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2011年10月 2日 (日)

2号機の真実は?/原発事故の真相(9)

フクシマの事故において、1~3号機で水素爆発が起きた、と今まで考えられていた。
⇒2011年6月23日 (木):西村肇さんの水素爆発に至る過程の推算/原発事故の真相(2)
それを東電自身が覆したらしい。

福島第一原子力発電所の事故を巡り、東京電力が社内に設置した「福島原子力事故調査委員会」(委員長=山崎雅男副社長)の中間報告案の詳細が明らかになった。
2号機で水素爆発があったとする従来の見解を覆し、爆発はなかったと結論付けた。事故を招いた津波について「想定できなかった」と釈明し、初期対応の遅れについても、「やむを得なかった」との見解を示すなど、自己弁護の姿勢が目立つ。東電は、社外有識者による検証委員会に報告案を諮った後、公表する方針だ。
同原発では、1号機の原子炉建屋が3月12日午後に水素爆発を起こしたのに続き、14日午前に3号機が水素爆発した。さらに15日早朝、爆発音が響き、4号機の建屋の損傷が確認された。爆発音の直後に2号機の格納容器下部の圧力抑制室の圧力が急落したため、東電は2、4号機でほぼ同時に爆発が起きたとし、政府も6月、国際原子力機関(IAEA)に同様の報告をしていた。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111001-OYT1T00929.htm?from=top

フクシマについては当初から曖昧な発表が多い。
その中でも菅前首相は、2号機についての説明から、明らかに“逃げ”ていた。
この件については触れたことがある。
⇒2011年4月17日 (日):原発報道の大本営発表/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(9)

キモの部分をもう一度再現してみよう。

総理、済みません、2号機への言及がありませんけれども、2号機はもっと深刻な事態なのではないでしょうか。
(菅総理)
今、申し上げましたように、何号機ということ等について、いろんな現象がありますので、全体を見て現在対応していますので、そういった意味で一つひとつがどうだという話は、場合によってはまた別の機会に東電の方から報告をすると、こういうふうに認識しております。

http://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201103/15message.html

「別の機会に東電の方から報告」というのが今回の報告案なのか?
2号機については、以下のような記事もある。

3月14日夕、福島第1原発は、予想を超える深刻なシミュレーション結果に直面した。
それは、格納容器から気体を抜いて圧力を下げる操作のベントが2号機でできないことが分かったことだ。
・・・・・・
原発事故に詳しいある原子炉専門家は、こう指摘する。

「ベントができないということになれば、格納容器の内圧が高まってしまい、どうにも制御できなくなって壊れてしまうということです。これは、本当にとんでもないことで、その内圧で原子炉そのものが爆発して核燃料が飛び散ってしまうことにもなります」

・・・・・・
2号機原子炉の爆発危機を前に、原発事故の関係者には動揺が走った。
事故対応の現場責任者だった第1原発の吉田昌郎所長は、シミュレーション結果を聞いて、黙り込んでしまう。そして、NHKの番組によると、免震棟の廊下で休む作業員に声をかけ、「皆さんがここから出るのは止めません」とまで言い切った。
結局、2011年3月14日は、東京電力の社員ら70人を残して、200人以上が原発を去った。さらに、東電の清水正孝社長は、「現場から撤退したい」と政府に5回も電話で伝えている。
これに対し、菅直人首相は翌15日早朝、東電本店に乗り込んで、「お前らふざけるな」とケンカ腰で言ったというのだ。そして、「撤退は許されない。60歳以上の人間は現場に行って、自分たちでやる覚悟を持て」とまくし立てた。一部報道では、菅首相は、撤退するなら東電の存続は認めないと激怒したとされていたが、これは本当だったようだ。官邸はこの日、東電本店に統合対策本部を設置している。
http://www.j-cast.com/2011/06/07097742.html?p=all

菅前首相が、東電の撤退を止めたということは事実だということであろう。
しかし、このような状況であったということは説明されていない。
圧力抑制室の破損についても不自然な説明であった。
枝野官房長官(当時)が圧力抑制室のことを、わざわざ伝わり難いサプレッションプールで、しかも説明抜きで用いていた。
⇒2011年3月15日 (火):地震情報と「伝える力」
2
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111001-OYT1T00929.htm?from=top

はたして2号機の真実はいかなるようだったのか?
今後のためにも、政府・東電は、正面から“逃げないで”説明をする義務があるだろう。

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