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2011年11月

2011年11月30日 (水)

龍谷ミュージアム/京都彼方此方(3)

私の高校時代の友人が、新設された龍谷ミュージアムの初代館長に就任した。
彼の小学校時代からの仲間10人余の中に紛れ込んで、一緒に見学に連れて行ってもらった。

龍谷ミュージアムは、インドでの仏教の誕生からアジアへの広がり、日本の仏教の展開までを視野に入れ、仏教を中心とする文化財を広く公開することを通じて、仏教文化への理解を深めてもらうとともに、学術研究を推進し、その成果を社会に発信することを目指しています。
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http://museum.ryukoku.ac.jp/museum/concept.html

西本願寺の正面に位置している。
前面は堀川通りである。
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洒落た外観の建物の設計は日建設計による。
歴史ある街並みと調和のとれた端正な外観。外壁の簾は、セラミックルーバーであり、デザイン性は見た通りで京都らしさを演出しているが、同時に外壁を太陽光から守り、館内温度の上昇を抑える省エネ機能を備えている。
地下1階、地上3階建てで、約1,000㎡の展示室と約500㎡の収蔵庫を備えている。
京都市の景観条例で高さの制限(15m)があるため、地下1階を設けたそうである。
仏教の起源から現代の仏教までを概観できる展示内容を予定しているという。

今年は親鸞没後750年という節目の年である。
龍谷ミュージアム自体がその記念事業の1つであるが、開館記念展示として「釈尊と親鸞」をやっている。
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館長自らによる展示の解説を聞くという贅沢なツアーであった。

圧巻は、ベゼクリク石窟寺院の原寸大復元展示であろう。
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ベゼクリク石窟寺院は中国・新疆ウイグル自治区のトルファン郊外にある。
ベゼクリクとは、ウイグル語で「絵のあるところ」という意味だそうだ。
荒れ果てた寺院を目にして、各国の探検隊は壁画を自国で保存する決断をした。
貴重な文化財の保護の行為は、一方で散逸でもある。

かの大英博物館の収蔵品も、世界中から収奪(?)したものという見方もできる。
龍谷大学は、文学部や理工学部など全学的な協力体制で、世界各地に散らばっている断片を統合して再現した。
極彩色の壁画が石窟を飾っていたことを想像すると、幻想的な思いに駆られる。

龍谷大学というと仏教系というイメージが強いが、今や8学部9研究科を擁する総合大学である。
五木寛之さんが一時仏教史を聴講していた。
龍谷ミュージアムの開館記念講演会の基調講演を五木さんが行った。我々が訪ねたのはその直前であったが、4000席の会場が短時間の予約で埋まったそうである。
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2011年11月29日 (火)

「危機の構造」はどう変わったか?/花づな列島復興のためのメモ(12)

2011年も残すところ1ヵ月ばかりとなった。
年ごとに時間の経過が早くなっていくように感じられるが、今年は格別である。
東日本大震災発災以降、夢から十分に覚めきれないような感覚が続いている。
総括というにはまだ早いだろうが、今年は日本社会に内在していたさまざまな危機が、表面化した年であることだけは、どうやら間違いなさそうである。

東日本大震災によって、2万人近くの人命が失われた。
多くは津波によるものである。島国にとっては宿命ともいえようが、余りにも大きな犠牲である。
そして東電福島第一原発の事故。
紛れもなく現代文明がもたらした災厄である。

現場で身体を張って事態に対応しているといわれた吉田所長が体調を崩して入院し、現場を離れることになったという。
⇒2011年10月 2日 (日):2号機の真実は?/原発事故の真相(9)
⇒2011年6月24日 (金):地震直後にどうすべきだったか/原発事故の真相(3)
⇒2011年5月26日 (木):情報を隠蔽していた(ウソをついていた)のは誰か?/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(36)
吉田氏の身体の状況は個人情報を理由に開示されていないが、彼の存在は一私人とは異なる。
被爆の量と質を含め、全的にオープンにすべきであろう。

フクシマは、レベル7という最悪級の事故となったが、いまだ被害の全容を把握できていない。
現在進行中の災害である。

日本経済は長い期間にわたって低迷している。
その状況を、クァドリレンマ(四重苦)と評するらしい。
⇒2011年10月18日 (火):日本経済のクァドリレンマ/花づな列島復興のためのメモ(8)
また、日本の自動車産業界では「六重苦」ということが言われている。

2011年現在の日本自動車業界が面しているとされる6つの苦境。(1)円高、(2)高い法人税、(3)自由貿易協定存在、(4)製造業への派遣禁止、(5)温室効果ガス原因とされる二酸化炭素2020年までに25%削減する宣言、そして(6)震災とそれに伴う電力不足の問題、である。
自動車産業の6重苦

思い出すのは、もう40年近くなるが、立花隆氏が菊入龍介というペンネームで書いた『日本経済自壊の構造』日本実業出版社(1973)という本である。
新米のリサーチャーだった私は、見慣れぬ著者が見せる視点と文章力の冴えに、一種の羨望感を覚えたが、後に立花隆の別名であることが分かり、なるほどと納得した。
⇒2009年9月 4日 (金):自由民主党・自壊の構造

著者は、世間でいわれている危機には、次のような五重の構造がある、と指摘した。
第一は、文明論的危機論である。すなわち、近代文明社会が危機に瀕しているということであり、現象的には、公害と人口爆発と食糧危機の問題である。
第二は、資本主義の危機である。インフレ問題、通貨問題、企業活動に関する諸原理への批判などである。
第三は、自民党の危機である。自民党の一貫した得票率の低下であり、タカ派の台頭による分裂の可能性である。
第四は、感覚的な危機論である。社会心理的な危機論といってもいい。
第五は、天災危機論である。異常気象による農業、漁業等へ深刻な影響と、大地震による未曽有の被害の予測である。

2011年時点でみると、第三の「自民党の危機」は既に限界点に達し、政権は崩壊した。
しかし、「自民党の危機」が、そっくり「民主党の危機」にすり替わっただけであることもはっきりしてきた。とすれば、それは政党政治の危機なのか?
あるいは、自民、民主に代わる勢力が必要なのか?

第五の「天災危機論」はまさに東日本大震災という形で顕在化した。
しかし、地震に限っても、東海この指摘をという年は、まさにこれらの危機の構造が、炙り出された年になりそうである。
「天災危機」論は、東日本大震災という形で現実化した。
しかし、 三連動巨大地震(南海・東南海・東海地震) や首都圏直下型地震が近い将来起こることが必至であると言われているし、頻発する異常気象や地球温暖化の問題もある。
まさに課題が浮き彫りにされた危機である。

「文明論的危機」論は、電力不足という形で顕在化した。
将来的なエネルギー源を何に求めるべきかは、まさに文明論的課題である。
特に、福島原発事故は、われわれの文明のあり方について、再考を迫るものといえる。

「資本主義の危機」論は、ソブリン債危機という形で顕在化している。
ギリシャ債務危機は、ユーロの存在意義を問うものであったし、アメリカ国際はデフォルトの瀬戸際に立たされた。
今回はぎりぎりでデフォルトを回避し得たが、アメリカ財政が構造的に危機的であることは変わりがない。日本国債も財政難から格付けの下落を余儀なくされた。

「感覚的な危機論」あるいは社会心理的な危機論」は、東日本大震災の後遺症として、震災自殺が指摘されていることを挙げれば十分であろう。

親しい人との死別や離別だけでなく、住み慣れた家からの転居など「長年慣れ親しんだもの」との別れなども含め「喪失体験」がリスクを高めるという。今回は死者が1万5千人を超え家屋の損壊も多い。数多くの被災者が何重もの「喪失」を抱えているのだ。
「仮設住宅へ移行する中で、万全の対策を取らないと、自殺者数が跳ね上がるのではないか」
内閣府が岩手、宮城、福島、茨城の被災4県などに行った緊急ヒアリングでは、自治体の危機感があらわになった。集団生活である避難所に比べ、個室居住の仮設住宅は孤立化のリスクが高い。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110817/bdy11081710530000-n2.htm

社会心理という面では、相次ぐ風評被害も挙げられよう。
特に放射能という目に見えないものについては、風評の影響が大きくなりがちである。

こうしてみると、40年近く前の指摘が呪縛のように現在にまで生きている。
自戒を込めて言えば、日々の生活に追われ、立ち止まって考えるゆとりがなかった。多くの人が同じようなことではなかったか。
残り時間は少ないが、じっくりと考えてみることにしなければならないだろう。

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2011年11月28日 (月)

天皇制と女性宮家問題/やまとの謎(50)

宮内庁の羽毛田信吾長官が、女性皇族による宮家の創設を「火急の案件」として野田首相に検討するよう要請していたという。
「火急の案件」という宮内庁長官の発言の意味はどういうことであろうか?

まず、女性宮家とは何か?
宮家というのは、天皇・皇太子一家を除いた皇室の一家である。
現在の皇室には、秋篠宮家(皇太子弟)、常陸宮家(天皇弟)、三笠宮家(昭和天皇の末弟)、寛仁親王家(三笠宮長男)、桂宮家(三笠宮次男)、高円宮家(三笠宮三男)の6宮家がある。
現行の皇室典範では、女性皇族が一般の人と結婚した場合は、皇族の身分を離れるとしている。

皇室の構成は次図のとおりである。
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各宮家で2人以上男子の出生をみないと、宮家の数が減少するのは論理的帰結である。
特に、現在の皇族は一般人に比べ女性の割合が多いので、このまま推移していくと、皇族の数がどんどん少なくなることが容易に予想される。

現在、30歳以下の皇族は9人いるが、悠仁親王以外の8人が未婚の女性であり、そのうちの6人が成人である。
結婚に適齢があるかどうかは別として、女性皇族が結婚を機に皇籍を相次いで離脱すると、皇族の数が減少する。
悠仁親王の代には少数の皇族しかいない、という事態は十分に予想できることである。

しかし、それを「火急の案件」と言うであろうか?
第一の心配点は、皇位継承候補者の断絶であろう。
皇室典範では、「皇位は皇統に属する男系の男子が継承する」と定めている。
皇位継承の有資格者は、次世代は皇太子と秋篠宮、さらに次の世代は秋篠宮家の悠仁親王ということになる。
確かに、皇位継承の候補者は限られており、将来的に不安が生じる可能性はある。
もちろん世代間の問題は、前の世代のうちに解決しておかなければならないだろうが、決して「火急の案件」ではない。

第二は、公務負担の軽減ということであろう。
天皇陛下が入院されて、国民の多くが、天皇の「仕事」が多すぎるのではないか、と思ったのではないだろうか。
しかし、先ずは、公務そのものの見直し(仕分け!)をすべきではないだろうか。
分担論は、全体が決まってからであろう。

藤村官房長官は「国民各層の議論を十分に踏まえ、今後検討していく」との考えを示した。
しかし、何を、どう議論するのであろうか。
第二の問題は女性宮家の創設で改善されよう。
しかし、その前に、皇室の果たすべき役割について、コンセンサスが得られていることが必要ではなかろうか。
それは、天皇という制度をどう考えるかに行き着かざるを得ない。
つまり、第一の問題と切り離せないと思われる。

昔は一夫多妻制だった。それは多分に血統維持の目的があっただろう。
にもかかわらず、NHKの大河ドラマでご存じの徳川秀忠の直系子孫は6代で絶えた。
徳川家は「御三家」という制度によって、存続を図ったのである。

皇室典範の「皇位は皇統に属する男系の男子が継承する」という規定をどう解するか?
論点は以下のように整理できよう。

1.皇統に限定するか?
-世襲以外の天皇を想定するかということである。
-いわゆる革命であるが、そういう事態において、天皇制が存続するとは思えない。
-また、天皇の特質として、「無私」ということがいわれるが、選挙で選ぶとなれば「無私」などあり得ないと思う。

2.男系に限定するか?
-男系というのは父方のことである。
-たとえば、Y染色体の継承などという人もいるが、正気とは思えない。
⇒2011年1月10日 (月):皇統論における「Yの論理」への疑問
-その他に、男系に限定する正当な論拠があるだろうか?

3.男子に限定するか?
-歴史上、女性天皇は存在した。
-中継ぎ説もあるが、推古、持統、斉明など、剛腕のイメージである。

東日本大震災という未曽有の事態に、「国民統合の象徴」としての天皇の意義が再認識されたともいえる。
⇒2011年4月 1日 (金):「天皇」という制度/やまとの謎(29)
しかし、皇位の正統性を何に求めるべきだろうか。

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2011年11月27日 (日)

柿本人麻呂の時代と日本語/やまとの謎(49)

柿本人麻呂といえば、『万葉集』を代表する歌人である。
数多くの秀歌を遺している。
私もずっと昔から、愛唱してきた歌がある。
⇒2011年6月21日 (火):柿本人麻呂/私撰アンソロジー(2)

また、日本語の歴史の上でも大きな役割を果たした。
⇒2009年10月 1日 (木):枕詞と被枕詞(その3)/「同じ」と「違う」(12)
特に、書き言葉という面では、人麻呂は1つの画期を作ったといわれる。

そしてまた、白村江の敗戦から壬申の乱へ、論点が多い時代を生きた歌人でもある。
⇒2010年12月 4日 (土):日本文明史と藤原京/やまとの謎(12)
⇒2009年10月 5日 (月):近江遷都に関する吉田舜説
⇒2008年8月18日 (月):軽皇子の立太子をめぐって

しかし、その実像は深い霧に包まれている。
人物像や終焉の地をめぐって、多くの有名な論者が百家争鳴を繰り返している。
国史や国文の世界の専門家だけでなく、斎藤茂吉、梅原猛、古田武彦おなどが、ユニークな仮説を提示しているが、未だ決定版といわれるには至っていない。

三島駅北口にある「大岡信ことば館」の『大岡信の万葉集展 人麻呂の宇宙』という展示の一環として、稲岡耕二氏と三浦雅士氏の対談が行われた。
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「大岡信ことば館」は、『万葉集』を多面的に展示し、関連するイベントを開催している。
⇒2011年7月 9日 (土):「大岡信ことば館」における『私の万葉集とことば』座談会
今回は、日本語の表記と詩歌の基礎形成に人麻呂の果たした役割に焦点を絞った企画である。

稲岡耕二氏は人麻呂研究の第一人者。東京大学名誉教授。
『柿本人麻呂』(集英社 1985年)など多数の著書がある。
大岡信さんと旧制一高から東大国文学科の同期生であることは、今日初めて知った。
国文の同期とはいえ、在学中はほとんど交流がなかったらしい。というのは、大岡さんが仏文科の授業には熱心だったが、国文科の授業には余り顔を出さなかったかららしい。
志賀直哉が、「国語はフランス語にしたらどうか」と本気で提案したという敗戦直後の時代である。

三浦雅士氏は、文芸評論を中心に幅広い分野の評論活動で知られる。
雑誌「ユリイカ」、「現代思想」の編集長などを歴任。
『漱石―母に愛されなかった子』(岩波新書 2008年)、『人生という作品』(NTT出版 2010年)など。

対談とはいえ、最初に三浦氏が挨拶を兼ねて稲岡氏の紹介をしたあとは、ほぼ稲岡氏の独演会であった。
三浦氏は、大岡信ことば館理事でもあるから、ホスト役に徹したということであろう。
大岡さんは、世界に目を向け、歴史にも目を向けている人という紹介があったが、人麻呂もまた、白村江から壬申の乱へ激動する時代にあって、世界の動きと過去の歴史を見据えて作歌したのだということらしい。
特に、表意文字と表音文字を持つ日本語の素晴らしさ(またそれとの関係で「テニヲハ」の表記の発明)について両氏が指摘されていたが、まったく同感である。
⇒2007年12月22日 (土):漢字と図形
⇒2008年2月14日 (木):KY語と万葉語
⇒2008年10月22日 (水):明日香村の石神遺跡から出土の木簡に万葉歌
⇒2010年7月10日 (土):日本語のコミュニケーション/梅棹忠夫さんを悼む(3)

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2011年11月26日 (土)

無残な老害と化した権力者-渡辺恒雄会長兼主筆

清武前ジャイアンツGMの渡辺恒雄読売新聞グループ本社代表兼主筆批判により始まったジャイアンツの内紛は、清武氏の解任ということで、第1幕は終わった。
⇒2011年11月13日 (日):コンプライアンスとCSRと権力
⇒2011年11月21日 (月):ジャイアンツ清武代表の解任と球団経営の革新
わが身に引き寄せて、身の処し方について思いを致した企業人も多いのではないだろうか。

それにしても、プロ野球の危機も極まったかのような騒動といえよう。
日本シリーズなど無関係と言わんばかりのジャイアンツ関係者の言動に、多くの人が眉を顰めている。
「球界の盟主」などと思っているのはとんだ勘違いである。

社会派経営学者・北矢行男氏が『プロ野球の経営学―個人と組織を100倍面白くする』東洋経済新報社(9204)で次のように警鐘を鳴らしてからすでに20年近い。

12球団だけが持っている権利と義務のうち、自社に有利に事を運ぶ権利だけを行使し、プロ野球を支えるファンの立場に立って、絶えず、ファンが喜ぶような面白くて迫力のあるゲームを提供するという肝心かなめの義務のほうは、どこかに忘れ去っていたのではないだろうか。

