五所平之助/私撰アンソロジー(8)
五所平之助といえば、一般には映画監督として知られる。
日本初のトーキー映画[マダムと女房」(1931)の他、1933年の「伊豆の踊子」、1947年の「今ひとたぴの」、1954年の「大阪の宿」、1957年の「挽歌」などの名作を残している。日本映画史に燦然と輝く監督といえよう。
「挽歌」は原田康子のベストセラーの映画化であるが、私の妹は、亡くなる前にこの本を読みさしていた。
五所平之助には、もう一つの顔があった。
「五所亭」という俳号をもつ俳人としての顔である。
作歴からいえば俳人の方が長い。
久保田万太郎の主宰した「春燈」の同人だった。
遺作となった『句集生きる』永田書房(8102)の扉に、辞世の句が飾られている。
花朧ろほとけ誘う散歩道
長く三島市に住み、水と緑に恵まれた街を愛し、多くの市民と交流したようだ。
三島市民と一緒に作った『「わが街三島」−1977年の証言』が最後の映画監督作品である。
そんな縁もあって、三島市内の菰池の一隅に句碑が建っている。
http://www.winky-japan.info/mizube.html
合掌す三島ざくらの満ち咲けば
三島桜は、市内にある遺伝学研究所で生まれた。三島市の市の花である。
市の花「三島桜」は、昭和26年国立遺伝学研究所で染井吉野の起源を知るためのひとつの方法としてその実を集め、第1回目の実生実験をしました。
そして、これが成長開花した中に1本の美しい桜を生じました。
ときあたかも三島市の新庁舎が竣工したときであったので、これを記念して「三島桜」と命名しました。
http://www.city.mishima.shizuoka.jp/ipn001136.html
五所さんは、「句作のための三ヶ条」として次を挙げた。
・俳句は美しくなければならない
・俳句は見えなければならない
・俳句は平明でなければならない
まさに映画監督ならではであるが、分かり易い条件といえよう。
私は、何人かで「選句遊び」と称する遊びをしたことがある。
ある人の編んだアンソロジーを母集団として、その中から自分のお気に入りを各人が選ぶ。
その選択の異同を比べあう、という趣向である。
⇒2007年8月22日 (水):選句遊び
⇒2007年10月15日 (月):「選句遊び」余談
その時、選句という一見受け身の行為に、その人の人柄・性格・考え方などが反映することを理解した。
レベルを別にて言えば、虚子の「選は私の創作」という言葉の一端に触れた思いがしたともいえる。
⇒2007年10月16日 (火):虚子の「選句創作」論
以下、勝手にピックアップする。
17歳で夭折した娘に関連すると思われる句が胸を打つ。
また、伊豆・天城に対する強い愛着も窺えよう。
これは、五所さんが1933年に田中絹代主演で『伊豆の踊子』を撮ったこと、一時期現在の伊豆の国市に住んだことがあることが関係していよう。
最後の句は、伊豆の山中のリハビリ病院に入院していた時の私の実感でもある。
例年になく雪が多かったようで、4月になっても積雪があった。
そんな日は、今はリゾートの伊豆も、昔は流刑地だったことを思ったりした。
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