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2011年10月27日 (木)

大木実『湖』/私撰アンソロジー(9)

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諏訪湖の近くにセカンドハウスを構えた友人を訪ねた。
湖畔のレストランで美味しいフランス料理をご馳走になった。
食事をしている間に景色は夕暮から夜景に変わっていった。
対岸の灯火が美しい。
Photo
http://suwako.shinshu-a.com/ 23:00頃

私が、「詩」というジャンルに関心を持ち、自分から求めて接したのは中学生の時だったと思う。
最初は藤村や上田敏の訳詩だった。
そのうち、中原中也や立原道造の詩がいいと思うようになり、自分でも真似して作ってみたりしたが、才能の無さは直ぐに自分で分かった。

大木実は、いまやほとんど忘れられた詩人といっていいだろう。
Wikipediaで検索しても、同姓同名の俳優は載っているが、詩人の記載はない。

大木実(大正2~平成8/1913~1996)東京生まれ
大正2年、5月東京本所(墨田区)で生れる。柳島尋常小学校卒業。
7歳で母を亡くす。電気工の父の意に沿い、神田の電気学校入学、のち中退。事務員、工員などの職を転々とする。若い頃より、犀星・朔太郎・佐藤春夫など、抒情詩に親しむ。
16歳で、犀星『愛の詩集』に、衝撃を受けて詩作を開始。「牧神」「冬の日」などの同人誌に参加、作品発表。尾崎一雄の知遇を得、砂子屋書房に勤務。
昭和14年、26歳、同社より、処女詩集『場末の子』刊行。抒情的で日本的な生活や土壌、人間にねざした詩風を評価される。
昭和16年、結婚、同年海軍の兵役に従事。
昭和17年より、第二次「四季」(同人:三好達治、丸山薫、堀辰雄ら)同人となる。西洋的叙情を主流とした「四季」において、大木の作品は異彩を放ち、杉山平一とともに重要な詩人の一人とみなされる。 詩集『故郷』序に、高村光太郎が「今の世にこれほど素直な、ありのままな詩 を見るのは珍しい。しかもそれが正しい技術によってゆるみなき表現を持ち、おのずから人間生活の深い実相と感動とを人にさとらしめる」との一文を寄せる。戦前から、戦後まで、精力的に詩作をつづけ、詩集を刊行。
昭和21年、28歳で、ベトナム・サイゴンより復員。詩集『初雪』は、当初19年に刊行予定だったものが、空襲で焼け、同年刊行となる。復員後は、埼玉に居を定める。
児童出版社勤務ののち、昭和23年より昭和50年まで、大宮市役所に宮仕えをしながら、詩作をつづける。病気と貧乏とで、厳しい生活環境だった。詩作品においては、己の生活、家族のひとりひとりをうたったもの、地元の風景、などがたびたびモチーフとなる。
昭和57年、埼玉文化賞受賞。
平成4年に『柴の折戸』で第10回現代詩人賞受賞。
平成8年4月17日。享年82。生涯に遺した詩集の数、およそ20冊。

http://pippo-t.jp/newpage133.html

上に掲げた作品は、初心の頃のお気に入りで、諏訪の友人を訪ねることになった時、記憶の底から浮かんできた。
この詩人は、難しい言葉を使うことなく、詩想を見事に定着させている(と思った)。
ちなみにシュトルムの『みずうみ』は次のような物語である。

夕べの散歩から戻って来た、一人の老人が月の光に浮かんだ一人の女性の肖像画を目にして、若い日々を回想することから話が始まります。
ラインハルトとエリーザベトは仲の良い幼友達でした。ラインハルトは上の学校へ進むため、遠くの都会へと旅立って行きます。その地の学生生活が楽しく、エリーザベトへの便りも忘れています。エリザベトはラインハルトの友人でもある、資産家の息子エーリッヒからプロポーズを受け、母親の強い勧めで結婚しました。数年後、ラインハルトはエーリヒに招かれ、湖のほとりの館におもむきます。これを知らぬエリーザべトはラインハルトの出現に平静を保つのがやっとでした。ラインハルトはエーリヒの工場や農場を見物したり、館の周辺を散策したりして時をすごします。ある晩のこと民謡の収集をしているラインハルトは乞われるままに集めた民謡を披露していると、なかに「母の願いは」という詩がありました。母の希望で愛する人から去り、心ならずも嫁ぐことになった娘の心情を歌ったものです。これを読んだエリーザベトはこらえきれずに、そっとその場をはずします。後を追うようにして外に出たラインハルトの目に、湖に浮かぶ白いスイレンの花が目にとまります。この花に近づこうと泳ぐのですが、花に近づくことができず、虚しく岸に戻ります。この館に滞在するうち、エリーザベトへの愛に気づいたラインハルトは、二人だけになったおり、それとなくやり直せないものかと問うのですが、やんわりと避けられてしまいます。ラインハルトはこの時、永久にエリーザベトを失ったことを知り、翌朝エリーザベトの「もう戻ってこないのね」という言葉にうなずき、館を去って行きます。
老人が我に返ると、部屋には月の光も消え、暗くなっていました。ただ、老人の目には暗い湖上に寂しく咲く白いスイレンが映っているのでした。

http://homepage3.nifty.com/storm-japan/immensee01.html

現実の諏訪市は、セイコー-エプソンの本社ならびに主力工場のある工場都市として発展してきたが、諏訪湖や諏訪大社などを主資源とする観光都市としての顔も持っている。

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