その典型がジャイアンツであり、最も露骨に、「自社に有利に事を運ぶ権利だけを行使し」てきたのが、渡辺恒雄氏であるのは、衆目の一致するところだろう。
渡辺氏の姿は、老害化した権力者の無残な滑稽さとしか言いようがない。
「渡辺氏の球団私物化は今に始まったことではない」と奇妙なレトリックで清武氏を批判するコメントも見られたが、そのこと自体が異様である。
清武氏も悪いというような批判をして、渡辺氏の醜悪さを相対化してみせるような論調もあるが、鳥瞰的に見れば渡辺氏が絶対的に権力を持っていることは明らかである。

渡辺氏のジャイアンツとの関わりをWikipedia(111121最終更新)で見てみよう。

渡邉が巨人軍の経営に参加するようになったのは、読売新聞社副社長時代の1989年に球団内で組織された最高経営会議のメンバーに選ばれてからである(他のメンバーは務臺光雄(同社名誉会長)・小林與三次(同社社長)・正力亨(巨人軍オーナー))。1991年に務臺が死去した後しばらくは沈黙していた渡邉だったが、務臺の一周忌が済むとその発言が徐々に球界に強い影響力を及ぼすようになり、1996年に正力を名誉オーナーに祭り上げる形で自身がオーナーに就任。「野球はやったこともなく興味もなかった」と公言するも、その後野球界をすばやく学習し、これまでの巨人軍の人気、資金、読売新聞と日本テレビ放送網という巨大メディアを背景に、影響力のあるチームオーナーとして球界に君臨、コミッショナー人事も決める男と言われた。
・・・・・・

2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響でプロ野球の開幕が当初の3月25日の予定から延期になることについて、3月16日の読売巨人軍激励会の挨拶で、「この前の大戦争で負けた後、選手、監督から3カ月でやりたいという声が上がってプロ野球をやった歴史もある」と話し、予定通り25日の開幕を主張した。また延期を決めたパ・リーグに対しては「こういう時には何もやらない方が良いというなら勝手にしろ」と話したがその後文部科学省の通達によりすぐに撤回した。その後セ・リーグもパ・リーグ同様4月12日に開幕になったが渡邉は「いいんじゃないか。もう、しゃあない。(国などが)ガーガー言ってるんだから」と話した。
2011年
11月11日清武英利巨人軍専務取締役球団代表兼ゼネラルマネージャー・編成本部長・オーナー代行は「読売巨人軍のコンプライアンス上の重大な件」とする記者会見を行い、球団が発表した岡崎郁ヘッドコーチの留任について、渡邉がそれを覆し江川卓をヘッドコーチに決めたことについて、「ツルの一声で決めてしまうなど、球団を私物化するようなことがあっていいものか」として渡邉を批判している。なお、清武は同年11月18日に全ての役職から解任されている。

上記の引用からだけでも赫々たるワンマンぶり、というよりも傍若無人ぶりが窺える。
「週刊ポスト111202号」に、佐野眞一氏が『正力、務台、渡辺「読売天皇三代記』」という文章を寄せている。
佐野氏は、『巨怪伝―正力松太郎と影武者たちの一世紀』文藝春秋(9410)等の著作もあり、読売新聞社の歴史に詳しい。
佐野氏は次のように書いている。

渡辺は側近だけを取りたてる恐怖政治を敷いた。誰も彼のことを“大ナベツネ”とは呼ばない。ある著名OBは渡辺を評して形骸化された正力といっていたな。

「日経ビジネスオンライン111117」の河合薫『“アノ”内部告発で考える、「老害トップ」の悪質な手口』には次のようにある。

部下たち、特に取締役クラスの人たちのやる気を萎えさせ、時にプライドをズタズタにさせる“鶴”、ならぬ“ゾンビ”の一言を、世間では“老害”と呼ぶ。
高齢化が進む中、元気な高齢トップたちが、いつまでも「オレの言うことが聞けないのか!」と言わんばかりに権力を行使する。
帝国データバンクの調査によると、1981年には52歳1カ月だった社長の平均年齢は2010年には59歳7カ月と30年連続で上昇し続け、2010年の社長交代率は2.47%で、過去最低を更新した(出所:帝国データバンク「
全国社長分析」)。このような状況の下では、その“老害”に頭を抱える方も増えているのではないかとも思えるわけで……。

渡辺氏の言動は、この“老害”の象徴であろう。
「代表兼主筆」などという肩書きがその証明である。
読売新聞グループにいる(た)はずの有為の人材の活躍する場を奪っている愚劣さ。
広く世間にその害を知らしめたことを“功績”として、渡辺氏は一線から消えた方がいい。

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2011年11月25日 (金)

オウム真理教事件と知的基礎体力(?)

オウム真理教に関連する裁判が終結した。
阪神淡路大震災で何となく世の中が騒然としている時に、地下鉄車中でサリンを撒くという暴挙に出た。

1995年6月から始まったオウム裁判は、すべて終結した。
オウム裁判は終結したが、事件には多くの謎が残されている。
1995年に起きた国松孝次・元警察庁長官銃撃事件は2004年7月に、警視庁の元巡査長らを逮捕したが、不起訴に終わり、昨年3月、公訴時効を迎えた。同庁はその際、「教団による組織的テロ」とする捜査結果を公表したが、未解決に終わっている。
95年4月に教団の村井秀夫幹部(当時36歳)が刺殺された事件では、現行犯逮捕された男(46)に犯行を指示したとされる元暴力団幹部の男性(64)の無罪が確定。捜査当局内には、「単独犯とは考えられない」との見方が依然強いが、背後関係は判明しなかった。
一方、高橋克也(53)、平田信(46)、菊地直子(39)の3容疑者は地下鉄サリン事件などで特別手配中で、生存しているのかどうかもはっきりしない状況だ。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111121-OYT1T00852.htm

いったいオウム真理教とは何だったのか?
余りにも謎が多すぎる。
警察のトップが狙撃され、容疑者が逮捕されたにも拘わらず、結局は真犯人は分からずじまい。
教団の最高幹部が刺殺された事件も、逮捕された容疑者は結局無罪。真犯人は分かっていない。
外国の謀略機関のダミーだという説もある。
大震災による社会不安に乗じて、さらに混乱を増幅させようという意図だということである。
もちろん真偽は不明である。

この教団の特徴として、理系の高学歴者が多いことが知られている。
一部を抜粋してみよう。

・青山吉伸:京都大学法学部
・村井秀夫:大阪大学理学部物理学科→大阪大学大学院
・早川紀代秀:神戸大学農学部→大阪府立大学大学院
・中川智正:京都府立医科大学
・遠藤誠一:帯広畜産大学→京都大学大学院
・土谷正実:筑波大学農林学類→筑波大学大学院
・豊田亨:東京大学医学部
・富永昌宏:東京大学理学部→東京大学大学院
・廣瀬健一:早稲田大学理工学部応用物理学科
・林郁夫:慶應義塾大学医学部
・上祐史浩:早稲田大学理工学部電子通信学科→早稲田大学大学院
http://2chcopipe.com/archives/51436508.htmlより

彼らのように、学力において秀でていると思われる人間がなぜ簡単にマインドコントロールされてしまったのか?
たとえば、富永昌宏は、高校時代(灘高)、3年連続で「大学への数学」誌の学力コンテストで全国1位になったというし、青山吉伸は在学中に司法試験合格している。
相当な秀才であったことは間違いないだろう。

私はリハビリ入院中に聞いたドクターの説で考えたことがある。
⇒2010年5月 2日 (日):「恐竜の脳」の話(2)オウム真理教をめぐって
毎日新聞社の牧太郎氏(サンデー毎日の編集長等を歴任)は、この問題の原因を「知的基礎体力の欠如」と表現している。

裁判が本格的に始まってから16年余り。何人も殺害され、何千人も傷ついた。起訴され、裁きを受けた被告は189人。13人に死刑。戦後最大級の事件だった。
でも、これは教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(56)の超個人的な犯罪である。僕は、死刑になった弟子たちも被害者だった! と思う。
彼らが犠牲者になったのは、彼らが知的基礎体力を持っていなかったからだ。ごく普通に考えれば「インチキ」と気づくのに、その判断が出来なかった若者。
高度の教育を受けた彼らは知的基礎体力を持たないバカだった。バカだったから、悪魔の大量殺人に加担した。
「信教の自由」という言葉に騙せれて「麻原」を許した行政も、警察も、マスコミも知的基礎体力に欠けていた。

http://www.maki-taro.net/index.cgi?e=1585

しかし、「知的基礎体力」とはどういうもので、どうすれば身につくのだろうか?
ネットでこの言葉を検索していたら、菅前首相のサイトがヒットした。

知的基礎体力
2004年2月29日 00:00
オウム判決などに触発されて、「知的基礎体力」の欠如が話題になっている。政治議論においてもワンフレーズと一瞬の映像を巧みに操るテレビ人間、小泉総理の登場で、まともな議論が成り立たなくなっている。日本のマスコミの「基礎体力」の欠如も甚だしい。かつてブレア首相が来日した時、同行のイギリス人記者が「あなたの手は血に汚れているのではないか」と質問し、ブレア首相は青ざめた。小泉総理を青ざめさせるような日本人記者の質問を聞いたことが無い。

http://www.n-kan.jp/2004/02/post-813.php

他人の批判に終始していて、自省の言葉がないのはこの当時からの特徴である。
「知的基礎体力」とは何か?
基礎体力に知的をつけたような言葉だが、 両者はどういう関係にあるのか?
基礎的な力と基礎体力はどう違うのか?
牧氏のサイトでも菅氏のサイトでも、わざわざ体力という言葉を使う必然性がよく分からない。

文脈からすると、「柔軟に幅広く状況に応じて判断する力」のようである。
つまり教養?
たとえば、教養学部をWikipedia は次のように説明している。

教養学部は特定の学問の枠にとどまらず、人文科学・社会科学・自然科学の領域を広く横断的に取り扱う学部である。特徴として一般にリベラル・アーツ文理融合を標榜している場合が多い。学際的な研究もなされるが、課程において必ずしも学際的な分野を専攻するというわけではない。

わざわざ知的基礎体力などという分かったような分からない言葉を使う必要はないだろう。
オウム信者に共通しているのは、自分で判断をすることを放棄し、他者の判断に身を委ねてしまっていることではないだろうか。

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2011年11月24日 (木)

『古事記』偽書説/やまとの謎(48)

『古事記』が偽書ではないかという説がある。
多田元監修『図解古事記・日本書紀 (歴史がおもしろいシリーズ!)』西東社(1107)によれば、以下の通りである。

昔、日本最古の歴史書『古事記』が、偽書ではないかと疑われた時代がありました。江戸時代後期、沼田順義という国学者が、その著書の中で、『古事記』は平安時代初期に作られた偽書である、という説を発表しました。その根拠として彼が挙げたのは、まず、『日本書紀』は『古事記』よりも8年後に完成したにもかかわらず、『古事記』からの引用を全くしていない点です。また、『古事記』が作られた年代を記載している歴史書『続日本紀』にも、『古事記』について何も書かれていないのです。その後も偽書説は様々に議論されましたが、文章などの研究が進んだ結果、徐々に後退し、今では奈良時代以前のもの、つまり偽書ではないとする考え方が有力となりました。

なお、偽書とは以下のようなものをいう。

偽書(ぎしょ)とは、製作者や製作時期などの由来が偽られている文書書物のこと。主として歴史学において(つまりはその文献の史的側面が問題とされる場合に)用いられる語である。単に内容に虚偽を含むだけの文書は偽書と呼ばれることはない。
Wikipedia

関裕二『古事記逆説の暗号―日本書紀を覆す反骨のカラクリ』東京書籍(0804)によれば、『古事記』偽書説は、本居宣長に一蹴され、国学の隆盛、明治維新と共に封印されてしまった。
ところが、昭和4年(1929)に、伊勢在住の僧侶・中沢見明が『古事記論』で偽書説を復活させた。
しかし、中沢の説は以下のような扱いだった。

学会挙げての凄まじい袋叩きに遭い沈黙せしめられた。戦時中には憲兵に「国賊」呼ばわりされたそうである。中沢氏の運命は、戦後の批判者に至っても基本的には変わっていない。数多くの根本的な偽書説が提出されてきているにもかかわらず、「今日これらの偽書説を是認する人は殆どないと言ってよい」(倉野憲司氏による岩波文庫『古事記』解説)とけんもほろろである。
『古事記』とは何か---和銅年間に挿入された「近代日本の聖典」

通説が偽書説に冷淡であることの理由に、「文章などの研究が進んだ結果」とあるが、それは上代特殊仮名遣いなどのことである。
上代特殊仮名遣いについては、下記で触れた。
⇒2008年2月 9日 (土):上代特殊仮名遣い
⇒2008年2月10日 (日):上代特殊仮名遣いの消滅…砂川史学⑯
⇒2008年4月18日 (金):言語学から見た白村江敗戦の影響②
⇒2008年4月19日 (土):上代特殊仮名遣論争
⇒2008年4月20日 (日):上代特殊仮名遣論争②
⇒2008年4月21日 (月):上代特殊仮名遣論争③
⇒2008年4月22日 (火):上代特殊仮名遣論争④
一言でいえば、現代人には聞き分けられないと考えられる古代日本語の音韻の違いを、漢字で厳密に書き分けてる、という現象である。
『古事記』はこの仮名遣いが正確で、後代の偽書とは考えられない、ということである。

しかも、1979年に太朝臣安万侶の墓誌が発見されると、さまざまに提唱されてきた偽書説は雲散霧消したとされる。
しかし、関氏は上掲書で、次図のように整理しつつ、偽書の「可能性」すら否定してしまうのは如何なものかという。
つまり、今の段階では、偽書であるとも偽書でないとも断定はできないのではないか、ということである。
Photo_2
「偽書ではない」とすれば、沼田順義などが提起した疑問点に関して、合理的な説明をどう考えるかが新たな疑問である。

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2011年11月23日 (水)

『古事記』と『日本書紀』/「同じ」と「違う」(36)

諏訪大社に祀られているタケミナカタは、出雲神話ではいわゆる国譲りの際に、タケミカズチに負けて諏訪に逃げてきたとされている。
⇒2011年11月 3日 (木):諏訪大社/やまとの謎(40)
このタケミナカタは『古事記』で語られているものでって、『日本書紀』には登場しない。
『古事記』と『日本書紀』は記紀と言われているように、共に日本の古代についての歴史書であるが、その内容は必ずしも同じではない。

『古事記』は712年、『日本書紀』は720年にまとめられたといわれている。
わずか8年の差しかない。
それでは、どのような意図で2つの史書は編纂されたのか?
一般的には、、『古事記』は天皇家のための歴史書であり、『日本書紀』は国家の歴史書であるというふうに考えらている。
Photo_2
山本明『地図と写真から見える!古事記・日本書紀』西東社(1108)

両書とも、『古事記』は推古天皇、『日本書紀』は持統天皇というように女帝で終わっているところも同じであるが、意図された結果かどうかは分からない。
神話部分はどう違うか。
古事記と日本書紀はどう違うか」というサイトによれば、両書の世界観は全く異なっている。

(古事記)
天にある高天原に神々の世界があり、その指令(意志)によって地上の国(葦原中国)は作られ、かつ、統括支配される。すなわち、高天原の意志で総てが動く。
その高天原の主宰者は天照大神である。
葦原中国は先験的に天照大神の子孫が治らす国であると定められている。
(日本書紀)
総ては陰陽の理によって自動的に進行する。天の世界があり、そのスポークスマンとしてタカミムスビがいるけれど、その指令で世界が動いているのではない。天と地(葦原中国)とは基本的に対等である。
葦原中国の主も、予め予定的に定められているのではなく、武力的に奪うのである。

それでは、タケミナカタはどう考えられるであろうか。
タケミナカタは、『古事記』には登場するが、『日本書紀』には登場しない。
しかも、『出雲国風土記』にさえ登場しない。
タケミナカタは何を示しているのだろうか?

諏訪地方は、朝廷に従わない者たちの活動する辺境の土地だったらしい。
東北地方に似たところだったのだろう。
とりあえず次の説に1票を投じておきたい。

タケミナカタとは、古事記を編纂した中央政権によって「つくられた」神様ではないかという説が存在する。すなわち、まつろわぬ一族であった守矢氏を屈服させたのち、守矢氏の信奉する洩矢神を「天孫族のタケミカヅチに無様に敗れた出雲族のタケミナカタ」にすり替えを行うことによって、洩矢神に対する信仰を削ぎ、天孫族の権威を強調せんと意図したのではないか。
諏訪大社に関する考察

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2011年11月22日 (火)

イーハトーブと満州国/「同じ」と「違う」(35)・満州「国」論(1)

イーハトーブと満州国は対比して論ずるものか?
宮下隆二『イーハトーブと満洲国-宮沢賢治と石原莞爾が描いた理想郷』PHP研究所(0706)を前にしたとき、先ず感じた疑問である。
一方は、文学者が岩手県を理想化して描いた仮想的なユートピア、もう一方は、満州事変の立役者と言われる軍人による現実の国家(?)・
果たして共通項はあるのか?

