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2011年9月

2011年9月30日 (金)

皇統と皇太子の位置/やまとの謎(39)

昨日の続き。
今日の昼は、「京鼎楼」。
長春路にある小籠包の店。日本にもいくつか支店があるらしい。日本人客も多いようだ。
帰ってからの体重コントロールが問題。

予定通りの便で成田に着いたが、延着で新幹線の最終に間に合いそうもない。
大垣行の在来線の利用も覚悟したが、出迎えてくれた提携予定会社のS氏の道交法違反的な尽力により、ギリギリセーフ。

さて、国難ともいうべき年に、改めて「天皇」について考える機会が多い。
1つは、大震災の被災地を励ます天皇・皇后両陛下をはじめとする皇族の、目に見えない力である。
⇒2011年4月 1日 (金):「天皇」という制度/やまとの謎(29)
政界の不甲斐なさを目にして、「この「国難」に期間限定つきで天皇家に大政奉還する」という意見を、半ばは「そんなご冗談を」と思いつつ、半ばは「そうなったら……」と夢想したくもなる。

一方で、東宮家の動静がアレコレ報道されている。
例えば、「週刊文春」110929号の『愛子さま「校外授業(山中湖2泊3日)/雅子妃密着に学習院(保護者)が激怒!』という記事。

第三者(学習院(保護者))という形をとっているが、皇太子妃に対して「激怒!」という表現は相当なものだろう。
私は、皇室の日常生活をメディアが取り上げるいわゆる皇室報道については如何なものか、と思うことが多い。
しかしどうも報じられている内容からすると、かなり憂慮すべき事態のように思われる。

一般の児童は見送りにきた保護者と正門前で別れ、親は門外で待機していました。しかし、皇太子殿下は愛子さまと一緒に校舎へ入って行かれた。
・・・・・・
その後、雅子妃が初等科のバスを追うように東宮御所をご出発。目的地である富士山五合目まで約三時間のご移動には当然、山梨県警を含めた大掛かりな警備が必要になる。

こんな雰囲気で、雅子妃は2泊をホテルマウント富士の“インペリアルスイート”で過ごしたという。
これに対して、憤りを隠せないのが他の児童の保護者。
これまでも雅子妃は毎日のように授業を見学され、毎日が参観日状態だという。
せっかく子供同士が人間関係を広げる機会の校外学習なのに、雅子妃がその機会を失わせているのだ。

次期天皇である東宮家は、国民にとっても関心を持たざるを得ない。
不敬を承知で思う。このような状態で、大丈夫なのか?
それと関連するが、皇統の問題をどう考えるのか?

皇位の継承は「皇室典範」で定められている。
現在の規定のままでは、皇位継承の適格者がいなくなるのではないかとして、小泉内閣のときに改訂が論議された。
秋篠宮家に悠仁親王が誕生したことにより、議論自体が消滅してしまったようであるが、問題が先送りされただけであることは関係者の共通認識であろう。
⇒2011年1月10日 (月):皇統論における「Yの論理」への疑問

小泉元首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」は、「国民主権と象徴天皇制の両立を図り、皇位の安定的継承に絞ったうえで、女性天皇、女系天皇を容認する」という報告書を出した。
もしこの報告の通りに皇室典範が変更されたら、次期皇太子は、愛子内親王となる。
現行のままでは次期皇太子は秋篠宮となり、悠仁親王がして確定するのは相当の高齢になってからと予想される。
帝王学という言葉もあるように、皇太子はできるだけ早く確定した方がいいように思う。

現在の皇室典範は、皇位継承について、次のように規定している。

第1条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

底に流れているのは「万世一系」の思想であろう。
そこに論理性はあるのか?
「男系の男子」の根拠が「Y染色体の継承」という論説に対しては、否定的にならざるを得ない。

この問題も先送りすべきではないと思うが、合理的なルールなどはたしてあるのだろうか?
少なくとも現存する皇位継承有資格者を変更するような案(例えば「皇室典範に関する有識者会議」の報告書)が容認される可能性はほとんどない。
「皇室典範がネックになる天皇制の危機」というのも逆説的なことではあるが。

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2011年9月29日 (木)

おそるおそるの台湾渡航/闘病記・中間報告(31)

発症後初めての海外渡航中である。
台湾へ2泊3日の2日目。
近いとはいえ、成田からだと結構な時間だ。
飛行機に乗るのも、脳血管障害に気圧の影響はないのか、などと不安になる。
ADLが何とかクリヤーできるくらいの状態で、無謀ではないか、と自分でも思う。

しかし、思い切ってやってきた。
有効期限が切れていたパスポートを出発前日に受け取るなど慌しかった。
そのため、筆記具を持たなかったり、カメラを忘れたりした。
もっとも、カメラは左手だけで撮るので、よほど状態が良くないとうまく撮れないから、忘れたからといって残念ということでもない。

知り合いの会社が、台湾の会社と共同で推進しようというプロジェクトの資料(提案書)づくりをお手伝いしたところ、打ち合わせにも参加して欲しいと言われたのである。
今日は、台中市の工場を見学して台北でミーティングを行った。
ちょっとハードである。

成果はどうなるかは現時点では不明だが、改めて台湾というのが「食」の国だということを実感した。
というのも、昨日の夕食、今日の昼・夕食をご馳走になっての感想である。

福建料理
昨日の夕食は新光三越南西店にあるレストラン「欣葉」。
福建料理の伝統に基づく典型的な台湾料理(らしい)。

客家料理
今日の昼食は、三義郷にある「頼新魁麵館」。
客家料理の名店らしい。
驚くのはきわめて美味であるのにかかわらず低廉であることだ。
ボリュームたっぷり5人前の料理で、600台湾円だそうだ。
日本円で1500円位か。

上海料理
今日の夕食は、台北の仁愛路にある「上海郷村」。
まことに美味で、同行者は台湾ビールを旨そうに飲んでいたが自粛。

それぞれ違いはあるが、日本人の口にも合うように思う。
何より気取っていないのがいい。

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2011年9月28日 (水)

尖閣諸島中国漁船衝突事件の真相は?

尖閣諸島において中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突してきたのは、菅VS小沢の民主党代表選のさ中の9月7日のことであった。

2010年9月7日、尖閣諸島付近の海域をパトロールしていた巡視船「みずき」が、中国籍の不審船を発見し日本領海からの退去を命じるも、それを無視して漁船は違法操業を続行、逃走時に巡視船「よなくに」と「みずき」に衝突し2隻を破損させた。海上保安庁は同漁船の船長を公務執行妨害で逮捕し、取り調べのため石垣島へ連行し、船長を除く船員も同漁船にて石垣港へ回航、事情聴取を行った。9日に船長は那覇地方検察庁石垣支部に送検された。
Wikipedia

代表選に勝った菅氏は、9月17日に内閣改造を行った。

24日、国際連合総会開催中で菅直人内閣総理大臣および前原誠司外務大臣不在の中、那覇地方検察庁鈴木亨・次席検事が船長の行為に計画性が認められないとし、また日中関係を考慮したとして、中国人船長を処分保留で釈放すると突如発表。本決定を仙谷由人官房長官は容認。25日未明、中国側が用意したチャーター機で、中国人船長は石垣空港から中国へと送還された。
Wikipedia

この釈放については不可解なことが多い。
⇒2010年9月25日 (土):尖閣諸島事件の船長を釈放

その真相をする立場にいた松本健一前内閣官房参与が一端を語り始めた。
松本氏は、仙谷元官房長官の大学時代からの友人である。
⇒2011年8月20日 (土):菅批判を始めた松本健一内閣官房参与

菅直人政権で内閣官房参与を務めた松本健一氏は産経新聞社のインタビューに対し、昨年9月に起きた尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で逮捕された中国人船長を処分保留のまま釈放したのは、当時の菅首相と仙谷由人官房長官の政治判断によるものだったと明らかにした。「政治判断」を否定した菅氏らの説明と大きく食い違う証言といえる。
松本氏は参与就任前だったが、仙谷氏から事件への対応について相談を受け、菅氏と仙谷氏とのやりとりを知る立場にあった。これまでにも当時の複数の閣僚や政府高官が「釈放は菅氏の指示で行われた」と証言していたが、実名で明言したのは初めて。
松本氏によると、昨年9月8日に船長が公務執行妨害容疑で逮捕された後、検察側が証拠となる漁船衝突時のビデオテープを首相官邸に届けた。それを見た官邸側が「テープ自体が証拠にならないとの致命的なミスがあり、公判にたえられず、有罪にもならないと判断した」という。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110926/plc11092611290009-n1.htm

従来、仙谷氏らは「政治判断ではない」と主張してきたが、松本証言(?)はこれを覆すものであると言えよう。
松本氏は「官邸が証拠となる地検のビデオテープに瑕疵があり、起訴しても公判にたえられないと判断した」と説明したが、那覇検察審査会は、7月21日、ビデオを含めて証拠を判断したうえで、中国人船長を強制起訴すべきだと議決した。
検察審査会の判断も絶対ではないが、事前に政治が判断したことは今後さまざまな立場から検証されるべきであろう。
自民党は証人喚問に動いている。

自民党は27日の衆院予算委員会理事会で、昨年9月に尖閣諸島沖で発生した中国漁船衝突事件への対応をただすため、菅前首相と仙谷由人元官房長官、松本健一前内閣官房参与の証人喚問を要求した。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110927-OYT1T01209.htm

尖閣問題については、井上清『「尖閣」列島―釣魚諸島の史的解明』第三書館(9610)(現代評論社版は1972年)などは、はっきり中国領であるとしている。
井上清といえば、文化大革命を賛美していたことで知られる。つまり、明確に親中国の立場に立っていた。

高知県出身。東京帝国大学文学部国史学科を出て、羽仁五郎の指導を受けた。
・・・・・・
また、同じ時期には
文化大革命全学共闘会議の活動を支持し、この立場から日本共産党を攻撃する発言をしたことにより1967年に日本共産党を除名された。1968年に大塚有章が創立した毛沢東思想学院の講師としても、精力的に活動した。
京大生であった
山崎博昭の追悼集会にて追悼文を読み上げた。
1972年10月に『「尖閣」列島--釣魚諸島の史的解明』(現代評論社)を発表し、日本の尖閣諸島領有は国際法的に無効であると主張。
昭和から平成へと代わる時期に、元号問題について「元号ではなく、西暦を採用すべきだ」という趣旨の発言を行った。
1997年
中国社会科学院から名誉博士号を授与される。
Wikipedia

私は上記履歴をコピーしていて、井上氏が、「歴史家というよりも、彼自身があの時代を象徴する歴史的な存在だった」のではないかと思う。
菅、仙谷両氏は、松本発言について、説明すべきである。
同時に、尖閣諸島の史的事実関係について、たとえば井上清見解についての現時点での判断についても説明すべきではなかろうか?

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2011年9月27日 (火)

今年の俳句甲子園/私撰アンソロジー(7)

子規の故地松山で、毎年8月に「俳句甲子園(全国高等学校俳句選手権大会)」が開催される。
⇒2010年8月30日 (月):俳句甲子園
啄木の盛岡での短歌甲子園と同様である。
⇒2011年9月18日 (日):高校生と震災と短歌/私撰アンソロジー(6)

今年の「俳句甲子園」は、昨年に続き開成高校が2連覇を果たした。
Ws000007
http://www.haikukoushien.com/history/14th/index.html

14th
http://www.47news.jp/CN/201108/CN2011082101000607.html

開成高校といえば屈指の進学校として知られる。
俳句を知的ゲームと考えれば、開成高校のような学校が優勝するのは分からなくはない。
今年は14回目であるが、開成高校は過去13回のうち、5度優勝している文字通り強豪校である。
「週刊ポスト」110930では、「俳句界のPL学園」と呼んでいるが、それは開成高校がハードな練習(合宿や練習試合の遠征など)を受験勉強と両立させているからである。

しかし、上図に見るように、必ずしも楽勝したわけではない。
敗者復活戦を勝ち上がってきたのである。
サイトに個人賞が掲載されている。
好みでピックアップしてみよう。
Ws000006
高校生といえども、名を伏せてみれば一流の俳人と無差別のように思われる。
桑原武夫の『第二芸術論』を思い出すが、俳句が第一芸術であろうが、第二芸術であろうがどうでもいいのではないか、と思う。
⇒2007年8月25日 (土):第二芸術論再読

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2011年9月26日 (月)

富士六湖の水文学/花づな列島復興のためのメモ(6)

今年は水文現象から目が離せない。
水は地球を循環する過程で、さまざまな形で人間活動と係りを持つ。
和辻哲郎が『風土―人間学的考察 (岩波文庫)』(7905)において、風土の類型を、モンスーン、沙漠、牧場の3つとしたことはよく知られている。
水資源は人間だけでなく、あらゆる生物に必須の資源であり、その存在の仕方が「風土」を規定する根本要因である。

水は恵みだけでなく、災厄ももたらす。
今年は特にその印象が強い。
大津波、台風12号、13号……

大津波は、日本史に残る被害を遺した。
台風12号等は、紀伊半島を中心に記録的な大雨を降らせた。
⇒2011年9月 6日 (火):台風12号による降水被害/花づな列島復興のためのメモ(3)
台風15号は、日本列島の脆弱化している部分を狙い撃ちした。
⇒2011年9月22日 (木):台風15号と国土の条件/花づな列島復興のためのメモ(5)
これらの台風は、富士山とその周辺にも大量の水を降らせ、その雨は富士山麓地域を潤す。
⇒2009年7月30日 (木):富士山湧水の水文学

