福島原発事故と今後のエネルギー政策
「文藝春秋」1110号は、「原発、私は警告する」という特集を組んでいる。
その1つに、東谷暁氏の『検証・原発報道 誰がウソをついていたか』という評論が載っている。
東谷氏は政治や経済などの多彩な評論で知られるジャーナリストである。
東谷氏は次のように筆を起こす。
福島第一原発事故において最も国民を不安にさせたのは、政府の発表が二転三転したことだった。
なったくその通り、というべきであろう。
たとえば、「放射能は、直ちに影響のあるレベルではない」というような表現で発表する。
「直ちに」というのが、急性の障害ということなのか、総量としてさしあたって障害が発生しないということなのか。
直ちにでなければ、いつ影響が出てくるのか。
⇒2011年3月20日 (日):福島第1原発事故と放射線量の用語について
あるいは、小佐古敏荘東大教授や海江田前経産省などの責任ある立場の人が、説明中に泣き出してしまう。
国民は、事態の深刻さに不安になるというのに、首相夫人は「泣いたこと」を座興的に揶揄する。
⇒2011年4月30日 (土):小佐古・内閣官房参与が辞任/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(19)
⇒2011年8月 4日 (木):海江田経産相の号泣に価値はあったか?
東谷氏は、閣僚、政府関係者のブレ発言を批判する一方で、「原発問題の論客たちの発言」を俎上にのせる。
武田邦彦、大前研一、小出裕章、広瀬隆、飯田哲也、桜井淳、田原総一朗、池田信夫、古賀茂明s、孫正義、西尾幹二等の諸氏である。
東谷氏は、諸氏の言説を、2軸の平面上に位置づけて論じている。いわゆるポジショニングの手法である。
まず、今回の事故の性格の認識である。
東谷氏は「天災-原発維持」の立場が鮮明である。
私は、孫・菅氏と同程度「人災バイアス」と考えるが、原発維持か脱原発かについては、時間軸を抜きにして論ずることはできないと思う。
長期的には「脱原発」に行かざるを得ないであろう。
これからのエネルギー源についてどう考えるか?
これも時間軸によって変わってくる。
長期的には自然エネルギー(再生エネルギーという表現には抵抗がある。一度使ったエネルギーが再生するわけではない)依存度を高めるべきだと思うが、技術的な課題も多い。
当面、化石エネルギー(特にガス)に依存せざるを得ないのではないか。
次に、電力供給システム、特に発電と送電を分離すべきかどうかである。
この論点に関しても東谷氏はユニークである。
発送分離のための課題の全体像がよく分からないが、将来的には電力も地産地消的であるべきだろう。
大消費地としての首都等の都市政策とも絡むが、分散型を志向するならば、分離の方向になる。
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