著者自身が「はじめに」の冒頭で書いている。

賢治と莞爾。イーハトーブと満洲国。
まったく場違いな取り合わせにも思えるし、どこか不思議なハーモニーのようなものも感じられる。昭和初期の日本を語るには、ともに欠かせない人物だ。しかし、これまで並列して論じられることはあまりなかった。

「不思議なハーモニーのようなもの」を感じるのは、著者が2人になじんだ結果ではないか?
少なくとも私は、「まったく場違いな取り合わせ」のように感じた。
たしかに2人とも熱心な日蓮教徒で、田中智学の国柱会に所属していた。
しかし、満州事変の立役者と『銀河鉄道の夜』の作者とは結びつかない、と考えるのが普通だろう。
実際に上掲書が出版される前に、この2人を並べて論じた研究者は「ほとんどいなかった」と書いているではないか。
研究者が「ほとんどいなかった」のだったら、研究者以外には「まったくいなかった」のではないか?

著者の宮下隆二氏は1965年生まれだというから、出版年の07年時点では42歳ということになる。
私よりずっと若いから、宮沢賢治にしろ石原莞爾にしろ、歴史上の人物のはずである。
奥付けには、筑波大学を中退後、塾講師をしながら、宗教・思想を独学で学び、詩作に従事してきた、とある。
アカデミーの人には見られない自由な視点を持っているのであろう。

まず、イーハトーブと満洲国について一般的な理解を押さえておこう。
イーハトーブについてのWikipedia の記述は以下のようである。

イーハトーブとは宮沢賢治による造語で、賢治の心象世界中にある理想郷を指す言葉である。岩手県をモチーフとしたとされており、言葉として「『岩手』(歴史的仮名遣で「いはて」)をもじった」という見解が定説となっているが、賢治自身は語源について具体的な説明を残しておらず、異説もある。
・・・・・・
賢治が生前に出版した唯一の童話集である『イーハトヴ童話
注文の多い料理店』の宣伝用広告ちらしの文章には、「イーハトヴ」について以下のような説明がなされている。この広告文自体は無署名だが、内容等から賢治自身によるものと推定されている。

「イーハトヴとは一つの地名である。強て、その地点を求むるならば、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。実にこれは、著者の心象中に、この様な状景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。

つまり、現実には存在しない理想郷であるが、岩手県「のような地域」と考えられる。
一方、満洲国については以下のようである。
まぼろしの満州国

中国東北部。
山海関より北・・北朝鮮やロシア、モンゴルとの国境付近・・太平洋戦争以前は満州と呼ばれた地。
現在では遼寧省、吉林省、黒龍江省のいわゆる東三省がこれにあたり、哈爾濱(ハルビン)、長春(旧新京)、審陽(旧奉天)、撫順などの大都市が並びます。

・・・・・・
清王朝滅亡後、満州の地には女真族の子孫を元首とし、わずか13年と5ヵ月で消えて行った満州国という国があったのです。

Photo

イーハトーブと異なり現実に存在した地域であるが、わずか13年と5ヵ月で消えて行った「国」である。
満州国の建国の理念として、『五族協和の王道楽土』 というコンセプトがある。
五族協和とは満州人、蒙古人、漢人、日本人、朝鮮人で、これらの民族が協力して 『多民族国家』 を形成し、欧米諸国のような覇道によらずに王道をもって治めると謳われた。
しかし、実態が日本の傀儡「国家」であったことは疑いない。
現在中国では、満州という呼称は使用しておらず東北部という。また、満州国は偽満州国と呼んでいる。

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2011年11月21日 (月)

ジャイアンツ清武代表の解任と球団経営の革新

巨人清武英利GMが18日解任された。
清武氏が記者会見でナベツネ批判を行ったのが11日のことだから、1週間後の粛清である。
ジャイアンツ(株式会社読売巨人軍)側の見解は、読売巨人軍が記者会見で配付した文書の全文 を読めば、概略以下の通りである。

 (1)手続き
親会社である株式会社読売新聞グループ本社が、臨時取締役会を開き、取締役9名全員、監査役4名全員の計13名が出席して、当社取締役・清武英利を解任し、取締役山岸均を選任するため、会社法第319条第1項に基づく提案を行い、かつ書面によって同意することにより、当該議案を可決する旨の当社の株主総会決議があったものとみなされた。
続いて、ジャイアンツが臨時取締役会を開き、取締役8名全員、監査役3名全員の計11名が出席して、取締役の新たな担当職務を決定した。
株式会社読売巨人軍の株主は、株式会社読売新聞グループ本社1名である。
 (2)解任の理由
清武英利は、取締役として不適格である。
〈1〉正当な手続きによることなく、独自で記者会見を開いて、社内外に混乱をもたらした。
〈2〉記者会見で、誤った事実や論評を公表し、当社及び読売新聞グループの名誉、信用を傷つけた。
〈3〉前記会見で、コーチ人事構想にかかわる機密事項を暴露し、その実現を困難にさせ、業務遂行を阻害した。
〈4渡辺主筆が反論を出すと、ただちに再反論を公表するなど、反省の態度を示すどころか、逆に敵対姿勢を強めている。
〈5〉年内限りで当社取締役を辞任するのと引き換えに、渡辺主筆を球団取締役会長から辞任させることが事態収拾の条件であるなどと、自らの地位等について不当な要求をするなどしている。

要するに、解任の手続きおよび理由が正当であるということを言いたいのであろう。
「手続き」についてわざわざ説明しているのは、清武氏がコンプライアンスを持ち出したからであろうが、何となく後ろめたさの反映か、などと思ってしまう。
こういうのを形式要件というのであろう。

それでは、実質はどうなのか?
端的に言えば、ナベツネ氏の逆鱗に触れたということであろう。
ナベツネ氏は大正15年生まれだから、満85歳である。普通なら引退して悠々自適の生活を送り、自分の生きてきた道を回顧録などにまとめる歳だ。

上記文書の中で、「なお、当社の株主は、株式会社読売新聞グループ本社1名です」と「なお書き」が入っている。
わざわざ、ナベツネ氏の権力の源泉、独裁的な統治のメカニズムに注意を喚起している。
ひょっとすると、「社会の指弾を誘起しようという高等戦術か?」などと考えたが、そんなことはありえないだろうなあ。

独裁のメカニズムとして、もっとも民主的なルールを希求するはずの共産主義政党における「民主集中制」が知られている。
例えば、日本共産党は「民主集中制」について次のように説明している。
日本共産党の民主集中制とはどんなもの?

(1)党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
(2)決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である。
(3)すべての指導機関は、選挙によってつくられる。
(4)党内に派閥・分派はつくらない。
(5)意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。

もっともなことのように思うが、運用によっては少数意見を封殺することになる。
上級機関で決定されたことには、「行動の統一」として従わざるを得ない。「派閥・分派をつくらない」ことが、「組織的な排除」をもたらすのである。
読売グループの場合、読売系列の各社を、読売新聞グループ本社が代表し、読売新聞グループ本社は、代表取締役が代表するという形で、読売新聞グループ各社は本社代表取締役に逆らうことを許されない。
かつてコクドグループで同じ構図がみられたが、支配下に上場会社があったことから、問題化した。
その構図に反旗を翻した清武氏の記者会見は、「清武の乱」などと呼ばれているが、「乱」というほどには同調者が出なかったようだ。

ドリームインキュベータ会長の堀紘一氏は「夕刊フジ111119…発売は18日」で、「いまさら『私物化』と糾弾するのは勘違いも甚だしい」と清武氏を批判している。
要するに、ナベツネ氏の理不尽ぶりは何十年も前からのことで、その理不尽な人事の差配に部下が反旗を翻しただけのガバナンスの問題であって、読売新聞グループが非上場である以上、トップの言動や行動をチェックするものがないわけで、私物化は当然、ということである。

ずい分、身もフタもない言い方である。
「新聞は社会の公器あるいは木鐸」ではなかったのか?
理不尽が何十年も継続しているとしたら、それ自身大きな問題であろう。
堀氏は奇を衒っての発言かもしれないが、「コーポレートガバナンスのプロ」の意見として紹介されいるだけに引っかかる。

産経新聞の花田紀凱氏の「週刊誌ウォッチング」(111119)は以下のように書いている。

いつかは誰かがやらなければならなかったのだろう。
それくらい読売新聞渡辺恒雄“主筆”(正式には球団会長)のワンマンぶりは目に余った。今回は球団のことだが読売新聞内に異を唱える人物がおらず、論調はすべてナベツネさんの言をオウム返しという状態は大マスコミとしては異常だ。

異常な事態を異常だと言えない言論機関。
まさにナベツネ氏は「裸の王様」といえよう。
「コーポレートガバナンスのプロ」の堀氏よりずっとよく問題点を衝いているのではないか。
花田氏曰く

渡辺氏は「球界の紳士たれ」を標榜する巨人にあって、最も紳士らしくない過激な発言を続けている

私は今回の「乱」を、プロ野球革新の好機にすべきだと思う。
「Baseball Journal」というサイトに、「ジャイアンツは誰のものか 」という記事が載っている。

一連の騒動は、渡辺球団会長と清武球団代表兼GMの対立という枠におさまらない。球団親会社と球団の対立という、わが国のプロ野球が抱える構造的な問題がこのような形で噴出した形だ。
・・・・・・
わが国のプロ野球球団は事実上、親会社に実権を握られている。もともと親会社の広告宣伝部門として誕生したことと、今でも多くの球団で親会社に赤字を補てんしてもらっている背景から、球団は親会社の意向には絶対に逆らえない。
さらに残念なことに、球団親会社はその業界では一流企業だが、スポーツ興行では一流とは言い難い。それにも関らず、球団の方針に過剰に口出しすることがある。
・・・・・・
ジャイアンツとタイガースは、すでに経営的に独立している球団だ。決算内容を公表していないため、あくまでマスコミからの情報になるが、両球団とも親会社からの資金援助無しで黒字を計上している優良子会社だ。
つまり、両球団は経営的に、親会社に自分の意見を述べられる立場にあるのだ

横浜ベイスターズは、親会社がTBSからゲームサイト運営会社DeNAに変わった。
今年の日本一・ホークスの親会社は、南海→ダイエー→ソフトバンクと、産業構造の盛衰と軌を一にしてきた。
プロ野球が親会社にとっての広告宣伝機能という位置づけは宿命的とも言えるが、広告宣伝機能は、人気があってこそである。

ジャイアンツの内紛と渡辺会長の理不尽ぶりは明らかにプロ野球にとってマイナス材料だと思う。
日本シリーズのさ中に「清武の乱」騒動が起きたことは残念ではあったが、もはやジャイアンツも横並びの1球団に過ぎない。
「球界の盟主」などと思っているのは、騒動の本人たちだけではないか。

プロ野球人気は、優れた選手のメジャーリーグ流出が一般化したことなどから、低迷化のトレンドにある。
しかし、ゲームが面白ければ、必ず観客は増えるだろう。
落合監督率いる中日ドラゴンズとの文字通りの死闘を制したホークスの秋山監督は、涙を抑えきれないようだった。
優勝スピーチは、選手を思いやるとともに東日本大震災のことにも触れていた。

開幕前に東日本大地震の発生により、計画停電や交通機関などの混乱が続くなかで、ナイター強行しようとしたのがセリーグであったことを思い出す。
その強引、傲慢な態度は、日本シリーズ中に球団内部の争いを繰り広げることと共通するのではないか。

プロ野球も単に親会社の広告宣伝機能を担うというだけでは早晩存在理由を失うことになるに違いない。
球団は親会社からの自立を果たし、新たな歩みを始めなければならないのではないかと思う。

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2011年11月20日 (日)

オリンパスにかすかに点った希望の灯

オリンパスの不正処理された資金は何処に流れているのか?
17日付の米ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)は、2000年以降同社から2000億円以上が指定暴力団など「闇経済(アンダーグラウンド・エコノミー)」に流れた可能性があると東京発で報じた。

同紙は捜査当局に近い関係者から文書を入手したとし、「オリンパスの損失と組織犯罪グループのつながりが初めて明らかになった」と報じている。文書は証券取引等監視委員会や東京地検、警視庁の3者による会合で示されたものだという。
文書によると、オリンパスが2000年から09年にかけて、疑わしい買収額や投資助言会社への手数料として総額4810億円を支払ったが、このうち決算書などで計上されているのは1050億円にすぎず、残りの3760億円については使途不明のままだとしている。
さらに文書では、捜査当局はこのうち半分超にあたる2000億円以上の額が闇経済に消えており、指定暴力団などに流れた可能性があるとの見方をしているという。

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20111118/dms1111181547018-n1.htm

もし事実ならば上場廃止になる蓋然性はぐっと高まるだろうが、そうでなくても巨額の不正経理問題に対しては風当たりが強い。
金融庁のIFRS(国際会計基準)を議論する企業会計審議会総会・企画調整部会合同会議が11月10日開催されたが、名指しで批判された

会議の冒頭では自見庄三郎金融担当大臣が挨拶。オリンパスが損失計上を先送りしていた問題を挙げ、「市場の公平性で透明性を確保する観点から遺憾である」としたうえで、「一般論として公平性、透明性を確保するためには企業のガバナンスが重要である」との認識を示した。
・・・・・・
青山学院大学大学院教授の八田進二氏は「一部上場企業で歴史のある日本の製造業から、我が国のディスクロージャー制度を根幹から失墜させるような企業が出たことは遺憾」と強調。特にオリンパスが保有株式の時価評価を求めた2000年代前半の会計ビックバンを契機に損失隠しを始めたことについて、「バブル経済で信頼を落とした市場の透明性、信頼性を確保するのが会計ビックバンだったはずだ」と指摘した。

「オリンパスの問題は遺憾」、金融庁がIFRSに関する合同会議

IFRSとは、世界で最も広く採用されている会計基準のことで、日本の基準とは若干異なるところがある。
決算書の国際比較を行うためには基準が統一されていることが好ましいということで、日本でも導入が前提とされている。
そういう議論が行われているところであるから、「日本的」会計基準が原因(不透明もしくは曖昧)であるかのような印象を与えかねない。
IFRSが導入されたからといって解決するものではないと思うが、オリンパス経営陣が引き起こした問題は、一企業に留まらず日本の産業社会を揺るがすものといえよう。

しかし、元取締役専務執行役員である宮田耕治氏が、ウッドフォード氏の復帰しかないとし、インターネットで賛同者を募り始めたことは、同社の将来にとって明るい材料ではないかと思う。
ウッドフォード氏がオリンパスにいる幸運を社員たちは絶対に逃すべきではない

宮田氏は、1995年から2006年まで11年間、オリンパスの取締役として勤務していた。
取締役には「善管注意義務」(取締役という地位にある者として一般に要求される程度の注意を払って業務を遂行しなければならない)があるから、これに違反していたことになる可能性がある。
しかし、宮田氏は在任中そのようなことがあったとはまったく「気づきませんでした」ということである。

宮田氏によれば、オリンパスは、内視鏡やデジタルカメラなどの基幹事業が成熟していたから、新規事業を模索していた。

ところが、社内の技術開発には時間がかかるし、たとえ技術開発をして何か得られたとしても事業として成功するかわからない。そこで、M&Aや有力なベンチャー企業へ投資をしているファンドに対して出資するという選択肢が生まれてきた。

その選択肢が、損失を隠すための道具となったわけである。
発端は、月刊誌『ファクタ』のスクープだった。同誌を読んで、ウッドフォード氏は真相を究明しようと行動を起こした。
そして、ウッドフォード氏は、真相を究明している過程を、取締役全員に報告した。

ウッドフォード氏から報告を受けた取締役は不正が行われている可能性を知ることになった。
株主価値を守るために行動を起こさなければならない責任が発生したのである。
ところが、取締役たちは真相を究明するどころかウッドフォード氏を解任してしまった。

オリンパスの企業風土を宮田氏は次のように説明している。
「技術に基づくモノ作り」を大事にするDNAがあり、石橋を叩いて、壊して結局わたらない」と社外の人から揶揄される。
このDNAからすると、今回の一連の投資行動はまったく説明がつかないものだ。

ウッドフォード氏が社長に復帰することになるかどうかは分からない。
しかし、宮田氏たちの行動は、大株主を動かすことになるのではないか。
それが、国際的な競争力を持つオリンパスの技術力(宮田氏のいうDNA)を惜しむものの願いである。

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2011年11月19日 (土)

古代出雲(1)青銅器の分布圏/やまとの謎(47)

諏訪大社本宮の祭神はタケミナカタノミコトである。
⇒2011年11月 3日 (木):諏訪大社/やまとの謎(40)
そして、タケミナカタノミコトは、『古事記』の中のいわゆる出雲神話といわれる部分に登場する。

『古事記』の神話のおよそ三分の一は、「出雲神話」がしめている。その「出雲神話」の中心的なテーマは、大国主の命の「国譲り」の話である。大国主の命の領していた「葦原の中国」を、高天の原勢力に譲ったという話である。
「出雲の国譲り」の話は、『古事記』に記されているばかりでない。『日本書紀』『出雲国風土記』『出雲の国造神賀詞』などでも語られている。

安本美典『衝撃の古代出雲―加茂岩倉遺跡と邪馬台』産能大学出版部(9712)

私が学校で教わった頃は、弥生の青銅器文化について、2代文化圏ということが言われていた。
和辻哲郎が唱えた説だそうであるが、不動の定説のように教科書に載っていた。
Photo
http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/45497377.html

国譲りなどの出雲神話は、どのような歴史的事実を反映しているのか(あるいはしていないのか)?