大量の雨は当然富士山麓地域の地下水位を上昇させる。

富士山と共に有名な富士五湖。
山中湖・河口湖・西湖・精進湖・本栖湖をいう。
しかし、降水量が多く地下水位の高い年にはプラス1の湖が出現する(10年に1度くらいの頻度)。
今年は、7年ぶりに赤池が出現した。
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110925撮影

富士山のふもと富士五湖の一つ、精進湖の近くで幻の池・幻の湖と呼ばれている「赤池」が2011年9月22日に姿を現しました。
この池は精進湖の水かさが増えた時にだけ現れるもので、富士五湖の6番目の湖ということで富士六湖とも呼ばれています。
大きな被害を山梨にもたらした台風15号の副産物でもあるわけです。
前回は7年前に現れました。

http://yamanashinow.blog137.fc2.com/blog-entry-423.html

赤池と精進湖は繋がっているらしい。
各湖の断面高は次のようである。
Photo_4
また、赤池の位置は下図を参照。
Photo_3
http://www.navi-city.com/tokusyu/akaike.html

三島市内の小河川も水量が増加している。
これらの河川はかつては豊富な水量だった。
太宰治の『老ハイデルベルヒ』にも、次のように描かれている。

三島は取残された、美しい町であります。町中を水量たっぷりの澄んだ小川が、それこそ蜘蛛の巣のように縦横無尽に残る隈なく駈けめぐり、清冽の流れの底には水藻が青々と生えて居て、家々の庭先を流れ、縁の下をくぐり、台所の岸をちゃぷちゃぷ洗い流れて、三島の人は台所に座ったままで清潔なお洗濯が出来るのでした。昔は東海道でも有名な宿場であったようですが、だんだん寂れて、町の古い住民だけが依怙地に伝統を誇り、寂れても派手な風習を失わず、謂わば、滅亡の民の、名誉ある懶惰に耽っている有様でありました。
⇒2009年6月18日 (木)」
太宰治と三島・沼津http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/238_20005.html

上流域の開発が進んだ結果、太宰の描いたような様子は、時折の増水期しか味わえないことになった。
市内の楽寿園の小浜池も普段は枯山水状態であるが、現在は写真のような状態である。
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110925撮影

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2011年9月25日 (日)

光速よりも速いニュートリノ?

日本人にとっては、ニュートリノは親しみがある。
小柴昌俊博士が「カミオカンデ」でニュートリノを発見した功績でノーベル物理学賞を受賞したからである。

素粒子物理の標準モデルでは,宇宙にある物質は12種類の素粒子の組み合わせでできているとされる。そのうちの6種類がクオーク,3種類がニュートリノ,残りは電子などだ。ニュートリノは他の粒子とほとんど相互作用しないため,今も正体がはっきりしないが,1cm3当たりに約300個が存在するとされ,宇宙に満ちあふれている。その正体がわかれば,宇宙全体の質量や宇宙の誕生の様子なども明らかになる可能性がある。
柴氏が率いた東京大学宇宙線研究所のチームは,1983年に神岡鉱山(岐阜県神岡町)の地下1000mに観測装置カミオカンデを建設。1987年2月23日,大マゼラン雲の超新星爆発に伴って発生し,地球に飛来したニュートリノを世界で初めて観測した。最初にニュートリノを検出した時間は16時35分で,光学望遠鏡で見え始めた時間よりも3時間も早い。
そのエネルギーから爆発の規模を計算したところ,太陽のエネルギーを45億年分ためて500倍にしたものをわずか10秒間にすべて放出した結果になった。超新星爆発の様子がわかり,理論と突き合わせることができた。

http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0212/koshiba.html

ニュートリノの速度が光速より速いことを実験で見出したと、国際共同実験OPERA(オペラ)の研究グループが、22日発表した。

実験では、スイスの欧州合同原子核研究機構(European Centre for Nuclear ResearchCERN)から730キロ先にあるイタリアのグランサッソ国立研究所(Gran Sasso Laboratory)へ、数十億のニュートリノ粒子を発射。光の到達時間は2.3ミリ秒だったが、ニュートリノの到達はそれよりも60ナノ秒ほど早かった(誤差は10ナノ秒以下)。ニュートリノの速度は毎秒30万6キロで、光速より毎秒6キロ速いことになる。
OPERAのスポークスマンを務める物理学者のアントニオ・エレディタート(
Antonio Ereditato)氏は、「ニュートリノの速さを知るための実験だったが、このような結果が得られるとは」と、本人も驚きを隠せない様子。発表に至るまでには、約6か月をかけて再検証や再テストなどを行ったという。
研究者らはなお今回の結果には慎重で、世界中の物理学者らに精査してもらおうと、同日ウェブサイト上に全データを公開することにした。結果が確認されれば、物理学における理解が根本から覆されることになるという。

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2830135/7817623?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics

アインシュタインの(特殊)相対性理論は、現代物理学の基礎といわれる。
⇒2011年9月20日 (火):原発と原爆/「同じ」と「違う」(32)
(特殊)相対性理論では、宇宙で最も速いのは光だとしている。
今回の結果は、この理論と矛盾するものであり、もし観測結果が事実なら物理学を根底から揺るがす可能性がある。

ニュートリノ(ミュー型)を加速器という装置で打ち出し、約730キロ・メートル離れたイタリアのグランサッソー地下研究所へ地中を通して飛ばした。
Photo_3
光はこの距離を0・0024秒で飛ぶが、今回の観測によって、ニュートリノは光より1億分の6秒早く到達していることが分かった。これは、光の速度より0・0025%だけ速く飛んだことを示している。
ニュートリノの飛行速度を巡っては、2007年に米国の研究チームが論文を発表している。しかし、この時は誤差と区別がつかなかったため、「光速と差がない」と結論づけられた。今回は原子時計を備えた全地球測位システム(GPS)と光学測量を組み合わせ、3年間かけて約1万5000個分の飛行速度を精緻に測定した。その結果、誤差を考慮しても、光速を超えていることが判明した。

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110923-OYT1T00374.htm

1億分の6秒の差はとてつもなく大きな意味を持つようだ。
はたして、物理学は書きかえられることになるのか?
私は(特殊)相対性理論の有効性は崩れていないだろうと思う(根拠はない)。
ニュートリノの性質がもっと明晰になれば、(特殊)相対性理論と矛盾しない解釈が出てくるのではないか。

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2011年9月24日 (土)

福岡元岡古墳出土の大刀と日本の暦/やまとの謎(38)

九州大学総合移転に伴う福岡市西区の元岡・桑原遺跡群第55次発掘調査で、わが国での暦使用を示す最古の文字資料とみられる銘文が入った大刀が出土した。

福岡市教委は21日、西区の元岡・桑原遺跡群の元岡古墳群(7世紀中ごろ)で西暦570年に製造したことを示すとみられる「庚寅(こういん)」など19文字の銘文が象眼という技法で刻まれた鉄製の大刀が出土したと発表した。暦使用の日本最古の実例とされ、6世紀半ばに朝鮮半島から暦が伝来したとする「日本書紀」の記述を裏付ける貴重な発見とみられる。
古墳から銘文が入った刀剣が出土したのは全国7例目で、干支(かんし)や年次と月日を組み合わせて表記された刀剣が発見されたのは初めて。

Photo
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/264501

日本の暦は次のように変遷してきたといわれる。
Ws000010

元嘉暦(げんかれき)
元は中国六朝時代に作成された旧い暦。日本と国交のあった百済の国暦となっていたため日本に導入された。
持統四年(AD 690)に「元嘉暦と儀鳳暦とを行う」とあるのが暦法の公的採用の勅令と考えられる。もっとも実施には時間がかかり勅令後の二年後の持統六年(AD 692)。
「元嘉暦と儀鳳暦とを行う」とあるが、平朔の元嘉暦と定朔の儀鳳暦との併用は困難だろうから、AD692~696の5年間が元嘉暦、その後が儀鳳暦使用と考えられるようになった(根本元圭「皇和通暦」)。

http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0060.htm

上表にみるように、最古の暦は「元嘉暦」で、持統4(690)年に公的採用の勅令が出て、その2年後の持統6(692)年に実施されたというのが定説のようである。
しかし、上記記事では次のように解説している。

日本書紀によると、暦は554年に百済から来日した「暦博士」から伝わったとされる。九州大学人文科学研究院の坂上康俊教授(日本古代史)は「暦博士は中国の宋時代に使われ始めた『元嘉暦(げんかれき)』をもたらしたと考えられ、銘文は日本列島で元嘉暦を使いこなしていた証拠とみてよい。わが国最初の暦使用の実例として画期的な資料」としている。

Photo_360年に1度巡ってくる庚寅年のうち、古墳時代で1月6日が庚寅の日なのは570年のみ。この古墳は副葬された土器の年代から7世紀中ごろの築造とみられ、刀は作られて数世代後に副葬されたことになる。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/history/20110921-OYS8T00784.htm

どうもよく分からない。

1.暦は554年に百済から来日した「暦博士」から伝わった。それは元嘉暦である
2.「庚寅」などの文字が西暦570年に製造したことを示す
3.AD692~696の5年間が元嘉暦使用

元嘉暦が使われていたのは554年の伝来直後からであって、この出土大刀は570年に製造されたとすると、持統4年とか6年というのはいかなる意味か?
持統4年(AD 690)に「元嘉暦と儀鳳暦とを行う」とあるのが暦法の公的採用の勅令だとすると、大刀の製造年から100年以上も経ってから勅令が出たということだろうか?
この間、元嘉暦は使われていたのか、いないのか?

元岡遺跡群では、律令制度の最初の年号である「大寶(宝)元年」(701年)の記載がある木簡などが発見されている。

木簡に残る文字は、時代や社会状況を示す動かぬ証拠で、全国の発掘現場では「お宝」として重要視されている。
・・・・・・

元岡遺跡群は「お宝」の木簡が、今後も続々と出士する条件を備えている。
・・・・・・

元岡遺跡群の大規模な官営の製鉄施設」は、九州全域を統括し、大陸との外交、軍事をつかさどった「大宰府政庁」や、大陸からの使節などを受け入れた迎賓館「鴻臆館」と同時代に存在していた。その役割分担はいったいどうなつていたのか。
日本書紀には、朝鮮出兵に向けて二万五千の兵が嶋郡(現在の福岡市西区の一郡と志摩町)に駐屯した記録がある。元岡遺跡群を合む古代の嶋郡が「武器も含めた鉄の生産工場で、朝鮮半島に向けた最前線基地だった」との見方は、ますまず強まつている。

http://www.itogura.net/motookaiseki/index.htm

今回は木簡以上のたいへんな「お宝」の出土ということになる。
元岡
遺跡群は、下図の九大伊都キャンパスの位置である。
Photo_2
Photo
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/history/20110921-OYS8T00784.htm

伊都といえば、『魏志倭人伝』で有名である。
すなわち、弥生時代にはすでに栄えていた場所だ。
元岡
遺跡群の推移、暦の伝来と普及の実体等興味をそそられる謎は多い。

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2011年9月23日 (金)

電波利権の構図はどう変わるか?

このところ、モバイル関連のニュースが騒がしい。
KDDI(au)が、米アップルの次期スマートフォン(高機能携帯電話)「iPhone(アイフォーン)5」を年内にも発売する見通しとなった、と報じられている。
アイフォーンを今まで独占販売してきたのはソフトバンクモバイルだ。
同社やNTTドコモ、イー・アクセス、携帯電話端末メーカーなどの各社は、戦略の再考を迫られることになろう。

KDDIは、スマートフォンの投入が遅れ、携帯電話の契約者数でも3位のソフトバンクに激しく追い上げられていた。スマートフォンの“原型”として絶大な人気を維持するアイフォーンの投入で、巻き返しを狙う。
・・・・・・
KDDIはこれまで、米グーグルの基本ソフト(OS)「アンドロイド」、マイクロソフト(MS)の「ウィンドウズフォン」を搭載したスマートフォンをすでに投入しており、アイフォーンの販売で主要な陣営を網羅することとなる。一方、アイフォーン頼みだったソフトバンクは販売戦略に大きな影響が出そうだ。

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110922/biz11092212270010-n1.htm

KDDIの参入の動きが市場に伝わった22日、ソフトバンクの株価は前日比12・3%安と急落した。「アイフォーンの独占販売体制が崩れると見て、売り注文が殺到した」(証券関係者)ためだ。
ソフトバンクは2008年7月からアイフォーンの販売を始めた。携帯電話契約数はアイフォーン販売後、約1・4倍に増え、新規契約数から解約数を差し引いた純増数も17か月連続で首位を続けるなど「アイフォーン効果」は鮮明だ。
一方、KDDIの契約数の伸びはこの間、約1・1倍増にとどまり、8月の純増数も4位に甘んじている。

Ws000009
ソフトバンクに比べて電波がつながりやすいとされるKDDIがアイフォーンを発売すれば、KDDIにとって市場巻き返しの切り札となる可能性がある。ことで、国内の携帯電話市場に大きな影響が出るのは確実だ。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110923-OYT1T00127.htm

先ごろは 、「プラチナバンド」と呼ばれる周波数帯の割り当てをめぐって携帯電話4社が利用の意向を表明したところだ。
7月24日の地デジ化への完全移行(=アナログ放送終了)に伴い、空いた700~900メガヘルツの周波数帯は、電波が建物や障害物を迂回して届きやすいため、「プラチナバンド」と呼ばれる。
つまり、周波数上の超一等地である。N
http://www.tele.soumu.go.jp/j/adm/freq/search/myuse/summary/index.htm

