純文学と大衆文学/「同じ」と「違う」(33)
純文学と大衆文学という区分けがある。
芥川賞は純文学で、直木賞は大衆文学だ、というようなことも言われる。
ある「Q&A」のサイトで、「純文学とはなにか」というQに対して、下記のようなアンサーが寄せられていた。
辞書で「純文学」調べると
>じゅんぶんがく 3 【純文学】
(1)大衆文学・通俗文学に対して、読者に媚(こ)びず純粋な芸術をめざした文学作品。
(2)哲学・史学を含む広義の文学に対し、美的形成を主とした詩歌・小説・戯曲などの類。
とあります。
私も、「純文学」とは“純粋に小説としての芸術性を追求している作品”だと解釈しています。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/660343.html
つまり、純文学に対比すべきものとして、大衆文学・通俗文学がある、という説明である。
大衆文学・通俗文学は、読者に媚びるものであって純粋に芸術性を追求していないが、純文学は読者に媚びていない?
そもそも読者に媚びるとはどういうことか?
純文学は読者のことなど眼中にないのか?
鑑賞者不在の芸術などということがあり得るのか?
そもそも、純と大衆が対比的に使われていることが疑問ではないか?
純の対立概念は、不純か非純というのならば分からなくもない。
しかし、それでは「大衆≒不純」ということになってしまいそうである。
消費社会論との関係で、大衆に対置すべき概念が話題になったことがある。
電通の著名なプロデューサー・藤岡和賀夫氏が『さよなら、大衆。―感性時代をどう読むか』PHP研究所(8401)を書いて口火を切った。
“大衆”の時代―物質的な豊かさを目標に、消費者が共同歩調をとった時代は、耐久消費財の普及とともに終焉を迎えた。いまや、人々は“自分らしさ”を求め、「感性」を消費や行動の判断基準とする、“少衆”の時代に突入した。本書は、時代のブーム仕掛人として、広告業界の第一線で活躍する著者が、「少衆の時代」のマーケティングを明快に説きあかしたものである。
つまり藤岡氏は、「かたまり」としての大衆に対して、それを構成するより小さな単位に着目し、「少衆」という概念を提出した。
一方、博報堂生活総合研究所は『「分衆」の誕生―ニューピープルをつかむ市場戦略とは』日本経済新聞社(8501)を出した。
同じ(ような)事象を「分衆」という言葉で表現したのである。
大量生産・大量販売・大量消費を旨とするマスマーケティングを成立させてきた主体は、同質の価値観を持つ「大衆」だった。これに対し、1980年代前半から「小衆」「分衆」といった、消費者個々の価値観に焦点を当てた概念が提唱され、90年代には「個衆」というキーワードも登場した。商品やサービスの選択肢が増え、個人の嗜好(しこう)に応じた消費が可能になってきたことや、「自分探し」「自分らしさの追及」が注目されてきたこと、さらにはケータイやインターネットといったITの発達に助けられ、個人が情報発信の拠点となってきたことが、その背景にある。ここに至って、もはや「大衆」は死語になった感すらある。
http://adv.asahi.com/modules/keyword/index.php/content0001.html
マーケティングの世界では「死語になった感すらある」といわれている「大衆」概念であるが、文学の場では健在なのだろうか。
先ごろ五木寛之さんが、夕刊紙「日刊ゲンダイ」の『流されゆく日々』という連載コラムで、『「純文学」と「大衆文学」』について書いていた(8793回(110921掲載))。
五木さんは、一般的には芥川賞を受けたものは純文学で、直木賞は大衆文学ということだろう、といいつつ、次のようにいう。
埴谷雄高は純文学で、吉川英治は大衆文学。そこには、はっきりした区別があった。井伏鱒二さんは純文学でしょう? ときかれれば、当然そうです、と答える。松本清張さんは大衆文学ですか、と質問されれば、おおむねそうでしょう、と言う。しかし、井伏鱒二は、直木賞作家である。『ジョン萬次郎漂流記』で第6回の直木賞を受けている。
一方、松本清張は芥川賞作家だ。一九五二年に『或る「小倉日記」伝』が受賞して文芸ジャーナリズムに登場した。
まあ、五木さんも書いているように、純文学の『伊豆の踊子』のように、広く国民に読まれている作品もある。
「幅広い国民」を大衆といわずして、何が大衆か。
五木さん自身、直木賞作家としてスタートした。五木さんの前後の受賞者は以下の通りである。
Wikipedia直木三十五賞
確かに、直木賞作家は多くの読者を得る人が多いようだ。
しかし、それは「読者に媚びた」結果であろうか?
必ずしもそうは言えないのではないか。
「大衆⇒少衆・分衆⇒個衆」というトレンドを認めるとして、個衆の時代における大衆文学をどう考えるのか?
ちなみに、2011年上半期のフィクション分野におけるベストセラーは以下のようであった。
http://www.honya-town.co.jp/hst/HT/best/harf.html#02
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