今から20年前の昭和59年(1984)年8月17日、島根県簸川(ひかわ)郡斐川(ひかわ)町神庭西谷(かんばさいだに)に位置する荒神谷の広域農道予定地から、それまで国内で発見された総数を上回る358本もの銅剣が一カ所から出土した。翌年には、銅剣埋納地からわずか7~8m離れたところから、今度は銅鐸6個と銅矛16本が発見された。これらの青銅製祭器が古代出雲の地で大量に発見されたことで、それまでの考古学の常識が覆されたことは今だに記憶の底に残っている。
弥生時代に、鉄器と青銅器とがほぼ同時期に日本列島に伝わったとされている。青銅は銅と錫の合金であり、各種の利器や祭器が作られた。青銅製の銅鐸は稲作農耕の祭りのとき神を招くための鐘として、また青銅製の銅剣や銅矛・銅戈は悪霊を追い払う祭りの道具として使われたと言われている。こうした青銅製の武器型祭器の分布は、弥生時代の文化圏のを示す指標として用いられてきた。すなわち、銅鐸は近畿地方を中心に分布し、銅剣・銅矛は九州北部を中心に分布するとされてきた。
だが、神庭荒神谷遺跡と命名されたこの地から銅鐸と銅矛が同時に出土したことで、「"銅鐸"は近畿、"銅剣・銅矛"は九州」という従来の学説("弥生時代の青銅器二大分布圏")は通用しなくなった。さらに驚くべき発見があった。平成8年(1996)の10月、この遺跡から南東約3.4kmの地点にある加茂岩倉で、今度は39個という大量の銅鐸が見つかり、出雲は全国最多の銅鐸保有国になった。神庭荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡の存在で、古代の出雲は青銅器王国だったことが明らかとなり、強大な政治勢力の存在が想定されている。

http://bell.jp/pancho/travel/izumo/kojindani%20iseki.htm

つまり、荒神谷と加茂岩倉の発掘事実が、それまでの揺るぎない定説とされた「青銅器2大文化圏」というパラダイムを打ち砕いたのである。
出雲国は下図の位置であるから、2大文化圏の間あるいは重なったところであるといえる。
Photo_2
Wikipedia出雲
これらの考古学的な事実と神話に記されている話はどう関連するのか?
安本美典氏は上掲書で、次のように書いている。

出雲の神庭荒神谷遺跡から、358本もの大量の銅剣が出土し、さらに加茂岩倉遺跡から39個もの大量の銅鐸が出現した。素朴に、大きく考えるとき、「出雲の国譲り」神話と関係しているのではないか、とだれしも考えそうなものである。
が、「専門家」は、そうは考えない。いたずらに複雑に考えて、問題を不透明にしているようにみえる。

安本氏は・その理由として以下を挙げる。

一つには、銅鐸の製作年代や埋納年代の問題がある。銅鐸は、年代をきめる手がかりにとぼしい。たとえば、銅鐸が、弥生時代の土器といっしょにでてくれば、土器が年代をきめる有効な手がかりとなりうる。しかし、銅鐸は、ほとんどのばあい、銅鐸だけが出土する。
加茂岩倉遺跡のばあいも、弥生土器は、かけらも出土しなかった。そのため、一般の人には、ちょっと信じられないことであるが、銅鐸の推定年代が、学者や学説により、ときとして数百年もちがうのである。
いま一つには、『古事記』『日本書紀』などの神話は、後世のつくり話とする津田左右吉の説が、第二次大戦後、日本の古代史学界を風靡したという問題がある。
第二次大戦中に、本居宣長派のいわゆる皇国史観にもとづき、『古事記』『日本書紀』の、不合理な記事までも、そのまま信ずべし、とする教育が行なわれた。
戦後には、その反動がきた。
『古事記』『日本書紀』の神話に、「おぼろげな形でも史実の核があるのではないか」とする見解は、「それは、皇国史観にもとづくものだ」という批判をうけがちとなった。
そのため、学者は、うかつには、神話の研究に手をだせなくなった.神話の研究をさけるようになった。

『古事記』や『日本書紀』に書かれていることを金科玉条のように考える皇国史観は現時点でみれ不合理なものだろう。
しかし、、『古事記』や『日本書紀』に書かれていることを、荒唐無稽な神話として全て否定してしまうのも如何なものだろうと素人でも考える。
出雲には、それまでの常識を覆すような考古学的事実があったのだ。

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2011年11月18日 (金)

諏訪大社(7)三嶋大社との関係/やまとの謎(46)

諏訪湖の湖畔で、地元の人に「富士山の向こう側からきました」と言ったら、「静岡県からですか?」という反応が返ってきた。
その時は深く考えもしなかったが、富士山に係わるレイラインの図をもう一度見ていただきたい。
⇒2011年11月12日 (土):諏訪大社(5)レイライン/やまとの謎(44)
Photo

諏訪(大社)と三島(大社)が、富士山を挟んで180度すなわち直線を成しており、しかもその直線上に「大室山」が2か所存在している。
http://www.fujigoko.tv/mtfuji/vol6/
諏訪大社と三嶋(島)大社は何か関係があるのだろうか?
三島市の三嶋大社は伊豆国の一宮である。
三島市にあるから、三嶋大社だろう、と長いこと思っていた。
ところが事情はそう簡単なことではないようだ。
Wikipediaでは以下のように解説している。

創建に関しては極めて古く不明であるが、三宅島(現:富賀神社)→下田・白浜海岸(現:伊古奈比咩命神社)→大仁町(現:広瀬神社)→現在地と遷宮したとの伝承がある。他に、伊予国大三島大山祇神社からの分社との説もある。
延喜式神名帳』には「伊豆国賀茂郡 伊豆三島神社」として記載されている。『延喜式』が書かれた平安時代初期には賀茂郡の下田・白浜海岸に正妃・伊古奈比咩命を祀る神社と並んで建っていた。白浜海岸には現在、伊古奈比咩命を主祭神とする伊古奈比咩命神社がある。
現在の三嶋大社は、平安中期以降に
田方郡の国府の近くに新宮として分祀されたものであるとされる。現在地には元々若宮八幡があったが、三島明神が若宮八幡に「藁一把分の土地を譲ってくれ」と言い、若宮八幡がそれくらいならと了承すると、三島明神は藁の束を解いて輪にし、若宮八幡の広大な敷地を囲んで占有してしまったという伝承がある。現在、若宮八幡は三島市西若町にあるが、そのために三嶋大社に背を向けて建ったという(現在は三島大社と同じ南向きに建っている)。

もともと三宅島にあった神社が、下田→大仁町(現伊豆の国市)を経て現在地に遷ったということらしい。
三嶋(三島)神社があったから三島市になったということかも知れない。
この間の事情はまったく未知であるが、以下のような記述が目に入った。

三島神は伊豆白浜に上陸し鎮座したが、やがてその後、中伊豆の発展にともない、伊豆田方郡大仁町田京の広瀬神社のあたりへ勧請されて来て、ここに何百年か鎮座していたようである。大仁町田京の口碑によれば、「三島明神は牛の背に乗って移ってこられた」と伝承されており、広瀬神社には三島明神と最も関係の深い瀬織津比売が祭られている。伊豆白浜から三島神社がこの地に移って来て鎮座されていたことは事実で、次の文献でも明らかである。
中伊豆の三島神社が文献に現われるのは『吾妻鏡』の治承四年(一一八〇)八月十七日の条であるが、それには、「北条殿が申されて云うには、今日は三神(島…引用者)明神の神事(祭り)である。郡参の輩下の向う間は、定めて衢[ちまた]に満つ。よって牛鍬大路を廻る者は通交違反者と為し、咎[とが]とされ[ママ]べく、之の間、蛭嶋[ひるがしま]をゆっくり行く可[べ]し」というおふれがあって、群衆が出るので、牛鍬大路を通らず、蛭嶋を行くようにと書かれていることである。蛭嶋とは現在の田方郡韮山町蛭ヶ小嶋のことで、ここに源頼朝は十八歳の時より流されていた。そして三十一歳の時この地で源氏再興の旗揚げをして、韮山の山木の平氏を討った頼朝は、三島明神の森に結集したわけであるが、蛭嶋と三島明神は近い距離にあったのである。ここから三島市までは一三キロあって、この当時はまだ現在の三島市には三島神社はなかったのである。
ところが三島市史は、三島神社が古来から現在の地にあったとし、反対に『延喜式』でいう加茂郡(賀茂郡…引用者)の三島神社の所在地を三島市にある三島神社の飛地と見なしている。これは正論である県史やその他の書の説に頑固に反対するものといわなければならない。
平安時代末の治承四年(一一八〇)の時点、「まだ現在の三島市には三島神社はなかった」という指摘です。『三嶋大社』巻末の年表には、文治三年(一一八七)のこととして、「頼朝、三嶋社、社殿を造営す」、翌年「頼朝、三嶋社に参詣す」とありますので、このあたりに三嶋社の現在地への遷座・遷宮を認めてよいのかもしれません。

「月の抒情、瀧の激情」:伊豆・三嶋大社へ──生きている越智氏崇敬の神

そもそも三島市の辺りの地域は古代においてはどのような位置づけだったのだろうか。
三島市のサイトには次のようにある。

西暦645年、大化の改新によって天皇を中心とした新しい国づくりが始まり、701年大宝律令の制定によって中央集権的な国家ができあがりました。
680年、伊豆は験河国から分かれて独立しました。国の中心であるいまの県庁にあたる、国府の位置については明らかではありませんが、平成元年に三嶋大社の境内から発掘された掘立柱の建物跡が注目されました。
そこは三島の中心で、田方郡内であり、中世の文献に記されているように三嶋大社の近くです。そこで「静岡県史」ではこの遺跡を伊豆国府跡の一部と推定しています。

古代政治の中心地は三島(奈良・平安時代)

上に引用した三嶋大社のWikipediaの解説を併せ考えると、以下のようになるだろう。

今の三島大社を脳裏に浮かべて判断してはいけない部分があるわけだ。今の三島大社は、平安中期以降、国府のすぐそばにわざわざ作られたモノである、というのがポイントであって、元は八幡系の神社があった。それを追い出して今の三島大社が出来たのだ。
「ネットゲリラ」: 知って驚く三嶋大社と伊豆国君沢郡の謎

八幡系を追い出して?
神社にもいろいろ系統(派閥?)があるらしい。
神社の歴史はむずかしい。

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2011年11月17日 (木)

欧州危機の本質/花づな列島復興のためのメモ(11)

ギリシャやイタリアなど、ヨーロッパの危機が言われている。
ギリシャがEUから脱落するとか、イタリアでは財政健全化法案の下院通過が政権交代の条件となったといったことが話題になっている。
その根本的な要因が何で、歴史的にみてどういう問題を内在しているのか、素人には分かりづらいことが多い。

東洋経済オンライン111115に、小幡績氏が『欧州危機の本質とは何か――ギリシャでもなく、イタリアでもない』という論考を書いている。
小幡氏は冒頭で次のように言っている。

欧州危機の本質は、ギリシャでもイタリアでもない。そして、損失拡大からの資本毀損による銀行の資本不足の危機でもない。ユーロという共通通貨の問題でもない。本質は銀行の存在そのものの危機であり、金融そのものの危機なのだ。

どういうことか?
10月末にEU首脳が集まって、金融危機への対応策をまとめた。
包括戦略と呼ばれるこの対策では問題は解決しない、と小幡氏はいう。

まず、第1に今回の欧州危機は、財政危機ではなく、銀行危機であり、ギリシャは関係ないということである。それなのに、ギリシャ問題で銀行危機が起きてしまっている。ギリシャは、不良債権先の一つにすぎない。
一般的に、多くの企業に融資していれば、1つぐらい悪い企業があって、それが倒産してしまうことはある。問題は、それだけで、銀行が危機になってしまうことだ。

つまり不良債権先の一つが危機に陥ったくらいで、危なくなる銀行のビジネスモデルが問題だというのである。
日本の銀行もかつて同じ道をたどった。
日本の銀行が90年代に危機から脱出できたのは、資本注入によるものでも、その後の不良債権処理によるものでもない。
アジア経済が急成長し、バブルぎみではあったが、多くの需要を日本経済にもたらしたからであった。

つまり「バブルに踊らされ、まともなビジネスモデルを失ってしまった金融機関が新しい健全なビジネスモデルを確立したためなのである」ということになる。
したがって、危機への対応策としては、個別の銀行の努力が重要というわけである。
オリンパスや大王製紙など一流企業が、本業でない問題で揺らいでいる日本の産業界にとっても参考にすべきことであろう。

日本経済新聞111115の「経済教室」では、ドミニク・リーベンというケンブリッジ大学の教授が『歴史的視点からみた欧州危機 帝国への試み 矛盾噴出』という文章を書いている。
同教授はいう。

今回の危機を理解し長期的な影響を見抜くには、なぜ欧州連合(EU)が創設されたのか、EUの存在は欧州や世界の歴史の中でどう位置付けられるのかを知っておく必要がある。
2つの大戦は欧州を破壊し尽くし、欧州は世界における指導的地位を失った。戦後欧州の指導者層は、国同士の紛争やナショナリズムのせめぎ合いに終止符を打つことで合意した。欧州共同体の土台づくりは共通の大きな利益をもたらす経済面から始まった。
・・・・・・
欧州の統合計画はある意味では帝国主義的だったといえる。19世紀半ば以降、国際関係の専門家の間では、将来の真の大国となるのは大陸的な規模と資源を持つ国だけというのが定説となっていた。換言すれば、人類の未来に関わるような問題で発言権を持つのはそうした国に限られるということだ。こうした見方は、技術の進歩により大陸の中心部への進出・定住・開拓が可能になったという事実に裏打ちされていた。
帝国主義の時代、すなわち第1次世界大戦(1914年)までの40年間を支えていたのは、こうした地政学的な論理だった。欧州の人々にとって、この論理は意気消沈させられるものだった。米国、ロシア、中国が既に大陸的な規模を持つ国家であるのに対し、ローマ帝国滅亡以後の欧州の歴史は、欧州に帝国を建設することがいかに難しいかを物語っているようにみえたからだ。

EUは帝国なのか?
「帝国」とは、以下のように定義される(Wikipedia)。

複数のより小さな民族などを含めた広大な領域を統治する国家のこと。語句に「帝」という字が入るが、「皇帝が支配する国家」とは限らず、王制寡頭制共和制などの場合も含まれる。また国家が「帝国」を国号として公式に使用する場合、国号ではないが通称として使用する場合、歴史的または比喩的に「帝国」と他称される場合などがある。

EUは国家ではないから、上記の定義でいう帝国ではない。
しかし、「複数のより小さな民族などを含めた広大な領域」がひとまとまりになる試みであり、帝国の機能を持つ試みであるともいえる。現在、帝国と呼ぶべき存在は、アメリカ、ロシア、中国、インドなどであろう。

Eu
米中印の指導者と異なり、帝国のジレンマを解決できる国家を持っていないことだ。平時であればさして問題ではないかもしれないが、危機となればリーダーシップが不可欠だ。そしてリーダーシップに裏付けを与えられるのは、明確な根拠を持つ中央政府といったもの以外にない。

欧州は今後どういう道を選ぶのかは予想しがたいが、帝国とグローバリゼーションの歴史からヒントを得ることはできる、として、次のようにいう。

これからの世界では小国の市民であるより欧州市民である方が安全と考えられる。具体的にいうと、各国が競って通貨切り下げや地域貿易ブロック形成に走る1930年代のような時代が来るとすれば、EUの必要性はより明確になるはずだ。

つまり、EUは、連邦国家的な方向に進むのではないか、ということだろう。

日経ビジネスオンライン誌111115号では、伊東乾氏が『ユーロ圏の命運と「帝国の逆襲」封じ』を寄せている。
伊東氏はEUは、一種の帝国であるという。

冷戦終結後、マーストリヒト条約によって一つにまとまったEUを、民主的に形を変えた「ローマ帝国」と見ることで、さまざまな現象がずいぶんクリアに見えてきます。ある種の「西欧ローマ帝国の復興」ですね。それを「欧州合衆国」的な形で実現するという世界史的シナリオがEU統合という事態の核に存在します。

これは、ドミニク・リーベン氏の見方と共通するものであろう。
EUがEUとしてまとまりを持ち続けるためには、歴史的な正統性が求められ、それには「ローマ帝国」の首都ローマのあるイタリアは不可欠ということである。