ドコモとKDDIはすでに800メガヘルツ帯を保有している。

ソフトバンクは割当希望を900メガヘルツ帯に絞り、合計30メガヘルツ分の利用意向を表明した。現状では電波のつながりにくさを指摘されることも多いだけに、孫正義社長は「(プラチナバンドを)持っていないハンディは大きい。次に取れなければ世の中が間違っている」と繰り返しアピール。すでに電波獲得を前提に“見切り発車”で基地局増設などで2年間で1兆円の設備投資に乗り出している。
同じくプラチナバンドを持たないイー・アクセスも希望理由に「競合他社との競争力確保」を挙げ、獲得に意欲を示す。
一方、NTTドコモとKDDIは700メガヘルツ、900ヘルツのいずれかの周波数帯を希望。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1109/12/news035.html

電波もまた限られた資源である。
オークションによってなるべく高い価格で利用権を設定すべきであろう。

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2011年9月22日 (木)

台風15号と国土の条件/花づな列島復興のためのメモ(5)

台風15号は、北海道東方においてさえ、かなり強い勢力を保っていた。
結果的に軌跡をみると、東日本大震災の被災地を狙い撃ちしたかのようである。
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http://www.yomiuri.co.jp/weather/typhoon/

沖縄付近で停滞しながら1回転していたときの様子は、どこから日本列島を攻めようかという意思を持った生物のように思われた。
あげくに浜松付近に上陸した。ど真ん中である。静岡県に上陸したのは4年ぶりだとか。
その後は上図のように、東日本大震災の被災地の方向に進路をとった。

被災地では、地震で低くなった土地は水が漬き、仮設住宅への浸水もみられた。
また、15号以前の雨でダメージを受けていた紀伊半島などでは、水害の追い打ちにあった。
⇒2011年9月 6日 (火):台風12号による降水被害/花づな列島復興のためのメモ(3)
15号台風は、国土の弱った箇所に集中攻撃を仕掛けたとしか思えない。

その中で、名古屋市がいち早く100万人の避難体制を敷いたのが注目される。

河川の増水が激しかった名古屋市では20日から21日にかけて、市人口の約半数にあたる100万人超に及ぶ住民に、異例の避難指示・勧告を出した。決断の背景には平成12年に死傷者51人を出し、対策が後手に回った「東海豪雨」の教訓があった。市は被害を最小限に食い止めた「早めの対応」を肯定的にとらえる。一方で、実際の避難者は5千人弱にとどまっており、広報体制や避難先の確保などで課題も残った。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110921/dst11092123580081-n1.htm

「東海豪雨」は、まさに高橋裕『国土の変貌と水害』岩波新書(1971)が指摘していたことが起きたといえよう。
国土が都市化するのに伴い、排水条件が悪くなる一方で、水害を受ける人間の活動や物件は増大するので、水害は深刻化する。
寺田寅彦の戦後版である。

もともと名古屋は治水条件の悪いところである。
太古(約2万年前)、濃尾平野は海だった。
Photo
http://www.cbr.mlit.go.jp/kisokaryu/chisui/01noubi.html

それが沖積平野が形成され、人間が集積した。典型的な国土の変貌である。
Photo_3 
濃尾平野の治水で名高いのは、宝暦治水と薩摩義士の話である。
伊藤信『宝暦治水と薩摩藩士』鶴書房(1954)等の書籍がある。

なぜ遠隔の薩摩が木曽三川の治水に?

この背景にはお庭番の情報で薩摩が中国・琉球との密貿易などで莫大な富を得ている噂、その力をそぐ狙いもあったと見られる。他に関が原の報復との説もある。薩摩は関が原で石田三成の西軍に組み、敗戦の最中、敵中突破の敗走を成功させた経緯がある。さらに御三家尾張との縁談失敗もありました。吉宗公の姫君との縁談など資金の浪費で藩の財政破綻を虎視眈々と狙われていた。
http://www.finvic.com/syumi-18.html

木曾三川の流路が固定されるまで、東海道は熱田から桑名へ、いわゆる「七里の渡し」と呼ばれる海路だったのだ。

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木曽三川渡河は東海道開設1601年(慶長6年)には幕府防衛政策で内陸路から海路(七里の渡し)に定まり、桑名~熱田の宿場が正式になっていったのです。「※船の苦手な者、女・子供連れは熱田からの陸路の脇街道:佐屋街道を利用した」。江戸期の後半、熱田・桑名の繁栄は街道一とかで、旅籠の数でも両方で500軒に近かったとも言われている。
http://www.finvic.com/syumi-18.html

私も桑名を訪れたことがあるが、すっかり変貌していて往時を偲ぶのは難しかったことを覚えている。

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2011年9月21日 (水)

黒塗り報告書は何を隠したのか?/原発事故の真相(8)

9月2日、衆院科学技術・イノベーション推進特別委員会に提出した東電の「事故時運転操作手順書」はほとんどが黒く墨塗りされていた。
⇒2011年9月13日 (火):フクシマは津波によりメルトダウンしたのか?/原発事故の真相(7)

当日は野田政権発足の日だった。
つまり提出したのは菅政権ということになる。
この墨塗り報告書によって、何が隠蔽されたのか?
わざわざ塗りつぶしていることによって、よけいに注目度が高くなるという逆説に気が回らないのか?
それとも、より大きな隠蔽から目を逸らさせるための仕掛けなのか?

「週刊ポスト」110930号に、『東電「黒塗り報告書」に書かれている「国家機密」』と題する記事が載っている。
タイトルだけからは、黒塗りされた部分の機密事項を明らかにしたかのように解釈できる。
私もそう理解しつつ目を通してみた。

何が書かれているか?

東電にまともな事故マニュアルが存在せず、原発の安全管理を担当する保安院は事故マニュアルを見たことがなかった――そんな原子力行政のお寒い実態こそ、国民に隠さなければならない「国家機密」だったのである。

これでは「羊頭を掲げて狗肉を売る」どころか、まったくの虚偽表示である。
まあ、週刊誌の記事はそんなものだろうが。
とはいえ、同記事にも読みどころはある。
一つは、原子炉設計者の田中三彦氏の言葉である。
田中氏は、「エコノミスト」臨時増刊110711号『福島原発事故の記録』の冒頭の『津波が来なくてもメルトダウンは起きた? 問題は耐震性だ』という記事に登場した人であることは既に触れた。
⇒2011年9月13日 (火):フクシマは津波によりメルトダウンしたのか?/原発事故の真相(7)

福島原発1号機は震災直後に緊急停止し、「非常用復水器」が自動起動した。
復水器軌道の11分後、東電の運転員が手動で復水器を停止させた、とされている。
東電は、それをマニュアル通りの操作であると説明し、その確認のための手順書の提出だった。

とすれば、墨で塗りつぶして読めないようにする必要はないはずである。
田中氏は、運転員が復水器を停止させた理由を次のように推測する。

東電の公表データでは、非常用復水器が自動起動した直後に、炉内の圧力が急激に下がっている。その理由は、地震の揺れで圧力容器から復水器に繋がる配管が破断し、炉内の水蒸気が漏れ出したからだと考えられる。そのままでは放射性物質を拡散させたり、炉内が空焚きとなったりする危険が高まる。そのため、運転員は手動で弁を閉めて復水器を停止したと推測できる

つまり政府(原子力安全・保安院)の説明―事故の原因は津波による電源喪失。地震の揺れによる原子炉への被害はなかった―は真相を隠蔽しているということである。
東電自身はどう説明しているか。

東電の松本純一・原子力・立地本部長代理は12日の会見で、大半を非開示とした理由について「手順書は社内の文書なので一般公開するものではない。知的財産、核物質防護上の面もある」と説明した。
同委員会は8月26日、過酷事故の手順書を提出するよう保安院を通じて要請。東電は9月2日に「事故時運転操作手順書」などを提出したが、「知的財産が含まれる」「安全確保・核物質防護上の問題が生じるおそれがある」として大半は黒塗りだった。

http://www.asahi.com/national/update/0912/TKY201109120347.html

説明を受けた方たちは、この説明で納得できるのだろうか。
週刊ポスト誌の記事の読みどころの二つ目は枝野経産相の言動である。
鉢呂失言大臣の後任として経産相に就いた枝野氏は、前官房長官である。
枝野氏は黒塗り報告書について次のように言っている。

私は納得できるような説明は受けておりません。公表できないというのであれば、国会関係者や国民が納得できるような説明をする責任が東京電力にはある

これはもっともな発言のように思える。
しかし、週刊ポスト誌も指摘しているように、国会に東電の黒塗り報告書を出したのは菅政権である。
枝野氏は官房長官であって、「説明を受けていない」という立場ではない。

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2011年9月20日 (火)

原発と原爆/「同じ」と「違う」(32)

菅前首相が広島と長崎の原爆犠牲者追悼式典に出席した際、脱原発発言をしたことについて、細野原発担当大臣は、「日本は唯一の被爆国でありながら、平和利用を進める難しい判断を迫られた国だ。先人の努力を考えると、原爆と原発をイコールで考えるのは違和感を持つ」と述べた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110809/plc11080923120019-n1.htm

原爆と原発は、もちろんイコールではない。
だから、菅前首相が、退陣表明をしながらも、広島と長崎で脱原発を旗幟にして、延命しようとする姿勢を見せたことに、私は違和感というよりも不快感を覚えた。
しかし、「脱原発」そのものは賛成である。
大江健三郎さんらが呼び掛けた「さようなら原発5万人集会」(19日明冶公園)には約6万人(主催者発表)が参加した。

会場となった明治公園周辺は、主催者発表で約6万人(警視庁によると約3万人)で埋め尽くされ、身動きがとれないほどだった。福島第1原発事故後の集会では最大規模。壇上に立った文化人らは口々に「脱原発」を訴えた。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20110920-OHT1T00004.htm

久しぶりの大集会である。60年代末のこと以来ではなかろうか。
もはや「脱原発」の流れは止められないと思う。

原爆と原発は、もちろんイコールではないが、原発も、ひとたび事故が起きると深刻な放射能被害をもたらす。そのことに多くの国民は危機感を持っている。

原発と原爆の異同は何か?

原発も原爆も、物理化学的な反応過程そのものは同一であろう。
質量とエネルギーが等価であるという発見、まさにパラダイム・シフトというべき認識の革命は、かのアインシュタイン(Albert Einstein )によってなされた。
Einsteinについて、 Wikipediaでは、以下のように解説している。

1905年博士号を取得すべく「特殊相対性理論」に関連する論文を書き上げ、大学に提出した。しかし内容が大学側に受け入れられなかったため、急遽代わりに「分子の大きさの新しい決定法」という論文を提出し、受理されている。この論文は「ブラウン運動の理論」に発展した。この年は「奇跡の年」として知られている。アインシュタインは「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」に関連する5つの重要な論文を立て続けに発表した。バスに乗車中にベルンの時計台の針が不動に見えることから着想した無名の特許局員が提唱した「特殊相対性理論」は当初、周囲の理解を得られなかったが、マックス・プランクの支持を得たことにより、次第に物理学界に受け入れられるようになった。
1907年、有名な式E=mc²を発表している。この年には、箱の中の観測者は、自らにかかる力が慣性力なのか重力なのか区別ができないという、後の一般相対論の基礎となるアイディア(等価原理)を思いつく。アインシュタインはこれを、生涯最良の名案であると述べている。

E=mc²については、以下の通り(Wikipedia)。

E=mc²(イー・イコール・エム・シーじじょう、イー・イコール・エム・シー・スクエアド)は、アルベルト・アインシュタイン特殊相対性理論の帰結として発表した有名な関係式。質量とエネルギーの等価性とも言われる。質量が消失するならばそれに対応するエネルギーが発生することを示すと同時に、十分なエネルギーがあれば無から質量が生まれる事を示す(ビッグバン)。

まあ、常識では考えにくいことであるが、それが科学の神髄でもあろう。
⇒2011年8月16日 (火):科学観と方法論/梅棹忠夫は生きている(5)

E=mc²の利用という点においては、原爆も原発も同じことである。
核分裂と連鎖反応がキーである。
Wikipediaの解説を見てみよう。

核分裂
原子核を構成する核子は核力によって互いに強く引力を受ける一方、原子核中の陽子は電磁力により極めて強い斥力を受ける。 通常原子スケールでは核力の方がはるかに強いが、核力は距離に対し指数関数的に減少する一方、電磁気力は二乗でしか減衰しない。このため、
原子番号の大きな原子核では、電磁気力が打ち勝ち分裂する余地が生まれる。ひとたび分裂すればもはや核力による引力はほとんど受けず、電磁気による斥力で極めて高いエネルギーを持ち互いに離れていく。具体的な現象としては中性子を吸収させて核子の数のバランスを崩すと原子核が液滴のように二つに分裂することがある。これを原子核分裂と呼ぶ。この核分裂によって、分裂前後の核子の結合エネルギーの差分が外部に放出される。
連鎖反応
核分裂の際には通常数個の中性子が外部に放出される。そのため、核分裂を起こす物質が隣接して大量に存在する場合には、核分裂で放出された中性子を別の原子核が吸収してさらに分裂する、という反応が連鎖的に起こることがある。このような反応を核分裂の「連鎖反応」と呼ぶ。
核分裂性物質の量が少ない場合には連鎖反応は短時間で終息するが、ある一定の量を超えると中性子の吸収数と放出数が釣り合って連鎖反応が持続することになる。この状態を「臨界状態(あるいは単に臨界)」といい、臨界状態となる核分裂性物質の量を臨界量と呼ぶ。発電等に用いられる原子炉ではこの臨界状態を制御しながら保持して一定のエネルギー出力を得ている。原子爆弾に用いられる場合も、核分裂性物質を制御された短時間で臨界状態にする必要がある。

要するに、中性子により原子核分裂させると、大きなエネルギーが放出される。
図解すれば以下のようである。

Ws000003
黄土色の大きな粒が原子核。青い小さな粒が中性子。赤い矢印が発生したエネルギー

ウラン235(またはプルトニウム239)の原子核は、1個の中性子がぶつかると分裂し、この時2個から3個の中性子が飛び出すと同時に、膨大なエネルギーを放出します。
飛び出した中性子は、別のウラン235(またはプルトニウム239)の原子核にぶつかり、同様に分裂し、エネルギーと中性子を放出します。この核分裂がごく短い時間に次々と広がると、瞬間的に非常に強大なエネルギーを生み出すことになります。この原理を兵器として利用したのが原子爆弾(原爆)です。

http://www.hiroshima-spirit.jp/ja/hiroshima/shiryoukan/morgue_w12.html

この核分裂が継続的に起こると外部へのエネルギー放出も継続する。
この連鎖反応をどうコントロールするかが、原発と原爆の差異である。

原子炉の仕組みは、まず水で中性子のスピードを遅くさせる。こういう役割を減速材という。そして水の中に中性子を吸収するホウ酸という薬品を適量混ぜて核分裂の結果飛び出してくる中性子2個の内1個を吸収する。
これで急激な連鎖反応は無くなり1個だけだと比較的に緩やかな反応になる。制御棒をおろすと核分裂が止まるのは燃料の間にこの金属の棒を下ろすとすべての中性子を吸収することから起きる。

http://www.geocities.co.jp/wallstreet/1795/datugenpatu/9908genpatugenbaku.htm

「制御棒をおろすと核分裂が止まる」のに、なぜフクシマは収束しないのか?

