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2011年10月10日 (月)

辛亥革命百年と中山・孫文

一部に死亡説も流れていた江沢民前中国国家主席が、辛亥革命100周年の記念祝典に姿を現した。

北京の人民大会堂の中国の辛亥革命100年を記念する式典に、手を振りながら自ら歩いて壇上に登場。付き添いの助けを借りながらも、胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席の隣に座り、健在を示した。
江氏は7月1日の中国共産党創立90周年の式典を欠席した際は死亡説も飛び交った。中国国営新華社通信は「全くの流言にすぎない」と否定したが、複数の中国筋や外交筋は危篤に陥ったとしていた。

http://www.asahi.com/international/update/1009/TKY201110090069.html

死亡説に立っていた産経新聞は次のように弁明している。

中国内外で取材した結果、本紙は、病気療養中だった江氏が「6日夕、北京市内の病院で死去した」とする情報を有力な日中関係筋などから得ました。一方で、北京からは、江氏の入院先とされた人民解放軍総医院(301病院)に目立った変化がないなど、「死去」に否定的な情報が入ってきていました。
東京編集局で情勢を全般的に分析した結果、江氏が「死去」したと判断し、7日の号外(電子版)と大阪本社発行の夕刊で、「江沢民氏が死去」と報道しました。あわせて、関係者が「脳死」と話していることも伝えました。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/111010/chn11101001400000-n1.htm

結果的に産経新聞の報道は誤報だった。
中国の情報管制がそれなりに機能していることの傍証であろう。
ところで辛亥革命の発端となったといわれる武昌蜂起は100年前の10月10日だった。
辛亥革命は、高校の頃世界史の授業に出てきた記憶があるが、すっかり忘却の彼方である。

辛亥革命とは?
簡単におさらいをすれば

1899年に義和団が蜂起。これが北京に及んで外国の公使館の領域を侵略したため、西洋諸国は連合軍を派遣してこれを退けましたが、戦乱のため西太后たちも一時期北京から避難するほどの騒ぎになり、政体は極めて弱体化しました。更にこの義和団事件に関する西洋諸国との議定書(辛丑条約)により、清朝は莫大な補償金の支払いまで課せられます。
1905年には孫文が日本で中国革命同盟会を結成します。そして1908年には、西太后及び幽閉されていた光緒帝が相次いで病死します。そして皇統は光緒帝の甥である宣統帝(1906-1967,在位1908-1912,溥儀)に受け継がれました。
辛亥革命(第一革命)はこのような状況の中で勃発し、蜂起は全国に波及して各地で省の独立宣言が相次ぎます。そして1912年中華民国が成立して、孫文が臨時大総統に就任しました(2月に袁世凱に交替)。まだ6歳の幼帝・溥儀は訳も分からないまま退位ということになり、清朝は滅亡しました。
その後溥儀は戦乱の中やがて日本軍に満州国皇帝に祭り上げられ、戦後は戦犯としてソ連に抑留され、文革にも翻弄され、最後は一介の植木職人としてその生涯を閉じるという波乱の人生を送ったことは周知の通りです。
さて革命の方は中華民国成立の翌年1913年に第二革命によって袁世凱が孫文を排斥。孫文は日本に亡命します。

http://www.ffortune.net/social/history/china-sin/singai-kakumei.htm

1911年の干支が辛亥であった。
上記の引用に見るように、辛亥革命を主導したのが孫文であり、日本とも縁が深い人物である。
孫文が中山という号を用いたことはよく知られている。
偶々先日訪台したときのホテルが中山北路にあったのだが、この中山路は孫文に由来するといわれる。
⇒2011年9月29日 (木):おそるおそるの台湾渡航/中間報告(31)

それでは孫文の中山号の由来は何か?
中嶋峰雄氏の今日の産経新聞「正論」に以下の記述がある。

「中山」を冠した場所や建物は数多くあるが、孫文が東京・日比谷の宿屋に名を秘して泊まった際、通りがかりに見た表札の「中山」を使ったのがそのいわれである
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111010/plc11101002590001-n1.htm

ふ~ん、そうだったのか。

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