フランス、ドイツ、イタリア、それに現在のEU中枢が置かれるベネルクス地域などは、一旦は滅亡した古代西ローマ帝国を復興させたカール大帝=シャルルマーニュの帝国、つまり神聖ローマ帝国の中核中の中核、この地域に穴を開けて「西欧共同体でござい」というシナリオは成立しにくい。
むろん現実にはスイスのようにEUに「穴」は開いています。しかし、そういう「穴」と、通貨統合についてゆけず脱落するという穴とでは言うまでもなくまったく意味が違ってしまう。
この「西欧」つまりカール大帝の帝国を一つのものとして認め、祝福したのがローマ教皇、つまり西欧カトリック教会であり、中世西欧神学の大成者トーマス・アクィナス由来の新トマス主義(ネオ・トミスム)が、現時点でも西欧を西欧として一つに結びつける、もっとも強い理念的紐帯になっている。

ヨーロッパの事態には、昔世界史で勉強し(損なっ)た知識が不可欠のようである。
ギリシャもイタリアも古い時代の方が馴染みがあるが、現代史では日独伊三国同盟くらいしか覚えていない。
それでは日本は?
「世界史の動向と日本」(1942年に、総合雑誌『改造』(8-9月号)に掲載された細川嘉六の論文のタイトル。横浜事件の端緒となった)を再考すべき時ではないだろうか。

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2011年11月16日 (水)

『湯の町エレジー』と古賀メロディ/私撰アンソロジー(12)

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昨夜、NHKが「歌謡コンサート」で『古賀政男特集』と銘打った番組を放映していた。
それを見ながら、回復期リハビリ病棟で過ごした日々を思い出した。

私が回復期に入院していたのは伊豆の山中にあるリハビリ専門病院だった。
歴史が古いだけあって、スタッフも充実しており、行きとどいたリハビリを受けられたと思う。
しかし、急性期に続いての4ヶ月半に及ぶ入院生活は、時にウンザリするような期間でもあった。
急性期は自分自身が平常心を失っていることもあって、時間が過ぎるのは早かったが、落ち着きを取り戻しつつあった回復期は、退院までの時間が気が遠くなるように長いと感じられた。

もちろんスタッフに恵まれているのは他の入院患者も同じであるが、私はその他の面でも恵まれた環境にあったと思う。
先ず第一に、妻と娘が交互に洗濯物を運んでくれた。同室の人の中には自分で洗濯をしている人もいたのだから、それだけでもずい分あり難いことだった。
見舞客にも恵まれていたのではないかと思う。

殆ど毎週、週末になると足を運んでくれる友人がいた。
遠く京都や大阪から来てくれた友人もいたし、恩師夫妻が訪ねて来て下さったこともある。
その他、折を見て見舞ってくれた知人たち。
短時間ではあっても、それらの人たちとのコミュニケーションがどれほど励ましになったことだろう。

日中は、リハビリやら見舞客があったりで、何かと気を紛らすことはできる。
問題は夜である。
病院の消灯時間は早い。
消灯時間以降は基本的にはTVを見ることも憚られる。

山中であることもあって、ラジオの電波も入りにくい。
従って、聴くとすれば、CDである。
しかし、消灯後、不自由な身体で暗い中で、CDを出し入れしたりするのも大変な作業だった。
それに、クラシックの交響曲などは病床で聴くには重すぎる。

中では、発症前にたまたま手にした川井郁子さんの『The Red Violin』というCDは繰り返し聴いた。
川井さんのことは何も知らないで購入したのだったが、ジプシー音楽のような哀愁を帯びたヴァイオリンのメロディが切なかった。
そんなときに、思いもかけず、若い知人たちが、iPodをプレゼントしてくれたのだった。
⇒2011年9月17日 (土):アップルとソニー/「同じ」と「違う」(31)

嬉しかったのは彼(彼女)らが、思い思いの曲をダウンロードしてくれていたことである。
もちろん、人には好みというものがあるから、私の好みにフィットしないものもあった。
しかし、病床の私に聴かせたいと思って選曲してくれたのだ。
そう思うと、人の情というものの有難さが身に沁みた。

知人たちがダウンロードしてくれた曲の中に、島倉千代子が歌っている「古賀メロディ」があった。
おそらく、『古賀政男生誕100年記念::島倉千代子 古賀メロディを唄う』だと思う。
収録されている「古賀メロディ」には、カラオケなどで馴染みのある曲もある。
中でも最もその時の心情にぴったり来たのが『湯の町エレジー』だった。

『湯の町エレジー』は、昭和23年(1948)にリリースされた曲で、100万枚近く売れた昭和20年代を通じて最大のヒット曲の1つであるとされる。
オリジナルは近江俊郎が唄った。
ギターの音色を特徴とする「古賀メロディー」を代表する曲であるが、伊豆のリハビリ病院としては、ご当地ソング的な性格もある。

島倉千代子の歌唱は、嫋々というのだろうか、心細げでありながら張りがある。
男心の歌ではあるが、島倉千代子の声がよくマッチしているように思う。
五木寛之さんが「艶歌三部作」で描いた世界に通ずるのではないか。
⇒2011年3月22日 (火):津々浦々の復興に立ち向かう文明史的な構想力を
⇒2011年8月 6日 (土):『北帰行』ノスタルジー

NHKの番組の方は、映像が邪魔をしている感じがした。
きれいな衣装でシナを作って唄う歌手の姿は、古賀メロディの持つ一種の暗さに似合わない。
怨歌としての要素が希薄になってしまうと思う。
映像は情報量が多い分、味わう側の想像力を奪うのではなかろうか。

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2011年11月15日 (火)

土屋隆夫さんと『危険な童話』/追悼(16)

推理作家の土屋隆夫さんが亡くなった。

推理小説界の最長老で作家の土屋隆夫(つちや・たかお)さんが14日午前1時35分、心不全のため死去した。
94歳だった。告別式は16日午後0時30分、長野県佐久市協和2361の1カームしらかば。喪主は長男、哲夫氏。
中学校教諭だった1949年、短編「『罪ふかき死』の構図」でデビュー。江戸川乱歩の随筆に影響され、文学性と謎解きの面白さを併せ持つ推理小説を志し、新興宗教と地方政治の癒着を取り上げた「天狗の面」(58年)、千草検事シリーズ第1作の「影の告発」(63年、日本推理作家協会賞)などを発表、本格派の巨人と言われた。
生家のある長野県立科町を拠点に創作を続けた地方在住作家の元祖的存在で、90歳で長編「人形が死んだ夜」を書き下ろすなど晩年まで執筆した。2002年に日本ミステリー文学大賞を受賞した。

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20111114-OYT1T00802.htm?from=y10

「推理小説界の最長老」とあるが、私にとっては青春の推理小説家だった。
学生時代に古本屋街で、埃を被って置かれていた『危険な童話』桃源社ポピュラーブックス(6309)を入手し、一読してすっかり魅了された。
私は推理小説を広く読んでいるわけではないが、日本の推理小説のベストテンを挙げよ、と言われれば、1位に『危険な童話』を挙げ、同一作家の作品が許されるなら『影の告発』を何位かにノミネートしたい。
Wikipediaには以下のように解説されている。

文学への関心が高く、デビュー以来論理的な謎解きと文学性の融合を目指した作品を書き続けている。また、「芥川龍之介の推理」や「泥の文学碑」、「川端康成の遺書」など、実在する文学者・文学作品を題材にした作品もある。

私見では、「論理的な謎解きと文学性の融合」が最も象徴的に表現されたのが『危険な童話』である。
各章の冒頭に印象的な「童話」が載っている。
その「童話」が重要なトリックを構成しているわけだが、作品と見事に融合していて不自然さはまったく感じられない。
読後に残るのは、人間の営みの非条理性やそれがもたらす「悲しみ」である。

かつて、土屋隆夫特集の『別冊・幻影城』のポートレートに、「叙情溢るる本格派」というキャプションが付されていた。
「本格派(推理小説)」とは、事件の手がかりをすべてフェアな形で作品中で示し、それと同じ情報をもとに登場人物が真相を導き出す形のもの、と定義される。
土屋隆夫氏は、「本格派」を冠して形容されることの多い作家で、推理小説評論家の権田萬治氏は、「本格派の前衛」と評している。
前衛とは、革新的な試みの旗手ということであろう。
危険な童話』は、まさに「叙情溢るる本格派」であることを示す作品である。

土屋氏自身が推理小説をどう考えているかを示す言葉として、処女長編『天狗の面―土屋隆夫コレクション (光文社文庫)』(0205)の中に以下のような記述がある。

一言にして言えば、探偵小説とは、割り算の文学である。しかも、多くの謎を、名探偵の推理をもって明快に割り切った場合、そこにはいささかの余りがあってもならない。
  事件÷推理=解決
この数式に示された解決の部分に、剰余、即ち未解決の部分や疑問が残されていてはならないのである。

「剰余」とは何か?
権田萬治氏は、「解決」は必要かつ十分な条件であるが、「剰余」は文学的香気とでも名付けるべき必要条件ではないか、と疑問を呈したが、私の認識はちょっと異なる。
「剰余」とは「曖昧性」であろう。文学的香気の源泉になることもあり得るが、「剰余」が無くても文学的香気をもち得るのではないかと思う。

例えば『危険な童話』について言えば、事件の謎は完全に割り切れていてその意味では剰余がゼロであるが、同時に豊かな文学的な香気を併せ持っている。
日本の推理小説は、未だに『危険な童話』を超える作品を生み出していないのではないか。
合掌。

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2011年11月14日 (月)

諏訪大社(6)南宮大社と富士山レイライン/やまとの謎(45)

北緯34度32分の線上に著名な寺社などが位置していることが知られている。

「あれは稲作と密接につながる太陽信仰、つまり日本人の信仰の原点にかかわる話だった。だから多くの人の心に響いたのでしょう」と振り返るのは、「大和の原像」(大和書房、1973年)で「太陽の道」を提唱した小川光三さん。著名な仏像写真家でもある。「太陽の道」は80年にテレビのNHK特集「知られざる古代~謎の北緯34度32分をゆく」で紹介され、多くのファンを生んだ。
日本経済新聞110810

水谷氏はそれを『知られざる古代―謎の北緯三四度三二分をゆく』日本放送出版協会(8002)という著書にまとめた。

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卑弥呼の墓説もある箸墓古墳、檜原(ひばら)神社、大坂山(穴虫峠)、長谷寺、室生寺をはじめ、大和盆地を中心とする著名な遺跡、社寺などが北緯34度32分の線上にほぼ一直線に並び、東は三重県の伊勢斎宮跡、西は堺市の大鳥大社(さらに淡路島の遺跡や古社)まで延びるという。
日本経済新聞110810

本当に太陽信仰にかかわるかどうかは分からない。
しかし、こういう配置にあることは事実である。
霊峰富士についてはどうか?

出雲大社と同一緯度だといわれる。
富士山と出雲大社なら、さしづめ東西の横綱といった感じであろうか。
しかし、厳密には同一緯度ではないらしい。

富士山(北緯35度21分39秒)と出雲大社(35度24分07秒)がほぼ同緯度にあるということは、以前より様々な人々によって言及されてきた。しかし、両者の緯度を見ると、かなりの差(約2分28秒、距離にして4Km以上)があることがわかり、同一線上にあるとは容認しがたい。
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/TZ/LL-SuwaKashima.html

しかし驚くべきことに、諏訪大社と関係があるらしい南宮大社が富士山と同一緯度だということだ。
⇒2011年11月 6日 (日):諏訪大社(3)地質構造と鉱物/やまとの謎(42)

南宮大社(北緯35度21分39秒)が富士山とほぼ同緯度にあることは、以前から気がついていた。緯度でいうと1秒未満の差で、ぴったりと一致する。また、富士山の東麓にある富士浅間神社(静岡県・須走、北緯35度21分46秒)も、富士山と約7秒の差で同緯度にある。
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/TZ/LL-SuwaKashima.html

しかも諏訪大社と南宮大社は、位置関係についても不思議な関係を持つらしい。

南宮大社(北緯35度21分39秒、東経136度31分31秒)と諏訪大社下社秋宮(北緯36度04分57秒、東経138度04分56秒)を結ぶ線を引くと、南宮大社から下社春宮を見た時の方位は60度18分45.16秒であり、東西線から北方へ約29度21分の角度となる。この角度は、夏至の日の日の出の方位とほぼ一致するものだ。
南宮大社から諏訪大社下社秋宮が見えるはずはないのだが、仮に見えたとすると、南宮大社から夏至の日の朝に日の出を眺めると、諏訪大社下社秋宮がある方角から日が昇ることになる。

川村二郎『日本廻国記 一宮巡歴』河出書房新社(8705)によれば、『梁塵秘抄』の中に次のような歌謡がある。

≪南宮の本山は、信濃の国とぞうけたばる、さぞまうす。
 美濃の国には中の宮、伊賀の国にはおさなき、児の宮≫

信濃は諏訪大社、伊賀は敢国神社を意味する。
美濃が中の宮というのは、仲山の神社だから、と解説されている。

諏訪大社と南宮大社の結びつきは非常に強いものがあるように思われる。南宮大社の祭神である金山彦命は金属冶金に関わる神であるが、諏訪大明神も製鉄に関係する神であると言われている。また、諏訪大社も南宮と呼ばれる恵ことがあるが、12世紀に編纂された歌謡集 『梁塵秘抄』では「南宮の本山は信濃国」つまり諏訪大社であると記されている。
これらのことを考え合わせると、南宮大社が現在の位置に建てられた際に、諏訪大社の位置を考慮したのかもしれない。

http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/TZ/LL-SuwaKashima.html

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2011年11月13日 (日)

コンプライアンスとCSRと権力

大王製紙やオリンパスの株式が監理銘柄に指定されることになって、改めてコンプライアンスの問題が社会的に関心を集めている。
そんな折に、プロ野球の読売ジャイアンツで、コンプライアンスの問題をめぐる確執が表面化した。

プロ野球・読売巨人軍の清武英利球団代表は11日、東京都内で会見し、コーチ人事をめぐり、渡辺恒雄球団会長を「プロ野球の私物化」などと強く批判した。
読売巨人軍の清武球団代表は「巨人軍の『代表取締役』でもない『取締役会長』である渡辺氏が、オーナー職を突然、剥奪するというのは、会社の内部統制、コンプライアンスに大きく反する行為であると思います」と語った。
清武球団代表は会見で、来シーズンのコーチ人事について、岡崎ヘッドコーチの留任が10月下旬に決定し、すでに渡辺会長の了解を得ていたが、11月9日に突然、渡辺会長から「ヘッドコーチは、江川 卓氏にする。交渉も始めている」と、一方的に通告されたことを明らかにした。
・・・・・・
そして、巨人の桃井恒和球団オーナーも会見し、清武球団代表の突然の会見にショックを受けたことを明らかにした。
読売巨人軍の桃井球団オーナーは「きょうの会見について私を含めて、球団の誰もそういう会見があるということを承知しておりませんでした。残念というか、個人的にショックです。それから、専務取締役ですから、そういう人間が、代表取締役である私の知らないところでああいう形でやったというのは、とんでもない話だと思っています。まだ全然、今のところ彼の処遇についてどうするか決めていない。きょうの彼が独断で開いた会見については、『僕はかばうことはできないよ』ということは、彼に伝えました」と話した。

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00211385.html

これに対して、批判された渡辺会長は次のように反論している。

プロ野球、読売巨人軍の清武英利球団代表が、コーチの人事問題などをめぐり、渡辺恒雄球団会長を批判した問題で、渡辺会長が「清武代表の事実誤認」とする談話を発表した。
談話で、渡辺会長はコーチ人事について、クライマックスシリーズで惨敗した以上、多少の変更が必要と説明している。
そして、コンプライアンス違反とされたことに対し、「著しい名誉毀損(きそん)」と述べ、謝罪を求めるとしている。
一方で、清武代表から「GM(ゼネラルマネジャー)の仕事を続けさせてほしい」との要望があり、了解したとし、今後の対応は本人の反省次第で、現時点で直ちに処分を求めるつもりはないと述べている。

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00211438.html

清武球団代表は、渡辺会長の行為を「会社の内部統制、コンプライアンスに大きく反する行為」と批判し、渡辺会長はそれが「著しい名誉毀損」であると主張しているわけである。
どちらの言い分が理があるのだろうか?
読売ジャイアンツの場合、内部の統制がとれていないことはよく分かるが、コンプライアンスというのはいささか分かりにくい概念である。
コンプライアンスは次のように説明されている。