だから事故で制御棒をおろしたりして運転停止してもなお水を注ぎ循環を続けないと、まず水素爆発を起こす。これは燃料棒の金属ジルコニウム(大変固い金属です)が高熱で水と反応して水素が生じそれが溜まっていき爆発する。
その爆発で格納容器が壊れると多くの放射能が飛び散る。そして次には燃料棒が高熱のため曲がって溶けだしくっつきあって、炉芯が溶融して溶け原発の壁を突き抜け流れ出していくメルトダウンと呼ばれる現象が起きるのだ。この時もいっそう多くの放射能が飛び散る。
・・・・・・
放射能はもしも外部に漏れ出ても飛び散っても普通の火と違い消すことが難しい。体の中で放射能を出し続ける。私たちはただの燃える火から消すことができない火である核反応を使用することになった。その問題点をもっと知るべきである。

フクシマで起きたのは、以上のようなことである。
コントロールされていることが、原爆と原発の「違い」である。
言い換えれば、完全にコントロールできない以上、原発は原爆と「同じ」であるとみるべきだろう。

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2011年9月19日 (月)

民主党政権に正当性はあるのか?

野田政権の前途は多難である。
誰の目にも内憂外患が山積していることが見える。
「党内融和」路線を明確に打ち出したが、フレーズとしては、昨年菅氏と小沢氏による代表選終了後、菅氏が同様のことを口にしていた。
菅氏は最終的には、「脱小沢」を選択したが、それが党内基盤は揺らがせた一因となったことは否定できない。

せっかくの「党内融和」も鉢呂経産相の軽はずみな失言で水を注された。
野田首相は鉢呂氏を更迭したが、その根拠は明確にしないままだ。
任命責任は自分にあるとしながら、説明責任は果たしていない。

そもそも、綱領なき民主党の、判断のよりどころはなにか?
⇒2011年1月 5日 (水):綱領なき民主党の菅VS小沢の不毛な争い
⇒2011年8月24日 (水):綱領なくして漂流する民主党の出口戦略を問う
綱領を定めていないということは、統一ルールを決めていないことと似ている。

集団において、守るべきルールを統一しておくことはガバナンスの基礎といえよう。
ルールは、不合理なものでも、それが存在している以上、守るべきだろう。
民主主義をそう理解する。
今までのルールの事後的な否定は、革命ということではないか。

13回世界陸上大邱大会の男子100メートル決勝で、大本命のジャマイカのウサイン・ボルト選手がフライングで失格に終わった。
昨季から適用されたフライング一発失格のルールの適用である。
厳しいものだと思うがそれがルールというものであろう。

民主党は、09年の政権交代総選挙の際の政権公約(マニフェスト)を反故にした。
菅政権の末期、民主党の(執行部の)動きはまことに奇妙なものだった。
政権を支えるべき与党が、首相を退陣させるために、野党の協力を得ようと、マニフェストを放棄したのである。
自公両党との3党合意である。
⇒2011年8月 5日 (金):与党が首相退陣の条件を整えるためにマニフェストを放棄する不可解

野田首相も、「3党合意=マニフェストの見直し」路線は堅持するようである。
自民党の谷垣氏との衆院での党首討論で明確に言っている。
しかし、一方で、マニフェストの原点とか理念という言葉で凌ごうとする。

谷垣氏 首相はマニフェスト(政権公約)見直しについての民主、自民、公明3党の合意順守を確約したが、「マニフェストの原点に戻るときだ」とも明言している。二枚舌ではないか。
首相 3党合意は誠実に履行する。マニフェストの原点は国民の生活が第一の政治、チルドレン・ファースト、モノから人への投資などの理念を大切にしたいという意味だ。政権交代という選択をした国民の期待に応え、直面する危機を乗り越える決意であり、3党合意とは矛盾しない。
日本経済新聞9月14日

「マニフェストの原点は、……理念を大切にしたいという意味だ」というが、マニフェストとは、理念だけを大切にすればいいのか?
理念が大切なことはそのとおりである。
しかし、限られた原資の中で、優先順位づけをしなければならない。
その結果を明示化したものが、マニフェストであろう。
財政が厳しい状況にあることは、東日本大震災が起きなくても、09年の総選挙時にも明らかだった。

マニフェストが実行不可能であり、それをどう変えようとしているのか、分かり易い説明が必要であろう。
マニフェストだけではない。
菅前首相らの不可解な献金の事情もルール違反ではないか。

ルール意識が希薄だから、ルーピーと評された前任首相が自分の後継者を「ペテン師」と罵るような醜い事態を出来することになるのだ。
⇒2011年6月18日 (土):菅と鳩山の理念と現実と信義/「同じ」と「違う」(28)

野田首相は、疑惑に対する説明責任を果たし、マニフェストを書きなおして解散総選挙を行うべきだ。
それを実現できる体制を早急に整えることが、責務であるといえよう。
民主党への政権交代はフライングによる結果に等しい。

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2011年9月18日 (日)

高校生と震災と短歌/私撰アンソロジー(6)

石川啄木は青春の歌人である。
私も中学生の頃、『一握の砂』の何首かを暗誦していた。
真似して作ってみたりしたが、幼稚な批評眼で見ても駄作に過ぎないことを悟り、あきらめた。

高校の部活動にも文芸部があり、私はスポーツ系の部活動を選択したこともあって敬して遠ざかっていたが、毎年作品集を出版していた。
中に短歌欄もあったが、啄木風の歌が多かったように記憶している。
ただ、露骨な真似を避けたいということだろうか、独特の3行書きではなかったと思う。

啄木が旧制盛岡中学校に入学したのは、明治31(1898)年のことであった。
当時の盛中(現岩手県立盛岡第一高等学校)は、県下の英才が集中していた。その中で、啄木は128名中10番の成績で入学したというから、秀才であったことは間違いない。
⇒2011年8月 6日 (土):『北帰行』ノスタルジー
(小松健一『啄木・賢治-青春の北帰行』PHP研究所(8707))

その啄木ゆかりの地・盛岡で、全国から高校生歌人たちが集い、詠み競う「全国高校生短歌大会(短歌甲子園)」を開催される。

近代短歌に新しい世界を切り開いた青春の歌人,石川啄木を顕彰するとともに,啄木が生まれ育った盛岡市にふさわしい,若い世代の短歌づくりを振興するため,全国の高校生を対象とした短歌大会を開催します。
また,全国の高校生が岩手・盛岡に集い,短歌という文学を通じて東日本大震災からの復興を応援します。

http://www.city.morioka.iwate.jp/07sangyo/brand/topics/110527tanka-1.html

産経新聞で歌人の小島ゆかりさん(特別審査員、産経歌壇選者)が、同大会の作品を紹介していた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110911/art11091108300005-n1.htm
Ws000008

啄木の作品と同様に三行書きになっている。
小島さんの短評は以下の通り。

まっすぐで純粋な高木沙弥花さんの歌、言葉とリズムの迫力に打たれる小川莉奈さんの歌、そして方言のあたたかさがそのまま祈りの言葉となった工藤玲音さんの歌。現代を生きる十代の作者たちが、この小さな詩形の底力を見せてくれた。

いずれも見事な作品だと思う。
強いて選べば(好みは)下館第一高校の小川さんの作か。
なお、個人戦の最優秀作品賞は次の作品であった。
Ws000002
また、特別審査員賞と石川啄木賞は次の作品が選ばれた。
Ws000001
ここには大臣が考えても見ないだろう「言葉の力」があるのではなかろうか。
⇒2011年9月10日 (土):「閣内てんでんこ」の野田ドジョウ政権と言葉の力

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2011年9月17日 (土)

アップルとソニー/「同じ」と「違う」(31)

急性期を経てリハビリ専門病院に転院した時、知人たちがiPodをプレゼントしてくれたのが、アップル製品との初めての出会いである。
パソコンはもっぱらWINDOWSであり、デザイナーの知人たちがMACを愛用して、真似をしたい気持ちに駆られても、使い勝手の壁に阻まれていた。

初めて接したiPodは不思議な製品だった。
右手が麻痺していて全く動かない状態だったが、左手だけで慣れれば容易に操作できる。
知人たちが、それぞれ自分の好みの曲をダウンロードしてくれてあったので、保存されている音楽(だけでなく綾小路きみまろの漫談などもあったが)は多様であった。
何より、タッチパネルの操作感覚が斬新だった。

退院してみると、iPadの話題が世の中を席巻していた。
やはり早速購入していた知人から借りて操作してみた。
長文の入力がタッチパネルではどうかなと思ったことと、軽いとはいえ右手が麻痺していては持てないので、机の上に置いて操作せざるを得ず、自分としてはNGの結論となったが、新しいコンセプトの製品であることは十分に実感できた。
昔読んだ会津泉さんが訳出された『スカリー』早川書房(8806)のことなどを思い出した。

アップルと対比される日本企業といえば、ソニーであろう。
戦後に創業され、井深大と盛田昭夫という類稀なコンビによって、世界企業になった。
私は学生時代にトランジスタ・ラジオを購入して以来、ファンというほどのことはなかったが「SONY」のブランドには変わらぬ信頼感があった。

しかし、ソニーもいまやかつてのような輝ける存在ではないようである。
ウォークマンのような新しいコンセプトの製品が開発されたという印象がない。
アップルと比べてもどうかな、という感じである。

野口悠紀雄さんが『アップルとソニー その差はどこにあるか』という論考を東洋経済のオンライン版に掲載している。
野口さんは、アップルとソニーの2000年以降の株価を比べて見せる。
Photo
アップルの株価は2004年ごろに比べて10倍以上、01~03年ごろに比べると30倍以上である。
一方、ソニーは、00年ごろ1万4000円程度だったが、03年春の「ソニーショック」などを経て、現在は1500円程度である。
大まかなトレンドはまったく正反対である。

野口さんは、冒頭ある会議で次のような発言を聞いて驚く。

アメリカ経済は、短期的利益だけを追い求める近視眼化の傾向をますます強めている。その象徴がアップルだ。独自の技術を開発したわけでなく、さまざまな既存技術を寄せ集めただけの製品で利益を伸ばし、ついには時価総額がアメリカ第2位になってしまった。

私にも、アメリカ的経営は短期志向、日本的経営は長期志向という先入観がある。
しかしそれは「刷り込み」によるものである。
企業にとって重要なことは、必ずしも「独自の技術を開発」することではない。
「さまざまな既存技術を寄せ集めただけの製品」であっても、新しいビジネスモデルと新しい製品コンセプトであれば、勝者になれるのだ。
イノベーションとはそういうものであろう。

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2011年9月16日 (金)

汽水域の生態学/花づな列島復興のためのメモ(4)

大津波の被害を受けた三陸の海岸はリアス式と呼ばれる地形で知られる。
リアス式の語源は以下のようである。

リアス式海岸という呼称は、スペイン北西部のガリシア地方で入り江が多く見られた事に由来する。スペイン語で「入り江」を意味するリア(ría)あるいは、入り江の多い地方の名前(Costa de Rías Altas)等を元に、1886年ドイツ地理学者フェルディナント・フォン・リヒトホーフェンが命名した。しかし、リヒトホーフェンは、海岸線と垂直な方向に伸びる溺れ谷の連続する複雑な形の海岸線をリアス式海岸と定義していた。
1919年アメリカ地形学者のジョンソンは、より広い言葉として沈水海岸を定義し、リヒトホーフェンの定義したリアス式海岸のうち、河川の浸食によってできた開析谷が沈水して溺れ谷となっている場合をリアス式海岸氷河の浸食によってできたU字谷が元になっている場合をフィヨルドと定義し、これが定着した。
・・・・・・
日本国内では
三陸海岸房総半島南部、若狭湾周辺、志摩半島紀伊半島南部山陰海岸宇和海日豊海岸長崎県九十九島などで見られる。ただし三陸海岸は、南部が沈水海岸であり、典型的なリアス式海岸を形成しているのに対し、北部は隆起海岸である。
Wikipedia110902最終更新

リアス式海岸は風光明美であり、三陸海岸も国立公園(陸中海岸国立公園)に指定されている。
景勝地のほとんどは、石灰岩地形の白さと植物の緑、コバルトブルーの澄んだ海と青い空という組み合わせである。
また、鳴き砂と呼ばれる砂浜がある。鳴き砂は汚れると音がしなくなるといわれ、浜辺の清掃のみならず、海水が汚れないよう努力されている。

