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2011年10月29日 (土)

猿橋の「用」と「美」と「レジリエンス」/花づな列島復興のためのメモ(10)

民芸などで、「用」と「美」ということが言われる。
あるいは、「用の美」。
柳宗悦らによって発見された新しい美。日本民藝館のサイトから引用しよう。

下手物(げてもの)とは、ごく当たり前の安物の品を指していう言葉として、朝市に立つ商人たちが使っていたものであった。この下手物という言葉に替え、「民藝」という言葉を柳をはじめ濱田や河井たちが使い始めたのは、1925年の暮れである。「民」は「民衆や民間」の「民」、そして「藝」は「工藝」の「藝」を指す。彼らは、それまで美の対象として顧みられることのなかった民藝品の中に、「健康な美」や「平常の美」といった大切な美の相が豊かに宿ることを発見し、そこに最も正当な工芸の発達を見たのであった。
http://mingeikan.x0.com/about/yanagi-soetsu.html

それは、日常使用しているものにも美はあるのだ、ということであろう。
「用」は役に立つということである。
機能という言葉に近いが、機能美とはどう違うのか。
以下のような説明がある。

ところが、この「用の美」をいわゆる機能美として理解してしまうと間違いです。

ここに「用」とは単に物的用という義では決してない。  柳宗悦『工藝の道』

と柳さんは述べています。そして「唯物的用と云うが如きは概念にすぎない」として、同時に、「「美だけ」ということが、唯心的空虚であるのと同じである」とも言っています。

用とは共に物心への用である。物心は二相ではなく不二である。  柳宗悦『工藝の道』

不二とは、もとは仏教用語で、相対的でないことを指します。日常的、世間的、人間的な認識では相対立して現れる事柄が、仏教の高度な理解においては統一して捉えられることを示しています。
つまり、物心への用は、2つの異なる相ではなく、おなじ統一された用であると柳さんは言っているのです。
これが機能美でないのは明らかです。
そもそも機能は決して用ではありません。それはモノの側、システムの側の働きを示すのみであって、必ずしもそれが人の用を満たす働きになるとは限らないのは、世の中の多くの製品を思い出せばすぐにわかります。
http://gitanez.seesaa.net/article/108754313.html

いささか分かりづらい。
しかし、木の橋として有名な「猿橋」を眺めていて、「用」と「美」という言葉を思い出した。
この場合は、機能美という方が相応しいかも知れない。
Web

錦帯橋、木曽の桟(現存せず)と共に日本3奇橋と称されている猿橋は、旧甲州街道を横切る桂川の渓谷が最も幅を狭めたところに架けられていた木橋である。昭和59年に架け替えられた現橋は、鉄骨を主要構造材として用い、外側に木版を貼り付けた鉄骨木装構造であるが、見かけ上の構造形態は、1851年当時のものを極力忠実に再現したものとなっている。
猿橋が最初に架けられたのがいつごろであるかは定かでないが、聖護院道興が残した旅日記「回国雑記」で、猿橋は高くて危険なこと、架け替えの際の奇妙な仕組みに言及していることから、彼がこの地を通過した1486年には既に存在していたと言える。木橋であるが故に耐久性に欠けるのは致し方なく、これまでに幾度となく架け替えが行われ、現在に至っている。

http://www.infra.kochi-tech.ac.jp/fujisawa/jsce/saruhashi/index.html

Web_2

猿橋の魅力はその構造だ。
橋のある場所は、両岸が切り立った「地の裂け目」というようなところで、そのはるか下を桂川が流れているが、当然これでは橋げたを設けるわけにはいかない。
そこで考え出されたのがこの構造。つまり、まず岸から短い角材(はね木)を突き出す。この角材を支えにして、その上にそれより長い角材を突き出す。さらにそれを支えにして、もっと長い角材を上に突き出す・・・。これを両岸から行い、最後にその上に橋の本体を乗せる、というものだ。
ま、こう説明すれば単純なのだが、鉄骨もワイヤーもない時代、この構造を考えつき、実現させた技師の英知に思いを馳せれば、ここはやはり「名橋だ」と思うのである。
Photo_4

http://homepage2.nifty.com/yosanroom/nippontabi_saruhasi.htm

Web
一種の組物と呼んでいいのだろうが、創意工夫の具体化である。
木の橋としては蓬莱橋が長さを誇る。
⇒2011年7月17日 (日):代通寺の蓮の花と大井川の蓬莱橋
今年の台風12号、15号で橋脚の一部が流失した。
上記の説明のように、木橋は耐久性に欠けるが、それは致し方ないとして、復元しやすいことがメリットといえよう。

東日本大震災の後、「レジリエンス」という概念が注目されている。
藤井聡『列島強靱化論―日本復活5カ年計画 (文春新書)』(1105)では次のように説明している。

つまり、まとめていうなら、「天変地異を乗り越える」ために必要なのは、
①致命傷を避ける
②「傷」を小さくする
③「傷」を早く回復する
という3つの条件だ。我が国がどんな危機に対しても、この3つの条件をもつことができるなら、我が国は、極めて「強靭な国」だということができよう。
ここで、この「強靭さ」という言葉を英訳すると「レジリエンス」(resilience)という言葉になるのだが、これは「弾力性」ということを意味している。ところが、「1強靭」という言葉は、しばしば、全く「弾力性」をもたない「強固」という言葉と混同されてしまう場合もある。

「レジリエンス」を考えるには、制約条件の多い中でソリューションを考え出した古人の知恵に学ぶことが重要な気がする。
温故知新である。

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