企業が経営・活動を行ううえで、法令や各種規則などのルール、さらには社会的規範などを守ること。一般市民が法律を遵守することと区別するために、企業活動をいう場合は「ビジネスコンプライアンス」ともいう。
もともとは1960年代に米国で独禁法違反、株式のインサイダー取り引き事件などが発生した際に用いられた法務関連の用語であるため、「法令遵守」と訳されることが多いが、英語のcomplianceは「(命令や要求に)応じること」「願いを受けいれること」を意味し、近年では守るべき規範は法律に限らず、社会通念、倫理や道徳を含むと解釈される。
企業を取り巻く法律や規則は、民法や商法をはじめ独占禁止法、不正競争防止法、労働法、消費者保護法など多数あり、監督官庁の命令・指導などもある。さらに、営業活動や市場競争の公正さ、消費者などへの情報公開、職場環境(過労死、セクシュアル・ハラスメントなど)、公務員や政治家との関係、証券市場における取り引きなど、多くの面で高い倫理(企業倫理)が求められるようになっている。
企業は、こうした多岐にわたる規則・規範を全役員・従業員が遵守し、もし違反行為があった場合には、早期に発見して是正できるマネジメント体制を作ることが求められる。また、業界慣行、社内ルールがより広い視点で法律や社会通念と相反していないかといった第三者的チェックも必要になるだろう。
コンプライアンスの重要性が叫ばれるようになった背景には、違法行為や反社会的行為を行って、消費者や取引先の信頼を失い、事業継続が不可能になる企業が頻発するようになったことがある。企業にとってコンプライアンスは、リスクマネジメント活動としてとらえられている場合が多いようだ。しかし、complianceの原義に戻って、社会からの信頼を高めるための戦略的活動として取り組んでいる企業もある。
さらに広い概念として、
CSRが知られる。
http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/compliance.html

一般的には法令遵守と解され、大王製紙やオリンパスの場合は、少なくとも適正な意思決定と会計処理が行われていなかったわけで、まさにこの意味でのコンプライアンスが問われている。
しかし、読売ジャイアンツの場合は、若干ニュアンスが違うようである。
感じとしては、企業として定めている業務分掌の規程に抵触しているか否かといった様子である。

企業統治、内部統制、企業倫理、リスクマネジメント、CSRなどの関連する概念との関係はどのように考えられているか?
下図のような説明がある。
Csr
http://www.dir.co.jp/publicity/column/060418.html

つまり、CSRが最も包括的な概念であるということになる。
企業の使命は、事業を通じて社会に貢献することである。そのためには、限られた資源を効率的に使用し、顧客にとっ て付加価値の高い製品・サービスを提供し続けなければならない。
実際的には、貸借対照表の制約の中で、損益計算書なかんずく営業利益を継続的に増大させていくことといえよう。

そのためには、企業統治などが必要条件となるということである。
内側の要素は外側のことを達成するための必要条件である。
つまり法令遵守は必要最低限の条件ということになる。

読売ジャイアンツの場合、内部の職務分掌などの事情はよく分からない。
プロ野球の熱心なファンでもないから、表面的な情報で言うしかないが、思い起こすのは江川卓氏の入団時の騒動である。
今回も清武氏は、「渡辺会長から「ヘッドコーチは、江川 卓氏にする。交渉も始めている」と、一方的に通告されたという。
当の江川氏は当惑している様子のようだが、部外者から見ると、「ナベツネさん、いい加減にしたら」という感じではなかろうか。

江川入団問題を振り返ってみよう。
高校時代「怪物」と呼ばれた江川卓が、熱望していた巨人に入団したいため、1973年の高校卒業時のドラフトの交渉を拒否し、法政大学へ進学した。そして大学卒業時にも交渉権を得た球団との交渉を拒否し続けた。
1年後の1978年、いわゆる「空白の1日」に巨人との契約を果たす。

野球協約には、「交渉権を得た球団はその選手に対し、翌年のドラフト会議前々日まで交渉権を持つ」と規定されていた。
ここで、「前々日」とされているのは、「前日」だと不測の事態に対応できない可能性があることを考慮したものだった。
それはいわば関係者の公然の了解事項だったが、文言だけをタテに契約を強行したのが、巨人-江川であった。

他の球団は契約は無効だとして予定通りドラフト会議を実施し、その結果阪神が交渉権を獲得したが、江川は交渉に入ることを拒否し続けた。
最終的にはコミッショナーの裁定によることになった。

指名権をとった阪神と、巨人の間でトレードを行う。4月7日の開幕日を待ったのでは遅すぎるから、2月1日のキャンプインまでにトレードを実現させる。このことはあくまでも特例のものだ。
その後、年が明けた1979年1月7日に阪神は江川サイドと初めて接触し、1月31日に契約。そして阪神は巨人に対し、交換相手として小林繁を指名。
キャンプイン直前に突然のトレード通告を受けた小林だったが、泣く泣く移籍を了承。2月1日に阪神・小津球団社長、巨人・長谷川実雄球団代表が出席のもと、江川と小林繁のトレードが発表された。
1979年のシーズン、怨念が後押ししたのか、小林は巨人戦に8連勝、17完投うち5完封の22勝をあげ、最多勝利投手、最優秀投手、沢村賞を獲得した。
一方、江川は6月2日に阪神を相手にプロ初登板。阪神はスタントン、若菜のソロホームラン、そしてラインバックの逆転3ランで、プロの洗礼を浴びせた。
http://www.tora-life.net/memories/memories4_19.html
悲劇のヒーローとなった小林は人気が上昇し、江川にはダーティなイメージが付き纏うことになった。

「空白の1日」は、コンプライアンスの視点からはどう考えるべきか?
協約の文言から外れているわけではない。しかし、関係者の合意には反する。
私は、表面的な文章の解釈によってトリッキーな行動に出たジャイアンツの行動を好まない。
ただ、高校卒業時から大学時代を経てジャイアンツへの入団を希望し、1年の浪人生活も厭わなかった江川には同情したい気持ちもある。
この事件について、小林繁投手が、一言も不満を言わなかったのは清々しかった。

一連の出来事で思うのは、「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する=Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.」という言葉である。
読売ジャイアンツの場合、渡辺会長が最高権力者であることはよく知られている。
大王製紙でもオリンパスでも、会長自身が不祥事の根源であった(らしい)。

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2011年11月12日 (土)

諏訪大社(5)レイライン/やまとの謎(44)

レイラインと呼ばれるものがある。

レイライン(ley line)は、古代の遺跡には直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説のなかで、その遺跡群が描く直線をさす。
Wikipedia

日本では、岸俊男氏による「聖なるライン」説が有名であろう。
⇒2008年1月 4日 (金):藤原京の立地
⇒2008年9月12日 (金):被葬者推論の条件…③地域の特性

あるいは、水谷慶一『知られざる古代―謎の北緯三四度三二分をゆく』日本放送出版協会(8002)で詳細に紹介・検討されている小川光三氏が発見した「太陽の道」である。
「太陽の道」は、大和の地に関連する寺社や古墳や山の山頂が、北緯34度32分の東西の一直線上に並んでいるというものである。

諏訪大社についても、レイラインが想定されている。
「諏訪-鹿島レイライン」である。
『古事記』の国譲り神話の当事者であるタケミナカタを祭神とする諏訪大社とタケミカズチを祭神とする鹿島神宮が、ほぼ東西線上に位置しているというものである。

Photo_8

鹿島神宮の西に諏訪大社があることも神話と繋がる。
タケミカズチノオノカミ(鹿島神宮)から見てタケミナカタノカミ(諏訪大社)は特別な日に日没と重なる。日没は冥界を意味し、出雲・熊野と同様に封じ込めを意味する。
更に鹿島神宮から見て冬至の日没は富士山山頂にほぼ重なる。
出雲神話と時代は違うが、ヤマトタケルの東征時に平定された豪族と信仰が封じ込められたのであろう。更に言うと、大和朝廷の黎明期は日本の中央部(近畿・中国)しか支配地域でなかった。その最前線にあたる場所に重要な神社が存在している。
または大和から前線の正確な位置がどの方角にあるか把握するために聖地を設けたことが神社建立の基礎になったのかもしれない。
更に白山-鹿島ライン上に諏訪山と諏訪町が存在する。そして諏訪から富士山を通ると三島大社がある。後年の諏訪信仰に繋がるのだが、民衆のささやかな抵抗かもしれないし、大和朝廷の結界なのかも知れない。
現在、諏訪町と富士山の間にはふじみ野市(埼玉県)や富士見市(埼玉県)がある。
つまり、諏訪町からも富士山の山頂が見えるということを意味する。これは太陽の通りではなく、見た目で結ばれたレイラインだ。

http://www.fujigoko.tv/mtfuji/vol6/

私などはこの程度の精度でも有意性があると思ってしまうが、もう少し厳密に検討すると以下のように言われている。

鹿島神宮と最も緯度が近い上社前宮でも北緯35度59分28秒であり、鹿島神宮本殿(北緯35度58分08秒)とは緯度にして1分20秒ほどの差異がある。緯度の1分の違いは約1800メートルのズレを生じることを考えると、やはり正確な一致とはいえないだろう。
・・・・・・
諏訪大社の上社のご神体とされる守屋山山頂の位置(北緯35度58分04秒)が、鹿島神宮の本殿の位置(北緯35度58分08秒)とかなり近い関係にあることがわかった。緯度でいうと、4秒ほどしか違わない。この差を距離に置き換えると、1秒の緯度の差は30メートルであるから、120メートル程度の違いしかないということになる。
・・・・・・
更に調べてみた結果、この守屋山-鹿島神宮のレイライン上には、下記の2つの神社が存在することがわかった。
まず、埼玉県上尾市愛宕1丁目の愛宕神社(北緯35度58分08秒)で、守屋山(北緯35度58分04秒)との緯度の差は約4秒である。
次に、埼玉県岩槻市諏訪4丁目3番地の諏訪神社(北緯35度58分10秒)があり、守屋山(北緯35度58分04秒)との緯度の差は約6秒である。この神社については若干誤差が多いため、参考までに記しておくに止める。
ちなみに、埼玉県下には諏訪神社が多く鎮座し、その数は80社以上である。地域的には、埼玉県全域に分布しているようだが、特に秩父市と秩父郡に多いようで、この地域へ諏訪から移住した人々がいたことを裏付けるものかもしれない。

http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/TZ/LL-SuwaKashima.html

現象的にはこのようなレイラインは確かに存在するとしていいだろう。
偶然の一致という以上であると考えられる。
しかし、その意味についてはどう考えたらいいのだろうか?

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2011年11月11日 (金)

TPPに対する野田首相の姿勢は疑問

私は社内文書で日付を入れる場合、西暦の年数を下2桁で表わして6桁表示で行ってきた。
2000年を迎えるとき、99から00になるので問題になった。いわゆるY2Kとよばれた問題である。
このブログでも、基本的には同じ方式で表示している。
それだと今日は、111111というまことにキリのいい日ということになる。

だからと言って、例えば今日の日付のキップを買って記念にとっておく、というような趣味はない。
私の若い知人に、わざわざ婚姻届を今日出すと言っている人がいるが、まあ「お好きにどうぞ」という感じである。
ところが中国では事情がちょっと異なるようである。

中国では2011年11月11日の午前11時11分に役所の“婚姻登記処(婚姻登記所)”に結婚届けを提出しようと計画しているカップルが多いという。早い人は10月初旬に婚姻登記所に11月11日の結婚届けの予約をしたし、11月11日が近づくにつれて当日の届け出に関する問い合わせの電話が急増し、婚姻登記所はその応対に忙しいとメディアは報じている。
21世紀に数字の「11」が3個も並ぶのは2011年11月11日の1日だけであり、その3個の「11」は“一男一女(生涯1人の男と1人の女)”、“一生一世(一生離れない)”、“一心一意(一途に愛して心をほかに向けない)”を表すのだという。午前11時11分に提出すれば、さらに「11」が2個加わるから最高なのだそうで、この時刻の結婚届け提出を狙うカップルは多いらしい。

世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」

ところで野田首相は、今晩環太平洋経済連携協定(TPP)交渉参加に向けて関係国と協議に入ることを記者会見で表明した。
もともと昨晩行う予定だったものを、与党内の慎重派(反対派)の勢いが想定以上に強かったため、一晩寝かせることになったのだという。

TPPについてさまざまな議論が交わされているが、私は考えを決めきれないでいる。
私ばかりではなく、著名コラムニストの小田嶋隆さんも同様のコメントを書いている。

自分ながら確たる結論を持っていないにもかかわらず原稿を書かねばならないケースは、私のようなタイプの書き手にとって、珍しい出来事ではない。日常茶飯事と言っても良い。
〆切は毎週やってくる。が、私の頭脳は、週に一個ずつ結論を提示できるだけの生産性を備えていない。
結果、当欄のテキストは、毎回、行きつ戻りつを繰り返しながら、旗幟鮮明な言説を打ち出せぬまま、狸の落ち葉みたいな読後感を提供するにとどまっている。
それでも、ウェブ上の原稿が優柔不断だからといって、国民生活に壊滅的な被害が及ぶわけではない。
コラムニストは、結論発行業者ではない。むしろ、迷妄と雑念を業とする者だ。であるからして、結論にたどりつけなかった経緯を率直に書いて、それが芸風として成立しているのなら、とりあえずはOKということになる。甘い稼業だ。

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明

私は稼業としてブログを書いているわけではないので、小田嶋さんよりもずっと気楽な立場である。
自分の日記・感想に他人に対する責任は皆無であろう。
そんなものをなぜ公開するのか?
不遜のように聞こえるかも知れないが、それも私の勝手ではないかと思う。

小田嶋さんは、上掲文で、賛否両論のエッセンス(?)を描写してみせているが、私には、推進派(賛成派)の言い分も、慎重派(反対派)の言い分も、もっとものような気がする。
しかし案件の性格からして、折衷案はあり得ない。

厄介なのは、この問題にわかりやすい妥協点が無いところだ。
二つの相反する立場の人々が二つの相異なった主張をぶつけあっている場合、普通は、当面の解決策として、双方の主張の中間あたりで、妥協できるポイントを探ることになる。
・・・・・・
が、TPPには、妥協点が無い。というのも、参加と不参加の間には、有効な立ち位置が存在しないからだ。強いて言えば、「付帯条件を山ほど持ち込みながらの参加」「途中で離脱する構えを見せながらの半身の参加」「未練たらたらの不参加」といった感じの選択が無いわけではないが、それらは、どっちにしても、良い結果に結びつかない。

まったくその通りだと思う。
しかし首相とすれば、何らかの形で結論を出さざるを得なかったのだろう。
野田首相の描いていたシナリオは、党のプロジェクトチームで明確に参加すべしという結論が出て、それを踏まえて政権としての判断を示すということだったようだ。
つまり首相として結論はすでにあったということだ。

ところが、プロジェクトチームの結論は、どちらかといえば「参加に慎重」というニュアンスだった。
野田首相はハナから前向きだったように見受けられたが、それを無視しての参加表明はできないという判断になったのだろう。
しかし、一晩おくことで何が変わるのだろうか?

あたかも幕末の鎖国を続けるか、開国に踏み切るべきかの論争のようである。
とすれば、TPP参加が開明的であるかのような感じがするが、コトはそう単純ではないと思う。
これだけ立場が割れている問題に対して拙速に結論を出そうとする姿勢が問題ではないのか?
増税の問題も同様である。結論ありきで、その前にやるはずの問題が先送りされていないか?

今まで、声高に議論されている割に、内容は深化していないように感じられる。
TPPの問題でも民主党は政策がまとまっていず、政党の体をなしていない。
早く解散総選挙を行って世論に問うべきだろう。

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2011年11月10日 (木)

アシモの動きをリハビリに応用できないか?/闘病記・中間報告(36)

ホンダが、二足歩行ロボット「アシモ」を4年ぶりに改良して、8日発表した。
実にスムーズで細やかな動きである。

Photo_4
http://youtu.be/jQhTs8hfnzk

アシモの開発は、いかに人間の動作を再現するかを目指して行われたという。
ロボットという言葉はチェコの作家カレル・チャペックの造語である。
チェコ語の「rebota=働く」に由来するといわれる。
⇒2010年5月23日 (日):「恐竜の脳」の話(4)山椒魚

動作は基本的に脳によってコントロールされている。
脳細胞の壊死した脳血管障害患者が後遺症に悩まされるのも、脳の回路が失われてしまっているからで、それ自体は再び回復することはない。
リハビリによって獲得できるのは、代償的な回路であるといわれている。

ロボットは人間の動作を再現しようとして開発される。
だとすれば、ロボットの研究から脳の仕組みの一端が理解できるのではないか?
そういう視点での研究も進んでいるらしい。
⇒2010年6月30日 (水):ロボットによる脳進化の理解

特に、運動と認知機能が劇的に発達する生後9カ月の時期に乳児がどんな感じ方をするか、どんなふうに好奇心を持つかなどを調べるシミュレーションのための乳児型ロボット=Nobyさえ開発されている。
開発責任者の大阪大学大学院の浅田稔教授によれば、「人間の学習・発達メカニズムの深い理解につながる」のではないか、と期待される。
⇒2010年6月27日 (日):赤ちゃんロボットと認識の発達過程

アシモはすでに、身体障害者から見れば、羨ましいほどの運動能力を獲得している。
とすれば、ロボット開発に際して工夫された諸技術をリハビリに応用できないだろうか?
例えば、手指で物を操作することは、健常者にとってはごく単純な動作であるが、麻痺者にとっては難しい動作である。
NHKの放送で大きな反響を呼んだ川平和美鹿児島大学教授は『片麻痺回復のための運動療法―促通反復療法「川平法」の理論と実際』医学書院(1005)で次のように書いている。

手指と肩の細やかな運動を支える高い情報処理を行う運動野と、それを伝える運動性下行路が必要となる。

私の場合、指を広げることが未だに困難である。
今年の年初に、今年中に何とかジャンケンができるようになりたいと願った。
⇒2011年1月 4日 (火):ジャンケンができるように-今年の目標/中間報告(19)
残念ながら現況では目標未達で終わりそうである。

指が肩や肘の運動と分離できない。
自然な動きのためには、指、肩、肘の運動の分離が必要なのであるが、アシモは自然に行っているように見える。
あるいは、走る、という行為ができない。
赤ちゃんは、2足歩行ができるようになると、いつの間にか小走りしている。
走ることも、下肢のさまざまな部位が協調と分離を精妙に行っているはずである。

人間の動作をまねるロボットをまねることによって、麻痺から回復できないか?
アシモの走る姿を見て、依然として走ることができない障害者の素人考えではあるが、少しでもリハビリに活用できれば社会的意義は大きいであろう。

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2011年11月 9日 (水)

オリンパス経営陣は何を守ろうとしたのか?