三陸海岸の沖合いは、世界三大漁場の1つとなっている。
黒潮と親潮がぶつかり合うからだと教えられた記憶があるが、リアス式海岸の「河川の浸食によってできた」ということも重要な要因である。

日本<汽水>紀行―「森は海の恋人」の世界を尋ねて 』文藝春秋(0309)の著者・畠山重篤さんは、気仙沼湾で牡蠣の養殖業を営んでいる人である。
「海は森の恋人運動」を長年続けておられる。今回の震災で大きな被害を受けたが、復興すべく活動中である。
以下は、近況(9月2日の「地域再生人材大学サミットin能登)における講演要旨から。

海は森の恋人運動は、気仙沼の湾に注ぐ大川の上流で植林活動を20年余り続け、約5万本の広葉樹を植えた。赤潮でカキの身が赤くなったのかきっかけで運動を始めた。スタート当時、科学的な裏付けは何一つなく、魚付林(うおつきりん)があるとよい漁場になるという漁師の経験と勘にもとづく運動だった。お願いした北海道大学水産学部の松永勝彦教授(当時)によって、植物プランクトンや海藻の生育に欠かせないフルボ酸鉄(腐葉土にある鉄イオンがフルボ酸と結合した物質)が大川を通じて湾内に注ぎ込まれていることを解明された。漁師の運動に科学的な論拠を与えてもらった。このおかげで、大川上流のダム建設計画も中止となった。植樹活動には子供たちを参加させている。かつて植樹に参加した子供たちの中には、いま生態学者を志す者もいる。森と川と海をつなげる森は海の恋人運動は、漁師の利害ではなく、未来の地球の環境を守るための「人々の心に木を植える」教育活動だと考えている。
http://blog.goo.ne.jp/f-uno/c/4775e782f10c2ec4451703cb460dbb05

津波は大きな災害をもたらしたが、また多くの日本人がその恵みを享受している。
畠山さんは、上掲書で次のように書いている。

アジアモンスーンの降雨量の多い緯度に位置し、背骨のような山脈の森から日本海側と太平洋側に血管のように川が注ぎ、沖積平野で稲穂が波打つこの国を瑞穂の国とたたえて呼ぶ。だがそれは日本列島を包んでいる汽水域を含めてのような呼び名のような気がする。

三陸のリアス式海岸の生態的特徴は以下のように描写される。

つまり、リアス式の入り江は淡水と海水の入り混じった汽水域であるから、森林の腐葉土層を通過した水の中に、海の生物生産の出発点となる、植物プランクトンを成長させる養分が含まれている。植物プランクトン、動物プランクトン、小魚という食物連鎖がつながってくるのだ。

見ればお分かりのように、畠山さんは「漁民」を自称するが、達意の文章家である。
東北日本の復興は、海と陸を一体的に捉える視点が必要なことを教えられる。

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2011年9月15日 (木)

「サトウの切り餅」と 越後製菓の特許(2)/「同じ」と「違う」(30)

越後製菓(新潟県長岡市)が、同業の佐藤食品工業(新潟市)に、「サトウの切り餅」など5品目の製造・販売差し止めや賠償を求めた訴訟の控訴審で、知財高裁は7日、佐藤食品による特許権侵害を認める中間判決を言い渡した。
この訴訟は、地裁では「特許権の侵害には当たらない」と判断されたものである。
⇒2010年12月 1日 (水):「サトウの切り餅」と 越後製菓の特許/「同じ」と「違う」(24)

判断が結果的に逆転したわけで、知財争訟の難しいところである。
高裁の判断は次のようである。

知財高裁のジャッジは“正解は、越後製菓!”だった。09年4月、越後の提訴によって起きた、業界トップと2番手の訴訟。飯村裁判長は「佐藤の切り込みは越後の発明の技術的範囲に属する」と1審判決を覆した。
越後の切り餅には、焼き網に置いたとき一般的に側面となる面に、ぐるりと全周切り込みが入っている。焼けてもきれいにふくらむ技術として、02年10月に特許出願し翌03年から販売開始。特許登録は08年だった。
一方、佐藤の製品「サトウの切り餅 パリッとスリット」は、長い方の側面2面に各2本、上下面に十字形の切り込み。特許の出願は越後より9カ月後の03年7月だったが、04年11月には特許登録されていた。
特許の侵害を主張する越後側に対し、独自の技術開発とする佐藤側の言い分は真っ向から対立。越後の特許は「切り餅の底面や上面ではなく側面の切り込み」となっていることから、1審判決では「越後の特許は側面に限られる」と認定し、特許侵害には当たらないと判断された。ところが控訴審では「底面と上面に切り込みを設けるものを含まないという意味ではない」と判断された。

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http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/09/08/kiji/K20110908001577270.html

私見では一審の東京地裁の判断には違和感があったので、今回の知財高裁の中間判決は妥当なものであると思う。
越後製菓の特許の本質は、「焼いても形が崩れないよう」「切り込みを入れた」ことにあり、「佐藤食品は側面のほか上下の面に十字形の切り込みを入れていた」からといって、本質を侵害していることを回避できないと考えられるからである。
上掲記事によれば、佐藤食品のスタンスは下記の書き通りである。

製造差し止めを求められている5商品は佐藤の年間売上高約270億円のうち実に100億円程度を占めているといい、佐藤は「最高裁への上告を視野に争っていく」と徹底抗戦の構え。両者の“遺恨”は、餅の表面の溝よりも、はるかに深くなりそうだ。

佐藤食品も簡単には引き下がれない。
争いは続きそうである。

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2011年9月14日 (水)

静岡空港の廃港と福島第一原発の廃炉

原発を今後どうするかについては、議論が分かれるだろうが、福島第一原発については廃炉にせざるを得ないだろう。
そのための工程とコストはどう考えられているのだろうか?
たまたま、静岡県と日航との間の訴訟が、和解の方向で決着しそうであるが、静岡空港もいずれ廃港の運命は避けられないと思う。
訴訟は、静岡空港からJALが撤退することに関し、運航支援金約1億5300万円を支払わないのは契約不履行として、日本航空が静岡県に支払いを求めた搭乗率保証をめぐって争われていた。

同県と日航は13日、東京地裁(甲斐哲彦裁判長)の和解勧告を受け入れる方針を表明した。
2009年7月の川勝知事就任以来続いてきた混乱は、県が日航に約1億5000万円を支払うことで決着する見通しとなった。
和解勧告で示された金額は、日航が求めた支援金より約300万円少ない。この差額は、日航が路線撤退を県に伝えた翌日の09年10月29日以降の支援金分とみられ、東京地裁が「日航が一方的に撤退を決めた」とする県の主張に配慮したとも受け取れる。支払いが遅れたことによる1000万円以上の遅延損害金は含まれていない。
このため、川勝知事は13日、記者団に「和解案にある精神を尊重したい。主張がほぼ完全に受け入れられたと思っている」と勝利宣言した。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110914-OYT1T00377.htm

県民の立場からすれば、和解勧告案は実質敗訴という以外にないもので、「どこが勝利?」である。
川勝知事の「勝利宣言」というのは、建前上そう言うしかなったことは本人も理解していると思われる。
次のように語っていることからもうかがえよう。

川勝知事は「契約そのものが倫理的に見るとフェアとは言えない。日航が強欲、県が卑屈という旧来の体質が生んだもの。県民のほとんどが納得していない」とも述べ、最後には「悔しいですよ、そりゃ」と支払いに納得していない本音も明かした。
同上

私も、契約そのものが、いわゆる公序良俗の観点から問題だと思うが、搭乗率保証は前任の知事が結んだものである。
さらに遡って、空港の建設は前々知事の判断であるが、静岡空港が必要だという論理が良く分からない。
空港建設時から疑問の声は大きかったように思う。

静岡県内には東海道新幹線の駅が6つもあって、少なくとも県東部の人間にとっては、羽田空港の方がずっと近い。
西部の人は、中部国際空港セントレアがある。
海外からの誘客、いわゆるインバウンドが県の観光振興に必要だといっても、やはり羽田から新幹線を利用した方が便利だと思われる。

それに、立地条件が問題である。
静岡空港はお茶の産地に位置している。
お茶の産地として、霧の出る地域が好適なことはよく知られている。そもそも、お茶の産地と空港とは両立しがたいのである。
鹿児島空港なども、周辺は溝辺茶の産地であるから、最終的には便益と費用の対比であるが、静岡空港はどう考えても便益が小さく費用は大きい。

この先の維持管理費用を考えると、膨大な赤字を垂れ流すよりも、廃港という選択肢に傾かざるを得ないのではないか。
そのための費用を考えると公共事業は、的確な予測と評価が求められる。
民主党のマニフェストの象徴だった八ツ場ダムも結局どうなるのか?
作ることを決めた時の政権は自民党であるが、余りにも長い時間が流れてしまった。

福島第一原発の1号機の営業運転が始まったのは1971年3月だから、今回の事故まで、ちょうど40年である。
40年運転して、果たして採算的にどうだったのか?
原発の発電コストは「安い」と言われてきたが、事故の賠償や廃炉のためのコストをどの程度織り込んだ計算か?
廃炉について、解説記事を見てみよう。

廃炉とは何か?
「原子炉から使用済み燃料を取り出し、全ての施設を解体撤去する」
原子力安全・保安院の資料ではこう定義している。行政用語では廃止措置といい、最終的には更地に戻すことだ。

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「福島の最大の課題は、燃料をどう取り出すかです」
電気に関わるエネルギーや環境問題を研究する財団法人電力中央研究所の井上正・研究顧問はこう語る。
・・・・・・
廃炉費用はどれぐらいなのか。各電力会社で作る電気事業連合会によると、2007年の試算で、原発1基約660億円。だが、井上顧問は「これだけの規模の事故後の廃炉だと、数百億円という単位では収まらないのでは」と語る。
      ■
これだけでもため息が出そうな作業だが、「溶けた燃料が取り出せるとは思わない」と語るのは勝田忠広・明治大准教授。反原発を訴えるNPO「原子力資料情報室」に在籍したこともある原子炉工学や原子炉政策の専門家だ。
・・・・・・
廃炉費用については「汚染がひどい放射性廃棄物が膨大で原発の建設費(1基3000億~4000億円)まではいかないが、それに近い数字になるのでは」と推測する

http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110822dde012040014000c.html

気の遠くなるような数字である。
ライフサイクルコストを踏まえたコスト・ベネフィット分析が必要であろう。

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2011年9月13日 (火)

フクシマは津波によりメルトダウンしたのか?/原発事故の真相(7)

鉢呂前経産相が「失言」により引責辞任した。
⇒2011年9月10日 (土):「閣内てんでんこ」の野田ドジョウ政権と言葉の力
後任の経産相に前官房長官の枝野幸男氏が就任した。
野田首相としては、船出そうそうのアクシデントに懲りて、前政権の重鎮を据えて安全を期そうということであろう。
私も枝野氏の力量に大いに期待したいところだが、気になることがある。

枝野氏は官房長官として、事故対応の説明に注力してきた。
弁護士としての弁論技術はさすがで、官房長官の職に相応しいといえよう。
しかし、巧みな弁論はとかく人を誘導する力も持っている。

東電がメルトダウンを認めたのは5月12日のことであった。
⇒2011年5月16日 (月):フクシマの現状と見通しは?/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(30)
枝野氏は官房長官として、5月13日の記者会見で次のように説明した。

東京電力が福島第1原発1号機の状態をメルトダウン(炉心溶融)と認めたことについて「周辺住民への安全対策で問題になることは生じない」と述べ、周辺住民への影響はないと強調した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110513/plc11051311130010-n1.htm

事故による放射能の放出は、大部分が震災発生直後であったといわれている。
だから、この時点では、メルトダウンしていたと後追いで認めたからといって、そのことで事態が深刻化するものではないかもしれない。
しかし、「周辺住民への安全対策で問題になることは生じない」とすることは、状況的にどうだっただろうか。
枝野氏は、ずっとメルトダウンはしないと言い続けていたのである。

枝野幸男官房長官は19日午前の記者会見で、福島第1原発事故の現状に関し「現在は冷却が一定程度できており、冷却が継続できればメルトダウン(全炉心溶融)にはならないだろう」との見通しを示した。(共同)
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20110419-763300.html

枝野氏が、見通しが違っていたことについて、陳謝したという発言は聞いた覚えがない。

果たして、メルトダウンはいつ起こったのだろうか?
水素爆発に至るプロセスの説明について、西村肇さんたちの推測を紹介したことがある。
⇒2011年6月23日 (木):西村肇さんの水素爆発に至る過程の推算/原発事故の真相(2)

「エコノミスト」臨時増刊110711号『福島原発事故の記録』の冒頭に、『津波が来なくてもメルトダウンは起きた? 問題は耐震性だ』という田中三彦氏へのインタビュー記事が載っている。田中氏は、元原子炉製造技術者という肩書である。
結論的には、「メルトダウンの原因は、東電や原子力保安院の説明のような津波による電源喪失のためではなく、地震による配管の損傷による冷却材喪失ではないか、ということである。
Photo
この推測は、上掲西村さんらの推測と一致している。
東京電力は、この期に及んでも、事故手順書の提出を求められて、墨塗りのモノを出した。

東電は提出拒否、黒塗りの理由を「知的財産権の保護とテロなどからのセキュリティー」と説明しているが、会社の力だけでは原発事故を収束できない現状で、「企業秘密」を持ち出す神経が異常だ。司会の赤江珠緒も珍しく語気荒い。

「この期に及んで知的財産権の保護を言うが、放射性物質の漏えい・蓄積で財産を奪われた人たちに通用するわけがないと思いますがね」

   東電は真っ黒く塗りつぶした紙の提出は、原子力安全・保安院の了解をとったという。保安院は経産省から離され、いずれ環境省の傘下に入ることが決まっているのに、元経産相の海江田万里は人事権を使って引き続きトップに経産省官僚に据えた。この辺りからすでにマニュアルができているのかも。東京電力に強制捜査をかけないと、次々と証拠隠滅されてしまうだろう。いや、もう遅いかもしれない。
http://www.j-cast.com/tv/2011/09/13107060.html?p=2

Photo_4
http://news.goo.ne.jp/photo/kyodo/nation/PN2011090701001034.html

墨塗りをして隠蔽しようとするものは何か?
隠せば知りたくなるのが人間の心理である。

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2011年9月12日 (月)

福島原発事故と今後のエネルギー政策

「文藝春秋」1110号は、「原発、私は警告する」という特集を組んでいる。
その1つに、東谷暁氏の『検証・原発報道 誰がウソをついていたか』という評論が載っている。
東谷氏は政治や経済などの多彩な評論で知られるジャーナリストである。

東谷氏は次のように筆を起こす。

福島第一原発事故において最も国民を不安にさせたのは、政府の発表が二転三転したことだった。

なったくその通り、というべきであろう。
たとえば、「放射能は、直ちに影響のあるレベルではない」というような表現で発表する。
「直ちに」というのが、急性の障害ということなのか、総量としてさしあたって障害が発生しないということなのか。
直ちにでなければ、いつ影響が出てくるのか。
⇒2011年3月20日 (日):福島第1原発事故と放射線量の用語について

あるいは、小佐古敏荘東大教授や海江田前経産省などの責任ある立場の人が、説明中に泣き出してしまう。
国民は、事態の深刻さに不安になるというのに、首相夫人は「泣いたこと」を座興的に揶揄する。
⇒2011年4月30日 (土):小佐古・内閣官房参与が辞任/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(19)
⇒2011年8月 4日 (木):海江田経産相の号泣に価値はあったか?

