民主党代表選の虚しき狂騒
国会の会期末を迎えて、次の総理大臣を決めることになる民主党代表選のニュースが賑やかだ。
しかし、報道されていることのほとんどは、ウンザリするようなことである。
先ずは、ダイアモンドオンライン誌の『小学校の学級委員選挙以下/国民へのアピールの場を自ら封じる民主党・代表選挙の愚』という記事である。
http://diamond.jp/articles/print/13751
民主党の代表選は、小学校の学級委員の選挙以下と言っては言い過ぎだろうか。当然ながら、与党・民主党の代表選挙は、この国の総理を選ぶ選挙とほぼイコールである。それが27日告示、29日選挙では、まともな論戦を戦わせる時間もない。これまで震災対応では、菅総理の不信任案騒動などで、散々、時間を浪費しておきながら、最も重要な後継者選びに、1週間の時間も割けないというのでは、拙速のそしりを免れない。
まったくその通りであろう。
とにかく、ドサクサ紛れに代表選をしてしまおうとしているとしか見えない。
国民が聞きたいのは小沢氏の支持がどうなるかではなく、どういう国を目指すかの所信であろう。
まず、国のかたちとして、市場中心で結果の不平等はある程度是認する小さな政府でいくのか、ある程度市場を規制し、結果の平等を重視する大きな政府でいくのか、北欧のように市場は重視しながら再配分ではより平等を重視する第3の道でいくのかを、明らかにしなくてはならない。
その大枠を前提に、世界経済が再び危機に見舞われようとしているなかで、我が国は財政再建と経済再建・デフレ対策のどちらに重きを置くのか、社会保障制度の改革と増大する費用を賄う財源をどうするのか、新たなエネルギー政策をいかに立案するのか、そして震災からの復興を具体的にどう進めていくのか、について政策をぶつけ合って欲しい。大きなものだけでも、4つの課題に直面しており、いずれも日本の将来に関わる。日本はいま、岐路に立っていることを肝に銘じるべきである。
しかし、国のかたちの大枠は、政党の性格としてあるはずのものではないだろうか。
混乱の根っ子には、綱領等で合意し切れていないという事情がある。
TVでは、小沢氏が海江田氏支持を決めた、と報じている。
党員資格停止中の小沢氏の意向(威光?)で、総理大臣が決まる?
国会の審議中に号泣しちゃった海江田氏が総理大臣?
私には、できの悪い冗談にしか思えない。
渡部恒三元衆院副議長は、水戸黄門に擬せられる民主党の長老である。
その渡部氏が、『「公約守れ」派は個利個略』と題して、産経新聞の「国益が第一」というコラムに書いている。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110825/stt11082503290000-n1.htm
黄門さまのように、大所高所からの識見が開陳されるだろうと期待した。
言うまでもなく、国民から選ばれた代表が政治家だ。政治家は国民の声を聴いて方針を決める。それを国民のために誠実に実行するのが官僚、役人だ。役人は法律、制度の専門知識を持つ行政のプロでもある。その能力を使わない手はないのに、政治と行政がまるでケンカしているかのように切り分けてしまった。それが東日本大震災や福島第1原発事故の初動で後れをとった原因だ。
要は、政治家が頭で官僚は手足ということか?
しかし、民主党政権を2年間体験してみて、政治家に思考能力が欠けていることを国民は痛感しているのではないか。
「東日本大震災や福島第1原発事故の初動」の失敗はもちろんであるが、問題は初動だけではない。
「国民がパニックに陥るから」と、大事な情報を的確適時に開示しないで隠蔽してきたことが、問題を拡大させ、こじらせていることに反省がないのである。
経済の動向や国際情勢は毎日大きく変化している。公約は国民のために訴えた政策だ。今、状況が変化して国民生活のためにならないとわかったり、優先すべき政策が他にあるとわかったなら、凍結や見直しは当然だ。まして千年に一度の大震災の後でもある。一昨年に約束したことを何が何でも今年実現することが無理なことくらい、だれでもわかることだ。
「状況が変化して国民生活のためにならないとわかったり、優先すべき政策が他にあるとわかった」から、マニフェストを放棄するのか?