「オリンパスよ、お前もか」と呟きたくなった人は多いのではないか。
財テクの失敗隠しのためのさまざまな仮装が報道されている。

オリンパスといえば、一般生活者にとってはカメラメーカーであろう。
銀塩時代、PENの愛称で知られるハーフサイズのカメラは、フィルム代を節約したい者にとっては、携帯に便利なことと相まって、あり難い製品だった。
デジタルカメラも、高倍率ズームの割に廉価で、最初に購入したのがオリンパス製品であった。
内視鏡などの医療分野で高いシェアを占めている。成人でお世話になったことのない人は少ないのではないか?

オリンパスは8日、不透明さを指摘されていた過去の買収案件が、有価証券への投資で生じた損失を解消するために使われ、損失の計上を1990年代ごろから先送りしていたと発表した。粉飾決算は長期にわたる可能性が高く、上場廃止は避けられない情勢。マイケル・ウッドフォード元社長の解任で幕を開けた騒動は、巨額の不正経理発覚にまで発展した。一方、オリンパスが英領ケイマン諸島の投資ファンドを使い、損失穴埋め資金を捻出していたことが、フジサンケイビジネスアイが入手した内部資料などで分かった。
Photo

http://www.sankeibiz.jp/business/news/111109/bsc1111090501001-n1.htm

「飛ばし」「先送り」は、山一証券や日本長期銀行などにおいてお馴染みの構図である。
⇒2008年7月19日 (土):旧長銀粉飾決算事件
問題にされた長銀の決算期は特殊で微妙な決算期であった。
日本の銀行の経理処理の基準が、統一経理基準から企業会計原則に統一される移行の過渡期であった。
結果的に長銀の粉飾決算の不法性は否認されたが、もちろん問題がなかったわけではない。
⇒2009年1月26日 (月):長銀粉飾決算事件再考
⇒2009年1月27日 (火):長銀粉飾決算事件再考②

オリンパスの場合はどうか?
疑問に思う第一は、なぜ今まで、ということである。
金融会社だけでなく、カネボウやそごうのような、超一流の評価を欲しいままにしてきた事業会社が、粉飾が発覚して消えて行った。
堤防の決壊もアリの一穴から生ずる。
最初は小さな穴が、粉飾することによってより大きな穴になる、というのは一般則であろう。
おそらくオリンパスも、財テクの失敗を素直に損失として計上すれば、会社の存立に係わるような問題にならなかったのではないか。

疑問の第二は、余りに古典的な図式ではないか、ということである。
ケイマン諸島のペーパーカンパニーやベンチャービジネスというのは、「いかにも」ではないか?
解任されたマイケル・ウッドフォード元社長ならずとも、疑惑の匂いを感じとるはずである。
一流企業にしては、稚拙すぎないか?

同時に、「なぜ、マイケル・ウッドフォード元社長を社長に選任したのか?」も疑問である。
開示資料によれば、ウッドフォード氏は、4月1日づけで社長に就任しているが、その時点では取締役ではなく執行役員だった。
取締役選任は、6月の定時株主総会においてである。
不自然であろう。
あるいは事情に感づいた優秀な幹部は退職してしまって、窮余の一策だったということであろうか?
ともあれ外国人が社長になってはじめて不祥事が公然化したというのも、幸なのか不幸なのか?

疑問の第三は、監査役や監査法人は機能していたのか、ということである。
同社には、2人の常勤監査役と2人の社外監査役がいる。
同社の会計監査人は、平成21年の定時株主総会時に、あずさ監査法人から新日本有限責任監査法人に変更になっている。
新日本有限責任監査法人は、東京電力の監査について、次のような批判を受けている。
会社から報酬を受ける監査役や監査法人には限界があるということもあろう。

6月24日付朝日新聞経済面のコラム「経済気象台」のタイトルは、「監査人は市場の番人なのか」でした。
このコラムでは、新日本有限責任監査法人が東京電力に対して出した「無限定適正意見」に対する厳し批判でした。
「東電は、東証の規則で上場が認められた民間会社である。会計監査が義務づけられ、監査人は2011年3月期の決算書を全面的に肯定する適正意見を出した。しかし、今回は適正か不適正かではなく、「意見不表明」とする事例ではないか。これが意見不表明に該当しないのであれば、もはやこの制度がいらない、と思えるほどだ」
というコメントが主張の中心だが、全くその通り。
東電のHPに掲示されている事業報告の「独立監査人の監査報告書」の追記情報には、「継続企業の前提に重大な疑義が生じあせるような状況が存在している」と書いてある。
「継続企業の前提に重大な疑義が生じさせる状況が存在している」にもかかわらず「無限定適正」とは、支離滅裂な論理。
会計士の職業倫理や矜持はどこに行ってしまったのでしょうか?
http://blogs.yahoo.co.jp/takamaru1155/35259522.html

こうなると、オリンパスの社会的責任(CSR)が問題になってくる。
同社のサイトには、CSRについて次のように説明している。

オリンパスグループのCSR活動とは、社会からの要請・期待に応え、その義務・責任を果たすことです。「Social IN」という言葉をつくる以前から、オリンパスは、さまざまな形で社会に貢献してきました。しかし、私たちはそれだけでよいとは考えていません。事業環境は刻一刻と変わっていきます。オリンパスが共有すべき社会の価値観も徐々に変わっていきます。また経営者や従業員も入れ替わっていきます。
そのなかで、従業員やその家族、お客さまやお取引先、株主、さらには地域や社会といったステークホルダー(Stakeholder:企業活動を行ううえでかかわる人や組織)に対しての責任を果たすことによって初めて、オリンパスという企業の存続が認められ、「人々の健康と幸せな生活の実現」に貢献できます。

Photo_2
http://www.olympus.co.jp/jp/corc/csr/olycsr/philosophy/csrapproaches/

言うは易く、行うは難し。
CSRもその例であろうが、ここはじっくりと再考すべきだと思う。
投資家の不信を買ったオリンパスの株価はまたたく間に低落している。
Photo_3

苦しい時に財テクで少しでも利益を補填しようという発想は理解できるし、時に必要でもあろう。
しかし、原点は、本業を通じての社会貢献であろう。
営業利益こそ、企業の社会的評価の最も端的な指標ではないのか。
オリンパスの経営陣は、一体何を守ろうとしたのであろうか?

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2011年11月 8日 (火)

三島北高校筝曲部のチャリティコンサート

JR東海の三島駅の北側に、県立三島北高校がある。
1901年、田方郡立三島高等女学校として創立された。旧伊豆国の領域では第一の女学校であったといえよう。
その伝統は今に生きていて、三島市や旧田方郡部の才媛たちが集っていた。

卒業生に、今は俳人としての活躍が目立つ富士真奈美さんや「渡る世間は鬼ばかり」などに出演していた長山藍子さんなどの女優がいる。
私の知り合いの女性も何人かいるが、不思議と美人揃いである。
数年前に共学となって女学校としての歴史に幕を下ろしたが、私などの世代では胸をときめかす学校であった。

女学校の伝統ということもあるのだろうが、筝曲の部活動は活躍が目覚ましい。
高校の文化部の全国大会に、全国高等学校総合文化祭がある。
今年は8月に福島県で開催された。
津波と原発により大きな被害を被った直後であったが、その「ふくしま総文」で三島北高校筝曲部が見事に第1位となった。

県立三島北高箏曲部(三島市文教町)が今夏、福島県内で行われた第35回全国高校総合文化祭日本音楽部門で、最優秀賞の文部科学大臣賞に初めて選ばれた。全国1位は県勢としても初の快挙。28日には上位入賞校が演奏披露できる高文祭優秀校東京公演(文化庁など主催)に参加し、あこがれの東京・国立劇場の舞台を踏む。
http://www.47news.jp/localnews/shizuoka/2011/08/post_20110827101949.html

その優勝を記念して、チャリティコンサートが行われた。
Photo_3
チケットの売り上げは全額被災地へ寄付される。
会計報告によれば、22万円程度の売り上げがあったようだ。

曲は同校の1年生が間宮芳生作曲「四面の筝のための音楽」、2年生が石桁真礼生作曲「筝のための組曲」を演奏した。
優勝メンバーの3年生は国立劇場での演奏を最後に引退して殆どの生徒が受験勉強モードに切り換えているそうである。
1年生はこの間まで中学生だったわけで、初々しさが目立った。
2年生になるとさすがにぐっと落ち着きを増したように感じられた。

客演として同部を指導している山田流筝曲演奏家・草間路代さんによる「古典邦楽の世界」の演奏が行われた。
曲目は以下の通り。
中能島欣一作曲・島崎藤村作詞『新潮』
八橋検校作曲『乱輪舌』
吉澤検校作曲『千鳥曲』

『新潮』も『千鳥曲』も歌が重要な要素となっている。
一種の弾き語りともいうべき趣である。
初めての体験で興味深く聴くことができた。

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2011年11月 7日 (月)

諏訪大社(4)地質構造とパワースポット/やまとの謎(43)

諏訪大社と地質構造の関係で言えば、いわゆるパワースポットの問題が欠かせないだろう。
パワースポットはWikipedia では以下のように解説されている。

荒俣宏は、「パワースポットは大地の力()がみなぎる場所と考えればよい」と述べ、そもそもパワースポットという言葉こそは新しいが、昔から大地の力を得ようとする試みはあった、と指摘した。荒俣は日本で言えば「熊野三山詣で」がとても古い事例であると説明した。荒俣は、本来なら厳しい修験を行ってはじめて得られる力を、その場所に詣でるだけで得られる、身分性別を問わず得られる、という画期的なものであったとし、ただし何の宣伝もなしに人を集められるわけではなかったので言い伝えが用いられた、同様に伊勢神宮にお参りする「お伊勢参り」でも「修験者しか得られないパワーを性別身分を問わず得られる」と宣伝した、と説明した。 All Aboutでは、パワースポットやスピリチュアルスポットなどと呼ばれるようにもなった場所も、本来は信仰の場であって自然崇拝が行われていた場であったところが多い、とされている。 そういう場所は伝統的に霊場とか聖地sacred placeなどの呼称で呼ばれていた。

神社仏閣などが、上記のような意味でパワースポットと縁が深いのは理解できる。
しかし、「大地の力」は、たとえば中央構造線のような地質構造とどのように関係しているのだろうか?
下図を見てみよう。
Photo

黄色の線が中央構造線、青色の線が糸魚川-静岡構造線(フォッサマグナ西端)です。
白い破線は、伊勢から分かれたもう1本の断層帯とみられるものです。◎は主なパワースポット。
中央構造線のさらに西の線上には、阿蘇山、幣立神宮といったパワースポットが位置しています。

http://bungui.fineup.net/landsat.html

上の図に「さらに西の線上」は以下のようになっている。

Photo_2
大分県の国東(くにさき)半島と佐賀関(さがのせき)半島の間を通ることは確かです。 大分市南方の大野川流域では、中生代末期の堆積岩に覆われていて、地質のつながりが分からなくなっています。
九州中央部では、阿蘇山の下にかくれています。
熊本南方や天草の古い岩石が、中央構造線のどちら側に属するものなのか、見方が分かれています。長崎の野母半島や彼杵半島の古い岩石の素性も分かっていません。
大野川付近で南へ回り込み、臼杵(うすき)と熊本県八代(やつしろ)を結ぶ「臼杵-八代構造線」につながるという考えと、そのまま「大分-熊本構造線」につながるという考えがあります。

http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/subindex03.htm

幣立神宮については以下のように言われている。

熊本の宮崎との県境そば、九州のほぼ中央に位置し、高天原神話の発祥の地として「高天原・日の宮」とも呼ばれる神社です。分杭峠と同様に中央構造線の上にあり、特殊な磁場をもつパワースポットです。
由緒や由来ははっきりしませんが、神漏峡命、神漏美命、大宇宙大和神などを祀っています。鬱蒼とした森のなかに社殿があります。
本殿の裏手を登ったところにある東御手洗には清水が湧いていて、ここに八大龍王が鎮まるといいます。よいエネルギーが満ちています。
ここにはペトログラフ、あるいは神代文字などもあるとし、にわかに注目されている聖地です。アクセスが不便なこともあり観光的にはあまり知られていませんが、パワースポットとしてはよく名の挙がる神社です。

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http://www.tabibun.net/powerspots/f/43/1961.php

私自身は、有名なパワースポットの分杭峠でも特段の感覚を得ることはなかった。
気の霊地らしいOrcas Islandを訪ねたときに、風光の美しさに惹かれはしたが、同行者が「いま、気が渦を巻いている」と自分の頭上を指差した時も、残念ながら感じることはできなかった。
⇒2010年5月16日 (日):「恐竜の脳」の話(3)ホリスティック医学の可能性

私は、「大地の力()がみなぎる場所」の存在を否定するものではないが、それは地質だけではなく、森林の発するフィトンチッドや滝の近くなどに存在するマイナスイオンなどの総合された効果ではないだろうか。

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2011年11月 6日 (日)

諏訪大社(3)地質構造と鉱物/やまとの謎(42)

諏訪湖は、中央構造線と糸魚川静岡線という2つの重要な地質構造線が交わったところに位置する。
諏訪大社の上社の本宮・前宮、下社の春宮・秋宮の4宮の位置と構造線の関係は下図の通りである。

4
上社と下社のそれぞれが中央構造線と糸魚川静岡構造線とが交わった付近に建てられていることが判ります。
そしてタケミナカタが出雲の国から、どの様にこの諏訪の地に至ったかというと、一つは、
大鹿村にある伝承のように、一旦出雲から太平洋側にでたタケミナカタが天竜川をさかのぼりながら大鹿村にいたり、この地にしばらく逗留したあと、諏訪に入ったという話があります。すなわち諏訪湖の南側から中央構造線をたどってきたことになります。
もう一つは、諏訪の北方、上田の地にある、
生島足島神社の伝承ではタケミナカタは出雲からこの地に至り、一旦この地に留まったあと諏訪に向かったということになっています。
すなわち諏訪湖の北側から中央構造線をたどってきたことになります。

http://www.geocities.jp/tyuou59/suwataisya2.htm

つまり北上説と南下説であるが、どうやらいずれかが正しいというわけではなく、両方から流入したということのようである。
古代出雲は荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡で知られるように、金属器が発達していた1つの中心であったと考えられる。
金属器は地質構造と関連性が深いであろう。

中央構造線と鉱物資源の関係については以下のような解説がある。

Photo_2
中央構造線卑(ママ)近の鉱物資源をみてみると、四国では有名な別子銅山、吉野から伊勢にかけては伊勢白粉で有名な水銀、豊橋では愛知県の天然記念物である高師小僧とよばれる褐鉄鉱がとれました。
諏訪湖近辺では古代の鉄遺跡が見られますし、安中は鉱山ですし、少し南は今でも石灰を採掘している秩父武甲山があり、東の筑波山付近には古代の鉄遺跡が見受けられます。

http://www.geocities.jp/tyuou59/kouzousen.html

岐阜に、金山彦という金属神をまつる南宮大社という神社がある。

金山彦大神を主祭神にまつり、全国の鉱山、金属業の総本宮として古くから信仰を集めている。江戸時代の神社建築の代表的な遺構18棟が国の重要文化財に指定されている。
南宮大社Wikipedia

諏訪大社の別名として南宮神社がある。

別名を南宮とも言い、諏訪大社、南宮大社敢国神社の3社は何らかの関係がある様で、諏訪大社を本山、南宮大社を中の宮、敢国神社を稚(おさな)き児の宮と呼ぶという。
諏訪大社Wikipedia

タケミナカタに象徴されるのは、金属を扱う集団ということらしい。

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2011年11月 5日 (土)

諏訪大社(2)出雲から諏訪へのルート/やまとの謎(41)