東谷氏は、閣僚、政府関係者のブレ発言を批判する一方で、「原発問題の論客たちの発言」を俎上にのせる。
武田邦彦、大前研一、小出裕章、広瀬隆、飯田哲也、桜井淳、田原総一朗、池田信夫、古賀茂明s、孫正義、西尾幹二等の諸氏である。
東谷氏は、諸氏の言説を、2軸の平面上に位置づけて論じている。いわゆるポジショニングの手法である。

まず、今回の事故の性格の認識である。
Ws000000
東谷氏は「天災-原発維持」の立場が鮮明である。
私は、孫・菅氏と同程度「人災バイアス」と考えるが、原発維持か脱原発かについては、時間軸を抜きにして論ずることはできないと思う。
長期的には「脱原発」に行かざるを得ないであろう。

これからのエネルギー源についてどう考えるか?
Ws000001
これも時間軸によって変わってくる。
長期的には自然エネルギー(再生エネルギーという表現には抵抗がある。一度使ったエネルギーが再生するわけではない)依存度を高めるべきだと思うが、技術的な課題も多い。
当面、化石エネルギー(特にガス)に依存せざるを得ないのではないか。

次に、電力供給システム、特に発電と送電を分離すべきかどうかである。
Ws000002
この論点に関しても東谷氏はユニークである。
発送分離のための課題の全体像がよく分からないが、将来的には電力も地産地消的であるべきだろう。
大消費地としての首都等の都市政策とも絡むが、分散型を志向するならば、分離の方向になる。

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2011年9月11日 (日)

政府による「情報の隠蔽」は犯罪ではないのか

この半年間、何をし、何を考えて毎日を過ごしてきたのだろう。
私のように、直接の被災者ではない人間にも、東日本大震災は大きな体験であると思う。
特に、福島原発事故は、未だ収束の見通しが立たず、被害の全容も分からない。
政府が明らかに情報を隠蔽していたことが少しずつ明らかになっているが、ほんの氷山の一角に過ぎない。

例えば、佐野眞一『津波と原発 』講談社(1106)に次のような記述がある。

福島県警の通信部隊はその作業を終えて、間もなく、引き上げていった。
「そのとき彼らは、『国はデータを隠している。もうここにいない方がいいですよ』と言った」
――えっ、それは重大な証言だ。もう少し詳しく話してください。
「『今回の原発事故は重大で深刻だから、国は隠す。私らも撤収して帰れって命令が来たから帰りますが、ここにはいない方がいいですよ』と言って、帰っちゃったわけ」
――彼らが来たのは間違いなく十二日でしたか。
「間違いなく十二日の朝だった。そしてその日の夕方には撤収命令が出たからって、帰っちゃった」
――くどいようですが、そのとき彼らは「国は隠すから、あなたたちも撤収した方がいいですよ」と言ったんですね」
「うん、『ここはいない方がいいいですよ』と、言った」
福島第一原発の一号機で水素爆発が起きたのは、三月十二日の午後三時半過ぎだった。浪江の牧場を借りて通信機材をセットした福島県警の通信部隊は、ヘリコプターで撮影されたその爆発時の動画を通信衛星で県警本部に送った。県警本部はその動画を解析した結果、危険と判断したから、通信部隊に撤収命令を出した。

(p94)

「国は隠していた」のである。
⇒2011年5月 6日 (金):政府による情報の隠蔽と「見える化」/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(22)

その結果、どういうことが起きたか。
例えば、以下のようである。

原発から放射能汚染物質がどの方向に拡散するかを予測して日本国民を放射能汚染から守る為の文科省のSPEEDIの予測ですが、一部の上の者が情報を独占して仕舞い、そもそもの目的であった肝心の国民には『風評被害を引き起こす』との不真面目な理由で伏せられていたのです。
被害を被ったのは一般市民だった。
原発に隣接していた浪江町では大震災翌日の12日早朝、政府からの『10キロ圏外に退避』との方針で町民21000人に対して福島第一原発から北西へ29キロ以上離れている浪江町津島地区に避難するよう指示している。
この為に浪江町民8500~10000人が放射能汚染濃度が一番高い津島地域に3日間も留まることになったしまった。
10キロ圏外の南相馬市では『原発の被害は及ばない』として一切の防災計画もいざという時の備えも無く勿論訓練も無い。
原発事故後に浪江町など隣接する町からの避難民を当初受け入れたのは南相馬市で一番汚染濃度が高い(原発から北西方向)山側の小高地区だった。
これは有る意味では当然で、当時は大津波の影響で海岸部は壊滅状態なのですから、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の情報を知らされていないで避難する人々は、必ず放射能汚染がより高い山側に逃げることになってしまったのです。
・・・・・・
地元の福島県当局は、放射性汚染物質が飯舘村など原発から北西方向に流れると予測したSPEEDIの『広報』を何故さぼったのか。
原発爆発後にSPEEDIの予想は知らされることはなく、逆に防災無線で北西に向かって逃げるよう誘導され、あえて汚染の酷い方向へ多数の住民が車で避難し、結果何時間も大渋滞して、わざわざ一番高濃度の放射性物質を不必要に浴びて仕舞ったのである。
・・・・・・
また、NHKのETV特集『ネットワークで作る放射能汚染地図』(4/3放送)では、文科省は浪江町赤宇木地区(原発から北西31キロ)を計測しホットスポットの実態を掴んでいたが『風評被害を避けるため』として赤宇木地区に避難していた一般住民に隠していた。
これ等の避難民は政府の強制退避勧告で、避難場所より低濃度汚染地域の相馬町や二葉町の海岸部から、わざわざ放射性物質に高濃度に汚染されていた山間の赤宇木地区に逃げていたのですから救われない話である。

汚染予測(SPEEDI)未公開で避難民が放射線被曝
(110614)

また、最近、次のような報道がなされた。

Photo 東京電力福島第一原発から北西に帯状に延びた高濃度の放射能汚染地帯は、3月15日午後の気象条件が重なり形成されたことが日本原子力研究開発機構の解析でわかった。2号機の事故で放出された大量の放射性物質が雨で地表に落ちた。降雨がなければ、汚染度は大幅に低くなったという。
北西の帯は原発から約40キロの長さで浪江町、飯舘村周辺。政府が今月1日に公表した線量調査でも、高線量地域は北西方向と原発周辺に集中していた。最高(地上1メートル)は警戒区域が大熊町夫沢(原発から南西約1キロ)の毎時139マイクロシーベルト。計画的避難区域では、浪江町昼曽根(同北西約22キロ)で毎時41.3マイクロシーベルトだった。
・・・・・・
同機構の永井晴康・環境動態研究グループリーダーの推定では、大量の放射性物質が事故で2号機から放出されたのは3月15日の午前7~同11時と、午後1~3時の2回。特に午後の2回目の放出ではガス状の放射性物質などが集まった放射性プルーム(放射性雲)が、西から次第に北西方向へ流れた。県内各地で線量が上昇。夕方には飯舘村(原発から北西約39キロ)、福島市(同約63キロ)でも上がった。

http://www.asahi.com/national/update/0908/TKY201109070689.html

このSPEEDIの予測が文字通りスピーディに開示されていれば、15日の午後の降雨による被曝はかなり防げたのではないか。
SPEEDIの開示の問題は小佐古東大教授の内閣官房参与辞任の理由の1つでもある。
⇒2011年4月30日 (土):小佐古・内閣官房参与が辞任/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(19)

このような「情報の隠蔽」は、決して過失ということではなく、故意の加害行為といえよう。
「3・11」から半年たった今日は、あの「9・11」から10年目でもある。
21世紀にになって早々の「9・11」の映像は、時代の転換を予感させる衝撃的なものだった。
「3・11」もまた衝撃であるが、その意味は複雑である。

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2011年9月10日 (土)

「閣内てんでんこ」の野田ドジョウ政権と言葉の力

野田内閣がまずまずの支持率でスタートしたと思ったら、閣僚やら党要職の失言(?)が相次いでいる。
一川防衛相に関してはすでに触れた。
⇒2011年9月 4日 (日):シビリアン・コントロールとは何か

平野博文国会対策委員長は、7日の与野党国対委員長会談で、臨時国会の会期を13日から16日までの4日間と提案した理由について「今の内閣は不完全な状態で、十分な国会答弁ができない」と説明した。

野田内閣は10人が初入閣。野党はシビリアンコントロール(文民統制)を巡って失言した一川保夫防衛相らを追及する構えをみせている。こうした中での平野氏の「不完全」発言に野党は反発。公明党の漆原良夫国対委員長は「与党国対委員長の言葉として非常に重い」とその場で抗議した。結局、会期を巡る与野党の主張は平行線のまま、結論を8日以降に持ち越した。
平野氏は会合後「内閣が発足したばかりで体制が整っていないという意味だった」と釈明したが、身内に「不完全」と指摘された政府側の反応も複雑。藤村修官房長官は7日の会見で「いちいちコメントしない。(答弁は)しっかりやれると思っている」と語った。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110908ddm005010202000c.html

国民からすれば、不完全であろうとなかろうと、すでに船出をしてしまっている内閣である。
しかも、稀に見る悪天候という条件下である。
適格性を欠いている人は、直ちに交代してもらいたいと思う。
平野氏はまた、閣僚のTV出演を自粛すべきだと要請したという。

野党側が「閣僚はテレビに出て発言している」と指摘すると、平野氏は、閣僚のテレビ出演の自粛を政府に要請したことを明らかにした。
自民党の石破政調会長は「政策を国民にご理解いただくべく、メディアに出るっていうのは、わたしは閣僚の責務だと思います。ぼろを出すのは嫌だから、テレビに出るのはやめろというのは、これをして本末転倒」と述べた。
これに対し、民主党幹部は「滑り出しの良い内閣だから、失言する場を与えないのは当然」と述べた。
一方、藤村官房長官は会見で、内閣として、テレビ出演を自粛する考えはないと述べた。

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00207099.html

三陸地方には、津波から逃げるときには、家族といえども「てんでんばらばら」に自分のことだけ考えないと逃げ遅れる、というような教訓を含めて「津波てんでんこ」という言葉があるそうである。
閣内不一致どころか、「閣内てんでんこ」のありさまである。

野田新首相は、代表選の演説で「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」と相田みつをの言葉を引用して好感されたらしい。
自身「大好きな言葉」ということで、自身をドジョウにたとえ、「(ドジョウは)金魚のまねをしてもできない。泥臭く国民のために汗をかいて(略)ドジョウの政治をやり抜きたい」と抱負を述べてもいる。
まあ、格調が高いとはいえないが、人柄を示しているとはいえる。

一種の「言葉の力」といえよう。
猪瀬直樹東京都副知事の『言葉の力 - 「作家の視点」で国をつくる (中公新書ラクレ)』(1106)が好評らしい。
思考は言葉を媒介にして行われるから、「言葉の力」とは「思考の力」ともいえよう。

そういう視点で考えると、鉢呂吉雄経産相の発言も、単なる失言とは言えないのではないか。

鉢呂吉雄経済産業相が9日午前の会見で、8日に視察した東京電力福島第1原発の周辺市町村について「“死の町”だった」と発言した。夕方の会見で陳謝したものの、夜になり、視察後に防災服を記者にすりつけ「放射能をうつす」という趣旨の発言をしていたことも発覚。野田佳彦首相は「不穏当」と強い不快感を示したが、野党は一斉に批判。13日召集の臨時国会でいきなり任命責任を追及されるのは必至だ。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/09/10/kiji/K20110910001592190.html

確かに、立ち入りが禁止されている(立ち入れば処罰される)から、ひと気が欠けていたであろう。
それを“死の町”と表現するかとは思うが、表現力の欠如と言えなくもない。
しかし、「放射能をうつす」というのは、どういう神経かと思う。
「汚染で苦しむ皆さんのことについてマスコミの皆さんにも共有して頑張って難局を乗り越えていきたいということでありますので……」と弁解しているが、説明になっていない。
鉢呂氏も適格性に疑問符をつけたい。

