ではないだろうか。

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