柿本人麻呂の時代と日本語/やまとの謎(49)
柿本人麻呂といえば、『万葉集』を代表する歌人である。
数多くの秀歌を遺している。
私もずっと昔から、愛唱してきた歌がある。
⇒2011年6月21日 (火):柿本人麻呂/私撰アンソロジー(2)
また、日本語の歴史の上でも大きな役割を果たした。
⇒2009年10月 1日 (木):枕詞と被枕詞(その3)/「同じ」と「違う」(12)
特に、書き言葉という面では、人麻呂は1つの画期を作ったといわれる。
そしてまた、白村江の敗戦から壬申の乱へ、論点が多い時代を生きた歌人でもある。
⇒2010年12月 4日 (土):日本文明史と藤原京/やまとの謎(12)
⇒2009年10月 5日 (月):近江遷都に関する吉田舜説
⇒2008年8月18日 (月):軽皇子の立太子をめぐって
しかし、その実像は深い霧に包まれている。
人物像や終焉の地をめぐって、多くの有名な論者が百家争鳴を繰り返している。
国史や国文の世界の専門家だけでなく、斎藤茂吉、梅原猛、古田武彦おなどが、ユニークな仮説を提示しているが、未だ決定版といわれるには至っていない。
三島駅北口にある「大岡信ことば館」の『大岡信の万葉集展 人麻呂の宇宙』という展示の一環として、稲岡耕二氏と三浦雅士氏の対談が行われた。
「大岡信ことば館」は、『万葉集』を多面的に展示し、関連するイベントを開催している。
⇒2011年7月 9日 (土):「大岡信ことば館」における『私の万葉集とことば』座談会
今回は、日本語の表記と詩歌の基礎形成に人麻呂の果たした役割に焦点を絞った企画である。
稲岡耕二氏は人麻呂研究の第一人者。東京大学名誉教授。
『柿本人麻呂』(集英社 1985年)など多数の著書がある。
大岡信さんと旧制一高から東大国文学科の同期生であることは、今日初めて知った。
国文の同期とはいえ、在学中はほとんど交流がなかったらしい。というのは、大岡さんが仏文科の授業には熱心だったが、国文科の授業には余り顔を出さなかったかららしい。
志賀直哉が、「国語はフランス語にしたらどうか」と本気で提案したという敗戦直後の時代である。
三浦雅士氏は、文芸評論を中心に幅広い分野の評論活動で知られる。
雑誌「ユリイカ」、「現代思想」の編集長などを歴任。
『漱石―母に愛されなかった子』(岩波新書 2008年)、『人生という作品』(NTT出版 2010年)など。
対談とはいえ、最初に三浦氏が挨拶を兼ねて稲岡氏の紹介をしたあとは、ほぼ稲岡氏の独演会であった。
三浦氏は、大岡信ことば館理事でもあるから、ホスト役に徹したということであろう。
大岡さんは、世界に目を向け、歴史にも目を向けている人という紹介があったが、人麻呂もまた、白村江から壬申の乱へ激動する時代にあって、世界の動きと過去の歴史を見据えて作歌したのだということらしい。
特に、表意文字と表音文字を持つ日本語の素晴らしさ(またそれとの関係で「テニヲハ」の表記の発明)について両氏が指摘されていたが、まったく同感である。
⇒2007年12月22日 (土):漢字と図形
⇒2008年2月14日 (木):KY語と万葉語
⇒2008年10月22日 (水):明日香村の石神遺跡から出土の木簡に万葉歌
⇒2010年7月10日 (土):日本語のコミュニケーション/梅棹忠夫さんを悼む(3)
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