と書いていたら、TVで「辞表を提出」の臨時ニュースが流れた。
一度発した言葉は、消しゴムで消したり、コンピュータでDELETEするようにはいかない。

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2011年9月 9日 (金)

野菜の力(2)/闘病記・中間報告(30)

人間が本来草食動物であるか否かはともかくとして、食物と健康にはどのような関係があるのだろうか?
「医食同源」という言葉もある東洋医学ではどう説明しているか、『石原結實の病気を治す「野菜力」』ナツメ社(0904)をみてみよう。

「食が血となり、血が肉となる」というように、食べたものが血液の成分になって、その血液が全身を循環して臓器や組織をやしなっている。
血液が酸素や栄養を細胞に届けているのである。
その血液のバランスが崩れていることを、東洋医学では「血液の汚れ」という。

「血液の汚れ」の原因の第一は、老廃物である。通常は、尿、便、呼気として体外に排出される。
その排出が滞ると、血液中の濃度が高くなり、細胞に悪影響を与える。
第二は、元来体に必要な栄養素が使いきれないで残った場合である。
糖尿病、脂質異常症などの病気の原因となる。

「血液の汚れ」の原因を、上掲書では以下のように整理している。
Ws000000
私自身、思い当たる項目が多い。発症前の生活では、「冷え」以外はすべて当てはまるものだったといえよう。

食べ過ぎはもちろん良くないが、問題は栄養素のバランスである。
これについては、いろいろ言われてきた。
例えば、1日30品目以上食べようとか、5 A DAY(ファイブ・ア・デイ)等である。
後者は、1991年にアメリカのPBH(農産物健康増進基金)とNCI(米国国立がん研究所)が協力して始めた健康増進運動で、日本でも2002年にファイブ・ア・デイ協会が設立された。
5aday

下記の厚労省と農水省が2005年に発表した「食事バランスガイド」は、どこかで目にしているだろう。
Photo

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2011年9月 8日 (木)

野菜の力/闘病記・中間報告(29)

先月、小中学校の同窓会に出席したとき、私の脳梗塞罹患のことを初めて知ったという旧友が、自分で実践している健康法について薀蓄を語ってくれた。
⇒2011年8月 7日 (日):「花背」の思い出と往時渺茫たる長期的記憶の秘密
彼のいうところによれば、健康法の要諦は次の2つ。
1.過食をしないこと
2.体を温めること

過食については、しようと思ってもなかなかできない齢になってしまったが、身体を温めることについては聞いたことはあるが意識して実践した記憶はない。
一時期腰痛がひどく、2週続けてブロック注射をしてもらってから何とかおさめてきたが、その腰痛を抑えるために、腰湯という形で下半身を温めてきた。
ただ浴槽に浸かっているのも時間のムダだろうと、読書の時間に充てていた。
いま思えば、身体は温められたに違いないが、血液の濃度が高くなっていたのではないだろうか。それが脳梗塞を誘発した可能性があるとも考えられる。

旧友は、後日、参考にせよということで、『石原結實の病気を治す「野菜力」』ナツメ社(0904)という本を送ってきてくれた。
私の現在の食生活はまさに草食系になっているので、心強い内容である。
草食系としての理論武装である。

同書によれば、「人間は本来草食動物だった」。
それは「歯」を見ればわかる。
歯は、臼歯、切歯(門歯)、犬歯に3分される。
このうち、約9割が臼歯と切歯で占められる。これらの歯は、穀類、芋類、野菜類などを食べるためのものである。
Photo

歯の構成からして、人間は本来草食動物だというのである。
ヨーロッパ人の祖先が寒冷な風土で暮らすようになり、穀類や野菜が十分に補給できなくなった。
狩猟や牧畜は、やむを得ず始められたということである。
農耕民族を自負する日本人も、いまやすっかり肉類を多食する西欧風の食生活になった。

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2011年9月 7日 (水)

脳卒中リハビリ最前線/闘病記・中間報告(28)

4日放映されたNHKスペシャル『脳がよみがえる~脳卒中・リハビリ革命』は、脳卒中のリハビリにおける新しい動きを紹介しており、脳卒中患者必見だった。
Photo
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2011031247SC000/
番組では、脳卒中患者数を279万人としていたが、この数値は厚労省の公表値134万人の約2倍である。
⇒2011年9月 5日 (月):東日本大震災と脳卒中リスク/中間報告(23)
おそらく、基準の算定が異なるのであろう。

ちなみに、厚労省の総患者数の定義は以下の通りである。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/kanja/05/05.html

総患者数(傷病別推計)とは
 総患者数とは、調査日現在において、継続的に医療を受けている者(調査日には医療施設で受療していない者も含む。)の数を次の算式により推計したものである。

総患者数=入院患者数+初診外来患者数+再来外来患者数×平均診療間隔×調整係数(6/7)

NHKの279万人がどういう基準に基づくのかは分からない。
リハビリ患者の中には介護保険対象者もいると思われるが、厚労省の総患者数の中には入らないのかも知れない。

脳梗塞にしろ脳出血にしろ、脳卒中そのものは血流の回復や止血で終わる。
しかし、脳細胞が損傷し、再生することがないため、脳の指令による身体あるいは精神の機能が失われる。
失われた機能を代償的にせよ回復させようというのがリハビリである。

リハビリには「半年の壁」があるといわれる。
回復曲線が半年でほぼ飽和する。
⇒2010年5月 9日 (日):中間報告(5)回復期リハビリについて
ただ、半年以降も回復不能というわけではない。
私は、発症後1年9カ月になろうとしているが、まだ改善途上にある(と思う)。

番組では、NHKの元解説委員の藤田太寅さんが体験を踏まえた(4年前に発症)進行役をやっていた。
鹿児島大学医学部の川平和美教授によるリハビリ。
理化学研究所脳科学総合研究センター脳信号処理研究チームによる脳波をブレイン・マシン・インタフェイスで外部化する研究。
慶応義塾大学病院の脳波を測定し、健常者との差異をフィードバックする研究。
大阪森ノ宮病院における環境が患者の意欲に与える効果の検証。
さまざまな先端的な試みが紹介されていた。

いずれも脳の力をどう引き出すかがKEYである。
図式化すれば以下の通りである。
<脳波→増幅→促通反復→回復>
その意味では、リハビリだけでなく、たとえば教育などにも応用できるものと考えられる。

以前に、左側が損傷されたら右側で代償するという慈恵医大の研究を目にしたことがある。
Tms20110816honki
http://www.47news.jp/feature/medical/2011/08/post-565.html
これらの先端的な療法が一般化すれば、患者本人のためはもとより、社会全体の医療費の低減に寄与するはずである。
早く多くの機関、施設で施術できるようにしてほしい。

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2011年9月 6日 (火)

台風12号による降水被害/花づな列島復興のためのメモ(3)

それにしてもすさまじい降り方というしかない。
台風12号による和歌山、奈良両県への降水は大きな爪痕を残した。
まさに災害列島である。
12
静岡新聞110906

紀伊半島の降雨量が多いのは小学生の時から知っている。
しかし、1回の降水量が1800ミリを超えるとは。

大阪管区気象台によると、8月30日午後6時の降り始めからの総雨量は、奈良県上北山村で1800ミリを超え、鉄砲水で村営住宅2棟が流された十津川村も1300ミリを超えるなど、記録的な大雨を観測。上北山村の年間雨量の平年値は2713.5ミリで、わずか5日で年間総雨量の6割以上が降った計算だ。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110905/dst11090509170005-n1.htm

リサーチャーの頃、「俗にバケツをひっくり返したようなという表現があるが、どの程度の雨をいうのか」と当時の建設省の人に訊いたことがある。
その時の答えが確か<30ミリ/時>だった。
1800ミリといえば、そのような雨が60時間ぶっ続けで降ったことになる。
<平均30ミリ/時>が、60時間である。ちょっと想像できない。

それこそ「想定外」と言いたいところだろう。長年住んでいる人が、経験したことのないような降り方だったという。
まさに記録破りである。

この雨の降り方は以下のように解説されている。
http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20110905ddn003040019000c.html

Photo紀伊半島は、太平洋に突き出て三方を海で囲まれている。
12号の場合、台風の東側に位置したため、南の海上から暖かく湿った空気が吹き込んだ。その風が紀伊山地で上昇して冷やされ、発達した雨雲が次々と形成された。
12号は、進行方向に張り出した太平洋高気圧と大陸からの高気圧に行く手を阻まれ、きわめてゆっくりとしたスピードで北上した。
このため、湿った空気が長時間にわたって紀伊半島に供給され続けた。

まさに災害列島である。
「コンクリートから人へ」という民主党のスローガンも霞んでみえる。
しかし、自民党時代のような公共事業にも限界があることは明らかである。

TVの映像の様子では、伐採された材木が流されたようだ。
森林は国土保全の機能があるといわれる。いわゆる公益機能である。
戦後日本社会は、あまりにも経済性に特化しすぎたのではないか。
林業は国際的な競争力を持たないといわれている。
しかし、国土を守る価値をどう評価しているのだろう。

被災地には大量の丸太が散乱していた。山の荒廃を思わせる光景だ。林業には間伐が不可欠だが、倒した木を山中に放置する「切り捨て間伐」の増加が問題になっている。病害虫の温床になる上に、大雨で山肌を下る水や川の流れをせき止めて、被害を拡大させる一因となり得るからだ。
・・・・・・
大型台風に代表される気象災害への備えには、山林などの生態系が持つ潜在力を再生させる工夫も必要だ。今年は「国際森林年」でもある。防災用ハザードマップの整備や適切な避難行動と合わせて被害の軽減に取り組みたい。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110906/dst11090603180002-n1.htm

民主党だけではない。自民党時代から、余りにも安易に「大衆受け」をする政策を選択し続けたのではないか。
国土を保全する機能を持たない限り、そしてそれはコンクリートだけでは不可能であろうが、国力が次第に衰えて行くことは避けられないだろう。

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2011年9月 5日 (月)

東日本大震災と脳卒中リスク/闘病記・中間報告(27)

患者数が多くて、死亡率も高い疾病は、医療政策においても注力すべき病気である。
厚生労働省は、2006年に「がん、脳卒中、心臓病、糖尿病」の4疾患について、都道府県が疾患ごとに専門的な医療を行う中核病院を明記するとともに、急性期からリハビリ、在宅診療に至るまでの連携体制を整備したり、数値目標を設定したりする医療計画を策定することとした。

医療計画の4疾病の患者数は、がん(悪性新生物) 152万人、脳血管疾患 134万人、虚血性心疾患 81万人、糖尿病 237万人(2008年患者調査)。
一方で、精神疾患の患者数は323万人であり、4疾病の患者数よりも多くなっている。
背景には、職場におけるうつ病の増加や、高齢化による認知症患者の増加などがある。
5_2

脳血管疾患(脳卒中)の患者数は漸減する傾向にあるが、社会復帰のためのリハビリテーション体制等において、依然として課題は多い。

また、東日本大震災の被災地における脳卒中リスクの増大が指摘されている。

日本脳卒中学会(理事長=小川彰・岩手医科大学長)は7月31日、東日本大震災による生活環境の悪化などで、脳卒中の発症者が被災地で増加する危険性があるとして、政府に対し、速やかな環境改善と脳卒中予防体制の整備を求める声明を発表した。
声明では、被災者の生活・健康環境はますます悪化しており、血圧レベルの上昇や、高血圧者の増加がみられると指摘。こうした状況が、もともと脳卒中発症の多い地域で今後さらに増加する恐れがあることを強く示しているとして、「国民病と称される脳卒中が被災地で増加することを看過できない」と訴えた。その上で、政府には、「被災者の生活・健康環境の改善」と「強力で有効な脳卒中予防体制の整備」を強く求めている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110801-00000002-cbn-soci

避難所の映像を見るだけでも、血圧が上がりそうな気がする。
野田内閣に実効性のある対策を期待する。

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2011年9月 4日 (日)

シビリアン・コントロールとは何か

各種の世論調査による野田新内閣の支持率は60%~70%程度だという。
意外に高いノダと思う。
ご祝儀的な感覚もあるのだろうが、菅政権に対するウンザリ感が貢献(?)しているのではないか。

新首相は、適材を適所に配したと自負しているが、改めてそういうことを言わなければならないのは、従前はそうではなかったということであろうか?
私の感じでは、昨日書いた山岡国家公安委員長・拉致問題担当相に不安を感じるが、一川保夫防衛相も不安要素ではないかと思う。
防衛相認証式の記者会見での発言が論議を呼んでいる。

一川保夫防衛相は2日、正式に就任する直前に一部の記者に対して「私は安全保障の素人だが、それが本当のシビリアンコントロール(文民統制)だ」と述べ、朝日新聞の取材にもそう発言したと認めた。これに対し自民党の石破茂政調会長(元防衛相)は「閣僚解任に値する。任命した野田佳彦首相の見識も問われる」と批判。国会などで追及する考えを示した。
http://www.asahi.com/politics/update/0903/TKY201109020811.html

石破氏は軍事オタク的だから、一川氏のヌルイ発言が許しがたいものに思えたのだろう。
まあ、素直に考えても、「素人だから本当のシビリアンコントロール」というのは、意味不明である。

