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2011年10月31日 (月)

伊都國について/魏志倭人伝をめぐって

福岡市の元岡・桑原遺跡群で、銘文が象眼で刻まれた鉄製の大刀が出土して注目されている。
⇒2011年9月24日 (土):福岡元岡古墳出土の大刀と日本の暦/やまとの謎(38)

元岡・桑原遺跡群の位置は、魏志倭人伝に書かれている伊都國の場所である。
Photo
http://mpv21hiro.blog75.fc2.com/blog-entry-824.html
伊都國は、倭人伝に登場する国々の中でも重要な国の1つである。
『魏志倭人伝』には、次のように記されている。
東南陸行五百里 至伊都國。官曰爾支 副曰泄謨觚・柄渠觚。有千余戸 丗有王 皆統属女王國。郡使往来常所駐(『魏志』倭人伝)
原文のおよその意味は、「(末廬國から)東南へ陸を500里行くと、伊都國に到る。そこの長官を爾支(にし、じき)といい、副官は泄謨觚(せつもこ、せつぼこ)・柄渠觚(ひょうごこ、へいきょこ)という。1000余戸の家があり、世に王があり、みなは女王國に属する。帯方郡(たいほうぐん)の使者が往来する時、常にここにとどまる。」ということである。

伊都国は朝鮮半島中央部の西海岸にあった、帯方郡の支配を受けていたことが「魏志倭人伝」から窺える。支配と言っても、実際の統治は伊都国の王が行っていて、帯方郡からは役人が派遣され常駐していたと言われる。帯方郡は、西暦238年から中国の魏の支配下に入ったため、3世紀の半ば頃からは倭人を巡る国際関係は一変したと言う。

『魏志倭人伝』の中で王が居たと明記されている倭の国は伊都國と女王國と狗奴國で、他の国々には長官、副官等の役人名程度しか記されていない。

漢字のの字は「神の意志を伝える聖職者」、あるいは「治める人」の意を表す。都は「みやこ」の意味だが…。
Wikipedia伊都國

通説(多数説)は、末盧國=松浦半島唐津付近、伊都國=糸島半島と考える。
Photo
http://www.iokikai.or.jp/kodai.itokoku.html

もちろん伊都國の所在地についても異説がある。
⇒2009年1月 6日 (火):珍説・奇説の邪馬台国・補遺…⑥「田川郡・京都郡」説(坂田隆)
⇒2009年1月 7日 (水):珍説・奇説の邪馬台国・補遺…⑦「宇佐移転」説(澤田洋太郎)

しかし、「週刊朝日111007」の足立倫行氏の連載「倭人伝を歩く3」の『女王国の中核は伊都国と奴国』では、2007年11月の発掘調査により、唐津市の桜馬場遺跡が末盧国の王墓と推定されたことで、末盧国=唐津市がほぼ確定したとある。
とすれば、伊都國=糸島説も確定ということになるのだろうか?

問題は次の一文である。

東南陸行五百里、伊都国に到る

坂田隆氏は、「倭人伝の行路記事で最も肝要な部分は、末盧国から伊都国への方向を述べた部分である」としている。
通説では上図に見るように、末盧国から伊都国へは、東南ではなく東北の方向である。
これをどう考えるか?

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コメント

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投稿: HartJana | 2012年1月28日 (土) 07時08分

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