諏訪大社の主祭神タケミナカタは、『古事記』の上巻(神話)の登場人物である。
『古事記』にはどんなことが書かれているか?
神野志隆光『古事記 (21世紀によむ日本の古典 1) 』ポプラ社(0104)の「あとがき-『古事記』のおもしろさ」には次のように書かれている。

世界としてのはじまりから、それがなぜ天皇のものとしてあるか、さらに、どのようにして天皇による秩序が、大八島国とよばれる日本列島のすみずみにおよんだのか、そして、天皇のもとに、世界がどのようにして、より満ちたりたものとなってうけつがれてきたのか。その全体はまさしく天皇の世界の物語です。

大八島の支配の始まりがいわゆる「国譲り」の神話である。

出雲の有名な国譲りは、高天原の神々が、オオクニヌシに葦原中つ国の支配権を譲るように迫り、ついに承諾させるというものです。国譲りは、もちろんあっさりとスムーズに行われたのではありません。
高天原から、最初は天穂日命(あまのほひのみこと)が、次には天稚彦(あまのわかひこ))が国譲りの交渉役に遣わされますが、どちらもオオクニヌシに従ってしまって、高天原に帰ってこない。そこで武甕槌神(たけみかつちのかみ)と天鳥船神(あまのとりふねのかみ)(『日本書紀』では武甕槌神と経津主神(ふつぬしのかみ))が遣わされ、稲佐の浜に剣を突き立てて国譲りを迫るというものです。
オオクニヌシは、ふたりの息子に意見を求めようとします。すると、釣りに出ていた事代主神(ことしろぬしのかみ)は国譲りに承諾しますが、もうひとりの息子、健(ママ)御名方神(たけみなかたのかみ)は反対します。
そこで、健御名方神と武甕槌神の間で力競べが行われ、オオクニヌシの息子が敗れてしまいます。そのために、とうとう国譲りが実行されるのです。敗れた健御名方神は諏訪まで逃げ、その地に引き籠もって諏訪神社の祭神になったとされています。
いずれにしても、これは国譲りという説話になってはいますが、実際は、剣を突き刺して迫り、そのあげく力競べをするというように、武力で奪い取った色彩が強い。いわば、オオクニヌシが造りあげた国土を天孫族が武力で奪っているわけです。

http://www2.odn.ne.jp/~cic04500/yamatai11.html

言ってみれば、タケミナカタは、天孫族に対する抵抗勢力であった。
抵抗空しく諏訪まで逃亡したわけであるが、どういうルートを辿ったと考えられるか?
齋藤盛之『一宮ノオト』思文閣出版(0212)には、古代諏訪へのアクセスの経路として、下図が示されている。
Photo_4

同書では、タケミナカタの敗走経路には、天竜川筋北上説と姫川または信濃川南下説があるが、南北双方から数次の流入があったということであろう、とまとめている。
Yahoo知恵袋には、「諏訪大社の上社には大国主命の子が祀ってありますが、出雲大社とはどんな関係になっていますか」というQに対するAnswerの中に、次のような記述がある。

神話を歴史事実として、大国主命(出雲)~沼河姫(高志)~姫川~建御名方命(諏訪)とする考え方は否定的で、伊勢~天竜川~諏訪へのルートを取った金刺氏が建御名方命を取り込んだという説が有力とされる
大和岩雄・諏訪の神と古代ヤマト王権 より抜粋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310686273

「なぜ諏訪か?」に対しては、以下のような解説がある。

今井野菊によれば諏訪に伝わる古い伝説に石への信仰がある。ご神体を「みじゃくじ」と呼び、石神井(しゃくじい)もその系譜だと言う。尖った石がご神体で、諏訪地方が信仰の中心だが、遠く関東の東京都練馬区石神井まで影響があった。ところが越(こし)の神様と戦争して破れたと言う。ただ政権は奪われたものの神社は存続し信仰は継続したようだ。(今井野菊「神々の里ー古代諏訪物語」:国書刊行会)。これについては中沢新一「精霊の王」(講談社)でも言及されている。
これとは別に
天照大神から国譲りを要求された出雲の大国主神は結論を息子たちに任せ、息子の一人事代主神(コトシロヌシ)は国譲りに同意した後、海に入り(自殺)、もう一人の息子建御名方神(タケミナカタ)は国譲りを拒否して長野県の諏訪まで逃げ、そこで追ってきた建御雷神(タケミカズチ)に平定される。なぜタケミナカタは出雲から諏訪まで逃げたのか。これはいかにも唐突ではないか。
古田武彦はこう説明する。出雲には国引き神話が残っている。出雲は国が小さかったので新羅を始め越や他の地方から綱と杭で国を引いてきた。このことの意味は、金属器が伝わる前(石器時代)に新羅や越の国を領土にしたことの反映だと言う。道具が綱と杭だから石器時代の話なのだ。
これらのことから、国譲りが行われた時には、越は
出雲の支配下にあり、諏訪はその越の支配下にあったことが想像できる。諏訪は出雲の配下だったのだ。そう考えると出雲から諏訪にタケミナカタが逃げ込んだのも不思議ではなくなる。
http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20070522/1179786109

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2011年11月 4日 (金)

臨界と自発核分裂/「同じ」と「違う」(34)

福島第一原発2号機で放射性キセノンが検出された。
原因については、:臨界の可能性もあると考えられる。
⇒2011年11月 2日 (水):2号機で再臨界?/原発事故の真相(11)

東京電力は臨界ではなく、自発的核分裂だという見解を発表すると共に、原子力安全・保安院に報告した。

Photo福島第一原子力発電所2号機で、核分裂反応が起きた時にできる半減期の短い放射性物質「キセノン135」が検出された問題で、東京電力は3日、「臨界ではなく、自発核分裂だった」と説明した。
東京電力は、キセノン135が福島第一原発2号機から検出されたことについて、核分裂が連鎖的に起こる臨界の可能性が否定できないとして、詳しく調査していた。
3日の会見で、東京電力は、「臨界が起きるにはキセノン135の濃度が今回の1万倍以上は必要」などとして、臨界ではなく、通常の原子炉停止状態でもみられる自発核分裂だと判断したと説明した。

http://news.livedoor.com/article/detail/5994502/

その判断根拠は以下の通りだとしている。

東電は自発核分裂と判断した根拠として、溶融した燃料内のキュリウム242や244という物質が散発的に核分裂を起こしてできるキセノンの量を推定すると、今回の検出結果と合うことや、臨界が起きた場合は1万倍以上の濃度で検出されるはずだと指摘。
継続的な核分裂の発生に必要な中性子を吸収するホウ酸水を入れても、なおキセノンが検出されたことや、原子炉の温度、圧力に異常な変化がないことも挙げた。

日本経済新聞111104

臨界とは核分裂反応が継続して起きることをいう。
⇒2011年9月20日 (火):原発と原爆/「同じ」と「違う」(32)
制御しないと爆発的に核分裂が進行する。
この反応を適切に制御しながら進行させるのが原発である。
自発的核分裂の解説は以下の通りである。

自発核分裂はその名の通り原子核分裂反応と全く同じ物理過程であるが、中性子やその他の粒子による衝撃を受けることなく分裂が始まる点が通常の核分裂と異なっている。陽子が多く中性子があまり多くない核種では陽子同士に働くクーロン力の影響で原子核全体が不安定な状態にある。このような原子核が量子力学的な揺らぎによって自発的に核分裂を引き起こす過程が自発核分裂である。自発核分裂では他の全ての核分裂反応と同様に中性子が放出される。そのため、臨界量以上の核分裂性物質が存在する場合には自発核分裂が核分裂の連鎖反応を引き起こしうる。また、自発核分裂が崩壊モードの中で無視できない確率で起こる放射性同位元素中性子線源として用いられる。この目的ではカリホルニウム252(半減期2.645年、自発核分裂分岐比 3.09%)がしばしば用いられている。このような線源から放出される中性子線は、航空貨物に隠された爆発物の検査や建設業界での土壌の水分含有量の測定、サイロに貯蔵された物資の湿度の測定、その他様々な用途に使われている。
Wikipedia

良く分からない解説と言うべきだろう。
臨界量以上の核分裂性物質が存在する場合には自発核分裂が核分裂の連鎖反応を引き起こしうる」ならば、それは「臨界」とどう異なるのか?
新聞の解説には以下のような図で説明されている。
Photo_3
静岡新聞111104

2号機の現状については次のように説明されている。

2 2号機の核燃料は事故で冷却水がなくなって溶け、原子炉圧力容器の底や、その外側の格納容器の底に漏れてたまったと推定されている。
東電は、燃料が特定の形になったり、燃料冷却に伴い水温が下がり水の密度が増えたりすると、臨界が起こりやすくなると説明。一方で臨界に至らないまま核分裂が起きている可能性もあるとした。

http://www.47news.jp/47topics/e/222005.php

圧力容器や格納容器の底に溜まっていると推測される燃料の「量」の問題ということであろうか?
まあ、いわゆる臨界には至っていないということであろうが、どうも分かりにくいという印象は否めない。

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2011年11月 3日 (木)

諏訪大社/やまとの謎(40)

諏訪の観光資源の1つとなっているのが諏訪大社である。
今まで諏訪は、松本や霧ヶ峰・美ヶ原などへ行く際に通過するといった感じで、諏訪大社も尋ねたことがなかった。
タケミナカタノミコトを祀る神社で、何年かに一度の「御柱祭」は死者も出る、というくらいの認識しかなかった。

今回、時間があったので諏訪大社を尋ねた。
神社ファイルというサイトの諏訪大社の項によれば、概略以下のような神社である。

『古事記』にも登場するわが国最古の神社のひとつ。御鎮座は有史以前で明らかでない。全国に一万以上あるといわれる諏訪神社の本源。社格は信濃国の一之宮。上社と下社に分かれ、更に上社は前宮と本宮、下社は春宮と秋宮があり、2社4宮で構成される。

Wikipedia によれば、末社は2万5000社に及ぶ。
諏訪湖の南側に上社:本宮・前宮の2宮、北側に下社:春宮・秋宮の2宮があり、計4つの宮から成る。
それぞれ社殿の四隅に御柱と呼ぶ木の柱が立っている。
4宮の位置図は下図のようである。
Photo_3
齋藤盛之『一宮ノオト』思文閣出版(0212)

諏訪湖は標高が高い(水面標高759m)から結氷する。
自然現象であるが、上社にいるタケミナカタが妻のいる下社にわたる道といわれる。

Photo_4
年により、その氷の厚さが10cm以上になり、零下10℃程度の冷え込みが数日続くと、湖面の氷が大音響と共に山脈のように盛り上がる「御神渡り」が見られます。これは、気温の上下に寄って氷が膨張と収縮を繰り返すことによって複雑なメカニズムで起きる自然現象なのですが、何年かに一度、最高50cmもの高さで湖岸から湖岸まで数kmに渡り「氷の道」ができる光景は不思議なものです。諏訪大社上社の男神が下社の女神のもとへと渡る恋の道である、というロマンチックな言い伝えがあり、今も神官が御神渡りかどうかを認定する拝観式が行われます。
http://www.mtlabs.co.jp/shinshu/event/omiwata.htm

もっとも近年は、温暖化と水質汚染の影響で結氷は少なくなっている。

ところで、タケミナカタノミコト(建御名方命)はオオクニヌシノミコト(大国主命)の息子で、出雲の国譲りでタケミカズチノミコト(建御雷命)との勝負(力比べ=相撲の起源とされる)に敗れ、諏訪の地まで逃げてきたとされる。
なぜ諏訪を選んだのか?
どういうルートだったか?
タケミナカタ以前の諏訪はどういう状況だったのか?
独特の御柱はどういう意味を持っているのか?
諏訪大社をめぐる謎は多い。

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2011年11月 2日 (水)

2号機で再臨界?/原発事故の真相(11)

東電福島原発の2号機で放射性キセノンが検出された可能性があると報道されている。
キセノンは、希ガス元素の一種であり、ランプに使われるという程度の知識しかなかった。

東京電力は2日、福島第一原子力発電所2号機の格納容器から吸い出しているガスからキセノンと見られる放射性物質を極微量検出したと発表した。
キセノン133は半減期約5日、同135は半減期約9時間と非常に短いため、原子炉内で一時的に小規模な臨界が起きた可能性があるとしている。東電の松本純一・原子力立地本部長代理は2日の記者会見で、「原子炉への冷却は進んでおり、大きな影響はない」と述べた。東電と政府は、原子炉を安定的に冷却する「冷温停止状態」の年内実現を目指しているが、今後慎重な判断を迫られそうだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111102-00000173-yom-sci

Photo_2
核分裂反応が継続する状態が臨界である。
⇒2011年9月20日 (火):原発と原爆/「同じ」と「違う」(32)
収まっていた核分裂反応が再び起きている?
キセノンの放射性同位体は、原子炉中の燃料棒の亀裂から放出した核分裂ガスまたは冷却水中の核分裂したウランから比較的高濃度で見られるという(Wikipediaキセノンの同位体)。

2_2
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111102-00000035-mai-soci

誤検出の可能性もあるとのことなので、余り大騒ぎしたくはないが、政府・東電に基本的なところで不信感がある。
2号機の異常についても曖昧な説明だった記憶がある。
⇒2011年10月 2日 (日):2号機の真実は?/原発事故の真相(9)

また、以前から再臨界は起きていた、という説もある。

実は公的機関が発表している放射線量の数値で、不可解な動きが計測されているのだ。それは、7月末から8月にかけて発生した放射線量の大幅な上昇。3月の事故直後から、事態の深刻さをネット上での論文発表などで訴え続けてきた日沼洋陽工学博士はこう解説する。
「私は福島第一原発1~3号機のいずれかで、メルトダウンした核燃料が連鎖的に核分裂する『再臨界』が発生し、4月以降では最大量の放射性物質が施設外へ漏れ出したと考えています。時期は7月28日から31日頃と、8月19日から21日頃の2回。放射物質の大量流出は、発表数値が実際よりも低めではないかと疑われている東京都や横浜市の線量測定データからもはっきりと読み取れる科学的事実です」
http://wpb.shueisha.co.jp/2011/09/12/6900/

政府・東電は、説明の透明性を高めるべきではないか。

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2011年11月 1日 (火)

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』/私撰アンソロジー(11)

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今年の「節電の夏」は、照明というもののあり方を再考させたように思う。
商業施設やオフィスなどの多くが、照明を落としていた。
街灯なども暗くしているところがあったが、防犯上どうなのだろうか?
高出力の照明用LED等も開発されており、街灯用にも試験済みだと聞いている。
街灯や信号灯などは、取り替えに要するコストが大きい。
寿命の長いLEDランプは、これらの用途にこそ先ずは使われるべきだろう。

それにしても計画停電実施中は落ち着かない日々だった。
久しぶりにローソクの用意などもした。
「明るさ」は文明の象徴でもあるだろう。

というような夏だったからであろうか、NHKテレビの「トラッドジャパン」の9月号のテーマの1つに「日本のあかり」が取り上げられている。
Photo_3
The hallmark of traditinal Japanese lamps is that they illuminate the room ever softtly.
日本の伝統的なあかり、それは空間をほのかに照らすことに特徴がある。

Photo_4 
上の写真のようなモノクロームの美は、日本人の多くが共有するところだろう。
イタリア人の色彩感覚も見事なものだとは思うが、生活するとなると和風が好ましい。
蛍光灯は明るいけれど陰影という点では物足りない。

お酒はぬるめの 燗がいい
肴はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり 灯りゃいい
……

矢代亜紀の唄う『舟歌』(作詞:阿久悠、作曲:浜圭介)であるが、「灯りはぼんやり 灯りゃいい」という感覚は、原子力エネルギーの利用の増大と共に失せていったのだろうか?
日本の原子力の利用は、サンフランシスコ講和から動き出すから、まさに戦後体制と表裏一体であった。
⇒2011年5月19日 (木):核エネルギー利用と最終兵器//『ゴジラ』の問いかけるもの(3)
とすれば、、「灯りはぼんやり 灯りゃいい」というのはノスタルジーに過ぎないのか?

日本人の「和のあかり」に対する嗜好については、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』が有名だ。
初出は、「経済往来」昭和8年12月号・9年1月号である。
月刊「カーサ ブルータス」1109号で、「今年の夏の必読書!」として特集されている。
現代美術作家・杉本博司氏は、特集の中で次のように言っている。

僕は時々、「暗さ」がドライビング・フォースとなって、この文明を育てたのではないかと考えることがあります。電気のない時代は、暗くなったらもうやることがないわけですから、哲学について思いを巡らせたり、暗い空を脳髄のスクリーンとして、未知の観念を映し出していた。そうした思索の時間として存在していたはずの夜を、人工光が殺してしまいました。以来、人間の想像力が減衰し続けた結果、「想定外」の原発事故に至ったのです。

松明の明かりの下で演じられる薪能なども、明るさと暗さのコントラストによって、観客の想像力を刺激するもののようだ。
⇒2011年10月 9日 (日):三保松原で薪能を観る
照明はエネルギー問題であると同時に、人間の想像力の鍛え方の問題でもあるようだ。

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