シビリアンコントロールとはどういうことか?
Wikipedia では以下のように解説されている。

文民統制・シビリアンコントロール(Civilian Control Over the Military)とは民主主義国における軍事に対する政治優先または軍事力に対する民主主義的統制をいう。すなわち、主権者である国民が、選挙により選出された国民の代表を通じ、軍事に対して、最終的判断・決定権を持つ、という国家安全保障政策における民主主義の基本原則である。 軍については、一般的に最高指揮官は首相大統領とされるが、これは、あくまでも、軍に対する関係であって、シビリアン・コントロールの主体は、立法府国会議会)そして究極的には、国民である。このため、欧米では、その本質をより的確に表現するPolitical Control(政治的統制)、あるいは、民主的統制・デモクラティックコントロール(Democratic Control Over the Military)という表現が使われることが、より一般化しつつある。
民主主義国において、戦争平和の問題は、国民の生命・身体の安全・自由に直結する、最も重要な問題であり、であるからこそ、主権者である国民が、国民の代表を通じて、これを判断・決定する必要がある。

かつて統帥権の独立がいわれ、軍部の独走を許した。
そのような事態を許さないための原則であろう。
平たく言えば、政治家が軍に優先するということである。

素人であればだれでもいい、というわけではない。
一川氏は、「国民目線で、国民が安心できるような政策が大事だと(いう意味で発言した)」と弁明した、という。
国民目線とは何か?
大臣には、少なくとも政治のプロとしての矜持を持って仕事に当たって貰いたい。

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2011年9月 3日 (土)

野田首相は菅前首相の献金疑惑の闇をどこまで明らかにできるか

野田内閣が発足した。
「ノーサイド」の宣言通り、特定のグループを排除したりすることのない、気配りの人事のようである。
その点、著しく偏向(?)していた菅前首相に比べると、常識が窺える。
しかし、この体制がどこまで実際的な力を示すかは、もちろん未知数である。

山積する課題、例えば税と社会保障のあり方、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加、などの多くは、考え方が一本化しているわけではなさそうである。
このような問題を考える指針としては、基本的には、党の綱領として定めておくべきことと思うが、マニフェストを平然と反故にするような党である。
党内の基本的な思考や姿勢の矛盾に目を塞いで、融和のみを志向しても破綻するのは明らかだろう。

多くの課題があるが、先ずは、菅前首相が、退任間際の8月29日に唐突に指示した朝鮮学校の無償化適用の審査開始を野田首相はどう捌くのであろうか?
審査そのものは、中川正春文科相が行うようだが、私は審査の開始自体に、菅氏の政治的意図を感じざるを得ず、反対である。
⇒2011年8月30日 (火):菅首相の無神経な最後の指示

さすがに民主党内でも、中井洽元拉致問題担当相や中野寛成前拉致問題担当相は反対の意思表示をしている。
野田内閣では、山岡賢次氏が、国家公安委員長と兼務で拉致問題担当相に就任した。
山岡氏は小沢一郎氏の側近として知られる。それはともかく、今まで拉致問題にどのように対応してきたか?

「野田佳彦首相の拉致問題への考え方が出ている。拉致問題軽視としか言えない」。消費者相と国家公安委員長と兼務で山岡賢次氏が拉致問題担当相に就任したことに、増元るみ子さん=拉致当時(24)=の弟で拉致被害者の家族会事務局長の照明さん(55)は、失望感をあらわにした。
山岡氏は、超党派の国会議員でつくる拉致議連にも所属せず、拉致問題に関しては全くといっていいほど活動実績がない。拉致被害者家族らは「拉致問題での発言を聞いたことがない」と声をそろえる。
・・・・・・
菅直人前首相ら民主党議員側による拉致事件容疑者の長男が所属する政治団体側への巨額献金の発覚に続き、菅前首相は辞任直前に家族らが反対する朝鮮学校無償化の審理再開を指示するなど、家族らの民主党政権への不信は募る一方だ。
その中で、家族らは政策の継続性を訴え、中野寛成前担当相の留任を求めたが、その声も無視され、民主党政権の2年間で5人目の拉致問題担当相の就任となった。
野田首相は2日の会見で頻繁に担当相が替わることを問われ、「拉致問題を含め、その継続性で信頼を取り戻すことがこの内閣の最初の課題だ」と述べた。

担当相兼務の山岡氏「拉致軽視としか…」被害者家族は悲嘆

家族会の信頼感はないようである。
いささか不安を感じさせる人事であるといえよう。
Wikipediaを見ると、先ず下記のように書いてある。

山岡 賢次(やまおか けんじ、旧氏名:藤野 賢次、ふじの けんじ、旧氏名における旧姓:佐藤金子1943年4月25日 - )は、日本政治家衆議院議員(5期)。パチンコチェーンストア協会政治分野アドバイザー。健全なネットワークビジネスを育てる議員連盟顧問。

ネットワークビジネスというのは、いわゆるマルチ商法のことである。
消費者相も兼務であるが、危うい人事であると言わざるを得ない。

パチンコチェーンストア協会政治分野アドバイザーとはいかなるミッションを持っているのか?
寡聞にして知らないが、パチンコ業界が北朝鮮とさまざまな接点があるだろうことは推測できる。
ご丁寧にも、朝鮮学校の高校無償化を審査する中川正春文科相も以下のようである。

パチンコチェーンストア協会政治アドバイザーであり、パチンコ業界と強い繋がりを持つ。

果たして野田首相は、この人事で、菅氏あるいは民主党と「市民の党」等との関係を、闇から明るみに出す気があると言えるのだろうか?
パチンコチェーンストア協会の布石は、感心するべきなのか、それとも恐るべきなのか。

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2011年9月 2日 (金)

当世女子ネーミング考

「なでしこジャパン」がオリンピック予選の緒戦を無事勝利した。
期待値が上がっている分大変だと思うが、先ずは良かった。
このまま予選を突破して欲しい。

国民栄誉賞の受賞については、いろいろ意見があったようだが、頂けるものは頂いたらいい。
盗塁王の福本豊氏やイチロー選手が、同賞の打診を断ったのはそれぞれ“らしい”ので、それはそれで好感できるが。
副賞として、Audiの高級車が無償貸与されるそうだが、軽自動車が欲しいと言っていた選手は外車でガマン(?)することになるのだろうか。

もう済んだことなのでどうでもいいのだが、政権の支持率回復を図ろうとした菅政権の思惑は見事に外れたようだ。
当たり前である。そんな思いつきのオポチュミズム(ご都合主義)が通用するわけがない。
⇒2011年7月21日 (木):菅・蓮舫は、なでしこジャパンの快挙に便乗しようとするオポチュニスト

「なでしこ」のメンバーには世界選手権から若干異動があった。

8日、日本サッカー協会からメンバー20人が発表された。出場登録できる選手がW杯より1人少なく、W杯メンバーのうち故障中のGK山郷のぞみ(浦和)とFW岩渕真奈(日テレ)の代わりに、FW永里亜紗乃(日テレ)が新たに招集された。
http://www.sankei.jp.msn.com/sports/news/110808/scr11080818010014-n2.htm

GK 福元美穂(岡山湯郷)、海堀あゆみ(INAC)
DF 近賀ゆかり、田中明日菜(以上INAC)、矢野喬子(浦和)、熊谷紗希(フランクフルト)、上尾野辺めぐみ(新潟)、岩清水梓(日テレ)、鮫島彩(ブレーカーズ)
MF 沢穂希、川澄奈穂美(以上INAC)、宮間あや(岡山湯郷)、阪口夢穂(新潟)、宇津木瑠美(モンペリエ)
FW 安藤梢(デュイスブルク)、丸山桂里奈(千葉)、大野忍、高瀬愛実(以上INAC)、永里優季(ポツダム)、永里亜紗乃(日テレ)

メンバーリストを見ていて、いわゆる女子(最近は年配女性に対しても使うらしい)の名前が、半世紀ばかりの間にずいぶん変わったものだ、と思わざるを得ない。
キャプテンの沢さんは、穂希と書いて、ホマレと読むという。
名は体を表すというが、なかなか凝っているネーミングである。

他の選手も同様である。
なんと、われわれの世代にとっては最もポピュラーであった「○子」という名前が1人しかいない。
20人中の1人であるから、5%である。
マイナーというより、希少に近い感じである。

たまたま妻の高校の同窓会の名簿があった。
女子高であり、多少の地域性はあるかも知れないが、ごく一般的な女子のサンプルと考えて良さそうである。
数えてみると、1クラス45人の名前の内訳は以下のようであった。
○子……………29人
○江、恵、枝…  12人
○代、よ………   2人
○美…………… 1人
その他………… 1人

実に、○子が65%を占めている。「なでしこ」との差異は明らかである。
その原因は、時代の違いしか考えられない。大雑把に言って、40年くらいの時間差であろうか。
○え(江、恵、枝)は27%であって、○子と合わせて、この2パターンで90%以上になる。
先日狩野川の花火大会をみた女子3人組も、〇子2人、〇重(え)1人だったから、母集団を正確に(?)反映している。
⇒2011年8月 1日 (月):次第に明らかにされていく菅首相の献金疑惑の闇

「〇子」にしろ、「〇え」にしろ、「〇よ」にしろ、○の部分に「美」という字を使うことが多いだろうことは、以前勤めていた会社での経験から容易に想像できる。
上記名簿では、〇美を入れて、10人いた。
22%であるから相当の率といっていいだろう。

その他は、かの吉永小百合さんと同じ名前であった。吉永小百合さんは、同世代ではあるが、別格である。
当時としては、オシャレなネーミングということになろう。
妻たちに比べると、「なでしこ」はなんと多様であることだ、と思う。
ちなみに、「なでしこ」の場合、「美」は3人(15%)だが、ひらがなの「み」が2人でこれを加えると25%になる。さらにと「実」を加算すれば30%だ。

ところで、当世女子の名前ということになると、あのAKB48が気になるところである。
この間の総選挙の結果は、どうだったであろうか?
⇒2011年6月13日 (月):『もしドラ』ブームとAKB48総選挙
改めて調べてみると、以下のようであった。
Akb48_4
http://blog.livedoor.jp/r_simura/archives/52093896.html

1位、2位、4位に○子が登場している。12人中の3人で、25%ということになる。
「なでしこ」(5%)や妻の同級生たち(65%)との違いが有意差といえるものか?
しかし、名づけ(≒親の願い)にも、不易と流行がありそうである。

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2011年9月 1日 (木)

減災と想定-民主党の危機意識は大丈夫か

9月1日を「防災の日」とした最大の理由は、「関東大震災」の発生がこの日だったことによる。
また、立春を起算日(第1日目)として210日目にあたり、台風が来て天気が荒れやすい日と言われている。夏目漱石の『二百十日』が有名であるが、今年も台風12号が接近してきている。
由来はともかく、東日本大震災の今年は、とりわけ大きな意味を持つはずだろう。
初動の重要性は、民主党もよく分かったのではないかと思う。

ところが、国会で首相の指名をうけた野田佳彦氏は、組閣を9月2日にするらしい。すなわち、今日は「空白の1日」になりかねない。
時間がないといって、代表選を慌ただしく済ませた割には悠長なものだ。
法的には、憲法の定めにより、菅内閣がそれまで職務を遂行することになる。
つまり、辞表を提出済みの人たちである。
民主党の政権担当能力の欠如は、このような緊張感の乏しさに端的に表れていると言えよう。

「天災は忘れた頃にやってくる」というのは、寺田寅彦の言葉といわれる。
福島原発の事故原因を究明する第三者機関「事故調査・検証委員会」の委員長に指名された畑村洋太郎氏は、「失敗学」を提唱し、実践してきたことで知られる。
近著の『の『未曾有と想定外─東日本大震災に学ぶ (講談社現代新書) 』(1107)に、「「人は忘れる」という大原則がある」という項目がある。
人は非常に忘れっぽい生物であるが、忘れなければ前に進めないので、忘れることは悪いことではないが、失敗や災害の対策を考えるときにはマイナスに働く、として「人間の忘れっぽさの法則」を下図のように表わす。
Photo1

関東大震災が起きたのは、大正12(1923)年9月1日11時58分44秒。
震源は、伊豆大島付近、相模湾北西部の相模トラフ。海溝型大地震で、マグニチュード7.9、震度6の規模だった。
今年は88年目であり、上図でいえば、「地域が忘れる」時期である。

昭和三陸地震は、昭和8(1933)年3月3日で、78年前。
地域は忘れていたのか?
必ずしもそうではないようである。
田老地区などをみれば、防潮(波)堤等の「備え」はあったが、今回の津波は「想定」よりもはるかに大きなものだった。

昭和8(1933)年の昭和三陸地震でも、三陸海岸は津波の大被害を受けました。特に被害が激しかったのは岩手県田老村(現在の宮古市田老地区)で、津波によって全戸数362戸のうち358戸が流され、人口1,798人の44%にあたる792人が死亡しました。この被害をきっかけに、田老地区では町を取り囲むように、高さ10mの巨大な防潮堤が建設されました。この防潮堤は、1960(昭和35)年のチリ地震津波から田老地区を見事に守りました。
Photo
http://www.jice.or.jp/quiz/kaisetsu_08.html

まさに「想定外」だったのである。

しかし、「想定」とは何だろうか。
畑村氏は、上掲書で、ものごとの考えの枠を決めることだとしている。
Photo_4
つまり、「想定」とは「問題設定」であり、想定内のことを考えることが「問題解決」というわけである。

東日本大震災を踏まえて、「減災」という概念の重要性が指摘されている。
少しでも被害を減らそう、少なくとも致命的な被害は最小化しようということだと理解する。
自然現象としての地震や津波は無くせないけれども、「減災」は可能である。
しかし、そのためにも、如何なる「想定」をして備えるかが重要なはずである。

防災の日に、曖昧で不安定な体制のまま臨むところに、民主党の「想定」力が表れているといえよう。
鳩山・菅の失格は既に明らかである。
「二度あることは三度ある」という言葉が現実のものにならないよう願うばかりである。

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