こんな無原則的なことでは、「国民との約束」という言葉は「鴻毛よりも軽い」のだろう。
「マニフェストを100%死守せよ」と、「公約守れ」派だって言っているわけではないだろう。
状況に応じた対応が必要なことは当然である。
しかし、根幹・骨格・精神……を弊履の如く脱ぎ捨てるのは、ちょっと事情が違う。少なくとも守ろうとする姿勢は必要ではないか。
もちろん、諸般の事情で実行できないこともあるだろう。そのとき為すべきことは誠実に事情を説明することではないか。
予算執行の裏付けになる特例公債法案が年度半ばの8月になって、成立するような異例な事態に陥ることを回避する手立てをとることだ。
異例な事態は、菅首相がポストに執着していたのが根本要因である。
衆参のねじれ現象は、去年の参院選の結果が判明した時点で明らかだった。その敗北の主因も菅首相にあるのである。
渡部氏は、「国難にあたっては与党も野党もなく、知恵と力を出し合うという意識に立つかどうかではないか」という。
その通りであるが、そういう状況を作り出すのは、先ずは与党の責任であるはずだ。
静岡新聞の「論壇」というコラムでは、政治評論家の今井久夫氏が『理念と政策抜きの代表選』と題した一文を寄せている。
(首班指名が)国会最終日の31日の前日の30日に行われる。〆切りギリギリにようやく間に合った感じだ。
これもせんじつめれば菅首相の往生際のわるさのせいといえる。もっと早い機会にさっさと辞めていれば、こんなムダな時間との競争はしなくても済んだはずだ。
その通りなのであるが、辞めさせなかった者も同罪である。不信任決議を否決したのだから、「さっさと辞めていれば」と繰り言をいってもしかたがない。
菅ペースに乗った方が拙劣だったのである。
このような時間に追われた杜撰な両院総会で選出される次期代表はロクな期待が持てない。そんなわるい予感さえする。
そうに違いない。
だから、次の内閣は選挙管理内閣として自らを律するべきだ。
政権交代を争った選挙の政権公約(マニフェスト)が砂上の楼閣であったことを、自分で認めているのだから、選挙のやり直しは当然の理である。
日本経済新聞の「春秋」欄は以下のようである。
菅内閣の発足時に首相の口から「奇兵隊内閣と名付けて」という言葉が飛び出した際には正直、戸惑った。「果断に行動する内閣だ」という説明を聞いてもピンとこない。幕末の志士、高杉晋作と菅首相の姿がどうにも重ならなかった。▼いま思うと、首相は確かに高杉の信奉者だったのだろう。高杉の名言に「人間、窮地に陥るのはよい。意外な方角に活路が見いだせるからだ」というものがある。6月初めに辞任表明して以降、首相は活路を探し続けていたに違いない。それが「脱原発依存」発言だったのだろうが、起死回生策にはならなかった。▼いかんせん、菅首相の言葉は軽かった。海外と経済協定を結んで市場を開く「平成の開国」はあっさりと先送りしたし、「熟議の国会」は空振りして与野党の対立が続いた。税と社会保障の一体改革もあいまいな結果になった。どの発言もその場の思いつきという印象がぬぐえないから、国民の心に響かなかった。▼きょう、菅首相が正式に退陣を表明する。民主党内では代表選に向けた駆け引きが続くが、国民の目は冷ややかだ。「おもしろきこともなき世をおもしろく」と辞世を残した高杉。「すみなすものは心なりけり」という下の句もある。国民の心の持ちようを変えるために骨太な政策論争が欠かせないと思うのだが。
奇兵隊は、所詮哀れな末路を迎えるのである。
⇒2011年6月 2日 (木):哀しき奇兵隊内閣の末路
国民ももはや「骨太な政策論争」など期待していないのではないか。
震災対応と原発事故対応に力を注ぎ、なるべく早く、解散総選挙を実施すべきである。
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コメント
解散総選挙を、ー ー ー 同感です。
野党も含めて、現在の政情に関わっている人の、それがせめてもの、殆ど最後に残っている、誠意ある態度だと思います。
投稿: 五節句 | 2011年8月27日 (土) 10時20分
さみしいとき
あるよね
http://5023d6b.t.monju.me/
投稿: ひまなとき | 2011年8月27日 (土) 13時15分
五節句様
コメント有難うございます。
野田氏は立候補者の中ではマシかと思いますが、早期の解散総選挙には否定的な考えのようです。
政権公約の実体を否定するのであれば(理念は継承するといいますが、実質的な意味はないでしょう)、やり直すべきは当然のことだと思います。
投稿: 夢幻亭 | 2011年8月30日 (火) 21時48分