北杜夫さんを悼む/追悼(15)
「どくとるマンボウ」 こと北杜夫さんが、24日亡くなった。
ユーモアあふれる“どくとるマンボウ”シリーズや、大河小説「楡家の人びと」で知られる作家、芸術院会員の北杜夫(きた・もりお、本名・斎藤宗吉=さいとう・そうきち)氏が、24日死去した。
84歳だった。告別式は親族で行う。
近代短歌を代表する斎藤茂吉の次男として東京に生まれた。旧制松本高を経て東北大医学部に進学。卒業後の1954年、初の長編「幽霊」を自費出版した。
60年には、水産庁の調査船に船医として半年間乗った体験をユーモアを交えて描いた「どくとるマンボウ航海記」を発表。「昆虫記」「青春記」などマンボウものを出版して人気を博した。
同年、ナチスと精神病の問題を扱った「夜と霧の隅で」で芥川賞。64年には斎藤家三代の歴史を描いた「楡家の人びと」を刊行、毎日出版文化賞を受けた。「さびしい王様」など、大人も子供も楽しめる童話でも親しまれた。「青年茂吉」など父の生涯を追った評伝で98年、大仏次郎賞を受けた。http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20111026-OYT1T00081.htm
私が『どくとるマンボウ航海記』中央公論社(1960)を読んだのは、高校3年の夏休みだった。
田舎の進学校(?)の私の高校では、当時、3年の夏休みの過ごし方にいくつかのパターンがあった。
夏休みをどう過ごすかが、大学の合否の上で決定的に重要だ、と多くの教師が煽った。事実、夏休みをどう過ごすかによって、学力に違いが出るのだろうな、と高校生なりに理解していた。
パターン1は、東京等の予備校の主催する夏期講習に参加することである。
これは、東京滞在の費用も含めて結構な額になる。
私のような母子家庭で、日本育英会から特別奨学金の貸与を受けていた者には望むべくもなかった。
パターン2は、学校の図書室で自習することである。
通常の学校生活の延長であるからやりやすい反面、メリハリがつけ難いだろうな、と思われた。
特に私のように周囲に知人がいるだけで学習モードに入りにくい者には、疑問だった。
パターン3は、自宅学習である。
夏休みの本来的な過ごし方ともいえる。
しかし勉強部屋の独立した家屋ならともかく、わが家はとても快適な環境とは言い難かったので、できれば自宅外を望んだ。
パターン4は、お寺等の一室を借りてそこで生活することである。
私は、気の合う友人と2人でこのパターンを選んだ。
当時、私の姉の勤め先の幼稚園の本業(?)がお寺で、そこの本堂を食事付きで貸してくれた。
基本的には、受験勉強をしたはずである。
当時は確か「4当5落」などと言われ、睡眠時間4時間ならば合格するが、5時間とると落ちるなどと言われた。
何時間寝たかは忘れたが、1日12時間位の学習時間はとったように思う。
しかし夏の甲子園の県予選の母校の試合などの応援にも行ったので、丸っきり受験勉強漬けというわけではなかった。
その受験勉強の息抜きに『どくとるマンボウ航海記』を読んだのだ。
面白くて、気になりながら一気に読了してしまった。
私が持参した記憶はないので、友人が持ってきたものかお寺に置いてあったものだと思う。
同書が出版された年の芥川賞を『夜と霧の隅で』により受賞して話題になっていたはずであるが、それまで触れたことがなかった。
北杜夫さんの本名の斎藤宗吉からも窺えるように、父が歌人として有名な斎藤茂吉、精力剤を売る自称「窓際OL」として、週刊誌のエッセイなどでお馴染みの斎藤由香さんは娘である。
ここにも血脈ともいうべき遺伝子の流れを感知できよう。
⇒2007年12月 7日 (金):血脈…①江国滋-香織
⇒2007年12月 8日 (土):血脈…②水上勉-窪島誠一郎
ペンネームについては以下のような説明がある。
ペンネームは文学活動を開始するにあたり、“親の七光り”と陰口を叩かれることを嫌い、茂吉の息子であることを隠す意図で用い始めた。杜夫の由来は仙台(杜の都)在住時、心酔するトーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』(杜二夫)にちなんでつけたという。本人の談では、まず北の都に住んだので、「北」とつけ、「杜二夫」ではあまりに日本人離れしているので、「杜夫」にしたということである。その後順次「東」、「南」、「西」と、ペンネームを変更するつもりだったが、「北杜夫」で原稿が売れ始め、ペンネームを変更すると、出版社との契約等で支障があると判明し、そのままになったらしい。
Wikipedia
躁うつ病に罹患していたが、エッセーなどでその病状をネタにしていた。対象化することで乗り越えようという意図があったのではなかろうか。
同じときに読んだもので、もう1冊記憶に残っている本がある。
小田実『何でも見てやろう』河出書房新社(1961)である。
50年近く昔、遠い青春の1コマであった。
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