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2011年8月 5日 (金)

与党が首相退陣の条件を整えるためにマニフェストを放棄する不可解

シンプルに考えてみよう。
2年前の09年8月、民主党は総選挙で、歴史的な勝利を果たし、政権交代を実現した。
⇒2009年8月31日 (月):総選挙の結果
民主党に1票を投じた国民の大多数は、選挙で掲げたマニフェストの実現に誠実に取り組んでくれるだろうと考えたはずである。
マニフェストの全部を実現するのは難しいかも知れないが、少なくとも任期の間、基本となる理念や、根幹の政策を放棄したりするようなことはないだろうと思っていたのではないか。

政権交代し、党代表の鳩山氏が首相になった。
ところが、自身の沖縄基地問題でのオーバーコミットメント等によりし、進退に窮し辞任を余儀なくされた。
後継の菅首相は、最初の国政選挙である参院選で、マニフェストにない消費税増税を唐突に打ち出し、大幅に議席を減らしてしまった。
にもかかわらず、党代表として続投する意向をいち早く表明し、民主党の代表選に勝って、首相も続投することになった。
⇒2010年9月11日 (土):菅首相続投で、本当にいいのだろうか?
⇒2010年9月15日 (水):民主党の代表選結果の感想
⇒2010年9月21日 (火):再び問う、「菅首相続投で、本当にいいのだろうか?」

参院では少数与党になったので、国会運営は困難にならざるを得なかった。
しかし、政権が野党に譲歩する姿勢はなく、また尖閣諸島での中国漁船衝突事件への対応等で国民の信を失うことになった。
その上、マニフェスト実現のためには消費税を上げなければならない、という奇妙な論理を持ち出した。
⇒2011年2月12日 (土):マニフェストを履行するための消費税増税?(2)
⇒2011年2月10日 (木):マニフェストを履行するための消費税増税?

さらに、自身の政治資金についても重要な疑惑が持ち上がった。
ちょうどその時未曾有の大災害が発生し、とりあえずはそのままの体制で初期対応をせざるをえなくなった。
⇒2011年3月11日 (金):大規模地震で日本国はどうなるのか?

しかし、緊急時対応においても、なんら力量を示せなかった。
その結果、自公両党から、内閣不信任案を提出されるに至った。不信任案が可決される可能性が高まると、退陣を偽装して不信任案を否決に持ち込んだ。
形式的には大差の否決ではあるが、信任されたわけではないことは、直後からのゴタゴタからして一目瞭然である。
⇒2011年6月 2日 (木):哀しき奇兵隊内閣の末路
⇒2011年6月16日 (木):脱トロイカは「民主党2.0」の必要条件ではあるが十分条件とはいえない
⇒2011年6月29日 (水):東電株主総会と民主党両院議員総会

さらに騙されたに等しい与党からも退陣の要求が高まると、「顔を見たくないなら法案を通せ」と駄々っ子のように、自ら3つの法案を掲げた。
⇒2011年7月25日 (月):菅首相のいわゆる「退陣三条件」なるものについて

もはや政権の正当性すら考える余裕すらなくなり、マニフェストの見直し(放棄)に言及し始めた。
⇒2011年7月23日 (土):マニフェスト見直しをめぐって

そしてついに8月4日、民主党執行部は、国民の支持を失った自党の首相を退陣させるために、自公両党に大きく譲歩せざるをえなくなった。マニフェストの目玉・看板ともいうべき「子ども手当」を廃止し、政権交代前の「児童手当」を復活させることで、自公両党と合意したのだ。
新聞の見出しには、「民主「降伏」 金看板瓦解」の文字が躍った(静岡新聞等)。

まったくもって不可解といわざるを得ない。
菅首相が居座ることにも、民主党が退陣条件を整えるためにマニフェストを放棄することにも、一片の合理性もない。支離滅裂といえよう。
震災が起きなくてもマニフェストは根幹において、破綻していたのである。

民主党に残されている道は、解党くらいしかないのではないか?
⇒2011年1月12日 (水):出口の見えない菅政権と民主党解党という選択肢
⇒2011年2月15日 (火):現実味を帯びてきた民主党解党という選択肢

少し頭を冷やして考えてみたらどうだろうか?

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